パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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影に囚われるということ
24年という歳月を経て、離れ離れになった幼馴染(そして初恋の人)がNYで再会する──。
この一文だけでハッとしてグッとくるわけですが、鑑賞後の気持ちは、率直に云って「辛い…」というものでした。
それは主役の顔が元木大介に見えて仕方がなかったという理由だけではありません。
12歳のときに、遠く韓国と北米とで離れ離れになった少年ヘソンと少女ナヨン。ナヨンは移住を機にノラと名前を変えます。
この物語はヘソンが24年の月日をかけ、もう存在しない「ナヨン」の影を追い続ける、というものです。
公式のあらすじにも、エンドクレジットにも、どこにも「ナヨン」は存在しません。いまを生きる「ノラ」だけが記載されています。劇中でナヨンの名を呼ぶのもヘソンだけ。移住後は両親すら呼んでない。
Facebookで彼女を探しあてたり、既婚と知りながらNYまで会いに行ったり、抜群の行動力を発揮するヘソン。
しかし、ここ一番で愛を伝えなかったり、すべてを放り出してでも彼女の元に駆け付けなかったのもヘソン。
つまり、粘着質なのにここぞの行動力が無い男の未練たらたら物語、なのです。キツいよ…。辛いよ…。
NYでの再会も決して努力があったとか、苦難を乗り越えたとか、ドラマチックな出来事の末に実現したわけではありません。
ただ彼は24年越しで(あるいは12年越しで)航空券を買い、ホテルの予約をしただけです。
その「日々のしがらみに束縛されている様」を国民性、というかアジア人らしさに置き換えるのはどうなんでしょう。「いますぐ会いに行けよ!」と、焼肉仲間の3人は背中を押してあげなかったんでしょうか。
さらに決定的に悲しいのは、ヘソンがノラの眼中に無いことです。Facebook検索の時点でも母親に「ほら、あの男の子の名前なんだっけ?」レベルだし、NYでの再会後も夫に「あなたの言う通り、彼、私に会うのが目的だったみたい」的なことを言います。もう辛いっす。
主人公ふたりに全く共感できず、むしろノラの夫・アーサーの内面、つまり心境の揺らめき、恐れや覚悟の方にこそ、描くべき文学性があったように思えてなりません。
最後にノラが涙を流すのも、初恋からの卒業というノスタルジックな感情でしかないと感じました。
NY到着後、雷雨のなかチェックインしたホテルの部屋の壁に映るヘソンの影、水たまりに映るNY、あえて逆光で捉えられるふたりの姿。
ヘソンは行ってしまったのです、虚像である影の世界に。
終盤、ノラはヘソンに告げます。
あの頃のナヨンはもういない、と。
でもあなたの中には12歳のナヨンがいる、と。
「次の一歩を踏み出して」ではなく、虚像への回帰を促すところも恐怖。辛いっす。
みんないい人、みんな良識ある大人すぎて、正直しんどい
久しぶりに等身大で共感できる大人のラブストーリーに出会い、観終わって今もまだ胸がドキドキキューンとしています。決して多くはない自分の恋愛経験が、記憶の奥からそっと顔を出し、映画の出来事とリンクします。結ばれなかった初恋は、いつの日も一番美しい思い出です。あの時、あの彼ともし結ばれていたら?なんて妄想が止まらなくなり、映画の余韻とあいまって、美しい初恋の迷宮に迷い込んでしまいそうになります。危ない危ない…帰ってこ〜い、自分🙄
さすがにアカデミー賞で評価されただけのことはある見応えのある映画でした。登場人物は、ほぼ3人。派手な演出シーンもありませんが、計算されたシーン割、カメラカットなどにより、洗練された大人の物語を終始、上品に自然に演出しているのがお見事!!
