世界の終わりからのレビュー・感想・評価
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構想は嫌いじゃない
世界の命運が1人の女子高生に託されている。少女の見る夢が世界を救う鍵になる。
この構想自体は面白いと思うし最初の掴みはとても良いと思う。
ただ観ていくうちにどんどん物語の壮大さに他が追い付いていない感が出てきて気持ちが離れていく。
安っぽいセットや限られたロケ地で見栄えがしない。
後半はもうほぼ興味ない状態で流し見していた。
韓国のアスダル年代記というドラマがあったけれど構想的にはそれに近いものがあるように感じるので、あれくらいお金をかけていたらまた違った作品になったと思う。
あと日本でこの手の作品を作るなら実写よりアニメの方がまだ一定の層にはウケた気がする。
点つけたくないくらい酷い
昭和の劇画かよ、ってくらいありえない繋ぎが多すぎて、物語に全くリアリティを感じない。
オマージュの部分があるが、あからさますぎる。
そして絵、いつも機を衒うようなカットやビジュアルを狙ってる、、とても美しくない、というか汚い。
合わないねー、この人の映画は。
世界には救う価値があるのか
主人公(伊東蒼)は女子高生、親を事故で亡くし、祖母の介護をしていたが、死去。
貧乏と人間関係で絶望の毎日を過ごしていた、あるとき胡散臭い男から、君の見ている夢を教えてほしい、と頼まれる。
このままでは世界はもうじき終わるが、自分の夢が世界を救う鍵になっているらしい。
こんな世界、救う価値があるのか、と悩む主人公だが、私も・・・。
期待通りの残念な作品
ストーリーの着想もキャスティングも映像もいいのですが、脚本や細かい演出がいつも通り雑で、いつも通り残念な作品でした。もう少し力のあるスタッフがいれば素晴らしい作品になったと思うのですが…。そうは言っても寝ずに最後まで見切ることはできたので、見応えのある作品であることは間違いないと思います。
ちなみにタケルくんの杖は逆です。万引家族のリリー・フランキーもそうでしたが、怪我している方で杖持ったら歩けません。この辺の詰めが甘いのもスタッフが貧弱なことを表していると思います。
ファンタジーとして描きつつ終末を描くには異端な作品
終わって振り返ってみると、すごい作品だったなと…。夢と現実の交錯を地獄の淵で観ながら、思わぬところに連れて行ってくれる。ブルブル心を震わせてくれる良作。
前評判の良さとキャスティングに惹かれて鑑賞。相変わらず幸せになれない伊東蒼さん、今作も凄いです。ダイナミックに見える世界観を確立しつつ、同時に彼女が生きる最小半径が息苦しくも描かれていて、トーンがズッシリと響いてくる。それでいながら、彼女が世界を救うことになると言わんばかりに大人が振り回すのだから面白い。「いやいやそんな…」と考える間も無く話が進んでいくので飽きが来ないし、何より次第にそのファンタジーに惹かれていく自分がいた。
若干踏み込んだレビューになるが、名を連ねている人たちの使い方もまた妙で不思議な感覚がある。夢と現実の中、過去と今、未来を繋いでいくことに無謀さを感じさせない多彩なギミックが引き込まれる。高橋克典さんも政治家似合うし、あの顔もたまらない。一貫して、人間の在り方を突くように切り込む作風は、万人に理解されにくい側面を持つものの、多くの事を考えさせる本質にぶつけ、揺るぎない作品のバランスを生み出している。良くも悪くも。その行き過ぎた感覚こそ研ぎ澄まされていて美しい。
主演は先述の通り伊東蒼さん。脇を固めるキャストも豪華で、夏木マリさん無くしてファンタジーなし。そう言わしめるほど完璧。また、チョイ役で宮﨑優さんに中村守里さんが出ていたり、細かな点も嬉しかったり。
結構最後は泣かされた。「変わらないことがあるとすれば、皆変わっていくってことじゃないかな」Mr.Childrenの『進化論』を思い出す。愚かで過ちを繰り返す。自分だけが良い世界で、彼女が世界の終わりから伝えるもの、それが何より生きる希望に私は感じた。
桐谷監督の美意識が徹底して貫かれた作品
紀里谷監督作品は実はこれは初めてだったけど、色彩、照明、レイアウト、カメラワークにこだわりの美意識が貫かれていて、好みの映像だった。
役者も皆良かった。
主演の伊東蒼以外では、朝比奈彩が特に良かった。
中でもトイレのシーンはマジでちびりそうになるほど痺れた。
リアル湯婆婆の夏木マリの貫禄もさすがである。
脚本は正直「ん?」と思う場面が何度かあったが、それを理由に切り捨ててしまうにはもったいない魅力がこの作品にはありますね。
少女が体感し望む先にあるもの
人が望む世界。
その世界の運命を握ることになる少女の想いの物語。
幻想的な表現やオカルト的な雰囲気を醸し出しつつ世紀末が訪れる世界を描く。
その世界で何を望むのか?力を持たぬ少女の眼を通し、その少女がその運命を握ってるとしたらどうしただろうか?
