パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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エターナル・サンシャイン
なんか真面目で薄めなラブストーリーだなぁ
…鑑賞直後の印象はそんな感じだったのに
2、3時間経った途端決して恋愛体質ではない私にも清々しく穏やかな余韻が押し寄せて来たんです
韓国で生まれ育った12歳のナヨンと同級生のヘソン互いに恋心を抱く2人の物語を3つの時間構成で綴っている
12歳時代の2人が階段の上と坂の下お互い反対方向に向かう人生の岐路の切なさに2人を優しく抱き締めてあげたくなった
やがて36歳になったナヨンは今ではノラとして作家の夫アーサーと結婚し自身も劇作家として理想の人生を送っている
そんなナヨンの現在を知りながらもヘソンは彼女に会う為に渡米する
ナヨンとヘソンそしてアーサー…三角関係特有のドロドロやドキドキを下世話な展開を予想してしまいがちであるのだが
違うのだ!ナヨンの夫アーサーは韓国語でしか寝言を言わず韓国男性特有の性質を語る妻に不安と寂しさを抱きながらも初恋の男性との再会を優しく見守る…人生を受け入れ妻を丸ごと愛する姿勢に通常のメロドラマを更新した優しき人間ドラマに仕上がっている様に
この先恋愛至上主義のラブストーリーが霞んでしまうのでは位の感覚に浸りました
恋愛体質でないからこその感覚?かも
2人が歩くNYのノスタルジックな街並みも素敵でした
物語のキーになるイニョン…偶然や必然
静かなる運命が重なり合って繋がれる大人のラブストーリーを明日改めて観直す事に致しました
最後の涙の意味
まず、オープニングが面白いんですよね。
二人の物語のはずなのに三人でいるから、この時点では二人は結ばれていないのが分かるの。
なので、この映画はそこが二人の行き着く先なのか、その先が有るのかを観る映画になるんですよね。
それで、いきなり話が飛ぶんですが、ラストシーンのナヨンの涙がなんかしっくり来なかったんです。
だけど、鑑賞後にパンフレットを読んだら監督があのシーンについて語っていたの。
さよならをしたのは、ソウルに置いてきた少女の頃の自分に対してなんですね。
監督自身の経験をもとにした映画なので、監督が言うならそうなんでしょう。
それを分かってから映画を振り返ると、ノラがヘソンに今更会った事も、なんか納得できるんですよね。
十二才のナヨンが、心の全部を移住先に持って行けるわけないですもんね。
パンフレットを読まなかったら、この映画しっくり来ない作品になっていたかもしれません。
それから、ちょっと話は戻るのですが、バーでの二人の会話の中のヘソンの考え方で、なるほどと思ったのが有ったの。
その人のとるであろう行動を含めて好きになるのだから、もしも◯◯だったらと考えてしまう時点で、結ばれる運命ではないのでしょうね。
寝言は母国語
アカデミー賞最有力!という予告やポスターの謳い文句の割に授賞ではほぼスルーされたっぽい本作だが、絞り込んだ登場人物に淡々とした展開、落ち着いたカメラワーク、ロングの構図で見せてくれるNYの景色など、観ていて疲れない好感のもてる作品だった。
初恋の人と大人になって再会するという少女漫画っぽい話ながら、いい歳して12歳の思いを引きずり続ける男ヘソンに対して、女のナヨンは演じるグレタ・リーの目力が表すとおり、窮屈な祖国を離れノラとなって自立し、とっくに先へ、別の場所へと行っちゃってるというのが、A24らしい今どき感だった。とはいえ、24年ぶりの再会でのぎこちなさやラストどーなっちゃうの?の長回しでのドキドキも楽しめた。
