君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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混沌、2回以上観るのは必須
情報量が多すぎて1回だけでは目で追い付けるのが精一杯。2回目以降でやっと少し脳みそが追い付いてくるかな。ここまで来るとめちゃくちゃ面白い映画。宮崎駿さんの今までの集大成である凄い作品。また、観客側の宮崎愛が試せれる傑作でもあると思う。
今後の作品が楽しみ。
どう生きるか
先日、NHKテレビでこんな番組がありました
「哲学的街頭インタビュー」第一回「何のために生きていますか?」
この問いには比較的容易く答えられるのですが
"どう生きるか?"
この問いはとても難しい
何のためにだったら今現在の自分のことを述べればいいのだけれども
どう生きるか? と言われると今だけを見ていてはいけない、もっと先を見据えて今何をすべきかと言うようなそんな感じで捉えてしまうからしっかりと真剣に物事を考えて道筋を立てて答えなければ
反射的な思考しか思いつかない私にはとても困難な仕事なのだ
どう生きるか?
綺麗事を言えばみんな笑顔でニコニコ出来たらなんてことを言えばいいのだろうけど誰の心にも届かないし聞いてくれもしないだろうな
立ちはだかる色々な困難を払いのけ自分の力で切り開く人もいるでしょうがどうもそれとも違う
どちらかと言えば川の水のように生きたい
今思い出したのですがこの川の水
私が二十歳そこそこの頃にそうありたいと思い願った生き方だった
長年同じことを思いつつ生きてきたのかととても驚いてます
そう川の水です
源流はヒョロチョロと土から産まれたてのか弱さで遮るものがあれば傍へ逸れて遠回りしてでも先へ進むその姿はとても力強く思います
そう、そうだったのです
私は川の水になりたかったのだった
幼い頃から、アタリマエに宮崎駿監督の作品を観て、生きてきて。
私を含めた多くの方が、自分を形成する上での視点や思考に
宮崎監督の作品のイメージや信念が影響され、生きていると思います。
君たちはどう生きるか。を観た感想は宮崎監督への
「ありがとうございました。お世話になりました。」そういった気持ちでした。
ぜひ、多くの方に映画館で観ていただきたいです。
【以下、個人の感想】
子供向けの作品をずっと手掛けられてきて、飛行シーンと空想活劇が得意な
宮崎監督が今、誰に向けて創ったのか。
「君たち」をこども達に向け、メッセージ性の高い映画を創ると考えていた、
私にとって今作の創造点には驚かされました。
歳をとられ昔のようなワクワクするレイアウトや作画は減り、
映画のテンポ、構成もどうしても老いや才能の枯渇が感じられ
過去と比べたときのそうした変化は、私にとって、良いものと受け止められず
躍動感・リズムがない宮崎さんの作品は、劣化と思い、複雑な心境で
今作を含めた最近の映画を観ておりました。
それでも、現在のご自身を高い位置から俯瞰され、自分の現在地を
作品の魅力に変え、過去の作品をオマージュした世界で
ご自身の半生を強烈なメッセージで「魔法」にしてしまう。
そうした宮崎監督のイメージには感じたことがない、驚きと新しいワクワクを
この作品でもらいました。
・眞人が石で頭をぶつシーン
・御屋形様の様相と口にしたセリフ
・インコたちの暴動
さいご
塔が崩壊し、鳥が世界へ飛んでいくシーン。
先頭を走ってきた宮崎監督の「ひとつのイメージ」が伝わり、
感謝と少しの寂しさを覚えました。
また宮崎駿作品を映画館で会えるように、楽しみに、楽しみに
言葉にすることで、また会えることをイメージしています。
宮崎監督は最高のエンターテイナー。
本当に多くの素晴らしい作品を創っていただき
ありがとうございました。
エンディングからが物語の始まり
「君たちはどう生きるか」のコペルと同じ年代の眞人を主人公に、宮崎駿のメッセージが伝わる。
戦時中の資産家と庶民とか都会と田舎の格差や、亡くなった奥さんの後添えに妹と一緒になる事が当時は普通にあったのだ、など今の若い人には多少わかりにくい点があるかもしれない。