その問いを自問自答の様に描き、人間の持つ残酷な面を突きつける。人間の恐ろしさ弱さを多く描くことで、望むことの難しさを痛感させられ少女は選択するのだが、その逆も見せ(描き)苦悩する姿が欲しかった。
そしてその先に少女が何を選択するかを観て観たかった。
アニメで作った方が良かったかも
設定はそこそこ面白いとは思いますが、日本でこういった作品を実写で作るとチープな感じがしてしまいます。たとえば、夏木マリが演じるキャラや傍にいる得体の知れない小人達。それから、全人類の運命を託している少女にボディーガードがたったの1人など、とても稚拙に見えたり、リアルさに欠けるところがあり、せっかくの面白みが半減してしまいます。ですので、日本でこういった作品を映画にするなら、実写よりアニメで作った方が、より説得力のある作品になったのではと思います。
それから、これは気にし過ぎなのかも知れませんが、映画アジャストメントに出てくる全人類の運命が書かれた「運命の書」、マイノリティレポートに出てくる「3人の予知能力者と予知の結果出てくる色のついたボール」、千と千尋の神隠しの「湯婆婆」、オブビリオンのような世界観などなど、何処かで観たことあるような設定やキャラが多く、観賞中に気になってしまいました。
スタイリッシュなのにキモ部分の発想が古臭い
世界観が中二病みたい。
スタイリッシュだが、キモの部分の発想がなんか古臭い。
色々詰め込んであるがおかしな所が多い。2030年に行政があんな暴走するのか(しかもわかりやすく!)
また、ユキはなぜ、アジアの少数民族みたいな衣装なのか? マルチバースと言いたいのかもだが、他の人たちが日本の戦国時代みたいなのにそれ必要?
人の過去未来を記した書物が何なのか、ハナの血筋(の女性?)が代々担ってきた「輪廻師」とは、「無限」とは何か、分かる場面がないなど、枝葉のことは過剰なくらい言葉で語るのに肝心なところの説明がないのでフラストレーションが溜まる。
世界の終わりが「核戦争」というのは古臭い。
ハナの現宇宙で起きていることは、ユキの凄まじい恨みの思念から始まったのでしょうか。
ユキ、ハナ、ソラ、と、名前が自然のもので共通しているのは、「輪廻師」の役目を受け継いだ者ということだろうが、ハナ(とタケルの犠牲)に導かれた(輪廻師の役目?)ソラが、発端となるユキの悲劇を防いだので、歴史が変わったというマルチバースの話だったようです。
ラストは「無限」と「ユキ(多分)」に元気に手を振って見送られ、ハナはハードな宿命から開放された、運命を記した書物も「輪廻師」も夏木マリの湯婆婆も存在しない、違う宇宙で生きている、いうことだろうが、新鮮味がなく、やっぱり古臭い感じがする。映画のキモ、一番肝心なところなのに。
(でも、映画としては好き)。伊東蒼、熱演!
荒唐無稽な話の中に
リアルをみる。感じざるを得ない。
こんなふうにファンタジー風にしてしまわざるを得ない人、作風なのかなとも思う。(監督のことは名前と評判くらいしか知らない)
この作品、ストーリーはぶっちゃけどうでもいいと思う。
実際には大なり小なりこの世界はこのようになっていて、日々そのために命を削り落とし神経をすり減らし、カツカツでやってくしかない人らがたくさんいて、多くの勘違いした傍観者や同調野郎がいて、本当のことを見よう知ろう変えようとと思う人はとても少なくて、バカにされるか絶望する。世界の終わりまで行けたらいいのにね、とか思ったり。そこまで行き希望が見えたらよい。そこまで行かなくても希望が見えたらなお良い。
なんで私?!と戸惑いながらときにへたれな、ときに力強い選択肢をして前に進む(進まされる)主人公がよい。
女子どもだからバカにされる世の中。
今の終わってる世界を下世話に象徴する官房長官。
全てのパーツがほんとのことよね、て思うから、ファンタジー必要。
ザ・セカイ系! まどマギのごとく追い詰められてゆく伊東蒼の天才的演技を御覧じろ!
