世界の終わりからのレビュー・感想・評価
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セーラー服と、この世の終わり
伊東蒼がともかく良かった。ハマってます。
女子高生のハナ(伊藤蒼)は、政府の特務機関から、
2週間後に迫る「世界の終わり】を止められるのは君だけ、
だから協力して・・・と要請される。
SF映画。
ハナの夢見る時間・・・そこに別世界がある。
夢の中で、ある任務を行うこと。
(ハナが夢オチするとモノトーンで、
(武士たちの殺し合い。
(ユキという名の7歳位の謎の少女がいる。
特務機関からは、
祠に行き【手紙】を届けてと頼まれる。
(この手紙の役割は何だったんだっけ!!)
ハナは《世界の終わり》を、止めることが出来るのか?
なかなか雰囲気がありますし、
ハナ役の伊東蒼の幸薄い雰囲気が
世界の終わり感を盛り上げる。
夢オチ・・・その世界が殺伐としていて、武士は殺し合い。
タイムスリップした未来(過去?)もまた諍いと殺戮。
そしてハナは交通事故で両親を亡くし、最近祖母を病気で亡くした。
こんな世界に居たくない・・・
ハナを愛してくれる人は一人もいない・・・
アルバイトで精一杯で、夢のメーキャップ・アーチストも
学費の目処はたたない・・・
それでもハナは世界を救おうと必死に努力する・・・
この世に、ハナが頑張るその価値はあるのか?
ハナでなくても自問したくなります。
特務機関の男に毎熊克哉、
輪廻士(運命を書いた本で未来を操る)老婆に夏木マリ。
高校の物理の教師に岩井俊二監督、
221年後の世界の女ソラに徳永愛、
(冨永愛がレーザー銃を撃つ姿は特撮ヒーローみたい!)
又吉直樹はどこに出てたのか、まったくわからず、
官房長官に高橋克典、
北村一輝、市川由衣などキャストは豪華!!
なかなか終末感がリアルで、
引き込まれました。
しかし、オリジナリティは、どうだろう?
(たとえば運命の本、なら荒木飛呂彦の、
(ヘブンズ・ドアーなんかの独創性に遠く及ばないし、)
洋画の「クリエーター/創造者」にはスケール感で
負けるし、
もう一つ、強烈な世界観がほしかった。
【“例え明日世界が滅びるとしても、今日貴方はリンゴの木を植える。そしてこの世界を愛したい。”今作は紀里谷監督が様々なバッシングを受けながらも、世界に絶望しない決意を描いた終末からの再生の物語である。】
ー 今作は、邦画では珍しい、紀里谷和明監督自身が書き下ろしたオリジナル脚本による近未来SF映画である。ー
■交通事故で両親を亡くし、生きる希望を見いだせずにいる女子高生シモンハナ(伊東蒼)。
ある日、彼女の前に政府の特別機関を名乗る男エザキ(毎熊克哉)が現れ、ハナの見た夢を教えてほしいと頼まれる。
混乱するハナだったが、その夜奇妙な夢を見る。
そこは、モノクロームの世界で残忍な男(北村一輝)達が村人を殺戮する夢であった。
だが、一人の少女ユキはそんな彼らに勇敢に立ち向かっていたのである。
そして、目を覚ました現代では、ハナを悪辣なる手段で苛める同級生達や、SNSで罵詈雑言を垂れ流す愚かしき男達が蠢いていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、ディストピア風合を濃厚に漂わせつつ、物語は進む。
・そして徐々に、エザキが極秘裏に世界を救うために、ハナに接触して来た事が分かって来る。ハナは未来が見える血を引いた人間の娘であることも、後半に明かされる。
・ハナを守る女サエキ(朝比奈彩)に助けられながら、彼女は老婆(夏木マリ)に世界の行く末を告げられながらも、老婆の言葉を信じようとする。
