パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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人生は、選び取るのものなのか、受け入れるものなのか。
ヘソンは、「選ばなかった人生」を悔いて人生をやり直そうとしたのではなく、今の「選べなかった人生」を受け入れ、「あり得たかもしれないもう一つの人生」を断念するために、ノラに会いに行ったのだと思います。
出会いと別れは静かに進行します。それを見守るアーサーを含めて、3人の登場人物が、それぞれの気持ちを思いやって過ごしている姿が切なくて、胸が張り裂けそうでした。
「ここではないどこか」を想うわたしには、一生のうちに何度も味わいたくなる作品になりました。
過去を想い続けるか、未来を想って今を生きるか。
公開前から気になっていたが、私の街では大きな映画館で上映されなかったので、小さな映画館で観てきた。
終盤に静かな感動が湧き上がってくるのだろうか?という想いで観ていたが、湧き上がってこなかった。映像が綺麗だし、音楽がいい。いい作品だと思うのだが・・・帰り道に響かなかった理由を考えていた。
で、登場人物(特に男性)に共感出来なかったのが理由、ということで落ち着いた。
ヘソンのように初恋相手を36歳まで引きずって、現世がだめなら来世で・・・的思考には共感出来ない。ノラの夫のアーサーのような振る舞いは自分には無理。
一方、ノラのように異国へ移住し、国籍を変え、自分の人生を自分で切り開こうとする姿は格好いいとは思うが、自分は真似できない。だから感情移入はできない。
しかし。彼女は「未来を思って今を生きている」点で「過去を想い続けて生きてきた」ヘソンとは明らかに違う。
縁、前世、来世。あのときああしていれば・・・こうなっていたかもしれない・・・。誰しもが抱く思い。それをそっと心の中にしまって、一度しかない人生を、今を生きるか、しまえずに囚われ続けるか。恋愛感情は理屈で整理できるものではないけれど、叶わぬ恋に囚われる人生ではだめだよね、ヘソン。最後に未練がましい台詞があったけど、なんとか区切りをつけたような描き方だったのはよかった。理屈で整理できない部分を涙で表現してくれたノラもよかった。最後の描き方はとてもよかった。
そして、NYを巡りながら、お互いの心の底にある好意を言葉少なに目線と間で表現するシーンは美しかった。
響く人にはきっと大きく響く良作だと思います。
(2024年映画館鑑賞15作目)
タイトルなし(ネタバレ)
思いが届かなかった(恋人関係という着地点に届かなかった)恋の記憶って美しいと思うのですよね。
相手のことが好き、という長い年月自分の中にあった気持ちは、自分にとっても愛おしい感情の記憶。今は大人になって、それぞれ人間関係の先には生活がある年齢で、純粋な好きだけではいられなくて。
バーで2人が純粋に会話を楽しみ、そして、お互いの今の気持ちをちゃんと伝えう場面では涙が出た。こうやってちゃんと清算できる、させてくれる、互いを思いやれる3人はちゃんとした大人だなと思った。
何ともいえない男2人の空間はなんか可哀想だったけど笑、それぞれナヨンのことを、ノラのことを思っているのが伝わっているんだろうな。
波もなく、平坦だけど、余韻が心地よい映画だった。
過去に惹かれていた人と久しぶりに連絡を取れたら、同じような行動をし...
最後、ノラが流した涙とは?
