ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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エンタメとしてのゴジラ
二度にわたる原爆投下の強制降伏勧告(原爆実験)、そして日本の敗戦…
さらにはビキニ環礁の第五福竜丸事件(水爆実験)など基本米軍が行った暴挙を皮肉っての今作であると思いました。
それらが説教臭くなく『ゴジラ映画』としてできているのが(それがゴジラ映画の基本?)人気の秘訣なのかなぁと思いました。
エンターテイメントとしてのさじ加減は素晴らしいです。
ただ、「わかる人だけわかって!」的な考察大好きな人がもろ手を上げて食いつく要素が多いのは監督さんの趣味なのだろうなと思いつつも、それらがサッパリわからなかった自分がいます。皆さんよく観てみていらっしゃいます。
これだけアメリカを皮肉っておきながらアメリカ人が手放しで喜ぶのは複雑な心境です。
『黒い雨』の意味なんかはさっぱり理解しようとはしないんだろうなぁと思いました。
絶望を感じた初めてのゴジラ
今までゴジラを見てきたが、初めて「こりゃ勝てないだろ、ゴジラ強すぎるよ」と絶望を感じた。戦艦の襲い方や銀座のゴジラの光線なんて、絶望でしかなかった。
VFXも迫力があり、ゴジラを捉える俯瞰やPOVがとても効果的だった。物語的にもゴジラの強さが際立つ展開がよい。
ただ、やはり今回のゴジラは、ゴジラを使った映像表現の部分だけでなく、映画を支える人間の物語の構成が素晴らしかった。
人間の物語を語っているところに、圧倒的な映像クオリティーのゴジラがくる・・・
正直、映画ベースとなる人間の物語が物語的に素晴らしい物語かといえば、とてもありきたりの単純だし、展開にも「え、そんなことないだろ?」っとツッコミは入る。銀座からどうしてゴジラ帰ったの?とか疑問もある。
でも、観客はゴジラを見たいんだし、物語的にはそれぐらい予定調和で単純でないと観客はゴジラと人間の物語は消化できない。そのバランスがとても良かった。
まさに人間物語のありきたり感やツッコミを定期的にゴジラが踏み潰して光線で破壊してくれる一流エンタメの映画だった。
音楽の使い方も良かった。
父は特攻要員の生き残りだった
のっけから、主人公の敷島少尉に父が重なってしまった。父は陸軍だったし士官ではなかったし、家も焼けず両親も生きていたし、違うところの方が多かったけれども、戦争を引きずっていたという面では同じだったと思う。離陸の方法しか教えてもらえず、敵艦に突っ込んで死ぬことしか頭になかった父にとって、生き残ったとわかった時は安堵感より戸惑いの方が大きかったと言っていた。もしかすると父は「死ねなかった」という負い目をずっと感じながら生きていたのではないか。父は12年前に亡くなった(生きていればもう100歳近い)が、父にとっての戦争は終わっていたのだろうか、と、そんなことを思いながらスクリーンを観ていた。
さて、この作品。さすが手だれの山崎監督だけあって、なかなかに魂を揺さぶる筋立てと超絶リアルなVFXが素晴らしかった。観客の心を掴む術を心得ているなあという感想。面白くなかったわけではなく。感動的なシーンでは何度も泣きそうになったし。
また、『ALWAYS 三丁目の夕日』的な、小物や自動車や兵器へのこだわりもあって、たぶん何度も見返せば新たな発見もあるのだろうと思われ。
ただ、ゴジラをやっつけた後、作戦に参加した皆が真面目な顔で敬礼してたのは何故なんだろう。これはすごい違和感があった。敷島が死んだわけでもないのに。
それから、震電。地上にある時はそれなりにリアルだったのに、飛び立ったら急に模型っぽくなってしまった。YouTubeに上がっているチンケなCGみたいだった。こういう形の飛行機がどういう飛び方をするのか、専門家にちゃんと尋ねたのだろうか。
皆が勇気を振り絞って、死をも覚悟せねばならない危険な任務に就く場面というのは、こういう映画では必ずあるシーンだけど、「誰かが貧乏くじを引かなくちゃなんねぇんだよ」というセリフは、できれば聞きたくなかった。「自分ではない誰かに貧乏くじを引かせたい」輩にとってこれほど都合のいい言葉はないから。でもこれは映画のせいじゃないよね。
最初の話に戻るけど、もし父にとって戦争が終わっていなかったとしたら。母と結婚し僕たちを育てたのが幻想かも知れないと感じていたとしたら、僕たちはそれをどう引き継げばよいのだろう。
