パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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影に囚われるということ
24年という歳月を経て、離れ離れになった幼馴染(そして初恋の人)がNYで再会する──。
この一文だけでハッとしてグッとくるわけですが、鑑賞後の気持ちは、率直に云って「辛い…」というものでした。
それは主役の顔が元木大介に見えて仕方がなかったという理由だけではありません。
12歳のときに、遠く韓国と北米とで離れ離れになった少年ヘソンと少女ナヨン。ナヨンは移住を機にノラと名前を変えます。
この物語はヘソンが24年の月日をかけ、もう存在しない「ナヨン」の影を追い続ける、というものです。
公式のあらすじにも、エンドクレジットにも、どこにも「ナヨン」は存在しません。いまを生きる「ノラ」だけが記載されています。劇中でナヨンの名を呼ぶのもヘソンだけ。移住後は両親すら呼んでない。
Facebookで彼女を探しあてたり、既婚と知りながらNYまで会いに行ったり、抜群の行動力を発揮するヘソン。
しかし、ここ一番で愛を伝えなかったり、すべてを放り出してでも彼女の元に駆け付けなかったのもヘソン。
つまり、粘着質なのにここぞの行動力が無い男の未練たらたら物語、なのです。キツいよ…。辛いよ…。
NYでの再会も決して努力があったとか、苦難を乗り越えたとか、ドラマチックな出来事の末に実現したわけではありません。
ただ彼は24年越しで(あるいは12年越しで)航空券を買い、ホテルの予約をしただけです。
その「日々のしがらみに束縛されている様」を国民性、というかアジア人らしさに置き換えるのはどうなんでしょう。「いますぐ会いに行けよ!」と、焼肉仲間の3人は背中を押してあげなかったんでしょうか。
さらに決定的に悲しいのは、ヘソンがノラの眼中に無いことです。Facebook検索の時点でも母親に「ほら、あの男の子の名前なんだっけ?」レベルだし、NYでの再会後も夫に「あなたの言う通り、彼、私に会うのが目的だったみたい」的なことを言います。もう辛いっす。
主人公ふたりに全く共感できず、むしろノラの夫・アーサーの内面、つまり心境の揺らめき、恐れや覚悟の方にこそ、描くべき文学性があったように思えてなりません。
最後にノラが涙を流すのも、初恋からの卒業というノスタルジックな感情でしかないと感じました。
NY到着後、雷雨のなかチェックインしたホテルの部屋の壁に映るヘソンの影、水たまりに映るNY、あえて逆光で捉えられるふたりの姿。
ヘソンは行ってしまったのです、虚像である影の世界に。
終盤、ノラはヘソンに告げます。
あの頃のナヨンはもういない、と。
でもあなたの中には12歳のナヨンがいる、と。
「次の一歩を踏み出して」ではなく、虚像への回帰を促すところも恐怖。辛いっす。
みんないい人、みんな良識ある大人すぎて、正直しんどい
久しぶりに等身大で共感できる大人のラブストーリーに出会い、観終わって今もまだ胸がドキドキキューンとしています。決して多くはない自分の恋愛経験が、記憶の奥からそっと顔を出し、映画の出来事とリンクします。結ばれなかった初恋は、いつの日も一番美しい思い出です。あの時、あの彼ともし結ばれていたら?なんて妄想が止まらなくなり、映画の余韻とあいまって、美しい初恋の迷宮に迷い込んでしまいそうになります。危ない危ない…帰ってこ〜い、自分🙄
さすがにアカデミー賞で評価されただけのことはある見応えのある映画でした。登場人物は、ほぼ3人。派手な演出シーンもありませんが、計算されたシーン割、カメラカットなどにより、洗練された大人の物語を終始、上品に自然に演出しているのがお見事!!
