怪物のレビュー・感想・評価
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非常にいやらしいラスト
誰が「怪物」なのか想像しましたが、決め手になるような登場人物はいなかったように感じました。日常の中の非日常を描いたヒューマンドラマという映画でした。
ラストの少年2人が走り出すシーンはポジティブ・ネガティブ両方の解釈がとれると思いますが、個人的には2000円払って2時間映像を観るわけだから、最後に「観客に丸投げ」というのは腑に落ちない気持ちになりました。
是枝監督の作品は『ベイビー・ブローカー』から初めて見て『万引き家族』は未観賞ですが、疑似家族や「普通」じゃない家族といった異質な集団に脚色を加えるのが好きなんだと今作で感じ取れました。
今作でもシングルマザー・ファーザーという普通じゃない家庭環境で育った少年と教師が周囲を引っ掻き回す演出で、台詞に知性を持った大人がいないように感じて違和感を覚えました。
学校の場面でも見苦しい場面が多くて、校長が麦野少年にホルンを教えるシーンでも俯瞰して見ればただのストレス発散と読み取れるシーンに見える。教師というより近所おばあさんという印象でした。
知性を持たない人物がいないという点では登場人物全員「怪物」と解釈してしまい、リアリティに欠ける映画。
ただただ先生がかわいそう
トリッキーなシナリオ
是枝監督がデビュー作以来久々に自作以外のシナリオで演出。ビル火災を目印に、母親が見たもの、教師が見たもの、そして少年が見たものを種明かし的に据える3部構成となっている。
1部と2部はシナリオに沿って、是枝作品としては性急な感じもするが、3部の少年どうしの交流をじっくり描くあたりは、真骨頂を発揮している。
坂元裕二のシナリオは、「羅生門」というより「カメラを止めるな」を思わせるようなトリッキーなものだが、カタルシスを与えるものではなく、ところどころ「あれは何だったの」とすっきりしない点は残る。作品全体として、事柄は見方次第で変わる、ということを描いているのだろう。
大仰なタイトルのせいもあり、「怪物とは何か」ということに引っかかる。それは大きく言えば、「自分」であり、「他人」であるのだろう。ただ、意外だったのは、「お父さんのようにはなれない」少年の感情を描いていたこと。今どき特にセンシティブな題材であり、そうした感情を(少なくとも少年自身が)怪しく恐ろしいものとみなしていることを、どう見るか。カンヌでは、そのあたりどう評価されたのだろうか。
役者陣では、まず、安藤サクラが魅せる。永山瑛太は、ちょっとズレた感じがいい。そして何より、少年二人の存在感。二人だけのシーンは、観ているだけでどきどきする。高畑充希と中村獅童は、ちょっと浮いていたかな。
見終わった後、誰かと語り合ったり、もう一度最初から見返したくなるが、それもまた作者たちの狙いなのだろう。
まさかの
ボーイズラブ?
ちょっと空いた時間、私は公開されたばかりの某DCを観たかったのだが、
妻の希望に従ってこの作品を選択。
私も予告編を観て興味は引かれたのだが、何しろ是枝作品とは相性が悪い。
また、カンヌをはじめヨーロッパの映画賞とも意見が合わない。
不安を抱えての観賞だったが、それは的中してしまった。
どうにもすっきりしない。
冒頭に書いたような一時的な感情というのは思春期にありがちなはずで、
それを過度に誇張して今はやりの風潮に繋げようとするのは作為を感じる。
また、それに対する父親の行為も過剰で異常、逆にしらける。
女子たちも何か思惑ありそうだが、よくわからない。
学校の対応も大仰ではあるが、現実として存在するだろう。
だが、それが田中裕子演じる校長の背景と絡んでわかりにくくなってしまっている。
あっちこっちに話が飛んでどれも中途半端、伏線回収していそうでしていない。
疲れもあって途中で眠気が差してしまい、余計訳がわからなくなった。
こういうのがカンヌ向けのゲージツなのかな。
やっぱりゲージツは私には不向きだ。
単純明快なのがいい。
怪物って誰のことか。。
他者としての子供、発達障害、同性愛
2023年。是枝裕和監督。小学生の男の子の様子がおかしくなっていくことを巡って、シングルマザーの母親、担任、校長など大人たちの思惑がすれ違っていく様子を淡々と描く。「他者」(今回は子供)を中心にしたわかりやすくない話をわかった感じに仕立て上げるのは是枝監督の真骨頂。
子供たちの世界への誤解、その誤解が大人たちの世界に投げかける波紋を描いた後で、中心となっている子供たちの世界が描かれるという謎解き構造。謎は医学的な名称とすれば発達障害と同性愛ということになるのだが、もちろん、そんな線引きは子供たちには関係ない。線引きがない世界を手探りで生きていたあの頃のことを誰もが懐かしく思い出すのではないか。もちろん、その世界は可能性とともに未熟な想像力やむき出しの暴力の世界でもあったわけだが。
わからない他者としての子供たちの姿が、発達障害と同性愛という「答え」がわかって安心がもたらされる。この安心感が最後の光となっているならば、わからないままの子供たちには安心できないということか、と思ってしまう。
