「怪物=思い込み」怪物 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
怪物=思い込み
安藤サクラ演じる、夫と死別したシングルマザーは、お母さんになんでも言わなくなってきた小5の息子の湊と全身全霊向き合って生きている。
その湊に不可解な鼻血や怪我や物の紛失などなどが起こりはじめ、母は学校での先生からのいじめを疑う。
状況から、まぁわかる気もするけれど、
児童がいる=先生が授業をされている時間帯に何度も通い詰め、口調も教師を信用できないのはわかるが、タメ語。非常によろしくない。なぜ、先生が意味もなく体罰をするはずがないので、まずうちの子がどんな言動をしたからなんだろう?という発想にならないのか見ていて非常に不可解だった。
信任教師の保利先生もまた、作内では噂で先に、火事があって全焼した建物に入っていたガールズバーに保利先生がいたという先行情報を基に保利先生が登場するため、母親は一層保利先生への先入観不信感を強めて接し、保利先生が息子に暴力をふるったに違いないと断定的に罵倒する。
ミスリード役、湊と同級生の母親役野呂佳代に、どこからそれ聞いたの?と聞かない母親がまた、不可解。
それでも、安藤サクラのクリーニング店員役は万引き家族でも非常に板についていたし、ラグビー選手だった夫に顔向けできるように息子を真剣に育てようとクリーニングの仕事を夕方までこなしながら育児に奮闘している姿は応援したくなる。
その応援に含まれた、
「湊が普通に結婚して子供を持つまではお母さん頑張るってお父さんと約束してるんだ」
が、湊の苦しみの元凶だとは。
息子湊はチャッカマンを部屋に持っていたり、山に入ったり、車から転がり落ちて耳を怪我したり、様々おかしな行動を見せ、それは先生のせいだとは思えないものの、実は保利先生が勘違いしていたように湊がいじめっ子側なのか?チャッカマンで放火までしているのか?豚の脳と人間の脳の入れ替えと称して猫殺しまでしているのか?なんせ表題が怪物なものだから、頑張ってるお母さんの心子知らずで、実は息子は少年Aのような闇を抱えてしまっているのかと考えながら見進めていく時間には脅かされた。
どうか母親の知る湊像と著しく乖離、逸脱した本性ではありませんようにと願う。
それでも、湊から、凶悪な感じはしてこない。
真相はなんなのか?
学級内には、鏡文字を書く、おそらく発達障害の依里くんがいた。依里くんはいつもにこにこしていて感じの良い優しい子だが女の子にも見間違うかもしれないくらいあどけない可愛い雰囲気。
しかし、中村獅童演じる父親は酒にだらしなく、実は母親は依里を置いて出て行っており、父親は依里は豚の脳だと担任の保利先生にも言うほど息子を人間の脳にしなければなどと傷つける発言をするだけでなく、依里に激しいDVをしている。
息子は浴びた言葉を素直に信じて自分はそういうものだと思い、クラスの中ではエイリアンなどと呼ばれいじめを受けているが、笑って対応していた。
湊はそのいじめにできるだけ加担したくないと感じていた。学校の中で依里と仲良くすると、キスキスなどと囃し立てられて自分もいじめの対象になるから学校では依里に話しかけないでなどと子供ゆえの残酷すぎるお願いをしたりするが、実は下校後お互い親の帰りが遅いため、2人で仲良く遊んでいて、おそらく3.11で土砂崩れにより使われなくなったと思われる旧列車を秘密基地のようにして、「怪物だーれだ」の合言葉で人狼ゲームをしたり、列車を宇宙に飾り付けたり、2人だけの世界で将来の夢を話したり、友情を育んでいた。
湊は学校では依里へのいじめを止めるために、他の子達の防災頭巾を散らかして暴れたり、感情コントロールが効かない素振りを見せるが、優しく止めようとした保利先生の手がたまたま当たって鼻血が出ただけで、湊も誰もいじめていないし、保利先生も誰にも体罰をしていないのが実態だった。
湊の怪我は全て、依里くんを公に守りたいのにそれはできない葛藤と、なぜできないかというと依里くんに恋愛感情が芽生えている自覚があり、同性愛では子を持てないとわかるので、母親が軽く発した結婚や家庭を持つまで湊のために頑張るという言葉から、自らを幸せになれない存在と思い、悩んでいた。