エンディング寸前、海中のゴジラを映したカットは、それを問いかけているのかも知れない。
敬礼。
最後の敬礼のシーンは、日本映画史上に残る名シーンだと思う。
「終戦」で終わらなかった人。終われなかった人。生きていてよかったのか。生きないほうがよかった。生き抜いたのにその世界は地獄だった。
自分の命に対する問い、否定、行き場のない思い、託された心。
ゴジラと対峙することで、「それら」を肯定し終わらせることができたのだろう。
自然と出てきた敬礼。ゴジラと戦うことで、倒すことで、戦いは終わったんだ。みんながそれぞれゴジラと戦いながら、ごく個人的な何かと戦っていたんだ。人の数だけある「対峙すべき敵」と。
ぼくたちは、「対峙すべき敵」へ眼差すことができているだろうか。正面から向き合うことができているだろうか。
「ゴジラ」という名の理不尽で不条理かつ常識が通じない敵は、いつだって、誰にでも存在する。目を逸らし、逃げているうちに、その存在すら忘却し、戦うことを失念してしまったぼくたちの映画。
ゴジラ映画として映画館で見る価値あり
私にはとても魅力的な作品であり、人によって評価が様々であることには少し驚きました。しかし長年のゴジラファンにはタイプの違うゴジラ映画に不満がある場合もあるのでしょうし、特撮映画ファンでない人が評判を聞きつけて観た時に求めるものと違った、と意見が割れたのでしょう。
しかし平均スコアが高いということは概ね高評価とする人が多いのだろうと思います。
私は星5ですが、敢えて難点を指摘しつつ私の感想を述べますね。
①大戸島での敷島
敷島が大戸島でゴジラを攻撃しなかった心情は私には少しわかりにくかったです。見ている立場では早く撃てという気持ち、なすすべなく殺られる惨状は辛いです。もちろん学徒出陣で特段戦闘の経験もない自分が何故命令されるのか…という気持ちはわかりました。小説から紐解くと、あの怪物に攻撃しても反撃されるだけと冷静に考え躊躇した様なので、もっとゴジラの恐怖を強調する演出、敷島の生き残りたいという狡猾なまでの生への執念、クールさがあると良かったのかも…と思います。でも神木隆之介のキャラは小説のキャラよりも優しく、怖くてフリーズした、というチキンな解釈が私にはあってるかなと思います。実際攻撃した兵士達は殺され攻撃しなかった敷島は生き残っているので敷島の判断は正しかったのでしょう。
②自立しようとする典子
なんで唐突に働くなんて!そう思いましたけど、敷島が結婚できないから出ていかねばという決意だのですよね、もどかしい展開です。2年何も無いまま一緒に暮らす不思議は、あるでしょうが、敷島のトラウマを思えば先に進めない敷嶋は、私には理解できます。神木隆之介はガツガツしてないキャラですし、純愛にノスタルジーを感じます。
③小僧
銀座の場面以前に仲間3人が家で飲む場面がありますが、典子は敷島に愛があるけど女とはみなされていない、父役でもない。この場面小僧が、何度も典子にお酒をついでもらおうとする細かい臭い芝居があるんですが、少ない出番の中でキャラ立ちさせるために奮闘していて見ていてクスリとしました。後のゴジラ戦に連れていって下さいよと叫ぶシーンは、本気で参加したいならなんで追いかけて腕を掴んでお願いしないのか、と私は思いました。アラサーではなくもっと幼さが残る人の方が脚本には合っていたのかなとは思いますが、ゴジラの物語に強い印象を残す個性派キャラクターだったので彼で良かったのだろうと思います。時代劇で活躍する彼だから仲間の船を集めてゴジラ戦に参加して一旗挙げたいというキャラとして強い個性の人物が必要だったのでしょう。
仲間の船を集める展開が嫌というコメントも読みましたが、ゴジラは強すぎて総力挙げて戦わないと勝てないという展開なのでしょう。私はスター・ウォーズというよりも、小説のハリーポッターの最終決戦でいろんな種族が集結する場面を想像しました。
かつても、特撮ものではウルトラの父が助けに来る、ゾフィーが助けに来る、戦隊ヒーローで6人目のヒーローが登場するというのはよくあり、特撮ものには強大な敵に立ち向かう時のピンチの時の助けってお決まりの素晴らしきマンネリズムなのではないでしょうか。
④銀座の典子