・だが、現実世界の絶望と混沌と、自身の孤独に打ち負かされつつあったハナに勇気を与える少女ユキの存在など、独特の不思議な世界観に引き込まれる。
■エザキもサエキも、愚かしき首相を狙う官房長官(高橋克典)や、残忍な男達に斃されるが、ハナは必死に生きようとする。
が、世界の滅亡は近づいていて、彼女はカセットテープに吹き込んだ”願い”をカプセルに入れ、幼馴染のタケルが観ている中、地中に埋めるのである。
そして、時は流れ荒涼とした地球に降り立ったソラ(富永愛)は、そのカプセルを掘り出し、過去の時を変えるためにカプセル状の宇宙船に乗り込むのである。
<今作は、邦画では珍しい紀里谷和明監督自身が書き下ろしたオリジナル脚本による近未来SF映画である。
中盤まではディストピア感が溢れ、ハナも世界を救う事を諦めかけるが”過去の人間の想い”が詰まった本を老婆に提示されたりし、世界を救うためにある行動に出るのである。
今作は、一見、難解に思えるかも知れないが、良く観て居ればストーリー展開はシンプルで”この世界を愛したい”と言うハナの言葉に代表される紀里谷和明監督が発信するメッセージもキチンと伝わって来る作品である。>
なんというか
監督の最後のメッセージな所は凄く感じた。キャシャーンやゴエモンも見た。他の人が言っていたがクリストファーノーラン的な空気感も多々感じた。そして、クリストファーノーランの時もそうだったのだが、この監督は私とは何か合わないのかなと。いう結論。
世界の終わり・・・女子高生に託された想い
タイトルから、てっきりSF作品だと思って鑑賞したんだけど・・・
う~ん、何か難しい。
侍が戦ってると思ったら、中国っぽい衣装の女の子が出てきて???
警察の特殊機関みたいな人達が、女子高生のところへ来て、夢を話してくれ???
個人的なことで誠に申し訳ないのですが、主役の女の子に魅力を感じなくて・・・華が感じられないと言いましょうか。何でこんな普通の女の子が、ずっと出てるんだろう?もうちょっと可愛らしい女の子にすれば良いのに。と、そんなことが頭を過りながらずっと見てました。
不思議なもんです。見慣れちゃったのかな。
終盤にはこの娘で良かったと、目頭熱く、感動してました。ホンッと切なかったです。
終末を選択せざるを得ない現状。結局、人間が破滅を招く。
ただね、この後がどうなんだろう?
いきなりの展開、未来人に託された?
何か、力業で無理矢理のハッピーエンドに持ってかれた変な気分。
悲しいのか、切ないのか、これで良かったのか・・・悶々とした中途半端な気分の一本でした。
人間讃歌。湯バーバと未来風死神の夢オチ。
内容は、2030・2・7の孤独な女子高生が、知らない人からいきなり『夢を見なかった?』から始まる夢野久作ドグラマグラ的物語。すったもんだありながら主人公の少女が世界の終わりを望みながら世界の再生に思いを馳せる厭世的なSF作品。
印象的な台詞は『私は愛されていた。ずっと』主人公ハナが終盤付近で両親の想いに触れる場面。想いがテーマの一つであるが故のしようがない様に感じます。
『これでやっと死ねる』無限の民の長が最後に呟く言葉。死は解放と重なって本当に幸せそうでした。
印象的な立場は、それぞれの登場人物が重なり重要な役回りだった様に感じます。
ハナ=ユキ・ユキ父・シロ=エザキ・無限の長=ラギなどです。複雑な役回りで荒い脚本なのは否めませんが書いてある本人が混乱したのではないかの様な絵作り。言いたいことが多すぎて乱雑ですが、結局なにわ節だと分かる分かりやすさが受けたのかも知れません。
印象的な場面は、夏木マリさんの一人芝居が千と千尋の神隠しを彷彿とさせる程の実写版・湯バーバ銭ーバでした。もうそれにしか見えない所が怖かったです。