しかしながら「今頃軍は大慌てだよ」と語る父は軍需産業で肥え太り、学校へ寄付し得意気なことなど、主人公・眞人の心情やこの時代の状況が早い段階で画面から伝わるのは流石。
母が遺した古い本「君たちはどう生きるか」を読み進み涙する眞人を抱きしめたい気持ちになりながらテンポよく話は進む。
後半、存分に宮崎ワールドのイマジネーションが広がる。
塔に続く道や森はもののけの、異世界は風の谷のようでもあり迷宮は千尋っぽく、死の国の海に浮かぶ船団は紅の豚を思わせるし、火はカルシファ、木の骨組みを壊す大佐はカリオストロの時計塔(^^)数々の作品をオマージュしながらキャラクターが躍動。その中で、様々なことを吸収していく眞人の成長。
命が生まれる、命を頂く、メタファーが描かれるこの世界とあちらの世界。。。
ラスト。私は全てはエンディングの後に始まるのだ、と受け止めた。
眞人は母の遺した「君たちはどう生きるか」を支えに成長するだろう。戦争で利益を上げた父やその価値観とどう向き合って行くか、noblesse obligeを彼なりに消化して平和な未来を生きる友が持てるだろうか、と想像が膨らむ。
そうして、さて私はどう生きようか、どう歩けばこの世界が誰もが生きやすい世になるだろうか、と宮崎駿から宿題をもらった気分だ。全体に語り過ぎないところがすごく雄弁。たくさんの人に伝わるといいなあ。
集大成
美術館をアニメにしたような哲学的作品
面白いんだけど。。。
???
(ストーリーまとめ追記)わからないけど楽しい
みなさんのレビューみて評価の低さにびっくり
一度観ただけじゃわからないのって
私の中では普通だし
考察YouTubeを観たりもう一度鑑賞して
楽しみたいと思える作品でした。
ただ、どんぐり共和国で今後人気出そうなキャラは
あんまりいないかなぁ?
青鷺は可愛くないしね
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ここから追記
2回目鑑賞後 自分なりのストーリーまとめ
難しい考察はナシの簡単なストーリーです
(2回みただけですのでミスには寛大でお願いします)
主人公 眞人は空襲により、入院中の母を亡くす
死体はみつからず、、
一年後、父と疎開するが疎開先には
新しい母 ナツコ
ナツコは、眞人の母の妹であり地方の裕福な家庭のお嬢様
お腹には新しい命が宿っている
疎開先のお屋敷には沢山の老婆やがいて
眞人の父のお土産の食料に喜ぶものの、眞人にはあまり
関心を示さず
父は、財力で周りに圧力をかけるタイプの人間で
眞人は新しい学校でも、都会から来た金持ちとして反感をかい、喧嘩をふっかけられる
喧嘩の帰り道にマヒトは自分の頭に自分で石で打ち付け
大怪我をさせる(学校に行きたくないから?)
怪我を知った父は、さらに財力や力によって学校に圧力をかける。老婆やや、ナツコは献身的に眞人を看病するも
眞人は孤独感に苛まされ誰にも心をひらけない
新しい家で頻繁に姿を見せていた青鷺が
いつからか、眞人の夢の中の出来事
空襲の中、母を呼び叫ぶシーンを真似するようになる
眞人の夢や意識が青鷺とリンクし、
母に会いたいなら付いてくるように誘惑される
つわりの中、森へ消えるナツコを目撃し
一旦は見送るも
部屋で母が自分に贈ってくれた
『君たちはどう生きるか』をみつけ、読み耽る中
帰らないナツコが心配になり探しにいく
そっけなくあたっていたナツコに対して
ここで初めて『心配』の感情が湧いてくる
ついてきたキリコ老婆ゃと一緒に屋敷に入り
青鷺と再会し、
謎の主(大叔父)が青鷺に、ナツコのもとへ眞人を案内するようにと言い渡し
地下の世界に沈んでいくとそこには
若く逞しいキリコさんが。
キリコはこの世のものではない者たちが沢山いる世界で
魚を捕り、捌き
亡霊のような人たちと、ワラワラという命の源のような妖精?に食べ物を与えてる
ワラワラが熟し、空に上がり新しい命に生まれ変わろうとする時にペリカンがワラワラを食べようとし、
火を操るヒミ様に焼き殺される
ペリカンは死に際に、
この海には食料がない、ワラワラを食べなければ生きのこれない、しかしそのせいで焼き殺される
