君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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ジブリ好きの人のための作品
自分はジブリ好きじゃないので、つまらなかった。
ただ待ち合わせ前に時間が余って、たまたま時間の都合が良かったので観た。
そして期待通りつまらなかった。
つまらなかったというよりは、映像がただただ気持ち悪かった。
主題歌、声優陣が素晴らしかった。
誰一人、声の主が分からなかった。
面白くはない
映画館で見るものでは無く
迫力も無ければ、絵が綺麗でもないし
音がいいわけでもない。
特に、声は酷い
少年が
物語の主人公として、
当たり前の選択をして行くのを
ただ見てるだけの2時間
結果、タイトルが全て
謎に前向きな気持ちになった
勝手に自分の人生と置き換えて観ていました。
現実から避難して、見るもの触れるものを全て睨んでいた時期を思い出して。
塔を現実からの避難場所として。
現実世界は辛い。理不尽な事だらけ。
だからこそ、幻想の世界は魅力的なんですよね。
誰しもが、アオサギの誘惑に誘い導かれ、悪意で自分の心を守る可能性がある。
あの塔に惹かれる🟰逃げたい現実に直面した、というように解釈しました。
眞人も、大叔父さんも、キリコさんも、夏子さんも、そしてヒミも。
それでも自分の悪意と向き合って、前向きに生きようとするものが、塔から抜け出すんだなって。
私自身の体験だと、やっと授かった子どもが流産した時、心が壊れてしまいました。周りの妊娠報告を受けるたび、悪意で満ちて、友人との連絡を断ったりと、作品でいう塔の中に閉じこもりました。今でも、閉じこもりたくなる事があります。
この映画の話は、人間の心の中をファンタジーとして具現化したものだと思って考えます。
最後塔から抜け出せた時、多くの人は記憶がなくなる
というのをアオサギが言っていて、なんだか救われた気持ちになりました。
こんなドロドロ周りを呪って恨んで人のせいにしてる悪意に満ちた今の私でも、この辛さから気持ちの整理をつけて抜け出せたら、すっかり忘れて前向きに生きていく事ができるんじゃないか、と。
もしくは、眞人のように、自分を救ってくれた、守ってくれた人の事を忘れず、現実に向き合える事ができるんじゃないか、とも。
人生の最後を塔の中で過ごした大叔父さんもひとつ。最後立派に若者へ未来を託され事に、虚しさより清々しさを感じました。
アラサーの私。まだまだ長い人生、また歳を重ねてから見直していきたい映画だなと思いました。
きっと、その都度、自分の中の答えと向き合う事ができるツールとして、この映画が寄り添ってくれると思います。
宮崎駿の集大成だった
宮崎駿の集大成だった
色々な宮崎駿作品のセルフオマージュが散りばめられていた
亡者の船列は紅の豚の亡者飛行機の列のシーン
魚を求める黒い人は千と千尋の神隠し
わらわらはこだまやすすわたりかな
他にも沢山の過去作連想するシーンが多岐にわたられてあった
あとジブリお馴染みのおばあさんキャラが大集結(笑)
悲惨な戦争のシーンをかかなかったのは、宮崎駿が宇都宮空襲で助けを求める人を見捨て車で逃げた話もあったし、トラウマで描きたくなかったから風立ちぬでも描かなかったのだろう。
また裕福な家庭・軍需工場を経営する父親は宮崎駿もそうだから主人公は宮崎駿、主人公の父親は宮崎駿の父もイメージしているのではないだろうか。
そしてヒミの帰ったら空襲で死んでしまうからダメだと引き留められたシーンに息子(眞人)を生めるなら素敵じゃないかと返すのが母(少女だけど)の愛を感じて泣いた
若くして亡くなる運命でも息子に生みたい、会いたいは「いま、会いにゆきます」もそうだったように母の愛は偉大なことを知った
30代の今出会えて良かった作品だった。
自然と涙が溢れる作品
昨日やっと見に行ってきました。
前情報もなく、かなり賛否両論の作品で
理解に苦しむという意見やつまらなくて寝落ちして
しまったなど酷評もあると聞いていたので
どんな作品なんだと身構えて
鑑賞したのですが、エンドロールが流れる頃には
自然と涙がこぼれ落ちていてとても感動する作品でした。