自分が主人公でも、多分あのラストでヘソンを選ぶことはできなかったと思います。旦那さん超絶エエ人すぎるんやから…。せめて旦那さんが、ほんの少しでも悪人であってくれたなら、ヘソンもキスくらいはできたでしょうに…それすらも許されないとは、なんとも切ない…🥲
切ないぞーーー😭😭😭
みんないい人
みんな良識ありすぎて、正直しんどい😓
ヘソン、そこでガッとキスしろ〜
奪い去って、タクシーに乗せろ〜
なんて心の中で叫んでいたのは
私だけでしょうか…
初恋は、叶わないから美しいなんて言いますよね。実際はほろ苦い思い出の方が多い気がしますが、時間とともに美しい部分だけが切り取られてたりしますよね。
いつまでも忘れられないし厄介です。
イニョン(=縁)
東洋的哲学、輪廻転生を主題に盛り込んだところも、西洋の人たちにとっては新しい感覚であったかもしれません。
前世(= パスト ライブス)で縁あるあなたと
今世でも出会い、そして別れた
来世こそはと願う
イニョン(=縁)あるあなたと
また出会い、そして人生をともにしたいと
あなたがもし鳥ならば、
それを止める枝になりたい。
あなたが、もし花ならば、
それを咲かす大地になりたい。
あなたにも来世で会いたい人はいますか?
理解ある夫くんによって成り立つメロドラマ
アカデミー賞作品賞・脚本賞ノミネート、加えてレビューサイトでの評価も高いのに、個人的には全くと言っていいほどはまらず落胆してしまった。これは私の理解力や知識の及ばない部分があるのかとパンフレットを買って読んだが、冒頭のバーで3人並んだシーンが監督の経験に基づくエピソードだと知り、余計に無理な感じになってしまった。
心が揺れるシーンがなかったわけではない。好意的に観て、感動する人たちがいるのも想像はつく。そんな方たちには、私の感想文はお目汚しになるでしょう。すみません。
昔ちょっと好きだったあの人と、今は離れてしまったけれど、あの時ああしてたら2人はどうなっていただろう……ここまではありがちな想像だが、その後、十数年おきに実際に接点が生まれ、30過ぎてからあんなジリジリくるような邂逅を経験することはなかなかないだろう。本作は、大抵の人の中で ”if” のまま消えてゆく想像を具現化したファンタジーでもある(監督は体験したようだが)。
24歳の時のオンラインチャットの終盤、ノラはヘソンに会いたい気持ちを募らせて、ヘソンに対しても自らそのことを伝えた。だが、自分は韓国に行けない、ヘソンがNYに来てほしいと言い、ヘソンが来れないことがわかると、連絡を取るのをやめると言い出した。
そうしないと韓国に行くことばかり考えてしまって、アメリカでの作家活動が大事な時期なのに疎かになってしまう、ということなのだろう。ノラはこの時点で、ヘソンへの気持ちと自己実現への道を二者択一と捉え、後者を選んだ。
会いたくて韓国行きのことで頭がいっぱいになり、相手のヘソンもまんざらでもないのだから、行動的なノラなら、ここで後顧の憂いのないよう互いの気持ちをはっきりさせるやり取りも出来たのではないかと思ってしまう。あるいは、トンボ帰りでいいから会いに行って話し合うことくらい出来なかったのだろうか。
しかし実際は、互いの恋愛感情さえはっきり口にせずもやっとしたまま。先に会いたいと口にしたのも、無理なら連絡を断つと決めたのもノラだったのに、ヘソンが提案した1年を過ぎても彼女は連絡を再開しなかった。
結局、2人のイニョン(縁)は本質的にはここまでだったのだと思う。
36歳になり、彼女と別れたからといきなりNYまでノラに会いに来るヘソンにも若干もやっとしたが、ノラの一連の行動が私にはちょっと無理だった。
昔なんとなくいい感じの間柄ではあったが、互いの間で恋愛感情を明確にしていなかったから(個人的には、直接会えないなら連絡を断つというのは完全に恋愛感情だと思うが)、ヘソンは「友達」だ。夫に対しても悪気なくオープンにできる。アーサーなら、元カレでも2人で会うことを許したかもしれないが。
