セールス・ガールの考現学のレビュー・感想・評価
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新人だからなのか適役
どこにでもいそうで、いない女の子。まだ学生なのに2か国語を当たり前のように使えるのもビックリ!
更に素朴で化粧さえしていない感じがなぜか惹きつけられる。今どきの日本ではなかなか見かけない。ナチュラル過ぎて目元が、あれ?北村匠海? 一瞬だけどそう見えたりもして(笑)。
それでいて、おもちゃを販売することに恥ずかしさも躊躇もないなんて凄い設定だなぁ。
アダルトショップから出る時って、たとえそこがバイト先だからと割り切っていてもコソコソ、キョロキョロしてしまいがちなのでは?
しかもあんなに早い時間に店閉めて売れるというか、成り立つものなの?
夕方〜深夜に開けてるというイメージしかないのだが。
幼なじみ?に対して、突然全裸になって誘うところや、コン●●●をつけてあげるシーンは度肝を抜かれた。
滅多にないけど天井についたものを取る時は、アレではなくても普通は椅子を使うだろ?猿でもさあ…と突っ込みたくなる。また、ところどころ脈絡もなく進むシーンも映画っぽくなくて新鮮だった。
カティアの生い立ちと、それによって溢れ出てくる意味深い言葉や会話のやり取りに説得力を感じたのは私だけだろうか。脚本の力なのか、女優の力量なのか判別できないが、魅力的だった。
何気なく食事の時間に見ていただけなのに、オンデマンドで改めて最初から観てしまった。不思議な映画だった。
モンゴルの街で成長する地味な女の子。星3.5ながらある意味オススメできる。
一番の見所は主人公サロールがどんどん綺麗になっていくところ。
モンゴルという知らない国の街角で、不思議な魅力を持ったオバサマに導かれて成長、変化を遂げる、またオバサマも変わっていくという普遍的なストーリー。
慣れない文字、ロシアとの距離感、キノコ売りや少しだけ映る草原等、他の映画では感じない新鮮さがあります。
基本的にはカティア(オバサマ)とのやり取りがコアなシーンです。
煽情的な衣装に着替えてひとりで挑戦するシーンや、男の子を家に入れて天井が汚れちゃうシーンもハイライトシーンです。
植樹のシーンと、最終盤の主人公が好きなことを始めた姿も好き。
バンドのアップが入る演出はユニークではあるが謎だったのと、ピンク・フロイドに込めた想いが分からなかった。
モンゴルのイメージが変わった
普通の、何ならちょっとダサい部類の女子大生が、骨折した同級生に頼まれて代わりにバイトをする。それはアダルトショップで、オーナーのカティアとの出会いによっていろいろな内に秘めた感情を開放していく話。
親ではない他人の大人との会話によって成長していく様は少ないセリフの中でも見事に表現されていて、主人公のサロールはどんどん綺麗になっていった。どことなく宇多田ヒカルを彷彿させる黒髪と口紅をしない肉厚な唇が魅力的だった。
カティアとサロールがドライブするシーンで道の両脇には広大な土地が広がり、道路には椎茸売りが何人も立っている。そこでカティアは少女から1日の売り分の椎茸を父親の分も全部買い取り家に帰してやる。その後、カティアとサロールが大地に寝転がりふざけて会話して椎茸を投げ合う何ともいいシーンなのだが、挿入歌の歌手が出てきて歌い出す… ちょっとそこはいただけなかった。最後の最後に、サロールがカティアに貰った真っ赤なスカーフを巻いて歩き去るいいシーンでまたバンドが登場して歌い出す… あれはいったい何なのだろう。ま、ああいった演出がアートムービー感を出しているのだろうか。
以前一度観たモンゴル映画は遊牧民の話だったので、近代的な(首都だから当たり前か)生活で自分の無知さに驚いた。
バヤルララー♥ スパシーバ♥
ピンク・フロイド 『狂気』
『虚空のスキャット』大好きな曲。
初めて聞いたのは高校一年か二年の頃、オジキに聞かせてもらった。
このお話は自分らしさを取り戻せた少女のお話として見れば良い。
そもそも、原子力工学なんて。
ウランバートルの街にはちょこっと郊外に火力発電所がある。モクモクと煙をはいて、発電をしている。原子力に変える気配は全く無い。彼女の決断は間違って無い。絵画を習った方が無難。
2024年8/23 19時30分開演でモンゴルとフラメンコギターのコラボのコンサートをウィーンで聴いた。
