パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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わぁーお、ワァーオ、わぁーオ!
指揮官と擁護者
人って何故か限りなく反対の人に惹かれる。
友達とかは違うのに。
離れてしまうと今度は共通部分が邪魔をして。
ラストのやりとりが彼女にとって彼が運命の人だと痛感するであろう「まさに」の瞬間で。
リアル。
恋するって不思議
今年一番泣いた
ずるいよね、こういう切ない設定。
カナダへの移住は両親の意思決定で、歴史に飲み込まれたとかではなく、奇跡みたいなこともない。どこにでも起こっていそうな、悪く言うと捻りのない展開。ただ、今でないとこういう流れにはならない。
2人が別れた2000年前後は父親の机にワープロがあったように、インターネットが今ほど普及する前だった。その12年後はSkypeができるようになっている。最初に別れた時に「LINEするからねー」みたいになっているとこうはならず、こういう過渡期でないと、このストーリーは生まれない。
学校で成績1位2位を争っていた2人。特に女の子の方は自分の意思で移住したわけではないがカナダ→NYで作家として成功することを夢見ている。結婚相手はNY出身の同業者。彼の方は一般的な韓国人男性と同様に兵役へ行き、中国に語学留学するものの普通のサラリーマンになっている。12年後のネットでの再会後やり取りを止めた後も、2人とも割と早く次の展開があったりして。しかし12年前に画面越しに喋ったとは言え実際に会うのは12歳の時から24年ぶり。
それに直面した時のアメリカ人の夫の心境も複雑で、相手は自分の母国語を普通に喋るが自分は相手の母国語が全くわからない。妻の寝言は韓国語にも関わらず。これって国際結婚あるあるでは?知らんけど。
バーのシーンがクライマックスで、また夫のアーサーの複雑な表情がアップになるのも良い。この3人の誰もがサイコじゃなくて良かった。
主演よりヘソン役の俳優がすごく良かった。また人の良さそうなジョン・マガロのキャスティングも絶妙。
エキストラの赤いカチューシャのおばさんが2度出てきた⁈
切ねぇ〜
2024年劇場鑑賞80本目。
お互い恋心を持っていたが遠く離れ離れになった幼馴染同士が12年後男の執念でライブチャットができるまでになったが、好きになりすぎて自分の夢がおろそかになるのを怖がった女性に一回ライブチャットをやめようと提案され、そのまた12年後・・・という話。
多分こういうパターンで恋がつぶれていく二人は現実でよくありそうで、今泉力哉監督の作品でありそうだな、と思って観ていました。まぁ韓国語がわからないもう一人の登場人物の横でずっと韓国語で話しているシーンはその人の気持ちを考えるとやりきれませんでしたし、最後のシーンでもあんなことされたら傷つくだろうなぁと思って切なかったです。女の方は知らん。男二人がかわいそうな話でした。
今週のおすすめ枠。会話は少ないがぜひぜひ。
今年134本目(合計1,226本目/今月(2024年4月度)8本目)。
(前の作品 「リトル・エッラ」→この作品「パスト ライブス 再会」→次の作品「人生って、素晴らしい Viva La Vida」)
こちらの作品は、アメリカ・韓国の合作という特殊な映画の成り立ちです。
よって、アメリカや韓国映画にありがちな展開にならず、アメリカを舞台に韓国人男性と女性との出会いを、年も利用した「ずらし描写」も入れることで会話少な目(ただし、情報量はたっぷりあり、混乱させることはない)で読み取るという、人によって理解も感想もかなり変わってくるかな、といったところです。
