怪物のレビュー・感想・評価
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人それぞれに正義と価値観があって、何が他人にとって怪物なのかは分か...
人それぞれに正義と価値観があって、何が他人にとって怪物なのかは分からないと考えさせられる濃密な2時間でした。
脚本と出演者がいい。是枝作品らしくて好き。
怪物って誰のことか。。
まずは安藤サクラ演じるシングルマザー目線で、子どもの異変を察する。母親の主張はもっともに聞こえ、学校側の対応がグズグズに思えて一緒にイラつくほど。。
が。次に、永山瑛太演じる先生目線で同じシーンを振り返る。学校の先生と親への対応の難しさや、子供たちの様子が描かれる。
さっき感じたイラつきは、あら、ちょっと違っていたのかな。。
LGBT的要素、思春期を迎えた子供たちの様子なども加わり、立場によって捉え方は違うし、結局のところ真実を知ることって難しいことだなと思った。
もっと続きが見たかったな。。
他者としての子供、発達障害、同性愛
2023年。是枝裕和監督。小学生の男の子の様子がおかしくなっていくことを巡って、シングルマザーの母親、担任、校長など大人たちの思惑がすれ違っていく様子を淡々と描く。「他者」(今回は子供)を中心にしたわかりやすくない話をわかった感じに仕立て上げるのは是枝監督の真骨頂。
子供たちの世界への誤解、その誤解が大人たちの世界に投げかける波紋を描いた後で、中心となっている子供たちの世界が描かれるという謎解き構造。謎は医学的な名称とすれば発達障害と同性愛ということになるのだが、もちろん、そんな線引きは子供たちには関係ない。線引きがない世界を手探りで生きていたあの頃のことを誰もが懐かしく思い出すのではないか。もちろん、その世界は可能性とともに未熟な想像力やむき出しの暴力の世界でもあったわけだが。
わからない他者としての子供たちの姿が、発達障害と同性愛という「答え」がわかって安心がもたらされる。この安心感が最後の光となっているならば、わからないままの子供たちには安心できないということか、と思ってしまう。
お父さんみたいにはなれない
それぞれの時間、価値観を生きていて、それが交錯し合った時に、何も交わらない、共鳴しない。年齢・世代に関係なく。
現実にもよくあるような状況だけど、その時どうすれば良いのか。
多分誰もわからないんだろう。
それでも(わからないけど)生きていくしか、対処していくしか、考え行動するしかない。
どこまで行っても、自分は自分でしかなく、誰かにはなれない。
「うしろの正面だあれ」
タイトル「怪物」かぁ…。
私だったらこの映画、なんていうタイトルにするだろうか。
「怪物」、か…。
子どもたちが当てっこカードゲームをしていましたが、
もし「怪物」というカードを当てるとするなら、
それはどんな言葉で表していたのだろう。
知りたかった。
嘘をつく時って、
得てしてこういう時かもしれないね。
誰かを陥れてやろうって思ったり、自分を庇おうって思ったりして嘘をつくんじゃなくて、
理由なんてなくて、
なんかモヤモヤしてて、
それでつい、そう言っちゃったってことかもしれないね。
映画「せかいのおきく」
でも
この「怪物」でも
どうしようもない現実だけれど、友達がいたらなんとか生きていける
という希望の映画でした。
「せかいのおきく」では江戸のエコを題材に
「怪物」ではLGBTを題材に扱っていました。
今、やはり軍配が上がったのはLGBTだった。
人と人は分かり合えない。
子供は良くも悪くも純粋で、自由に見えるけど本当は不自由で自分の力では環境を変えるのとは難しいですよね。
いろんな問題が詰め込まれてて
人によって焦点を置く場所が大きく変わる作品だと思います。
校長先生、管楽器吹くのにタバコ吸うんだ、と思いました。
傑作ではあるだろうが、怪物は違うかと
怪物という言葉しか見つからなかったのかもしれないが、少々タイトルとしては大きい気がする。造語でもいいから適切な量の意味が込められた言葉を使って欲しかった。
それだけ。
芝居も技術も秀逸で、すごく見やすく深い、いい映画だった。良きメンツのおかげかと。
おそらく普遍的なもやもや感
人が人を見て見えるのはその角度からの一面だけで、角度を変えると違う面が見えて、結局のところ何が真実なのかよくわからない。そういうもやもや感をわざと解消しないまま物語は終わる。
仕事上、セクハラやパワハラの相談を受けて、どっちの言ってることがホントなんや?!と悩むことがある。話を聴くときは必ず複数の人間で聴くが、聴いた者によって受け止め方が違うこともある。
