青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ないのレビュー・感想・評価
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繊細で優しい作品
峰ヶ原高校に通う梓川咲太とそれを取り巻く人物が「思春期症候群」と呼ばれる不可思議な現象に見舞われながらそれを克服していく過程を描くライトノベルのアニメ映画作品。
小説では第9巻の内容になります。
今回は主人公の咲太が同じ高校の恋人、桜島麻衣がランドセルを背負った小学生になっている姿を見たことからお話は始まります。
前作の『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』において妹の花楓の不登校の問題が解決し、梓川家の家庭の繊細な問題が徐々に氷解していく過程がとても丁寧に描かれていてその切なくも優しい物語が見ている者の胸を打ちます。
そして続きとなる大学生編もアニメ制作が決定しましたし、今後も青ブタはますます楽しみですね!
人を慕う気持ちも疎ましく思う気持ちも知らず抱えてしまうのが人間。知らぬ内にそれが周囲に影響してしまうのは思春期に限らない事のようです。これにて高校生編完了です。
夏に公開された「おでかけシスターの夢を見ない」。
その終わり方に、どことなく中途半端な感じがあり、
次作に続くのが見え見えな感じでした。はい。
なので、次の作品が出たからには観ないわけには…
というわけで満を持しての鑑賞です。・_・
前作で、引きこもりから立ち直った妹(花楓)。
咲太と同じ高校に通うことを夢見ながら頑張ってました。
で、この作品。咲太と麻衣が話の中心に戻ります。
そして前作からの引き「チビ桜島先輩」=ランドセルガール
この子が話の中心になるのか と思ったのですが…
そういう事でも無いようです。 あれれ
咲太の母は、花楓の引きこもりから心を病んでしまい
長いこと病院に入院し、治療を続けてきていたのです。
そのため咲太と花楓は二人暮らし。その二人を、時折
父親が訪ねてやってくる それが日常になっていました。
” 母親がいない状態が普通。この日が続けば良い ”
本人も知らないうちに、咲太の胸中にそんな気持ちが
生まれてしまっていたようです。
そんなある日、父から話が切り出されます。その内容は
「母さんが外出を許可されるまでに回復した」
「花楓が良ければ、会ってみるか?」
一瞬の空白 息を飲んだ後、「会いたい」と告げる花楓。
母に会う気になれた妹を、案じつつ喜ぶ咲太。そして当日。
無事に母と妹は顔を合わせ、二人の止まった時間が流れだす。
” -良かった ”
母の所に泊まる妹を残し、翌日は学校のため自宅に戻る咲太。
次の日。学校に行くと期末試験の結果が返される日だった。
しかし
咲太の答案が返って来ない。
咲太の名前が呼ばれない。
咲太の姿が周囲に認識されていない。
誰ならば自分を認識できるのか。
” 双葉は? …ダメ ”
” 古賀は? …こっちもダメ ”
確認するつど、深刻さが増していく。
誰からも自分を認識されなくなってしまった咲太。
” パニーガールの桜島先輩と同じ現象か… ”
しかも、咲太のお腹には新しい疵痕ができています。
こうなった原因がどこにあるのかを探し始める咲太。
果たして元の状態に戻れるのか。
…というお話。
咲太が新たな思春期症候群を発症してしまい、その原因が
次第に明らかになっていくのですが、その理由が
単純でいて納得感があり、胸に刺さります。・_・;
とんなお話かは気になった方は、是非ご鑑賞ください。
前作と合わせて、観て良かった。
満足です。 そして
高校生編がこれで終わるようです。
次回予告は「大学生編」でした。どんな話になるのか
楽しみに待ちたいと思います。
◇咲太 ミーツ ランドセルガール
思春期症候群の症状(?)として、ランドセル少女の桜島先輩
と出会った咲太。
この作品では、咲太が高校2年が終わる時点の視点で描かれて
いる訳ですが、この出会い(?)は、リアルに小学生の時の桜島
先輩に影響を与えている -と解釈していいものなのか…。
そうだとして、その出会いのエピソードも
これからの話の中で描かれていくのでしょうか。
(原作では描かれているのかな?)
その辺りが気になっています。
◇そういえば…
今作での年齢は「麻衣が高3、咲太が高2」なハズなのですが
大学生編って、
「麻衣が大学1年で咲太が高校3年」 ※普通に3月から4月に進む
「麻衣が大学2年で咲太が大学1年」 ※1年間すぽんと空く
どちらなんでしょうね?