どうしても合作という性質上、アメリカにも韓国にもどちらにも文化依存するような内容を入れづらかったと思われる点から、展開がどうしても一つか二つかに読めてしまう(韓国文化、アメリカ文化がどうこうといた話はほぼ出ない)点はどうしても言えます。
ただ、会話少な目のそんな中でも、20年近くたっても成り立つ愛はあるのか?また過去のことは?といったことに主軸テーマを置いた映画なので、この点については描写が丁寧です。会話が少ないのは、「それぞれで考えてね」という趣旨にしたかったのだろうと思います。
上記の事情があるのでやや見方が複雑になるのですが(あまり話してくれないなど)、ただそうであっても、また舞台が日本でもアメリカでも、あるいは、登場人物が日本人であろうとアメリカ人であろうと、「時を超えて人を好きになること」に力点が当たっていることは明らかですので、ここでの解釈割れは起きないかな、と思います。
会話が少なく、行間を読む知識(テクニック)も必要になりますが、観た後の充実度はとても高いという映画です。まよったら「6回みたら1回ご招待」系でも推せます。
採点については、以下の点が気になったものの、おそらく説明があるほうが良いかなといったところです。こちらで書いておきます。
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(減点0.2/アメリカのパソコンを使うときに、別に紙にハングルの母音子音を書きだすシーン)
「舞台」はアメリカなので、アメリカのパソコンが使われていますが、当然その場合、通常の入力は英数字入力だけです。しかしWindows11ほか一般的なOSは、他言語対応としてキーボードで他言語もタイプできるような設定もあります(オンラインで、スカイプ等で韓国語やスペイン語、中国語などを学習する場合、その設定が求められる場合もあります)。
ただ、その設定をやっても使用しているキーボードに、ハングルの母音子音が浮かび上がるようになるわけではないので(高性能なUSBキーボードだと可能なのかな…)、「どの位置を押せばどの母音子音が出るか」を暗記しなければならず、そのために書き出しているシーンがありますが、あれはこのことをです。
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女性らしい目線で描いたさりげなさ
幻想が妄想になっていくのを止めるのは現実的な彼女の言葉
2024.4.6 字幕 TOHOシネマズ二条
2022年のアメリカ&韓国合作の映画(106分、G)
12歳の時に離れ離れになった幼馴染の24年後の再会を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はセリーヌ・ソン
原題の『Past Lives』は「前世」という意味
物語の舞台は韓国のソウル、12歳のナヨン(ムン・スンア)とヘソン(イム・スンミン)が描かれて始まる
クラスで成績優秀の二人は、いつもナヨンが1位で、ヘソンが2位だった
だが、この時はヘソンが初めて勝ち、それが原因で彼女は泣いてしまう
ヘソンは「僕はずっと2位だったけど泣かなかった」と、ナヨンを慰めた
二人はお互いに好き合っていて、その関係がずっと続くと思っていたが、ある日、ナヨンは家庭の事情で、カナダのトロントに移住してしまうことになった
お互いの母親は二人に思い出を作らせてあげようと、果山国立公園へと出向く
別れを惜しむナヨンに、母(ユン・ジヘ)は「失うものがあれば得るものもある。あなたも彼に何かを遺してあげなさい」と言った
物語は、その12年後、24歳になったナヨン(グレタ・リー)が、父(チェ・ウェニョン)のFacebookにて、ヘソン(ユ・テオ)メッセージを見つけるところから動き出す
カナダに移住することになったナヨンはノラという英語名で活動していて、ヘソンは彼女を見つけることができなかった
