「これはハンクスの映画です。実在感は圧倒的。その背に長い人生の影を負った老人は根が善良で、次第に心を開いていくのですが、バンクスは演技を全く感じさせない素晴らしい演じ方でした。」オットーという男 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
これはハンクスの映画です。実在感は圧倒的。その背に長い人生の影を負った老人は根が善良で、次第に心を開いていくのですが、バンクスは演技を全く感じさせない素晴らしい演じ方でした。
ウェルメイドとはこの作品のことを言うのでしょう。実際「上出来」なのです。
世界的なベストセラーを映画化したスウェーデン作品「幸せなひとりぼっち」(2015年)のリメイクです。二番煎じとはいえ、巧妙に別種の風味の作品に仕立て直していました。
オットー(トム・ハンクス)は、妻に先立たれ勤めも辞めて、孤独な一人暮らしをしていました。いつも不機嫌で、野良猫にまで悪態をつく始末。雑なことが大嫌いな性分で、毎日町内をパトロールしています。ゴミはちゃんと分別されているか、違法駐車はないか、自転車は放置されていないか。不逞な輩にはその場で説諭するのです。
愛する妻に先立たれ、会社も退職した彼は孤独の中、自らの人生を終えようと決め、家で首を恥るつもりで準備を始めます。ルールを守り、規律正しく生きようとするオットー。電話や電気の契約を解除し、天井からロープをつるした床には紙を敷く。死んだ後、誰にも迷惑をかけないことにこだわるのです。
けれどもそんな時、オットーの家の向かいに、メキシコ出身のマリソル(マリアナ・トレビーニョ)とその一家が引越してくるのです。そして、マリソルが引っ越しのあいさつにと、しつこく家のベルを流します。
タイミングを外されたオットーは、別な日にも自殺を試みるものの、いざという時に決って彼女が訪ねてくるのです。やれメキシコ料理を手にどうぞ召し上がれとか、クッキーが焼けたから食べてみてとかいうのです。梯子を貸してくれたの、運転免許を取るため教習をしてくれだのと、遠慮が全くありません。何やかやとオットーの生活に入り込んでくるのです。
陽気で人懐こく、おせっかいなマリソルが、オットーを生きる方向にとどめていくのです。教師だった妻の元教え子で、トランスジェンダーの若者とも話すようになり、オットーは自らの世界を広げていくのでした。
脚本が老練デヴィッド・マギー、監督が多才をもって鳴る「ネバーランド」などマーク・フォースター。エピソードの一つ一つが、私たちの日常と地続きで生活感があり、しかもユーモアの加減が絶妙です。
「誰にも迷惑をかけたくない」というのは、実は「誰のことも見ていない」のと似ている。オットーに徐々に周囲の人たちの様子が見えてくる過程を、フォースター監督がエピソードを積み重ね、巧みに描いてくれました。
しかし、これはハンクスの映画です。実在感は圧倒的。その背に長い人生の影を負った老人は根が善良で、次第に心を開いていくのですが、バンクスは演技を全く感じさせない素晴らしい演じ方でした。
偏屈で頑固、つまり心が狭く、いつでも不機嫌な顔。近くに住んでいたら厄介な人物なのですが、ハンクスが演じると結局、心温まる物語となるのです。自分の殻に閉じこもる、隔絶の時代にあって、互いの境界をなくしていこうという作品でもありました。王道のエンターテインメントの中に、社会へのメッセージが込められているのではないでしょうか。
当初、底意地が悪くも見えたオットーですが、嫌悪感を抱かなかったのは、ハンクスの力が大きいと思います。存在自体に愛嬌があり、そこはかとなく人の良さがにじみ出るのです。死を前に重苦しくなりそうな空気の中でも、どこか軽やかさが感じられます。昨年公開の「エルヴィス」での強欲マネジャーなど時々悪役もありますが、やはりこの人は、好人物を演じた方が本領を発揮するのです。
総じて文句のつけようのない良作ですが、「泣ける映画」という宣伝文句には違和感がありました。泣かせるだけではない、人間に対する洞察と愛情にあふれた作品なのです。
主題は明白。生きることの意義を説くという映画の基本的課題といえるでしょう。
ところで、ウェルメイドという評語、近年とんと目にしなくなりました。時代が変わり、映画も様変わりしたのです。この作品は、普遍的で楽天的で明快なハリウッドの伝統の残照なのでしょうか。