銀座に行った典子をなんで都合よくゴジラが襲うのか、という指摘をする人がいますが、それは誰でもよかったけどまぁ物語上そうなったという展開は私は特段気になりません。水に落ちたのは銀座なら皇居のお掘り?なのかしらと思いますが、どうやって出てきたの?無理でしょと思うし、出てきても全然濡れてないじゃん!と思うし、あの大都会で都合よく敷島が典子を見つけられる訳ない!と思います。でも、あれは特撮映画です、ウルトラマンや仮面ライダーを見る心で見るんで、襲われたヒロインは窮地を脱したものの、さらなる窮状に陥るもヒーロー登場で助かる、が、そのヒーローをヒロインが身を挺して守る、良いじゃないですか。
ラストの病院で包帯を巻いている姿は、包帯萌、綾波レイかと思いましたよ。庵野監督への敬意かと思います。逆さになった列車から落ちそうな映像はミッション・インポッシブルか、という感じではありましたが、それはまねをしたわけではなく列車を使った演出で残念ながら類似してしまったのだろうと思っています。
⑤典子の生死
典子の首のあざは妖しくどういう事か?と思いましたが、ゴジラ細胞という概念がゴジラシリーズにはあり生命力の強いゴジラ細胞により生き残ったという演出だと、あとから知りました。
敷島を守る時彼だけ突き飛ばすのではなく、一緒にビル陰に倒れ込んで助かって欲しかったですね…典子の葬儀もしているし、あの場で飛ばされたなら怪我した典子を助ける為に敷島は
探し回ると思ったのに、見つからず、生死不明なまま葬儀を出したということなのですよね…
いっそ、ちゃんとお棺に典子が入って葬儀を出したものの、典子とそっくりの典子の記憶のある女性が見つかったという展開のほうがSF的には好きです。
が、監督談話によると、最後に敷島と典子を逢わせてやりたかったという思いから作った結末のようです。
「あれだけお母ちゃんに会いたがったアキコが典子に駆け寄らないのはおかしい」というコメントを読んだことがありますが、あの妖しい典子の姿は敏感なアキコには近寄り難かったでしょうね。
⑥作戦
作戦が現実的でない、についてはSFとか怪獣映画にはあるあるでしょう。戦艦と戦艦が接触する感じですれ違うとか映像がおかしいと私も思いますけど、そもそも、ゴジラ、あんなふうに直立する二足歩行の生き物って猿類以外ないじゃないですか。あり得ない世界観なのでそこは私は気にならなかったのです。
⑦元艦長のお腹
ただ、作戦のトップである元艦長が少しお腹が出てる体型が…気になりました。細かくてすみません。海軍って船に積み込める食料が決まっているので皆さん少量の食事で我慢しとても引き締まってカッコよいのです。今お腹が出てるなんて戦後お金を儲けて飽食しているのかと思うと私は信じられませんでした。政治家や陸軍省の人間とか商人なら構わないのですが、皆からの信頼を集める元艦長ですよ…筋肉質のウェストの締まった人が良かった、そこだけは私の最大の不満です。
⑧ー
【私にとっての満足】
全体に学者がロン毛の天パーとか、あんまり年上への尊重の感じられない掃海のチーム、すごく令和的なのです。昭和の雰囲気を作りながら全体に現代映画なのです。しかし大戸島のシーン、橘の登場場面は殺気立っていてとても良い戦争映画の雰囲気があります。
しかし、原爆のことも、黒い雨についても、特攻隊についても、GHQについても、パンパンについても、東京空襲についても、ほとんど何も語っていません。ゴジラは水爆実験から生まれたのが基本設定ですが、水爆実験は1954年、このゴジラ-1.0は1945〜1947年の話。原爆投下により生まれたものです。しかしそれを語っていません。掃海については説明がありますが、広島県呉市の自衛隊設備てつのくじらに行けば詳しい説明がありますが、、掃海は未だに続いています。時間が長くなるし戦争映画ではないからてしょうが、アメリカや世界でのエンタメ作品として上映を意図して敢えて語らなかった作品と思います。
アメリカでは主人公のPTSDやトラウマに注視しています。もちろん、そういう作品です。
だからこの作品は観る人のバックグラウンド、知識、映画やドラマの好みにより評価は分かれるのでしょう。
私はらんまんの神木隆之介と浜辺美波の二人の取り合わせるムードが大好きで、実際にはそれに先行する形で撮影されていますが、もともと大好きな浜辺美波と千と千尋の神隠しの声優時代から好きな神木隆之介の雰囲気が大好きで百恵友和の様にこれからも二人の組み合わせで沢山作品を観たい思いです。
そしてたとえ駄作だとしてもゴジラ-1.0Part2があれば観たい!