深夜にしっぽりお酒でも飲みながら観たい作品。
人生とは選択の連続で出来ている。
ヘソンがノラに向かってタラレバを言うシーンが、なんとも女々しくて切ない。
初恋、叶わなかった恋、失敗、それらは成功した経験よりも記憶に残るもの。ヘソンがツァイガルニク効果に苦しめられているのか、甘い想い出をいつまでもただ引きずっているだけなのか、ヘソンはずっと過去に縛られ、ノラは未来を生き、交差する2人の運命に、きっと経験はなくとも誰もが共感するのでは。
また、ノラの夫、アーサー。
彼目線の描き方もリアリティで素晴らしい。
アーサーの言葉に最も涙したかもしれない。
拙い韓国語がなんとも愛おしくてこれまた切ないんだ。。。
私も人生の分岐点に立とうとしている。
だから自分と重ねて更に胸にきたものがある。。。
もう一度観たいな。
【”縁ーイニョンー”初恋の相手は忘れられないモノ。今作は8000層もの”縁”は結ばれず結婚は出来なかったが、幼き時別れてから24年間の男女の生き方及び漸くの出会いと別れを描いた素敵な恋物語である。】
ー 冒頭、バーのカウンターで二人のアジア人男女と一人の白人男性が飲んでいる。
それを見ていた男達が、”アジア人だけ二人で喋っていて、白人は黙ったままだ。”と会話するシーンから物語は始まる。男達の姿は映されない。印象的なファーストショットであり、ラストに繋がる巧い作品構成である。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・物語は、ナヨン(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)が12歳の時から始まる。二人はお互いに好きになるが、ナヨンの父の仕事の関係でカナダのトロントに移住してしまう。
そして、ナヨンは名前をノラと変える。
ー 親の転勤で初恋の子と別れてしまう。初恋が実らない、あるあるである。ー
・ヘソンは大学に入り、兵役も経験するがナヨン(ノラ)の事が忘れられない。そして、24歳の時にヘソンはFacebookで、一人ニューヨークで作家として生計を立てつつあるナヨン(ノラ)を漸く見つけ、ビデオチャットで12年振りに会話を交わす。
ー 成長二人は”面影があるね。”と懐かしそうに会話しつつ、ヘソンは名残惜しそうに、”大学があるから・・。”と席を立つ。脳内で”何やってんだ!”と突っ込みつつ、ナヨン(ノラ)がソウル行きの便を検索している姿を見て、”このまま行くのか!”と期待する。
が、何故か二人は相手に会いに行く行動を起こさない・・。-
・その後、米国人の作家のアーサー(ジョン・マガロ)と結婚したナヨン(ノラ)。それを知ったヘソンはナヨン(ノラ)への想いを振り切るために、漸く会いに行く。
ー ”全くもう‼ヘソン、行動が遅いんだよ!”と思いつつ、二人がマディソン・スクエアーパークで24年振りに直接対面するシーンを見て、ヘソンの”あの時、何故・・。”と言う後悔と、そんな彼に”自分で選んだ人生なの。”と伝えようとするノラの心も垣間見える様に感じる。
そして、二人が相手の身体を抱きしめるシーンは、少し沁みる。-
■一番心に沁みたシーン
・ナヨン(ノラ)が、韓国へ帰るヘソンをウーバーまで送ってから、家の前で待っていたアーサーに抱き付いて、泣くシーンである。
序でに言えば、アーサーは実に懐の深い良い男である、と思う。
<今作は、ナヨン(ノラ)とヘソン、そしてアーサーも含めた3人の心の葛藤を、最小の台詞で描くことで、縁が織り成す3人の人生が浮かび上がる作品である。>
<2024年5月12日 刈谷日劇にて鑑賞>
幼馴染の男性の彼女への執着が
誰しもある出会いと運命、切なくそして美しいラブストーリー