うん。
どちらのパターンの話も観てみたいような気が。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
高校生編の集大成
中学生の娘が学校でのイジメによって多重人格になり元の記憶を失って引きこもりに。
その事で心労がたたり病んでしまった母親。
長期入院が必要となり父親は仕事と母親の介護、
兄妹は二人で遠くで自活(兄が母親代わり)。
一家は離散した。
その後色々あって妹の病気が回復に向かい
春から高校への入学も決まった。
ここまでが前話までの流れ。
妹の中学卒業の頃、ようやく母親も病が癒えてきて娘に会いたいとなった時に事件は起こった。
突然兄が謎の症状に襲われてしまった。
まあなんだかんだ色々あって最後は家族が一つに戻る話なのだが、それが簡単なら話にならない。
お互いの心の葛藤や闇を乗り越えてようやく元に戻ってきた、その過程は家族に葛藤のある人には参考になるかも知れない。
まあ主人公には数少ない理解ある友人や理解ある彼女の支えがあるから乗り越えられたと言えるかも?
そしてエンドロールの後に大学生編の作成発表。
まだまだ続く豚野郎シリーズ。
何故豚野郎なのか?主人公の兄の言動を見れば納得するだろう。
やはりこの『青春ブタ野郎』シリーズは間違っている?
前作『お出かけシスター』に続く、今度は咲太に『思春期症候群』が降りかかる、梓川4人家族のお話です。そのシスター編でも書きましたが、このシリーズは一見さんには少々厳しい作品で、アイマス同様にファンムービーに準じる様な作品です。
本作はリア充がイチャコラする展開にも関わらず、ソレこそ特定界隈の二次元ヲタ・青春ブタさんダーな各位にはワリとウケてる人気作です。と言うのも、この咲太&麻衣のカップルはそんな界隈の理想と言うか、貴兄らのツボをガッチリ掴んだ表現とキャラ付けによって、魅力的な男女に仕上っています。
カップルでありながら絶妙の距離感と掛け合いで、良いコンビ感が面白く出来てて、その辺もウケてるポイントでしょう。
で、中身は何と言うか、イイ感じのカップルがイイ感じに毎日を送るイイ感じのシーンに前半を割いています。実はコレ伏線だったりしますが、そうと知らずボンヤリ観てるとイヤに単調で掴みどころなく、目下充実中の二人や、母親に関する梓川一家の雪解けの温かいシーンを眺めてるだけの状態に。その変哲のない地味な展開に若干退屈を覚えてしまいます。
ソレがずっと続いて後半もワリと過ぎた頃に、展開の切り返しなどがパタパタと繰り出されてきて、要はメインディッシュが出てくるのが少し遅いです。とは言えそのネタに味を染み込ませるための前半のホノボノ展開な訳ですし、そのタルーい感じがもう少し払拭されてれば良かった気もします。
一番気になったのはPVでも切り取られた例の箇所、咲太が思春期症候群を発病し教室や電車で大声を出すなどの行動が、妙に不自然に感じた事です。そこは創作であり現実ではあり得ない事なのでどうにでも解釈出来るのでしょうが、もし自身が他者から全く無認識状態になった時、普通『真っ先にする』であろう事を全くしないのが結構気になりました。
そんなワケで未だに『思春期症候群』とやらが良く解らないと言う根本的な難点もあります。コレはバニーガール編からずっと引きずってて、要は根本的な部分につまづいていて後の理解がスムーズに行かない状態かと。
なので、表題のように自分は『俺ガイル』派に転がってしまったという経緯です、関係なくてスミマセン。
また、結局ランドセル背負ったロリ麻衣さん?風JSは何だったのかが曖昧に終わったり、総じて鑑賞後の印象が薄い事もあり2度観しないとダメそうです。もっとも2回目の鑑賞は決定事項ですが‥‥ (ムビチケが余った)
と言う訳で、2回目を観覧してまた何かあれば追記しようかと思います。
TVアニメでいい内容
音響監督もインタビューでこれやるの?って言ってる通りTVで良かったと思う。
最近の傾向としてはちょいマイナーアニメはTVで盛り上がったら円盤で儲けるより映画で続編シリーズ作るってした方が儲かるって確立したからこういうストーリーでも映画にしちゃうんですよね。
「ゆめみる少女の夢を見ない」映画向きだったと思うけど今回と前回はTVでいいんじゃないかな。
で今回は咲太が認識されなくなったのは前にもやったから、新しいアイデアを出してほしかった。母親もクローズアップされてるのに名前決まってないとかどうかと思う。そして取ってつけたような案内役のランドセルガール、ランドセル麻衣さんが登場する理由が乏しい気がする。ほぼ役立たずの双葉えもんは巨乳要員でしかなかった。
まあ咲太が頑張るしかないってことなんだから、双葉えもんには頼れないかもだけど、実際のところあんまり頑張らなかった咲太、麻衣さん来なきゃ詰みかけたんじゃないかと思ったけど咲太が婚姻届預けなきゃ来れなかったんだよね、咲太褒めるしたらそこぐらい。
文句たらたらだけどドラマCD付パンフ欲しいから次回も見に行くんだろなw
次回は霧島透子さんの話?新キャラでいいんだよね?
