劇場公開日 2023年2月23日

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「被害者の心の傷の深さ」ワース 命の値段 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0被害者の心の傷の深さ

2024年1月5日
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鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
すべての被害者と遺族とが損害賠償を求めれば、会社は潰れ(アメリカ経済は破綻に瀕す)る。そうなれば、テロリストに屈したのと同じ。流通も出張の便も停滞、経済全体が機能しなくなる。まさに国家の危機です。

航空機を乗っ取ってワールドトレードセンタービルに突っ込ませるという不法行為をしたのはアルカイダな訳ですから、最終的には、その賠償責任はアルカイダに持っていく以外にない訳ですけれども。

どっこい、個々の乗客は航空会社との契約(航空機による旅客運送契約)に基づいて飛行機に乗ってる訳ですから、最終的に航空会社がアルカイダに求償するかどうかは別として、求められれば、直接に航空会社は乗客に対して債務不履行責任(乗客を安全に目的地まで空輸する義務の違反)を負わなければならない立場。
そして、乗客以外の被害者に対しては、自社の航空機による死傷事故として、直接の不法行為責任。

好き好んで外国のテロ集団を相手に賠償請求するという人は、数としてそう多くはないでしょうから…。
結局のところ、9.11の被害者は、まず航空会社から賠償を受けることを考えるのが穏当なところ。

確かに集団訴訟を起こされたりしたら、その対応だけで、とんでもない費用(弁護士代などの訴訟費用と、訴訟の処理に関わる職員の人件費)というお話になることででしょう。
(よほど極限的な事例ででもなければ、訴訟を見越して費用を予算し、必要な人員をあらかじめ雇用しているケースなどない。)

航空会社が破綻してしまい、飛行機が飛ばなくなると、ビジネスはたちまち行き詰まり、経済そのものがストップしてしまうかも知れません。
何せ、国土の広いアメリカは、海外はおろか、国内の移動も航空機頼みというお国柄。

それに、そんな大規模な事件が係属することになる裁判所の方だって、人員的にも予算的にも、そんなキャパシティは見込んでいない―。
おそらくはパンクしてしまって、他の訴訟事件も処理できない事態に陥ってしまい、司法機能も麻痺してしまうことでしょう。

そこで、政府が(おそらくは航空各社の拠出も得て)基金を作って被害者に賠償金を払うという便法を採ることで、被害者の要求が航空会社に対する訴訟に移行することを防いで事態を鎮静化する(悪い言葉で言えば、被害者にお金を握らせて、そのまま厄介な問題にフタをしてしまう)ー。
ファインバーグ弁護士が特別管理人とやらに就任した、この補償基金の目的は、ざっくりと言ってしまえば、そういうこと。

覚悟の上で、敢えてその「汚れ仕事」を引き受けたファインバーグ弁護士には、社会的意義のある仕事に従事するという男気もあったのかも知れませんけれども。
しかし、それまで弁護士として「負け」を知らなかった彼には、この困難な仕事も、自分なら片づけられるという自負もあったのだろうと思います。評論子は。

つまり、客観的な計算式こそが、被害者の納得を引き出す切り札だと(負け方を知らないという)彼はは考え、そこに勝機を見いだして、この仕事を引き受けたことも、疑いがないと思います。
「調停のプロ」として、多くの事件を解決してきた自負が、彼にそう考えさせたのでしょう。

そのことは「いつも通りの仕事をすれば、きっと大勢の人を救える」と論じた、事務所のスタッフを前にした彼の演説からも窺われます。
(このプロポノ・パブリコを成功させれば、彼の「敏腕弁護士」としての評価は確実なものとなり、弁護士業務の上でもそのメリットは計り知れないという胸算用もあったことでしょう。本作には描かれてはいませんでしたけれども。)

補償金には政府の公金も含まれる以上、飽くまでも客観的な基準(計算式)が必要とするファインバーグ弁護士の主張と、補償に当たっては飽くまでも個々の被害者・遺族の実相を見るべきだとするチャーリーの主張を軸に、事態(本作のストーリー)は展開するのですけれども。