見終わった後、大人は切なさの余韻に浸る
劇中の会話で登場する映画、『エターナルサンシャイン』をリアルタイムで鑑賞した世代。
私たちは、あれからまた年齢を重ねて今、「パストライブス」を涙なしに観ることは出来ない。
『エターナルサンシャイン』は、恋人とひどい別れ方をして、心が壊れてしまいそうな程の失恋の辛さから、その恋人との思い出の記憶を消してしまう。
お互いに記憶を消してもなお、再会すれば自然と惹かれ合ってしまう。
それを「奇跡」なんて言葉にすれば陳腐になる、目には見えない不思議な力が再び二人を結ぶ。
そう、『エターナルサンシャイン』もまた「縁」にまつわる物語だ。
人生には、『自分で選択できるもの』、『そうでないもの』、『選択できたのに違うもの』を選ぶことがある。
年齢を重ねると「現実」、「環境」、「感情」、「今までの努力」がその選択を曇らせたり、鈍らせたりする。
それは、たとえ自分で悩んで選択したものでさえ、過去を振り返ると、果たしてそれが正しい選択だったのか不安になることがあるし、心のどこかがズキズキと痛むことだってある。
初恋として心にとどめていれば、12歳だったあの頃の自分が、ずっとこの先も生き続けられたかもしれない。
だけど、彼女が選んだ「再会」の結末は、12歳の自分を手放し、今という現実を生きること。
それを自ら選び、歩き出したのに、、、とめどなく溢れ出てしまう涙…
「過去」にするには早すぎて、無理やり「縁」とラベリングしていくしかないのだ。
タクシーを待つ2分間のラストシーンで交差する2人の感情。
永遠に終わらないで欲しいと願う「沈黙」がそこにあった。
とても哀しいのに、何故か温かい
大人びてほろ苦いけれど、ファンタジックで気持ちが軽くなるような小説を読んだ気がしました。何故か、映画じゃなくて中編小説。
時を経て結ばれるかと見えたヘソンとノラの初恋も、2度目の恋も実らない。いや、ヘソンがNYに向かった時は、実ってしまうのかともドキドキしたが、遂に成就しない。前世の縁がなければ、叶うことは難しいと作品は呟く。人生はひと時のメリーゴーランドに揺られているような、見かけは楽しくはしゃげても、中身は情けないものだったか。
それでも懸命に生きる…意志の力でもがくのではなく、大きなものに身を任せながら、生を営んでいくのも人生の在り方だと思えてきました。諦めるための運命論ではなくて、見つめるための運命論。色々と自分に出来ることを考えて、思い巡らせながら生きたいではないですか……
心を込めたら気持ちは伝わるとキツく信じて、でも恋の結果に出来るだけ…拘泥しない。
坂道の多い、空の白っぽい町で育った少年と少女は別々の人生を辿りながら、きっと胸の奥で同じ想いを抱いていた訳で、しかし、かつての二人の想いが同じと知ったとしても、それが形に成る訳でもない。
ウーバーのタクシーを待つ二人。なんで制作者は、このシーンを盛り込んだのだろう。序盤、あなたの劇のここの間が素晴らしいと褒められたノラの脚本(でよいのですよね)が伏線になっていたように思うのですが、この苛つくもどかしさ。そう、諦めるにはたくさんの気持ちを暗闇に埋める作業が必要なのだ。
見えないものに突き動かされる二人、見えないものに引きとどめられる二人。立ち去ったノラとヘソンの間にいつまでも残る涙混じりの溜息。情けなさをしっかり抱きしめたヘソンを載せたタクシーが走り出す。
心を込めたら気持ちは伝わるとキツく信じて、でも恋の結果に出来るだけ…拘泥しない。同じことを書いてしまった。
酔えませんでした
なんだかな。
ノラの、誰をも大して
大切にしていない?
都度都度奔放とも言える態度にイラッとして
共感できず。
彼女に葛藤が見えなかったからかな?
