「主権在民なんだよね」妖怪の孫 Scottさんの映画レビュー(感想・評価)
主権在民なんだよね
観始めてまず「安倍さんは軽いなあ」と思うの。弁舌さわやか。何を言われてもさわやかな弁舌だけで乗り切っちゃうから、安倍さんファンは楽しいだろうね。神輿は軽いほうがいいんだなと思ったの。
メディアが停波で脅されて黙ったっていう話は、安倍さんも酷いけど、テレビも弱すぎでしょ。誰かテレビジャーナリストに政権との闘い方を教えてあげてよ。
米国のジャーナリストが『日本のメディアの問題はエリートが多くインサイダーになってる』って言うのは、その通りだね。でも、いま、新聞なんかは良い人が集まらなくなったって言ってるから、そのうちアウトサイダー集団になって機能するようになるかも。
野上忠興さんへのインタビューのところで、安倍さんはお母さんが嫌いで、見返すために岸信介を超えたい、だから改憲やるんだっていう話は納得感があった。
安倍さんのやりたいことは「おじいちゃんの無念を晴らす」としか見えないことがあったんだけど、尊敬と同時に、乗り越えて誰かを見返したいとかあったのかもね。
現職官僚のインタビューも良かった。「あり得ない」「ここまでやるのか」となって、気持ちが消耗してた。「あり得ない」「ここまでやるのか」とインテリが思うことを、平気でやってくる強さ、下品さが安倍さんにはあったね。インテリ側も対抗手段を考えないと。
そして改憲の話へ。憲法は権力を縛るものではないという自民党の意見に対して、憲法学者の偉い人が『世界の珍事だ』と切って捨てるの。『安倍さんは、勉強してない』とも。
確かにその通りなんだけど、この切って捨て方が『お前たちはバカだ』と言われてるように反インテリ主義の人には見えるんじゃないかな。『なんで、こんな当たり前のことを説明しなきゃならないんだ』ということから、説明していかないといけない気がする。
改憲を目指している人の発言に『国民主権、基本的人権、(もう一つ忘れた)、これらは全てマッカーサーに言われたもの。これをなくさないと自主憲法にならない』は震えた。国民主権を否定だよ。
自民党改憲案は、憲法が国家公務員を縛るものではなく国民を縛るものになっていて、しかも遵守させるべく国会議員が責務を負うとなってた。それで何がやりたいかというと、薩長が力をもっていた明治時代が理想だと。
国会議員にしてみると、選挙で信任を得た自分たちが、憲法に縛られるのは何故なんだって気持ちなんだろうな。権力を思うように行使させてくれよと。
でも今は国民主権だからね。権力者は国民なの。国会議員は、その権力を執行する権利を一時的に預けられているにすぎないの。それなのに「自分たちは権力者だ」と思ってしまうところがおかしい気がするのね。
一方で国民の方にも「うだうだ議論してないで、選挙で勝った党の言う通りにやればいいじゃないか」って気分もあるよね。少数派は黙って言うことを聞けみたいな。
国会議員に権力を全権委任しても、彼らは自分たちにとって、少なくとも支持者にとって悪いことはしないっていう信任があるよね。
僕は「権力は腐敗する」と思ってるから、全権を預けたくない。主権者である国民の監視のもとで、慎重に権力の執行を行なって欲しい。
改憲を押し進めるのも、メディアと官僚をコントロールするのも、どこに原因があるかというと、それをする政権を選んだ国民に責任があるんだよね。「この程度の国民に、この程度の政治家」になっている。政治のことを少し考えないといけないなと思ったよ。