と話す 食物連鎖のバランスが崩れてきている示唆
キリコと別れ青鷺とナツコを探す
そこでヒミと再会し、自分の母だと気づく
産屋にいるナツコと再会するが
そこで初めて帰れ!とナツコに拒否され
『ナツコかあさん!』と叫ぶ眞人
眞人に母さんと呼ばれて正気を取り戻すナツコだが
力つきて、眞人もヒミも倒れる
目を覚ました眞人は大叔父と会い
この世界の危ういバランスが今にも崩れそうだと知らされる。この世界を保つ後継者になって欲しいと言われ
自分も、ナツコのお腹の子もそのためにこの世界に呼ばれた事に気づく
しかし、眞人には
世界のバランスより、目の前の大切な人の命を守る事が先決であると言い、
ナツコとヒミを助けに戻る
世界を自分のものにしたいインコ大王に阻止されながらも
ヒミと再会し、再び大叔父の元へ
大叔父は3日に一度積み木を積み上げ自分なりの良きバランスで争いのない世界を作り上げろと眞人に言うが
眞人は拒否
それを聞いていたインコ大王が積み木ごと破壊し
世界が崩れ落ちていく。
青鷺の力を借りながら
元の世界のドアへと辿り着き
ナツコとも再会し、それぞれにもとの世界へと戻る
ヒミは、自分が火災で死ぬと知りながらも
火って素敵、あなたを産む
と言い残し。。。
元の世界に戻りインコの世界のものは普通のインコへ
塔は崩れ落ち ペリカンはこの世に放たれる
この世ではインコはフンをするので皆
糞まみれになりながらも笑顔で再会を喜び合う
そう、この世は汚いことも沢山あるが
だからこそ美しいのだ
数年後、戦争は終わりこの街を去る
汚くも、美しく
残酷であり、尊いこの世界を眞人は生きる
それが世界のバランスなのかもしれない
眞人の中にも自分で怪我をしながら言わない狡さと
命懸けで義母とお腹の子を助けに行く正義があったように
善と悪
美しいだけの世界などないのだ
それでも平和を願い、幸せを願い生きる事を
忘れてはいけない
君たちはどう生きるか
との問いに戻る
以上
レビューというよりは
自分のためのストーリーのまとめでした
『わからない』という意見が先行してしまっている事がとても残念に思います
私もわかってないところ沢山あるけど
今までの宮崎駿作品だってわからないところ沢山あったのにこの作品ばかり指摘されることに疑問
わかるより、感じろ。です。
事前情報皆無が良い方向に転ぶ(ただしそういうのが好きな人だけ)
万人にウケない。そういう意味でこれまでのジブリではない。
もうちょっというとハウル以前のジブリではない。
例えばこれと同じストーリーを宮崎駿ではなく若手が出したらどう言われるだろうか?
おそらく雰囲気映画、説明不足、視聴者おいてけぼりと言われるだろう。
もちろんそれは宮崎駿が出していてもそう言う人がいる。正直、私もそう思う。
あれは何の隠喩、あれは何のメタファー、あれは何の象徴。深読みすると面白い…。
そんなもん「知ったことか」です。見てて面白くなければ娯楽作品ではない。
で、そんな出だしから始まりましたが星4です。
これは面白い。笑えるシーンは少ないし、混乱するし、場面転換や世界観の急激な変更についていけない事もあるけど、これは面白い。
「あれ?今こうですよね?」「それは何?」「なんでこうなったの?」こんなのの連打です。
伏線回収はありません。隠喩されているけど解釈は人によって違っても良いものになっています。
宮崎駿の頭の中ではしっかりできているのでしょうが、それは演劇で言う舞台装置の裏側です。
「あの役者が空を飛んでいるのは実はワイヤーで釣られているからでね」そんなもん本編には関係のない話ですし無粋です。
そういう世界がある。そういう人がいる。そういう展開だ。
まるっと呑み込んで そのうえで自分の中でゆっくり消化できるならばこの映画はとても示唆に富んだ面白いものだと思います。
冒頭で述べた通り、絶対に万人にはウケません。
ジブリでいうなら、ポニョがダメな人にはおすすめしません。
わかっているストーリーの答え合わせしか認めない人には本当に理解不能だと思います。
知らないものを楽しめる人はこの世界観に翻弄されて楽しめるのではないしょうか。