しかし、アーサーだって微塵の不安もなく2人の再会を見守っていたわけではない。彼の、ノラを信じたい心と不安感が静かにせめぎ合う様子がひしひしと伝わってくる。
そのせめぎ合いの緊張感は、3人でバーカウンターに座った場面でピークに達する。真ん中に座って、最初はアーサーとヘソンの通訳を務めていたノラだが、やがて完全にヘソンの方だけを向き、アーサーに分からない韓国語で通訳もせず、2人の世界に入ってしまう。しかも内容は、なにもアーサーといる時じゃなくて前日2人の時に話しておけよというような、男女のセンチメンタルな会話だ。映画冒頭の描写では、アーサーは観光ガイドかなあなんて近くの客から言われる始末。そしてお会計はアーサー持ちである。
私は完全にアーサーに感情移入した。頑張れアーサー。
しかしこのシーン、監督の実体験であり、かつ夫をこのように描写しているということは、監督は自分の夫の疎外感も察した上で、このバーのシーンみたいなことを現実にやったわけですかね。なんだかなあ。
ラストの、Uberを待つ間に2人が向かい合うシーンは、短いが思わせぶりな緊張感が漂っていた。しかし、するのかいせんのかい……せんのかい! 結局意外な展開は何もない。
ヘソンが去ったあと、夫の前でノラが泣き出したのを見てがっかりしてしまった。今のヘソンへの愛というよりは、戻らない過去への感傷に近い涙なのだろう。でも、夫の前で泣くなよ。
こういうのは、「大人のラブストーリー(公式サイトより)」と言えるのだろうか? 私には、子供の頃の宙ぶらりんな淡い恋をあの歳まで消化しきれず引きずり、脱皮が遅れた人たちの話にしか見えなかった。
大切な人を不安にさせるくらいなら、自分の中に消化しきれない過去の何かがあったとしても、そのまま胸にしまって生きてゆくのが大人なのだと思っていた。ヘソンの気持ちに答えられないなら、早めにきっちり切るのも成熟した人間の思いやりだろう。
唯一、アーサーだけは大人だった。彼はノラの中に残る焼け木杭のようなヘソンへの感情に、夫として、また作家としての勘で、多分早い段階で気づいていた。そのことに内心不安や疎外感を覚えながらも、最後は泣きながら帰ってきたノラを、玄関先で待っていて抱きしめた。ヘソンの存在を彼女の一部として受け入れようとした。
この物語は、彼の寛容さなくしては成り立たない。ここまで包容力のあるアーサーこそ、ノラにとってイニョンのある男性なのではないだろうか。
もし、この3人の性別が逆だったら、つまりノラが男性だったら、現代においてこの話は美談たりえただろうか? その場合、女性を都合のいい存在として描くな、とか言われるような気がするのだが。
物語を彩るNYの風景が美しかったのが救いだった。
空虚な男の冒険と敗北
いろんな感想を評を読んでも、ああそういう見方があるのかとも思うものの、なにか自分とズレがあるような気がしてしょうがない。つまりは、観た人の数だけ解釈があるような、それでいて曖昧さから自由に受け取ってくださいというより、すべてが明確に描かれた結果だると思わせる強度がある。
自分にとっては、と、つい前置きしてしまうが、ヘソンという男の空虚さがアタマをまとわりついて離れない。運命の相手と再会さえすれば、自分と相手の心を揺らして、なにか人生を変えてくれるのではないか、そんなだいそれた望みをどこまで自覚しているのかわからないが、とにかく空っぽのままNYにやってきてしまった男。
自分の望みに自覚的で、夫との居場所も手に入れたノラにしてみれば、ちょっとノルタルジックでほろ苦いエンタメを消費するような気持ちだったんじゃないか。しかもヘソンとの再会がもたらしたのは、いま手に入れている生活への圧倒的な肯定である。そもそも過去しか差し出せないヘソンに勝ち目などハナからなく、ヘソンと自分の熱量の隔たりを思い知って、ノラは最後泣いたのではないか。少なくとも、自分を思うことしか拠り所のない平凡な男の人生のためにも、あの涙はあったのではないか。
