「赦しは許可じゃない」ウーマン・トーキング 私たちの選択 hiwaさんの映画レビュー(感想・評価)
赦しは許可じゃない
まず、2010年という舞台に驚き。
100年前かと思うような農村の世界に、突然のデイドリームビリーバー。
当たり前に自由な外の世界が集落の中に音楽とともに入ってくるシーン、窓を閉めて閉じこもる女たちと、対照的に駆け寄っていく好奇心旺盛な娘たちの描かれ方が、集落のかたちを示唆しているよう。
事件は、最初に短く叙情的に説明される。
それだけでも十分に酷い状況は理解できるのに、話し合いが進んでいく中で、女性たちそれぞれが無理やり飲み込んで自分の中に封じていた記憶や痛みが、決壊して表出する。
1人1人の痛みが層を成して、悲しみが胸に突き刺さった。特にネティのエピソード。
陰鬱な空気の中、オーナをはじめ、ときおり見せる女達の笑顔がはっとするほど強く輝いて見えた。
自分たちの、子供たちのこれからを自分たちで話し合った結論は、利益不利益や復讐ではなく、善に生きる信仰や、愛に従って選んだもの。
強大な理不尽に虐げられても、善に生きることを諦めない勇気ある選択ってなかなか1人ではできないと思う。
大人の男の顔はオーガストしか映らない。
少年たちのいろんな顔がアップで映るシーン、加害者側になることでこの子達も顔をなくしていくということなのかな。
ある村で起こったできごとを題材にして、今、世界中(もちろん「世界中」には私たち自身も含まれる)のできごとを暗喩していたように思いました。
この物語は彼女たちの物語であると同時に、私の物語であり、あなたの物語でもある、という意味です。
3つの選択のうち、私は「闘う」を選ぶべきだと思っていました。また、映画でも当然それを選択すると。しかし、彼女たちの選択は違いました。最初、その選択は「逃げ」だと感じていました。しかし、彼女たちの話し合いを見て(参加して)いるうちに、それは「逃げ」とは違うものなんだとわかってきました。
私にとっては、今年一番の映画になりました。
無邪気な世界中の男の子たちが「顔をなくして」いかないようにするためにこそ、この映画は存在するのかな、と思いました。