「どう生きるか、監督はヒントを遺してくれたのか」君たちはどう生きるか nda(c)さんの映画レビュー(感想・評価)
どう生きるか、監督はヒントを遺してくれたのか
初レビューです。映画として、点数をつけなければならないのは難しいですね。
君たちはどう生きるか、観ました、2度。
劇場で泣いてしまったんですが
それは「感動」とかそういうものじゃなく
「宮崎駿の死を感じた」
「これからきっと恐ろしい時代がやってくる。宮崎駿が生きた時代よりもっと恐ろしい時代が。その中を生き抜く覚悟をしなければならない」という
2つの恐怖からの不浄な涙でした。
2,200円と4時間使って理解できたのはほんの僅かです。
少なくとも、宮崎駿が我々に問うのは
「君たちはどう生きるか」
これに尽きるのだと思います。
いや「コレだけなら映画観なくても解るだろ」と言われそうなので、言葉をつけ足すと
「俺(宮崎駿)はもう死ぬけど、
で、これからは俺の時代(戦後)以上の苦難の時がやってくるだろうけど、その荒波を
君たちはどう生きるか」
という問いかけ、ではないかと。
もっと言えば
「覚悟しろよ、焼け野原を知らないガキども」
という脅しのような揺さぶり。
我々ガキどもは、この先の荒れる時代を「どう生きれば」良いのか、勝手ながら考察させて頂きたいと思います。
前提として、観客の教養が試されます。
「戦争が始まって3年、4年」「冒頭の空襲警報ください」「サイパン」などのヒントから作中は1944年なのだと、瞬時に理解できるくらいでないとどうしても置いつき辛い部分があります。
それでいて「感受」のアンテナも常に張り続けなければなりません。意味ありげなシーンは7割は実際に何か意味があり、残り3割は「意味がない」ことを意図している、と感じました。シーンの伸びとは裏腹に、視聴者は考えることが次々起きて非常に疲弊します。
今までの宮崎監督作品は「娯楽としても楽しめる」ラインを守ってこられたように思いますが、今作は娯楽面を一切捨ててます。覚悟無しに観ることはオススメしません。娯楽映画が観たければ、スーパーマリオムービーを鑑賞することを強く推奨いたします。
宮崎駿監督は御年82歳、死がテーマに上がるのは当然の気もしますが、自分なりに根拠もあるつもりです。
主人公の真人が、青鷺に誘われて迷い込む「塔」の中、「海」が広がる世界。
このファンタジー世界では、ジブリファンがどこかで観た光景が手を変え品を変え出てきます。
海で会う「黒い人影」は「千と千尋」の「列車の乗客」のようで、
白く可愛い「ワラワラ」達は「もののけ姫」の「こだま」にそっくり、
真人が塔を登る時、「外壁を這うツタが剥がれ、あわや落下」というシーンは「ラピュタ」でも見られ
(うまそうなパンを食う、もラピュタですね)
とにかく宮崎映画の総決算のような演出のオンパレード。
(個人的には、インコたちの「歓呼三声!」「ラァー!」「ラァー!」「ラァー!」というのが、
まんま「漫画ナウシカ」の「クシャナ殿下と部下達」でツボでした。)
コレは宮崎ファンへの最大級のファンサのように受け取れるのですが、一方で違った見方もできます。
「このファンタジー世界(ペリカンは地獄とまで呼んでいる世界)」は「宮崎駿が作った世界」であり「宮崎駿」そのものだと。
物語のラスト、塔の崩壊こそ「宮崎駿の死」の暗喩ではないか、と。
また、塔の崩壊についてはダブルミーニングだと思っていて、コレは「現実世界」でも、同じようなことが言える気がします。
いや、コレはもっと残酷な現実を突きつけられている気さえするんです。
作中は1944年、第二次大戦末期の混沌の中でしたが、この時でさえ「石の積み木」は「揺れている」に留まっていたんです。
積み木が崩れたことを「敗戦」と読むことも出来ますが、
では「積み木の揺れ」はもう終わった過去の出来事なのでしょうか?