さりとてヘソンが現状への満たされなさを埋めようとNYに来たのは間違いなく、ヘソンが空虚なのは自業自得である。しかしそれがヘソンの限界であると残酷にも描かれてしまっているからこそ、この映画には怖さがある。と、まあ自分にとってはそんな映画だし、人生を粗末にしてしまった男の悲劇として(も)、傑作だと思う次第です。
ふたつの名前
日本や韓国、中国人などアジア人がアメリカに移住すると「アメリカンネーム」を設定する人が多い。アジア人の名前はアメリカ人には覚えにくいし発音しにくいからだ。この映画は韓国人一家が北米に移住し、一家の娘がアメリカンネームを決めるところが冒頭に描かれる。
ノラと自身のアメリカンネームを名付けた彼女は以後、自分のアイデンティティをノラとして生きていく。考え方も生き方もアメリカに生きる女性として、彼女は成長していき、白人の夫アーサーもできる。韓国人の母親ですら、彼女のことをノラと呼ぶ。
そんな彼女を韓国名で唯一呼ぶのが、韓国時代の幼馴染の男性、ヘソンだ。24年振ぶりに再会した2人には不器用だけど、あたたかな時間が流れる。アーサーはノラとヘソンの間にある強い何かを感じで疎外感を覚える。
名前は重要なアイデンティティだとすれば、彼女の韓国名ナヨンを知るヘソンは、彼しか知らない彼女のアイデンティティを知っていることになる。
作中では、縁(イニョン)という言葉で愛とは異なる特別な絆が説明される。カルチャーの違いと乗り越えられない何かがありながら、それとは別に生活のレイヤーがあり、そこにも手放せないものがある。とても上質なすれ違いのメロドラマ。
エンドクレジットでは主人公の名前はノラとだけ記載されていた。彼女はこれから一生ノラとして生きていくのだろう。ナヨンはヘソンの心の中にだけ生きるのだろう。
人生を経るにつれ熟成され味わい深くなっていくであろう名作
ふっと溜息がこぼれるほど味わい深い作品だ。人生は刻々と移り変わる。でも初恋どうしの二人はなかなか再会できないーーー。ソン監督の半生をベースにした本作は、韓国生まれで現在はNYで暮らす主人公のアイデンティティを表情豊かに映し出す。おそらく彼女は昔と今の自分は違うと強く意識しながら生きてきたのだろう。確かに文化や環境はその性格を逞しく変えた。だが一方で、彼女にとって初恋相手ヘソンは、封をしていた記憶や感情をゆっくりと思い起こさせる存在でもある。二人が辿ってきた人生。そして今この地で巡り合う縁。心象を彩るNYの街並みが壮麗なカメラワークによって映し出され、感情と思考が散りばめられた脚本は一言一言を噛みしめたくなるくらい洗練されている。男女の台詞にこんなに魅せられたのは『ビフォア・サンライズ』以来かも。極め付けは夫役のジョン・マガロだ。柔らかな口調と佇まいにこちらも思わず頬が緩みっぱなしになった。
三人の表情の翳りに感じ入る
とほほ
12年も(自分の)彼女を
振りまわした挙句に別れ、
既に結婚してる
大好きだった
幼馴染に会いに行くとは・・・。
しかも、
夫の隣での韓国語での2人の会話や
最後の別れの後の泣きながらの帰宅など
夫の立場を考えると
正直キツい。
それほど好きなら
なぜ12年も
放置しておいたのか。
ノラの思わせぶりな
態度や言葉も
私には理解不能。
2人にとっては
甘酸っぱく美しい恋物語であっても
周りの人のことを考えると
引いてしまう物語。
切ない気持ちを持ち続けるのが人生です
登場人物みんなが移民のように居場所を求め合う。ディアスポラ(移民)映画の傑作。
少しネタバレかもしれないですが、、、
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恋に破れたのはヘソンですが、なぜ泣いたのはノラだったのか。その答えは、ノラが別れたのが単にひとりの男性ではなく、「韓国人としての記憶と幻想」そのものだったからではないでしょうか。文化、言葉、そして故郷。すべての記憶が、ひとつの別れの中へと集約したラストシーンは2024年に製作された映画のなかでも最高に素晴らしい!
