「未整理感と、不快表現の多さ」君たちはどう生きるか 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
未整理感と、不快表現の多さ
タイトルの感じからして、エンタメでないことは覚悟して公開初日に一人で観に行った。
純文学的で救いが無くても、まあ最後の作品になるだろうし…という心構え。
だが、出てきたのはエンタメでもなく純文でもなく観念的・観想的な作品。
ハウルをさらに観念的に研ぎ澄ましたスーパーハウルだと感じた。
テーマは、ジブリ作品『ゲド戦記』のように「唐突に言葉で説明してくれる」ので、むしろわかりやすい。
演出として、いちいち目を塞ぎたくなるような、鑑賞者を不快にさせる「汚い表現」がくどいほど定期的に挿入されるのも、「(新世界の神になるより)こういった生と死の臭気や腐気、そして無神経さや嘘がまみれる現実を大事にします」という、『君たちはどう生きるか』へのアンサーであるとわかる。
テーマはシンプルなのだが、「繋ぎが雑だから状況的にわかりにくくなっている」だけで、テーマ自体に複雑さや深度があるわけではない。
好意的に深読みすれば、シビアなバランスの積み木を組み上げて自世界を作り、たった数日を持たせるのに必死な創造主(クリエイター、アニメーター)になるよりも、現実を大事に生きます(旧ジブリ作品のような作り物の理想世界には憧れず、現実世界の物語を大事にします)ぐらいのものか。作中で主人公がそう決意する説得力、観客に共感が及ぶ要素は無かったと思うので、甘えた姿勢だと感じるが。
本作を構成する
・終始暗い
・主要人物たちが棒読み
・テンポが悪く間延びを感じる
・生理的に汚いと感じるものを強制的に何度も見せられる
・それがテーマ性だと強弁される
・その内容で、とにかく長い
という要素は、『実写版デビルマン』を実写版デビルマンたらしめる核である。
しかも本作は実写版デビルマンより各シーンの
・わけがわからない
度が高いので、実写版デビルマンの方がストーリーを追いやすくシーン解釈が容易なぶん、まだ易しいと言えなくもない。
なぜか、往年のクリエイターや晩年のクリエイターはこういう作品を作りがち。
「はっきりくっきりした作品なんて飽きた、つまらないじゃないですか」と言っては、毒にも薬にもならない抽象画のような作品を作る。
「大事なのはテーマでありコンセプトであり、新たな表現の可能性であり、枠組みを超えることであり、わかりやすさではない」――とまるで「老境の教科書」に書いてあるかのように画一的に言うものの、当然だがテーマやコンセプトなどはエンタメや純文的なものに乗せても「十分に伝わる」。それどころか、「むしろ伝導率はその方が高い」のは、「入門者の教科書」にも書いてある大前提である。
十分すぎるエンタメをしながら、深く厚いテーマを恐ろしい説得力をもって追体験・共感させてくれる傑作はメディアを問わず存在している。昨年の映画なら『トップガン・マーヴェリック』『RRR』と言えば、見た人の100%近くがわかってくれるだろう。アニメ映画の土俵でやっても、『スラムダンク』と言えば十分だ。
つまり、テーマやコンセプトに全振りするためにはっきりくっきりした作品であることを目指さなかった――という言は、達人の境地や至言ではない。後付けの、言い訳に近いものである。
結果、本作はリアルなのかファンタジーなのか、シリアスなのかコメディなのか不明瞭で、結局どの分野も及第点に届いていないゆえの鬱憤がある。こういった言に対して「カテゴリ分けして観られるような『安逸な』作品を作りたくなかった」と、芸術家を気取り出した“達人”たちは言って返すわけだが、だから老人は新人たちに駆逐され続ける。
また、リアル志向の問題をファンタジーで解決する気持ちの乗らなさは、作り手だけでなくユーザーにも答えが出ている内容だ。『竜とそばかすの姫』の評判を決定づけたあのラストの流れを、本作は全編級の長い尺でやったに近い。
本作は「失神や気絶→目覚め の場面転換」が非常に多く、テンポが悪い。
人間はそんなに都合良く失神できるとは思えないのだが、それは置いといて。
一番の問題はそれに伴う映画館内の静寂で、序盤過ぎには「(悪意ですらない)寝息がいっぱい聞こえてしまうこと」である。ずっと置いてきぼりで、共感できる人物や状況が無いのだから体験としては仕方ないのだが、「あ、やっぱりつまらないよね? これ」という空気が上映中に伝播する構造になってしまっている点が、誰にとっても得が無い。