咲太の中学の同級生が別世界で登場しててさほど物語に絡まなかったから
次回はそれが関係してるのかな?
そうそうミニオンズカードのイオンシネマ優待条件が変わって
1400円でポップコーンとドリンク付き鑑賞券が追加されてこの前頼んだけどポップコーンSサイズとかいうけど1人じゃめっちゃ多いので2,3人で分けるならおススメです、ドリンクは丁度いいくらいです。
青春ファンタジーの皮をかぶった「メンタルヘルス・アニメ」。今度は咲太が救われる番!
『青ブタ』シリーズは、TVシリーズおよび映画版2本はリアタイ視聴済み&小説未読。
春頃に公開された『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』の感想で、Keyゲーフォロワーとしての『青ブタ』シリーズの立ち位置について、僕なりの思うところはもうまとめたので、ここでは繰り返さない。
Keyゲーとの対比でいうと、本作『ランドセルガール』は、『CLANNAD』AFTER STORYあたりに相当する物語だといっていい。
『Kanon』の相沢祐一、『AIR』の国崎往人とつづくKeyゲー主人公の系譜のなかで、『CLANNAD』の岡崎朋也は初めて、「周囲の少女たちを救う」だけでなく、「自らの家族の問題」に直面した主人公だった(彼の場合は「父親」との関係性に大きな問題を抱えていたのだが)。
『青ブタ』の咲太もまた、これまでの「ツッコミ」担当、「救済」担当の「大人びた聖人キャラ」から一歩踏み出して、自らの苦しみと家族の問題に正面から立ち向かうことになる。
そのきっかけとなるのは、自らの身に発症してしまった「思春期症候群」だった……。
「周りから認識されなくなる」思春期症候群というのは、第一作『青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない』で麻衣のかかった症状と同じで、その意味でふたつの作品は、「咲太が麻衣を救う物語」と「麻衣が咲太を救う物語」という形で、ほぼ裏表の構造になっている。
ただ、今回の「思春期症候群」には、ちょっとわかりづらいところもある。
人に観られるのが仕事だった麻衣にとって、まわりに空気扱いされるのがショックで、結果として発症に至った経緯はよくわかる。だが、咲太の場合はただの一般ピープルなので、お母さんとの関係性の希薄さや無意識下での拒絶が、咲太自身が「全世界」から認識されなくなる現象へとつながる流れが、どうも今一つ釈然としない。
とくに、麻衣さん「だけ」が見つけてくれたって特別感を強調するためなのだろうが、当たり前のように妹の花楓からも咲太を見つけられなくなるのは、なんとなくしっくりこない。彼女の世界にはこの間まで「咲太しかいなかった」というのに。さすがに薄情な気がしてしまうわけだ。
ただ、問題を抱えているのは「咲太のほう」であって、必ずしも花楓や他の女の子たちが薄情なわけではないことは、改めて確認しておきたい。
「思春期症候群」というのは、実は相手の問題ではなく、本人側の問題なのであって、思春期特有の「思い込み」が現実まで侵蝕してしまうことで発生する事案である。
だから、花楓が咲太を見つけられなくなったのは、「花楓の視界から咲太が見えなくなった」のではなく、本当は「お母さんと仲直りした花楓が自分を必要としなくなるのではないか」という「咲太の恐怖」が招いた現象なのだと考えることができる。
「お母さんに認識されない恐怖」以上に重要なのは、
「自分の人生からお母さんをオミットしてしまった」ことへの悔恨だ。
そのことが「自分はこの世界でやっていくに値する人間なのか」という無意識の「自罰」感情となって、咲太を社会から切り離していく。
先ほども述べたとおり、「思春期症候群」を引き起こしているのは社会ではなく、咲太本人だ。咲太のなかにある、社会から排除される恐怖と、社会に居て申しわけないくらいの自罰感情が、「認識阻害」という現象を引き起こしているのだ。
そのなかで比較的さらっと、麻衣さん「だけ」が咲太を見つけてくれるのは、このロジックで言えば、「実のところ咲太は麻衣さんだけには恐怖を感じていないし、申し訳なさから相手をオミットする感情も抱いていない、そのくらい無条件で信頼している」ことの「裏返し」でもある。
もう一点わかりにくいのは、なぜ思春期症候群を発症してにっちもさっちもいかなくなった咲太を、「別の世界線」に導いて解決のいとぐちを与えてくれるのが、「ランドセルガールの麻衣さん」なのかという点だ。