自分が主人公でも、多分あのラストでヘソンを選ぶことはできなかったと思います。旦那さん超絶エエ人すぎるんやから…。せめて旦那さんが、ほんの少しでも悪人であってくれたなら、ヘソンもキスくらいはできたでしょうに…それすらも許されないとは、なんとも切ない…🥲
切ないぞーーー😭😭😭
みんないい人
みんな良識ありすぎて、正直しんどい😓
ヘソン、そこでガッとキスしろ〜
奪い去って、タクシーに乗せろ〜
なんて心の中で叫んでいたのは
私だけでしょうか…
初恋は、叶わないから美しいなんて言いますよね。実際はほろ苦い思い出の方が多い気がしますが、時間とともに美しい部分だけが切り取られてたりしますよね。
いつまでも忘れられないし厄介です。
イニョン(=縁)
東洋的哲学、輪廻転生を主題に盛り込んだところも、西洋の人たちにとっては新しい感覚であったかもしれません。
前世(= パスト ライブス)で縁あるあなたと
今世でも出会い、そして別れた
来世こそはと願う
イニョン(=縁)あるあなたと
また出会い、そして人生をともにしたいと
あなたがもし鳥ならば、
それを止める枝になりたい。
あなたが、もし花ならば、
それを咲かす大地になりたい。
あなたにも来世で会いたい人はいますか?
理解ある夫くんによって成り立つメロドラマ
アカデミー賞作品賞・脚本賞ノミネート、加えてレビューサイトでの評価も高いのに、個人的には全くと言っていいほどはまらず落胆してしまった。これは私の理解力や知識の及ばない部分があるのかとパンフレットを買って読んだが、冒頭のバーで3人並んだシーンが監督の経験に基づくエピソードだと知り、余計に無理な感じになってしまった。
心が揺れるシーンがなかったわけではない。好意的に観て、感動する人たちがいるのも想像はつく。そんな方たちには、私の感想文はお目汚しになるでしょう。すみません。
昔ちょっと好きだったあの人と、今は離れてしまったけれど、あの時ああしてたら2人はどうなっていただろう……ここまではありがちな想像だが、その後、十数年おきに実際に接点が生まれ、30過ぎてからあんなジリジリくるような邂逅を経験することはなかなかないだろう。本作は、大抵の人の中で ”if” のまま消えてゆく想像を具現化したファンタジーでもある(監督は体験したようだが)。
24歳の時のオンラインチャットの終盤、ノラはヘソンに会いたい気持ちを募らせて、ヘソンに対しても自らそのことを伝えた。だが、自分は韓国に行けない、ヘソンがNYに来てほしいと言い、ヘソンが来れないことがわかると、連絡を取るのをやめると言い出した。
そうしないと韓国に行くことばかり考えてしまって、アメリカでの作家活動が大事な時期なのに疎かになってしまう、ということなのだろう。ノラはこの時点で、ヘソンへの気持ちと自己実現への道を二者択一と捉え、後者を選んだ。
会いたくて韓国行きのことで頭がいっぱいになり、相手のヘソンもまんざらでもないのだから、行動的なノラなら、ここで後顧の憂いのないよう互いの気持ちをはっきりさせるやり取りも出来たのではないかと思ってしまう。あるいは、トンボ帰りでいいから会いに行って話し合うことくらい出来なかったのだろうか。
しかし実際は、互いの恋愛感情さえはっきり口にせずもやっとしたまま。先に会いたいと口にしたのも、無理なら連絡を断つと決めたのもノラだったのに、ヘソンが提案した1年を過ぎても彼女は連絡を再開しなかった。
結局、2人のイニョン(縁)は本質的にはここまでだったのだと思う。
36歳になり、彼女と別れたからといきなりNYまでノラに会いに来るヘソンにも若干もやっとしたが、ノラの一連の行動が私にはちょっと無理だった。
昔なんとなくいい感じの間柄ではあったが、互いの間で恋愛感情を明確にしていなかったから(個人的には、直接会えないなら連絡を断つというのは完全に恋愛感情だと思うが)、ヘソンは「友達」だ。夫に対しても悪気なくオープンにできる。アーサーなら、元カレでも2人で会うことを許したかもしれないが。
しかし、アーサーだって微塵の不安もなく2人の再会を見守っていたわけではない。彼の、ノラを信じたい心と不安感が静かにせめぎ合う様子がひしひしと伝わってくる。