もちろん、楽めるかどうかと分かるかどうかは別です。「わかる人」という表現はやめた方がいいでしょう。さっぱりわからん。
わかった気になっている人、が正しいと思いますし、その「わかった」が正解かどうかは永遠に答え合わせできないです。ただし自分の中で「わかった」気になれた人は この映画を一番楽しめている人ではないかと思います。
そして「自分はこう解釈した」と発表できる方は それだけで発信者でありクリエイターとして賞賛しますし、その解釈の正誤や 齟齬なんかどうでもいいです。
他人の解釈のアラ探しするくらいなら是非 あなたの感想をお伺いしたい。
あえてひとつだけ言うとすれば……。
仕事で頭使ったあとの深夜映画で見に行くもんじゃありません。
猛暑で弱った体で行くもんでもありません。それなりにコンディション整えて「さあこい」って感じで見に行くと良いでしょう。
それなりに楽しかった
ネタバレ含むけどいいすかね?ストーリー難解。宵の国?と現世、時空を超えた場所に繋がる洋館。取敢えずアオサギは名前の通り詐欺か!って言うビジュアルでした(笑)もうね、色んなジブリ作品がオマージュされてる様な映像・キャラクター・シーンのオンパレード。シン・ジブリって誰か言ってたけど、言い得て妙だと思います。ロリコン出てこない宮崎駿作品?と思ったけどちゃっかり出てきます。でも子供向けじゃないなぁ。全然子供喜ばないと思う。あ、そうだ。ジブリ作品オマージュだけどルパンVS人造人間とかのオマージュも存分にあります。映像もいつものジブリとは違うテイスト沢山入ってて、一瞬宮崎作品である事を忘れますね。物語の始まりが戦時中である必要がどこにあったんだろう?とか、時系列がちょいと複雑でしっかり整理していかないと無理がある。米津氏の歌は確かに素晴らしいが、逆に庵野氏の匂いがプンプンしてくる。キムタクの声、ダメ。大竹しのぶ氏達の声は素晴らしいので余計に残念。ここまで読んでくれた人は評価が両極端な事が分かってくれると思います。ジブリ全部見てる人はこのシーンは●●のオマージュだ!このキャラクターは荒地の魔女と湯婆場だ!見たいな感じで2時間楽しんで下さい笑
いつかこの映画を振り返りえる事があるのかな
宮崎さんが引退を撤回して長編に挑むと聞いた時には、不安しかありませんでした。ジブリは解散状態だし、監督もお齢だし、しかも原作が「君たちはどう生きるのか」(当時は原作と聞いていた)とは余りに売れ筋を外した路線。本当に完成するのか、完成したとして、説教くさい映画を、鈴木さんお得意の宣伝ガンガンでヒットさせて、がっかりさせられる人を大勢生むのではないか。そんな不安でした。
ですから一切宣伝をしないというのは驚きでした。恐らく監督の、事前情報なしで映画を見てそれぞれに考えて欲しい、という意図だと思います。鈴木さんは本当は宣伝したかったかも知れませんが、映画の脚本で「色々あったけど、あんたは俺の友達だよ」なんて言われたら、好きにさせちゃろうと思ったのかも知れませんね。
今も書いたように、あのキャラは誰、このものは何を意味していると想像するのも楽しみ方の一つと思います。しかしそういう分析的な見方では無く、イギリス児童文学的な不思議な世界観と成長物語に浸るというのも良いかも知れません。
事前の不安は半分当たりで半分外れでした。全体としては、最高とは言い難い出来ながら、所々にはっとするシーン(冒頭とか)があり、あの年での映画の作り方として、工夫した結果だと思います。
「君たちはどう生きるのか」。宮崎さんが子供のころに読んで感銘を受けた本なのでしょう。監督の「俺はかつてそう問われ、こう生きてきたぞ」とでも言いたいようなストーリー、(リトルニモ含めた)セルフオマージュのオンパレードでした。年を取ってから、かつて「君たちはどう生きるのか」と問われたことを思い返して欲しい。そんなメッセージと受け取りました。
最後ですが、うちの奥さんは鳥恐怖症なので、ちょっとお勧め出来ないなと思いました。(何を考えているのか分からない目が怖いんだって。この映画を見て納得。)
賛否両論
主人と、小学生の娘二人と観ました。
下の娘には退屈な二時間であった様です。(誰が観ても分かりやすい映画を好む主人も同じく。)