私自身語彙力が乏しい為、この感情を言葉にうまく表現することが難しいのですが、色んな考察以前に
マヒト自身の心の葛藤と成長を描いたストーリーで感情移入してしまうシーンも多く、最終マヒトが自分の心の傷やトラウマに目を背けることなく、
向き合い、前に進む選択をした強さにも心を打たれました。
確かに要所要所で展開が早く感じたり、断片的で細かい描写の説明がないので『え?なんで急に?』って思ってしまうシーンも人によってはあるのかなと。
青鷺が登場してから学校に通いマヒトが頭を石で
打ち付けるまでのシーンも描かれていないだけで、
かなりの日数経っていて心に限界が来ていたのかなと解釈しました。
青鷺が言葉を発したシーンではマヒトは鳥が言葉を発することに特に驚くこともなく仕留めようとしていたので、描かれていないだけで、数日前から青鷺から話しかけられていたのかな、、、など
想像力を働かせながら鑑賞するシーンが多かったです。
私の勝手な解釈ですが、、、笑
自分の心に訴えかけてくるような作品でもありましたし、1人の少年の成長ストーリーでもあり
家族愛、人と人との絆、自分を受け入れる強さなど沢山のことを伝えてくれた映画だと私は感じました。
見た人の心を映し出す鏡と言われている作品の為、他の方の考察を見た上でもう一度鑑賞したい作品です。
やっとネタバレを恐れずに済む
ネタバレ、なんとか逃げ切り、(公式Twitter (X)に絵バレ食らったけど)やっと観られました。本当に何の予備知識もなく、「君たちはどう生きるか」も読んだことがなく、真っ白な状態で観たので、エンディングでいくつか驚いてました。
・菅田将暉どこで出てた!?
・あいみょんも!?
・キムタクも!?!????
声とかそういうの全然分からないので、エンディングでえっえってなってました。
他の方もレビューで書いてらした、過去作を彷彿とさせるところが随所にあって、なるほどなぁと思ってました。
私はたくさんの船の幻(だったかな)が出てきた時に、紅の豚を思い出してました。
あの時代の戦争は、船より飛行機のイメージがあるので、勝手に「死者は船に乗って還る」という普遍的潜在的なイメージの集合体(幻)かな?と解釈しました。
眞人が、ただでさえ戦争というPTSDになるだろう状況で大切な母親を亡くし、心はボロボロなのに着丈に振舞ってたらお父ちゃんは実母の妹と再婚するという…父親、ちょっと息子の心に寄り添え!って思いました。
心の汚れた私は、描写的に裕福な家系である母の家の金目当てなのかこの父はと思っていましたが、いなくなった妻子を探してめちゃ武装する姿でとりあえずまず自分の心を浄化しました。私にあの積み木は触れない。
大叔父の崩れた積み木は結局現実世界に何をもたらしたかっていうのはあの敗戦かな。世界中に衝撃もたらしたものね、あの終わり方は。
そこは観てる誰しもがもうわかってるから、わざわざ描かずにラスト「戦争終わりました」で締めたのかな。
新たな世界を眞人は新たな環境で構築していくんでしょうよ。
ナレーションで始まった(母がなくなり、翌年東京を離れた〜的なやつ)からナレーションで締めたんでしょうけど、余韻的なものはあまり感じなかった。作中でラジオででも終戦のことを流す…だと敗戦だからお葬式ムードになるか。希望のある終わり方にするには、本人の独白ナレーションしかないのかな。
この映画キャラの中で事前に存分に目にしてきた青鷺について
不気味な鳥→なんだこの醜いおっさん→なんだこのかわいいおっさん→スタンドバイミー…!!
となってました。
キリコと言い、夏子さんやヒミ、宮崎駿さんの好きな、律した女性はやっぱり逞しくて強かったです。
夏子さんは悪阻であそこまで落ちてた…?
大切な姉の忘れ形見(眞人)を傷物(こめかみあたりの傷)にしてしまって、自己嫌悪でもあったのだろうか。
子供が死を自己解釈するための、母の死を受け入れ、次に進むための大切なお話だったと思います。
宮崎駿さんの新作が観られて嬉しかったです。
ところで映画のポスターの青鷺、口の中の目がつぶらで、このつぶらな目からあの鼻のおっさんは詐欺かもしれんなと思いました。
最後の作品
おじいちゃんは最後に
「娯楽」でなく「文学」をやりたかったのかな?