そのせめぎ合いの緊張感は、3人でバーカウンターに座った場面でピークに達する。真ん中に座って、最初はアーサーとヘソンの通訳を務めていたノラだが、やがて完全にヘソンの方だけを向き、アーサーに分からない韓国語で通訳もせず、2人の世界に入ってしまう。しかも内容は、なにもアーサーといる時じゃなくて前日2人の時に話しておけよというような、男女のセンチメンタルな会話だ。映画冒頭の描写では、アーサーは観光ガイドかなあなんて近くの客から言われる始末。そしてお会計はアーサー持ちである。
私は完全にアーサーに感情移入した。頑張れアーサー。
しかしこのシーン、監督の実体験であり、かつ夫をこのように描写しているということは、監督は自分の夫の疎外感も察した上で、このバーのシーンみたいなことを現実にやったわけですかね。なんだかなあ。
ラストの、Uberを待つ間に2人が向かい合うシーンは、短いが思わせぶりな緊張感が漂っていた。しかし、するのかいせんのかい……せんのかい! 結局意外な展開は何もない。
ヘソンが去ったあと、夫の前でノラが泣き出したのを見てがっかりしてしまった。今のヘソンへの愛というよりは、戻らない過去への感傷に近い涙なのだろう。でも、夫の前で泣くなよ。
こういうのは、「大人のラブストーリー(公式サイトより)」と言えるのだろうか? 私には、子供の頃の宙ぶらりんな淡い恋をあの歳まで消化しきれず引きずり、脱皮が遅れた人たちの話にしか見えなかった。
大切な人を不安にさせるくらいなら、自分の中に消化しきれない過去の何かがあったとしても、そのまま胸にしまって生きてゆくのが大人なのだと思っていた。ヘソンの気持ちに答えられないなら、早めにきっちり切るのも成熟した人間の思いやりだろう。
唯一、アーサーだけは大人だった。彼はノラの中に残る焼け木杭のようなヘソンへの感情に、夫として、また作家としての勘で、多分早い段階で気づいていた。そのことに内心不安や疎外感を覚えながらも、最後は泣きながら帰ってきたノラを、玄関先で待っていて抱きしめた。ヘソンの存在を彼女の一部として受け入れようとした。
この物語は、彼の寛容さなくしては成り立たない。ここまで包容力のあるアーサーこそ、ノラにとってイニョンのある男性なのではないだろうか。
もし、この3人の性別が逆だったら、つまりノラが男性だったら、現代においてこの話は美談たりえただろうか? その場合、女性を都合のいい存在として描くな、とか言われるような気がするのだが。
物語を彩るNYの風景が美しかったのが救いだった。
空虚な男の冒険と敗北
いろんな感想を評を読んでも、ああそういう見方があるのかとも思うものの、なにか自分とズレがあるような気がしてしょうがない。つまりは、観た人の数だけ解釈があるような、それでいて曖昧さから自由に受け取ってくださいというより、すべてが明確に描かれた結果だると思わせる強度がある。
自分にとっては、と、つい前置きしてしまうが、ヘソンという男の空虚さがアタマをまとわりついて離れない。運命の相手と再会さえすれば、自分と相手の心を揺らして、なにか人生を変えてくれるのではないか、そんなだいそれた望みをどこまで自覚しているのかわからないが、とにかく空っぽのままNYにやってきてしまった男。
自分の望みに自覚的で、夫との居場所も手に入れたノラにしてみれば、ちょっとノルタルジックでほろ苦いエンタメを消費するような気持ちだったんじゃないか。しかもヘソンとの再会がもたらしたのは、いま手に入れている生活への圧倒的な肯定である。そもそも過去しか差し出せないヘソンに勝ち目などハナからなく、ヘソンと自分の熱量の隔たりを思い知って、ノラは最後泣いたのではないか。少なくとも、自分を思うことしか拠り所のない平凡な男の人生のためにも、あの涙はあったのではないか。
さりとてヘソンが現状への満たされなさを埋めようとNYに来たのは間違いなく、ヘソンが空虚なのは自業自得である。しかしそれがヘソンの限界であると残酷にも描かれてしまっているからこそ、この映画には怖さがある。と、まあ自分にとってはそんな映画だし、人生を粗末にしてしまった男の悲劇として(も)、傑作だと思う次第です。
ふたつの名前
日本や韓国、中国人などアジア人がアメリカに移住すると「アメリカンネーム」を設定する人が多い。アジア人の名前はアメリカ人には覚えにくいし発音しにくいからだ。この映画は韓国人一家が北米に移住し、一家の娘がアメリカンネームを決めるところが冒頭に描かれる。