あまりにも盛り込みすぎの物語で、複雑に見える物語が落語の死神であったり、ドグラマグラ的であったり、神様もう少しだけだったり、7人の侍だったり、インターステラーだったり、ファゥンデーションだったりして楽しかったです。
お腹いっぱいになり何も残っていない印象の映画でした。欲張り過ぎて統一感のない話は中々入り込めないかもしれません。
クライマックス付近で、作者がもうこれで打ち止めです!と言わんばかりの閉店ガラガラの場面が見えて楽しかったです。
なんかもったいない
タイムトラベルものは矛盾が多く発生するのはしょうがないがそれを説明するような台詞が多く、先に結果がわかるよう未来が出てくる構成だったりすると途中で興ざめする。
予算がなかったんだろうけど、演技力のある脇役で固めて、もっと尺を短くして詰め込んだら...と思うともったいない。
構想は嫌いじゃない
点つけたくないくらい酷い
世界には救う価値があるのか
主人公(伊東蒼)は女子高生、親を事故で亡くし、祖母の介護をしていたが、死去。
貧乏と人間関係で絶望の毎日を過ごしていた、あるとき胡散臭い男から、君の見ている夢を教えてほしい、と頼まれる。
このままでは世界はもうじき終わるが、自分の夢が世界を救う鍵になっているらしい。
こんな世界、救う価値があるのか、と悩む主人公だが、私も・・・。
期待通りの残念な作品
ファンタジーとして描きつつ終末を描くには異端な作品
終わって振り返ってみると、すごい作品だったなと…。夢と現実の交錯を地獄の淵で観ながら、思わぬところに連れて行ってくれる。ブルブル心を震わせてくれる良作。
前評判の良さとキャスティングに惹かれて鑑賞。相変わらず幸せになれない伊東蒼さん、今作も凄いです。ダイナミックに見える世界観を確立しつつ、同時に彼女が生きる最小半径が息苦しくも描かれていて、トーンがズッシリと響いてくる。それでいながら、彼女が世界を救うことになると言わんばかりに大人が振り回すのだから面白い。「いやいやそんな…」と考える間も無く話が進んでいくので飽きが来ないし、何より次第にそのファンタジーに惹かれていく自分がいた。
若干踏み込んだレビューになるが、名を連ねている人たちの使い方もまた妙で不思議な感覚がある。夢と現実の中、過去と今、未来を繋いでいくことに無謀さを感じさせない多彩なギミックが引き込まれる。高橋克典さんも政治家似合うし、あの顔もたまらない。一貫して、人間の在り方を突くように切り込む作風は、万人に理解されにくい側面を持つものの、多くの事を考えさせる本質にぶつけ、揺るぎない作品のバランスを生み出している。良くも悪くも。その行き過ぎた感覚こそ研ぎ澄まされていて美しい。
主演は先述の通り伊東蒼さん。脇を固めるキャストも豪華で、夏木マリさん無くしてファンタジーなし。そう言わしめるほど完璧。また、チョイ役で宮﨑優さんに中村守里さんが出ていたり、細かな点も嬉しかったり。
結構最後は泣かされた。「変わらないことがあるとすれば、皆変わっていくってことじゃないかな」Mr.Childrenの『進化論』を思い出す。愚かで過ちを繰り返す。自分だけが良い世界で、彼女が世界の終わりから伝えるもの、それが何より生きる希望に私は感じた。
桐谷監督の美意識が徹底して貫かれた作品
少女が体感し望む先にあるもの
人が望む世界。
その世界の運命を握ることになる少女の想いの物語。
幻想的な表現やオカルト的な雰囲気を醸し出しつつ世紀末が訪れる世界を描く。
その世界で何を望むのか?力を持たぬ少女の眼を通し、その少女がその運命を握ってるとしたらどうしただろうか?