袖摺り合うも他生の縁をネタにしているので、日本語サブタイトルをそのまま「パストライブス/前世」としたらどうかと思ったが、かなりエル・カンターレっぽいな…。
初恋は辛く美しく、失恋もまた辛く美しい
いやぁ、泣かされました。
あるシーンから、ラストまで、ずっと、‥‥
初恋とか、失恋とか聞いて、何か感じるところのある人は、何も調べずに、迷わずご覧になることをお薦めします。
あとは何を書いてもネタバレになりそうなので、‥
そうそう、本作、『エブエブ』や『ボーはおそれている』のA24が配給、韓国のCJ ENMとアメリカのキラーフィルムズと2AMが製作なので8割方アメリカ映画です。
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【以下ネタバレ注意⚠️】
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冒頭に、2024年の3人を映したショットに
「この3人は、一体どんな関係なのだろう」
というナレーションをかぶせたプロローグがあります。
ナヨンとヘソンはソウルの学校の同級生。
成績はともに学年一位を争う仲。
それにお互い好意を寄せるあいだがら。
ところが、ナヨンは、映画監督の父と画家の母とともにカナダに移住することになり、母の勧めで、最初で最後の一日デートをヘソンと楽しんだ。
ナヨンは、妹とともに、自分たちの英語名を決めることになり、父の発案によって、レオノーラ、略称ノラと名乗ることになった。
姉妹は、飛行機の中で、英語の挨拶の練習をふざけてし合うほど、新生活には期待がいっぱいだった。
12年後、ヘソンは兵役のための入隊も経験し、仲間と飲む機会も増えたが、ずっとナヨンの行方をネット上で探していた。
ノラの方は、ヘソンのことなど忘れかけていたが、たまたまFacebookで友達探しをしている最中、ようやくヘソンの名前を思い出した。
検索してみると、父の映画ブログにヘソンは、
「ナヨンを探しているが全然見つからない。知っていたら教えて欲しい」
と書き込んでいた。
早速、ノラの方からヘソンに連絡を取る。
ノラのパソコン画面に映ったヘソン。
もともと12歳の頃から泣き虫だけれど、サバサバした性格だったナヨンに対して、ヘソンは自分の思いを方に出せない内気なところがあった。
今や母親でさえナヨンとは呼ばなくなったノラの挙動は、すっかりアメリカ人のそれとなっていた。
ところが、画面越しに再会したヘソンは、まさに「含羞」を絵に描いたような、もじもじしながら、目も逸らしがちな挙動不審さを隠せない。
いやぁ、ここからですよ。
涙があふれて来たのは、‥
韓国の兵役と会社勤めは同じだとヘソンは言う。
どちらも、ボスの仕事を片付けるまで帰れず、そのための残業手当さえ出ないという。
日本でも、最近でこそ、「働き方改革」の恩恵で、働いた分の残業代が正規に支払われるように大勢はなったが、12年前はと日本も変わりなかったはず。
両親がいるカナダから、作家になるという夢を実現するため単身NYに移住したノラは、バリバリと自分の行くべき道を切り拓いている。
しかし、ヘソンは社会に対しても、自己実現に関しても、もっと受動的な生き方しか出来ていない。
特に兵役の過酷さ、‥‥
‥‥ノラに「兵役は好きになれた?」と訊かれて、それに対してだけは「いや、嫌いだ」とハッキリ答えていたのが印象的。
韓国で、兵役に関して、好悪を表明することは、別にタブーではないのかな?