だから、このもやもや感は、解消しないところまで含めておそらく普遍的なものなんだろう。夫婦でも(うちは)わかりあうことが難しいのだから、他者を多面的に理解することなどそもそも無理な話かもしれない。
「怪物」は誰の心にも潜む
母親の目線、担任の目線、子供達の目線。
同じ時系列を3方向から見ている。
物語の余白が絶妙なバランスで、私の頭の中の点と点が線(糸)になり、最後には見事にひとつの錦絵になってゆく感覚。
真綿でじわじわ、心を締め付けられていく息苦しさと、人物描写の繊細さ。
エンドロール前の、一瞬の黒い画面に坂本龍一さんのピアノの音が1音なった瞬間、涙が溢れました。
この映画は、諏訪湖が何回か映し出されるのですが、夜景の灯りのない真っ暗な部分の諏訪湖は、誰の心の奥にもある闇、それはブラックホールのようで、美しくもあり、怖くもある。
生きている人間が一番怖いと、昔誰かが言っていた。
「怪物」とは、誰もが心の中に作り上げてしまうかもしれない、虚像なのだ。
怪物は自分
怪物だと思っていた人物達が実は怪物ではなく、
そう思ってしまった自分が怪物だった。
それぞれの人物の視点で見るとガラリと印象が変わる。
ミステリー映画を観ているようだったが、
真実は自分で決めてという
問題を投げられているようなそんな作品。
純粋と偏見
ある日常が火事と台風を境に3つの視点で描かれる。麦野くんのお母さんと保利先生と麦野くんたちだ。どれもその人達にとっては真実である。4つ目の視点から言わせてもらえば、麦野くんと星川くんの純粋さが偏見に押し潰されそうになっていた。イケメン少年とカワユイ少年で腐女子は萌えるであろう。二人が心を通わせる描写、かわいいなぁ…偏見の塊である思春期あるあるクソ男子3人組の横っ面揃えて張っ倒して やりたいわ~最後に二人が生き延びていて本当に良かった
難易度が高すぎる令和版「羅生門」
「真実は藪の中」という言葉は日本映画屈指の名作「羅生門」の原作になった芥川龍之介先生の「藪の中」という小説のタイトルから来ている。羅生門のストーリーは多くの人もご存じだと思うのであえて語らないが、ある小学校で起きた些細な喧嘩の真相を「親」「先生」「子供たち」それぞれの視線で描いていくこの映画の手法は、まさに「令和版羅生門」であると言えるだろう。
この映画の中頃で、ある人物が話している「穿った見方」についてのシーンに注目した人は多くはないと思うが、私はそれこそがこの映画の隠されたテーマ「穿った見方(物事の本質)を見ることの大切さ」ではないかと思う。わずか数行のツイートや発言で人生が破滅することが当たり前になってしまった今の時代、ひとつの行動の裏に隠された本当の意味を見つけるのは非常に困難である。インターネット社会の今、正義と思った発言が別の誰かを傷つけ、傷ついた誰かを守るための発言がまた別の誰かを傷つけている。まさに現在人は、ある意味では全員が「怪物」であると同時に、全員が「怪物の被害者」になってしまっているのも事実である。
そして、そんな世界における唯一の未来はいまだ「何者」にもなっていない子供達である。そんな「何者」にもなっていない子供たちを「怪物」に育ててしまうかどうかは我々の手にかかっているのも明確の事実である。
長々と述べたが、本作に関してはとりあえず一回観てほしい。群盲象を評すの例えの如く、この映画は「藪の中」に隠された答えを手探りで探していくような映画なのだ。藪の中から鬼が出てくるか蛇が出るかは本人の人生観が大きく影響されるだろう。とにかく観終わった後は考察を語り合うのが楽しみな映画である。ただ一つだけはっきりしているのは主役の子役ふたりの演技はまさに「怪物」レベルだということだ。
虚言が誤解を広げてしまったのではないか
初めのうちは、不適格教師と事なかれ主義の学校の対応ではあるが、自分が中学校の初任で問題を起こしたときにも、学校からあのように庇ってもらっていたのではないかと感じた。「問題児」扱いされるようになる子どもの描き方が部分的で偏っていたので、その辺りから真実の予想はできた。自分自身も虐めを受けたり、からかわれたりするのが嫌だったし、教師として担任したクラスのなかで虐めを庇って被害者になる子がいたりした。本作では、女の子は庇っても虐めを受けていなかったのが不思議で、虐めを受けた子が女の子扱いをされてもおかしくないくらいの可愛さであったし、同性愛と捉える必要は感じなかった。永山瑛太氏や田中裕子氏それぞれの二面性のある演技は見事である。題名の予告編からの疑心暗鬼を招くような思わせ振りの割りには肩透かしを食った思いが残り、虚言が誤解を広げてしまったという表現で言い表せるのではないかという気がする。似たような設定の作品で、『きみはいい子』の方が、悩める教師が現実的な課題への前向きな踏み出しを感じたものだった。