寧ろコロナ以後、世界の「積み木」は揺れに揺れていると思います。
今まさに崩れかかっているとさえ。
宮崎駿監督からの警告のような気がするんです。
「積み木は今まさに崩れようとしている」と。
纏めると
「俺(宮崎駿)はもう死ぬけど、
で、これからは俺の時代(戦後)以上の苦難の時がやってくるだろうけど、その荒波を
君たちはどう生きるか」
という問いに見えてくるんです。
少し悲観的過ぎる気もしますが、我々はこれくらいの覚悟が必要なのかもしれません。
ではその崩れかかった世の中を、我々は「どう生きれば」良いのでしょうか。
答えのない問いです。だから難しい。
でも、宮崎駿は少し、ヒントを遺してくれていると思います。
それが真人の答え「友達を作ります」。
もちろん直接的な意味だけにあらず、この答えは
「結束を深める」という意味に受け取れます。
宮崎駿はいわゆるアカ的な人なのでこういう(団結せよ的な)表現がしっくりきますが、もっと単純に
「他者との絆を大事にしよう!」
と解釈してもいいと思います。
単に「真の友を見つけよ」でも良いんです。
恋人でもなんでも、自分を認めてくれ、自分も相手を認められる相手を。
そしてもうひとつ、大事なのが「ウソつきの青鷺」。
作中では何度も、「この世は正と邪だけではない」ということが描写されます。
自分を襲い、ワラワラを食べるペリカンも「食う魚が無く、生きるためにワラワラを食べていた」こと。
ペリカンを追い払うヒミもまた、ワラワラを燃しているという事実。
恐ろしい「インコたち」にも生活があり、互いに支え合ったり、同じ釜の飯を食ったりしながら、卵を大切に温め、インコの命を育んで生きていること。
そして勿論、「自分を騙して母の死を穢したウソつきの青鷺」と共闘し、最後には「友達」と認め合うこと。
ラストシーンでは色とりどりのインコたちが、フンを撒きながら美しく飛び立って行きます。
これ以上無いくらいわかりやすく、「この世は浄も不浄もある。穢れていて、それでも美しい世界」を描いています。
真人が学んだ一番大きな事は「この世は穢れていて美しい、カオスなもの」だということです。
「人間とは慈しみも汚い嘘もある、カオスな生き物」と言い換えても良いでしょう。
真人は自分でキズつけたこめかみを「自分の悪意の証」と言って「(悪意のないまっさらな石に)触ることは出来ない」と言いました。
そして元の世界、奪い合う穢れた世界で生きる決意をしました。
青鷺は最後、「あばよ、友達」と言って真人の元を去りますが、実は真人の元に残っていると思います。
何故なら「全ての青鷺はウソつき」だから。
勿論青鷺としてではなく、「真人のウソつきの部分」として、真人の中に残り続けるのだと。
真人がついた嘘とは?コレは自分の我儘のためについた「こめかみの傷」のことではありません。
産屋で、夏子に言った「夏子母さん!」のことです。
あれは真人と夏子のわだかまりが解け、真実の家族になるシーンだ!あの言葉が嘘なわけない!
と思う方もいるでしょう。
でも、あれはきっと真人が学び身につけたウソ、方便なのです。
だって最後に時の回廊が崩れ現実世界に帰るその時まで真人は「母さんに生きていて欲しい」と願うのですから。
少なくとも真人の中で「久子(ヒミ、母)と夏子が完全に置き換わる」なんてことは無いんです。
それでも「夏子母さん」と呼びかけたのは、真人からの歩み寄りであり、何より「自分についたウソ」なのです。
そして、「ウソ」こそが真人の一番の成長だったのだと思います。
青鷺は去ったように見せても、真人の中に残る。
「ずるくても、賢く、ウソをつける真人」として。
そして何より、生きろ。
作中で、唯一明確な殺意を真人に向ける存在がいます。インコです。喧しく好き好きな声で鳴くインコは
宮崎視点で言えば観客や批評家のことだと思われます。
でも、単純に自分が感じた鬱陶しさをわざわざ映画に落とし込んだわけじゃないと思うんです。
勝手ながら、自分ごと化してもこのたぐいの輩は存在します。悪質クレーマーや理不尽な上司など。しかし、近年最も数が膨らんだインコたちは「SNSの第三者」ではないでしょうか。彼らは彼らの理屈で武装し、他者を寄ってたかって攻撃します。多様性に富むような色をしていても、色は4色顔は均一の喚きながら包丁を振るうインコです。
「妊婦は食わない」「産屋に入るな」など、こちらには意味不明な理屈でもインコ理論にとっては大罪であり、禁忌侵す者殺すべし、というのは、近年のSNS等で見られた事象であり、つい最近にも悲しい出来事がありました。
現実でも崖際まで追い立てられている人がいたら、この映画を見て欲しいです。
宮崎映画にとって何より重要なのは、生きることなのです。
「この世は美しくもあり不浄でもある。みな罪を背負っているかもしれない。人それぞれ生き方も違う。自分が如何に穢れていても、やはり生きるのは素晴らしい。生きよう」
というメッセージは、1990年代のもののけ姫や漫画版ナウシカ等から風立ちぬ、そして君たちはどう生きるかに至るまで、宮崎氏の中で不動のテーマなのだと思います。
――――――――――――――――――――――
宮崎駿は要するに
「ずる賢くてもいいから、上手く生き抜いてみせろ、そして、真の友を見つけろ」
と、我々に、「どう生きるか」のヒントをくれたのだと思います。
感じ方、考え方は人それぞれです。まだ私も、この映画のすべてがわかったとは到底思っていません。
また、同じく映画を観た方と意見を交えることで見方が変わることもあろうと思います。
なのでぜひ、簡単にでも良いので、一人でも多くの方の感想に触れたいです。
産屋で、夏子に言った「夏子母さん!」が、真人が学び身につけたウソ、方便という考察に、成る程!と思いました。青鷺の最後の言葉「あばよ、友達」にも、上手く呼応していますものね。
私自身は、全く気がつきませんでした。素晴らしい考察、有難うございます。この映画の作りの深さを改めて気づかせてもらい、とても嬉しいです。