かつての映画(日本や韓流ドラマでは依然として存在するが)であれば、ノラは“夢の女の子”として、悩める男性を導く役割に押し込められたかもしれません(映画用語で「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」というらしいです)。しかし、この映画のノラは違います。彼女は韓国からトロント、そしてNYで自分の居場所を確立し、愛する人を見つけ、自らの言葉で思考し、意思を伝えることができる現代の移民女性として存在しています。それがこの映画が移民大国アメリカで評価され、オスカー候補になったのでしょう。
撮影監督のシャビエル・キルヒナーは、心の距離感を余白で表現し、「時間」の流れを表現したラストの横スクロールのカメラワークは切なくて美しいと思いました。
NYでは「だれも気にしていないから」と泣くことをやめたはずのノラには、抱きしめてくれる相手がいて、ヘソンにはいない。ヘソンも自分の居場所を求める移民なのかもしれないなぁ、、、と思いました。
島国の日本人には絶対に作れない作品だなぁ~と物思いにふけました。
後悔先にたたず
終始付き纏った思い、
ヒロインのノラ、イメージに合わないし、
12年後となりどんな素敵な女性かと期待した。
どう見ても40過ぎにしか見えない。
顔も黒くてイカつい。
若い子のような振る舞いに演技しても合わない。
幼馴染のヘソンは幼い頃の恋心で
内面に惹かれたのだろうが、
探すほどの執着する理由がみつからない。
さらに12年後となり容貌と合致して来た。
ノラは🇺🇸人男性アーサーと結婚していた。
そこヘソンがやって来る。
NY観光しながらいろいろと話す。
帰る前の日、ノラの家を訪れる。
やはり恋敵の夫を見ておきたかったのだろう。
人となりや彼女への想いがどれだけか
探りたかったのだろう。
直ぐにいい人とわかるアーサー。
つけいる隙は無いと思ったのだろうか、
アーサーもいるのに二人でばかり話し込む。
タクシーが来る場所までノラと二人きりで
話す。
チャンス❣️
あの時こうしていたら、ああしていたら、
とタラレバを繰り返し、
来世のことも言ってしまうヘソン。
ノラが家にたどり着くと待ちきれない
アーサーが家の前で待つ。
抱擁する二人。
ノラへの違和感が80%を占めたという感想。
すれ違いとめぐり逢いを繰り返す、3つの世代にわたる、大人のラブストーリー。
冒頭。
誰かに見られながら関係性を噂されている風変わりな組み合わせの三人。
最後に、第四の壁を破るがごとく観客側を見るヒロイン。
子供時代での別れ。
いつもは戯れながらの帰り道なのに、この時は全く会話が無い。
そして真っ二つに別れた道で、少女は右へ階段を登っていく。少年は左の平地へ進んでいく。
分かりやすすぎるくらい分かりやすいメタファーで、更にクライマックスでの布石になってくる。
そして12年ぶりの再会。