浜辺美波と神木隆之介の典子と敷島に家庭を持ったものの、実子でないアキコの反発とかその後の物語も観たいのです…
ブラック企業の経営陣とその取り巻きが沈黙した後の物語
もうみなさん語り尽くされていると思うので、自分が感じた気になった点のみだけ少ないですが書きます。
ゴジラ対策の有志のトップが雪風の艦長であるということで、圧倒的に不利だと思える絶望的な物語(結局ゴジラを倒すのは分かってはいるけど)から一転、どんな奇跡を見せてくれるのかと涙が溢れんばかりに期待する気持ちで心がいっぱいになった。
掃海艇仲間の若い人が乗船を先輩に拒否されているシーンに涙。大人ってこうあるべきとか思ってしまう。似たような話でNHK大河真田丸のスピンオフドラマで大阪の夏陣前夜に同じように若い人がお前は逃げろと言われていたのを思い出した。なおかつ、そのドラマと違い、その後彼なりに役に立つ(しかもかなり決定的に!)ことにめちゃくちゃ興奮した。
終戦前後の日本の戦争物の映画というジャンルで語るのを許されるのなら、前述したようなパートの蓄積のあと、震電で主人公が脱出したシーンがトドメになり、これまでそのジャンルの映画を見た後の様な変に忸怩たる気持ちになることなく実に爽快なものになった。素晴らしいと心から思った。大袈裟に言えば、何か呪いから解放されたような、そんな気分になった。
監督がシン・ゴジラと真逆にするとかしないとかそんなコメントを報道で読んだけど、最後のシーンの痣が浮き上がるところとかは、唯一のシン・ゴジラに似た点で無くてよかったと思う。
以上
初代と並ぶ傑作。てか今観る映画としては初代より凄い
まず脚本が百点満点
そらたしかにご都合主義面も鼻にはつくが(パニック下の銀座でヒロインと偶然出会えるとか)、これだけ要素満載の物語をまとめ切った力量は疑うべくもない
さらに編集・演出とも最高レベル。伊福部昭音楽の使い方は涙物
――とまあ難癖のつけようのない映画
当方は初代ゴジラを観ると毎回最後の自己犠牲シーンで泣いてしまう。好きな女のために身を引いて死に赴くヒロイズムに。本作の主人公造形も、あれと匹敵する潔い清さがあって泣ける。初代ヒロインは50年代モンスター映画ヒロイン丸出しの弱い女でただの書き割りだが、本作ヒロインははるかに現代的な性格造形。登場人物全ての造形・それぞれの活躍や課題解決まで考えると、「今観る映画」としては初代を超えている傑作。特に「未来は任せた」と死地から降ろされた若手が助けに来るところとか、最高の脚本。
唯一、欠点を挙げるとするなら主役が大根役者なこと。他の主要人物は皆いい演技をしているので、主役の下手さが際立つ。いや頑張って演技してるのはわかる。自分なりに絶望や呆然、突き上げてくる激怒や激情を解釈して表現しようとしている真面目さや努力は感じる。
ただこの役、演じるのは難しい。力量の必要な。本作主役はなんというか、精々が「ぎり許せる」くらいの下手さ。特に冒頭は酷い。下手さにこちらも慣れてくるので後半はそれほど気にはならなくなってくるが。役者は頑張っているが力量が足りない。
いや客呼べるイケメンを主役に置くのはわかるけどさ、せめてもっとうまい役者にしろよ。なんなら子役の赤ちゃんより下手なのはどういうことかと。。。(というか子役のいい瞬間の切り取り方、作り手がうまいのもある)
★以下、ネタバレあり
考察:あのゴジラ放射の中、典子が生き残ってたの、鑑賞直後は「ご都合主義だけど、ストーリーの着地点としては最高だった」と考えていた。いやつまり流れとしては、「典子死す」>「敷島、ゴジラ絶対倒すマンになる」>「命を賭して特攻に離陸」>「だが実は典子は生きていたのでは(澄子姉さんに電報届く描写はあからさまにそれ)」>「ならそれを知らず敷島が特攻する、すれ違い悲劇設定か」
からの
「橘の許しで敷島、脱出装置を使う」>「電報を知った敷島が病院で典子に再会」>ベタだけどハッピーエンド
みたいな。脱出装置を付けてたのは、その前の無音会話シーンで見え見えな伏線だったし。