私が観た初日の夜、スタッフロール終了後には3人ほどが勇んで拍手したが、満席である他全員は頑なにその拍手に乗らなかった。「よかった体験」にしようというムードに抗う迫力があった。「やっと終わった」「誰が拍手するものか」という無言の一体感は久しぶりだった。
また、私はツキがある方で、映画館の一番左端の席で観た。
壁にもたれかかって観ることができたのは、正直頻繁にため息をつきたくなる本作の鑑賞において、けっこうなコツだったと思う。あと、一人で来たことも。
もし若輩の頃にデートで来ていたら、身に降りかかった不幸に泣いていたかもしれない。情報秘匿からの生理的嫌悪感を催す映像をいっぱい見せられて、この後どうすんだよ、と。
以上、私の感想としては、
・本作は「十分にわかった」
・その上で、「エンタメとしても純文としても打点が低い」と感じた=つまらなかった
・内容は「深くはなく、シンプル」に思った
・ただ「未整理状況のとっちらかりで、複雑に見えているだけ」に思った
というもの。
「わからなかったから、つまらなかったと言っている」とか、「まったく理解できないシーンがあったから、深いに違いないと思っている」とかではない。
複雑で奥深いというのは、一つの困難な目的を達するために合理的に各種装置が詰め込まれ、有機的な関係をもって稼働している秘密基地のようなものだろう。
対して本作は、自堕落な生活が体積して足の踏み場もなくなった汚部屋のようなものだ。「現実で食って寝て折り合いつけて生活する」…というシンプルな目的が中心に在るのだが、洗濯や掃除やゴミ捨てをサボっても暮らせる、むしろこれがいいんだと居直ったせいで、足の踏み場や寝床を見つけることすら一苦労という状態。深くはない。ただ乱雑で、とっちらかって、見えにくくなっているだけだ。
宮崎監督の生い立ちを知った上で当てはめたり、登場キャラにメタ的に現実のジブリ関係者を当てはめないと「本当の意味はわからない」と言われるなら、私は「本当の意味はわからなかった人」で結構。
むしろ、前情報無しでニュートラルな映画勝負を仕掛けてきて、後出しでそういう「見方の注意」が出るなら、言い訳めいているというか邪道に感じる。そういう擁護・弁護が出る時点で、そういう「見方の注意(作り手からの見方のお願い)」が不要な凡百の作品に劣っている。そういう「見方の注意」がなくとも、人々を楽しませて深いものを訴えて涙させる作品はいくらでもある。
まさに、晩節を汚してしまった作品に思う。
ここまで鳥の糞好きで来られると、逆に最近は鳥の糞に触っていないのだろうなと思う。車のボンネットやウインドウ、オートバイのカバーにこびりついたアレを落とすときの、あの感触と臭い、手を洗わずにはいられない嫌な感じ、もう忘れてしまっていないか。
汚いという形而上のラベルを貼られただけの、思い出の中で綺麗にされている、実態を離れたイデア界の鳥の糞で話を構築してしまっていないか。「醜い外見のアオサギ、川辺の生物、臓腑、鳥の糞等々」を、頭の名で生み出した「汚いものという概念」にして、映像に入れ込んでしまっていないか。鳥の糞は、労働でにじみ出た匂い立つ汗や、人生の苦労が滲んだ醜い顔の皺とは違う。それら(千と千尋での次元)と違って鳥の糞は一周回っても美しくはならず、汚いのである。鳥は本能のまま無遠慮に糞を散らしているだけなので。
よって、「心理的物理的に腐臭あふれるこの世界で生きる」というアンサーは、そこまで共感を得られるものではない。
下水処理場や屠殺場の側で生きる覚悟を持つ自由もあれば、下水処理場や屠殺場を生活圏から隔離して見えなく・臭わなくして生活する自由もあるのだ。
産革期、ロンドンのテムズ川の大悪臭をロンドンの人々は「耐えられない」と下水を建設して生活圏を確保した。汚いもの、臭うものを生活圏から隔離することは貴賤問わず大勢の願いであり、その成果たる現代の暮らしを欺瞞かのように語る事こそ、独特の尖った思想だろう。
エンタメをかなぐり捨て、純文的にあってほしい繊細な積み重ねもファンタジーで放り投げ、極端な思想だけが見えてくる作品なので、情報を秘匿して公開するものではなかったと思う。
本作を基準にすれば、映像的にもテーマ的にも面白く深い映画はいくらでもあってしまうと感じた。
>かせさんさん
宮崎監督作品はほぼ全作品を観ているので、「グロい描写がある」は理解しています。
ただ、レビューにも書いたようにそれらは「意志の輝き」を体現しているものが主流だったと私は解釈しています。
(労働による汗や汚れ、酸いも甘いも清濁も飲み込んできた顔の皺、など。千と千尋がわかりやすいと思う)
