「幕末青春グラフティ」せかいのおきく ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
幕末青春グラフティ
幕末の安政の七年間は
日本にとっての激動の時代。
『ペリー』は浦賀に二度目の来航をし、
その後幕府は日米和親条約を締結。
大地震は頻発し著名人も多く亡くなり、
またコレラも流行。
安政の大獄も起き、
ついには『井伊直弼』が桜田門外で暗殺される。
しかしそんな中でも
日々の天気や日常のちょっとした事柄を気にしながら
市井の民は力強く生きる。
それはまさしく本作で描かれるように。
江戸時代の日本は超循環型社会。
着物も古着にし、仕立て直し
雑巾にし、糸すら再利用、
最後は燃やした灰まで売り払う。
古紙にしても、
漉き返してのリユースが徹底。
共に集める者や買い取り業者が存在するのだから
ある種のバリューチェーンがきっちりと根付いているわけだ。
それは、人糞についても同じこと。
高価な金肥の利用だけではなく
「おわいや」が各所から集めた糞尿は
一旦寝かせてから畑に使用。
商家や武家等、良い食事の家のものは高く、
長屋等から出たものは安く、等
ランク付けも有ったと言う。
『矢亮(池松壮亮)』は下肥買い、
『中次(寛一郎)』は紙屑拾いから、
何故か『矢亮』と共に働くように。
そうした二人が『きく(黒木華)』と
ひょんなことから知り合う。
彼女は元々は武家の娘も
父親の『源兵衛(佐藤浩市)』が上司の不正を直言したことで、
却って疎まれてしまい、
今では貧乏長屋暮らし。
寺子屋で教えることで生計を立てる。
『きく』は『中次』に恋心を抱いており、
そこで見せる幾つもの振る舞いがどうにも可愛い。
男二人が前に立つ厠に入れずもじもじする姿。
遠ざかって行く好きな男の足音を障子戸越に聞き耳を立てる姿。
和紙に「ちゅうじ」とひらがなで書き、それに魅入ってからじたばたする姿。
そして何よりも、長屋の汲み取り来た『中次』に
「そこに私のモノは入っておりません!」と声高に告げる姿。
他の作品でも見られることではあるけれど、
『黒木華』の芝居の面目躍如。
最初は おきゃん で、しかし
次第にしっとりとする若い女性の変化を存分に表現する。
当然、そうなる契機の事件はしっかりと用意され、
これは脚本・監督の『阪本順治』の如才の無さ。
人間が生きる上では、ゴミや糞尿の排出は不可避。
それを処理する仕組みがなければ、社会インフラは成立せず、
しかし我々は常々そのことを忘れている。
職業に貴賤は無く、また
人間は誰でも口から肛門までの一本の消化器官を中心にした
変わりない存在とのメッセージは受け取りつつ、
実体は幕末の日本で青春を過ごす男女のグラフティ。
困窮しながらも若い時間を謳歌する三人に未来はある。
社会が大きく変容する明治維新は、
もうそこまで近づいている。