「【江戸末期。循環型社会を支えた汚穢屋達と、貧しくも情を持ち逞しく生きる民の姿を描いた作品。”父さん、早く出してよ!””スマン、最近通じが悪くてな。”By佐藤浩市&寛一郎親子。ここ、笑うとこだぜ!】」せかいのおきく NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【江戸末期。循環型社会を支えた汚穢屋達と、貧しくも情を持ち逞しく生きる民の姿を描いた作品。”父さん、早く出してよ!””スマン、最近通じが悪くてな。”By佐藤浩市&寛一郎親子。ここ、笑うとこだぜ!】
ー 昨年「ウンチク/うんこが地球を救う」というドキュメンタリー映画を観たが、とても面白かった。ー
◆感想
・モノクロームで描かれた貧乏長屋に住む貧しくも人情豊かな民の姿が、なんか良い。
・汚穢屋コンビの”ちゅうじ”と”やすけ”の掛け合い漫才のような、やりとりや”香しいかほり”が漂って来るようなシーンの数々。
ー 途中まで、汚穢を救うシーンが多いのでモノクロだと思っていた。だが、ポイントではカラーになる。(例えば、おきくのピンクの頬が大アップで映し出されるシーン。)-
・長雨で貧乏長屋の肥溜めが氾濫するシーン。
ー あれは、嫌だなあ・・。おきく(黒木華)の”あれは私のではありません!”という台詞も可笑しい。
序でに言えば、汚穢を頭からぶっ掛けられるのだけは勘弁して欲しい。だが、“やすけ”はそんなことをされても、笑い飛ばすのである。逞しいなあ。-
・おきくの父(佐藤浩市)が、厠での”最後の”排便を”ちゅうじ”の脇で済ませるシーン。
ー 好きな女には、”大好きだ!と言って抱きしめればよい。”
うーん、お父さん。厠で言う台詞でしょうか?
だが、このシーンが後半に生きてくるのである。
詳細は描かれないが、おきくの父は勘定方でありながら不正を告発し、藩を追われたようである。そして、彼は刀を手に出掛ける。慌てて後を追うおきく。
父は切られ、おきくも喉笛を切られ声が出せなくなってしまうのである。-
・そんな中、長屋の皆が心配してもおきくは臥せったまま。だが、”ちゅうじ”が夜にやってきて紙を恥ずかしそうにおきくに渡す姿。(勿論、厠の紙ではない・・。ホントスイマセン。)
ー おきくは紙に”ちゅうじ”と書いて、恥ずかし気に笑いながら仰向けに手足をバタバタさせる姿。凄く可愛い。惚れたな!-
・そして、おきくは痩せていく”ちゅうじ”の身を案じ、父にも作らなかった味噌入りのおむすびを作るのだが・・。
ー そして、おきくは起きた顛末を”ちゅうじ”に身振り手振りで伝える。そんなおきくを”ちゅうじ”は自分の匂いを気にしながらも、強く抱きしめるのである。ー
<今作は、随所で語られる”人間は貴賤に関わらず食ったら出す。”という当たり前のことを前提に、当時余り知られていなかった”せかい”という概念を掲げながら、貧しくも逞しく生きる庶民の姿や恋を描いた作品なのである。
素敵な風合を醸し出している作品でもある。>
NOBUさん、毎度です。
黒澤明が『七人の侍』の構想を練り始めたとき、最初は侍の一日を描こうとしたと、聞いたことがあります。
朝起きて夜寝るまで、一人の侍を丁寧に描写したかった…と。
この映画は庶民の生活を映し出していて、新鮮でしたね。
では、また。
返信ありがとうございます
貴殿の仰る通り、幕末の動乱期に於ける身分のシャッフルを予感させるシーンでしたね
唯、その抱擁前のジェスチャー、具体的に言えば、なんでああまで地面を叩く仕草をしたのか、そこに『せかい』を織込みたかったのだと勝手に推測したのですが・・・ 厠での、父親との会話の伏線があそこに込められていると感じました 中次の前半のハイトーンと、後半の落ち着いた声質との差違の演出といい、今作の細かい描写を感じさせてくれる内容でした それにしてもどんどん筧一郎は父ちゃんに似て来てますねw
それと、父ちゃん、映画作品のラッシュの凄さは予告編の各作品が証明してますw
失礼します
共感ポイントありがとうございます
抱き合う前の中次のゼスチャー、あれは未だに解明できていません(汗
勿論、彼の表現力の欠如が原因ですが、同じく欠如である自分でも解らなかったので、自分にかなりガッカリしました(苦笑
あらためて、こちらのレビュー見にきたら、なんとこの後にもレビュー15本くらいあげてるじゃないですか❗️
もの凄いペースに驚愕してます‼️
競争してるわけではないのは分かったうえで…もはや北陸と東京に続く第三の超人ですね😄