「正気と狂気の境界」インフィニティ・プール おじゃるさんの映画レビュー(感想・評価)
正気と狂気の境界
サスペンススリラーを予想していたものの、そんな感じの作品ではありませんでした。おまけにエログロ描写もそれなりにあり、チョット苦手なタイプの作品でした。とはいえ、考えさせられるものはありました。
ストーリーは、新作のひらめきを求めて妻エムとともに高級リゾート地にやってきた、スランプ中の作家ジェームズが、自身のファンだという女性ガビの誘いを受け、ガビとその夫とエムの4人で禁止されていた敷地外へのドライブに出かけるが、その帰り道に人をはねて警察に身柄を拘束され、警察から「観光客は大金と引き換えに身代わりのクローンを作ることで罪を免れることができる」ともちかけられ、この誘いに乗ったことから数奇な事態に巻き込まれていくというもの。
本作の世界観を構築する上で欠かせないのがクローンの存在です。どうやらこの島に伝わる秘伝の技術のようですが、現在と同じ風貌で、しかも記憶を保った状態で短時間でクローンを造り出せるという、パーマンのコピーロボットもびっくりのかなりプッ飛んだ設定です。しかし、ここにツッコんだら本作は成立しないし、これこそが本作のキモだということがだんだんわかってきます。
では、いったいなぜこの島でこんなことが行われているのでしょうか。これは、島のクローン技術を悪用した富裕層向けの非合法アクティビティなのではないか? 刺激を求める富裕層が金にものを言わせて好き放題に暴れて憂さ晴らしをして、その利用権利がわりに新たな顧客を引き込むことで、島にまた大金が入るという、富裕層と島のウィンウィンの関係が裏で成り立っているのではないか? こんな予想をしましたが、見事に外れました。というより、そこに明確な答えはありませんでした。
おそらく描きたかったのは島の秘密ではなく、クローンに罪の身代わりをさせることでさらけ出される、人間の心の闇だったのではないかと思います。当初は自身のクローンが殺されることに強烈な不快感や嫌悪を覚えたジェームズが、同様の仲間がいることを知り、罪悪感が薄れ、勢いに任せて暴れ、少しずつ壊れていく様がシュールです。平素は決して表に出ることのない人間の心の醜い部分が、じわじわと、やがてなんのためらいもなく言動に表れていく様子は、下手なホラーよりよっぽど怖く感じます。
人は誰しも負の感情をもっています。ジェームズの場合、それは新たな作品を生み出せない苛立ち、才能のなさを自覚しての絶望、義父の世話にならざるを得ない惨めさや反発などだったのではないでしょうか。内に眠るそんな負の感情の根源は、すべて日常生活にあります。だから、帰りのバスの車内で、レジャーを終えたセレブたちが日常モードに切り替えて帰国後の予定を話すのを耳にしたジェームズは、やりたいことも帰りたい場所もない日常生活に戻ることを拒み、島に残ったのではないでしょうか。
タイトルの「インフィニティ・プール」とは、ふちに手すりなどの視界を遮るものがなく、目の前に広がる海や湖と繋がっているように見えるプールのことらしいです。作中でもそんなプールの設計の話題が出てきます。これは、正気と狂気の境界線を曖昧にし、心の底にあって見えないはずのものをさらけ出す、この島の異常性を見事に言い表したタイトルのように思います。冒頭で確か「雨季の嵐の前の時期を“ウンブラマク”といい、意味は“召喚”です」と、“エキ”の仮面をつけた人たちが語っていました。今にして思えば、召喚されたのは己の醜い心であり、おぞましい仮面はひた隠しにしている素顔なのかもしれません。
ただ、クローン技術以外にも、島の不思議なルール、リゾート施設の厳重なバリケード、ガビがジェームズを狙った理由など、腑に落ちないことも多く、鑑賞後もすっきりしません。安っぽくてもいいので、なんらかの理由づけがあれば、もう少し満足度が高まるのではないかと思います。あと、実は最初に処刑されたのがオリジナルで、最後に残ったのはクローンだったとほのめかすような描写があっても、おもしろかったのではないかと思います。
主演はアレクサンダー・スカルスガルドで、体当たりの演技が秀逸です。「ノースマン」の主演俳優と同じだとは全く気づきませんでした。脇を固めるのは、ミア・ゴス、トーマス・クレッチマン、クレオパトラ・コールマン、ジャリル・レスペールら。中でも、ミア・ゴスの終盤の演技は圧巻です。