その問いを自問自答の様に描き、人間の持つ残酷な面を突きつける。人間の恐ろしさ弱さを多く描くことで、望むことの難しさを痛感させられ少女は選択するのだが、その逆も見せ(描き)苦悩する姿が欲しかった。
そしてその先に少女が何を選択するかを観て観たかった。
アニメで作った方が良かったかも
設定はそこそこ面白いとは思いますが、日本でこういった作品を実写で作るとチープな感じがしてしまいます。たとえば、夏木マリが演じるキャラや傍にいる得体の知れない小人達。それから、全人類の運命を託している少女にボディーガードがたったの1人など、とても稚拙に見えたり、リアルさに欠けるところがあり、せっかくの面白みが半減してしまいます。ですので、日本でこういった作品を映画にするなら、実写よりアニメで作った方が、より説得力のある作品になったのではと思います。
それから、これは気にし過ぎなのかも知れませんが、映画アジャストメントに出てくる全人類の運命が書かれた「運命の書」、マイノリティレポートに出てくる「3人の予知能力者と予知の結果出てくる色のついたボール」、千と千尋の神隠しの「湯婆婆」、オブビリオンのような世界観などなど、何処かで観たことあるような設定やキャラが多く、観賞中に気になってしまいました。
スタイリッシュなのにキモ部分の発想が古臭い
世界観が中二病みたい。
スタイリッシュだが、キモの部分の発想がなんか古臭い。
色々詰め込んであるがおかしな所が多い。2030年に行政があんな暴走するのか(しかもわかりやすく!)
また、ユキはなぜ、アジアの少数民族みたいな衣装なのか? マルチバースと言いたいのかもだが、他の人たちが日本の戦国時代みたいなのにそれ必要?
人の過去未来を記した書物が何なのか、ハナの血筋(の女性?)が代々担ってきた「輪廻師」とは、「無限」とは何か、分かる場面がないなど、枝葉のことは過剰なくらい言葉で語るのに肝心なところの説明がないのでフラストレーションが溜まる。
世界の終わりが「核戦争」というのは古臭い。
ハナの現宇宙で起きていることは、ユキの凄まじい恨みの思念から始まったのでしょうか。
ユキ、ハナ、ソラ、と、名前が自然のもので共通しているのは、「輪廻師」の役目を受け継いだ者ということだろうが、ハナ(とタケルの犠牲)に導かれた(輪廻師の役目?)ソラが、発端となるユキの悲劇を防いだので、歴史が変わったというマルチバースの話だったようです。
ラストは「無限」と「ユキ(多分)」に元気に手を振って見送られ、ハナはハードな宿命から開放された、運命を記した書物も「輪廻師」も夏木マリの湯婆婆も存在しない、違う宇宙で生きている、いうことだろうが、新鮮味がなく、やっぱり古臭い感じがする。映画のキモ、一番肝心なところなのに。
(でも、映画としては好き)。伊東蒼、熱演!
荒唐無稽な話の中に
リアルをみる。感じざるを得ない。
こんなふうにファンタジー風にしてしまわざるを得ない人、作風なのかなとも思う。(監督のことは名前と評判くらいしか知らない)
この作品、ストーリーはぶっちゃけどうでもいいと思う。
実際には大なり小なりこの世界はこのようになっていて、日々そのために命を削り落とし神経をすり減らし、カツカツでやってくしかない人らがたくさんいて、多くの勘違いした傍観者や同調野郎がいて、本当のことを見よう知ろう変えようとと思う人はとても少なくて、バカにされるか絶望する。世界の終わりまで行けたらいいのにね、とか思ったり。そこまで行き希望が見えたらよい。そこまで行かなくても希望が見えたらなお良い。
なんで私?!と戸惑いながらときにへたれな、ときに力強い選択肢をして前に進む(進まされる)主人公がよい。
女子どもだからバカにされる世の中。
今の終わってる世界を下世話に象徴する官房長官。
全てのパーツがほんとのことよね、て思うから、ファンタジー必要。
ザ・セカイ系! まどマギのごとく追い詰められてゆく伊東蒼の天才的演技を御覧じろ!
