モリー(ミラクニス)がさいしょにあらわれた見た目の汚し方で本気がつたわってきた。
Luckiest Girl Alive(私は世界一幸運よ、2022)を見たとき、シリアスにシフトチェンジしたミラクニスを感じたが、順番から言ってこの映画を経てのあのキャスティングなんだろうと思った。──のだった。
映画に大人っぽさを付与しているのは途中からはじまっていることだと思う。
娘モリーが常習者で、薬を得るための悪行や失踪を繰り返していて母のデブ(グレンクローズ)はもうさんざんモリーに手を焼いていて、子供らは夫預かりになっていて・・・それらが常態化しているところから始まる。
映画慣れした鑑賞者の心理だが、途中から始まるとかえって安心する。ぜんぶがぜんぶそうではないが、だいたい解りきったことを語るばあい、常態化した日常から始まったほうがいい。ゾンビ映画とかとくにそうだ。
映画慣れというのは多数見ているという意味であり映画のことについて知悉or精通しているという意味ではない。いっぱい見ていると導入の愁嘆や驚異や顕現が端折られているとき、ものすごく安心するわけである。だいたいそんなのは解りきった話だから。
というわけで気に入った映画だったが気に入ると余計にミラクニスとグレンクローズの親子に違和を感じてしまった。
カメラが寄ったとき顕著に思うのがミラクニスの濃さ。巨大な瞳に加えイモトのやつを貼り付けてあると思えるほど濃く太い眉毛をしている。グレンクローズとは顔立ちがぜんぜんちがう。無体な文句だがこれが親子ってのは無理があると思った。
が、転じて、顔立ちのちがいにもかかわらず親子の設定でまとめたのはグレンクローズの演技力だったとも言える。Hillbilly Elegy(2022)でも感じたが巧い人だった。
新しい役によって役者のイメージが刷新されることがある。ミラクニスは楽しいコメディエンヌのイメージだったが本作やLuckiest Girl Aliveによってシリアスもこなせる女優への刷新を成功させている。
グレンクローズも見るたびに巧い人だとは思う。が、(旧世代の意見ながら)危険な情事のイメージはなかなか消えてくれない。良いか悪いか解らないが強烈な役をもっていると観衆のイメージが動かなかったりする。
ところでグレンクローズの実子Annie Starkeも女優だがあんがい似ていなくて母親から険しさをとったみたいな丸みを持っていた。二世は似すぎているとかえって困るものだ。あまり似ていないAnnie Starkeになんとなくほっとしたw。