って鑑賞中に思うくらい作品に入り込めなかった、むしろ早く終わらないかなと思った
事前情報いれたくなかったので公開2日目に観に行きました
何あの思わせ振りなポスター、
いままで「宮崎作品」といえば「超娯楽大作」だったじゃん、そう思って観るじゃん……
なので「娯楽作品」としては★1です
とはいえ「文学作品」と思って
もう一度観に行くことも 無いな
子供と一緒に見たいと作品
宮崎駿は裕福な家庭に生まれ、戦時中も他人より苦労が少なかったと聞いた。本作の主人公の設定はそのような本人の生い立ちを重ねたものであろうから、自伝的作品と呼べるのだろう。作品を経るにしたがい、社会主義への傾倒から諦観、現代社会の共感的受容へと作者の思想が変化してきたことを感じてきた。本作においても現代社会を落とし込んだ世界が作られ、観る者にどのようなメッセージを投げかけているか読み取ることを楽しめた。
子供の話を聞かずに自分のことに終始する親や見た目が美しいが中身が醜悪なアオサギ、ひねくれてしまった眞人などは現代ではよく見る人の姿だろう。塔にこもり自分の理想的な社会を作ろうとした大おじは、かつて社会主義を理想的に考えていた宮崎駿と重なる。大おじの作った世界を自分の暮らす世界と似ていると言ったセリフは、自分が追い求めた理想の成れの果てを表していたように思う。命を軽んじる風潮や生きる力を失った人々、ペリカンやインコのように本来の求めていた姿からかけ離れてしまったのが今の世界である。
最後に大おじは汚れのない積み木を渡し、眞人に世界を作り直すよう求めるが眞人は拒否する。大おじの世界を冒険する前の眞人なら受け取っていたであろう。世界の姿を知り、どう行動するか。かつてのナウシカは風の谷に戻ったが、アシタカはたたら場で暮らすことを選択した。眞人もやはり、今の危うい世界に戻ることを選択する。自分の傷は自身の悪意の象徴であると言い、それを抱えながら生きていくと決意したのであろう。
私も子供を育てる親である。自分の子供にはよいものを残してあげたいと思うが、どう生きるかを決めるのは子供である。そして、大おじがそうであったように今の世界も始まりは善意だったと思う。悪意が混ざるのもまた、人間らしさなのだ。それとどう付き合っていくか。アオサギとどう付き合っていくか。子供と一緒に見たいと思わせてくれる作品だった。
ちょっとした疑問
キリコばあやが若い姿になった時舟を操ったり魚をとってさばいたりするのが頼もしく、他のばあや達も個性的に見えてきた。主人公に竹を割って弓矢の作り方を教えていたじーさんも印象的で、これらのおじいさんおばあさん達は大伯父よりも魅力的であった。
下の世界で、ヒミがあなたのお母さんになりたいと言って若い世界に帰って行く、そういう世界そういう出会いがあったら面白いと思うけど、お母さんが火事で亡くなったのは下の世界で火を操っていたのと関係あるんだろうか。
下の世界を作った大伯父をどなたかになぞらえているのならなんだか恐しい。
よく分からん
キムタクが浮いていたのは、分かった。
画と一体化せず、どこまでもキムタクな感じ。
後半部、カリオストロの城か?と思えそうな画。
戦車はガルパン見習ったほうがいいんじゃないの?
