ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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ラストのまとめが素晴らしい
映像はもちろん素晴らしく、ゴジラが強すぎる絶望感がよく伝わった。
ストーリーも良く、神木くんのモヤモヤを生きたまま解決したし、浜辺さんが生きてたのも、なんとなく想像できたけど、とりあえずハッピーエンドでまとめてくれて、後味良かった。
アカデミー賞VFXノミネートしたので映画館で
記念に見に行きました。
ゴジラはシンに続いて2作目の視聴の新参者ですが…。
自分はあまりゴジラに縁がないので、あまりライド出来ないだろうと思いつつも見に行き、
やはり内容的にはノれなかったなという印象
導入パートでは、現代人の考えた戦後像みたいなものが少々わざとらしく、あまり入り込めなかった。もうちょっと泥臭くしてもらったほうがノれたかなぁと思う。
重巡洋艦が主砲ぶっ放してるのに何で甲板に人いるの…?w
甲板にいたら主砲の衝撃で一生直らない障害負うと思うんだけど…w
(大和とかの戦艦の主砲は甲板にいたら肉片になるくらいの衝撃があるらしいし)
ゴジラ浮上させるの早すぎない?w
漁船で引っ張るパートいる…?
最後に何故敬礼…?
雰囲気で敬礼するのやめて…w
などなど、度々気になるシナリオや演出が多く、
終始集中が途切れるところがあった印象です。
とはいえ、VFXはやっと違和感なく見られるレベルになったんだなと、
安心して見ることができました。
ゴジラのブレスも、渾身の演出という感じで、
これがやりたかったんだなと納得の出来でした。
これが見られただけでも価値はあったのではないかと思います。
巷ではゴジラ可愛い説みたいなのを見てましたが、納得する部分はありました。
つぶらな瞳でぷかぷかしてるからね。仕方ないねw
こんなシーンがあれば・・・
銀座で敷島と典子が出会うシーンが唐突すぎて違和感を感じている人が多いと思います。
これは予算の都合なのか、上映時間の都合なのか・・・
もし二人が出会う前に敷島が必死になって典子を探すシーンが、あれば唐突感はなくなると思います。
さらに敷島と典子が出会った時は、ハグをするのも良いと思います。これで二人が愛し合っていることが明確になります。
その後、典子が吹き飛ばされ、敷島が絶望するシーンでの感情移入が深くなると思います。
本作は大ヒットしたことだし、東宝も山崎監督へのご褒美としてお金を出して追加撮影をしてくれないでしょうか。
そして、その映像をディレクターカットとして上映、販売してほしいです。
目ガン決まり作品
私はあまりファンタジー作品を好んで見ることがなく、今までのゴジラシリーズも見たことがありませんでした。なのでゴジラという作品にはでかくて黒い怪物のゴジラがでてくるくらいの知識しかなく想像ができませんでした。予告を見てみたら時代設定が戦後の日本ということで、戦争映画をよくみる自分にとっては戦後とゴジラでどんな作品ができるのだろうととても興味がわいたので映画館へ足を運びました。映画が始まると冒頭からゴジラが故障した戦闘機の修理場付近の海へ出現。おおとんでもねえ迫力だなとまず恐怖と驚きでした。そこで神木隆之介演じる敷島がゴジラに対して攻撃をすることができず仲間が死んでしまうところから物語が始まります。
ただの怪物と戦う話だと思っていたのにそれと並行に、特攻や、ゴジラへの攻撃から逃げた自分を責め続ける敷島が戦中行く場所がなかった典子(浜辺美波)と孤児のあきことの出会いやゴジラを倒すための仲間との団結などのサイドストーリーがありとても感情移入しながら自分もゴジラを倒すんだ!と思い見ていました。ゴジラを倒す作戦の中でのヒューマンストーリーも感動しましたが、とにかくゴジラがすごすぎる。何度もゴジラが現れ、とくに銀座を襲撃したシーンはとてつもない絶望感で、戦後すべてを失い0になった日本をさらに恐怖に陥れマイナスにしていく、それがものすごく伝わってきました。映像の技術がすごすぎて臨場感がたまらなく始終ドキドキしました。アクション映画はいくつも見てきましたが、今までで一番迫力を受けたのではないかなと思います。しかもずっとアドレナリンが止まりません。戦闘機の臨場感やゴジラに攻撃をするときの緊迫感がすごく、最後のゴジラを倒す作戦の間、私は身を乗り出して手を握りしめ、目をかっぴらいていました。文字では表せないほどの迫力で興奮しっぱなしです。最後には感動で自然と涙が出ていました。現実ではありえない生物と戦争に使われた兵器が戦うということがこんなにも違和感なく入り込めるなんてすごすぎる。監督に脱帽です。
監督が誰かなんて知らなかったので調べてみたら、永遠のゼロやアルキメデスの大戦と同じ監督だったのですね。納得です。永遠のゼロは私の大好きな作品ですし、アルキメデスの大戦も冒頭の戦艦が沈没するシーンがとても記憶に残っています。戦闘機や艦隊などの演出だけではなく、ドラマ部分も素晴らしい話を創る本当に天才なんだなと感じました。これを機にゴジラに興味がわいたので山崎監督以外のゴジラを見てみようと思います。
ps.喪中の時の山田裕貴めっちゃかっこいい
永遠の0とか好きな人は泣けるはず(というか同じ監督)
ゴジラ本当に良かった!普段のゴジラと毛色が違ってゴジラを格好いいものではなく恐怖の対称として描かれてたのが好き
戦争を1人だけ生きた主人公が、悔恨を抱えつつ新たな人生歩んで行こうとした矢先、ゴジラが全部壊していく所とか絶望〜