知っている曲が一曲あったが、45分位で終わった。良かったんだけどね。残念。
眉毛は大事
華やかで経験豊富で奔放で、それでいていくつもの傷を持っているアダルトショップの経営者カティナ。
地味で自分を抑えて真面目に暮らすサロールがカティナと時間を過ごす中で変わっていく。
サロールの内面の変化はちょっとした行動や仕草で示されていて正直なところわかりにくいが、外見の変化に全てひっくるめて表現されていく。
派手に劇的に変わったわけではないのに、ほんの少し(に見えるような!)のメイクや服装、表情の変化で、後半は垢抜けてものすごくかわいい。そうそう、この年頃の女の子の成長ってこんな感じ!と納得。
何を考えているかわかりにくくても、しっかりゆっくり変わっていく。
カティナは眉毛はしっかりメイクアップされているけど、猫を拾って寂しさを埋め、家でフィギュアを組み立て、文学に親しむ愛すべき人物。
サロールの嫌な記憶を2人で笑いながら文字通り葬るシーンが、好きだった。
誰かと一緒に嫌なことを笑い飛ばして、人生は彩られていくんだと思った。
主題歌を歌うバンドのメンバーがところどころ出てくるシーン、2シーン目でやっとわかった。
バスのシーンはフラッシュモブみたいなことかと思った。
ウランバートルなう
タイトルがいまいちピンとこないけどこのタイトルで、モンゴル映画だと見たくなるってことでは成功か。
モンゴルって不思議な国。
放牧やめて何年??
みたいな会話があり、割と最近でもそうなのかとおもう。
大学生の暮らし振り、モンゴルでもなんとかなりそうだけど海外に行けばもっとなんとかなるって幻想いだくなんとなく欲求不満な男の子、俳優志望?絵??て感じのこちらは今どきの毛ウランバートル都市っ子なのか。犬が異様にでかいのもなんか放牧生活に欠かせない犬種なのか、、、
最初のバナナのシーンが良い。バナナの皮ですってんころんで骨折するのが主人公ではなく、対して友達でもない大学メイト、その子のアルバイトを代理でやって、という話の始まりがよい。もっさりした自己主張ゼロの主人公の女の子だが、モンゴルロックをいつも聞いて、内に秘める何かがありそうで、バイトから世界がわあっと広がっていく。
彼女の家はまだ放牧の記憶も新しそうだ。
バイト先のボスの女性が美しく金持ちで、奔放で、おおらかで、バレリーナで、ロシア贔屓で、ソ連時代のモンゴリアンエリート、過去を生きる。
放牧の記憶もありながら、ソ連時代(街並みがなんとも言えずソ連。)とは違う、新しいモンゴルを生きようとする若い大学生が可愛い。
バレエエリートだろうが大学生だろうが、モンゴルであろうとも女性は常に差別され危険と背中合わせなんだけど、そのことにぶち当たることもあるんだけど、それとは違う、人としての性愛への暖かいこだわりみたいなもの、料理やキャンプなどと同じように暖かいもの、
美しいおばさんが見せてくれた数々の人生の宝物。
もっさり大学生はどんどん垢抜けて可愛く、強くなり、自分の人生を見つける。
ローカルロックを聴いてタバコをすって。モンゴルは今も良い時代なのかなって羨ましい。
♪いいえ私はさそり座の女♪
私事だが、主人公の女の子が、高校時代に部活の後輩にソックリで、凄く興味を頂いた作品である 狸顔で決して美人とは言い難いがしかし愛嬌と誠実さを画に描いたような娘で、まるで"妹"という完成形を具現化した存在だと思った
そんな妹がひょんなことことから1人の"大人の女性"に変わっていく成長譚+なにやらMVみたいな劇伴が差込まれる変わった作品である 雰囲気自体は興味深いことに邦画に親近感が得られるのだが、モンゴル語の発音がフランス語に近い感じであり、何より、ユーモアが日本人に馴染む、面白いプロットである 理屈っぽい格言のオンパレードも、ヨーロッパ経由邦画っぽいし、でも日本人に顔は似ている、その不思議な距離感とある種の郷愁感さえ思い起こさせる画作りにのめり込んでしまうのである それは主人公の女の子の力そのものに他ならない
モンゴルでは多分相当のレジスタンスがあったであろう、ヌードや濡れ場を果敢に攻めた演技、パフィーニップルという、正に大人に成る前の少女の体型を持ち得たバスト、そして、演技の時間軸に沿った成長、どれをとっても彼女にしか成しえなかった作品であることは明白である
もし、日本人で誰がイメージとして相似かといえば、岩崎恭子をイメージした "天才少女"という冠詞を付けるに相応しいと断言するのは私だけだろうか?