でもさ、次第にじわじわ思うようになったんだが、「ならなんで最後、病院に駆けつけた敷島相手に典子は一言も発せず、じっと敷島を見ていただけなのか」「なんで典子の首に謎の黒痣があったのか」が気になるようになってきた。だってゴジラ放射で怪我した描写なら、顔がきれいなのに首だけ黒痣があるの変だし、そもそも包帯であちこち覆われてるんだから、描写としてはそれだけでいいよな。
つまりあの黒痣には、それ以上の意味があるんじゃないか――と思ってきたわけよ。
以下妄想に近い考察だけど、あれシンゴジラ的な「ゴジラ細胞」が埋め込まれてるんじゃないかと。だからこそあの大放射で生き残れたのではないかと。続編がもしあるなら、ゴジラ細胞で人外になりつつある典子を救うため、敷島がゴジラの体から免疫的ななにかを奪いに行く展開になるのでは――。とかね。皆様、あれ、どうお考えでしょうか。
いやー、ネタ考察って面白いっすなー。
許せない展開の連続
全体的には良い映画だと思うが、ゴジラ映画ではなくご都合主義展開が好きな方にはオススメできる。
1.展開が読みやすい
主人公がカミカゼから逃げた生き残りで、序盤で最後の展開が読めてしまった。
2.主人公が自分の意志ではなく、作者か、世論の意思で動かされた瞬間がある。
この主人公は戦争のPTSDと特攻から逃げてしまった自分を責め続けていた。そして、自分の戦争はまだ終わっていないとも言っていた。これはPTSDの克服や逃げてしまった自分との折り合いをつける為ではなく、ゴジラ出現に対し、今度こそ国の為、人の為に特攻し貢献をする為の言葉だった。
だが、最後の特攻が主人公の思考ではなく、2023年の映画としての思考が入り、ご都合主義として脱出装置を用意され、生存した。戦艦に乗っていた全員が敬礼をしていたが本来は特攻し、自身の役割を遂げ死亡した主人公に対し敬礼する。という展開だったが、差し替えられたレベルで違和感があった。
そんな生き残りたくないだろ、そんなムーブしないだろ。という展開になっていた。
3 .何故か奥さんが生き残っている。
ご都合主義展開の王道を行く展開だった。
死亡したと思われる人物が生きていた。
しかし、映画を見た人はわかると思うが、あの状況で生き残れるはずがないというのは誰よりも視聴者がわかると思う。
死亡したからこそ、主人公は特攻しようという最後の後押しになったのに、前提を台無しにする最後だった。
4.ゴジラのチープ感
まず、ゴジラの顔かわいくなってるんですよ。
低予算なのか分からないが…。音響のおかげで怖さを演出していた。ゴジラビーム?ゴジラ砲の発射の仕方が兵器感強すぎて生物感を消していた。なんで演出を足してしまうのか…。
ここまで書きましたが映画としては満足しています。期待しすぎて見ないほうがいいという事です。
ゴジラVS神木隆之介
IMAXで鑑賞しました。シン・ゴジラも良かったですがマイナスワンも楽しめました。
個人的には安藤サクラさんの出演シーンが、特にラストの神木さんとのシーンが良かったです。(ストーリー的にはそんなのありかという展開でしたが)
浜辺さん素晴らしい役者さんですね。サザエさんヘア似合ってました。
神木隆之介さんさすがでした。黒い雨のシーン圧倒されました。
あと2歳の子役のシーンが自分の娘と重なって思わず涙が出てしまいました。(あとで知りましたが演技ではなく本当に泣いてるようですね。ぐずり始めて泣きそうな直前に神木さんがセリフ言い始めるとか、かなり苦労と工夫をされたそうで…)
確かに、多くの方が指摘されているようにストーリーや設定の中に不自然な点もあったかもしれません。ゴジラ愛の強い方は特に、思っていたのと違うとか、ここはこうするべきだったとか、こうじゃないとおかしいとか、あれは都合が良すぎるとか、様々な思いがあると思います。
まあでもそうやってああだこうだと盛り上がれるのも含めて良かったです。
黒い雨
神木隆之介君
良い表情してますね☺️
ゴジラをしっかり観た事ないのですが、
迫力が半端ないですね
ゴジラ今日本に来たら恐怖です
全然死なないし、
再生するし
不死身!