ずっと泣いてたし(感動の方でね)観て損無いす
以下 ネタバレ と感想
特攻兵だった主人公が戦争で1人だけ生き残ってしまう1人だけ戦わなかった自責の念と新しい生活を歩もうとする狭間、亡くなった仲間たちの写真を見て「もう忘れてもいいのかな」と呟くも、銀座にゴジラ襲撃、妻を失ってしまう「俺の戦争はまだ終わっていない」と呟くシーンがとても印象に残ってます
私自身、もう死んでしまいたいと思うことは多く、生きなくちゃいけないという言葉が刺さりました。
東京空襲で子供と父を亡くしたお母さんが、1人戦わずして帰ってきた主人公を責める、日常的に主人公に嫌味を言う嫌なやつだった。が赤ん坊の存在を聞いて次のシーンではあやしてそして自分の数少ない金を子供のためにと渡す、自分の家が壊れているのにも関わらず。このシーンも大好きだ、余裕がに無いのにも関わらず、まだ母性を失わず、その子の為に行動できる短いが印象深いシーン
ワンダー典子
特攻崩れの敷島の思い悩む様子に比べて、典子のなんとたくましいことか。戦争孤児を育てあげ、銀座で就職し独り立ち、電車内に宙吊りにされて落下しても無傷で、爆風のなか敷島をかばって行方不明。そしてラストは。ゴジラの逆襲のように昭和の映画なら敷島がゴジラに特攻し、夕日に向かってありがとう敷島と皆が敬礼して終。といったストーリーになったことだろう。でも作戦中死者はゼロ。令和のゴジラはこうあるべきなのだろう。特撮?の海戦は見どころで、ゴジラも生々しく猛々しい。あのゴジラのマーチにもゾクゾクした。
水中立位姿勢!
モンスターものとかヒーローものは、時代とともに、より自然に見えるように格段に進歩しているといつも感じる。今回もゴジラの動きが、ジュラシックパークの恐竜のようになっていて、より生物らしくみえるのは良かったし、時代考証された乗り物や、終戦後の東京の様子もこだわりがあって違和感なく観られたのだが、相模湾の1番深い場所でのゴジラの水中立位姿勢は、どう考えても違和感がある。もちろん最終作戦のためには胴体にボンベを巻きつけなければならないから、立位でないと無理があるのかもしれないけど、臍付近まで水から飛び出しているのは流石にどうか。せっかく細部にまでこだわっているのに勿体無いと私は思いました。
山崎貴が描きたいのは、物語ではなくシーンとアイテム
山崎貴監督の作品は『鎌倉ものがたり』を観た際に「なんて下品な作品を作る人だ」と感じ、性に合わないと判断しているので、普段は避けています。
ただ今回は大好きなゴジラだし、周りの友人が「良かった」と言ってたので鑑賞。
うん、事前に想像してたよりは良かったです。
●良かった点
・ゴジラの造形が格好良かった
・第二次世界大戦の戦時中 → 戦後の時代設定が秀逸
・CGが良く出来ている
●悪かった点
・生き残った者が苦悩しながらも生にしがみついて戦う様が本作のテーマなのに、ラストシーン、死んだはずのヒロインが「G細胞のお陰でじつは生きてました」と、目先の軽い感動を取りに行きたいがための理由で生き返ってた。映画通して長々と語ってたテーマを、最後の最後でひっくり返すとは。どんでん返しとかではなく、これはドッチラケ。
・感動させたいシーン、魅せたいシーンが点として複数存在し、物語はその点を繋ぎ合わせるだけの役目(普通は逆)。そのため、キャラクターの言動理由が取って付けたようなものばかりで、結果、物語に深みが無い。
そもそも山崎貴という方は、CGやVFX畑の出身者なので「見せたいシーン・場面」をまず考える方なんでしょうね。物語や感情の起伏なんてのは二の次。見栄えが良く、それっぽい感動を届けられるシーンがあれば、多少の破綻は気にしないという感じ。
パンフレット記載のインタビューで監督が「高雄と震電を出したかった」と仰っていたのですが、高雄と震電がゴジラと何故戦うのかの理由は特に無く、出したかったから出てるだけなんですよね。この一文を読んだときに、私が山崎監督映画に対して「下品だ」と感じた答えを見た気がしました。
逆に言うと、西武園ゆうえんちの『ゴジラ ザ・ライド』みたいに、迫力だけを求められる物語性の無いアトラクション映像を作る分にはめっちゃ有能な方なんだと思います。
何故敷島だ主人公なのか
何故敷島だ主人公なのか、敷島が居なくても呉爾羅は大戸島の守備隊基地の兵員を殺略したし、日本に来て銀座は破壊された、 このことを考えると予告で言っていた「その怪物は許してくれない」の意味が変わってくる 敷島は、自分が取らなかった行動により虐殺された大戸島の守備隊の怨念が自分を殺しに来たと思ったのではないだろうか、だからその怪物の体も大きくなりより凶暴になって自分の前に現れた、だから敷島は主人公になりえた 本編の中で典子が吹っ飛ばされた後の葬儀の時に大戸島の守備隊基地の兵員の写真を手に取り「許してもらえないんですね」とつぶやく 敷島から見た銀座に現れたゴジラは大戸島の守備隊の怨念が乗り移って自分を殺しに来た怪物と思っていた証左だと思う、 敷島が主人公になったのはこの思い込みが全てなのだと思うと、典子が死んだのも自分が生きているせいだと、大戸島の呉爾羅が襲撃する時間を戻したかった、だから橘を引き入れた!「許してもらえないんですね」この思いに白黒を見て気が付いた。
轟音 なかなかの迫力
初めてのゴジラ。轟音で見たのだけど、なかなかの迫力。
戦後の混乱期では身も心も限界で余裕ないんだなって思った。
そんな所からようやく復興仕掛けたところに、なんでゴジラが来るのよ! アメリカに行けよ!