彼女に、70年代アイドルの風を感じ取れる、現時代のモンゴルの奥深さ、驚異とすら感じさせられる映画であった
アダルトグッズにバイアグラに バナナにキノコにと男○のオンパレード...
アダルトグッズにバイアグラに
バナナにキノコにと男○のオンパレードですね
しかしそれはエネルギッシュのシンボルでもあるのです
お固くてボンヤリの主人公がハジケ過ぎだろ!とは思いましたが、モンゴルの草原の中でも目指せ肉食系!ってことですかね
成長映画
主人公が成長する映画だったね。
主人公の女の子がどんどん垢抜けてくの。
それで最後は原子工学専攻をやめて、絵画の道に進むのかな。
でも折角だから、原子工学も専攻しておいて、絵画もやるみたいな道でもいいのにと思ったよ。
【”考現学:現代の社会現象を研究し、現代とは何かを思考する学問。”或る女子大生がアダルトショップで働くうちに様々な人と出会い、人間的に成長して行く姿を描いたモンゴルのイメージを一新する作品。】
■バナナの皮で滑って足を骨折した大学の同級生の代わりに、アダルトショップの店員として働き始めたサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)。
大学では原子力工学を学ぶ彼女は、接客やグッズの配達もし、オーナーのカティヤ(エンフトール・オィドブッジャムツ)に売上金を届ける。
*私が、殆どのレビューで役者名を書くのは、PCが名前を覚えるからである。このお二人の名前を又、書きたいモノである。
◆感想
・人生経験が物凄く豊かで、器の大きいカティヤに触発され、手入れをしていなかった“ボーボー眉毛やもっさりした髪を整え、ドンドン綺麗になって行くサロールの姿。
ー サロールが、”自分らしく生きること”を実践していくのである。-
・アダルトショップって、行った事ないんだけれど(誰も、信じないだろうが。)陳列物にツイツイ目が行ってしまう。
ー 女性客がディルドを購入する際に、”大きすぎる””小さすぎる”と言うシーン。可笑しいのだが”何センチが妥当何ですか!”と思った私は、阿呆でしょうか?-
・恥ずかしそうにバイアグラを買う男性客の姿や、一々、サロールに”これ、何なの?”と聞く男性客のおバカさ。だが、サロールは淡々と答えるのである。
ー 私も、”え、そんなふうに使うの!”と興味深々・・。阿呆です。”-
■笑ったシーン幾つか
・サロールが、カティヤの言葉に反発し、毎日一生懸命に働いている両親のお茶にバイアグラを入れちゃうシーン。
ー そわそわと幼子をベッドに寝かしつけ、そわそわと部屋を出ていく二人。夫婦の営みは大切ですぞ。-
・サロールが、シニカルに決めているジョンスの犬にバイアグラを上げちゃって、犬が居なくなり、申し訳なく思ったのか、サロールがジョンス君を部屋に招くシーン。
”コンドームを付けて”とお願いするサロールに対し、ジョンス君、薬局に行こうとするも、サロールが落ち着いてバッグからコンドームを出して付けて上げようとすると・・。
ー 凄いなあ、若いな、ジョンス😃。天井までは行かないぞ、普通。
さては、”チェリー・ボーイ”だな!