決して若い年齢ではないが、そこまで老いてもいない。絶妙な大人のラブストーリー。
やろうと思えば、もっと激しく官能的なラブストーリーの、ドロドロな三角関係ものにも出来たところを、
真逆でこれほど爽やかな空気感で、ひたすらに抑えた抑えた映画にしているところが素晴らしい。
同じくやろうと思えばもっと長尺に出来たところを、本編106分という割とコンパクトにしているところもいい塩梅だ。
なんといってもノラとヘソンの、ただ互いに見つめ合うだけのシーンが本当に良い。
個人的には「ドライヴ」のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガンを思い出した(内容はまるで別物だが(笑))
タラレバの想いにがんじがらめに遭っているヘソンが、
「君は君だから旅立った。君が君だから僕は好きになった。そして君は去っていく人なんだ。」と、吹っ切れることで、やっと未来へと進めることができるヘソン。
別れることで、先に進む。
こんなに爽やかなラブストーリーがあったなんて。
これほど余韻たなびく映画はそうは無いのではなかろうか。
あえて深夜に、ゆったりと観たくなるような逸品である。
なお指摘している人もいるが、某有名監督の某アニメーション映画に近いところがある。
イニョンの三人
12年前。2012年。映画を見ていた。この年のBESTは『わが母の記』。仕事を辞めて次の仕事を探していた。
24年前。2000年。やはり映画を見ていた。この年のBESTは『スペースカウボーイ』。高校を卒業してバイトを始めたばかりだった。
…という記憶はある。もしこの時、運命的な出会いしていて、その想いを忘れずにいられるだろうか…?
ノラとヘソンの場合は…
24年前。12歳。韓国・ソウルに暮らす少女ナヨンと少年ヘソンはお互い惹かれ合う。が、ナヨンは家族と共にカナダへ移住してしまう…。
12年前。24歳。ナヨンは名前を英語名ノラに変え、NYで暮らす。ある時、オンラインでヘソンと再会。あの時の想いが蘇り、暫く交流続いていたが、再びすれ違ってしまう…。
現在。36歳。ヘソンがNYへ。24年ぶりに対面での再会を果たす。僅か一週間。思い出話や想いが再燃するが、ノラはすでにアメリカ人のアーサーと結婚していて…。
これがドラマチックなメロドラマだったら、アーサーが言っていた通りになっただろう。
が、ベタなラブストーリーにはならず。切なくも、しっとりと。24年の想いに浸る…。
ヘソンのノラへの想いは一途。
ノラも自立し結婚しているが、揺れ動く気持ちはあった筈。
が、再び巡り会った二人が結ばれないであろう事は薄々分かってしまうのだ。
そもそも二人は付き合った事など無い。昔、惹かれ合っただけ。
だからヘソンもヨリを戻すと言うか、僕の元へ…なんて気は無かっただろう。
ノラも夫を愛している。自分の人生を生きている。それを裏切るつもりなど無かっただろう。
だけどもし、出会いもあの時の行動も違っていたら…?