話していくうちに、どんどん打ち解けていくヘソン。
話す内容も、ナヨン(ノラをそう呼ぶことを彼女から許された)への隠しきれない思いも、いじましくて、可愛らしくて、痛々しくて、泣けて泣けて仕方がなかった。
ところが、ノラは、日課となったヘソンとのネット上のおしゃべりを、きっぱり辞めると突然宣言する。
自分がNYに出て来たのは、夢を実現するためだから、と。
こう切り出された時のヘソンの受けたショックが、画面の表情からも痛いほど伝わって来る。‥‥
‥‥また、泣ける。
ノラは、アーティスト・イン・レジデンスの制度を利用して、NYの東、モントークのレジデンスに入居した。
執筆活動に専念するためだったが、ここに後から入居して来たのが、ユダヤ系アメリカ人で、やはり作家志望のアーサー。
初対面の二人は、美しい環境のなかで、すぐに打ち解け、ノラは、韓国で人と人が出会う奇しき縁(えにし)のことを「イニョン」と言うのだ、と説明する。
この世で、結婚するような相手とは、8000層(だったかな?)も重なるほどの、前世( past lives )からの「イニョン」があるのだと韓国では信じられている、と。
この「イニョン In-Yun 」、日本語で言えば「因縁」でしょうね。
単純に「縁(えん)」と言っても「えにし」と言っても、ほとんど意味は変わらない。
ノラが、「仏教から来た考え方」と言ってる通り、仏教の基本理念の一つ、「因縁説」または「縁起説」に由来するものでしょう。
韓国は、日本より、儒教の影響が強く、仏教の方はさほどではないのかと思っていたので、この話には、ちょっと驚いた。
現代の日本では、「親の因果が子に報い」とか「因縁話」とか「インネンを付ける」とか、とかく「因縁」という言葉はマイナスイメージをともなってしか使われない。
また、「縁」の方だって、「縁結び」とか「縁切り」とか「御縁がなかった」とか、比較的軽めのニュアンスで使われている感じで、前世からの縁がどうこう言うのは、お能か歌舞伎の舞台でしか耳にしないと思います。
中村元先生の『原始仏教』によれば、縁起説とは、ものごとには必ず何らかの原因によってもたらされるのだから、苦しみから脱却するには原因の省察が必要だという、言わば科学的思考の勧め。
前世とか来世とか、輪廻転生とかいう、ふつう仏教的とされる概念は、大乗仏教の段階になってもたらされたものだというのが中村元流の釈迦仏教の捉え方ではありました。
閑話休題。
ここでは、ノラは、アーサーに「イニョン 」は、仏教から来た考え方で、輪廻転生と関係していると説明しているので、ここではそれに従いましょう。
ノラは、それは極めて韓国的な概念だ、と言って、自分では信じていないらしい様子。
案の定、アーサーに、
「だったら、僕たちの間には、強いイニョンがあるってことだね」
と口説き文句に使われ、二人はキッス‥
男女の仲は自然に進み、やがて夫婦に。
アーサーとの会話のなかで、ノラは、ヘソンのことを、「ものすごく韓国的なのよ」と繰り返す。
自分を含めて、アメリカ育ちの韓国人は、コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)だけど、彼はコリアン・コリアン(韓国の韓国人?)なのよ、と訳のわからないことを言ったりする。
つまり、ノラにとって、恋愛における「イニョン」説とヘソンは「韓国的」という点で結びつき、アメリカンな今の自分とは異質だと感じている訳です。
ところが、ヘソンも、同じ「イニョン」説の話を友人たちとするが、彼の方は、どこか「イニョン」が重なった強い前世からの結びつき、というものを信じているところがある。
それも、自分が12歳の時から、ずっと思いを寄せて来たナヨンその人に重ねて。
ナヨンこそ、自分の運命の人だと。
だから、ようやく巡り会えたナヨンとの再会・交信を、彼女の側から突然拒絶された時の彼のショックは、いかばかりかと胸が痛む。
ノラの方は、アーサーと結婚し、夫婦ともに作家及び劇作家として成功している。
ところがヘソンの方は、意に染まない仕事に就き、恋人も出来たものの、結婚話が出た途端に自分には資格がないと、付き合いを辞めてしまう。
その恋人というのも、どこか本気になれず、かりそめの付き合いといった感じが強かったのではないか。
彼女は結婚後、里帰りを兼ねて韓国を訪ね、ヘソンにも連絡を取ったらしいのですが、彼からはナシのつぶてだったらしい。
自分にも恋人が出来たから、というより、とても結婚したナヨンに会えるような精神状態ではなかった、ということだったのでしょう。
それが、さらに12年後、二人は36歳という人生も中盤の壮年期。
ヘソンも、ようやく心の整理がついたのか、ナヨンに会うために、休暇を利用してNYに飛ぶ。
いい大学を出ているはずなのに、英語が下手なヘソン。
NYに着いても、どこかオドオドして相変わらず挙動不審です。
ホテルの部屋でひとり落ち着いて、ナヨンに会うためにパリッと着替えてみても、彼の姿は、どう見ても引っ込み思案な韓国人です。
そんな彼が、24年ぶりに実際にナヨンと顔を合わせるのです。
公園で指定の場所でナヨンを待つヘソン。
あれ、
本当にここでいいのかな?