咲太の抱えている問題は、あくまで「歪んだ家族の問題」である。
母親のネグレクト。妹の依存。父親の頼りなさ。
咲太はひとり「大人」になって、家族を支えねばならなかった。
のしかかる責任と極度のストレス。
で、結果として(咲太の孤軍奮闘のおかげで)花楓はなんとか立ち直ることができた。
「花楓が病んで不登校」という事実が受け入れられずに一緒に病んでいた母親は、「病みの理由」が解決したので、急速に快方に向かう(現金なものだ)。
早速「母さんが会いたいと言ってる」と伝えに来る「誰にでも優しい」父親。
すべてが自分の弱さのせいでこうなったと思っている花楓は、気丈にそれに乗る。
堰を切ったように「正常化」に向かう家族。
常識人で、ツッコミ担当で、いつも大人の立派な咲太は思う。
「よかったよかった。僕も母さんとうまくやっていかなきゃ」
だが、彼の「ぐう聖」としてのペルソナに抑圧されてきたシャドーセルフ、もうひとりの咲太は、それがどうしても認められない。
「おいおいちょっと待てよ。誰がここまで花楓を支えてきたと思ってるんだ? ネグレクトした母親赦して、母親べったりの父親まで切り離して、何年も俺がひとりで頑張ってきたんじゃないか。それを、ようやく上手くいきだしたら、取り上げるかのように花楓持ってっちゃうのか? こんだけ頑張ってきたのに、母さんは花楓、花楓で俺なんか眼にも入ってないじゃないか。あんまりだよ、こんなの」
この「おいおいちょっと待てよ」の感覚――「家族再興の幸せな物語」に対する、咲太の抑圧された自我の抱いた強烈な違和感――それが身体レベルで反乱を起こし、ひいては「世界との関係性」にまで暴走していった結果、発症したのが「思春期症候群」だということだ。
ただ、この一連の発症の経緯には、麻衣さんは絡んでいないし、まして「子供の麻衣さん」も何一つ関係していない。
だから、なぜ「救世主」のごとく導き手としてランドセルガールが現れるのかが、ちょっと受け止めにくいわけだ。
僕もすべてが納得できているわけでもないのだが、ひとつ考えられることとして、小学生の麻衣さんは「壊れる前の世界の象徴」なのかもしれない。
社会からの疎外感にさいなまれて、思春期症候群を発症する「前」の麻衣。まだ子役としてぶいぶい言わせていたころの、無垢で素直で、全能感に満ちていた頃の麻衣。
彼女が導いてくれるのは、「花楓が壊れなかった世界」だ。
いじめの問題が発生してまだ取り返しがつく時期に、咲太が学校に乗り込んで放送室を占拠してひと騒動起こして、騎士(ナイト)さながら花楓を救うことができた世界線。
花楓は壊れず、母親も壊れなかった「幸せな」世界線。
咲太(と内面のシャドーセルフ)は、そのかりそめの幸せをひとしきり享受することで、なんとか人心地ついて、現実世界で起きている事象を冷静に、客観的にとらえなおす余裕を手に入れる。穏やかで理想的な「夢」のなかで、今自分が置かれている状況を再分析し、何が問題点であり克服すべきポイントなのかを再確認する猶予を得た、ということだ。
その意味で、咲太の体験した「もう一つの世界」は、『Re:ゼロ』の試練でスバルが体験した「家族の夢」に近いものだったのかもしれない。
それと、今回咲太が抱えている問題が完全に「家族の内々の問題」であるがゆえに、その「外」にいる存在、あるいは「これから家族になる」存在である「麻衣さん」しか、救世主や水先案内人にはなれなかったということもあるだろう。
でも、現実の麻衣さんは、咲太の物語においてちゃんと出番があるし、むしろ欠くべからざる存在だ。結局のところ、咲太の抱えている問題というのは「せっかく頑張ったのに親に認めてもらえない」という『エデンの東』のキャル(ジェームズ・ディーン)に類似した問題なのであって、その頑張りを認めてくれる第三者、頭をよしよししてくれる理解者、頑張ったねと無条件に言ってくれる相手が必要で、それは「大きくなった麻衣さん」にしか務まらない役目だ。
で、そこで登場するのが、ランドセルガール、というわけだ。
麻衣さんであって、麻衣さんでない存在。
でも、正体としては麻衣さんみたいなものだから、身をゆだねても安心な存在。
まだ無垢であるがゆえに、幸せな世界へのカギを持っていそうな存在。
「大人」にならざるを得なかった咲太を「子供に戻らせてくれる」存在。
もう一度強調しておくと、思春期症候群というのは、世界に問題があるのではない。本人に問題があって、それがあふれ出して世界に干渉しているのだ。
ここで現れた「子供の麻衣さん」は、世界が咲太を救うために遣わした使者ではない。
