パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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映画を観る喜びに浸れる良作。脚本、役者たちの演技、会話の間が素晴らしい。映像、音楽もいい。
様々な映画賞を席巻するような傑作ではないかもしれない。
けれど、人生40年、50年と生き、誠実な恋愛を経験したことのある多くの人にとって、長く記憶に残る良作、名作だと思う。
シナリオ、役者の演技、映像、音楽…、全てがハイレベルで、かつバランスがいい。奇をてらったような演出は一切なく、隅々まで実に丁寧に作られている。
登場人物たちの行動、セリフは、時に大胆だったり、時にもどかしかったりするけれども、決して過剰にならず、また何かが欠けている印象もない。夫々の情熱を感じさせながら、抑制の効いた、大人の節度に満ちている。
ストーリー展開にも特別劇的なものはなく、観客の心を激しく揺さぶるセンセーショナルな場面があるわけでもないけれど、それだけに物語はとてもリアルで、説得力があり、ごく自然に感情移入を誘って観るものを裏切らず、ゆっくりと、一緒に、ラストシーンへと向かう。そして、深い余韻の残るエンドロールへ。
運命とは小さな選択と偶然の積み重ねであり、それは時に意志や情熱ではコントロールできないこと、そしてその不確かさがもたらす悲しみ、喜び、葛藤、後悔…、そうした諸々を受け入れる勇気と覚悟を持ってこそ、人生は良きものになると教えてくれる。
ああ…、いい映画を観たなぁ
ヘソンの純情とノラの上昇思考・・
*初恋は永遠の想い出、12才の淡い初恋に突然の別れが!24年後、やっとやっとニューヨークで出会えた!ノラは何度も強くヘソンをバグする!戸惑いながらもヘソンは喜びをかみしめる!なんと言う長い年月だったのだろう!でも二人の決定的な違いは、ヘソンには現在進行形の恋、ノラが幸せでなかったら、連れて逃げよう位思っていたかもしれない。でもノラは上昇思考が強く、最良のパートナーもいた。ノラの中ではすでに思い出に変わっていた。 *観光地を巡りながら、たくさん話して理解して、現実を見て、美しい景色がまるでソールライターの写真のように懐かしく美しく、二人が溶けていく。 *ヘソンはきっと初恋を想い出に変えて前を向いて歩いて行けるだろうと思う。幸せになってほしい!!
黄昏色のスクリーンが写す優しい時間
全編通してせつない思いでいっぱいだった。今は、意志を持って探せば遠く離れた相手でも、繋がる事が出来る。あらすじは複雑ではないが、24年の月日によって変わった事と、変わらないもの、それを複雑な感情を持って見つめ合う二人が、穏やかに映し出されている。カメラは終始二人から少し離れたところから二人を捉えている。そのアングルが絶妙に良くて、空気感を丁寧に映し出している。想いや感情は理解出来ても、歩んでいる道を、変えることは出来ない刹那さ。ラストシーン、道の反対側でその様子を目撃しているような気分になる、素晴らしいショットだった。こういう作品はなかなかない。
シビれるリアリティは自分物語
終始感じるじれったさは、監督自身の体験に基づくものだったんですね。そして、何とも言えないリアリティも、自身の体験があってこそだったんですね。
鑑賞後、いろいろな記事やイントロダクションなどを読んで納得、でした。
(気持ち的に)直球を投げたり受けたりできなかった二人が12年後にニューヨークで再会した時の「あぁ」とか「はぁ」とか、いきなりのハグ…の後は会話したいけど言葉が見つからない感じとか、「なんか上手いなぁ」と感心しながら見ていました。これも自分物語だからなんだと思いました。
それにしても、アーサーは「いい人」過ぎ…あんな心の広い人、いるかなぁ。
あと、個人的には、ヘソンを演じていた俳優さんが、数年前に見たロシア映画『LETO』で印象的なアジア系のバンドメンバーを演じた人だったという事実に驚愕でした。
全くの別人ぶり、こういう七変化ができる役者さんだったのだと、かなり後で知り、びっくりしました。
あくまで静かな、大人のラブストーリー
主人公には共感出来ませんでしたが、出演していた男性陣には強く共感しました。
この映画の第一印象は、主に男が読むラブコメ(出てくる女子がみんな自分の事を好きになったり、Hなハプニングが起こる)を極めて現実に即して、上品に仕上げ、非常に女性的な物語という印象です。