ラスト、溜がないので、生まれた子供(?)の顔がよく分からなかった・・・
途中、寝落ちしそうになったが、何とか持ちこたえた。
もう一回見るのも面倒なので、後は、ようつべの解説動画で補完したい。
時代の周期と共に、ジブリ隆盛に区切りをつけるような作品
戦前生まれの眞人が生きていれば御歳90以上である。
新たな混乱の時代が這い寄るような、嫌なムードが世界中にただよう現代、眞人の積み上げた時代(積み石)のバランスがあたかも崩れていきそうな、そんな事になっているのだろうか。
勝手ながらの解釈でそう考えたとたん、タイトルのそれが自分にとって意味をなすのでありました。
* * *
劇場で観るべきかどうか、迷いに迷った挙句、長期休暇だったり水曜サービスデーだったり、以前、息子が見に行って面白かったという感想に追いつかねばという気持ちだったり、自分でも可笑しなくらい言い訳ならべ、やっと観た本作品。
こんな言い訳 羅列の理由は、各方の作評は賛否割れまくっていて、どちらかというと否定的なそれも目立つのを散々知ったがゆえ。
それなので私は、本作は黒澤明の「夢」のような作品なのかしらと、ちょっとした覚悟を持って観に行きました。
結果、私の感受性にはとても良い意味で刺さったようです。(人それぞれ、ってやつですね)
まず、想像していたよりもずっと一連性のある物語と思った。平たく例えるなら、おもったより食べやすいよと。
但し、どうしてこんなに低評価があるのかは想像がつきまして、ヒーロー&ヒロインの大冒険譚、いわゆるジブリファンタジー的なもの?幾度となく金曜ロードショーで再放送されまくってきた王道のハラハラドキドキを期待してしまうと、呆気に取られてしまうのかなと。
宮崎駿氏のファンタジー作品は「アリエッティ」あたりが最後で「風立ちぬ」からはとても内省的な作風。本作はより内観が深まったものであるかと。(これは覚悟の上で鑑賞)
そして本作ははっきりと前編後編で分割されているようであり、前編はより宮崎氏の「内省風景」。後編は同氏のライフワークであった「ジブリ」。この接続はやや強引なところがあり、ここが苦手と感じる観客も多かったのではなかろうか。
私は、ここまで人の五感に迫るアニメ漫画を見たことがなかった。アニメ、二次元で得られる感動はいつだって視覚的で、大好きな鬼滅だって、推しの子だって、まずは視覚的な感動があって、だ。
本作では、視覚(風景)、音、あり得ないほど素晴らしい。その素晴らしさが私自身の心を現地に引き込んでいく。そして 匂い、香り、板張りの床から足裏に伝わる質感、手触りひとつひとつ、また味覚に至るまで(雑炊は不味そうだったし、ジャムパンは美味そう)通常音響の劇場だったが、気づけば 五感をフルに使ってしまっている。
こんな映像をCGじゃなくアニメで描ける人は、この先現れるのだろうか。色々と議論されることの多い宮崎駿氏だが、天才だと私はおもう。最早、絵画以上かと。
ぜひ海外での評価も聞いてみたい作品。
あ、そうそう。ペリカンとインコを見る目が変わっちゃったかな…
主人公、睫毛長いっすね
とにかく酷い、支離滅裂だ、と言う評判以外の事前知識は何も入れず見に行きました。
確かに登場人物の動機や心情変化のタイミング・きっかけなど、分かりづらい・答えが明確に示されない部分はあります。
しかし酷評するほど支離滅裂かと言われると...うーん...少なくともストーリーの大筋はちゃんと見てれば理解できる気がする。
私は、これは主人公が自分の「悪意」と向き合う物語だと感じました。「何が言いたかったのかわからない」という意見を多く見かけるけど、それを自分と向き合って考えて答えを見つけようよ、っていう映画なんじゃないかなあ。
とにかく映像が細かく綺麗で丁寧で、キャラクターの動きも音楽もファンの求める「ジブリ」でとても良い。ジブリ作品が好きな人は見る価値あると思います。
集合体や動物が苦手な人はきついシーンがあるかもなので注意です。
アオサギが本作のヒロイン
女は、母と叔母と家政婦ババしかでてきません。
おそらく若い女はいらないと思ったんでしょうな。
行方不明の大旦那さまの話が出た時点で、たぶんこいつが駿だなって察してしまった。実際に駿だった。
要約すると駿が鳥籠の中で、インコ(外来種)と暮らしてるんですよ。
このインコって何を現してるんでしょうか?
敏夫の愛人のことですか?
