「裏を取らずに時事を消費する大衆、矯正されるべきは誰か?」怪物 LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
裏を取らずに時事を消費する大衆、矯正されるべきは誰か?
複数の視点から描かれているので、まとめ方はいろいろ。
大人目線なら、モンスターペアレントが若い教師を潰す話。
麦野湊目線なら、性指向への戸惑いと開放。
少年2人目線なら、小さな恋のメロディ。
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1. 大人目線
母(安藤サクラ)の息子を護る熱意に嘘はないが、明らかに担任が悪いと決め付きすぎ。謝ってやり過したがる学校側の事なかれ主義が、事態を悪化させる。似たような傾向は、ワイドショーやネット民にもある。いじめや教員の不祥事が報道されると、悪者認定された者を人肉検索し、社会的に制裁するのが日本の流儀。制裁する側が、皆現場で取材し裏を取っているならまだしも、ネット民は報道と流言を区別できない生半可な状態で、手前勝手な正義感をぶつける。これまで制裁を受けた者の中にも、 永山瑛太演じる教員(保利道敏)のような冤罪が紛れているかもしれない。
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2. 「麦野湊」目線
自分は不幸にも、放映時間を確かめようとして、性的少数者を扱った映画という記事に遭遇してしまった。無論内容は読まず、表題を見ただけだが、「普通にに結婚して幸せになってほしい」という母の言葉に、息子(湊)が車から飛び降りる意味が序盤で分かってしまった。なので、自分にとって最大のハイライトは、車から飛び降りる序盤のシーンだった。
自分は異性愛者なので、湊の気持ちを完全には理解できないが、自分は異常なのか?何故生まれてきたのか?と思い悩む姿に胸が、苦しくなった。依里とじゃれ合って生じた勃起に慄いて逃げ去る姿も哀しい。しかも、母が伝える愛の言葉こそが、彼を追い詰めていくなんて、皮肉すぎて可哀想。
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3.「湊+依里」目線
いじめっ子に囃し立てられ、乱暴に振る舞ってしまう場面もあるが、本当に2人だけでいるシーンは微笑ましい。少年少女の素材を活かしきる、是枝監督の手腕が遺憾なく発揮されている。これくらいの年頃なら、男女でも性的な関係には至らない淡いもの。なので、男の子同士が仲良くしていても、性的志向の云々を心配せずに、暖かく見守っていて欲しい。異性愛者の自分も、少年時代は同性間の方が気が置けず、けっこうベタベタもしながら遊んでいた気がする。
異性愛者に矯正しようとする依里の父もどうかしているが、全く気付かずに湊を追い詰めてしまう母にも足らない処があるのだろう。
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4. 矯正されるべきは誰か?
初見では、仲睦まじいラストを微笑ましく感じていましたが、小説版の「未知の世界に行った」との記述等から、ラストは死後の世界だったようです。ある意味、ギレルモ・デル・トロ監督のパンズ・ラビリンスのような終わり方。少女オフェリアは異世界(夢?)では幸福に満ちるが、現実世界では死んでしまう。本作でも、ラストは2人は幸福に満ちていましたが、現実ではバスに流れ込んだ土砂に埋まっていたようです。性的指向を矯正する親やいじめっ子、あるいは性的指向に気付かず「普通」を押し付ける親や教師がいる現実はディストピアでしかなく、それらの障害がない世界でしか2人は幸せになれないという事。これはBad endなのか? それとも、幸福に満ちたまま逝ったのなら Happy endなのか? 重要なのは、矯正すべきは2人ではなく、彼らを幸せにできない社会の方だろうというメッセージな気がします。