以下、自分語りが多くキモいと思いますがそれでもという方のみ、お読み下さると幸いです。
また、男の視点からしかこの映画を捉えられていないので、ノラへの言及は少ないです。
小心者で自信が無い自分には、男性陣の一挙手一投足に共感してすごい刺さりました。
僕は中学から男子校でして、彼女はもちろん、女友達もいない状況です。
なので恋愛が小学生止まりです。
ただ数年ぶりに、地元の夏祭りで初恋の相手と再会し奇しくも本作と同様にLINEなどで話し合う仲になるのですが、もちろん彼女をデートに誘う勇気なんてなく、もうそれきりです。
だから、前半はもろにヘソンと同じ様な体験をして(スケールと年数は全く違いますが)12年間も探したのに、会いに行けないのもすごく分かるんです。
自分に自信が無いんです。彼女はNYでバリバリ働いてて自分はただの学生とを比べての劣等感なのか、淡い恋だったモノへの変化の不安なのか、微妙で絶妙な距離感が崩れることへの恐れなのか、もしかしたら本当に都合が合わなかっただけなのか、様々な解釈ができると思います。
また、男だけの空間に放り込まれると(ヘソンは兵役)もっぱら思い出す女性は自分の初恋などの大切な人、もしくはAV女優とかその場限りの人、ぐらいしかいないんですよ。
だから、会いたくなる気持ちも分かるんです。
それを恋と呼ぶか、性欲と呼ぶか、賢者タイムと呼ぶか、純愛と呼ぶかは分かりませんが、いずれにせよ前半のヘソンに対しては割と解像度高く共感して見れました。
ただ、後半はヒロインの旦那アーサーに感情移入というか、同情というか、ある種の尊敬みたいな気持ちになりました。
「これはデート(僕は下心と捉えました)の映画ではなく愛を描いた映画」とパンフの中で監督は仰っていましたが、僕は「その愛は純粋で、下心は本当に無いんですか?」と強く問いたい!!!
問題は2回目の再会です。
そもそも、12年も音沙汰なく、自分と彼女がうまくいっていないからという理由で会いに行くのは「それは完全に下心じゃないんですか?」とヘソンに言いたくなります。
友達でも、幼馴染でも、大切な人でも、なんでもいいんですが、もし上記に当てはまるなら、電車の中であの立ち位置は絶対考えられないです。お互い向き合って、目線も合わせて(もしかしたら地下鉄の構造上仕方ないのかも知れませんが)バチバチに異性として意識してると言わざるを得ません。
普通は横並びで吊り革か、気を使いながら座るかですよ。向き合うなんてカップルしかしませんよ。
また、周りはカップルや夫婦しかいない、川沿いやメリーゴーランド辺りを歩きます。
また夫婦では乗ったことない遊覧船(もれなく乗ってる客は夫婦ばかり)にまで乗って、気持ち悪い表現かも知れませんが肉体的なデート(手を繋ぐ、くっ付いて写真を撮ったり、イチャついたり)はしていませんが、精神的なデートは完全に楽しんでいる様に見えました。
そして、初恋の相手、ヒロイン、旦那の3人でバーで話し合うデートのクライマックスですよ。
ここはこの映画に割と批判的な方々と同じになるので割愛します。
ただ、「あなたたち、結構エグいことしてるけど大丈夫?」とヘソンとノラには言いたくなりました。
少し脱線しますが、僕の好きな映画の一つ「星の王子ニューヨークへ行く」の劇中のセリフで「愛とは尊敬なんだよ」というセリフが、個人的には愛を端的に表現していると思い大変気に入ってるのですが、今回のバーでの2人は旦那を差し置いてあんな話をするなんて尊敬の欠片もなかったと感じざるを得ません。
そしてさんざん「デート」を楽しんだ後、最後は完全な別れを悟ってか旦那の胸を借りて泣くという所業。
僕はノラという女性が怖くなりました。
終始、優しさと寛容さで包み込んでくれるアーサーにはただただ尊敬しかないです。
寝言の件だったりラストシーンには大変悲しく辛くなってしまいましたね。
「泣きたいのは絶対に旦那の方だろ」と思ってしまいました。
本作において、純粋な愛を貫いていた人物はアーサーしか居ないように見えました。
ただこの映画はすごい芸術的(というと思考停止みたいで嫌なんですが、それぐらいしか思いつかず)でずーっと綺麗なんです。
ロケーション然り、人物描写からセリフ、俳優陣の表情まで、また主な登場人物も3人と、フォーカスする人物を絞り内情奥深くまで知れた映画で大変楽しむことが出来、監督の手腕には感服しかありません。(ただ共感出来たのは、男性陣だけでしたが)