「咲太自身の内面が望んで呼び寄せた、無意識レベルの願望の実現」なのだ。
……といった感じで、僕は「ランドセルガール」については自分を納得させました(笑)。
― ― ―
僕個人は、親との深刻な問題を抱えたことはないうえ、一人っ子だったので、今回の物語にのめりこめるほどの土台を共有していないし、きっとこういうことになったら大変だろうなと想像をふくらませることしかできないのだが、兄妹で似たような経験があるとか、母親との関係にわだかまりがあるような人にとっては、ものすごくぐっとくる映画だったのではないだろうか。
『青ブタ』シリーズのなかでも、ある種「Keyゲー」の再現に近かったここまでの5人のヒロインの物語とちがって、花楓と咲太の話は「家族」の問題を克服していく、いわゆる「ホームドラマ」であり、かなり毛色が違う。
「思春期症候群」の扱いも、ファンタジー色やセカイ系の要素以上に、心理学的な色彩が強く出ていて、いわば「メンタル系疾患の言い換え」に近いものになっている。
要するに、ストレスや社会不安によって「心の均衡を喪ってそれが身体に出る」というありきたりなメンタルの病を、「思春期症候群」と呼称することでラノベ的、アニメ的に「受容可能なファンタジー的ギミック」に落とし込んでいるということだ。
その意味では、TVシリーズや『ゆめみる少女』以上に、今回の2作(前後編で描かれた妹と兄の物語)には「セラピー小説/アニメ」の側面が強いように思われる。
積み重なる家庭内の問題。自分では気づかないうちにたまってゆくストレス。
それがついに身体に出てしまった(今回咲太にでているのはほぼ「帯状疱疹」である)。
しかも、どんどん社会と自分の「乖離」が広がってゆく感覚がある。
あれ、どうしよう? 俺、メンヘラってるぞ?
さあどうする? まずは、なぜこんなことになったか分析してみるしかないか。
内なる自分と向き合って、なにが不満で体調を崩すくらいに病んでしまったのかセルフチェックしてみないと次に進めない……。
今回の『青ブタ』で、「思春期症候群」を口実にしつつ追求しているのは、まさにこういったメンタルヘルスの基本的思考である。
鴨志田一は、ラノベの形態をとりながらも、若い読者に「自分との向き合い方」「家族との向き合い方」「思うようにいかない心と身体のバランスのとり方」を語りかけているのだ。
ちょうど世相が荒れ、コロナを経て対人スキルも衰え、若者たちがメンタルをやられ、みんながなんとなく「疲れ」「うつっぽく」「閉塞感にさいなまれている」ような2023年に、この2本の映画がそこそこのヒットを飛ばしているという事実は、決して無関係ではないと思う。
次回からは、大学生編とのこと。
考えてみると、ラノベの主人公が大学生になってもなお話が続くというのも珍しければ、ヒロインと出だしでくっついたのに話がいっかな終わらないというのも珍しい。
それだけ「思春期症候群」といいながら、もはや「思春期性」や「ラブコメ」の枠におさまらない、より深い次元の内容を追求するシリーズになってきているということなのかな。
おおいに次回作(映画? TV?)にも期待したい。
高校生編完結。そして物語は次のステージへ
これまでの振りが効いてくる
2023年劇場鑑賞291本目。
舞台挨拶中継付。本編終了後なのでネタバレ気にせず話してくれるので良かったです。前作の舞台挨拶から思っていたのですが、主演の石川界人の解釈が本当によく考えてるなぁ、と感心。共演者も言っていた通り補完されていきます。
長期シリーズとなっている今作、面白いのは面白いのですが、主人公の咲太がどうも達観しているような、感情の動きを表に見せないタイプで、正直ちょっと苦手だけど、ラノベの主人公あるあるなのかな、と諦めていました。親元から離れて引きこもりの妹の面倒をまだ未成年の彼が見なければならず、大人びているのは仕方ないかなと思っていましたが、今作はそれが振りになっていて、遂にそこへ踏み込むといった内容になっていて良かったです。
ただこれ大学生編に突入するらしいですが、思春期というにはそろそろ厳しいのでは・・・。ここらへんで終わらせても良かったのかなと思います。
鑑賞に失敗した人の感想
明らかに準備不足で鑑賞した結果がこれである。
失敗した人の感想として受け取ってもらえれば幸い。
京都に来たのは京アニのグッズショップに来るためだった。
そういや映画の日だったな。SMTメンバーズの映画館ならポイントも貯まるからMOVIX京都か。青ブタの新作の公開日か、時間も合うから行こう。すでに新快速は高槻を過ぎて京都に着く直前だった。