今とは違う運命があったかもしれない…。
誰もが思う“もしも”。
過ぎ去った事、もう取り戻せないもの、その時の自分の決断の結果だけど、“もしも”そう思わずにいられない。
それを感じさせる演出・演技が素晴らしいのだ。
ふとした視線、表情。何気ない会話や間。
NYの風景が本当に美しい。ちょっとした旅行気分。
幼い頃に家族と韓国からカナダへ。自身の体験を基に。カナダ系韓国人のセリーヌ・ソン。
繊細な演出だけど、情感たっぷり。デビュー作でこの手腕とは驚きの言葉以外見当たらない。
グレタ・リーの自然体の演技。秘めた中にも想い溢れるユ・テオの抑えた演技。
ノラの夫アーサー役のジョン・マガロがまた絶妙。
妻が初恋の相手と会う。久し振りだから、ほんの一週間だからと、反対しない。
妻を愛し信じ、裏切らない事に絶対の自信がある。
しかし本当は心中は、穏やかではなかったであろう。
バーで3人で。アーサーも少しだけ韓国語が分かる。だけど、二人が見合いながら韓国語でずっと会話してる時のアーサーの表情と言ったら…。
嫉妬とまでは言わないが、疎外感。
それはヘソンも同じ。少しだけ英語が分かるが、二人が英語で会話。自分が居ない二人の夫婦としての時間。
お互い気遣い、尊重し合いながらも、同じ女性を愛した気持ちとやるせなさ…。
ノラも一見自由奔放に見えて、二人の間で…。絶対に裏切りや間違いは起こさない。だけど積年の想いが…。
彼女もまたやるせないのだ。ちとネタバレだが、ヘソンを見送った後、流した涙。それは声を上げて溢れ出す。
登場人物は僅か3人と言っていい。アンサンブル演技と言うには少ないかもしれないが、素晴らしいケミストリー。
24年の時を経て、秘めた想いを。が、結ばれる事はなかった。これで良かったのだ。
そんな想いに後ろ髪引かれながらも、夫との今を。ヘソンを見送り家に帰ってきたノラを、アーサーは抱き締める。これで良かったのだ。
確かに切なくもある。が、誰が否定出来よう。
各々が選んだ道と今。
今結ばれなくても、来世なら…。
“イニョン”。韓国の習わし。日本で言うなら、縁や輪廻転生。
今出会えたのは、前世でも縁あったから。
その時は結ばれていたかもしれない。
現世では果たせなかった。
また来世なら…。
運命で結ばれたイニョンの二人は、出会いや別れを経て、いつか必ずまた巡り会うーーー。
現実を直視
勝ち気な女
相手を翻弄する女の人がいる。
じぶんは男だから、女の人は反発するかもしれないが、自由奔放でサクッと思い切ったことをする女の人がいる。
たんに男と女のちがい、ともいえるし、めずらしい現象でもないが、ナイーブな男は、そういう女に振り回されることがある。
映画はよかった。初監督となる新人だが日本の新人監督とは別物。しかるべき場所でしっかり映画を学んだ痕跡のある映画だった。事実あちこちで賞をとりアカデミー賞でもノミネートされている。(作品と脚本。)
が、ノラ役のGreta Leeには強気な女の気配が濃厚で、顔も性格の印象も伊達公子風で、是非はともかく苦手な女だった。
女心と秋の空というが「regretへ引き寄せられる気分」というのがあると思う。それは男にもある。なぜか本心にそぐわないことをしてぶち壊しにする。それは若気とも言えるが、名状しがたい気分でもある。
男女がいて、ふたりの理想があって、そこへ突き進んでいるときに、このままではいけない気分がこみあげてくることがある。とりわけ自律心が旺盛な人orストイックな人は、安楽モードに居るとき、むりやりハードモードへ軌道修正しようとする癖がある。
だから「わたしは立身したい、こんなんじゃだめだ、もう交流しないほうがいい」ということになる。映画でよく使われる活発な女の定番構文であり、この映画内にもほぼ同等の会話があった。
男には、離れたがっている女にすがりつきたくないというプライドと、すがっても拒まれてしまうのが怖いという臆病さがあって「きっと君が正しいと思う」と同意する。
そのとき学校帰りの三叉路がフラッシュバックして、そこからふたりの人生は別々になった。
