「不条理なこの世界でどう生きるか」君たちはどう生きるか atsushiさんの映画レビュー(感想・評価)
不条理なこの世界でどう生きるか
メッセージを極限まで抑えたポスターと、公開前の無きに等しい広告宣伝。宮崎監督のファン層は余計に興奮を掻き立てられただろうが、そのほかの多くの映画好きは冷静だった。そして公開後のロングランと、賛否両論乱れ飛ぶレビュー、宮崎監督の制作の真意を図ろうとする批評の数々。
本作の評価が大きくわかれる要因のひとつが、メッセージの不明瞭さかもしれない。誰がみても明快なストーリーとは言えない、複数の論点が重層的に入れ込まれている。一回観ただけでは、あのシーンはどういう意味が込められているのか、わからないものもあるし、複数回観てもわからないものもある。宮崎監督に尋ねても明快な答えが得られないものもあるかもしれない。映画も、小説も、音楽も、制作者が世に出した時点から作品自体がひとり歩きしていく。本作も公開後、宮崎駿監督の手を離れて観客の手に委ねられたと捉えれば、どう読み取るかは観客の自由。解釈に正解も誤りもない。
本作の大きなテーマのひとつが、「異界とのつながり」だ。
眞人は側頭部に自ら大きな傷を負うことで、異界への扉が開かれる。
異界の媒介者である、青サギもキリコにも傷がある。先に異界に迷い込んだ、夏子も心と体に傷を負っているよう。傷によって誘われるものとは、たんなる幻覚世界か、それともマルチバースの世界か。
異界の創造主である大叔父は、不条理にまみれた「この世」に嫌気をさし、予定調和の世界を創ろうとしている。しかし、そこはすべての生き物にとっての楽園ではなく、老ペリカンの嘆きのように、閉ざされた環境で他者のいのちの犠牲のもとに成立しており、その犠牲の社会構造は「この世」と何ら変わらない。
異界に理想郷を作ろうとした大叔父。現実世界の理不尽さに嫌悪感を感じつつも、「上の世界」に「母親」の夏子と父のもとに戻り、不条理な現世で生きていくことを決めた眞人。
石などの非・人間の存在も魅力的な役割を担っている。
眞人を「下の世界」に導くのは、傷をつけた大きな石だし、石の塔の主である大叔父が「下の世界」を創ってきた源は穢されていない石だ。夏子は石で覆われた産屋のなかの石でできたベットに横たわっている。夏子を救わんとする眞人とヒミの侵入に、石は負の応答をする。そして「上の世界」に戻った眞人が「下の世界」を覚えていられる訳は、ポケットに入っていた、穢されていない石の存在である。
石や、鳥たち(童話で擬人化されやすい哺乳類たちではない)、そして火などの非・人間が行為主体としていききと描かれている。人間が自然を支配する構造ができあがってくる近代以降、不可視化されてきた非・人間の存在を蘇生させるところは宮崎監督の真骨頂といえる。
製作委員会方式によらず、宮崎監督が本当に作りたいものを、作りたい人だけで作った貴重な作品。