旧作はテレビシリーズから映画まで3日間全て観たので続きとして観れたのだが、5ヶ月間で綺麗に抜けてた。続きもので抜けてるのは致命的。会話に出てくる名前が誰か思い出せないレベルで抜けてた。3日で一気に観たせいか記憶の定着が全く無かった。
「ゆめみる少女の夢を見ない」はすごく面白かった。複雑な話だったが衝撃も含めて映画館で観たかった。事だけは覚えてるのだが詳細は覚えてない。
これもう一回、初めから全部観たら受け取り方は大きく変わるんだろうな。
今作の感想、全く書いてないな。
テレビシリーズを観てないとわからない事だらけなのでちゃんと理解して観ると楽しめる作品です。さらに次回作もあるようなので一から観ることをお勧めします。
ロストマン
6月公開のおでかけシスターではかえでと花楓が自分の殻を打ち破って前に進む物語が展開されました。話数ごとだと分割されて難しいと思ったので、中編くらいの尺でやったのは大正解でしたし、本当に良かったなぁと観ているこちらも嬉しくなる作品でした。
今作は花楓と母との再会、そして咲太の思春期症候群と2つのテーマが描かれます。後者の方がメインではあります。
花楓は最初は母に会う事に対して後ろ目を感じていましたが、いざ会ってしまえばもうすぐに打ち解けて、花楓も思いの丈を吐露してコロッケを作る約束もしちゃって…。この時、咲太はあまり会話をしていないなと思ったら、そこが思春期症候群に繋がる部分だったんだなと解釈一致しました。
家族が元通りになる事を言い訳に、母の存在をどこか忘れようとしていた咲太が思春期症候群になり、改めて梓川咲太という人間を知る事になるのは上手い構成だなと思いました。
誰よりも我慢を重ねていたからこそ、いざ自分となるとどこか宙に浮いた感覚になっていたという、1話から現在までの咲太を浮き彫りにするような形になっていました。
原作はもちろん、アニメシリーズに劇場版、前作のおでかけシスターで多くの人の悩みや葛藤を解決し、手を差し伸ばしていた咲太が今作では差し伸ばされた手を取るという、咲太の物語になっていました。
もう一つの世界で過ごしたからこそ、母から逃げていた自分を責めつつも、家族というものの関係性の尊さを何気ない会話で噛み締めているシーンがとても好きでした。
こちらの世界でも飲み込みの早い双葉とのシーンはなんだか安心感がありましたし、交流が多かった2人だからこそできる軽い掛け合いが心地よかったです。
なんでもない用事で電話して、今日の弁当の感想を伝えるなんてらしくない事をやってしまうくらいには、咲太もお母さんに会いたかったんだなと思いました。
自分もお母さんっ子なので、なんてことない会話をするのは楽しいですし、離れて暮らしているからこそその大切さが身に染みるので、より一層感謝を伝えなきゃはと思いました。
元の世界に戻ってきて、まだ思春期症候群真っ只中の世界を少し楽しんでいる咲太の元に麻依さんがやってきて、思いっきり抱きしめてくれる、ひとりぼっちの世界に光が灯った瞬間、咲太が思いっきり泣いていたのを見て、よく頑張ったなぁとこっちもほろりときました。今まで見てきた作品の中で、ここまで見ていて感情の揺さぶられるカップルは早々いないです。貴重。
病室でお母さんとしっかり目を合わして、もう花楓も混ざって泣きじゃくるシーン、咲太の物語にも一区切りついて家族のピースが揃ったんだなと嬉しくなりました。
最後はゆめみるのラストに合流し、新たな物語への布石を打ったところで映画は終わります。
エンドロール後の映像、もしやもしやと思ったら大学生編のアニメ化決定というとても嬉しい情報が飛び込んで喜びが隠しきれませんでした。原作の大学生編はまだ未読なので、読んでおきたいですし、アニメーションでどういう感じで進んでいくのか、新しい楽しみが増えました。
若干駆け足な感じはありましたが、青ブタの世界を堪能することができて1ファンとしては喜ばしい限りです。大学生編も首を長ーくして待ちます。
鑑賞日 12/2
鑑賞時間 13:40〜15:05
座席 F-5
前回よりは─、でも少し違和感・・・
もらい泣き
TV版からの続き、劇場版シリーズ3作目、安定の作画、脚本、演出、何も不安なく観ていられます。
咲太、母、花楓の三人で泣き合うシーンは胸が熱くなりました。
時々泣くシーンを軽々しく描くアニメ作品を見ることあるけど、そう、泣く演技ってこうですよ。
もらい泣きしてしまいました。
さて、麻衣さん、シリーズの流れがわかっているからこそ受け入れているけど、言っちゃなんだが、桜島麻衣は出来過ぎ!