ノラと自身のアメリカンネームを名付けた彼女は以後、自分のアイデンティティをノラとして生きていく。考え方も生き方もアメリカに生きる女性として、彼女は成長していき、白人の夫アーサーもできる。韓国人の母親ですら、彼女のことをノラと呼ぶ。
そんな彼女を韓国名で唯一呼ぶのが、韓国時代の幼馴染の男性、ヘソンだ。24年振ぶりに再会した2人には不器用だけど、あたたかな時間が流れる。アーサーはノラとヘソンの間にある強い何かを感じで疎外感を覚える。
名前は重要なアイデンティティだとすれば、彼女の韓国名ナヨンを知るヘソンは、彼しか知らない彼女のアイデンティティを知っていることになる。
作中では、縁(イニョン)という言葉で愛とは異なる特別な絆が説明される。カルチャーの違いと乗り越えられない何かがありながら、それとは別に生活のレイヤーがあり、そこにも手放せないものがある。とても上質なすれ違いのメロドラマ。
エンドクレジットでは主人公の名前はノラとだけ記載されていた。彼女はこれから一生ノラとして生きていくのだろう。ナヨンはヘソンの心の中にだけ生きるのだろう。
人生を経るにつれ熟成され味わい深くなっていくであろう名作
ふっと溜息がこぼれるほど味わい深い作品だ。人生は刻々と移り変わる。でも初恋どうしの二人はなかなか再会できないーーー。ソン監督の半生をベースにした本作は、韓国生まれで現在はNYで暮らす主人公のアイデンティティを表情豊かに映し出す。おそらく彼女は昔と今の自分は違うと強く意識しながら生きてきたのだろう。確かに文化や環境はその性格を逞しく変えた。だが一方で、彼女にとって初恋相手ヘソンは、封をしていた記憶や感情をゆっくりと思い起こさせる存在でもある。二人が辿ってきた人生。そして今この地で巡り合う縁。心象を彩るNYの街並みが壮麗なカメラワークによって映し出され、感情と思考が散りばめられた脚本は一言一言を噛みしめたくなるくらい洗練されている。男女の台詞にこんなに魅せられたのは『ビフォア・サンライズ』以来かも。極め付けは夫役のジョン・マガロだ。柔らかな口調と佇まいにこちらも思わず頬が緩みっぱなしになった。
熾火(おきび)のような、落ち着きのある切ない大人のラブストーリー
決して激しい炎が燃え上がるわけではないが静かにくすぶる、焚き火で言えば熾火(おきび)のような、落ち着きのある切ない大人のラブストーリー。
日本にも「袖振り合うも多生の縁」という言葉があるが、現世での人との関係は前世の「イニョン(縁)」によるものだという考え方が韓国にはあるようで、運命の人との出会いは現世だけの話ではなく、前世や来世に関わるという東洋的、あるいは仏教の輪廻転生的、な思想が色濃く反映された物語が西洋社会でも受け入れられ、共感され、オスカーの脚本賞にもノミネートされたというのも興味深い。
セリーヌ・ソン監督の実体験に基づく話だそうだが、そんな純愛が本当に存在するのか!と驚くほどの物語り。
12年+12年でA24
男と女それぞれの奥深い気持ちをすくい上げていて心に沁みた…
観終わった後、なぜか中島みゆきの歌の一節が口からこぼれた。🎵男はロマンチスト 憧れを追いかける生き物🎵 確かに女より男の方がロマンチストだと思う。ナヨンは、ある意味割り切って生きているけど、ヘソンは割り切れなかったんだと思う。ナヨンとヘソン、あんなに気が合って、何でも話せて、お互いよくわかっている二人なのになぁ。なかなかうまくいかないものだな。別れてから12年後、オンラインで繋がった時に、どちらかが時間を作って再会していたら、また違った人生になっていたかもしれない。原題のPast Livesは、この作品では過去の人生という意味かもしれないが、「前世」という意味もあるのだそうだ。監督は、前世から結ばれていたという意味も込めているのだろうか? 私にはわからなかった。
これは...
これは.....切ない..
なんて切ないの....
私がナヨン(ノラ)だったら...どうするかな...
私がヘヨンだったら....どうするかな...
温かいけど切ない....
なんといっても旦那のアーサー、あんた良い人すぎるよ...
「彼は13時間かけて君に会いにきた。会うなとは言えないよ。
凄い物語だよ。20年後に初恋の相手と再開。。この物語で僕は運命を阻む邪悪な米国人の主人だ。」
邪悪な米国人ってあんた...自分を卑下しすぎだよ....どんだね良い人なんだよ...
もっと怒ってもいいんだよ..