戦争で生き残った方々の奮起たるや
戦争終わって、復興も進んでいる最中にゴジラで震撼
戦争で心の傷も
癒えない間にゴジラ襲撃
この時代背景でゴジラっていうのがシンクロしていて納得
戦争で生死を体感して
さらに
ゴジラで生死を体感
体感ってなんか相応しくないかもですが、
もっと相応しい言葉が見つからず、、、
あの爆風で浜辺さん生きていたのが凄すぎ
気になったのが、浜辺さんの首筋に黒いギザギザのアザ
アレは意味あるのかしら
学者の吉岡さん
佐々木蔵之介さん
山田君のお三方好きです😊
追記 ゴジラのテーマ曲そこで使うのかとニヤリしました。
アキコちゃんかわいかったねぇ☺️
西武ゆうえんちでらんまんをくらえ!
みたいな映画でした
殺意つよめのゴジラに
らんまんを口に詰め込まれました
胸の大きめのゴジラ
足大きくて泳ぎ上手そう
登場人物全員、演技力が♾️カンストみたいなひとたちばかりでした。怒涛の演技力を浴びました。安藤サクラさんの怒鳴り声なんて空気が凍る。博士のメガネがずっと傾いてた気がする。あの髪型どうなってるの。らんまんふたりは流石の演技力。モブの人たちもいちいち良い存在感で良い演技をされていた
アキコちゃんかわいかったねぇ☺️
生きろ!...嫁と二人して号泣しました
最近、邦画も洋画も期待外ればかり。ゴジラも平成シリーズ?を数本観た程度でとてもよく眠れた記憶があります(笑)
熱烈に推して来る怪獣マニアの友人の瞳の輝きに負けて(笑)さして興味のない嫁を連れて、これも友人推薦のIMAXレーザーで観賞して来ました。
これはね...怪獣映画ではありません。
全ての登場人物に感情移入してしまいます。クライマックスでは頑張れ!!と泣きながら心の中で叫んでいました。野田さんの『生きるための戦いです...』橘さんの敷島君への『生きろ!』沁みましたね~。
米国での高評価もうなづけます。ちっちゃな事には突っ込みません(笑)
それにしても伊福部氏のゴジラのテーマ?ってこんな凄い音楽だったのね♪︎
ゴジラだけ凄かった
ゴジラ周りの映像だけ凄かったです。
戦艦や戦闘機の映像も凄く良かったです。
ただ人間ドラマの部分が??という場面が多かったです。
とくにクライマックスのあたりです。
ゴジラ討伐作戦のための準備の進行と同時に、敷島は隠れて戦闘機に爆弾を積んでゴジラに特攻することを計画します。
敷島が仲間を死なせてしまった罪悪感や妻をゴジラに殺された恨みからゴジラを倒して死にたいと思ってる という展開は分かるのですが、作戦が成功するか失敗するか分からない段階で特攻ありきで動く意味が分かりませんでした。
わが子のアキコを隣人に託していることからも特攻して死ぬことは彼の中で確定しているのでしょうが、そう考える伏線のようなものもなかったので見ながらこの展開の理由を考えいました分かりませんでした。
ラストでは敷島は死ぬことを止めて生き残り、妻の典子が実は生きていたというハッピーエンドで終わります。
しかし、この一連の流れは映画を見ている立場からすると、敷島は妻は実は生きているのに思い込みで特攻を計画して、下手すると無駄死にだったけど結果的に生き残ったから良かったね
という物凄く間抜けな話になるのではと感想を持ちました。
ほかにもこのように細かい気になった個所があるのですが、おそらく監督や制作陣は「こういう風にするとみてる人は感動するハズ」という展開を思い付いてそこから逆算でストーリーを考えているのだと思います。
例えばラスト付近でゴジラ討伐作戦が失敗しそうになったときにたくさんのひとが船で助けに来るという展開があります。
これは「敵に負けそうになったときに味方が助けに来るって熱い展開だよね」という展開あ
りきで作られたのでしょう。
しかしなぜ彼らがそう行動したのか?と描写がまったくないために説得力がなく感情を動かされません。
また、作品の舞台を終戦直後の日本にした理由も監督が昔「always 三丁目の夕日」という時代設定の近い作品を成功させた経験を生かしたいという理由のためだけに採用されたのだと思います。
そのためセットや小物に至るまで非常にレベルの高い背景美術を実現していますが、なぜ終戦直後でなくてはならなかったのか?という理由が作品からすっぽり抜けているように感じられました。