ナヨンはヘソンに友達リクエストを送り、それによって二人は、12年ぶりに「パソコンの画面上」にて再会することができたのである
映画では「イニョン(인연)」についての奥深さと輪廻転生、前世についての関わりが描かれていた
さらに12年後にあたる、36歳の二人の再会にて、彼は「ナヨンは今世では去る人なんだ」と思うようになっていて、それはナヨンの「あなたが愛した12歳の私はもういない」という言葉によるものだった
心と言葉が裏腹になっている二人だが、ヘソンはナヨンと今の夫アーサー(ジョン・マカロ)との関係に踏み込みたくないと考えていて、さらに彼女の言葉が自分の感情を整理してくれたことに感謝している
バーで3人が話すシーンが冒頭にあって、そこで男(アイザック・パウエル)と女(Chase Sui Wonders)の会話が流れてくる
3人の関係はどうだろうと話す、彼らの想像をはるかに超えた関係が、そこにはあったと言えるのだろう
映画は、俯瞰して見ると「自分のことを24年も想ってくれている男がいる」という前提で再会することになっていて、その想いの源泉が打ち砕かれていく様子が描かれていく
寄りを手繰り寄せる世界線がありそうだが、これまでヘソンを支配していたものからの解放になっていて、逆にナヨンの方が過去に縛られる人生を送ることになる
24歳の時に話さないことを決めたのもナヨンで、その後アーサーを誘惑したのも彼女だった
その間にヘソンも上海の交換留学生(ファン・スンオン)と出会い恋仲になるものの、彼は彼女と結婚するイメージが持てていない
その理由はナヨンがいたからで、それらの想いが「直接会うことによって」ある種の幻想との別離へと繋がる
二人の関係を切ったのもナヨンの言葉「12歳の私はもういない」であり、この言葉によってヘソンは「今世では去っていく人なんだ」と結論づけるのである
いずれにせよ、ビターエンドの作品で、24年間のヘソンの執着が、そのままナヨンに移行する様子を描いていく
これまではナヨンを守るのは自分だという想いがあったものの、これからはアーサーがその役割を担うことになる
アーサーの心情は心苦しいものがあるが、それが妻の選択でもあるので、それを受け止める以外に方法はない
二人が結婚9年目に入っても子どもがいない原因の一つがヘソンとの過去である可能性もあり、今の複雑な関係は子どもが生まれることで解消される可能性はある
問題は、それまでにナヨンの心が保つのかというところだが、彼女なら立ち直るのではないかと思えてくる
これが誰の過去のお話かはわからないが、それを乗り越えた今があるから作品として仕上がっているのではないだろうか
すれ違い、めぐり逢い。人生、そんなもの
冒頭のシーンは諧謔に満ちている。
バーカウンター並んで向かう三人の男女。
一人の男性と女性はアジア系、
もう一人の男性はアングロサクソン風。
傍目からは、観光で訪れたアジア人夫婦と
ガイドの白人男性か、それとも・・・・、と
口さがない。
実は自分も似たような体験が。
部下だった女性が国際結婚をしてスペインに移住、
久々に帰国するので呑まないかとの誘い。
酒の席で彼女と自分は日本語、
彼女と夫はスペイン語、
彼女の夫と自分とは片言の英語での会話。
三角形のやり取りが続くなか、
彼女がトイレに立った時の間がなんともぎこちない。
自分と彼女に恋愛感情が無かったことは
幸いだったが・・・・。
幼馴染の男女が、少女がカナダに移住することで離れ離れになる。
往時十二歳の二人は、互いに淡い恋心を抱いていた。
それから十二年後、
たまたま『ノラ(グレタ・リー)』が『ヘソン(ユ・テオ)』の名前をネットで検索したことから、
不思議な縁が二人を再び結び付け、折にふれSkypeで会話をするように。
とは言え、彼女はニューヨーク、彼はソウルの時差十三時間、
一万キロ以上離れた遠距離。次第に心の隙間が広がり交流は途絶え。