もっと引き留めてもいいんだよ...
もっと泣いていいんだよ...
超絶に優しいんだなあ...
12歳以来に、実際に会って再開した36歳のとき、再開シーンがなんともあたたかい。無言で見つめ合って微笑んでお互い「わーお...わーお...」と言って、ほんっとうの本当に懐かしい時って言葉って出ないんだな...
再開したときにハグし、その後もう一度ハグ。
なんだかこの2度のハグシーンに泣けた。
お互い思うものがあったのだね...
ベタな映画だったら↓
よるあるベタな映画だと、ウーバータクシーまで見送ると言ってタクシーまで行ってから「ナヨン!オレと韓国へ来い!」「ヘヨン!ええ!もちろん行くわ!」
でそのまま駆け落ち→ラストは旦那のアーサーがナヨンを探すが去ったことを現実にうけとめ、アーサーの「くそぅ!」と言いながら床を叩いて泣きじゃくって、そのままエンドロール。。
がよくあるパターン。というか視聴者もちょっとこういうパターンを求めてる傾向にもあるよね。
でもでも、
こちらはそうではない、
...これがA24なのか...素敵なラストすぎるんだけど...
でもでも、
ヘヨンはカッコいいイケメン俳優だったけど、もし超絶ブサイクのブ男だったら、、笑
ずっと探されていて若干恐怖にも感じるよね笑
基本的に恋愛におけるifものが苦手なので、この作品も好みではない気...
基本的に恋愛におけるifものが苦手なので、この作品も好みではない気がして避けていたけど、
パストライブスは、そんな恋愛におけるあのときこちらを選んでいたらとゆう甘い幻想を切り捨てる非常に現実的な目線で描かれていてすごく良かった。
ノラの最後の涙は何の涙だったのか色んな人の意見を聴いてみたくなった。
私はヘソンはノラにとって韓国とゆう故郷の象徴のようで、とうの昔に捨てたもの、戻ろうとしても決して戻れないことを、ヘソンに会ったことで改めて確信し
戻れぬ故郷に涙したのだと思った。
今がうまくいっていないとき、過去の運命の分岐での選ばなかった方の道を選んでいれば良くなっていたのではという鏡像の幻にすがりたくなってしまうかもしれないが
過去に選ばなかった選択肢は、選ばなかったとゆう形で今を形成する一部になっていて、もうあと戻りはできないのだとゆう大人な終結が私は好きでした。
あなたのところに、少女の私を置いてきたとゆうセリフがとても沁みた。
夫、いいやつすぎた。3人でバーでいるとき完全に夫に背中を向けるノラ、韓国語で盛り上がる2人、もはや文字通り背景になっている夫の絵には笑ってしまった。
女は、今を生きているけど、男は過去と未来に生きているんだね。
とてもよかった。
品の良い映画で、女性監督、脚本らしい繊細な映画で、感情を抑えた描き方で、じわじわと効いてくる。
ラストが素晴らしい。あの主役の二人の気持ちを思うと心が痛くなってしまう。
女は、今を生きているけど、男は、過去と未来に生きているんだよね。
男はあの頃の彼女を恋したまま。で、そのまま付き合っていたら、どうなったかとそれからの未来を思い描いてしまう。
で、男は、やっぱり、彼女の今の気持ちを確かめずにはいられない。それで韓国からはるばるニューヨークへ彼女の気持ちを確かめに、それだけの目的でわざわざ。
状況は変わらないのにもしかして、と。
それでも来世に希望を持とうとする。男って女々しいね~。
撮影にもセンスが感じられるし、ゆったりとした引きの画の長回しが、気持ちの機微を想像させる撮り方がよかった。ラストがいいのです。
切なくて良い映画でした。
感動というよりじんわり染み入る映画
生きることの縁(えにし)
<映画のことば>(英語)
「私たち、あの頃は、まだ幼かった。」
「12年前に再び会えたときも、まだ子供だった。」
「今はもう子供じゃない。」
<映画のことば>(韓国語)
「あなたの記憶のナヨンは、もういないの」
「そうだね。」
「でも…。あの日の少女はいるわ。
いま目の前にいなくても、消えたわけじゃない。20年ほど前、あなたの元にあの子を置いてきたの。」
「そうだね。まだ12歳だったけど、僕はあの子を愛した。」
「私たちは、前世できっと何かあったのよ。だから今、私たちはここにいる。」
幼少の頃の淡い思慕と、長じてからの成熟した大人同士の恋愛観・結婚観―。