また、冒頭のバーでの3人への憶測もある意味の伏線になって後のアーサーの寂しさを際立たせる、非常に上手い演出だなとも思いました。
余談ですが、僕はてっきり物語前半の様な事が起こり、そこから発想を飛ばしこの映画を作ったのかなと思いましたが、パンフを読んでみるとバーでの件を体験しこの映画を作ったそうです。なんか監督の度胸と傲慢さには天晴れです。(すいません決して悪気はなく、褒めてます)
恐らくというか、確実に監督が意図しない男性陣に自分と重ね合わせるという形で、自分には大変深く突き刺ささる映画になったので、結果は高評価です。
決して交わることのない平行線の関係
タイトルなし(ネタバレ)
米国ニューヨークのバーで午前4時に男ふたり女ひとりがカウンターで談笑している。
男のうちひとりはアジア系、もうひとりは白人のよう。
女はアジア系。
アジア系のふたりは親密に話しているが、のこる男ひとりは会話に参加していないように見える・・・
といったところからはじまる物語で、映画は24年前に遡る。
韓国・ソウルに暮らす12歳の少女と少年。
ふたりは学業優秀で常にトップを争う仲。
だが、密かに想いあっている。
とは幼い恋愛感情だ。
しばらく後、少女の一家がカナダのバンクーバーに移住することになった。
そして12年後、
フェイスブックなどのSNSで過去の友人・知人が検索できるようになった。
バンクーバーからニューヨークへ移住した少女はノラという英語名となり、劇作家の卵だ(グレタ・リー扮演)。
母親との他愛ない昔の知人探しで、かつての少年ヘソンが彼女を探していることを知る(成長したヘソンはユ・テオ扮演)。
すぐさまSNSでの交流がはじまったが、劇作家としての芽が出るかどうかの瀬戸際のノラは、若手芸術家育成プロジェクトへの参加をきっかけに交流を絶つことにした。
ノラはプロジェクトで作家の卵アーサー(ジョン・マガロ)と知り合い、のち結婚。
ヘソンも別の彼女を見つけるが、10年近い交際の末に別れてしまう。
SNSでの再会から12年。
ヘソンは彼女との婚約破棄をきっかけにニューヨークを訪問して、ノラと再会することを決意する・・・
と展開し、24年前に時制が戻ってからは現在に向かって進んでくるオーソドックスな構成。
24年前の初恋が実るのか実らないのか・・・
ま、どうなるかはほぼほぼ予測がつく語り口で、そこに対する劇的な展開を期待する向きはガッカリかもしれない。
が、この分別をわきまえた大人の交流は、意外なほど心にしみる。
肝はノラの夫アーサーで、彼がノラに対して発する言葉のひとつひとつに納得できる。
みんなが夢見る物語では、ぼくは悪役だ。
君を愛しているし、君がぼくを愛していることは知っているが、不安なることもある・・・などなど。
ヘソンと再会したノラが、ヘソンの韓国人的魅力をひとつひとつアーサーに興奮気味に語るシーン、秀逸です。
ということで、24年の年月よりも、いまの生き方、それを肯定する映画で、過去の恋への執着とか成就とか、そんなものは幼い時分の自分のファンタジーだったってことを改めて認識する、ビターといえばビターな、まっとうと言えばまっとうな映画でした。
忘れられない人がいる、あなたへ
どうしようもなかった前世の恋
ほんの一握りの恋愛強者でないかぎり、うまくいかない恋って誰しも経験があるんじゃないかと思う。ただ、自ら招いたすれ違いとか軋轢みたいなものはよくあるけど、自分ではどうしようもなかった別れを経験している人は少ないと思う。
ラブストーリーを観ていると、もっとこうすればいいのに!とか、こんな選択をしていたら違っていたのかもななんて感じることが多い。でも本作でそう思えるところは少ない。小学生に海を越えて会いに行く力はないし、将来を切り拓こうとしているときに移住はできない。
24年ぶりに再会した2人を描いた本作。2人の間に沈黙の時間が流れるのは久しぶりに会ったからと思っていたが、そんな単純なものではなかった。伝えたい事があるのに声に出せない沈黙、お互いにわかり合っているからこその沈黙、沈黙の色合いを変えて見せる演出がよかった。
大人の都合で引き離されて、自力で再会した大人の2人がとった行動は情熱に突き動かされたものに見えたが、たどり着いた結末は、とても優しくとても理性的なものだった。こんな切ない恋の描き方もある。
とても複雑な気持ちだけど…選択は間違えではなかったね
冒頭のシーンに名作の予感。しかし・・・。