って映画を見終わって思ったよ。
8割が人間ドラマ。昔の東京の街並みに懐かしさ。
一言で言えばとても良かった。
浜辺美波さんは、こんなに演技が上手かったんだ(または上手くなったんだ)と感動した。神木龍之介さんや安藤サクラさん、青木崇高さんの演技も安定していた、
戦後の日本を舞台にしている所は、三丁目の夕日と通じるところがあって、時代背景は当時の日本そのまま、復興に向けて、みんなが必死になって生きる姿は監督の思いとしてきっと描きたいのだろう。銀座、有楽町に日劇があった時代は懐かしさを覚える人もまだいるでしょう。
そんな東京を、そんな頑張って生きている人々を無慈悲に破壊するゴジラを一致団結して倒そうとする市民の姿は、日本人の団結する姿でもあります。
最後があのような形で終わるのは、予定調和の範囲内ですが見た後に清々しさを感じられるという点ではとても良いと思います。そして続編を推察させるエンディングもこれだけの作品ですので悪くはないと思います。
偉大なる初代に比肩する、国産ゴジラの最高傑作!!
㊗️第96回アカデミー視覚効果賞受賞🏆おめでとうございます🎉
私自身が大のゴジラファンの為、この先文字数制限ギリギリまでの超長文になります。ですので、先ずはじめに私自身が本作について「賛」側である事と、全体的な評価を簡潔に。
【最凶のゴジラ像と監督お得意の昭和の世界観を、ハリウッドにも引けを取らない驚異のVFXで描き出し、愚直なまでの反戦メッセージと絶望に立ち向かう人々の姿を描いた美しき人間讃歌。山崎貴監督の集大成にして最高傑作!】
❶ゴジラのビジュアル
まず、何よりも今作のゴジラのビジュアルが素晴らしい!初お披露目の時点で1発で惚れたし、「これぞゴジラ!」と言える王道のフォルムだと思う。VHSで“平成vsシリーズ”に魅了され、“ミレニアムシリーズ”を劇場鑑賞してきた世代としては、正に理想のゴジラがお出しされた。
本作にも多大な影響を及ぼした、国産ゴジラの前作、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』によって“新しいゴジラ像”が打ち出されて以降、アニメ映画やテレビアニメシリーズでも、とにかく「新時代のゴジラを作ろう」と、ゴジラのビジュアルや設定が“亜種”と表現した方が適切なのではないかと思えるくらい多種多様になってしまった。
とはいえ、【どんな見た目や立場さえも受け入れて、尚も主役として君臨する事が出来る唯一無二のキャラクター】という懐の深さがゴジラの最大の魅力でもあると思うので、「個人的には合わないけど、コレが良いって言う人達も居るんだし、これもまたゴジラ」と割り切ってきた。
しかし、やはり心の奥底では「vsシリーズやミレニアムシリーズみたいなカッコいいゴジラが見たい!」と常々思ってきたし、そういった欲望を、少なくともビジュアル的な面では満たしてくれるハリウッドの“モンスター・ヴァース”を鑑賞する事で、溜飲を下げてきた。
とはいえ、やはり国産ゴジラにこそ、一度原点に立ち返っていただいて、王道の直球勝負をしてもらいたいと思ってきた。
そんな中での本作は、正に砂漠でオアシスに辿り着いたかのような感覚だった。
この一点に関してだけでも、山崎貴監督に盛大に感謝の意を表したい。
必殺技の放射熱線の描写も抜群だ。エネルギーのチャージが始まると、尻尾の先端から背鰭がせりあがり、口からは空気を吸い込んで、チェレンコフ光で青く光った背鰭が一斉に引っ込むことで、前方に勢いよく熱線が放たれる。
監督曰く、今作のゴジラは原爆で誕生した経緯から、放射熱線にも原爆のインプロージョン方式の原理を応用したそうだ。自身にも反動でダメージが入る為、連続しては撃てないという諸刃の剣、正に必殺技というのがまた熱い。だからこそ、人間側はそれを逆手に取って作戦を実行する事になる。熱線の直撃だけでなく、爆発の余波すら尋常ならざる被害を齎すというのも、破壊神としての威厳があり申し分ない。
出現前には必ず、深海魚が浮袋を膨張させ、死体として浮かび上がってくるというのも、ゴジラという“破滅”が訪れる前兆として素晴らしく、姿を見せずに不穏な空気が漂い、一気に緊張感が走る。
容赦なく人々を踏み潰し、瓦礫の下敷きにする。熱線の余波で亡くなった人々に関しては、ゴジラにとっては認識すらしていないという無情。レーティングに引っ掛からない範囲内で、キチンと犠牲が描かれている。
更に驚くべきは、そういったゴジラの襲撃シーンを、大戸島の呉爾羅のシーン以外は、全て昼間を舞台に描いている事だ。
誤魔化しの効かない中で、今の日本映画界の技術と少ない制作費で全力で描き切るという潔さに、惜しみない拍手を贈りたい。
こういった表現の数々を拝めるだけで、既に鑑賞料分のリターンは貰ったと思う。
❷ゴジラの倒し方
初代では、芹沢博士が開発した“オキシジェン・デストロイヤー”という水中の酸素破壊剤によって、博士と共にゴジラは葬られる。しかし、これは人智を超えた超兵器であり、他の作品でも度々ゴジラへの対抗手段として、こういった超兵器が使用されてきた。
だが、本作ではシリーズ史上最も武器の乏しい状態で、人類は神殺しに挑まなければならない。
そこで提案されるのが、フロンガスによってゴジラを深海に急下降させ、水圧による圧死を図るプランと、バルーンによって急上昇させ、減圧によって過負荷を掛けるプランを合わせた“海神作戦”だ。