そして、駿が人生かけて集めたものを子孫に託そうとしたら、拒絶されるんですよ。
これも、なんか色々想像してしまって。
個人的には意味不明
鑑賞直後の感想としては『まるで意味が分からない』。
物語の前半は現実世界の話で、後半は異世界の話。前半までは順調に理解できていたが、異世界に飛んだ途端、理解不能に陥った。
盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化しきれないまま『誰?』『なぜ?』『どうして?』『どういうつもり?』が積み重なり、それらの疑問が解消される間もなく物語が進んでいく。結局、それらの疑問が最後まで解消されることはなく、また、この映画に込められたメッセージも読み解けず、モヤモヤしたまま映画は終了。
帰宅後、様々な評論を見て個人的に一番しっくり来た解説が『異世界はジブリのメタファー(暗喩)』という解釈だった。
主人公を【宮崎駿】、異世界を【スタジオジブリ】、異世界を司る大叔父様を【高畑勲】、13個の積み木を【宮崎駿と高畑勲が作り上げたジブリ作品】に例え、ジブリ【異世界】の大黒柱は高畑勲【大叔父様】であり、これまでのヒット作【積み木】がジブリの経営を支えてきが、その経営基盤は非常に脆く(積み木の危ういバランスがそれを表している)、高畑勲の後継者は未だ見つからず、作品がコケればすぐにでもジブリは崩壊してしまう(積み木の崩壊とともに異世界も崩壊)。
異世界に登場する無数の鳥は【アニメーター】に例えられ、彼らはジブリの中では怖いものなしだが、ジブリから一歩外へ出れば、彼らはたちまち弱い立場に置かれる危うい存在だとも捉えられる。
個人的にこの解釈が一番しっくり来たのだが、この解釈でも説明しきれない部分は多々あるし、そもそも『ジブリの暗喩だとして、わざわざ内輪の話を映画にして大衆に何を訴えたかったのか?』という疑問も残る。
人によって解釈は別れており、どれも尤もらしいのだが、矛盾や説明がつかない点も多く、結局、正解は謎のまま残った。
最終的な結論としては、この映画に正解を求めてはダメで、見る側が想像力を膨らませ、好きなように自分なりの解釈を加えて楽しむ現代アートのような作品なのだろう、と。普通、映画には監督の伝えたいメッセージがあり、それに沿って物語を肉付けし、観客は映画に込めた監督のメッセージを読み解いて成立するのだが、おそらくこの作品の解釈には正解がない。
想像力を働かせ、ああでもないこうでもないと楽しむ作品であり、そういう作業が好きな人にとってはこの上なく楽しめる作品だが、自分のようになんに対しても正解を求めてしまうようなタイプの人間にはちょっと理解し難い作品だったと思う。
最初の映像はすばらしい!
タイトル通り、最初、母親が入院している病院が火事になるが、そこまでの人の動き、背景はすばらしいがそれだけ!
最近のアニメ(映画に限る)はそれなりに映像はいいので、後半はそれほど良いとは感じなかった。
この映画の問題点は、キャラクターに魅力が無いのと話がつまらないこと!
後半の異世界(大叔父の作った世界)は伏線回収していなかったり、意味の解らない画面切り替えが有ったりと雑に作って有るが、話が面白ければまだ”異世界とはそういう所”と割り切れるかもしれないが、この映画はそうはならない。
たとえば、ヒミは過去に迷い込んだ眞人の母なのになぜ”火”を操れるのだろう?とか、大叔父との会話の場面から画面が飛んでオウムに捕まっているとか・・・気になってしょうがない。
普通に義理母や父とのわだかまりを丁寧な描写で解消していくだけでいいのに、異世界要素と跡継ぎ問題を絡めるから”訳が分からいない!”となる。
後、内容も不明な本を読むことだけで義理母とのわだかまりが解消するってのも乱暴!
(販促映画ですか?)
平日の鑑賞で客は20人ほどで、友人同士やカップルが多かったが,鑑賞後、みんな無口でスクリーンを後にしたのが印象的でした。
昔の宮崎アニメと比べるのは
昔の宮崎アニメと比べるのは、しょうがないが、新境地を描く巨匠の卓越ぶりを
楽しんで欲しい。深いテーマやメッセージは、むしろ無いに等しい。
主人公は亡き母と義理の母の奪還を
行動原理にして
世界階層を巡り生命の構造を知る。
亡き母は過去の若い姿で会う
BTFの要素も有るけど、
既に指摘されてるジョンコナリー
「失われたものたちの本」
との共通点が、
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」
より原作モデルであろうと推察される。
本作はディズニーの
「不思議の国のアリス」と
立ち位置と賛否が良く似ており
異端にして功績者、
破壊と喧騒から残るもの。
そのサムシングが
老若男女を魅了するアニメーションの
テーマだったと言えよう。
十分、子供向きとさえ思う。
志村けんのスイカ早食いコントに対して
何故スイカなのだ?
何故早く食べるのか?と
真面目に考えてどうする?
宮崎アニメを暗号課題か何かのつもりで居た人が意外に多くて驚く。
アニメーション映画は
見た目を楽しくするのが表現だろう。
それはナウシカやカリオストロから
すっと続いて有った筈。
そうゆう意味では
今回の「君たちはどう生きるか」も
全く変わっていない。
変わらずに変わるのだ。
この「君たちはどう生きるか」と言う
タイトルも「こうゆう新作、作ったよ。これ観て君たちはどうする」
くらいのノリで
使いたかった題なのだろう。
あえて浅読みした方が
見えてくる場合もある。
これは巨匠入魂の快作です。
ちなみに夢判断的に青鷺は
自由と平和の中で自分自身を解放し
内なる平和を見つける成長を
現している。
詐欺師のサギじゃないよ。
「君たちはどう生きるのか」という題名に?