ゴジラが出てくるシーンの楽しさと人間ドラマパートのつまらなさの落差をトータルで評価すると低いものになってしまいました。
人は逃げる時に何処へ向かうのか。
ゴジラ-1は当初北米で1週間のみの限定公開の筈が、好評だったため期限が延長された。
海外の批評もすこぶる良く、英語圏でのSNSの評判も良い。
僕はこの監督と相性が悪く、毎回強制的に泣かせようとする圧力が苦手でしんどかった。
結果今回もしんどかった。
所々にある脚本のアラと役者に対する演出の低さ、フレームの構成による画面の美しさを殆ど感じることがなく、ただただ製作陣が好きなシーンを撮って繋げているだけ、そうとしか思えなかった。
冒頭の特攻できなかった兵の生き方がこの映画の主軸なのだが、そこはまあ良いとして、集団が逃げる時に同じ方向に逃げる非効率なことをするだろうか。
対照的なのがスピルバーグの宇宙戦争。
人々は直進しつつも脇の建物に逃げる。
多分これが普通の逃げ方だと思う。
四散しない人々の動きのせいで、かえって不自然なシーンに思える。
日本の戦艦(駆逐艦?)が途中合流して砲撃するシーンは良いが、甲板で傍観するだけの水兵のお陰で、軍人の存在を感じない。沈没するギリギリまで主砲を撃ち続けた砲兵を映すだけでももっとドラマになった筈。
後半の先頭で駆けつけた小型船団もあの短時間で曳航出来るのも違和感を感じる。その間ゴジラは待っててくれたのか。
演出面で言えば、最後の震電の突撃の無音状態。
その無音のまま突撃させればいいのに絶望感だけ演出しているので感動が弱い。あの無音状態はもっと続けば良かったと思う。
欲を言えば、海面の向こう側の太陽を影にして震電が飛び込んでくれば絵も美しかった筈。
僕には所々アラが目につき、イマイチ感情が乗らずそのまま終わる映画だった。
シンゴジラの様な理屈っぽい要素は少なく、監督のここで泣けと言う圧力に耐えながら、何故上陸したのか謎のゴジラを見守るだけの映画。
うーん、僕が求めていたのとは違う気がする。
やっぱり面白くない
世間的(主に海外?)で大好評だったので、基本「映画館」なんて行かないのに行ってきました。
感想としてはタイトル通り。
ダメな部分や面白くないと思った部分は時系列順(よく覚えてないから大体)で書き殴ります。
・臨時着陸場が超狭い感じが出すぎていて、自主映画のよう
・演技がクサイ(数十年も邦画に対して思う事)
・とってつけたように出てくる子連れ女性
・長年一緒に4畳半のようなレベルで生活しながらも他人
↑だから感情移入し辛い
・いちいちこれみよがしに出してくる子供シーン(血縁無し
↑上に同じ。子供出しとけば感動するだろノリが酷い
・学者の初登場シーンの職と後半の立場のギャップ
・主人公jが乗るオンボロ船相手にやたらとおっそいゴジラ
・上記のあと、他の軍艦等には素早い動き(笑
・ゴジラがドムみたい下半身。顔が田舎の土建屋。
・ゴジラの行動原理、仕草、ノロマ具合
・リアリティのない逃げ惑う民間人
・ご都合主義ここに極まれりなヒロイン電車シーン
・なぜか主人公だけが残るゴジラの攻撃
・最悪なシーン「電報」
・さらに最悪なのが起爆スイッチ説明のあとのシーン
(↑馬鹿でもわかるレベルでしらける。その前のチラ見でさえ萎えるほど過剰演技なのに、視聴者馬鹿にしすぎ)
・蚊みたいな戦闘機を必死に追いかけるゴジラ
・陸上でも届かないのにも関わらず海まで追いかける(笑
・すっとろい船相手に、速く動けるゴジラが戦闘機に気を取られてるテイからの、巻きつける作戦成功シーン(動けよ・・
・案の定、特攻アリきのストーリーでフィニッシュ
・見事に最悪シーンの回収で無事帰還
・挙句の果てに最悪シーン「電報」ここに絡んできてハッピーエンド(ワロタ
いやもう、ほんとなんていうか、クッソおもしろくないです。
個人的にどうやら邦画が嫌いらしくて、あのくっさい劇画風というか宝塚のような、過剰な演技とセリフが無理。
感動!現代の生きづらさを応援してくれる映画
人生で初めて映画館で2回鑑賞した映画です。
1度目はゴジラがどんなダメージで終わったかはっきり見届けられなかったぐらい
夢中で観てしまったので
2回目は4DXシアターで観てきました。
監督が戦後の生まれでスタッフ陣も当然そうだと想像します。