最終的に、漁船団の助太刀や幻の戦闘機「震電」による特攻と、それによって熱線を吐けなくなったゴジラが、自らの熱線のエネルギーが体内から漏れ出す事によって、その肉体を崩壊させていく事になる。
ゴジラという超常の存在に、人間は知恵と勇気と団結力を用いて、1人の犠牲者も出さずに勝利する。シリーズ史上最もリアリティーのある方法で、最も美しく勝利したと言えるだろう。
❸愚直なまでの反戦メッセージ
山崎貴監督の作風として、「何でも登場人物に台詞で説明させてしまう」「役者にオーバーな演技をさせ過ぎて、演技プランや演技指導が出来ていない」という悪癖がある。今作でもそれは健在で、確かにもっと映像だけでスマートに見せられたはずのシーンは数多く存在する。
しかし、吉岡秀隆演じる野田博士の反戦メッセージに関してだけは、あれで正解だったと思う。
「この国は、命を粗末に扱い過ぎた。装甲の薄い戦車、供給不足で餓死や病死が大半を占める戦死者数、片道分の燃料だけで脱出装置すら付けない戦闘機での特攻。
だからこそ、今回の作戦では、1人の犠牲者も出したくない。未来を生きる為の戦いをする!」
正直、目頭が熱くなった。
本作のクライマックスで展開される“海神作戦”の参加者である船員達は、皆戦争を“生き残ってしまった”人々だ。
そして、全員もれなくそれに対する罪悪感を抱えて生きている。「生きて帰れ」と家族や友人達に願われて戦地に赴き、無事生還を果たしたはずの人々が、「死ぬべきだったかもしれない」という罪悪感に苛まれながら生きている。敷島の台詞にある通り、彼らにとっての戦争は未だ終わっていないのだ。
だからこそ、今作のゴジラは、彼らにとって強烈な戦争のメタファーとして描かれており、ゴジラを倒す事で、ようやく彼らにとっての戦争も終わりを告げたのだ。
クライマックスの敬礼は、ゴジラという畏敬の存在を屠った事に対する謝罪であり、同時に戦争の被害者や払われた犠牲に対する鎮魂の意も込められていたように思う。
❹音楽の使い方
伊福部昭さんの楽曲は勿論の事、佐藤直紀さんによる楽曲の数々も素晴らしく、また掛かるタイミングも神懸っていた。音楽の良さだけでも、先述した台詞や演技に関するマイナスポイントを大幅に補っている。特に伊福部楽曲は、今作の為に再録までし、シーンに合うよう微妙にテンポ感まで調整したらしく、そういった面でも気合いの入れようが凄まじい。
❺ラストシーンの解釈による、本作の受け止め方の違い。
これは、典子の奇跡的な生還について。ライト層とファン層とで、受け止め方に180°の違いがある。
一見すると、ハッピーエンドと受け取れるし、そこで賛否が分かれもする。「安易なハッピーエンドにガッカリした」と。
私自身、ゴジラ銀座襲撃時に浩一を守る為犠牲になるという描かれ方の容赦なさに「やってくれたよ、山崎監督!」とテンションが上がりもしたし、海神作戦決行当日に電報が届いた瞬間、ラストが読めてしまい少々落胆もした。
また、初見時は首のアザがアザには見えず、縛り残しの髪の毛か、治療用の管が刺されて肌色のテーピングで固定されているように見えた。
しかし、2度目の鑑賞で、病室での明子の表情や態度に違和感が生じた。これは、明子役の永谷咲笑ちゃんの最高の演技のおかげなのは間違いない。それに気付いた瞬間、初めて本作を「怖い」と認識した。
それは、シリーズファンにはお馴染みの【ゴジラ細胞(G細胞)】についてだ。
ゴジラ細胞の設定は、『ゴジラVSビオランテ(1989)』から取り入れられた設定で、ゴジラの驚異的な生命力や再生力を担う細胞である。
その後も『ゴジラVSスペースゴジラ(1994)』では、宇宙に渡ったモスラに付着した細胞がキッカケで、ブラックホール内で結晶生物と混ざり合った結果、スペースゴジラが誕生した。
『ゴジラ2000ミレニアム(1999)』では、細胞内の再生力を司る物質に“オルガナイザーG1(以下OG1)”という新しい固有名詞が付与され、更に「ゴジラ以外の生命体では制御出来ない」という設定も追加されてきた。
実は、私が本作のラストのトリックに気付けなかったのは、このOG1の設定があるからでもある。「ゴジラ以外は制御出来ない、怪獣レベルでようやく物になるような驚異の細胞が、たかが人間如きに付着し融合したら、即座に宿主は乗っ取られて死亡するだろう?」と。
だが、思い返してみれば、本作のゴジラはミレニアムゴジラより耐久性に劣る。
内側からの攻撃に特に弱く、高雄の砲撃でもダメージを喰らい、再生部分は他の箇所とは色味の違う不完全な状態だった。
となると、典子がまだ肉体や自我を保てている事にも説明がつくし、明子は本能的に何かを察して、典子に近寄らなかったのではないかと考える事も出来る。
ところで、私自信が引っかかっているもう一つのシーンについての考察も付け加えておきたい。
それは、海神作戦前夜、浩一が特攻覚悟の心理状態で明子を迎えに行ったシーン。
自宅にて明子から絵を渡された際に、突然明子は泣き出してしまう。浩一も訳が分からずなだめるが、もしかすると浩一が典子と同じく帰らぬ人となるかも知れない事を敏感に感じ取って涙を流したのかもしれないし、そう受け取るのが普通だろう。
この“子供ならではの敏感さ”が典子について働いていた物だと考えるとどうだろう?