なぜ「君たちはどう生きるのか」という題名に?宮崎駿監督は見る人たちに、直球勝負で投げかけたテーマに感じた。
その答えは、主人公の冒険譚を通して、自分たちが、もがきあがき、自分たちの頭で考え見つけていくべきだ、という思いを感じた。
そして、初めに戦争を描いた。かつ母親の死と義母の登場。
主人公の少年は、義母に対して、お父さんが愛した人だから、と拒否するが、最後はお母さん!と叫んで助けようとする。そして、母親として受け入れた。映画の終わりでは、戦争は終結し、平和が訪れ、家族仲良く暮らす。
この意味することは何であろう?
戦争は悲劇だ、その悲劇を避けるには?
その答えの提示があるように思えてならない。
母は少年にとって最も大切な人だ。そして戦争で奪われた。そこに全く知らない赤の他人が母と名乗る。最も大切な人であった母の代わりに、他人を母として受けいられるのか?その葛藤の末、受け入れた、ことに答えは収斂しているのではないか?
他人を母として受け入れたのなら、世界に戦争はあり得るのだろうか?家族として受け入れたのなら戦争はあり得るのだろうか?
このように、さまざまな想いを巡らせることができるこの映画は特別な映画だ。
贅沢の限りを尽くした映像美も感嘆した。
宮崎氏のルーツとイマジネーションの歴史
まずはじめに感じたのは、これは基本的に宮崎駿監督の自叙伝だろうと思った。
戦時下の日本、空襲で母を亡くし、父は義理の妹と再婚し新しい命=弟を授かる...
そして駿少年たる主人公は唐突な継母との新生活や疎開先の田舎に馴染めず同級生と喧嘩...
現代で考えても相当ヘビーなトラウマを植え付けられ「自分は何も悪くないのに、次々と周りの大人たちのせいで大いに傷つけられた」と嘆いていただろう。
だからワザと石を頭にぶつけ喧嘩の傷を広げ周りの大人を心配させ自己憐憫にふける。
そこで思ったのは、人の喜怒哀楽を拡大・誇張する「デフォルメの才能」が幼少から在ったようだ。まあ石のくだりが事実かは不明だが、何となく映画の前半は「幼い自分が時代や大人たちから受けた理不尽さ」の説明に費やされてた印象。
そして後半は、そんな田舎暮らしの駿少年が自己憐憫にふけりつつ毎日妄想してた「オリジナルのおとぎ話」を、現代のスーパーアニメーターたちを総動員して映像化したものだと思った。いわば「宮崎駿はじめてのオリジナルファンタジー案」の完全映像化だ。
なぜそんなもの作ったか?まずは単純に「クリエイターとして最後に創りたいモノは?」と考えたら、宮崎氏にとってはコレだったんだろう。
いわばアオサギは当時の自分のアタマの中にいた妄想上の親友で、当時の駿少年は、そいつとの冒険譚が鬱屈した疎開時代を生き抜けることができた生命維持装置みたいなものだったし、ひいてはクリエイティブな才能をじっくり醸造できた時期でもあったんだと思う。
勝手な持論ですが「リア充は第一級のクリエイターにはなれない」と思ってる。女にもてずクラスの人気者になれない日陰モノは、妄想という名のクリエイテビティを良くも悪くもコジらせ肥大化させることで、リアル世界に現出しないファンタジーを創造することができる。リア充は結局そこまで頑張らないし定時になると帰りたがるので驚きを生まない。
だから今作を見てて「アオサギは何だったのか?大叔父の存在とは?インコは何の隠喩なのか?」と考えてても、正直「たいした意味はない」のでしょう。教室で授業も聞かず妄想に耽ってた駿少年の妄想ベストシーンをもとにストーリー性を設けて再現しただけと思う。らインコとか、疎開先のお屋敷で沢山飼ってた?の程度の事だと思う。いやまあ「それもアナタの妄想でしょ?」と言われればそうですが、そう考えるのが一番合点いった私の感想です。。でも、それでいいんですよ。それこそ宮崎駿氏にしかできない遺作の在り方です。
長年アニメクリエイターとして生きてきた宮崎氏が最後に語る「自分はこういうモノで出来てる人間で、こうやって生きてきた。キミたちも自分で考えながら生きてみれば?」と晩年になって書き残してみたくなった…という映画なんだろうって。なので、鈴木プロデューサーが「あえて宣伝しなかった」と公開間近になって宣伝?しはじめたのも、そういう目でみると合点がいく。そりゃあ、宣伝できませんよね。。だって「大いなる自分語り映画」なんだから。だから宣伝「しなかった」でなく「出来なかった」が正確と思いました。