紀里谷和明監督のラスト作らしいし。
『さがす』での伊東蒼の演技にはマジでシビれたし。
映画の世評自体も、なかなか高いみたいだし。
あと個人的に、紀里谷監督のような「いけ好かないイケメンなのになぜか不器用な」「いきがって理想を語っては一部の反撥を食らってしまう」タイプの人間は、なんだか無性に応援したくなるので、まだ上映している間に観に行ってきた。
うーん、どうなんだろう。
褒める気まんまんで観に行ったので、あまり悪口は言いたくない(笑)。
こういう個性あふれるオリジナルを、監督個人の力で頑張ってまとめあげたのは立派だし、「セカイ系」ジャンルの映画としても、ふつうに愉しめる映画だった。
2時間以上あるのにダレずに最後まで観られたということは、娯楽作としては「旧作より」面白く出来ていたということだ。
ただ、出来が良かったかと言われると、なんか困るね……。
ヴィジュアルセンスに関しては、間違いなく才能豊かだし、自分の色がある。
冒頭、鉄さびめいたモノクロで草原が映し出された瞬間に「ああこれ紀里谷監督の映画だ!」と分かるくらいに「彼の好み」が画面全体に行き届いている。
女性を魅力的に撮り、いい演技を引き出す能力も結構高いと思う。
ただいつも脚本が、もう一押しなんだよな。
セカイ系であること自体は構わないし、それを『エヴァ』っぽいとか揶揄するのはさすがに狭量に過ぎる。セカイ系はすでに「ジャンル」だ。
ただ対抗馬の多い人気ジャンルだけに、そのぶん新しさやセンスの良さが評価対象になるのも確かだ。
本作の場合、やっていることはよく言えば王道。
悪く言えばあまりに通り一遍だ。
女子高生の貧困ヒロイン。「夢見」の能力。
国家を操る呪術機関。対抗する不死の勢力。
いじめっこ。隣室の幼馴染。信頼できる警察官。
タイムリープ。いやボーン。地球滅亡の危機。
実は●●は○○でした……。
おおむねどこかで見たことのあるような、ギミックとガジェット。
たとえば、これが「ラノベ」だったら、所詮「ラノベ」だということで許されるんだろう。
「アニメ」であっても、お約束の範疇でたいして気にならないはずだ。
雨宮慶太が同じことを「特撮」の枠内でやっても、そういうもんだと思って、喜んで観ると思う。
でも、そういった「ジャンル感」補正を抜きで観るとなると、やはりオチまでふくめて若干陳腐な感じは否めない。
逆に紀里谷監督サイドからすれば、「王道」で何が悪い、といったところかもしれない。
彼はいつも「王道」エンタメを、自分色に染め変えて作品をつくってきたからだ。
『CASSHERN』では昔の懐かしアニメ。
『GOEMON』では懐かしの伝奇時代劇。
彼は、それらを「とんがったMVやCM風の洒落た映像とスピーディなアクション」の枠組みに流し込む形で「変容」させてきた。『ラスト・ナイツ』は未見だが、わざわざ日本が舞台の『忠臣蔵』のオファーを受諾後、監督本人の意志で西洋の騎士道世界に話を移し替えたらしい。
要するに、「昔からある王道のエンタメ」に、紀里谷監督独自の映像センスをまぶしたうえで、今風の映画に「換骨奪胎する」というのが、彼の創作術なのだろうと思う。
既存のエンタメを少し別の文脈にずらして再投入することで、新たな価値を生み出そうとする創作方法としては、意外と村上隆とかと似たタイプなのかもしれない(べつにけなしてない)。
で、今回の題材は、アニメやラノベの枠内で長く醸成された結果、既にある種の「型」が組成されている「セカイ系」だったということだ。
まあ王道なら王道で、細部まで考え抜かれた内容であればべつに良いと思う。
だが、微妙にかみ合わない部分が多いんだよなあ。あちこち。
以下、悪口っぽいので、読みたくない人は次の破線まで飛ばしてください。
― ― ― ―
何よりひっかかるのは、ヒロイン・ハナの女系家族が歴代「夢見の巫女」だったというのに、なんで組織は彼女を貧困生活に甘んじさせてきたのか、ということだ。
最近見つかったというのならわかるんだけど、親も同じ仕事してて知ってたって言うなら、泣きながらバイトしてるんだから陰からでも助けてやれよ、と。
だいたい、日本の法律では未成年者はまちがいなく「単身で」生活保護を受けられるし、在宅で受けられる奨学金だってあるんだし。
まして「真相」から逆算すれば、それこそハナを不幸の臨界点まで追い込んだら組織としては「絶対にダメ」だったと思うんだけど。