翌朝、明子が澄子さんに面倒を見てもらっている敷島宅に、電報が届く。それが何故このタイミングなのかを考えてみると面白い。
つまり、前日まで典子は生死不明の重体、もしくは昏睡状態だったのではないかという事だ。だが、典子がゴジラ細胞と融合した事で、突如劇的な回復を見せ、意識を取り戻した。明子が突然泣き出したあの瞬間に。あの瞬間、明子は離れた場所にいる典子が“私の知る母ではない存在”になってしまった事を感じ取っていたとしたら?と考えると、あの涙の意味が違ってくる。
❻ゴジラの放射能汚染について
今作では、敷島をはじめに多くの人間がゴジラと至近距離で接している。しかし、彼らが被曝によって身体に異常を来す描写はない。
しかし、ゴジラの拘り抜いた描写からも分かる通り、山崎監督は「分かっている側」の人間だ。銀座襲撃後の荒地で政府の調査員がガイガー計器で放射能濃度を計測し、絶望的だと理解している描写まであったのだから。
GHQの報告内容や政府の調査員の反応から、時代的に見て政府間では放射能の恐怖は認知されているが、一般にはまだまだ認知されていないのだと思う。
つまり、敷島達はこの先決して長生きは出来ない事を映像だけで観客にキチンと示しているのだ。今作は一見するとハッピーエンドだが、典子の首のアザは勿論、目に見えない部分も徹底してバッドエンドのスタイルを貫いている。
それはつまり、山崎監督からの「描いてないけど、分かりますよね?」という観客への信頼の証だろう。実は、説明していない部分にこそ、今作の本質があるのだ。
❼まとめ
そんな絶望感漂うラストを見届けて、改めて本作のキャッチコピーが生きてくる。
“生きて、抗え”
これはつまり、この先も続くであろう人類とゴジラという“神”であり、“戦争”の具現化であり、核を弄んだ人類の“被害者”である存在との戦いを、両者共に生きて抗い続けろという事なのだろう。
色々不備も目立つ作品である事は否定しない。しかし、それでもやはり令和初ゴジラが、ハリウッドにも引けを取らない驚異のVFXで描かれ、愚直なまでの誠実な反戦メッセージを孕んで世に放たれた事が嬉しくて堪らない。
山崎貴監督、お疲れ様です!ありがとうございました!!
ゴジラ -1.0=ウルトラマン+永遠のゼロ
SFなので細かいところは良いとして、本作のようにゴジラのような怪獣が出てくると、そのうちウルトラマンも登場して成敗してくれる!、というイメージがあるのだが、本作では出てこない。当たり前だけど。代わりに、永遠のゼロ??とも言うべき特攻隊崩れの主人公が絡んで、成敗に向かう、という展開。画像クオリティも高いし、もちろん音響効果も素晴らしい。某オタクおじさんYOUTUBERが「今年度No1!」と推すだけのことはある、芸術性高い大人の娯楽作品だと思いました。小学生にはちょっと怖いだろうなぁ。
大事なのは大義よりも命
ゴリゴリの怪獣映画かと思いきや、人間ドラマに比重の置かれた構成で、しっかりメッセージ性もあって、過去シリーズ含めゴジラ未鑑賞の自分でもちゃんと入り込めましたし、脚本も日本映画らしくよく練られていて面白かったです。
また、海外ウケの良さそうな展開で海外でもヒットしている理由がよく分かります。CGも細部まで丁寧に作りこまれ、ハリウッド映画と比較しても遜色ない仕上がりで、音響含め終始ゴジラの迫力に圧倒されました。
以下ネタバレ。
主人公の敷島は特攻隊員でありながら機体の故障だと偽って逃げ帰り、さらに機体の修理を依頼した島でも、遭遇したゴジラに怯んで攻撃を逡巡し、仲間を見殺しにしてしまいます。
戦争が終結し、生きて無事本土に帰還した敷島ですが、自身の不甲斐なさと罪悪感に苛まれ、自分を責め葛藤する日々を送ります。さらに度々、夢に出ては思い出すゴジラの恐怖。
そんな敷島ですが、偶然出会った典子やその連れ子である明子と疑似家族のような共同生活が始まり、高収入で安定した職にも就いて徐々に落ち着きのある生活を取り戻していきます。
そんななか再び訪れた悪夢。ゴジラが東京に襲来し、敷島を助けようとした典子は爆風に巻き込まれ、消息不明となります。そして、悲しみに暮れる敷島は元軍人で構成されたゴジラ退治の民兵組織に参加することとなります。
戦艦の大砲をもろともしない頑丈な装甲を持ち、傷を負ってもすぐに再生。さらに放射熱線という強力な兵器を備えたゴジラ。そこに立ち向かうのは敗戦直後で、大半の兵器と将兵を失った日本の民兵組織。
あまりに無謀な戦いで、強大な米軍に弱小戦力で挑んだ日本という太平洋戦争の構図とも重なりますが、そんな戦いでも民兵組織は生きて帰還することを望みます。
劇中『この国は人の命を粗末にしすぎた』という指揮官の台詞が出てきますが、この映画を通して訴えたかったのは、未来ある若者に玉砕を命じ、捨て石のように扱った過去の日本軍に対するアンチテーゼであり、『大義なんかのために自分の命を無駄にするな。自分の命を大事にすることは決して否定されることでも、恥ずべき事でもない』ということなのかなと。