咲太兄妹の行動や事象を読取り汲取り最善の手を打つ。
しかも芸能活動を続けながら。
更にはランドセル少女になって咲太を導くし、ちょっと恐いよあの人。
理想の恋人とかの次元を超えてる。
そもそもあのランドセル麻衣は何だったんだろ?
次回作で明らかになるのだろうか?
あ、そうそう双葉がフリーレンと被っちゃったよ(笑)
パラレルワールド?
3月になり、梓川咲太の恋人・桜島麻衣は卒業式を迎えた。七里ヶ浜の海岸で麻衣を待っていた咲太の前に、子役時代の麻衣にそっくりな小学生が現れたが、麻衣が来たら消えてた。そんな咲太のもとに、父親から電話が掛かってきて、入院していた母親が、花楓に会いたいとの事。花楓と一緒に母親に会うことにした咲太の体に身に覚えのない傷跡が生じ、咲太は周囲の人たちに認識されなくなってしまった。そして・・・てな話。
これパラレルワールドの話なのかな?思春期症候群の事がイマイチ理解出来ていない。
あんな事で母親が娘を憎んだりするはずないのに、とか、両親と離れて暮らしているのがよくわからなかったからWikiで調べたりしたが、理解が追いつかなかった。
今作は?が多かった。
まだ続くようだから、次回作も観てみたい。
やっぱり麻衣さんはサイコーですね。
仕事やら何やらで公開三日目で先程やっと視聴してきました。前回が花楓ちゃん回で特に思春期症候群など起こらなかったけれど、今回はハナから不思議な事件が起こることが判っていたので期待値が高かったが、その期待を易々と超えてきた。
まぁ何で子供の麻衣さんが出てきたのか、別の世界での中学生の同級生の登場やら、霧島 透子の正体やら原作を読んでないものにとっては判らないまま映画は終わってしまったけれど、大学生編制作決定とのことで今後の楽しみですね。
とにかく今回の麻衣さんはTVシリーズ、劇場版の中一番と言っていいほどかわいくて頼りがいのある存在。
サイコーだったので5点満点をつけました。
多分もう一回観に行くだろうなぁ。
咲太はずっと頑張ってきたのです!