未来が書かれた本があって、それによって2週間後に世界が滅ぶってわかってるんなら、もっと早くから動けよともみんな思うよね。ハナが夢を観始めないと動き出せない、という理由もあるのかもしれないが、なんで彼女が夢を観始めたかもイマイチわからないし、それをどうやって組織が察知したかもよくわからない。
それと「夢に見た内容を伝えたら良い」という「任務」が、あまりに簡単すぎて大仰に騒ぐほどのことなのかって気になるし(報告くらいすればいいじゃん)、夢のなかの任務(手紙を祠に届ける)にしても、最後まで観ても「誰の書いたどういう内容の手紙をなんの目的で届けたか」が今一つよくわからない。少なくともユキちゃんが書いたわけではさすがにないと思うし、手紙の内容が「ユキちゃんの願い」だったとすれば、無限の連中が妨害しようとしている理由も、湯婆婆が必死で届けさせようとした理由も、曖昧になってしまう。だって届けさせたほうが無限の民の思惑に明らかにプラスじゃん。
あと、世界の滅亡にまつわる話で、総理や官房長官まで出てくるのに、他の世界各国との連携とかが全然出てこないのもなんだかなあと思う(たとえば同じような終末論をめぐる『ノック』だと、べつだん国家機関の人間は山小屋のメンツにはいないのであれでいいんだが)。
国家機関の扱いについては総じてかなり雑で、高橋克典みたいな悪役はもちろんいていいのだが、それは官房長官の仕事じゃあないだろうと(あとキャラ設定がかなりダサいし、立ちションとか含めて「やりすぎ」てる結果が映画のプラスにちっともなっていない)。毎熊克哉と朝比奈彩はとても良いキャラだと思うが、もう少し日常でのハナとのやりとりがあったほうが、あとでこちらも感情移入できたのでは。
そのほか細かいところだと、「夢見をこれから依頼するつもりの少女を学校から連れ去るときに、絶対あんな連れ去り方はしない」(それで協力してくれなくなったらどうする?)とか、「閉まっていた引き戸を開けて遅刻してきたハナが扉を閉めずに着席する」(ハナのイメージを悪くしてどうする?)とか、誰か監督に「おかしい」って横で一緒にスクリプトチェックをしてくれる盟友はいなかったのかなあ、と。
なかでも一番ひっかかるのは、「いきなり暴徒化して襲ってくるSNS民」。
これ、最近他の映画かアニメでも全く同じシチュエーションを見た記憶があるけど、
いくら正体がリークされたからって「世界を滅亡から救うために占いしてる少女」を全員で殺しにかかるって、やっぱり一足飛びすぎて無理あるんだよなあ。組織ももっと早くハナを装甲車で連れ出せよ。てか、SNS民やテレビキャスターや暴徒化したねらーの描き方に品がなさすぎる。すなわち、紀里谷監督の「私怨」が入りすぎてる。
僕だって最近の文春砲やらセブンやら新潮やらが火付けして、「正義」のSNS民やヤフコメ民が炎上させて、それをまたマッチポンプでマスコミが延焼させて、狙った芸能人やタレントを文字通り「焼き殺す」ようなカルチャーには心底うんざりしている。
そもそも、役者だとか作家だとかスポーツ選手に「道徳」を求め「聖人君子たれ」と強要する近年のファン心理自体にまったく共感できない。普通に生きられないから、芸能界や文壇やスポーツの世界に居るロクデナシはゴマンといる。あいつらは「あぶれもん」だからああいう仕事をやっているのだ。ほんのひと昔前までは、遺棄児童や被差別者や性的マイノリティが「実力だけで」夢をつかめる世界は、そこにしかなかったのだ。あるいは「くるっている」からこそ、只事ではない異常な何かは生み出せるものなのだ。
そういう連中を世間のパンピーの倫理で裁こうとか、ちゃんちゃらおかしい。
マジでそう思ってる。
でもね、「実際にやられた当事者」がここまで「いままでの積もり積もった恨みを晴らすような」映画を「ストレート」に撮ったら、やっぱりカッコ悪いし、幼稚な感じがするし、映画の説得力が弱まっちゃうと思うんですよ。
僕としてはやはり、暴徒が襲ってくる設定にするのなら、もうひと押し彼らが本当に「ハナを恐れなければならない理由」だったり、「それを煽動して操っている特定のカリスマ」だったりを出して、彼らの行動に説得力をもたせてほしかった。
あと、この話は実はこの座組なのにいったん「○○○エンド」で終わる(そのあと冨永愛のパートがある)ってのが構成上の一番の特色だと思うんだけど、そこをあまりうまく強調できていないのはとてももったいない気がした。終盤の展開をもう少しだけわかりやすく整理できて(とくに男の子の正体のあたり)、希望と絶望のあいだで揺れ動くハナの心をリアルに体感できるように描けていたら、見違えるように良い映画になったのでは?