自分の身だしなみは可笑しくないかな?
と、やっぱり、オドオド、キョドってると、
「ヘソーン!」
とナヨンの呼ぶ声に気づき、一気に表情が明るくなるヘソン。
ナヨンからハグされ、戸惑うヘソン。
この間、ヘソンにはひと言のセリフもないのに、彼の心のうちが全部、手に取るようにわかる。
すばらしい演技、
すばらしい演出です。
観ているだけで、
やはり涙、涙‥‥
アーサーも誘っての3人の会食(後のバーかな?)、
ヘソンは、ナヨンと話すのに夢中で、アーサーはそっちのけ。
‥‥これがプロローグで使われたシーンです。
ノラが中座した際、ヘソンはそのことをアーサーに謝ります。下手くそな英語で。
「いいさ、君は彼女と24年ぶりに会ったんだから」
アーサー、いいヤツ過ぎます。
また泣けます。
たっぷりと濃厚な時間を過ごしただけに、別れはつらい。
ヘソンは、アーサーに、
「今度は韓国で会いましょう」
と声をかけ、Yes の返事をもらいます。
ところが、ナヨンとの別れ‥‥
彼は、二人の様子を見て、
「アーサーがいい人だから、僕は苦しい」
と珍しく本音で言いました。
彼は、いまだに、ナヨンのことを恋して、恋して、好きで好きでたまらないのです。
だから、二人と出会って、実際に話してみて、ヘソンは心に決めたのでしょう。
ナヨンと別れるときに、ヘソンが言います。
「僕たちが、本当にイニョンで結ばれているなら、来世で会おう‥‥」
そう、彼は、アーサーに言ったこととは逆に、今後、二度とナヨンには会わないことを彼女本人に誓ったのです。
たとえ、二人がイニョンで結ばれていたとしても‥‥
何という初恋でしょう!
何という失恋でしょう!
ヘソンと別れたノラは、アパートの前で待っていたアーサーの胸に飛び込み、初めて泣き崩れます。
この別れは、ノラにとっても初恋だった、そしてその初恋が失恋に変わったときだったのだから‥‥
実際には、12歳のときの初恋の相手を、そのまま24年も変わらずに恋しつづけることなんて、できっこないと正直思います。
しかし、本作の二人にとっては、それはかけがえのない初恋であり、同時に、失恋であった。
そのことを思うと、今でも涙が止まりません。
本作、1988年、ソウル生まれでNYで活躍する劇作家セリーヌ・ソンの初監督作品だとか。
プロフィールをみると、ほとんど彼女の自伝的な作品だということがわかります。
脚本も彼女が執筆。
豊富な劇作、演出の経験が本作にも生かされているのでしょう。
アカデミー作品賞、脚本賞ノミネートもうなずけます。
ノラ=ナヨン役のグレタ・リー(1983- )は、ロサンゼルス出身の移民2世のまさしく韓国系アメリカ人。
驚いたのが、どこから見ても純韓国人にしか見えなかったヘソン役のユ・テオ(1981- )が、ケルン出身のやはり移民2世の韓国系ドイツ人だったことです。
いやはや、だとしたら、物凄い演技力の持ち主ではないですか。
カメラは、常に一定の距離を置いて、対象となる人物、ノラ=ナヨンとヘソンを見守るような落ち着いた絵作りが心地よく、あるいは、やはり小津安二郎を参照しているのかな、と思いながら観ていました。
音楽も良かった。
東アジア系アメリカ人による作品は、『ミナリ』とか『エブエブ』とか、最近かなり出て来たようですが、私は本作がいちばん感動しました。
アジアの要素を、作劇の中心に据えたのも、かなり冒険的だったのではないでしょうか。
掛け値なしの大傑作、
また忘れかけた頃に何度でも見返したいものです。
味わい深い
再会したい人いる?