本作のような「動物(生物)の本能行動による腐臭表現」というのは広義では生の輝きなのでしょうが、観客に可否を委ねるいっそうマニアックに走ったと私は感じました。私は今までの作品の表現とは異なり、シンプルに「嫌な表現を見せられている」と感じた次第です。
>momokichiさん
コメントありがとうございます。
言葉は基本的に褒めるために使いたいのですが、本作については少し厳しかったです。
若き頃の宮崎監督は明確に職人(誇りのある『アニメーター作品作家』)になりたい方だったように思うのですが、いつからか教祖的になってしまい、甘んじてしまっている感がありますね。
多くのクリエイターを見た時にそれは「とても普通で、凡なこと」で、天才のやることではないと思っているので、最期の作品となりそうな本作=結論がそのような方向性で落胆し、厳しい感想になってしまいました。私は生涯、オールタイムベストに『魔女の宅急便』を挙げ続けると思います。
>サルタイサオさん
コメントありがとうございます。
正直、本作の脚本を無名の人、たとえば専門学校1年生などが書いて提出していたら、「まだ人に見せていい段階ではない」「気持ちを入れ替えて、基礎から勉強し直さないとあなたがモノになる未来はない」等、出てくると思います。それにここまでの予算が乗ってしまい大勢の超絶クリエイターたちが唯々諾々と付き合わされるのは、ちょっと闇というか、暗い気持ちになってしまいました。
少し話が飛びますが、小説家松本清張の最高傑作は、齢70で書かれた『黒革の手帖』だと思っています。現在82歳の宮崎監督が、「次の作品」で「よくある凡な開き直り」に陥らず、その天才ぶりを証明しきってくれることを祈ります。
>Castさん
お褒めいただきありがとうございます。
序盤の火事周りのアニメーションは「(シンエヴァで突き放された元弟子・庵野秀明に)負けじと来た! これは勝負する気だ!」とすごくワクワクしましたね。私も好きです。
が、そこからは開き直りとも言える内容でしたね。残念。
ジブリファンでもない人が「とりあえず褒めておく」のは、率直に言って心配になります。不明瞭なだけのものを見せられて絶賛(自分にわからないものだから凄いに違いない、それに気付いている自分は偉い)という行動心理は、多くの時代の人にとって黒歴史にしかならなかった結論が出ていると思いますし、最悪、悪い商売をする人たちを近寄らせてしまうのではないかと思います。
本作をもってなお、アンデルセンの童話『裸の王様』の普遍性に驚嘆します。子供だけが率直に感想を述べるリアリティも。
私には貴方ほどの語彙や表現力が無いため言葉にするのが難しく、上手く批評出来ていない作品でしたが大変腑に落ちる感想でした。
今までROM専だったのに、わざわざ映画.cmmに登録して返信したくなる程には。
正直ジブリヲタや駿信者レベルの人が絶賛しているのは仕方無いとも思えます。
正直私も好きな監督や役者の引退作品って言われたらレビューに色付けてしまうと思います。
しかしレビュー見てるとそうでも無い人が「美しかった」「心に響いた」とか高評価付けてるのを見て日本人みんな頭オカシクなったのかと不安でしたわ昨今。
少なくともエンタメ映像作品として褒められる所は一つもありませんでしたよね君生き。
精々アニメーションの出来くらいですかね評価しているの。
まったくおっしゃる通りの感想です。
エンタメレベルが及第点に達しておらず、かといって文学的なものも自伝的なものも汲み取れない…
扉の仕掛けの伏線も回収もチープなもので、親子、親戚関係の意味合いもそこまでして説明する世界観としては神秘性も弱くて驚きもなくてこれまでの宮崎作品に匹敵しないし、弱々しい。
個人的には黄泉の国のイザナミを母に見立てたのかと思いますが、それにしても分かりずらくて深くもない。
あとおそらく自伝なんだと思いましたが、それにしたって朝ドラの水木しげる先生やまんが道などのお手本があるのでせめてそれに狭れなくても競える程度の何かは手応えがあってしかるべしですね。
もうこれで遺作なら納得できませんので世間の評価を聞かない宮崎さんでも今回は思い直して再度次回リベンジをお願いしていところです。
至極のレビューです。腹落ちしまくり。言語能力うらやまです。
> はっきりくっきりした作品であることを目指さなかった――という言は、達人の境地や至言ではない。後付けの、言い訳に近いものである。
> 満席である他全員は頑なにその拍手に乗らなかった。「よかった体験」にしようというムードに抗う迫力があった。「やっと終わった」「誰が拍手するものか」という無言の一体感は久しぶりだった。
> 深くはない。ただ乱雑で、とっちらかって、見えにくくなっているだけだ。