くすりと笑える&ワクワクする要素もあまり無いですし、説明が皆無なので小さい子供や低学年には不向きでしょうか…。
一方、上の娘は、何度も涙を流していていました。
「途中、吉野源三郎さんの原作とは、全く違うな…と思ったら、観終わった後、初めて吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかを読み終わった時と感じたことが一緒だったからビックリした。
(娘は吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかの大ファンで、去年、読書感想文も同作にして、この一年で何十回も読み返している経緯があります)
色々な思いで胸が苦しくて切ない…」
と。
間も無く思春期を迎える娘には心揺さぶられ、感じるものがあった様です。
この映画の感想を敢えて一言でまとめるなら、
「私は正直に自分軸で生きたい」
だそうです。
そして私の感想ですが…
多くは語りませんが、映画を観てこんなに泣いたのは、何年振りだろう。
映画としては、少し荒い部分が要所要所でありました。ですが、宮崎監督、最後の作品だとしたら、
個人的には、風立ちぬより相応しいと思えた作品でした。
(風立ちぬも素晴らしかったですが。)
またすぐ観たいです。
期待に対しては、、、
なぜパロディまみれだったのか
わざとである。
「どっかで見たキャラ」「どっかで見た演出」「どっかで見たアングル」が大量に散りばめられており、「ジブリあるある」を自分でやってるような映画である。
最初は「ネタが尽きたか。自分の過去作品からアイデア拾ってくるとは」と思うかもしれないが、もしこのセルフパロディ要素が全て「わざと」だとすると妙に辻褄が合う。
おそらくハヤオは「ジブリあるある」をこの映画で意図的にやっている。
その中を旅させることでこの世界(ジブリ)は厳しい現実から一時的に逃れるための虚構であったと、ある種の自己否定をしている。
ただそれだけではなく、ジブリを見て育った我々や影響を受けた次の世代のアニメ監督などの「確かな存在」に対して石(意思)を託し、「現実と向き合い自らの意思で考えよ」「次に目を向けよ」と背中を押しているのだ。
つまりこれは「ジブリを見てきた君たちはどう生きるか」が本当のタイトルだったというわけである。
「やがて忘れるだろう。じゃあな、トモダチ」
エンドクレジットの「助監督 片山一良」の文字を見て・・・
【以下、制作体制に関する公式の発表がされていない状態での憶測であることを自覚しつつ、あえて断言する】
エンドクレジットの「助監督 片山一良」の文字を見て、映画監督・宮崎駿が死んだことを確信し涙することのみが、真に宮崎駿を愛した者のとるべき唯一の振舞いである。
「君たちはどう生きるか」と題された2時間余分のアニメ映画を監督したのは、宮崎駿ではない。
実質的な監督は、助監督とクレジットされた片山一良さんである。
このアニメ映画には、宮崎駿が手をかけた痕跡が殆どない。
宮崎さんは、レイアウトをチェックしていない。
芝居の内容もチェックしていない。
色彩の設計も投げている。
撮影処理やカットのタイミングの指示も出していない。
アニメの演出家の第一の仕事である、作打ち、色打ち、撮打ち、恐らくは美打ちも、自ら行っていないということである。
部分的には絵コンテすらも人に任せている可能性がある。
宮崎さんが確実に手を下した領域は、大方の絵コンテとイメージボード、絵作りが終了した後のポストプロダクション(アフレコ、音楽、音響)である。
宮崎駿の過去作の制作体制はもちろん、一般的なアニメ制作と比較しても、このような関わり方をした人間を演出=監督とクレジットすることは、一種の詐称である。
このような体制になった経緯、及び現在の宮崎駿の状態については、いくつかの可能性が予測される。
1度目の鑑賞中、宮崎駿は制作の序盤で死んでしまったのではないか、という疑念が脳裏に浮かんだ。
2度目を観終えた今もその可能性を捨てきれず、5%ほどを占めて残っている。
宮崎駿は冒頭20分の絵コンテを切り、全体のイメージボードを描いたところで死んでしまった。