結局、民兵組織によるゴジラ討伐作戦は失敗するのですが、敷島は自らの飛行機をゴジラの弱点である口内に突っ込ませることで見事、ゴジラ退治に成功します。また、敷島も衝突寸前に脱出ポットから脱出し、生きて帰還することに成功します。こうして敷島は特攻から逃げ、島で仲間を見殺しにした自らの戦争に終止符を打ちます。
人間ドラマと怪獣映画を両立させるには少々時間が足りないのか、人物や心理描写の掘り下げがやや甘かったり、ストーリーの整合性に違和感を感じる場面もあるにはありますが、全体的には採点通り面白かったです。
満員でした
なかなか鑑賞する時間がなくようやく今日見てきました。一日一本上映になっていたので空いているかと思いきや、ほぼ満席でした。
最後はみんな無事で良かったというエンディングでしたけど、やや無理があるような気がしましたので4点。
原点をリアルタイムで見た世代ではないのですが、畏怖の対象としてのゴ...
原点をリアルタイムで見た世代ではないのですが、畏怖の対象としてのゴジラは、庵野さんのも含め、別格にカッコいいです。
今回の時代設定も、新鮮でした。人間模様も良かった?です。敷島と典子さんのやり取りは、特に。本当の戦地に行かれた方達の心のキズは、計り知れないです。
ゴジラ映画の感想とは思えないですが、色々な設定含め、面白かったです。
最後に敷島が生き残るのは、橘が震電のシートを触っていた所で、分かっちゃいましたけど😅
これは映画で見たほうがいい
理屈なく面白い映画だった。感情が何度も揺さぶられたのがその証拠。原爆の要素をしっかり取り入れてエンタメに昇華している。見る人に視覚的に訴えるもいいバランスだと思った。見終わったあとにゴジラよりも痣のシーンが一番印象に残ってます。海神作戦も限られたリソースで必死に繋げていく様は映画ならではでよかった。最後に、轟音シアターは初だがこれもよかった。
怪獣映画だけじゃない!?
ゴジラ映画としての出来は様々なレビューや結果からもとても素晴らしい作品です。
それとは別に海戦映画として見ても非常に素晴らしい作品だと思います!
重巡高雄や雪風他駆逐艦の細部のデティールも秀逸ですがその艦達があれほどヌルヌル動く(褒め言葉)日本映画として見ても珍しい作品だと思います。
凄く面白かった!……それだけに-1.0点!!
ゴジラシリーズ9割方観賞済み。
山崎貴監督作も8割方観賞済み。
好きな山崎監督作は『バラッド』と『ヤマト』
本作も予告発表以来公開を楽しみに待ちつつ、公開初日に観賞。
結果ドハマりし、現在までモノクロ版含め6回観賞しました。
それほどまでに本作は面白く魅力的であり、それは興収と海外公開での高評価が証明していると言えるでしょう。
第二次大戦敗戦直後の日本にゴジラが現れ、元特攻隊の主人公が、なけなしの戦力や船や幻の飛行機を駆使してこれに立ち向かうと言うアイディアを、2020年代のVFX技術を駆使し、キャスト陣の熱演と共に大迫力の映像化を成し遂げたことは、ただもう素晴らしかったとしか言いようがなく、間違いなく全ゴジラシリーズの中でも5指に入る傑作と言って間違いありません。
中でも、独創性と説得力と時代設定と映像栄えと主役の活躍という条件を全て満たした『海神作戦』は見事としか言いようがありません。
……しかしながら、一部の方々の本作の感想でも散見されるように、VFXを駆使したゴジラや艦船パートに比して、キャラのみで繰り広げられるドラマパートに対し見過ごせないレベルの引っかかりを覚えたこともまた、他が素晴らしかったがゆえに気になるのも事実です。
セリフや演技が大仰で棒読みとの意見も散見されますが、自分的にはキャスト陣の他作品での功績を鑑みるに、ドラマパートの演出や脚本に要因がある気がしております。
中でも特に自分が気になったのは二点。
◆〈敷島のキャラ造形と特攻に対するスタンス〉
◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉
……です。
まず◆〈敷島の特攻に対するスタンスとキャラ造形〉についてですが、映画冒頭でゼロ戦から降りた敷島の橘との会話などの様子を見る限り、彼は極めて冷静で自覚的・確信犯的に“特攻”を拒否し、大戸島に降り立ったものと受け取れます(少なくとも自分には)。
あの滑走路に爆装したままのゼロ戦ですんなり降りたてたことからもそれは伺えます。
ということは同時に敷島という人物が、あの時代にしてはとても先進的な価値観の元、冷静かつ打算的な判断力を持って、仲間と共に挑んであろう特攻より生を選び、その結果を覚悟して行動している人物というような印象を受けます。
……この敷島のキャラ造形が自分には納得がいかなかったというか、そういうキャラにした脚本上の利点が見えない判断であったように自分には思えてならないのです。