やがて、月日を隔ててみると、まだノラはヘソンに想いがあって、とはいえ良人に不満はないが、とはいえじぶんの結果はなんだったのかと思って泣く。そうなることは解っていたし、自分が選んだ道だし、心は千々に乱れる。それが「regretへ引き寄せられる気分」。
人生には大なり小なり「regretへ引き寄せられる気分」によって本心とは別のことになっていることがある。誰にもあるであろう、後悔するのは解っているのに、やってしまったこと──がこの映画の哀感になっていてそれは大いに共感をおぼえた。
しかし映画の冒頭からしてテストの得点でノラがヘソンに負けたから泣くという、ノラの負けず嫌いをあらわす描写だった。概して負けず嫌いは一生ものの気質であり、よって映画の出来は確かだったがノラのキャラクターがじぶんの情けない過去や、気が強かったあの人、を思い出させるのが嫌だった。笑
imdb7.8、RottenTomatoes95%と93%。
最後の涙を受け止めたパートナーの心境はいかに
小学生の頃に親の転勤で離ればなれになってしまった幼馴染と大人になってからSNSで再開し、インターネット上で逢瀬を重ねる二人。幼馴染フィルタで思い出は美化されオンライン上でしか関係値を作ってないため良いとこしか見えてない二人。だけどやっぱり韓国とNYとでなかなかすぐには会えない二人は、連絡取ることをやめてしまう。
そして十数年後、既婚となった主人公はパートナーの許可を取った上で幼馴染の彼にNYで再会する。パートナーはもやもやしながらも彼女の大切な思い出の人だからと笑顔で見送る(さらには3人で会ったりもする)
なーーーーんかめちゃくちゃ気持ち悪い関係性でした。
若いときにときめいてた相手に今更会って、何を期待してたんですかね。昔好きだった気持ちとか思い出してどうするんですかね。てか昔そんなに好きだったら何がなんでも会いに行けばよかったのに。それもせずに今更とても大切な人…みたいな感を出されても…。いま大切にしてくれてる人との関係に誠実に向き合いなよと思った。
ひとつ良かったシーンは、韓国語がわからないアメリカ人のパートナーが「君が寝言を言う時はいつも韓国語/僕がわからない言葉で君は夢を見てる/それがまるで君の中には僕が行けない場所があるように感じる/だから僕は韓国語を学ぼうとした」と言うところ。めちゃくちゃ彼女のこと好きじゃん。なんていじらしくて愛らしいのか。
※ちなみにそれに対する主人公の返しは「(寝言なんだから)意味のない言葉よ」でした。終わってる。
時間は誰にでも平等に流れている筈なのに
12歳の時ソウルで淡い恋心を抱き合ったまま別れた二人が36歳になってニューヨークで再会するお話です。それだけを聴くと在り来たりのメロドラマの様ですが、誰もが心の何処かに抱いている「もしあの時、違った決断をしていたら」を静かに見つめる非常に上質な物語でした。
女性のノラは既に心優しいアメリカ人男性と結婚しており、夫も妻が幼馴染と会う事に理解を示しています・・いや、もしかしたら理解を示す振りをしています。そうした微妙な緊張感が漲る三人の間には、特別劇的な事は起きないのですが、言葉のないまま交わされる表情や無言の間(ま)に溢れる様な思いが語られ尽くします。
タイトル「パスト・ライブス」は「過去の人生」の事ではなく東洋的な「前世」の事で、本作中では「縁」を意味する「イニョン」という韓国語(朝鮮語)が度々登場します。しかし、この映画は「前世の縁」ではなく、僕には「時間」の物語である様に映りました。
僕はしばしば感じます。時間は誰にでも平等に流れている筈なのに、自分の周りだけゆっくり、又は足早に、はたまた歪んで流れていると感じるのは何故なのでしょう。時間はいつも素知らぬ顔で僕の傍を歩き去り、気づいた時には遠い後ろ姿です。本作中の三人の心の中に流れる時間もそれぞれに熱くうねっています。その熱量は、マンハッタン計画の爆発より僕には強く感じられました。
終盤、男女二人がタクシーを待つ間の静かな映像は、「何かしゃべるのか、何か起きるのか、何か行動を起こすのか」の観る者のドキドキを喚起する濃密な時間でした。これこそ、「作中の人物と同じ時間を体験する」という、映画の「時間芸術性」を遺憾なく発揮した瞬間です。
わたくし、絶賛の一作であります。
全224件中、1~20件目を表示