いつも通り予備知識無しで鑑賞
まったりと流れる恋愛映画、こうゆう映画大好きです。
特にラストシーンは良かったなぁー
ニューヨークも素敵
なさそうでありそうなストーリー
子供時代の、経験って、とても長く貴重。
幼なじみがどうしてるかなんてのも自分と重ねやすい。
なんかわかる、いい映画でしたね。
オッペンハイマーのいったりきたり、
登場人物いっぱいの後だけに、
人生を感じるいい映画でした。
最後が素晴らしい。
これぞ映画の時間
「One more time, One more chance」流れちゃうんじゃないかと思った
人生にはそう言えばあの時のあの人どうしてるんだろ…なんて思ってしまう人や時があるよなぁって気持ちをもっと煮詰めたら、切なさと、やるせなさが残ったような作品。
どことなく「秒速3センチメートル」を思い出すような切ないというか、情けないというか、秒速と違うのは実際再開出来ちゃう点かな。
でも会えちゃったぶんなんかよりどうにもならない現実突きつけられ感が強い気もする。
反面、ケジメ?はつきやすいのかな?
そういう意味では少しスッキリ感もある作品だだか気もする。
とりあえずラストあたりは山崎まさよしの「One more time, One more chance」流れちゃうんじゃないかと思ったね。
あまり興味ない作品かも…と思ってスルーの予定だったけど、見てみたらなんだかとても見やすいし、見終わった後の気持ち的にも見てよかったなって思えた作品。
2人の対比の構図や過去と現在の自分たちの比較など、そのあたりの表現はとてもわかりやすく、見易く作られてるのも印象的。
見終わった後の感情的にはどうしても秒速と比較してしまうのだけど、どちらももしかしたら男女で感想ってだいぶ違うかな??
どうなんだろ?
そういう意味ではいろんなレビューの読み甲斐がある作品だと思う。
また秒速違いとして、実際に再開する点と、初恋の夫とも対面するというところも大きな違いかなと…
そしてその夫であるアーサーの気持ちもなかなかやりきれないというか、そわそわするだろうよ。
それでもグッと飲み込んでくれているのが懐の深さかなと。
でも人によっては不安ならグッと堪えずはっきり言ったほうが良い!!とも思うかも?
異国の言葉で妻が話す寝言が気になったり、なんだか可愛らしさあるけど、
バーで知らない言葉で初恋の相手同士が話してるのどこまで聞き取れてたのかわからないかと、嫌だろうなぁ…
っていうかヘソンの話してる内容的に、アーサーが聞き取れてないの前提のようななかなかの話してないか??
