ウーマン・トーキング 私たちの選択のレビュー・感想・評価
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今の時代に考えられない
この事件が実話であり、そのうえ2000年代に起きたことに
驚きを隠せませんでした。
女性を人として扱っていない村なんて
今の時代に考えられません。
そんな村だから女性が選択をこんなに困難にさせたのでしょう。
主役のルーニー・マーラも良かったけど
教師オーガスト役の俳優も素晴らしかった。
重い。 2010年の出来事なのか・・。 驚きしかない。 ただ、目に...
重い。
2010年の出来事なのか・・。
驚きしかない。
ただ、目に見えない形で、同じ様な女性たちに対する、暴力や人権侵害のような事例は日本でもあるのだろうなぁ・・。男つー生き物は困った物です。
社会のベースにキリスト教の倫理観がある環境でないと、なかなか、全てを理解しての共感というのは難しいと思う・・。
客観的に物を考えられる、社会で共有できる道徳的な価値基準は必要だよなぁ。
日本の宗教には足りない点だと思う。
女たちが、話し合って、結論を導き出した2010年のあの日。
実話を基にした小説の映画化作品です。
ミリアム・トウズが2018年に発表した小説
『Women Talking』を原作として、サラ・ポーリー監督が
ルーニー・マーラーなどを出演者として映画化しました。
ボリビアの遠隔地で孤立したメノナイト
(電気や機械を出来るだけ使わずに生活するコミューン)
で2000年代に起きた実話は、就寝中に家に侵入して、
馬に使用する麻酔スプレーを女たちに掛けて暴行する行為が、
300人もの女性被害者に約4年間に渡って行われた。
本人たちが意識がなかったこともあり、
「悪魔の仕業だ」
「女の妄想だ」と
発言を抑え込まれていた。
事件は明るみ出て、女性たちは怒り、代表者たちが、
今後取るべき行動を3つに分けてディスカッションする。
そんな舞台劇のような映画です。
選択肢の①
何もしない(男たちを赦して今まで通りに暮らす)
選択肢②
ここで闘う。
選択肢③
ここを出ていく。
①はすぐに除外されて②と③を話し合います。
それぞれの利点と欠点を挙げて。
メノナイトの女性は読み書きも教えられず、教育を否定されていた。
緊迫したディスカッションは続く。
そんな時「Day dreamBiliever」が聞こえて来て、ホッと息を吐く。
地図も知らない女性たちは大学教育を受けて議事録の記録係に任命された
オーガスト(ベン・ウィショー)から南十字星をみて
南を知る方法を学びます。
メノナイトを出て自由を求める・・・
新天地には、どんな希望が?喜びが?不安が?
この映画が投げかけている主張とは?
女性がこのような性的搾取をされる非人道的な行為は決して
あってはならない。
いっとき問題になったアフリカのイスラム国で若い女性の誘拐が
多数、頻発して性奴隷として売られた事件。
人身売買は今でも公然と行われている。
それらを、
ヨーロッパ並びに文明国家では《あり得ない》と決めつけるのは
早計だとも思います。
日本でも手術中に麻酔をかけて性的暴行を行った医師の例があります。
男が女性に酒を多量に無理強いして意識を無くした状態で行われるレイプ。
それだって日本でも未だに多い。
女性の地位の向上。
男性より非力な女性が立ち向かえない暴力に
どう対処するか?
問題の根っこは深い。
そして根絶もまた容易ではない。
女性の発言権や権利を考える上で貴重な映画だと思います。
作者のミリアム・トウズさんはカナダ在住の女性で、
18歳までメノナイトの集落に暮らしていて18歳で
脱出したそうです。
調べると実際にはボリビアの被害女性たちは村を出ていないし、
状況(原始的生活や教育を受けていない)
は、何も変わっていないそうです。
子供たち(特に男の子)は、女性を労わり権利を侵さない教育を
根気よく続けるべきだし、
女性の権利が守られて、自活できて、発言できる
より良い世界のための提言をこの映画は果たしたと思います。
12人の怒れる女達
・宗教に民主的多数決はありえない。それが大前提だと思う。
・選択した結果が間違い。
『主の御霊に』で『タイタニック』の様に『逃げる選択』はありえない。現在の科学では、生物学的に、男を否定して女だけでは人間社会は維持出来ない。
・サロメが『銃』を受け取り、自分の『中二病の息子』を拉致まがいに連れ出そうとするが、DNAを考えた場合、暴力のDNAは途絶える事は無い。そもそも、サロメのDNAにも暴力的な物が混じっている。
・人種や階級等の外世界の存在を無視している
・女性だからと言う既得権は無い。
・逃げるは女性の権利を放棄した事になる
では、どうしたら良いか?