でも、エンドロール見てて思ったのは、結局その鈴木Pは、言葉は悪いがコモノだったなあと思った。日本のウォルトディズニーにはなれなかった。だからジブリは、このまま消滅するんだろうって。錚々たる名アニメーターが参加してたのは感動したが、と同時に、みな個々にスタジオを設けてて、ジブリを預かる後輩がいない。しかも上映開始前に流れたポノックの予告を見てて「なんでヨネさんがポノック名義で新作だすのさ?」って思った。鈴木Pは宮崎氏と若手クリエイターのカスガイになってなかった。。。
改めて日本アニメ界の旧態依然を見せつけられた気持ちになった。
追記のタイトルは「こじつけ」
元々のレビューのタイトルは「意味わからん」だった。
故にクソつまらないが第一声。
何かが何かを担っているのだろうけど、どおにも良くわからない。
ずっとタイトルの意味を考えてた。
「君たちはどう生きるか」
人生は選択の連続で、選択していく事が生き方の轍なのだとは思うのだけど、どうやらこの作品を受け止める感性が俺にはないらしい。
寝てた。
諦めたと言ってもいい。
インコもペリカンも鷺もキモいし…宮崎版「不思議の国のアリス」と思えなくもない。
戦時中の舞台設定は、なんとなく腑に落ちはするのだけれど、異空間になってからはもううんざりだ。
ただ一つ印象的なのは少年の目だった。
彼は明確な意思をずっとその眼差しに宿してた。
何が起ころうと、何に向かいあっても怯む事はなかったように思う。
コレこそが、メッセージなのだろうか?
なのだが。
一体、お前は何者なのだ?
その切り替えの速さは何に由来してんだ?
コイツは人っていう括りに分類していいんだろうか。
時間は前にしか進まない。
故に、後ずさる選択など無いのだと。
…原作が一時期ブームにもなってたからどんなもんかと思っていたのだけれど、どうやら個人の脳内で展開され咀嚼されていくメッセージと、見せられるモノとは別物らしい。
▪️追記
「コレは宮崎駿の自伝だ」とのレビューを数本見かける。なるほど、面白い視点だと思われる。
なんか、そんな裏知識を踏まえて作品を見るとなかなかに噛み応えも出てくるかもとフと考える。
遺書とか遺言とのレビューも興味深い。
普段はそんな視点では見ないのだけど、誰かの感想に乗っかって見てみるのも面白いかと思った。
▪️追記
主人公=宮崎駿とし、この作品が「自伝」だとして…こじつけ考察レビューをしたためようと思う。
冒頭、戦時中から作品は始まる。
ここは紛れもない現実なのであろう。ここでは彼が「物言わぬ思考する若者」だとの印象を受ける。
環境と大人達に流されるも、どこか強い意思を有する人物。それはやはり目に現れてるように思う。
全編通して「鳥」が多用される。
鳥には自由や奔放などの意味を付与するとして…最初に登場するのは「青鷺」だ。
嘘つきだと称されるが後に友達とされる。
コイツは異質なのである。
主人公の目の前で変態していき、人と鳥のキメラの如き形態を保持する。悍ましい容姿なのだ。
ではコレは誰なのか?
宮崎駿を業界に引き込んだ人物にも捉えられる。
人に非るもの…に見えたのかもしれない。
青鷺を同伴者として異空間に場面は変わる。
この異空間こそが「アニメ業界」もしくは「宮崎駿の脳内」なのかもしれない。
では、その前に紹介された義母はなんなのか。
コレは目的や目標なのではないかと思われる。
義母を探しに、森林に足を踏み入れる。
探し当てた義母は、手にした瞬間溶けていく。
そこに青鷺の台詞
「よく出来た方だと思ったんだけど、もたなかったね」とか何とか。
ゴールは到達した瞬間からスタート地点へと変貌する。
足下から飲み込まれていく主人公。
その表情から戸惑いは読み取れない。
何かの覚悟をしてるように思え…文字通り、泥沼の如き床に沈み込んでいく。
「ペリカン」は観客なのかと思う。
生まれる命とは、創作物の命とも言うべき「アイデア」なのではないかと。
産んでも産んでも、片っ端から平らげられていく。ペリカンの大きな口…無慈悲な欲望の具現化かもしれず、習性としては貪欲で節操がない。
突如現れる墓所は「アーカイブ」かもしれない。
先日達の魂が眠る場所…ココで主人公は言う。
何故墓所の扉を開けたのか?