もしも冷静に確信犯的に特攻を拒否するような人間ならば、後の呉爾羅に大戸島守備隊が襲われた際にゼロ戦の機銃を撃てなかった理由が『恐怖のあまり撃てなかった』から『撃ったら呉爾羅を怒らせて自分が死ぬから』ではなかったのか? という疑念が芽生えてしまいます。
特攻を冷静にボイコットできる男なのですから、その判断はあり得る話ですし、怖かったのと生き残る為の両方で撃たなかったのもありえるでしょう。
実際、敷島は呉爾羅襲撃後の夜明けに、大戸島守備隊の亡骸を前にしてもただ茫然とするだけで、撃たなかった(無駄であったとしても)ことで死んだ者への謝罪の一言もありませんでした。
自分はこれらの映画冒頭の描写から、敷島は生きる為にそういう冷静な判断ができる人間と認識したのです。
仮にその通りであったとして、あの時代あの社会あの年代でその決心に至るには、それなりのバックボーンというか理由の描写が必要な気がしますが、映画を見る限り、それは母から生きて帰えれ云々(その内容で当時検閲は通るのかな?)という内容の手紙を受け取ったから……という描写に僅かに特攻拒否の理由が伺えるのみで、実際のところは明確ではありません。
とはいえ、敷島がもし母からの手紙で特攻をボイコットしたならば、終戦後に東京の実家に帰還し、両親が死亡していることを知った際のリアクションは、もっと激しいものであるべきだと感じてしまいます。
母と父と生きて再会する為に、社会全体が後押しし、仲間と共に挑んだ特攻をボイコットした意義が無くなったのですから……。
しかし母の手紙と両親の死へのリアクションは描写こそされたものの、そこまで激しいとは言えないものでした。
そこから話は進み、敷島はノリコとアキコと出会い暮らしていくわけですが……。
ここでの敷島は、あのボロ屋内に赤ん坊のアキコがいるにも関わらず、一度ならず大声でノリコと口論したりしています。
普通のドラマでは、赤ん坊が泣きだすシチュエーションです。
その口論に乗るノリコも大概ですが、ここでの敷島は感情の抑えが利かない人間に見えます。
さらに掃海艇では口を滑らせた小僧に『それ本気で言ってるのか?』と凄み……。
また敷島家の新築祝いの席では、アキコには「お前のとうちゃんじゃないぞ」と言い‥‥‥ノリコとの関係を揶揄した小僧に対し『黙れ!』と凄みます。
(ついでに『海神作戦』説明回での「それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?」発言も)
これらは敷島の態度は、PTSDとサバイバーズギルドの描写として評価が高いようですが、特にPTSDとサバイバーズギルドに関する事前知識を持っておたず、作中でそれらの症状がなんたるかの説明が特にない状態で見た自分からしてみれば、敷島は控えめに言っても嫌なヤツという印象を受けます。
またPTSDでサバイバーズギルドあったとしても、敷島が自身の憤りをぶつけたノリコやアキコや掃海艇の面々は、敗戦後の焼け野原の東京で敷島と同等のPTSDとサバイバーズギルドたりえる経験をした人間達であり、敷島だけが溜め込んだ心の傷を吐きだして良いわけでないと感じました。
それに本作での敷島のPTSDは、描写を見る限りではあくまでゴジラ由来であり、戦争が原因とは言い難くあります。
‥‥‥と同時に、戦後のこれらの感情のコントロールが出来ていない敷島の描写は、前述した冒頭の大戸島での敷島の描写で自分が感じたような、この時代で特攻を確信犯的に拒否するだけの冷静さを持つ人間とは、齟齬があるということになります。
そもそも自分が勝手に抱いた敷島のイメージですし、人間とは多面的なものですし、変化もするものなのですが……自分が猛烈な違和感を覚えたのもまた事実です。
それはキャラに一貫性や整合性が無いとも言えるのですから‥‥‥。
なかでも、〈海神作戦〉説明会後の掃海艇メンバーとの居魚屋シーンで、敷島が艇長に言った「俺の戦争がまだ終わって無い」というセリフは、名演ではありましたがその内容には大いに違和感を覚えます。
確信犯的に特攻を拒否した時点で、戦争は敷島自ら終わらせているのですから。
それに、敷島のPTSDは作中描写を見る限りはゴジラが原因であり、戦争ではありません。
戦争のPTSDとゴジラのPTSDとを、意図的か偶発的か分かりませんが、ごっちゃに描いてそう見た者に受け取られるのは、あまり良い事では無い気がします。
そしてこれらの敷島という人物の違和感や齟齬をふくめた描写が、本作を面白くすることには特に寄与してはいないと感じたのです。
……というより、作中の吉岡秀隆さん演じるガクシャの言葉を借りるならば〈最適解〉ではなかったのではないか? と思うのです。
自分なりの結論から言えば……。
“敷島は確信犯的ではなく、単に死の恐怖により思わず特攻から逃げてきた人間にすべきだったんじゃね?”