紀里谷和明監督のラスト作らしいし。
『さがす』での伊東蒼の演技にはマジでシビれたし。
映画の世評自体も、なかなか高いみたいだし。
あと個人的に、紀里谷監督のような「いけ好かないイケメンなのになぜか不器用な」「いきがって理想を語っては一部の反撥を食らってしまう」タイプの人間は、なんだか無性に応援したくなるので、まだ上映している間に観に行ってきた。
うーん、どうなんだろう。
褒める気まんまんで観に行ったので、あまり悪口は言いたくない(笑)。
こういう個性あふれるオリジナルを、監督個人の力で頑張ってまとめあげたのは立派だし、「セカイ系」ジャンルの映画としても、ふつうに愉しめる映画だった。
2時間以上あるのにダレずに最後まで観られたということは、娯楽作としては「旧作より」面白く出来ていたということだ。
ただ、出来が良かったかと言われると、なんか困るね……。
ヴィジュアルセンスに関しては、間違いなく才能豊かだし、自分の色がある。
冒頭、鉄さびめいたモノクロで草原が映し出された瞬間に「ああこれ紀里谷監督の映画だ!」と分かるくらいに「彼の好み」が画面全体に行き届いている。
女性を魅力的に撮り、いい演技を引き出す能力も結構高いと思う。
ただいつも脚本が、もう一押しなんだよな。
セカイ系であること自体は構わないし、それを『エヴァ』っぽいとか揶揄するのはさすがに狭量に過ぎる。セカイ系はすでに「ジャンル」だ。
ただ対抗馬の多い人気ジャンルだけに、そのぶん新しさやセンスの良さが評価対象になるのも確かだ。
本作の場合、やっていることはよく言えば王道。
悪く言えばあまりに通り一遍だ。
女子高生の貧困ヒロイン。「夢見」の能力。
国家を操る呪術機関。対抗する不死の勢力。
いじめっこ。隣室の幼馴染。信頼できる警察官。
タイムリープ。いやボーン。地球滅亡の危機。
実は●●は○○でした……。
おおむねどこかで見たことのあるような、ギミックとガジェット。
たとえば、これが「ラノベ」だったら、所詮「ラノベ」だということで許されるんだろう。
「アニメ」であっても、お約束の範疇でたいして気にならないはずだ。
雨宮慶太が同じことを「特撮」の枠内でやっても、そういうもんだと思って、喜んで観ると思う。
でも、そういった「ジャンル感」補正を抜きで観るとなると、やはりオチまでふくめて若干陳腐な感じは否めない。
逆に紀里谷監督サイドからすれば、「王道」で何が悪い、といったところかもしれない。
彼はいつも「王道」エンタメを、自分色に染め変えて作品をつくってきたからだ。
『CASSHERN』では昔の懐かしアニメ。
『GOEMON』では懐かしの伝奇時代劇。
彼は、それらを「とんがったMVやCM風の洒落た映像とスピーディなアクション」の枠組みに流し込む形で「変容」させてきた。『ラスト・ナイツ』は未見だが、わざわざ日本が舞台の『忠臣蔵』のオファーを受諾後、監督本人の意志で西洋の騎士道世界に話を移し替えたらしい。
要するに、「昔からある王道のエンタメ」に、紀里谷監督独自の映像センスをまぶしたうえで、今風の映画に「換骨奪胎する」というのが、彼の創作術なのだろうと思う。
既存のエンタメを少し別の文脈にずらして再投入することで、新たな価値を生み出そうとする創作方法としては、意外と村上隆とかと似たタイプなのかもしれない(べつにけなしてない)。
で、今回の題材は、アニメやラノベの枠内で長く醸成された結果、既にある種の「型」が組成されている「セカイ系」だったということだ。
まあ王道なら王道で、細部まで考え抜かれた内容であればべつに良いと思う。
だが、微妙にかみ合わない部分が多いんだよなあ。あちこち。
以下、悪口っぽいので、読みたくない人は次の破線まで飛ばしてください。
― ― ― ―
何よりひっかかるのは、ヒロイン・ハナの女系家族が歴代「夢見の巫女」だったというのに、なんで組織は彼女を貧困生活に甘んじさせてきたのか、ということだ。
最近見つかったというのならわかるんだけど、親も同じ仕事してて知ってたって言うなら、泣きながらバイトしてるんだから陰からでも助けてやれよ、と。
だいたい、日本の法律では未成年者はまちがいなく「単身で」生活保護を受けられるし、在宅で受けられる奨学金だってあるんだし。
まして「真相」から逆算すれば、それこそハナを不幸の臨界点まで追い込んだら組織としては「絶対にダメ」だったと思うんだけど。