なんだかんだ波に乗って人生渡ってきてる感じ
ドラマとして見るにも楽しめなかった。
男性2人が普通に可哀想に見えてしまい。
そんくらいの感じで結婚したり
昔の恋人に会わせたりするんだ〜って
自分ならしないな〜、、と
ノラがあまりに雑というか、不誠実な感じがした
男性2人には「そういう女なんだよ〜、」と言いたくなった
ラストだけじわっときましたが。
これで何故感激できるのか
私にはわかりませんでした。
なんだかシチュエーションだけで酔えるのは
軽薄な感じも受けた
多用されるイニョンの言葉も特に響かず。
(やたら著名人が絶賛コメントしてる宣伝を見てめちゃくちゃ期待していたので、、、今後はそういう宣伝手法には気をつけようと思いました、、、今回コメントしてた人が褒める作品にも気をつけよう、、
これが最高のラブストーリーなら今まで何みてきたんだよっ、、とか言い過ぎでしたらすみません。)
ヘソンの俳優さんの、複雑な心を映し出すような
物言わんとする表情は、魅力的でした。
監督の思惑どおりにモヤモヤする。
一応ネタバレということにしたけど、最後まで何か事件があるワケでもなく、淡々と物語は進んでいく。
韓国という国家特有の習慣やしがらみの中で、今の自分を作ってきたヘソンと、あくまで自らの意思で決断し道を切り開いてきたソヨン。
そしてソヨンの夫であるアーサー。
小学生時代に好きになった女のコに、離れ離れになって以来、大人になっても(結婚を考えているパートナーがいるのに)いつまでも想いを寄せるヘソンの気持ち悪さはまあ、置いておくとして。
ソヨンが自宅にヘソンを連れて行ってからのバーでの一連。
もちろんそれが作り手の「演出」であって、それ自体がメッセージであると知った上で、それでもやっぱり
「それはないよ!」と言わずにはいられない。
ソヨンが悪気ない言葉や態度で男性二人の心に見えない傷を付けていく姿を、やはり私は胸が苦しくて見ていられなくなる。
ヘソンへの嫉妬を見せるアーサーにソヨンが言った「安心して。私は男よりも仕事を選ぶわ。」という言葉。
アーサーがベッドで「もし違う相手と出会っていたら、ここに寝ているのは僕ではなかったのかな」とソヨンに問いかけても、彼女は明確には答えない。
アーサーは「どんなことがあってもあなたを選ぶわ」と言って欲しかったはずなのに。
ただ、彼女は自分に正直なだけ。
欺瞞や体裁を繕うことはしない。
でも…
ソヨンとヘソンのバックショットにアーサーの肘だけを映し、アーサーを映す時は二人の位置から見た視点で独りにするとか。
ウーバーまで送っていった彼女を待っている間のアーサーの心穏やかではいられない気持ちとか。
なんて意地悪な。
と、こういう観客の感じるモヤモヤも、詰まるところ「作り手の意図」なワケだ。
あの最後に黙って見つめ合うシーンとか、モヤモヤの最たるもの。
このモヤモヤが、観賞後私には「嫌な感じ」ではなく、心地よい映画体験だった、と振り返っている。
ただ、やっぱりソヨンは酷いと思う人が多くてもしょうがない。
そういう絶妙なバランスの上にある映画。
レビュー書いていたら、恋愛映画で無い事に気づいた。 そして評価も少し高くなった
前半、展開的に眠い。
中盤、やはり展開的に眠い。
隣の若い女性、帰る。
後半ちょっと良くなってきた。
アメリカ人の夫アーサー、つらい。隠していないとはいえ、相手の男性は妻の初恋の人。「絶対引き止める」という自信がない。バーでカウンターに3人。韓国語があまり分からない夫の横でずっと2人だけで会話。自分が知らない妻の過去を知る男性がすぐ横にいる中、(言葉が分かっていてもつらいのに)蚊帳の外。辛すぎる。
男性が帰国、妻のみウーバーまでお見送り。「何もするな!とっとと早く帰れ!」と思いつつ、映画的には「熱い抱擁が有るのか?妻は追いかけるのか?夫は?」。しかし、見つめあう事はあってもそれ以上はない。夫は玄関前で待っていた。切ない。泣きながら夫の元へ。妻は彼への想いはあるが夫の元へ帰ってくれた。夫は妻に何も言えなかったダメ夫なのか、ただ妻を信じて待ってくれていた強い男なのか。しかし映画は何も示さずあっさり終わる。
この映画はアメリカ資本のアメリカ映画ではあるが、実質ゴリゴリ韓国映画。
韓国は国内での就職はとても厳しいので、海外に求める人も多い。映画でも語っていた「金や地位が重要」だという古い価値観が根強い。本来結ばれるべき二人が結ばれなかった。これらが全て。
恋愛映画では無い。韓国に対する社会派映画。
切なかった
途中、予想がつく単調な展開に眠くなったけれど、後半の3人で食事→見送り→歩いて自宅に帰るシーンは切なくてジーンとしました。
幼馴染みと24年ぶりに会っても、24年の溝(価値観)は埋まらないよねと実感。
普段使っている言語も違えば、呼び名も目指す場所も環境も違うのだから、なおさらです。
ラストは切ない気持ちになりながら、「来世で会えることを楽しみに」って、なんかどこかで聞いたことがあるフレーズ・・・。
そうだ!昭和後期の超人気アイドルと超人気アイドルが別れた時、涙ながらに「生まれ変わったら一緒になろうね」と語っていたあの会見だ!