最初の入りは好きだなー。赤の他人からすると、話題にしたくなる3人。ま、いずれも予想がハズレなところも良し。
ただ、この後の2人の今まで過去から繋ぐところが、どうしても耐えられなかった。このあたりはテンポ良くいって欲しい。
耐えられないついでに言うと、男性目線で観るか女性目線で観るか。これ結構大事な気がする。映画はニュートラルに描いているように見えて、国籍は違えどいち男性として理解し難い部分がある。リアルに寄せたことが仇になったような。
アーサーにはヘソンに少しでも似ている部分が欲しかった。
バーでアーサーに背を向けてハングルで話し続けるノラの態度には、正直その場には居ても立っても居られない。
なぜ最後の最後ノラはガン泣きした?理解はできるけど、それはナシよ。
追伸
英語力が日本人レベルで笑った。小さい頃1.2を争ったのに。韓国の方はもう少し英語ができるはず。
割り切れない過去とどう向き合うか
終盤に入るまでノラの気持ちを理解はできても共感まではできなかったため、あまり入り込めませんでした。しかし、ノラとアーサーとの生活が描かれ、二人が抱きしめあうラストシーンを見て、色々なものが腑に落ちました。
選べなかった過去と打算の中で関係を築いた現実の間では、どうしても前者が甘美なものに見えてしまうのは必然。しかし、その一方で前者を選ばなかったことには理由があり、今の現実を積み重ねてきたことにも理由はあるのです。
それらを理解した上で深夜のバーで想い出に酔う二人に寄り添い、ヘソンを見送った後のノラを優しく抱擁できるアーサーは、それはそれは強い男なわけです。12歳からほとんど成長していない男では相手になりません。
ノラとの再会の抱擁に戸惑っていたヘソンも、別れの際には自分からしっかりとノラを抱きしめられるようになっており、ニューヨークの数日で得たものは少なくなかったはずです。帰国してからの彼は、大人の男として、新しい愛を築くことでしょう。
ただ、これらの話を「イニョン」という言葉で説明することは欧米の方々には新鮮だったかもしれませんが、同じ東洋人としては馴染みがある概念であるため、そこまで心に強く残るものではなかったです。あと、12年という時間を一区切りとして普通に受け止めるのも干支の文化がある国の人間ならではのことなんですかね。アーサーは二人の関係を雑に「20年」と表現していましたし。
ノーベル賞→ピュリッツァー賞→トニー賞 そして貴方に一番で賞
シランケド
アカデミー賞ノミネートで話題になっていた1本で、先行公開してたタイミングで行けずでちょっとずれ込んだタイミングでの鑑賞。
大人の恋愛でもしももたらればも何もない現実一直線の作品でヘンテコな恋愛作品が好きな自分とは相性が悪かったです。
24年前に子供の時にした初恋、12年前にパソコン上で再会した2人、そしてNYの土地で再会したノラとヘソン、そんな2人の初恋の終わりの物語ですが、
年齢設定はかなり疑問が出てしまうくらいには24年の月日がうまく表せていない気がしました。20代にしては歳取りすぎでは…と。
邦画では感じることはあっても洋画で感じることはなかったのでその点もちと残念でした。
2人がNYで再会してアーサーをほったらかして2人で過去話したり、前世やら何やらの話をしている時、お前らは一体何をしているんだ?というのが強く、2人で出かけたりしてもナヨナヨっとした会話の連続で乗れませんでした。
役者さんが悪いわけではないんですが、ノラにこれといった魅力が劇中一切感じられなかったのが今作の1番の欠点だなと個人的には思いました。
どこか高圧的で、アーサーもヘソンも振り回されっぱなしで、というか20年以上前の初恋の人を家に招いたり、一緒に飯食いに行ったり、2人で出かけたりとか、自己中すぎる行動にはずっと疑問符が頭の上に浮かんでいました。あとずっと薄着だったのが謎すぎました。
「秒速5センチメートル」とオチ以外は似ている部分があるのに、なぜこうもハマれなかったのか、アニメと実写の違いなんでしょうか。一考の余地があるなーと思いました。
縁や前世の話がアカデミー賞のどこかに刺さったのかなぁと思いました。ラストシーンは印象に残るものでしたが、そこまで過程が何とも言えず…。
現実とはこうだというリアルさに全編通してハマれなかったです。
鑑賞日 4/14
鑑賞時間 10:00〜12:00
座席 B-9
時間と場所の遠距離恋愛
恋と縁
移民の私が「ちょっと思い出しただけ」