・行政に訴え続ける
・社会からあらゆる武器を無くす運動を起こす
・年齢、男女の区別なくDNAの力を克服する様な完全な教育を施す。
・規約等をしっかり作って、
新しい宗教団体として法人化登録する。つまり、バ賢明にならない男を追い出す。
・男に対する司法を変える。共同体外の社会も変える
兎に角、女性どうしは仲良くやるべきだ。神の存在を理由に、天国へ行く事を最終目的にすべきではない。
それは兎も角、この映画の様に直ちに逃げる必要があるのは、ロシアとウクライナの戦いに挟まれた人々だと思う。勿論、ウクライナ人だけではなく、ユダヤ人もロマ人もルーマニア人も、そして何よりもロシア人もである。ロシアにも終末を迎えた少女は沢山いるわけだから。
『デイドリームリヴァー』って
『モンキーズ』って
知っている世代としてはなんか軽すぎる。
圧倒されました
終始、心を鷲掴みにされた様な感覚で没入感ハンパなかったです。
タイトル通りほぼ女性たちの会話劇なのに、役者さんたちの迫真の演技に圧倒されて、アクション映画並みにとてもハラハラしました。
白人至上主義ではないけど、随所に登場する白人の少年少女が映像美。
女性(特に子供が居ると)刺さる内容だと思います。
描いている事や、作品のメッセージの射程の長さ、深度がすごい傑作。 ...
描いている事や、作品のメッセージの射程の長さ、深度がすごい傑作。
良すぎて言語化しづらい。
これは現代の最新型のフェミニズム映画でありつつ
単純な男女の対立論でもなく、
赦しについての哲学みたいなものでもありつつ、とにかくすごい。
何かを選択することは、何かを捨てることでもある。
色々な立場や考えの人でもどこかに共感できる人物造形だと思う(特に女性はね)
監督インタビューでアーミッシュの女性達が映画館に観に来て、自分達の映画だと喜んでいたとゆう話が印象に残って
映画館で鑑賞
タリバンを連想した
2010年、自給自足で外部との交流のほとんどない村で、女たちはたびたびレイプされていた。男たちから、それは、悪魔の仕業、だとか、作り話、だと言われ、レイプを否定されていた。
やがて少女が逃げる男を目撃した事から、女たちはそれが悪魔の仕業や作り話などではなく、実際に犯罪だったということを知った。男たちが街へ行き村を不在にしている2日間、女たちは自らの未来を、赦すか、戦うか、去る、かの選択を懸けた話し合いを行った。という、2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとにした話。
女性には教育を受けさせず、文盲のため本も読めず、外部からの情報を入手する事も難しい状況が、ごく最近のボリビアで有ったということに驚いた。
牛用の鎮痛剤で麻痺させ、レイプするとは、すごい村だなぁ、と思った。これを今までずっと続けてたのかと、いう驚きがあったのと、女性に教育を受けさせない、というところはアフガニスタンのタリバン政権と共通するな、と思った。
女性を子供を作る道具としてしか扱ってない、そんな地域はまだこの地球上に残っているのだろう。現在でも。
全女性で決め、村を去った後、どうなったのか、気になった。
良い居住地が見つかれば良いな、という思いと、男たちに追いつかれ、連れ戻されてないか、と心配になった。
なんという作品……!