更に十二年後、『ノラ』は既に現地で白人男性と結婚をしており、
それでも『ヘソン』は彼女に会うためニューヨークへ向かう。
物語りは三つの時点で語られ、その間に何があったのかは
ほとんど触れられない。
逆にそのことが見る側の想像をたくましくさせる。
今でも『ヘソン』は彼女のことが好きなのは明白。
一方の『ノラ』の態度からは彼への未練は微塵も感じられないようにも見える。
なまじ自分が男であるだけに
切ない想いの『ヘソン』についつい強く感情移入。
もっとも『ノラ』の夫も、彼なりの不安を持つ。
彼女の変心の可能性を日頃の言動から気にせずにはいられない。
韓国語での「イニョン(因縁)」や「輪廻転生」について幾たびも語られる。
前世や前々世に於いて、二人は何らかのカタチで関わって来たとの。
が、夫婦であったかもしれない可能性にはついぞふれられることはない。
三様の思惑が絡み、
幾つもの可能性を孕みながら、先の読めぬストーリーは静かに進む。
そして二人がUberを待つシーンで万感の想いが溢れ出す。
2分と区切られているのに永劫に近く感じる秀逸な場面。
劇中で挿入された〔エターナル・サンシャイン(2004年)〕とも繋がり昇華。
先の映画は失恋の痛手を癒すため、それに係わる記憶を消す手術を受けるSF映画だが、
本作では互いの思慕は忘れられることはない。
ちょっとしたボタンの掛け違いが望まぬ結果に繋がる悲愴。
時を経てから取り返そうとしても
時間は巻き戻ることはない。
過去の悲しい想いを持ちながの人生はあまりに辛いのか
それとも抱え込みながたおやかに生きるのか。
ココロの芯まで揺さぶられる{恋愛映画}の佳作。
映画の中の時間は早く進むが映画館の中の時間はゆっくり進む
秀逸なラストシーンに心震えます
例によって「えっ、これでアカデミー賞の作品賞と脚本賞のノミネート映画?」って驚きが真っ先に過る。「バービー」やら「オッペンハイマー」と同じ土俵で競うなんてあり得ないレベルとも。誰が見たって一目で見て分かる極端に違う製作費からして、同じ鑑賞料金だなんて理不尽なレベル。だって何にも起きないのですよ本当に、と物足りないとも確かに思う。
しかし、これらは米国での評価及び賞レースでの俎上の騒ぎによって私達はこうして鑑賞しているからこその反応。期待満々、ラブ・ストーリーの傑作誕生なんて煽られれば、そんなリアクションもむべなるかな。もしベルリンやら米国で評判にならなければ決して日本での公開はスルーだったでしょう。
そんな小さなラブストーリーとして最初に接すれば、なんとピュアで、なんと余白の多い斬新な佳作だろうと思うハズ。どうやら監督自らの体験を反映させたと思われる、だからなんのドラマもないのですよ。二転三転のドラマなんて普通は映画の中だけなのですよ、創作しないとボーイ・ミーツ・ガールなんて無理なんですよ。正真正銘何にも起こらなかった実話をそのまんま精緻に描いた、奇跡のような作品なのです。
その結果、24年間の思いが凝縮した現代のパートに、もっと正確に言えば男へソンが女ノラのアパートを出、ウーバー・タクシーが来るまで、濃紺のシャッターの前で佇む2人の2分間こそが本作の総てと言っても過言ではないでしょう。アパートの階段降りて、左側に歩く2人を横移動のカメラが追う、そしてノラ1人が今度は右移動でアパートに戻ると、夫アーサーがなんと階段の途中で座って待っている! アーサーが画面に入った瞬間に私の涙腺は一瞬にして崩壊しました。ちょっと近年稀なる秀逸なクライマックス・シーンです。
1973年のフランス映画「離愁」(フランス語: Le train)を思い出しました。ナチ占領下のフランスが舞台で、本作より遥かにドラマチックではあるけれど、全てはラストショットの一瞬に昇華するような作劇なのです。はあ、もう半世紀前ですか。「男と女」のジャン=ルイ・トランティニャンと「夕なぎ」のロミー・シュナイダーのトップスター同志の主演、ラストのシュナイダーの泣き崩れる一瞬が素晴らしい。話が逸れましたが、「離愁」オススメですよ。