ヘソンの「もし〜だったら〜」な話、考えてしまう気持ちはわかるけど、あの場でそんな話なんか良くないなぁって感じてしまった。
それ言葉にしてしまうんだなぁと…
なにをどうしたってもう動かない事もあって、それが人生だなぁ。
何にしてもどんな出会いも「イニョン(縁)」何だよなぁ。
前世で〜の件の話好きだなぁ。
映画を観る喜びに浸れる良作。脚本、役者たちの演技、会話の間が素晴らしい。映像、音楽もいい。
様々な映画賞を席巻するような傑作ではないかもしれない。
けれど、人生40年、50年と生き、誠実な恋愛を経験したことのある多くの人にとって、長く記憶に残る良作、名作だと思う。
シナリオ、役者の演技、映像、音楽…、全てがハイレベルで、かつバランスがいい。奇をてらったような演出は一切なく、隅々まで実に丁寧に作られている。
登場人物たちの行動、セリフは、時に大胆だったり、時にもどかしかったりするけれども、決して過剰にならず、また何かが欠けている印象もない。夫々の情熱を感じさせながら、抑制の効いた、大人の節度に満ちている。
ストーリー展開にも特別劇的なものはなく、観客の心を激しく揺さぶるセンセーショナルな場面があるわけでもないけれど、それだけに物語はとてもリアルで、説得力があり、ごく自然に感情移入を誘って観るものを裏切らず、ゆっくりと、一緒に、ラストシーンへと向かう。そして、深い余韻の残るエンドロールへ。
運命とは小さな選択と偶然の積み重ねであり、それは時に意志や情熱ではコントロールできないこと、そしてその不確かさがもたらす悲しみ、喜び、葛藤、後悔…、そうした諸々を受け入れる勇気と覚悟を持ってこそ、人生は良きものになると教えてくれる。
ああ…、いい映画を観たなぁ
ヘソンの純情とノラの上昇思考・・
*初恋は永遠の想い出、12才の淡い初恋に突然の別れが!24年後、やっとやっとニューヨークで出会えた!ノラは何度も強くヘソンをバグする!戸惑いながらもヘソンは喜びをかみしめる!なんと言う長い年月だったのだろう!でも二人の決定的な違いは、ヘソンには現在進行形の恋、ノラが幸せでなかったら、連れて逃げよう位思っていたかもしれない。でもノラは上昇思考が強く、最良のパートナーもいた。ノラの中ではすでに思い出に変わっていた。 *観光地を巡りながら、たくさん話して理解して、現実を見て、美しい景色がまるでソールライターの写真のように懐かしく美しく、二人が溶けていく。 *ヘソンはきっと初恋を想い出に変えて前を向いて歩いて行けるだろうと思う。幸せになってほしい!!
黄昏色のスクリーンが写す優しい時間
全編通してせつない思いでいっぱいだった。今は、意志を持って探せば遠く離れた相手でも、繋がる事が出来る。あらすじは複雑ではないが、24年の月日によって変わった事と、変わらないもの、それを複雑な感情を持って見つめ合う二人が、穏やかに映し出されている。カメラは終始二人から少し離れたところから二人を捉えている。そのアングルが絶妙に良くて、空気感を丁寧に映し出している。想いや感情は理解出来ても、歩んでいる道を、変えることは出来ない刹那さ。ラストシーン、道の反対側でその様子を目撃しているような気分になる、素晴らしいショットだった。こういう作品はなかなかない。
シビれるリアリティは自分物語
終始感じるじれったさは、監督自身の体験に基づくものだったんですね。そして、何とも言えないリアリティも、自身の体験があってこそだったんですね。
鑑賞後、いろいろな記事やイントロダクションなどを読んで納得、でした。
(気持ち的に)直球を投げたり受けたりできなかった二人が12年後にニューヨークで再会した時の「あぁ」とか「はぁ」とか、いきなりのハグ…の後は会話したいけど言葉が見つからない感じとか、「なんか上手いなぁ」と感心しながら見ていました。これも自分物語だからなんだと思いました。
それにしても、アーサーは「いい人」過ぎ…あんな心の広い人、いるかなぁ。
あと、個人的には、ヘソンを演じていた俳優さんが、数年前に見たロシア映画『LETO』で印象的なアジア系のバンドメンバーを演じた人だったという事実に驚愕でした。