実際の事件を元にした小説が原作なのだが、文明から隔絶され、読み書きすら学ばせてもらえない女性たちの置かれた状況自体が、現代(作中は2010年という設定)においても言葉や自己主張を奪われ続けている世界中の女性たちの寓意となって迫ってくる。
(しかし、事件自体は寓意でもなんでもなく実際にあったことなのだ)
彼女たちの言葉一つ一つを噛み締めるように聴いた。
鑑賞動機:あらすじ3割、脚色賞6割。まさか「男たちの知らない女」?1割。
南十字星があれだけの高さになるなら、そりゃあ南半球っすね。
「これまでの男はもういらない」といったところか。最初はアーミッシュのような特殊なコミュニティかと思ったが。
男性(除くベン・ウィショー)の描写は本題ではない造りなので、このコミュニティの全体像が見えにくくはあるのだけれど、妻や娘を所有物のように考えている男なら、「俺のものに手を出しやがって」的な思考にならないのかな。
あとできればマクドーマンドのような保守派(考えることをやめた派?)も、話し合いに参加し続けて欲しかったかな。
【”女性の尊厳と未来への勇気。”男性支配の宗教コミュニティーで、長年虐げられ、尊厳を奪われて来た女性達が話し合い、ある選択をする過程を描いた群像劇。今作は現代社会に鋭い警句を投げかける作品でもある。】
■舞台は2010年(と、途中に分かり驚く。)時給自足を営むキリスト教一派の村。
この村では、若い女性が一派の男性にレイプされる事件が続くも、”悪魔の仕業”と言って秘せられていた。
だが、或る少女が犯人に気付き、警察は男を逮捕。他の男達は保釈金を払うために一時的に村を出る。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・南米のコミュニティーで起きた実話がベースと知り、驚く。
・宗教コミュニティーの男性達に虐げられて来た女性達が、文盲である事にも更に驚く。
ー 何処まで、虐げられていたんだ!-
■だが、女性達は男達が居ない間に、納屋に集まり三つの選択肢を掲げる。
1.男達を赦し、何もしない
2.コミュニティーに留まり戦う
3.コミュニティーを去る
結果、2.3が同数となり代表8人の女達が、納屋内で”自分達の未来をどうするか”を延々と議論するのである。
2.はセクハラ告訴に踏み切る勇気ある女性達の姿を想起させ、
3.はDVから逃れるために子供と家を出る母親を想起させるのである。
序でに言えば、彼女達は文字が読めなくとも聡明であり、勇気があり、仲間への思いやりがある事が会話劇の中で分かって来るのである。
・女性達の会議に唯一、記録係として招かれた教師をしている男オーガスト(ベン・ウィショー)がレイプ被害に合った妊婦オナ(ルーニー・マーラ)に地図の観方、方角の見分け方を伝授するシーンは、このシリアスな物語の中での一服の清涼剤である。
<最後までコミュニティーに留まり戦う事を主張していたサロメ(クレア・フォイ)も最後はコミュニティを去る事に同意するが、ハッキリ言ってここら辺の描き方がとても粗く、観ている側はついて行くのに必死である。登場人物も多いしね。
だがラスト、早朝にコミュニティを出ていく多くの女性達と小さな子供の姿は彼女達の新たなる未来を予感させる。
又、この作品が伝えようとしたメッセージは現代社会にも大きな意味を持つ。
故に、私は今作を3.5としたのである。>
<2023年7月22日 刈谷日劇にて鑑賞>
違和感だらけ
違和感だらけの映画。
教育を否定され、読み書きもできなければ考えることすら禁じられてきた彼女たちが、あれほどロジカルで巧みな会議の運営ができるのだろうか。
「書記」として参加したオーガストは2010年の外の世界を知っている大学卒の男なのに、どうして逃げ込める保護施設などの情報を与えないのか。大雑把な地図だけ与えて「ここがこのムラ」とか丸つけたりするだけ。
女たちも「出ていく」と決めたなら、まず安全な行き先を確認しないか、小さい子供も妊婦もいる、世間から隔絶された社会しか知らない自分たち、という自覚もあるでしょうに。
オーナは道端で出産したようだ。なのに、赤ん坊を抱いた母の声には一抹の不安もない。
ずっと放浪の旅? 捕まって連れ戻される心配もあるのでは?
監督によれば「寓話」として作った、ということなんだが、どんなことへの教訓なのか? 弱い立場のものを好きなように虐げていると逃げられてしまう、という男たちへのそれか?
弱いものでもヒトとしての誇りを持って団結すれば大事を成し遂げることが可能だ、ということなら、成し遂げた成果まで含んでいないと寓話として成立しないと思う。(この映画ではまだ道なかばで脱出劇の結末/成果が見えない)
大人数で行う大事を決めるなら、ぎりぎりまで外部に秘密にして綿密な計画が必要、でないと失敗する(あてどなく放浪する様なことになる)とか?
実話をもとにした原作は寓話ではなさそうですが、サラ・ポーリーの映画としては細部にはこだわらない、おとぎ話で良い、「寓話」だからそういうもの、ということなのでしょうか?