なぁんて、どうでもいいことを思い出しました。
まぁ、なんと言っても一番切なかったのは、夢心地の2人ではなく、放ったらかしにされガイドさんと間違われつつ、3人の食事代をカードで支払い、韓国語挨拶も事前に覚えて感じ良く接し、妻には嫌な顔ひとつせず「おかえり」と迎えた夫とその心情でしたけどね。
アーサー!!(涙)
もはや途中からアーサーのことばかり考え、アーサーの心配しかできなくなっている自分がいた。
ノラとヘソンがニューヨークで再会しても「ノラ、ヘソン、どうかアーサーを傷つけるようなことはしないでお願い…!」とアーサーの心配ばかりする始末。
バーのシーンでヘソンがノラに24年越しの思いを伝えているところでも、画面外に追いやられているアーサーがどんな気持ちでいるのか想像してしまって仕方がない。
見送りの別れ際、タクシーくるまでの2人が見つめ合うところ、かなり緊張した。ノラがヘソンと一緒に韓国へ戻ったらどうしよう、と部屋で彼女を待っているアーサーのことを考えると気が気でない。
最終的にアーサーの元にヘソンが戻って良かった…。
ノラとヘソンの関係はね、もうずるいじゃん。
美しい思い出と決着がついてないお互いへの好意だけが残ってる状態なわけじゃん…。
初恋でお互い好きだけど物理的距離が邪魔して一緒にいられなかった。
12年経って連絡取れるようになってからもお互いを特別だと思っているのもわかっていて。
そんな2人さらに12年経って対面で再会するって。
…そんなのノラの結婚相手・アーサーからしたら心配しかないじゃないか!!嫌じゃん普通に!!
途中まで思いっきりノラを引きずるヘソンを眺めながら「そうだよね、まだ好きなんだよね。男性は引きずるっていうしね」とか思いながらヘソン寄り視点で観ていたんだけど、アーサーがノラに「僕は2人にとって邪魔な悪者だ」とか胸のうちをこぼしたあたりから完全にアーサー視点になってしまった。
自分は悪くないのに、ノラと母国言語が違うこと、韓国にいる会ったこともないノラの初恋の男性(ヘソン)に引け目を感じているアーサー。
そうでなくてもどこか自分に自信がなさそうなアーサー(体格もそんなによくなくて、グイグイくる感じでもなくて、作家でゲーム好きで、ってもうそれだけで彼のパーソナリティがなんとなく見えるように描かれてるのよ…)。
でもその初恋の男性がニューヨークに来たら「会うのを自分が止める権利はない(これはもはや行ってほしくないって言ってるじゃんね…)」と送り出すアーサー。
片言の韓国語でヘソンを出迎えてパスタ食べようって言ってくれるアーサー。
2人が韓国語で話してるの気にしてるくせにそこに割り込むこともなく「気にしてないよ」って言っちゃうアーサー。
ノラがヘソンを見送りに行くの、同行しないくせに心配で外階段で待ってるアーサー。
もうアーサーこのお人好し!!(涙)
美しいシーンもたくさんあって他に感想言うことあるだろって思うけど、最終的にアーサーのことばっかり思い出してしまう。
(アーサーばっかりの感想になってしまった…。)
涙がこぼれる、たった一言
公開前からずっとずっと観たくて、やっと観ることが出来た。
ただただ切ない。
感情の、表せられない涙がこぼれる。
悲しいとも違う、感動とも違う、心の奥深くの何かに触れる涙。
誰かのレビューや評判を聞いて期待値MAXで臨んだので、
静かで美しいふたりの物語を割と淡々と観ていた自分がいたのだけれど、
最後の最後、ずっとどこか遠慮がちな目を向けていたヘソンが、ノラを真っすぐに見つめてかける言葉。