子どもの頃、互いに好きだった人と12年後にオンライン上で再会し、また離れ、さらに12年後に本当に再会する。離れていた間に彼女のほうは結婚していた。
再会して、お互い相手を好きだったころを思い出し、ありえたかもしれない人生を思う。どうしようもなく切ないけれど、結局は今の自分の人生を肯定し、今後もそれを生きていく。この映画はそれをとてもリアルに細やかに描く。
これだけだと、日本でもどこでもありそうなラブストーリーにみえる。しかし、この映画ならではの個性となっているのは、二人が離れ離れになった理由が彼女の家族の「移民」であることだ。現代の韓国の人にとって「アメリカ(あるいはカナダ等)移住」は普通に取りうる人生の選択肢の一つなのだろうか、と驚きを覚えた。現代日本では、自分の意志で「移民」になろうとする人はそうそういない。
12歳でいきなりアメリカに連れて行かれて、最初に学校に行く日のノラの不安そうな表情。その後、(恐らくさんざん苦労した末)みごとにアメリカで希望する仕事にも就き、アメリカで自立して生きていく人生をつかむ。その途中で彼女はアメリカ人と結婚し、グリーンカードを取得して名実ともに「アメリカ人」になる。
自分はアメリカで生きていくのだ、アメリカ人になるのだ、ということはもう、大人になるまでには決めていたはずだ。最初のオンライン再会の頃にはまだ、国に帰る可能性を完全に排除してはいなかったが、やり取りを終える頃には決意を固めていた。
アメリカ人・アーサーとの結婚は、書類上も「アメリカ人」になるために必要不可欠なステップの一つとして迷いはなかったのだろう。相手は、普通に良い人で自分を愛してくれて、「アメリカの国籍をもった人」であれば良かったのだ。そういう人なら誰でも良かった・・?いや、何かの「縁(イニョン)」があったのだ、と彼女は考える。この広い地球上でその時その場所で出会ったこと自体がほとんど奇跡なのだから。彼女はその縁を信じ、選んだ自分の人生を生きていく。
だから彼女にとっては、どれだけヘソン(と彼が体現する祖国)が懐かしかろうと魅力的だろうとそこに帰る選択肢はない。アメリカ人として生きていく人生を選んだ以上、アメリカ国籍の夫を手放すこともない。彼は単なる「良い夫」ではない。移民である彼女に、アメリカ人として生きて行く文字通りの「パスポート」を保証してくれる人なのだ。
最初から・・少なくとも24年後の再会の最初から、彼女は全部痛いほどわかっていた。だからそれこそ「ちょっと思い出しただけ」(注)。一生忘れない思い出になる再会だけれど、選んだ人生を変えることは決してない、そういう再会だった。
夫、アーサー(ジョン・マガロ)はまた、それを全部わかってなお、彼女を愛している。ユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)という設定だけれど、それこそ民族全体が「移民」として世界あちこちで生きてこざるを得なかったユダヤ人の血を引く人だというのが象徴的である。
移民した国で生きる困難さ、移民の現実的な生きる知恵(結婚もその一つ)、祖国への郷愁と諦念。アーサーは、移民であるノラが抱えるそれらをみな包み込んで愛している。
現れたヘソンがまっとうで魅力的な男なので心穏やかではないが、ノラの感情も、アメリカ人として生きていくという揺るがぬ決意も、手に取るようにわかるから、二人に黙って寄り添い、彼女を抱きとめる。
移民の国アメリカには、ノラの物語を自分のことのように感じる人々がたくさんいるだろう。この映画も、『ミナリ』も、韓国人(韓国系アメリカ人)が、普遍的な「移民の物語」の主人公になっている。「韓国特有」あるいは「アジア人(非白人)特有」の要素はあまり強調されておらず、どこの国から来た移民でも共感できるだろう物語だ。あえてそうしたのか、意識せずともそうなったのかわからないが、その点は、世界中で公開することが前提の現代の映画らしい、と言えるのかもしれない。
キャスト:
ユ・テオ、多少優柔不断かも知れないがまっとうな良い人の感じがよく出ていた。でもヘソンは韓国を離れることなんて到底考えられない、という人。日本にこういう人はよくいそう。「鍛えまくっている」感じがない体型が、なんとなく安心感を醸しだしていた。
注:「ちょっと思い出しただけ」は、松井大吾監督の素敵な映画のタイトル。
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