ヘソンとノラ(ナヨン)との埋めがたい歳月の隔たりは、とりも直さず、二人の関係性の隔たりを体現して余りがあったということでしょう。
作中でノラ(ナヨン)とヘソンとによって語られる「イニョン」は、日本語に訳すれば「摂理」とか「運命観」とか。あるいは「前世から続く縁(えにし)=人間関係」みたいな意味になるようですけれども。
少なくとも、本作のノラ(ナヨン)とヘソンとの関係性については、容易には測りがたいような、もっともっと深淵な意味が含まれていたように、評論子には思われます。
そこに、生きることの縁(えにし)を感じ取ったのも、評論子だけではなかったことと思います。
そして、自らの意思・選択によるものとはいえ、生活する国が変わり、すなわち生活環境や言語、習俗・習慣、価値観のパラダイムに大きな転換を余儀なくされる「移民」ということによっては、そういう「深淵さ」に、いっそうの深みが与えられ、ノラ(ナヨン)としての今の人格を大きく規定されていたことにも疑いがないかとも、評論子は思います。
本作は、評論子が入っている映画サークルの2024年中に札幌で公開された映画のベストテン集計結果を発表する催しの席上で、会員のお一人が「男の自分でも、キュンキュンしてしまう」「私的にはベストテンに入って欲しかった」と言っていたことに関心を惹かれて鑑賞することにしたものでしたでした。
その発言に違(たが)わない秀作で、もし事前に鑑賞できていれば、評論子のベストテン順位にも変わりがあったことは間違いのない、いわば「ダークホース」の一本だったことを、付言しておきたいと思います。
<映画のことば>(韓国語)
「僕たちの来世では今とは別の縁(えにし)があるのなら、どうなると思う?」
「分からないわ。」
「僕もだ。その時に会おう。」
(追記)
二人にとっての24年の歳月を経ての再々会、おそらくは、そしてそれが最後になったであろう再会の場所は、24年前に遊んだときと同じように、やはり石のモニュメント(後世に残る不朽の記念物)の前-。
それは、それは、二人の想いが、実は後世にまで残る不朽のもの(モニュメント的なもの)だったことの象徴でもあったように、評論子には思われました。
(追記)
いささかカンニング的で、面映(おもは)ゆいのですけれども。
本作のDVDに収録されている特典映像の「運命に導かれて」と題する関係者インタビューにおける本作のセリーヌ・ソン監督の発言によれば、同監督は、本作では「他人と暮らすことの意味を表現したかった。ノラとアーサーとの関係性は本作の核心だが、本作を観た人全員に、それぞれの感情を抱いてほしい。同時に人生や愛、そして物事の考え方について、新たに気づくことがあれば嬉しい。」と、コメントしていました。
ノラ(ナヨン)今の夫であるアーサーとの関係性や、そして、彼女の想いの中にはヘソンへの思慕…それを「愛(異性愛)」と言ってしまって良いのかどうかは、ひとまず措くとしても…が20余年の歳月を経ても、なお炎々と残っていたことなどに思いを致すと、セリーヌ・ソン監督のその意図は、本作では見事に開花しているとも、評論子は思いました。
例えばノラ(ナヨン)の中では「幼少の頃のヘソンに対する淡い思慕」と「長じてからのアーサーに対しての成熟した大人同士の恋愛観・結婚観」というものとは、決して両立し得ないものではないのだろうとも、評論子は思います。
(評論子が今の夫のアーサーの立場でもしあったとすれば、少なからず「ヤケる」ことは間違いがないでしょうけれども・恥)
<映画のことば>
結婚とはお互いのオムツを替え、同じお墓に入ること。トイレを共用する関係でもある。
(追記)
多くのレビュアーが正当に指摘しているとおり、本作ではアーサーが「いい旦那さん」過ぎるので、お話として成り立っているという部分もあったと思います。
本作の冒頭で、明け方近くなってからバーに現れたノラ(ナヨン)、ヘソン、アーサーの3人の関係を周囲の客があれこれ憶測するシーンがありましたけれども。
その場面での、アーサーの「どっしり」ぶりは、刮目すべきことだったのかも知れません。
別作品『あまろっく』では「どっしりと構えたお父さんぶり」がキーになっていましたけれども。
やはり、「どっしりと構えた男」というのは、こんなにもカッコいいものなのかも知れないと、評論子は思いました。