プロデューサー鈴木敏夫は未完成のその作品を、旧交のある片山一良、及び宮崎吾郎、米林宏昌らの共同演出によって制作し、宮崎駿の死を秘匿することを決意する。
未完の映画を託された演出家たちは、宮崎駿になりきろうと宮崎の監督した過去作、更にはアニメーター時代の宮崎が担当したパートを律儀に勉強し直し、宮崎駿が思い描いたであろう映像を考えて絵コンテを描き、演出する。
しかし、残されたイメージボードの断片を繋げてはみるが、シーンとシーンの間に説話的持続が生まれない。
「長靴をはいた猫」や「どうぶつ宝島」の宮崎パートを引用しても、真似事の虚しさが漂うばかりだ。
凡才の物真似が帰結するのは、宮崎駿の抜け殻のような映像でしかなかった。
しかし公開前後に宮崎駿の直近のコメントがサイン入りで公表されているのをみると、どうやら宮崎さんは死んではいないらしい。
次点で思いつくのは、製作途中で宮崎さんは大病を患い、絵コンテを描くことすら不可能な状態に陥った可能性である。これが15%ほどを占める。
小説「君たちはどう生きるか」の著者・吉野源三郎の孫にあたるライターが、自身の招待された関係者試写に宮崎駿が欠席していたことを記事に記していることも、宮崎さんが病床に伏せている可能性を想起させる。
或いは、病気ではないが体力面の問題で、以前のように作画の修正を乗せることが不可能であることを自覚したために、自ら描いた絵コンテを後身の演出に丸投げするスタイルに振り切った可能性もある。
レイアウトを見ると自分で手を入れたくなってしまうので、作画を本田雄に一任するに止まらず、それをチェックする演出家を別に立ててしまったわけだ。
鈴木敏夫は、宮崎さんが既に次回作を構想していると公表しており、それを敷衍した岡田斗司夫は、このスタイルを次回以降も採用することで、ジブリは今後量産体制に入るとの予測を立てている。この可能性が最も現実的で60%ほど。
逆に、後進に演出を任せた今作の出来に怒り狂った宮崎さんが、やはり自身で全てをコントロールするしかないと、従来のスタイルに戻して次回作を手掛けようとしている可能性、これが案外しっくり来て、一縷の望みも相俟って、一番イメージしやすい想定である。
これが残り20%。
というわけで、上記の予測で行くと、80%の確率で映画監督としての宮崎駿の寿命は尽きているわけである。
本作を褒めている人はもちろん、貶している人すらも、本作を宮崎駿が監督していると想定している時点で大いに間違っている。
宮崎さんを真に愛した者であれば、「君たちはどう生きるか」の中に映画監督・宮崎駿の死を直感し、追悼の念を込めて涙しなければならない。
罪悪感から宣伝が出来なかったのでしょう。
説教くさく、押し付けがましく鑑賞中は終始宮崎駿監督の顔が頭に浮かんでしまいました、悪い意味で。
難しい事を考えず映画を純粋にエンターテイメントとして楽しみたい人には向いてないとおもいます。
私もそのタイプですので苦痛の時間になりました。
映像は素晴らしいと言う声が聞かれますが私には表現が押し付けがましく、キャラクターは不気味、風景構成は宮崎駿の影響を受けまくっている新海誠の方が美しく感じましたし、美術やデザイン的にセンスが悪いと思いました。
ジブリとして進歩、新しい感性も感じられずジブリの終焉を感じました。
おそらく制作サイドも出来の悪さを認識しており罪悪感から大衆に勧める事が出来なかったので宣伝無しになったのでしょう。
しかしながらジブリは終わっても日本のアニメ界全体としては進歩しています。
それは宮崎駿の多大なる影響があったからです、有難うございました。お疲れ様でした。
不思議の国のアリス(ナツコさん)を助けに行くお兄ちゃんの成長物語
不思議の国のアリスのオマージュだと思う場面がちらほら。
ならば、アリス役はマヒトのように思えるがたぶん違う。
ナツコさんは作中で誰に呼ばれたか明白になっていないが物語の作りから姉であるヒサ子が戻って来てくれる事を願い搭にいき、不思議な国に迷いこんだと思われる。
助けにいったマヒトが冒険の中で成長し、ヒサ子さんを思いやる事ができ、お義母さん呼びができるようになり、現実に向き合えるようになった、という話なのだろうと思う。