この圧巻のラストのために、12歳のソウル時代、24歳の学生の頃には女は既に移住先のトロントからニューヨークにまで移り住んでいる。ここで2人が出会うわけではないのが凄い。ただただスカイプでテレビ電話を繰り返しただけ。やっと直接再会するのはなんと24年後のニューヨークで。ほんの子供の付き合いを温存していたわけで、それがスカイプで増強されたと言うべきでしょう。それぞれ別の男女と交際しても心の奥に大切にしまったままだったのでしょう。それを本作では「前世」との繋がりとして表現する。2人の「来世」に期待しましょう。
こんなに落ち着いたカメラワークも久しぶり、しっとりと芝居を見せる。女ノラはいかにも快活で監督自らが反映しているのでしょう。監督は初めてのようですがライターとして米国で認められた過去があり、ノラに被ります。男へソンがまたいい男で、兵役の済ませた立派な体躯に優しさと繊細が滲みます。額の「逆富士」が印象的。
女を挟んでバーカウンターの両サイドに男と夫が並ぶ。このショットは映画の冒頭にも登場する。カウンターの反対側にいるであろう2人の会話が聞こえてくる仕掛け。「あの3人の関係は?」と、人を観察するよくある会話ですよね。言い換えればこうして並んだ3人をこれから説明しますねと言ってるようなもの。そう、私達が普段目にする赤の他人の人間模様を勝手に推測して楽しむ。そんな映画なのかも知れません。
期待度○鑑賞後の満足度○ ♪「前世」「今世」「来世」あの人に会ったなら~♪
互いを大切にした3人の大人たち
もしもあのタイミングで選ばなかった人生を選んでいたとしたら…。
それを想像はしても、無邪気に選択し直せるようなメンタリティは、多くの人は持ち合わせていない。
だからこそ、人々は映画に自分の人生を重ねて、選ばなかった人生をあれこれ思い描いたり、選んでいる今の人生を、改めてそっと肯定したりするのだと思う。
この映画は、そうした私たちの心の動きにとても近い形でストーリーが展開していく。
ぶっちゃけて言うと、この映画では、劇的なことは何も起きない。
というより、登場人物たちが何も起こさない。
けれど、意図的に何も起こさないという大人の振る舞いが、観ているこちらに、こんなにも豊かな思いを与えてくれるのかと気付かされた。
ラストシーンがいい。
永遠に思えるような、もどかしいくらい短いような…。
セリフも、彼らの動きもシンプルだが、足りないものは一切なく、しみじみと深い余韻を残す。
それぞれの街の美しい風景にも心惹かれる一作。
ノラの夫であるアーサー役の彼、ファーストカウの料理人役の人と知って納得。
気持ちを内面に閉じ込めて抑制を効かせつつ、逆に観客に豊かな思いを抱かせる演技がやっぱり素晴らしい。
3人の男女の複雑な心理状態を描いた感じの作品。 本年度ベスト級。
鑑賞中、予想外な展開に期待するものの何も起こらず。
登場人物達が話している言葉と本心が食い違っている感じにモヤモヤする。
でも、これが現実だと思わせてくれた感じ。
相思相愛の小学生のノラとヘソン。
いつも一緒に行動する二人。
ノラが両親の都合でアメリカに移住。
疎遠となった2人が12年後にSNSで繋がり毎日の様にオンラインで楽しそうに会話する展開。
幸せそうな2人の笑顔が印象的。
そんなノラがある理由でオンラインでの会話をやめようとヘソンに進言し再び疎遠に。
その後ノラがアメリカ人と結婚するものの、再び12年後に再開するストーリー。
自分はヘソン目線で鑑賞したけど、男の未練がましい姿が自分と被る(笑)
既に結婚して自立しているノラを悩ませる感じが悩ましい(笑)
ノラやヘソン。ノラの旦那が話している言葉は本心で言っている感じが全くしない(笑)