― ― ― ―
とまあ、いろいろ文句も書いたけど、
基本的には「2時間以上あるわりに、まったく退屈せずに最後まで観られた」のもたしか。
一番の理由は、伊東蒼の演技の素晴らしさ。それに尽きる。
てか、いくら脚本に隙があろうが、このヒロイン役を「伊東蒼にオファーして受けさせた」ってだけで、紀里谷監督の仕事としてはもう、最大限に評価していいのではないか?
よくぞこの娘にやらせてくれた。
とにかくうまい。
それは『さがす』のときにも重々思っていたが、
今回はさらにいろいろな一面を見せてくれて、本当にびっくり。
あとこういうと可哀想だけど、この娘は「不幸」な役がよく似合う。
なにせ、前の映画『さがす』のお父さんは佐藤二朗で、その前の映画『空白』のお父さんは古田新太。親運が悪すぎる(しかも『空白』の蒼ちゃんはすぐ轢き殺されてしまう)。
今回の親には、早々に死なれてるうえに理由があれだし。
極貧だわ、唯一の身よりの婆さんも亡くすわ、学校ではいじめられてるわ、○○までやらされてるわ、将来の夢は潰えるわ、いざ機関に協力しても世間からは叩かれるわ、味方は次々と○○されるわ……辛いことばかりがあって、ちょっと光明が差したと思ってもまた悪いことが強烈な反作用でぶり返してくる。
みんな『エヴァ』とか言ってるけど、これ『まどマギ』でもあるんだよな。
「魔法少女になってくれ」って依頼されて、正義と未来のために心を決めて引き受けるんだけど、意気揚々と頑張れたのは最初だけで、あとはただひたすら酷い目と怖い目に遇い続けたあげくに、元凶がなんだったかを知るっていう。
もとが不幸で、少し「頼られる」歓びを知ったあとに奈落が待っているから、よけいにきつい。しかも……結果的に紀里谷監督はいやボーンによって、蒼ちゃんに○○○までさせている。どんだけ彼女を汚せば、気が済むんだってくらいのいたぶりよう。
あげくに最後があれだから、本当に救いがない。
要するに、『世界の終わりから』という映画は、突き詰めれば、伊東蒼という天才女優を「いったんもちあげたあと突き落とし」「合法的にとことん不幸な目に遇わせて」「極限まで光り輝かせる」ための搾取装置なのだ。
やっていることはずいぶんとひどいが、結果的に女優としての魅力を最大限に引き出すことに成功している。
これは、間違いなく紀里谷監督のお手柄だ。
天才・伊東蒼の真骨頂を味わうためだけにでも、この映画は多くの人に観られるべきだ。そして(僕とちがって)紀里谷監督とうまく波長を合わせられたら、おおいに感動してもらえればと思う。
そういや岩井俊二えらく楽しそうだったな。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』に紀里谷氏が出たバーターかな?
あと、いじめっ子のこと山本舞香だと思い込んでて舞香ちゃんごめん!