あの言葉を聞いた瞬間、すっと心に入り込んで、どうしようもない気持ちでいっぱいになって、涙を止めることが出来なかった。
タクシーが来るまでの短くも長いあの瞬間、その時のふたりの表情、ふたりの間の距離、ヘソンが振り返ったと同時に一瞬はさむ過去のふたりの姿……なんて素晴らしいシーンなんだろう。
NYで強い女性に成長したノラが子供の時のように泣きじゃくる姿を見て、もう、ほんと、運命って、縁って、人生って何なんだろうと心に来た。
今までの自分の選択や現在の幸せを後悔することは絶対にないけれど、自分ではどうしようもできなかった一つ一つのこと、自分という人間、捨てることはできない大切な志や意思、口から出た言葉、頭に浮かんだ考え、そんな自分を形作るすべてについて思いを馳せてしまう感じ。
きっとノラの夫は、ノラがその涙を見せてくれたことにどこかで心救われただろうと思う。でもそのきっかけは自分ではない、自分は共有することはできない、不可侵の、思い出や想いや縁。
その夫の切なさも想像できてしまって、そんなところにも涙腺が緩んだ。
前世、今世、来世、繋がっていく縁、
もどかしい反面、諦めにも似た“希望”がある。
素敵な考え方だ。
ノラとヘソンはきっともう会うことは無いだろうと思う。
連絡をとることもないかもしれない。
時々SNSに「いいね」をしあったり、お互いの名前をどこかで目にして近況を知る程度になるかもしれない。
ふたりはこれからどんな人生を送るのだろうか。
どんな選択をして、どんな人と出会うのだろうか。
ヘソンの最後の言葉をノラは忘れないだろう。
いや、忘れてほしくない。
あの瞬間をヘソンはきっと時折思い出す。
思い出してほしい。
そしていつか必ず、ここではないどこかで、再会を果たしてほしい。
ロマンチスト or リアリスト。あなたはどっち?(笑)
『パスト・ライブス』は、” 前世” を意味するらしい。
韓国・アメリカ合作のラブロマンス、と言ってもR指定はなく、安心して家族で見られる内容だ。
アカデミー賞作品賞、脚本賞にノミネートされたことがセールスポイントになっている。
セリーヌ・ソンの長編デビュー作で、自身の体験をもとに脚本を仕上げている。2人の男と1人の女によって物語は進んでいく。
映画は、
午前4時のバーで3人が飲んでいる姿を見て、向かい側の見知らぬ客が3人の関係性を推理して楽しむところから始まる。
◆ノラ(セヨン)役にアメリカ生まれのグレタ・リー
◆幼馴染ヘソン役はドイツ生まれのユ・テオ
◆ノラの夫・アーサーにはジョン・マガロ
顔のアップが多く表情がクローズアップされる中、皆とても良い演技をしている。
作品の中に、
「輪廻転生」、「前世」、「袖触れ合うも…」という言葉が出てくるが、これらはオカルト的要素ではなく、縁(えにし)を語るためのキーワードだ。
前述の通り、人物のアップ(寄りの絵)が多用されているだけでなく、小声の会話さえ大きめの音響で聴くことになる。
なかなかの圧迫感だった。
家のテレビで見たなら違う感想になったかもしれないが…
恐らく、ですが、
ラスト5分は、監督による渾身の演技指導が入ったのではなかろうか、なんて思いながら見てました(笑)。
好き/嫌い、合う/合わない、
が明確に分かれそうな映画だ。
私、ですか?(苦笑)
主演の二人が連日スカイプでやりとりするシーンが、まあまあの尺を使って流されるのだが、
心の中で「オレは何を見せられてるんだろう?」と自問してました、とさ。
グレタリーは合ってない
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