「遊園地を期待して見るとがっかりかもしれないが美術館を期待するなら大満足」君たちはどう生きるか まさんの映画レビュー(感想・評価)
遊園地を期待して見るとがっかりかもしれないが美術館を期待するなら大満足
タイトル通りエンタメ性には欠けるがアート性はたっぷりの作品。見る人を選びます。
ややこしい話だったので自分用のメモ。
思い出のマーニー+千と千尋の神隠し+宮崎駿の創作観 といった感じ。
母親の喪失や新しい母親を受け入れることができない拒否感、また父親への不信感、環境の変化に対する疎外感。
それらから救い出してくれる物語の数々(母親からのメッセージ付きの原題の本もその一つ。実家にあった本を読みながら、親もこれを読んでいたんだなあと感じる経験は少なくない人にあるのでは?)
塔は物語の世界そのもの。
その中に入り込んで自分と向き合い、自分のルーツを知る。世界の理不尽や循環を知る。
そうして成長する。
現実逃避のように異世界にのめり込み自分の先祖やルーツを知り、現実に向き合い直すといった構成は思い出のマーニーに既視感を感じる(宮崎駿の作品ではないが)
異世界に迷い込み世界の理不尽を知る。またその異世界のアニメーションの奇妙さや目の離せなさは千と千尋の神隠しを感じる。
喪失やそこから逃避した先にある幻想的な世界という構成は村上春樹の作品群に類似しているところもあって、個人的には好みの構成。
今回、上の単純なストーリーをややこしくさせているのは、このストーリーに重ねるようにして描かれた大叔父のエピソード。
マザコンみ溢れる主人公に宮崎駿は自身を重ねているのかと思いきや、宮崎駿自身はどちらかというと大叔父にこそ自分を重ねているよう。
ある日突然現れて自分を魅了した物語の世界。
そこにのめり込み、自分で世界を作る側になった。
数々ある物語から真に納得する悪意のない13個の積み木は自分のこれまでの作品のこと?
それが崩れて世界が壊れるのは自身の引退を意味しており、宮崎駿自身は後継者を望んでいる。
しかし主人公すら後継者にはなり得ない。ただ主人公は自分で別の積み木を見つけて持ち帰った。
我を学ぶ者は死す:自分の真似をしているようではインコやペリカンのような何も生み出せない、人を食うだけの、群れをなすだけの人間になってしまうぞ?という意味?(ここはいまいち違う解釈がありそうな気がする。)
ジブリという塔が崩れて、現実世界に戻り、そこで主人公は自分の道を生きる。
まるでシンエヴァのエンディングを見ているよう。また映画館から帰る鑑賞者自身にも重なるよう。
青鷺はおそらく青い鳥にかけているように思う。
幸福の青い鳥なんて言われているが、それは全部嘘なのでは?物語なんて虚構なのでは?
それを承知で友達になれたら良いよねって感じの。
主人公は無事友達になった。
まだまだ完全には咀嚼できないような気がします。また金曜ロードショーとかでやってたら見ます。
正直やり放題すぎて鑑賞者を置いてけぼりにしていると思います。あくまで鑑賞者ってのは黙って座っておけば楽しませてもらえるもの、なんて楽チンなものではないんだなあと痛感して、それはそれで気持ちいいですねー。
追記
・インコは人間のマネをすることから模倣者のイメージ?
・どれだけ考えてもなぜ夏子が塔に入って行ったのかを説明することは不可能に思える。あくまで主人公の動機付けとして物語を駆動するための都合の良さを感じてしまう。
・千と千尋の湯屋は、風俗やスタジオジブリ、また八百万の神を癒す場としてのイメージを融合させていた。それと同様に今回の君たち〜の塔は、物語の世界(宮崎駿のこれまでの作品群)と、現実逃避先としての居場所と、出産から死までの循環、といった複数イメージをシームレスに融合させたはっきりとした輪郭を持たない存在として出来上がっている。
これは一対一対応で教科書的にメタファーを作り上げているディズニー作品とは根本的に違う仕様。
・宮崎駿が自分自身を曝け出した結果、母親は子を産むことを最大の幸福とするべきである、とまで思わせてくる様な狂気的な女性の神格化があるように思う。昨今の映画や社会の流れに逆らっているようなキモさがあるが、これをどう評価するべきか難しいところ。フェリーニの8 1/2とかも個人的には大好きなので、キモさも全て受け入れて評価したいところだが、世界的な評価は果たしてどうなるんでしょうか?気になる
青鷺のくだり、それを承知で…の部分が印象的なレビューでした。
成熟した人間関係にみられる包容力が、お互いが心地よい円滑さや距離感の大事なヒントになっている気がします。