未来が書かれた本があって、それによって2週間後に世界が滅ぶってわかってるんなら、もっと早くから動けよともみんな思うよね。ハナが夢を観始めないと動き出せない、という理由もあるのかもしれないが、なんで彼女が夢を観始めたかもイマイチわからないし、それをどうやって組織が察知したかもよくわからない。
それと「夢に見た内容を伝えたら良い」という「任務」が、あまりに簡単すぎて大仰に騒ぐほどのことなのかって気になるし(報告くらいすればいいじゃん)、夢のなかの任務(手紙を祠に届ける)にしても、最後まで観ても「誰の書いたどういう内容の手紙をなんの目的で届けたか」が今一つよくわからない。少なくともユキちゃんが書いたわけではさすがにないと思うし、手紙の内容が「ユキちゃんの願い」だったとすれば、無限の連中が妨害しようとしている理由も、湯婆婆が必死で届けさせようとした理由も、曖昧になってしまう。だって届けさせたほうが無限の民の思惑に明らかにプラスじゃん。
あと、世界の滅亡にまつわる話で、総理や官房長官まで出てくるのに、他の世界各国との連携とかが全然出てこないのもなんだかなあと思う(たとえば同じような終末論をめぐる『ノック』だと、べつだん国家機関の人間は山小屋のメンツにはいないのであれでいいんだが)。
国家機関の扱いについては総じてかなり雑で、高橋克典みたいな悪役はもちろんいていいのだが、それは官房長官の仕事じゃあないだろうと(あとキャラ設定がかなりダサいし、立ちションとか含めて「やりすぎ」てる結果が映画のプラスにちっともなっていない)。毎熊克哉と朝比奈彩はとても良いキャラだと思うが、もう少し日常でのハナとのやりとりがあったほうが、あとでこちらも感情移入できたのでは。
そのほか細かいところだと、「夢見をこれから依頼するつもりの少女を学校から連れ去るときに、絶対あんな連れ去り方はしない」(それで協力してくれなくなったらどうする?)とか、「閉まっていた引き戸を開けて遅刻してきたハナが扉を閉めずに着席する」(ハナのイメージを悪くしてどうする?)とか、誰か監督に「おかしい」って横で一緒にスクリプトチェックをしてくれる盟友はいなかったのかなあ、と。
なかでも一番ひっかかるのは、「いきなり暴徒化して襲ってくるSNS民」。
これ、最近他の映画かアニメでも全く同じシチュエーションを見た記憶があるけど、
いくら正体がリークされたからって「世界を滅亡から救うために占いしてる少女」を全員で殺しにかかるって、やっぱり一足飛びすぎて無理あるんだよなあ。組織ももっと早くハナを装甲車で連れ出せよ。てか、SNS民やテレビキャスターや暴徒化したねらーの描き方に品がなさすぎる。すなわち、紀里谷監督の「私怨」が入りすぎてる。
僕だって最近の文春砲やらセブンやら新潮やらが火付けして、「正義」のSNS民やヤフコメ民が炎上させて、それをまたマッチポンプでマスコミが延焼させて、狙った芸能人やタレントを文字通り「焼き殺す」ようなカルチャーには心底うんざりしている。
そもそも、役者だとか作家だとかスポーツ選手に「道徳」を求め「聖人君子たれ」と強要する近年のファン心理自体にまったく共感できない。普通に生きられないから、芸能界や文壇やスポーツの世界に居るロクデナシはゴマンといる。あいつらは「あぶれもん」だからああいう仕事をやっているのだ。ほんのひと昔前までは、遺棄児童や被差別者や性的マイノリティが「実力だけで」夢をつかめる世界は、そこにしかなかったのだ。あるいは「くるっている」からこそ、只事ではない異常な何かは生み出せるものなのだ。
そういう連中を世間のパンピーの倫理で裁こうとか、ちゃんちゃらおかしい。
マジでそう思ってる。
でもね、「実際にやられた当事者」がここまで「いままでの積もり積もった恨みを晴らすような」映画を「ストレート」に撮ったら、やっぱりカッコ悪いし、幼稚な感じがするし、映画の説得力が弱まっちゃうと思うんですよ。
僕としてはやはり、暴徒が襲ってくる設定にするのなら、もうひと押し彼らが本当に「ハナを恐れなければならない理由」だったり、「それを煽動して操っている特定のカリスマ」だったりを出して、彼らの行動に説得力をもたせてほしかった。
あと、この話は実はこの座組なのにいったん「○○○エンド」で終わる(そのあと冨永愛のパートがある)ってのが構成上の一番の特色だと思うんだけど、そこをあまりうまく強調できていないのはとてももったいない気がした。終盤の展開をもう少しだけわかりやすく整理できて(とくに男の子の正体のあたり)、希望と絶望のあいだで揺れ動くハナの心をリアルに体感できるように描けていたら、見違えるように良い映画になったのでは?