輪廻転生のセリフ。
自分達の行いを正当化したい言葉として使っていた感じで切ない。
美しい映像に登場人物達の、どうにもならない現実を対比させていた感じで観賞後の心理状態は複雑だった。
韓国は残業代が出ないのにはビックリしました( ´∀`)
嗚呼、せつない
初恋を美しい思い出として、心の奥にしまっている男にとっては、全身で共感してしまって、もうヤバイ。
「どうしてあの時、私を探していたの?」ノラが無神経な質問をヘソンにする。バカなフリして聞くんだったら、まだいいんだけど、真顔で質問するから「お前、バカなの?」って大声でツッコミたくなった。
実は自分もFacebookが流行っていた時に、突然、中学校時代の女の子から連絡があった。その子は、初恋の子で、見事にフラれている。頭がよくて、可愛くて、高嶺の花。
懐かしいから連絡したって言葉を読んで、何かを期待して彼女のFacebookを見てみるとハイスペ男と結婚して瀟洒な家で幸せそうにしている写真がいっぱい。
やっぱり自分には手が届かなかったんだと、2度目の失恋というよりも敗北感をたっぷり味わうことに。
だからヘソンのセリフ一言一言に胸を締め付けられる。
最後は、何かを期待したんだけどね。
嗚呼、せつない。
思っていたよりグイグイ来ない
イニョン〜もしも、あの時・・・〜‼️
この作品は人間の一生、人生を凝縮したような、ロマンチックで切ないラブ・ストーリー‼️二人の韓国人男女の別れと再会を、24年前、12年前、現在という3つの時間軸で描き出す構成‼️24年前、お互い好意を抱くノラとヘソンは、ノラの両親のニューヨーク移住で離れ離れになってしまう。12年前、オンラインで再会した二人は、気持ちを伝えきれないまま、すれ違う。そして現在、ニューヨークでノラとヘソンは再会する・・・‼️我々が人生を送る中で度々思う事‼️あの時、違った選択をしていれば、今頃どんな人生を送っているだろう⁉️そんな人生のイニョン(縁)を24年間の時間の中で爽やかに描き出しています‼️24年前の幼い故の純粋でストレートな想い、12年前の相手を想っていながらも若さ故に自分のやりたい事を優先させてしまったり、そして現在、大人になって自分や相手の生活や立場を尊重せざるをえない気持ち‼️ホントにリアルな人間の気持ち、人生ですよね‼️韓国での幼少期、韓国とニューヨークでのオンラインでのやりとりも素敵なのですが、やはり出色は現在のニューヨークのパート‼️美しいニューヨークの夜景や、夕陽に照らされた回転木馬の前でのノラとヘソンの会話、フェリーから見る自由の女神‼️ホントにニューヨークに行きたくなる‼️脱線しますが自由の女神の内部はタイマツまで人が行けるようになってるんでしょうか⁉️ヒッチコックの「逃走迷路」‼️そんなニューヨークを舞台に繰り広げられるノラとヘソンのやりとり、会話の数々がホント胸に沁みる‼️「あなたが恋した12歳の私はもういない、あの時に置いてきた」「12年前、僕がニューヨークに来てたら?君がソウルを去らずに一緒に大人になっていたら?」そしてノラとヘソン、ノラの夫アーサーの3人がバーで語り合うシーンも、ハングル語で盛り上がるノラとヘソンの隅で、寂しそうなアーサーの描写も含め、ホントに素晴らしい‼️極めつけはラスト、ソウルへ帰るヘソンをノラが見送るシーン‼️「(来世で縁があるなら)その時会おう」と言うヘソンのセリフ‼️そして涙を流して泣くノラと、彼女を抱きしめるアーサー‼️ノラのその時の心情は⁉️ヘソンと結ばれた人生を思ったのか⁉️それともアーサーとの結婚生活の幸せを噛み締めたのか⁉️現在のパートに感動すれば感動するほど幼少期の思い出が光り輝き、12年前のオンラインのやりとりが切なくなってくる‼️ホントに深い‼️8000層もの想いを馳せられる恋愛映画の名作です‼️
全224件中、161~180件目を表示