テレビシリーズでハマり、ここまでの劇場版もすべて鑑賞してきた青ブタシリーズ。前作もよかったのですが、内容的に花楓メインだったので、改めて本作に期待して公開初日に鑑賞してきました。
ストーリーは、両親と離れて妹・花楓と二人暮らしをしている梓川咲太が、恋人・桜島麻衣の卒業を控えた3月、海岸で小学生の麻衣に出会うという不思議な体験をしたあと、父親からの電話で母親が花楓に会いたがっていることを知り、花楓とともに両親の家を訪ねるが、その日を境に周囲の人に認識されなくなってしまうというもの。
完全に一見さんお断りの展開で、清々しいまでに背景等の説明はありません。多少あったところで過去のさまざまな事象を短時間で理解することは不可能だし、観客は本作のファンが大半なのでこれでいいと思います。ただ、青ブタ初心者の方には、梓川家が別居している理由だけはあると親切だったと思います。
今まで思春期症候群に悩む周囲の人々を、絶妙な距離感でさりげなく支え続けてきた咲太。本作ではいよいよ彼自身が、自分と向き合っていくという展開です。なんとなく周囲の人と距離を取り、数少ない心ゆるせる友の前でさえ普段は喜怒哀楽を大きく表すことなく、無気力に見える咲太。場の空気を読み、相手を気遣う接し方は、彼の優しさであり処世術でもあったのでしょう。それは、家族に起きた出来事や学校での無責任な噂とも深く関わっています。それ故、彼の心のうちはこれまで語られてこなかったのだと思います。
しかし、そんな彼の中に彼自身も気づかぬうちに少しずつ降り積もるようにたまった思いがあり、それが母との再会を機に思春期症候群という形で表出します。これまで咲太は、花楓のために二人暮らしを選択し、家事もバイトも全て一人でこなして頑張ったのです。しかし、それが結果として母の目を花楓だけに向けさせることになります。頑張りを労われることもなく、母の目にも映らなくなった咲太の心中を思うと胸が苦しくなります。
でも、同時に花楓との二人暮らしを心地よい居場所と感じ、知らず知らずに両親と距離をおいてしまったのも咲太自身です。皮肉にも家族のあるべき形を崩してしまったのは自分自身であると気づき、改めて自身の気持ちと、病に苦しんだ母と向き合う咲太の姿が涙を誘います。そして、咲太を優しく包み込む麻衣の存在が温かく沁みてきます。婚姻届の伏線も素敵すぎます。
そんな美しい着地を見せた物語に、エンディング曲「不可思議のカルテ」が花を添えます。シリーズを一貫して流れるこの曲のおかげで心地よい余韻に浸っていたら、エンドロール後の映像でまさかの続編予告!これはもう今から楽しみすぎます!
キャストは、これまで同様の石川界人さん、瀬戸麻沙美さん、久保ユリカさん、東山奈央さん、種崎敦美さん、内田真礼さん、水瀬いのりさんらで、本作でも素敵な演技を披露しています。
物理準備室の分子モデルは何の分子?
今シリーズはタイトルが”青春ブタ野郎は〇〇”で見るのを牽制していたけど、友だちに薦められてた見始めたらめちゃくちゃオモロくて、本当にタイトルで損してる作品だなとつくづく思う。
公開2日目の土曜。映画館に行くと、ロビーで人がいっぱいで今シリーズの人気ぶりが伺えた。
今回の映画の内容は原作小説で読んでいるが、内容をすっかり忘れていたので新鮮な感覚で鑑賞することができて楽しめた。
今作は高校生編の完結でシリーズでは前作”おでかけシスター”はタメ回だったので面白さが少し欠けていたような印象だったが、今回は前作の内容がいい味出してた。
話の本質とは違うけど、物理準備室にあった分子モデルがなんのモデルなのか分からなかった。色も塗り間違え?で最初のワンカット以外は、(おそらく)水素原子から結合の手が4本も出ていた。
今回は(今回も)とりあえず、主人公 咲太がイケメンすぎた。オモロいやつやし、とても気遣いができる妹想いのお兄ちゃん。見習うべき点が多すぎる。
主人公がお母さんに”ありがとう”って言うのが珍しいっていう描写があって、自分も母に感謝を言葉で言い表していないような気がしたので、その日の晩にとりあえず”ありがとう”と感謝の旨を母に伝えた。
エンドロール終わりに、”大学生編アニメーション化決定”って出てきたので、また楽しみが増えた。とりあえず、原作小説を読むのが途中で止まってしまってあるからまた読むのを再開しようと思った。
いい話だけど展開が地味…
前提として、原作は未読ですが、テレビ版と劇場版は全て観ている状態での鑑賞です。
青ブタの魅力は丁寧な人間描写と超展開するストーリーの融合だと思っています。
特にテレビ版と劇場版の1作目は人間関係に癒されながら、超展開するSFファンタジーなストーリーにドキドキするという麻薬のような作品です。
前作の劇場版の2作目は少し趣が異なり、妹との人間関係を丁寧に描いていましたが、ストーリーとしては地味で、良い話なんだけど何かスペクタクルが足りないような感じでした。
で、今回の劇場版ですが、前作を踏襲していて、良い話なんだけどなんか地味なんだよな…というのが正直な感想です。
今回も壊れた家族が元に戻っていく話で、お母さんとの関係を中心に描かれます。
新しい家族(結婚)についての話も出てきて少しドキッとしました。
人間関係の描写は今回も良かったと思いますが、展開がやはり地味で、なんか観たことのあるようなストーリーでした。
次は大学生編らしいですが、人間関係だけでなく、こちらの想像を越えてくるようなワクワクするようなストーリーであることを期待しつつ待ちたいと思います。
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