学校では、母親の言葉を発端に保利先生が体罰教師として謝罪して新聞に載り辞職、校長先生その他先生は母親を刺激しないようとにかく本質よりも謝罪を繰り返す対応に走る大事態となっていたが、5年生の湊には保利先生が全てをかぶり湊の将来を思い周りの思惑通りに謝罪し仕事を失い、記者に追われ、結婚したい彼女にも逃げられている深刻さを知らない。
それでも保利先生が悪いと嘘をついてしまった罪悪感はあり、校長先生に打ち明けた。
校長先生もまた、孫を亡くした経緯を、実は校長が轢いた等と噂されて先入観のもと教師達から見られたりしていたが、幸せになれないと話す湊に答えをくれる。
「誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。みんなが手にできるものが幸せ。」
抱えていることは楽器を吹いて吹き飛ばしてしまいなさいと助言してくれる。
ある日暗くなるまで秘密基地に依里といた湊には、血相を変えて母親が車で迎えに来たが、依里を心配し助けに行くべきと車から転がり落ちて怪我していた。
その後依里を心配して家に行くと、依里の父親は依里に、「祖父母のもとに好きな子がいるから転校するので今まで遊んでくれてありがとう」と玄関先で嘘をつかせるが、もう一度出てきて、「実は嘘!」と話した依里が家に引き摺り込まれお仕置きの暴行を加えられている声を耳にする。
嵐の前の日には、家では母親と窓に段ボールを貼ったり準備が進むが、依里を心配して家に行くと、依里は全身に暴力を振るわれ浴槽でぐったりとしていた。
助け出して2人で山に向かい、列車内に台風が近づくのを、生まれ変わりへの出発だ!と称して遊んでいた。
豚の脳と親に言われクラスでも虐められる依里も、植物好きなため品種改良の夢を持ちながらも、死んだら生まれ変わる輪廻転生に希望を感じていた。
父親を亡くし、母親を心配させたくないが、同性愛の悩みを抱えた湊もまた、輪廻転生に希望を感じていた。
猫の死体を学校で見つけた時も、依里から場所を教えて貰い見ていた湊を、女子は目撃して保利先生に報告しているが、その後依里と湊は猫の死体を山に運び、生まれ変われるように依里の持っていたチャッカマンで燃やして、山火事にならないように湊が水筒の水を川から運び火消していた。
チャッカマンはおそらく、依里が父親に火傷の虐待をされた時に手に入れたと思われる。
駅前の建物の火事は、父親がガールズバーに通うのをよく思わない依里が、知的判断がつかずにチャッカマンで放火した模様。
提出した将来の夢の作文を休職中に添削した保利先生が、2人の作文にある横文字、みなととよりに気が付き、過去に依里やみなとに、男らしくないなどと軽く発した言葉など全てに気がついて湊の家に台風の中謝罪に来た時、母親は怒っていたが不在の湊を探しに行くところだった。
保利先生と母親が山にたどり着くと、土砂崩れは既に起きて封鎖されていたが、無理やり中に入り列車に湊と依里がいるか探しに行く2人。
泥まみれの窓からなんとか中を覗くと、2人の姿はないが、2人の着ていたレインコートが見えた。
作中では、2人は列車の車体の下の線路の下に潜り込んで雨風を凌ぎ、生まれ変わりなんてないと湊は言いつつも、台風一過後、転生完了として2人で晴れてから山を駆け回る描写がある。
果たして湊も依里も本当に助かったのかはわからない。発達障害や同性愛の自我を受け入れて、子供達だけの世界の一瞬だけを切り取って判断するしかない先生や親が真相に気付いたとしても、依里の父親は変わらないだろうし湊の母子家庭も変わらない。
子供達は時に親に気を遣いながら、大人の言葉や環境で浴びる辛辣な言葉ひとつひとつを、大人が思うよりはるかに真剣に心に溜めて、傷付き悩んでいる。
5年生の、親とは異なる自我の尊重を求め秘密を持ったりもする月齢への接し方の親の揺れ、
親ではなく断片的に子供を見て責務に支障がないようにするのが仕事の教師、
親の言葉の影響を受けてものの見方が変わってしまう子供達、
その全てに居場所を見出せない時、子供の毎日は地獄である。
子供が話してくれる大人で居続けるためにも、先入観で話をしたり広めたりしないこと、それをよくわかっているからこそ、校長はスーパーで躾なき親が店内を走り回らせている子供の足を引っ掛け転ばせたのかもしれない。
是枝監督の、子供が大人に理路整然とは説明できないが日々感じている心情や時系列で出来事と整理すると子供が日々起こる事象に対して大人や周囲の影響を受けながら思考し判断し行動している様子の描き方がとても丁寧でリアルで好きだ。