しかし、被害者は、ファインバーグ弁護士が想定していたよりも、被害者・遺族の心の傷は、ずっとずっと、もっとずっと遥かに深かったーそれが、彼の一番の誤算だったのだと評論子は思います。
これだけ桁違いの被害を受けていれば、単なる交通事故や医療過誤などの賠償事案とは、被害者・遺族の心情は、比べ物にならないほど複雑だったと。

そのことに思いが至ると、なお、9.11の被害者・遺族の心の傷の深さを思わずにはいられません。評論子は。
「いろいろな人が電話をかけてきて言う。あなた方は補償金を受けろ、弁護士たちは訴えろと。でも、誰も、ご主人のご遺体が見つかりましたという電話はくれない。もう、電話はいらない。」というカレンの台詞が、耳に残って離れません。

彼・彼女らの心の傷の深さを静かに静かに、しかし鮮明に浮き彫りにする一本として、佳作であったと思います。

(追記)
まず、カミールという得難い優秀な助手を得ることができ、次いで、実は「敵側」であるはずの被害者・遺族の側からもチャーリーという協力者(理解者?援助者?)を得ことができた。
ファインバーグ弁護士が大役を果たすことができた理由も、人を得たことが大きかったのだろうと思います。評論子は。
そして、カレンは、妻としての自分のプライドは脇に置いてまで、亡き夫の隠し子の今後を心配し、ファインバーグ弁護士に彼・彼女らにも補償金が渡るように手配を頼む―。

やっぱり、この世は、人と人と、そして人との関係で出来上がっているのだということを、改めて実感した一本でもありました。評論子には。

(追々記)
今の法律では、損害賠償はお金ですることになっているので(金銭賠償の原則)、例えば死亡交通事故の被害者や遺族に対する損害賠償も、慰謝料や逸失利益(生きて働いていたなら得られたであろう収入から、想定される生活費の額と中間利息=都度に入るはずだったお金がいっぺんにもらえるメリットを評価したもの=を差し引いたもの)が、お金で支払われることにはなるのですけれども。

この金額が、しばしば「命の値段」として、いわば独り歩きをしがちなことには、なんともやりきれない思いがします。評論子は。

「金銭賠償が原則だ」というのは、たいていの場合、原状回復ができないから(死んだ人を生き返らせて遺族の下に帰らせてあげることは、加害者=生身の人間には不可能)。
それで、次善の策として、いろいろなことに遣えるお金というモノ=金銭で賠償しようというだけの話な訳ですから。
要するに、「お金を払うことなら、加害者にもできる(はず)」というだけの話。
決して、それが「命の値段」を指し示したりするものではないのですけれども。

賠償額は飽くまでも賠償額なのであり、それ以上でもそれ以下でもなく、いわんや「命の値段」などではあり得ない―。
そんな単純な賠償額を「命の値段」という風潮は、何とか改まらないかと思うのも、評論子だけではないと思います。

talkie
りかさんのコメント
2024年1月23日

こんばんは♪
大変詳しくありがとうございました😊冒頭の部分、なるほど❗️と思いますが、不可能であり、払うならテロもしないでしょう。筋は通っていますが。目から鱗❗️でした。『命の値段』と考えてはいけない、なるほどとも思いました。
詳しくご存知でしょうが、我が国で、原因究明の裁判を起こそうとしたら、その方法しかないらしいですね。ありがとうございました🦁

りか
talkieさんのコメント
2024年1月6日

トミーさん、コメントありがとうございます。
そうですねえ…私も複雑な気持ちです。
そもそも、こういう事態(テロ)が起きないことを祈るのみです。

talkie
トミーさんのコメント
2024年1月5日

共感ありがとうございます。
訴訟社会アメリカならではの話だと思います。非人間的な所からヒューマンドラマが生まれる不思議さも感じました。結局はファインバーグも思惑通りになっていた事が鑑賞当時、複雑な気持ちでした。

トミー