と思えてならないのです。
特攻の為に離陸はしたものの、土壇場で死の恐怖から大戸島に逃げ込んだ敷島が、それを激しく後悔する中で呉爾羅と遭遇、やはり恐怖で機銃を撃てずに生き残り‥‥‥。
恐怖ゆえに特攻しなかった後悔とPTSDとサバイバーズギルドを抱えながらも、アキコとノリコと出会い、共に暮らすことで症状が癒されていく中、ゴジラと再び遭遇し、銀座でノリコを失ったことで、今度こそ特攻で自分の死をもってしてゴジラを殺そうと思った人間にした方が、余計な引っかかりもなく共感できると主人公足り得ると自分は思ったのです。
このキャラ造形ならば、戦後アキコとノリコと出会って以降の敷島の数々のPTSD関連の描写も、仕方がないと納得がいきます。
また、特攻するつもりはあっても恐怖で逃げたというこの設定でいけば、敷島の「俺の戦争はまだ終わって無い」発言も納得できます。
するつもりはあっても出来なかった特攻をやり遂げることで、自分の戦争が終わると思うのならば筋が通っているからです。
また『ゴジラ-1.0』の根幹的テーマが「生きて抗え」ならば、最初から〈特攻拒否して生きる〉を選択した人間が、クライマックスでやはり〈特攻せずに生きる〉を選ぶ話よりも‥‥‥。
恐怖から特攻できず、ずっと特攻すべきだった=〈死ぬべきだった〉と思っている人間が、戦後のノリコとアキコと澄子や掃海艇の面々との出会いから、クライマックスの土壇場で(生きる)を選んだ方がカタルシスがある気がするのです。
そしてもう一つの◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉で気になった点についてはシンプルです。
掃海艇VSゴジラの後、ゴジラが東京に向かっていると把握しているにも関わらず、東京に帰宅しても、住民はもちろんノリコとアキコに避難を呼びかけるどころか一晩過ごしてノリコを仕事に行かせて(その結果失って)しまうのは、違和感どころではない物語進行に思えます。
ノリコとの一晩のドラマをたっぷりと描きたかったのならば、ゴジラとの遭遇直前の掃海艇でのクルーとの『また東京を火の海にしたくない』云々や、ゴジラ遭遇後、横須賀病院での政府批判を交えた『東京の住民を避難させましょう』の会話を無くした方が良かったのでは? と思えてならないのです。
これらの会話で〈東京〉と限定するのではなく〈関東の太平洋沿岸部〉にゴジラが向かっている程度に情報をボカしておいた方が良かった気がしてありません。
(自分的には件のノリコと敷島の会話は、掃海艇VSゴジラの直前に終わらせることで解決したいところですが)
その他‥‥‥。
◆澄子初登場時、アメリカをすっ飛ばしていきなり敷島に怒りをぶつけたこと。
◆掃海艇で呉爾羅について敷島が語った時、海中で暴れている巨大生物が陸上でも動けて大戸島守備隊を壊滅させたことに驚かない海神丸クルー。
◆掃海艇VSゴジラでの一度目の機雷爆発後、初めてゴジラの顔を真正面から間近で見ても、特にリアクションが無い敷島ふくむ海神丸クルー。
◆敷島は映画前半でノリコとアキコによってPTSDから救われてゆく描写をもっと増やした方が、銀座での悲劇がより際立ったのでは?
◆〈海神作戦〉説明会での敷島の『それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?』発言は「そうです」と答えられた場合は敷島はどうするつもりだったのか?
そのセリフはモブに言わせて敷島が『黙れ!』と制した方が良かったのでは?
……などなど細々と重箱の隅的に気になるところはありますが、最も気になったのは前述した二点です。
すでに特大のヒットとなり、スタッフ・キャスト人が暗中模索の中ゼロから生み出した作品に対し、後から完成品を見ただけの素人が好き放題に言うのは短絡的な行いですが、これがこの映画初見時に覚えた違和感を、6回目まで見た中でまとめた末の自分の感想です。
数多ある感想の中で、一つくらいこんな感想があり、ほんの僅かでも何がしかの形で今後の映画業界に寄与することを願います。
岡田斗司夫に押されて
【良かった所
・映像技術、街のリアリティ、物理演算
銀座をぶっ潰し人々が逃げ惑うシーンや戦車の戦闘シーンは、とても良かった。神木龍之介が乗る戦闘機によるゴジラを沖へ誘導する所で陸から海へ行くシーンでガクっと下に変な挙動をしていたがそれ以外物理法則が崩れている所は無かった。
・ゴジラの熱線の描写
大量の酸素を吸い込んだ後、熱線の着地とともにキノコ雲が上がる爆弾タイプは、シンゴジのビームとは違う良さがあった。
・神木隆之介君の演技
浜辺美波がぶっ飛んだ後絶望する所はなかなか良かった。
その他の人物の演技やセリフがクサイと言われているが、別に見てられないほどでも無かった。
シンゴジラの方が演技はキモい。
【個人的意見で嫌いだった所
・ゴジラの造形、生態
怖くない。
ヘビやトカゲ、ウサギにさえ見られる動物的な不気味さが目に宿ってなくただ無邪気に目的もなく目の前の物を追いかける可愛いモンスターで、
敵として見れない(シンゴジラのキモさと比べてしまうが)
ドラマシーンの謎の家族関係でない所と、あいまみあって全く対象に対する危機を感じない。
絶対にここ日本で駆逐しなければならない理由も薄く感じられ(世界的危機として認識され各国の軍隊が出動するシンゴジラと比べてしまうが)
ゴジラに対する憎しみも感じなかった。
ゴジラの生態(何がしたいのか腹が減ってんのかイラついてんのか遊んでんのか)について学者考えろよ!
誘導できるんなら、太平洋の中心で遊ばせて
各国、月に行くくらいのモチベーションで
ゴジラしばいた方が世界のリーダーくらいの方向でいけるだろ。
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