そんな姿をサロールの両親に見つかって、固まる両親。場内爆笑であった。-
■モンゴルは、且つてのゲルでの遊牧民の長い歴史があるため、家には呼び鈴が無いという話は聞いていたが、ホントにないんだね。”ドンドンドン!”
■劇中に流れるモンゴルロックの格好良さや、色彩の美しさにはビックリ。監督のセンスなんだろうな。
・カティヤもかつて、我が子を流産した経験を語るシーンは沁みたなあ。
ー そういう、経験をしているから遊牧民の親子から大量にキノコを購入して上げるんだね。-
<今作は、私のモンゴル韓のイメージ
ー 広い草原、遊牧民、牧羊、ゲル、馬乳酒 ー
を一気に取り放った映画であり(センゲドルジ・ジャンチブドルジ監督の意図だそうである。)、一人の冴えなかった若き女性が、様々な人たちと交流する事で”自分らしさって何だろう”と考える姿を描いた、素敵な作品である。>
■エンドロール後に流れた、カティヤが片手でコンドームの袋を開けてコンドームを蝋燭に装着する離れ業は、吃驚である。
今度、やってみようっと。阿呆です・・。
ワンダーウーマン、カティア!
冒頭、ゴミ箱に入りそこなったバナナの皮に胸がときめいた。バナナの皮ギャグから始まるんだ、この映画は!バナナの皮ギャグほど単純で笑えるものはない。そのあと何が起こるの?どうなるの?とワクワクした。そうしたら!なるほど!サロールがセックスショップでバイトせざるを得なくなる状況への導入なのでした!それがバナナ!人生、何が起こるかわからない。
表情が暗くて幼くて地味で口数少ない女の子サロールが、年上の海千山千のお節介で感性豊かなインテリ女性カティアに出会った。セックスショップのアルバイトとオーナーという立場で。咳き込んでいた自分に気がつき薬を持ってきたサロールに見込みあり!とカティアは思ったのか。この鈍くさい女子学生に伝えたいことが山ほどある!と思ったのか。何かとカティアはサロールを誘う。食事したりドライブしたりキノコを山ほど買ったりダンスをしたり釣りをしたり地面に穴を掘って嫌なこと埋めたり。そのあいだの二人の会話はすれ違ったり、ぶっきらぼうだったり思い込み激し過ぎだったり人生の真実だったり。苦しみを知ってるからこそ幸せが何なのかわかる、と、女同士の会話は困る、男との会話のが気楽でいい、この二つのカティアの言葉に私は共感した。
ゲジゲジ眉毛のサロールはだんだん変わる。重苦しい髪型が軽やかになり、少しメイクするようになり、おでこもちゃんと出す。そして自分が一番好きで勉強したかった絵画に進んでから表情豊かになり自分に似合う色とスタイルを見つけてカッコ良くなる。何より笑顔が素晴らしかった。
台詞は少なく映像や表情になるべく語らせている。音楽の入れ方もシュールで面白い。都会ばかりのシーンの中で、広くてずーっと平らな草原の地平線や釣り糸を垂れる流れが速い川と木々に美味しい空気を吸ったような気持ちになった。
モンゴルのお家に呼び鈴はなくてドアをノックするのかー。どっしりした木製ドアを叩き続けるのは手が痛くなりそうだし家の中の人にちゃんと聞こえるのかなあ。原子工学の先生も美術学校の先生もカティアもサロールのママも、中年の女性はみんなぽっちゃり体型。地に足がついていて辛さも幸せも知ってる感じで頼りになるあったかさを感じた。サロールもそうなるのかな。いろんな経験を経てサロールの未来に幸がありますように!
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