全くの別人ぶり、こういう七変化ができる役者さんだったのだと、かなり後で知り、びっくりしました。
あくまで静かな、大人のラブストーリー
主人公には共感出来ませんでしたが、出演していた男性陣には強く共感しました。
この映画の第一印象は、主に男が読むラブコメ(出てくる女子がみんな自分の事を好きになったり、Hなハプニングが起こる)を極めて現実に即して、上品に仕上げ、非常に女性的な物語という印象です。
以下、自分語りが多くキモいと思いますがそれでもという方のみ、お読み下さると幸いです。
また、男の視点からしかこの映画を捉えられていないので、ノラへの言及は少ないです。
小心者で自信が無い自分には、男性陣の一挙手一投足に共感してすごい刺さりました。
僕は中学から男子校でして、彼女はもちろん、女友達もいない状況です。
なので恋愛が小学生止まりです。
ただ数年ぶりに、地元の夏祭りで初恋の相手と再会し奇しくも本作と同様にLINEなどで話し合う仲になるのですが、もちろん彼女をデートに誘う勇気なんてなく、もうそれきりです。
だから、前半はもろにヘソンと同じ様な体験をして(スケールと年数は全く違いますが)12年間も探したのに、会いに行けないのもすごく分かるんです。
自分に自信が無いんです。彼女はNYでバリバリ働いてて自分はただの学生とを比べての劣等感なのか、淡い恋だったモノへの変化の不安なのか、微妙で絶妙な距離感が崩れることへの恐れなのか、もしかしたら本当に都合が合わなかっただけなのか、様々な解釈ができると思います。
また、男だけの空間に放り込まれると(ヘソンは兵役)もっぱら思い出す女性は自分の初恋などの大切な人、もしくはAV女優とかその場限りの人、ぐらいしかいないんですよ。
だから、会いたくなる気持ちも分かるんです。
それを恋と呼ぶか、性欲と呼ぶか、賢者タイムと呼ぶか、純愛と呼ぶかは分かりませんが、いずれにせよ前半のヘソンに対しては割と解像度高く共感して見れました。
ただ、後半はヒロインの旦那アーサーに感情移入というか、同情というか、ある種の尊敬みたいな気持ちになりました。
「これはデート(僕は下心と捉えました)の映画ではなく愛を描いた映画」とパンフの中で監督は仰っていましたが、僕は「その愛は純粋で、下心は本当に無いんですか?」と強く問いたい!!!
問題は2回目の再会です。
そもそも、12年も音沙汰なく、自分と彼女がうまくいっていないからという理由で会いに行くのは「それは完全に下心じゃないんですか?」とヘソンに言いたくなります。
友達でも、幼馴染でも、大切な人でも、なんでもいいんですが、もし上記に当てはまるなら、電車の中であの立ち位置は絶対考えられないです。お互い向き合って、目線も合わせて(もしかしたら地下鉄の構造上仕方ないのかも知れませんが)バチバチに異性として意識してると言わざるを得ません。
普通は横並びで吊り革か、気を使いながら座るかですよ。向き合うなんてカップルしかしませんよ。
また、周りはカップルや夫婦しかいない、川沿いやメリーゴーランド辺りを歩きます。
また夫婦では乗ったことない遊覧船(もれなく乗ってる客は夫婦ばかり)にまで乗って、気持ち悪い表現かも知れませんが肉体的なデート(手を繋ぐ、くっ付いて写真を撮ったり、イチャついたり)はしていませんが、精神的なデートは完全に楽しんでいる様に見えました。
そして、初恋の相手、ヒロイン、旦那の3人でバーで話し合うデートのクライマックスですよ。
ここはこの映画に割と批判的な方々と同じになるので割愛します。
ただ、「あなたたち、結構エグいことしてるけど大丈夫?」とヘソンとノラには言いたくなりました。
少し脱線しますが、僕の好きな映画の一つ「星の王子ニューヨークへ行く」の劇中のセリフで「愛とは尊敬なんだよ」というセリフが、個人的には愛を端的に表現していると思い大変気に入ってるのですが、今回のバーでの2人は旦那を差し置いてあんな話をするなんて尊敬の欠片もなかったと感じざるを得ません。
そしてさんざん「デート」を楽しんだ後、最後は完全な別れを悟ってか旦那の胸を借りて泣くという所業。