― ― ― ―
とまあ、いろいろ文句も書いたけど、
基本的には「2時間以上あるわりに、まったく退屈せずに最後まで観られた」のもたしか。
一番の理由は、伊東蒼の演技の素晴らしさ。それに尽きる。
てか、いくら脚本に隙があろうが、このヒロイン役を「伊東蒼にオファーして受けさせた」ってだけで、紀里谷監督の仕事としてはもう、最大限に評価していいのではないか?
よくぞこの娘にやらせてくれた。
とにかくうまい。
それは『さがす』のときにも重々思っていたが、
今回はさらにいろいろな一面を見せてくれて、本当にびっくり。
あとこういうと可哀想だけど、この娘は「不幸」な役がよく似合う。
なにせ、前の映画『さがす』のお父さんは佐藤二朗で、その前の映画『空白』のお父さんは古田新太。親運が悪すぎる(しかも『空白』の蒼ちゃんはすぐ轢き殺されてしまう)。
今回の親には、早々に死なれてるうえに理由があれだし。
極貧だわ、唯一の身よりの婆さんも亡くすわ、学校ではいじめられてるわ、○○までやらされてるわ、将来の夢は潰えるわ、いざ機関に協力しても世間からは叩かれるわ、味方は次々と○○されるわ……辛いことばかりがあって、ちょっと光明が差したと思ってもまた悪いことが強烈な反作用でぶり返してくる。
みんな『エヴァ』とか言ってるけど、これ『まどマギ』でもあるんだよな。
「魔法少女になってくれ」って依頼されて、正義と未来のために心を決めて引き受けるんだけど、意気揚々と頑張れたのは最初だけで、あとはただひたすら酷い目と怖い目に遇い続けたあげくに、元凶がなんだったかを知るっていう。
もとが不幸で、少し「頼られる」歓びを知ったあとに奈落が待っているから、よけいにきつい。しかも……結果的に紀里谷監督はいやボーンによって、蒼ちゃんに○○○までさせている。どんだけ彼女を汚せば、気が済むんだってくらいのいたぶりよう。
あげくに最後があれだから、本当に救いがない。
要するに、『世界の終わりから』という映画は、突き詰めれば、伊東蒼という天才女優を「いったんもちあげたあと突き落とし」「合法的にとことん不幸な目に遇わせて」「極限まで光り輝かせる」ための搾取装置なのだ。
やっていることはずいぶんとひどいが、結果的に女優としての魅力を最大限に引き出すことに成功している。
これは、間違いなく紀里谷監督のお手柄だ。
天才・伊東蒼の真骨頂を味わうためだけにでも、この映画は多くの人に観られるべきだ。そして(僕とちがって)紀里谷監督とうまく波長を合わせられたら、おおいに感動してもらえればと思う。
そういや岩井俊二えらく楽しそうだったな。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』に紀里谷氏が出たバーターかな?
あと、いじめっ子のこと山本舞香だと思い込んでて舞香ちゃんごめん!
全122件中、21~40件目を表示