コンセプト好きだが長過ぎ
結構紀里谷作品見てますが、毎回予告は面白そうなのに作品全体がだれる。
今回はそうでもなく鑑賞出来た。長いけど。
話の展開は面白く、監督の出す作品の世界観が、好きです。本当に辞めちゃうの?
映画を観たという満足感
伊東蒼さんが観たくて。
まさに映画!というような不思議なストーリーで、
なかなかに集中しながら楽しみました。
あれよね、ソラが、の両親救ったから、また違う未来になってて、
ハッピーエンドってことで良いのかな?!
この映画が描いていたこととは?私的考察
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい)
この映画『世界の終わりから』は、やや抽象的ではと思われながら、映画が考え尽くされて作られていると感じ、感銘する場面もあり、非常に面白く見ました。
ところでこの作品は、以下の命題が映画の初めに示されているように感じました。
その命題とは、
<<子供の時に両親を事故で失い、育てられた祖母も亡くなってしまい、バイトに追われるがお金がなく進学をあきらめ、学校ではいじめに遭っている少女が、世界の終わりを救うことが出来るのか?>>
だと思われました。
そして、1観客としての私は、その命題に小さくない疑問を持って映画を観ることになります。
この映画の主人公の志門ハナ(伊東蒼さん)は、子供の時に事故で両親を失い、祖母に育てられますが、その祖母も亡くなった場面からこの映画は始まります。
ハナは、政府機関の江崎省吾(毎熊克哉さん)や佐伯玲子(朝比奈彩さん)から自分が見た夢を伝えるように言われます。
そして、ハナは江崎省吾と佐伯玲子に連れていかれた場所で、老婆(夏木マリさん)に会い、2週間後に「世界が終わ」り、ハナの夢によってその命運が変えられるかもしれないことを伝えられます。
ハナの夢には、日本の戦国時代の場面が出て来ます。
その夢の中で老婆(夏木マリさん2役)に手紙を託され、少女のユキ(増田光桜さん)などとその手紙を(夢の中で)祠(ほこら)に届けることになります。
その夢の中の手紙を祠(ほこら)に届ける過程で、ハナやユキは、戦国武将の無限(北村一輝さん)に出会います。
無限は残忍な殺戮を繰り返す存在として現れます。
ところで、ハナの夢は、(戦国時代と現代とで時代が違えど)現実世界と鏡のように描かれていることが次第に分かって来ます。
すると、夢の中の少女のユキは現実のハナと対応し、夢の中で殺戮を繰り返す無限は現実の是枝智史 官房長官(高橋克典さん)やハナにいじめを繰り返しているレイナ(前田悠雅さん)に対応すると伝わって来ます。
夢の中の無限は殺戮を繰り返しているので、観客からははっきりと【悪】との印象を受けます。
また現実でハナに対していじめを繰り返しているレイナも、観客からははっきりと【悪】との印象を受けます。
映画の前半では、これら無限やレイナのような【悪】が排除されれば<世界は救われる>との印象を受けるのです。
例えば子供の時にハナと同じようないじめを受けていた政府機関の佐伯玲子は、ハナにいじめを繰り返しているレイナを懲らしめて<世界を救う>ような振る舞いをします。
ただしかし、ここでハナのような<<世界から虐げられている人物が、世界を救うことが出来るのか?>>という、一番初めに示した命題が頭をもたげます。
そして、私的には、<<世界から虐げられている人物が、世界を救うことが出来るのか?>>の命題に対して、それは難しいのではないか?(NOである)との感想が湧き上がります。
なぜなら、殺戮を繰り返している無限やいじめを繰り返しているレイナが、相手の殺された本人や遺族やいじめにあっている人の内面を全く理解していないのと同じように、逆側の殺されてる人やいじめられているハナや政府機関の佐伯玲子の方も、相手の無限やレイナなどの内面を理解していないと思われるからです。
つまり、双方共に、相手の内面への無理解という点では同じなのです。
(※もちろん一方、ここでの指摘で、殺戮を繰り返す無限やいじめを繰り返すレイナの【悪】が許されたり消え去る訳ではありませんし、【悪】に従ったり【悪】を理解する義務もありません。
ここで触れているのはあくまで<世界を救えるか>という点での話です。)
しかし、この映画が優れているのは、この<<世界から虐げられている人物が、世界を救うことが出来るのか?>>という命題への、”それは相手内面への無理解から不可能ではないか?”という疑念に、きちんと答えているところにあると思われます。