「開けたんじゃない。ペリカンに押し切られたんだ」
物語の骨格とも呼べるものは、最早出尽くしていて、細部の変更はあるものの基幹は変わらないとの意見もある。クリエイティブである監督や脚本家は、なんとか既存の物語からの脱却を模索するのが常である。
先人達と同じ轍を踏む。
やりたくない。でも、時代のニーズに押し切られた。という意味合いなのかもしれない。
インコで思い浮かぶのは籠だ。
限定された空間の中で、忙しなく動き喧しい。
インコは製作陣や制作環境を指すのかもしれない。
インコの王が鈴木敏夫Pっていうレビューからインスパイアされた訳だけども、なるほど権力も金もあり、至極正論で、かつ横暴でもある。
途中主人公が必死の形相で階段を駆け上がっていく。
その階段は制作過程だとして、ソレを断ち切るのはインコの王だ。ご丁寧に2回も切って足掛かりさえなくなる。台詞をあてるなら「監督、もう金がないんだよ」…死刑宣告にも等しい。
実母とミサは同一人物ではあるものの、担ってるものが違うように思う。
ミサは鳥達に対し、唯一有効な攻撃手段で、守ってくれる存在だったように思う。この辺は寝てた。
コレは監督にとってはなんなのだろうか?
母…母か。
であるなら、命を産み出す者としての制作意欲なのだろうか?攻撃方法は炎。
情熱とかよりは、傲慢とかなのかもしれない。
大オジは、自分を俯瞰する自分なのかもしれない。
客観的視点なのだろうか?
主人公に連なる血脈であり、歳を経た人物。
本を読みすぎて頭がおかしくなった人。
思考の迷宮に囚われる監督本人なのかもしれない。
この異世界は、本人にとっては現実なのだが、それ以外の人には認知も認識も出来ないという優れた舞台装置でもある。
主人公だけが体感する現実なのだ。
そして、万人が共有する現実に戻る。
プロローグは一瞬だ。
だが、終戦があり2年の月日が流れている。
とてつもなくアッサリ描かれている。
ただそこに経過や経緯だけがあるかのように。
タイトルは「君たちはどう生きるか」
問いかけのようにも聞こえる。
この作品を「自伝」と仮定するなら宮崎駿の生き様を見てきた事になる。魑魅魍魎と相対し様々な決断を下してきた半生を。
主人公が対峙する魑魅魍魎は様々なものに置き換える事もできるのだろう。なればこそ「君たちは君たちの生き方において、何を選択していくのだ」という事にもなるのかもしれない。
物語としては、解釈が多岐に渡ってしまうからこそ、無形に類似するかもしれず…タチが悪い。
ひょっとして、宮崎駿を熟知する旧知の友や、スタジオジブリの関係者達には盛大なコメディにも思え、爆笑に次ぐ爆笑の本作なのかもしれない。
権威を持て囃すことしか出来ない不毛さ
宮崎駿流自己満足のオンパレード。
説明を省くのは構わない。しかし、辻褄の合わないシーンが頻繁に出てきて、非常に雑な作りとしか言いようがない。
例えば、曾祖父の世界は、重要な死者の安息の地なのかと思いきや、単に現実世界からの避難場所でしかなく、そこの説明も皆無。
登場する種族の役割も、その世界の仕組みもよく分からない。矛盾がどんどん出てくるけど、放置して物語が進み大団円。
いきなりワープするし。「あれ?じいさんに会いに行って、なんで戻るの?」みたいな。
これぞ宮崎ワールドと満足する人を否定しません。楽しんだのなら、それはそれでも良いでしょう。しかし、娯楽作品としてろくに成立しないものをそのまま出すのがジブリなのだとしたら、無責任と言わざるを得ないです。結構な値段取るんだから。
ま、私の批判は「監督の夢の世界の話に突っ込みいれんなや、野暮よのお!」ってことでしょうかね。
とにかく酷い映画でした。
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