この映画を世にはなった意義はなんだろうか、と思ってしまった。
性暴力に耐えるのをやめて宗教コミュニティから出ていく決意をした女性たちという、現実的なテーマなので、どれほどの知恵と勇気と工夫をこらして脱出に成功したか、というリアルなところを描くほうがしっくりくるのでは。テーマが生々しすぎて寓話にそぐわない気がする。
ただし、女たちの発言にはいちいち頷いて感心させられました。
「赦しを許可と勘違いするものがいる」まさにそうです。
良くできた映画
ショッキングなシーンは出さずに。映像やセリフで想像させる様に作ってあったこの作品。ひたすら、少ない出演者の話し合いのシーンが。それでも最後までドキュメンタリーに近い感覚で観てしまう演技力。ただ、少し重い雰囲気の話し合いのシーンが続くので。途中、何回か寝てしまっていて。何か腑に落ちない所もあったの、それが何だったのか考えていましたが。ココのコメントに、アメリカ人の俳優さん達だからそれは闘うの一択でしょう。と書いてあって。私の中の違和感も、多分そこだったんだ思いました。ただそれでも今作品は、時々映画に行っては一日に3~4本観たりする私ですが。今も、胃の辺りに重く残っている感じがして。自分の中に何かしら残り続ける映画になるんじゃないかな思ってます。何年か経って、又見てみようかなと思うんじゃないかな。本当は星4~4.5かなと思いましたが。意思の強いアメリカ人が演じて違和感があって。スッキリしない時間があったので、マイナス1させてもらいました。
寓話とは・・・
事前情報として、南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆された小説をサラ・ポーリーが監督し映画化した作品で、アカデミー賞脚色賞受賞作品という事までは分かっていましたが、ちょっと変わった物語でした。
原作にどこまで忠実なのかは分かりませんが、監督は寓話として作ったと明言していますので、原作にはインスパイアされただけでかなり脚色をしているように思えました。
日記タイトルにした寓話とは「比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語」とウィキにあります。
その割にざっとレビューなどを見渡しても、寓話として何に例えた比喩なのか?を言及した感想は殆ど見当たらず、物語の中身そのものの感想の方が多い様に見受けましたが、それはどうしてなのでしょう?
本作、監督の寓話という事へのこだわりだと思うのですが、物語の設定はかなり雑というか荒っぽいというか、設定的に???と思える部分が多かったです。だからこそ、そういう些末な事よりも寓意を読み取って欲しいという作り手の願いがあったように思うのですが、高評価の割にそこにまで言及されていないのが寂しい気はしますね。
本作は“アーミッシュ”の様な宗教集団の小規模な村が舞台で、元々人間は集団生活でしか生きられない生物であることは歴史的に見て分かっていることですが、その集団も数千年前には都市から国家規模にまで拡大してしまいましたが、数万年前までは(最大)150人程度の集団(コミュニティー)だったのです。
そして私が本作を見て思うに、その程度の集団で起こりうる問題とその対処方法も、今の国家規模の問題と対処法も基本的には変わらないのではないかというのが本作のメッセージであったように思えました。
そして、比喩として本作の村が国家だとすると、女性は一般市民という事になります。そして、一般市民にファシズムのような国家的暴力があったとしたら、市民はどのように判断対処すべきかをミニマムな物語で表現していたのだと思います。
そこで行き着くところの選択肢はどのような規模であろうと、1.赦す(生涯我慢する)2.闘う(死を意味する)3.去る(これも死の覚悟が必要)の三つの手段しかないということであり、その選択過程に於いてそれぞれの人間性が試されるというお話だったと思います。
まあ、特に男性性にとっては厳しいテーマの作品でしたが、本作はあくまでもシミュレーションであってラストのその後は描かれていませんでした。
しかし、もし人間に性別が無く雌雄同体として高等生物になっていたら、いったいどんな社会が生まれていたのでしょうね。
寓話的な雰囲気を漂わせつつも、今問われるべき問題を精緻に描写した一作
予告編が示す通り本作は、ある共同体で起きた事件を契機に、自由も教育の機会も奪われていた女性たちが、重大な決断を下すべく議論を重ねる物語です。
とはいえ、男性と女性を単純に加害側と被害側に分断して、後者による抵抗を「正しいこと」として扱う、といった単純な構図では捉えきれない切り口を持った作品です。そのため、楽しい気分で劇場を後にする、といった種類の作品とは言いがたいものがありますが、それでも本作で女性たちが下す決断の重さは、受け取る意義が十分すぎるほどあります。