(追記)
お互いに幼かりし頃のヘソンとナヨンとの間の思慕は、大人の都合(片方の家族の外国への移住)によって脆(もろ)く引き裂かれても、お互いが子供同士であってみれば、抗(あらが)うことのできない、運命・宿命といったものだったことでしょう。
心の奥底にヘソンへの思慕を熱く秘めていたからこそ、ナヨンはヘソンには何も告げずに(告げることができずに)、彼の前から忽然と姿を消すという選択をしたのだと、評論子は思います。
24年の歳月を経て、夫をもつ身でヘソンと再会したノラ(ナヨン)の心中(心の奥底)は、往時と、そうは変わっていなかったのでしょう。
その意味では「結ばれなかった初恋は、いつの日にもいちばん美しい思い出」というレビュアー・ななやおさんのコメントは、もうそれだけで、本作のエッセンスのほとんどを言い尽くしてしまっているのかも知れません。
的確なレビューで、そのことを改めて思い知らせてもらったということについては、末尾ながらなおやなさんのハンドルネームを記して、お礼に代えたいと思います。
(追記)
「初恋を美しい思い出として、心の奥にしまっている男にとっては、全身で共感してしまい、もうヤバい」というレビュアー・bionさんのコメントには、評論子も往時を思い出して「全身で共感」してしまい、本当に「もうヤバい。」という状態です。
往時は中学生ということで、もう今を去ること半世紀も前のお話なのですけれども。
思い切って声をかけてみたものの、彼女の返事は「今はお互いに距離を置きましょう」みたいな返事だったと記憶しています(あまりのショックに、アタマが真っ白…よく覚えていません)。
それが、半世紀も経た令和の今になって「今は距離をとって」と書かれたポスターが公権力によって街中の至る所にベタベタ貼られているというのは、これは、実は、コロナに名を借りた評論子への嫌がらせなのではないかと、勘ぐってみたりもしています。
こういう思い出を引きずっている評論子には、たまらない一本でもありました。
末尾ですが、ハンドルネームを記して、bionさんへのお礼に代えたいと思います。
ラストのアレの演出とか天才だろ💯
タクシー乗り場に送って行く時の沈黙の時の情報量の多さがとんでもないです!(あれを演出してるってどういう事?どうやったらあのシーンが思いつくのか想像すら出来ないくらいの場面です🔥)
あとオープニングシーンを回収する三人の飲み屋の場面の旦那の気持ち考えたらなんとも言えなくなるし🥹
あと恋愛系の作品としてはかなり画期的な部分があって悪人が居ないし 略奪愛にも 不倫にもならない話って逆に凄いと思うわ🧐
あとアメリカ人はハグするのが当たり前の文化で韓国とはそういう文化ではないのを考えると見えてくる部分がかなり違いますよ!
セリフで全てを説明してなくて本心が実は・・・って部分の演出が普通に神演出です(普段マイナスゴジラみたいな作品で全部説明してくれるやつに慣れてしまうと本心をこちらが考えるみたいな部分が衰えて画面で見た事とセリフで話をした事が全てとしか思わなくなって結局説明不足でこちらに答えをブン投げてくる作品は嫌いですとかって意見とか言うようになりますから)
一回長文の感想書いてたのに消えてしまってもう一回書くエネルギー無いからこれで辞めて起きます!
あと感想で共感出来ないから面白くないって意見が多数あるけど自分は全員に共感してないけどめちゃくちゃ凄い作品でアカデミー賞ノミネートも納得で去年観た作品でも上位に入るくらい映画の手法としては凄い事やってると思ってます。
三人の表情の翳りに感じ入る
とほほ
12年も(自分の)彼女を
振りまわした挙句に別れ、
既に結婚してる
大好きだった
幼馴染に会いに行くとは・・・。
しかも、
夫の隣での韓国語での2人の会話や
最後の別れの後の泣きながらの帰宅など
夫の立場を考えると
正直キツい。
それほど好きなら
なぜ12年も
放置しておいたのか。
ノラの思わせぶりな
態度や言葉も
私には理解不能。
2人にとっては
甘酸っぱく美しい恋物語であっても
周りの人のことを考えると
引いてしまう物語。
切ない気持ちを持ち続けるのが人生です
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