僕はノラという女性が怖くなりました。
終始、優しさと寛容さで包み込んでくれるアーサーにはただただ尊敬しかないです。
寝言の件だったりラストシーンには大変悲しく辛くなってしまいましたね。
「泣きたいのは絶対に旦那の方だろ」と思ってしまいました。
本作において、純粋な愛を貫いていた人物はアーサーしか居ないように見えました。
ただこの映画はすごい芸術的(というと思考停止みたいで嫌なんですが、それぐらいしか思いつかず)でずーっと綺麗なんです。
ロケーション然り、人物描写からセリフ、俳優陣の表情まで、また主な登場人物も3人と、フォーカスする人物を絞り内情奥深くまで知れた映画で大変楽しむことが出来、監督の手腕には感服しかありません。(ただ共感出来たのは、男性陣だけでしたが)
また、冒頭のバーでの3人への憶測もある意味の伏線になって後のアーサーの寂しさを際立たせる、非常に上手い演出だなとも思いました。
余談ですが、僕はてっきり物語前半の様な事が起こり、そこから発想を飛ばしこの映画を作ったのかなと思いましたが、パンフを読んでみるとバーでの件を体験しこの映画を作ったそうです。なんか監督の度胸と傲慢さには天晴れです。(すいません決して悪気はなく、褒めてます)
恐らくというか、確実に監督が意図しない男性陣に自分と重ね合わせるという形で、自分には大変深く突き刺ささる映画になったので、結果は高評価です。
決して交わることのない平行線の関係
タイトルなし(ネタバレ)
米国ニューヨークのバーで午前4時に男ふたり女ひとりがカウンターで談笑している。
男のうちひとりはアジア系、もうひとりは白人のよう。
女はアジア系。
アジア系のふたりは親密に話しているが、のこる男ひとりは会話に参加していないように見える・・・
といったところからはじまる物語で、映画は24年前に遡る。
韓国・ソウルに暮らす12歳の少女と少年。
ふたりは学業優秀で常にトップを争う仲。
だが、密かに想いあっている。
とは幼い恋愛感情だ。
しばらく後、少女の一家がカナダのバンクーバーに移住することになった。
そして12年後、
フェイスブックなどのSNSで過去の友人・知人が検索できるようになった。
バンクーバーからニューヨークへ移住した少女はノラという英語名となり、劇作家の卵だ(グレタ・リー扮演)。
母親との他愛ない昔の知人探しで、かつての少年ヘソンが彼女を探していることを知る(成長したヘソンはユ・テオ扮演)。
すぐさまSNSでの交流がはじまったが、劇作家としての芽が出るかどうかの瀬戸際のノラは、若手芸術家育成プロジェクトへの参加をきっかけに交流を絶つことにした。
ノラはプロジェクトで作家の卵アーサー(ジョン・マガロ)と知り合い、のち結婚。
ヘソンも別の彼女を見つけるが、10年近い交際の末に別れてしまう。
SNSでの再会から12年。
ヘソンは彼女との婚約破棄をきっかけにニューヨークを訪問して、ノラと再会することを決意する・・・
と展開し、24年前に時制が戻ってからは現在に向かって進んでくるオーソドックスな構成。
24年前の初恋が実るのか実らないのか・・・
ま、どうなるかはほぼほぼ予測がつく語り口で、そこに対する劇的な展開を期待する向きはガッカリかもしれない。
が、この分別をわきまえた大人の交流は、意外なほど心にしみる。
肝はノラの夫アーサーで、彼がノラに対して発する言葉のひとつひとつに納得できる。
みんなが夢見る物語では、ぼくは悪役だ。
君を愛しているし、君がぼくを愛していることは知っているが、不安なることもある・・・などなど。
ヘソンと再会したノラが、ヘソンの韓国人的魅力をひとつひとつアーサーに興奮気味に語るシーン、秀逸です。
ということで、24年の年月よりも、いまの生き方、それを肯定する映画で、過去の恋への執着とか成就とか、そんなものは幼い時分の自分のファンタジーだったってことを改めて認識する、ビターといえばビターな、まっとうと言えばまっとうな映画でした。
忘れられない人がいる、あなたへ
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