パズルのような映画
同じ話を視点を変えて見せる映画はいくつかありますが、本作では単に奇をてらっているのでは無く、作品テーマに通じるものがあります。主観的映像(バイアスのかかった見え方)で、母からは教師が、教師からは子供が、登場人物は皆、怪物に見える瞬間があります。怪物だーれだの答えですが、私は、それは全ての人の中に眠っているものと捉えました。他でも無い、この自分自身もある人からは怪物に見える瞬間があり、その事に無自覚であると。エピソードを時系列に並べていくと、実にパズルのように全ての回路が繋がって行くようで驚きました。ミステリーとして見ても面白いと思います。(あるシーンだけが、AパートとCパートで位置が違うようでしたが・・・気のせいかな。)語り足りないですが、このように素晴らしい作品を作った、監督、脚本、役者(特に子役)の皆さん、それに美しい音楽を提供された坂本龍一さんに拍手です。
ものごとは多面的に捉えると本質に近づく。
モンペのシングルマザーが子どものいじめをテーマにしているのか!と思ったら、全然ちがう。
ちょっとしたどんでん返しが積み重なり、全然違うストーリーになり、今までそう思っていたものと違う光景になってくる。それぞれの目線でストーリーが進むので1つの出来事が全く違う描き方になってきて頭の中で整理しながら見ないといけない。
脚本が素晴らしいとはこのことか。
坂元裕二、恐るべし
是枝裕和と坂元裕二の組み合わせで平凡な作品ができるわけないのだけれど、こちらの予想を上回る傑作だった。
是枝さんは、本当に子役の演出が上手い。
演技だと分かっていても、子供たちのセリフのひとつひとつにドキッとさせられる。
なぜこうなったのか?この先、どうなるのか?
タイトルの「怪物」が示すものとは?
先がまったく読めない展開にドキドキさせられた。
多重な世界観をみた
是枝裕和監督の作品、ということで観てみた。TOHO梅田で観ましたが、私の見たコマは満員でした。
抽象的な感じの映画でした。子どもの世界って大人にはうかがい知れない世界だし、大人になった自分たちも、子どものころに親に人間関係の悩みとか相談しなかった。それはひとつに、相談するにしてもその言葉がみつからなかったからだったと思う。あのとき、親に相談していたらどんなアドバイスもらえたかなって考えること自体、大人になっている証拠。
シングルマザーの母親の視点、教師の視点、子どもの視点、とそれぞれの世界観を描いていて、多面的な世界観が重複していく。一見、ありそうな日常であっても、それは片面でみる世界に過ぎないと思わされる。男の子ふたりの遊び、基地を探して、そこに二人だけの世界をつくる。子ども、特に男の子はこうした傾向がある。
映画としては、そのときの野原や廃バスの風景がしっとりとして映像としてエモかった。ストーリーはあるようでないし、ストーリーやミステリー性は期待していなかった。
是枝裕和監督の過去作「幻の光」が衝撃的だったけど、そのときもストーリというよりは映像、映像のエモさ、映像とセリフの間に感情を移入できたし、この映画もそれは引き継がれていると思えた。
小さな恋のメロディ…?
カンヌで賞を獲っただけのことはあって、たいへん凝った脚本だと思う。ちょっと戸惑うけど、すぐに理解できる。回収される伏線と、回収されないそれ。
最初の安藤サクラのターンでは「むむむ社会派バリバリか?」と思わせておいて、永山瑛太のターンで「視点を変えれば見方も変わるのだな」と観客を解った気にさせてからの、最後のターンで全部ぶっ壊す…という。
是枝監督独特の深い感動という面では、『万引き家族』や『海街diary』には及ばないと思う。けど、見終わったあとのモヤッとする感じは『ベイビー・ブローカー』に似ている。
多くの映画評も言っているように、子役の演技は素晴らしかった。逆に、ここまで入り込んだ演技だと、後のメンタルケアもちゃんとしてあげてほしい。
星川依里役の柊木陽太(ひいらぎ・ひなた)くんは、1982年のTVドラマ『君は海を見たか』に出演していた六浦誠くんによく似ているなと思った。
最後のシーン(というか全体を通してだけど)は、1971年の『小さな恋のメロディー』を彷彿とさせるものがあった。なんとなくではあるのだけれど。
映画のCMで「怪物だーれだ」という台詞がよく流れていた。見終わった後、「この題名ってどうなの?」と違和感を持ったのだが、時間が経つにつれて「怪物だーれだ」という台詞の持つ意味がじわじわと解ってきたような気がする。
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