お父さんみたいにはなれない
「うしろの正面だあれ」
タイトル「怪物」かぁ…。
私だったらこの映画、なんていうタイトルにするだろうか。
「怪物」、か…。
子どもたちが当てっこカードゲームをしていましたが、
もし「怪物」というカードを当てるとするなら、
それはどんな言葉で表していたのだろう。
知りたかった。
嘘をつく時って、
得てしてこういう時かもしれないね。
誰かを陥れてやろうって思ったり、自分を庇おうって思ったりして嘘をつくんじゃなくて、
理由なんてなくて、
なんかモヤモヤしてて、
それでつい、そう言っちゃったってことかもしれないね。
映画「せかいのおきく」
でも
この「怪物」でも
どうしようもない現実だけれど、友達がいたらなんとか生きていける
という希望の映画でした。
「せかいのおきく」では江戸のエコを題材に
「怪物」ではLGBTを題材に扱っていました。
今、やはり軍配が上がったのはLGBTだった。
人と人は分かり合えない。
傑作ではあるだろうが、怪物は違うかと
おそらく普遍的なもやもや感
「怪物」は誰の心にも潜む
母親の目線、担任の目線、子供達の目線。
同じ時系列を3方向から見ている。
物語の余白が絶妙なバランスで、私の頭の中の点と点が線(糸)になり、最後には見事にひとつの錦絵になってゆく感覚。
真綿でじわじわ、心を締め付けられていく息苦しさと、人物描写の繊細さ。
エンドロール前の、一瞬の黒い画面に坂本龍一さんのピアノの音が1音なった瞬間、涙が溢れました。
この映画は、諏訪湖が何回か映し出されるのですが、夜景の灯りのない真っ暗な部分の諏訪湖は、誰の心の奥にもある闇、それはブラックホールのようで、美しくもあり、怖くもある。
生きている人間が一番怖いと、昔誰かが言っていた。
「怪物」とは、誰もが心の中に作り上げてしまうかもしれない、虚像なのだ。
怪物は自分
純粋と偏見
難易度が高すぎる令和版「羅生門」
「真実は藪の中」という言葉は日本映画屈指の名作「羅生門」の原作になった芥川龍之介先生の「藪の中」という小説のタイトルから来ている。羅生門のストーリーは多くの人もご存じだと思うのであえて語らないが、ある小学校で起きた些細な喧嘩の真相を「親」「先生」「子供たち」それぞれの視線で描いていくこの映画の手法は、まさに「令和版羅生門」であると言えるだろう。
この映画の中頃で、ある人物が話している「穿った見方」についてのシーンに注目した人は多くはないと思うが、私はそれこそがこの映画の隠されたテーマ「穿った見方(物事の本質)を見ることの大切さ」ではないかと思う。わずか数行のツイートや発言で人生が破滅することが当たり前になってしまった今の時代、ひとつの行動の裏に隠された本当の意味を見つけるのは非常に困難である。インターネット社会の今、正義と思った発言が別の誰かを傷つけ、傷ついた誰かを守るための発言がまた別の誰かを傷つけている。まさに現在人は、ある意味では全員が「怪物」であると同時に、全員が「怪物の被害者」になってしまっているのも事実である。
そして、そんな世界における唯一の未来はいまだ「何者」にもなっていない子供達である。そんな「何者」にもなっていない子供たちを「怪物」に育ててしまうかどうかは我々の手にかかっているのも明確の事実である。
長々と述べたが、本作に関してはとりあえず一回観てほしい。群盲象を評すの例えの如く、この映画は「藪の中」に隠された答えを手探りで探していくような映画なのだ。藪の中から鬼が出てくるか蛇が出るかは本人の人生観が大きく影響されるだろう。とにかく観終わった後は考察を語り合うのが楽しみな映画である。ただ一つだけはっきりしているのは主役の子役ふたりの演技はまさに「怪物」レベルだということだ。
虚言が誤解を広げてしまったのではないか
初めのうちは、不適格教師と事なかれ主義の学校の対応ではあるが、自分が中学校の初任で問題を起こしたときにも、学校からあのように庇ってもらっていたのではないかと感じた。「問題児」扱いされるようになる子どもの描き方が部分的で偏っていたので、その辺りから真実の予想はできた。自分自身も虐めを受けたり、からかわれたりするのが嫌だったし、教師として担任したクラスのなかで虐めを庇って被害者になる子がいたりした。本作では、女の子は庇っても虐めを受けていなかったのが不思議で、虐めを受けた子が女の子扱いをされてもおかしくないくらいの可愛さであったし、同性愛と捉える必要は感じなかった。永山瑛太氏や田中裕子氏それぞれの二面性のある演技は見事である。題名の予告編からの疑心暗鬼を招くような思わせ振りの割りには肩透かしを食った思いが残り、虚言が誤解を広げてしまったという表現で言い表せるのではないかという気がする。似たような設定の作品で、『きみはいい子』の方が、悩める教師が現実的な課題への前向きな踏み出しを感じたものだった。
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