ハナと少女のユキはハナの夢の中で、ついに老婆から受け取った手紙を祠(ほこら)に届けます。
そして、祠(ほこら)のとびらが開かれ、少女のユキはある能力を身に着けることになります。
その能力とは、ユキの両親を殺害した侍をどんどんと念じれば殺害できる能力でした。
ハナは驚き、ユキの殺害を止めようとしますが、次第にユキの侍を殺して行く姿が、ハナ自身の姿であることに気がつきます。
そしてハナは(ユキの侍への殺戮願望と同様に)自身を受け入れなかった世界が終わることを潜在的に望んでいたことに気がつくのです。
ここで、殺戮を繰り返していた無限やいじめを繰り返していたレイナと、侍を殺戮続けるユキや世界が終わることを望んでいたハナとが、裏表で一致します。
ただ、その方向性は実は真逆です。
無限やレイナは、世界の秩序を保つために殺戮やいじめを繰り返します。
一方で、ユキやハナは、世界の秩序から逃れるために殺戮を行い世界の終わりを望むのです。
しかし、双方共に世界を救えないことは明らかです。
そして、隕石が世界に降り注ぐ、ハナと幼馴染のタケル(若林時英さん)との美しい場面で世界は終わりを迎えるのです。
映画は、そこから別の一つの<世界を救う>回答を示します。
世界が終わりを迎えた後の未来の地球に、唯一生き残った未来人のソラ(冨永愛さん)がやって来ます。
ソラはAI(声:又吉直樹さん)と語りながら、ハナが世界が終わる直前に埋めたタイムカプセルに入ったカセットテープを発見します。
そのカセットテープを聴いたソラは、夢の中の戦国時代の少女ユキの両親が殺されないようタイムリープしてユキの両親を救います。
ハナは世界の終わる少し前に、交通事故で父と共に亡くなった母が吹き込んだカセットテープを家の部屋の中で発見します。
そのカセットテープの内容は、ハナが両親から愛されていたことが分かる肉声でした。
ソラによって戦国時代の少女ユキの両親は救われ、そしてその因果が変わったことで、ハナの両親の交通事故での死も回避されます。
映画は、一旦、(かつて両親が犠牲になってハナを救ったように)主人公・ハナが幼馴染のタケルと共に犠牲になることで、未来人のソラを介して戦国時代のユキの両親を救います。
そしてその結果、ハナの両親を救い、<世界を救う>ことになるのです。
映画の中で、無限やレイナは、世界の秩序を保つために殺戮やいじめを繰り返します。
一方で、ユキやハナは、世界の秩序から逃れるために殺戮を行い世界の終わりを望みます。
そしてその双方共に世界を救うことが出来ないのは明らかでした。
しかしこの映画『世界の終わりから』は、それとは別の回答、つまり(母などから)「愛されていた」という記憶が<世界を救う>ことを示して終わります。
秩序を守るにせよ、秩序から逃れるにせよ、極端化する前に双方共にブレーキを掛ける必要があります。
その双方の極端化しないブレーキの根源が「愛されていた」記憶であるとのこの作品の到達に、この映画を優れた内容にしている根本があると鑑賞後に感じました。
ただ、惜しむらくはあまりに抽象化された作品になっているとの感想があったのも事実です。
私が10代であれば生涯での大切な作品になった可能性もあり、実際そう感じている若い観客の存在も想像します。
しかし、現実の題材をもっと具体的に肉付けして、この映画と同様の中身が深層にある作品が出来れば、広く一般にも通じる映画への可能性があるとも思われています。
なので、紀里谷和明 監督は今作が引退作品だと宣言されているようですが、引退宣言は撤回され、ひとまずはお疲れ様でしたと思われながら、例えば具体的事件を題材にするなどの次回作を勝手ながら期待したいと思われています。
そして、今作が次回作を期待されるような質高い作品であったこともまた事実と思われました。
人生で1番出逢えて良かった作品かもしれない
何となく惹かれ見てみると、誰もが悩んだり思ったりする事を題材にしており、とても心打たれた。
役者さん達の演技も凄くまるで自分もそこにいるかのように惹き込まれた。
こんなにも心打たれ、人生に悩んでいる人やこれからどうすれば良いのか路頭に迷っている人など様々な悩みを抱えている人に見てほしいと思ったのは初めてかもしれない。
本当にこの作品に出逢えて良かった。
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