だが、この現実に向き合えるようになるというのは言うは易いが成すのは難しい。
日本が大敗してその時の東京は焼け野原。何もないところのスタートだ。
魔法使いの大おじからの積み木もない。むしろ帰らない選択しもあったかもしれない。しかし、そんな所へなぜマヒトは戻ったのか。
自分より大人のはずのナツコさんをマヒトは躊躇なく助けに行ったのはなぜか。
ナツコさんが妊娠しているからだ。
赤ちゃんについての言及はなかったがナツコさん=妊婦=家族の新しい命がある。
腹違いの下の子だ。
名前を出さない時点で複雑な気持ちがあるのは、想像するに余りある。
マヒトはそれでも現実に帰ることを選ぶ大人に冒険を通じて成長した。そんな話だと思った。
眠いから大味の感想まとめ。また編集するかも
田舎•森•海•塔そして迷宮•••世界がどうなるかは••
まあ、ひどい言われようです。。(期待と違ったからってお金と時間の無駄遣いは言うなら、ただの悪口みたいな評価に時間を費やすのはどうなの?って)
自分が期待していたのは、昭和10年代頃の日本の元風景だっただけに、不思議の国のアリスのような西洋風な風景が散見されることにまず、がっかりしました。自分の印象では「ハウル」の範疇にはいるかなぁ。
これは、きっと子ども向けとは言えない「風立ちぬ」のカウンターなのでしょう。
ただ、今作が子ども向けかというとそれもまた違うような。
とにかくもっとシンプルにストイックに軸がぶれずに「物語」を進めてほしかったというのが個人的な感想です。ベクトルがあちこちに散らかってしまったような。。
ストイックにというのは、こちらが勝手に描いている監督には「日本の自然」をノスタルジックに描いてほしいという思いから遠くはなれてしまったからです。むしろ、水や光の色を巧みに表現しつつ、日本古来の伝統をエッセンスに交えた世界観を描く次世代の監督作品から逆にインスパイアされて迷宮入りしてしまったんじゃないかと邪推すら覚えた次第です。
ゆっくりと流れる序盤に予想されるような戦争後の田舎を素朴に描いただけでよかった。いくつものシーンがこれまでの総決算的なものに見えてしまうのです。
もっと、足下の物語が欲しかった。まぁこれは個人の趣味なんですけど。
監督がこの世に未練なく「後継者」として託せる次世代を見つけることを求められる要素(ハウルにも感じた)が垣間見得ることに共感できる視聴者もいれば、私のように個人的な事情を商業ベースに乗せたことに対して興ざめする者もいることでしょう。何も世界をすくう必要なんてないのにって思うんです。
キャラクター表現については、取り上げるとすれば、、
いくつもの象徴を掘り下げることはなしとして、自分は主人公が喧嘩のあと自身で傷をつけたこと、多くの朗らかなばあやの最後尾に唯一人背筋のシャンとしたキリコさんがタバコを嗜み、料理上手で逞しい人柄に魅力を感じました。
今際の際にある夏子さんが「呪い」を宿したような表情に違和感を感じた人もいるのではないでしょうか?あの時の夏子さんには、今敏風のキャラクターが見えた気がします。これまでの「怖い」モノを不気味ではあっても、怖く描かないできたはずなのに「あれっ?」って。。
あと、声優に関しては、あいみょん(個人的に好き)は流石に違うだろって思いました。(泣き叫ぶ声) もののけ姫の声以来、制作側?(監督とは言わない)の趣味の一貫だと理解したいところです。人の暖かさを描くジブリ作品に「甲高いヒステリックな声」はふさわしくないというのが私の見解なので。
そう言う意味では、他に上がる声優人にも違和感はありませんでした。キムタクはすぐ分かったけど、ハウル同様、我をださずに上手に演じていたし、菅田将暉もはまっていたと思います。(勝手に)
本来は、制作の背景やこれまでの作品を踏まえず中身そのもののレビューをすべきだと思っていて、ネタバレも控えたいし、悪評をわざわざ書くのもどうかと思っていたのですが、わざわざ揶揄するための言葉を探す論評があまりに多く、情けないなと思います。
それこそ、作品内の皮肉の対象(インコ)に身を窶してるようなもんだなと。
全2100件中、1301~1320件目を表示