彩度を落とした映像の落ち着いた雰囲気や、女性たちのまとう古風な衣装は、現代社会ではないどこかの時代、あるいは全くの架空の世界を舞台にした、寓話的な物語であるかのような印象を本作に与えています。しかし本作の原案となった事件、そして舞台となる共同体のモデルになった集団が事実に基づいていることからも、紛れもなく現代の社会を扱った物語であるといえます。中盤に登場するあるものの強烈な違和感や、結末がもたらす高揚感とその先に横たわるあまりにも重苦しい予感は、先が見えないからこそ深い感慨をもたらすものです。
しかし同時に、本作にはいたるところに、観客の予断を(おそらく意図的に)混乱させる仕掛けが潜んでいます。それらがもたらす心理的な混乱そのものは、サラ・ボーリー監督の意図通りだとは思いますが、人によっては中盤以降の展開が頭に入ってこないほどの疑問を抱えたまま結末を迎えることになるかもしれません。初見で受ける印象の重要性は重々承知しつつも、本作に関しては、先に述べた実際の事件や集団について、概要だけでも知ってから鑑賞に臨むことをお勧めしたいです。
内容もキャスト方々の演技も重い
これは全くのフィクションではないんですよね
それも100年以上前の出来事かと思えば2010年とは
今の文明を感じる事ができない生活環境、服装、そんな中で突然バンドエイドが出てくるから「え?」ってなったけど、途中で2010年とわかりました
ほとんど会話で進むストーリーで、でも彼女達の状況は女優さん達の演技で伝わってきます
長々と議論をせずに、そんな場所からさっさと出て行けばいいじゃんって思いましたが、彼女達は「みんな揃って」、そこまで一緒にするのは何で?と思ったりしましたが、ずっとそういう中で生活してきたからなのでしょうか
他の世界を知る事ができない環境だから「なかった事に」と「赦し」という選択
悲しすぎます
閉鎖的な世界で生きてきた読み書きもできない彼女達は、いわゆる普通の世界に行って苦労する事もあるだろうけど、次の世代じゃなくてあの彼女達にもその選択で正解だったと思えるような今後であってほしいと思わずにはいられませんでした
「去る」ではなくて「新しい世界に出て行く」であってほしいです
自然の中の音のエンドクレジットがとても良かったです
理不尽な秩序への一つの抵抗
信仰に深く絡んだ不公平な秩序の中に生きる女性を描いた映画としては、「聖地には蜘蛛が巣を張る」が記憶に新しい。本作も「聖地…」も実在の事件をベースにした作品である。
本作は不公平な秩序と集団で向き合う女性たちが描かれている。3つの選択肢から選んだ2つを更に絞り込むため、代表者達が法廷劇にも似たテイストで2つの方法のメリットとデメリットを挙げながら自分達が置かれている問題の本質を討論していく。
同席した少女の視点を絡めたりして緩急を付けながら議論を追う構成が、観客の目を離させない工夫に満ちていて見事だった。
教義という共通の価値観を持った彼女たちの間でさえ紛糾する議論は、やがて自分の子供達、そして未来の子供達を守るためにどうすればいいか、という論点へ収束する。内に抱える怒りや絶望、望む未来の方向がバラバラでも、「家族への愛情」という一つの価値基準によって纏まっていく女性達の様々な横顔に胸を打たれる。
議論の代表に選ばれなかった女性達はどうしていたのか、親たちが議論を重ね、決断を告げた時子供達は何を思ったのかが気になった。この議論と決定をもう少し多面的に見たかったと思うのは欲張りすぎだろうか。
コミュニティの外を知らない彼女たちの未来は決して楽観視できるものではないだろうが、エンドロールで流れる音が人工的な楽曲から自然音へ変化する様子に制作者が込めた希望を感じた。
実際の事件とフィクションの違い
実際の事件:少なくとも150人以上の女性たち(下は3歳から上は60代まで)が動物用の催眠スプレーを使った犯人によって被害に逢っていたボリビアのゴースト・レイプ事件。女たちがいくら異変を訴えても、幻想に違いないと取り合ってもらえなかったが、女性が犯人のうち二人をとらえたことで明るみに出て、ボリビアの警察当局が介入し、犯人には実刑が下った。しかし警察が介入したのは1度だけで、女性たちは村を出ていないし、置かれた状況もほとんど変わっていない。
映画を観ただけでは納得できないものが残ったので色々調べてみたら、実際の事件にインスパイアされたフィクションが映画の原作で、原作者はカナダ出身のメノナイト(でも18歳で離脱)の作家ということが分かった。
少なくとも原作のレベルではボリビアの話なのだろうけど、映画の脚色の段階で場所が変わったようで(南十字星のエピソードはあるけど、デイドリームビリーバーだし、キャストは英語を話しているし、どう見ても北米)、混乱する。メノナイトは新大陸に移住した年代も世俗化の程度も様々だけど、同化を求められ、それを拒否した最も保守的な集団が南米にいるようだ(オランダ語の影響を受けた低地ドイツ語を話しており、現地の公用語を話さない)。
#MeToo の普遍的な物語にするために敢えて場所をぼかしたのだろうけど、ルーニー・マーラやクレア・フォイ、F・マクドーマントといった強キャラが英語を話していると、何を迷うことがあろうか。逃げる一択じゃないかと見えてしまうのが違和感の正体だったかなと思う。
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