戦時中生まれの方は昭和9~20年…90歳近くです。
ましてや戦争に行かれた方は大正生まれで100歳越えと思われます。
話を聞くのも難しくなってきました。
そんな中で資料や写真から映像を作成するのは、純粋に凄いと思います。
白黒でしか見たことがない街並みがカラーで復元されているようで…
内容ですが、戦時中・戦後直後の形をとりながら現代の話と思いました。
特攻隊の話なども今にしたら超ブラック企業な状況で自己肯定感をボロボロにされた
人達が自分ができることを武器に題名通り-1.0の環境で能力を生かす
ことを見つけやっとやり遂げる。自殺する人などが多い現代で
「生きろ!」というメッセージがヒシヒシと伝わる映画でした。
ゴジラ熱戦放射時の青色発色がめちゃめちゃ綺麗なのに恐ろしいすごい迫力。
ドラマ中の主人公「下手に手負いにしたら」「それでゴジラを本当に倒せますか?」
などの危惧は、確かにそう思う。
命の無駄使いにならないように検討するのは逃げではないと
主人公目線でハラハラしながら見続けてしまう映画でした。
【ゴジラが来ることを一般の人に知らせられない】
という設定は確かにご都合主義とは思います。
どのゴジラ映画も日本で作られたものはとりあえず東京を襲撃することがお決まりですもんね。
映画の内容とは、関係無いですが4DX、熱風が出たり後から振動が来たり迫力効果の迫力は、ありましたが、映像は、期待値が大きすぎたのかな?って感じでした。ゴジラが最後どこにどんなダメージをうけたかは、大きな画面で確認できましたが…4DX画面の迫力を期待してたのですがそれは超えなかったかな。
面白かった。そして泣けました。
札幌にできたばかりのTOHOシネマズで轟音シアター初体験はやはりゴジラでしょう、ということで観てきました。素直に面白かった。そして僕は何度も泣けました。ゴジラ映画でもあるけれど、むしろ戦争映画としても十分に楽しめるクオリティーでした。日本人の心を揺さぶります。オススメです。今年の実写の邦画では一番良かったです。
神木くん、吉岡くんと二人の有名子役から俳優になった、世代の異なる二人が共演するのは感慨深いです。浜辺さんと共演だと朝ドラと同じですが、こちらの神木くんのほうが良いです。
(以下は僕の心の琴線に触れたことを書かせてください。ある意味ネタバレですがご勘弁を。)
十八試局地戦闘機「震電」が飛行する映像を観れたことは、VFXの名手山崎貴監督にただただ感謝したい(永遠の0での空母赤城にも感動しましたが)。僕は非常に心を揺さぶられました。ただ空母赤城と異なり一般的にはほぼ無名な試作戦闘機なので、映画館にいたお客さんでどれだけのひとが「しんでん」を局地戦闘機「震電」と理解したのかは不明ですが。
「震電」は終戦末期に空技廠と九州飛行機で共同開発された、先尾翼迎撃機、しかもなんと後退翼で、先細の機首にもかかわらず飛燕に代表される苦手な液冷ではなく、旧日本軍得意の空冷エンジンで(空気取り入れ口はまるでジェット機のように胴体両脇にあり、プロペラが後部にあるため重武装が可能(予定では30mm4門)で、さらに当時日本で唯一、火薬発射による脱出装置が取り付けられてたとされ、おそらく時速700km近くでたのではないかとも推測される、極めて先進的な設計思想の機体であるものの、試験飛行が終戦3日前の昭和20年8月12日であったとされる幻の局地戦闘機です。試作機はおそらく1機か2機だと思います。
太平洋戦争には間に合わなかったものの、ゴジラによる日本の危機を震電が救ってくれるなんて、それだけでも涙ものです。また射出装置が正常可動したことも涙ものであり、そもそも零戦を含め他の機体では風防を手動で開けての脱出なのだから、そんな余裕はないはずであり、山崎監督が神木くんを「生きさせる」には射出装置のある「震電」を選ぶよりほかはなかったとも思いました。
あれがゴジラ!(*゚Д゚*)
演技が臭い人や面白艦長もいてましたが(笑)
人間ドラマがメイン&ゴジラの恐さ気持ち悪さが出ていて面白かったです。
小さな女の子がモゴモゴ言ってるのが可愛かった(笑)
「核の原罪」に戦慄するリアリティーって・・・
1回目のレビューの後にいただいた「自分史と1作目への懐古ばかり、もっとしっかり本作ついて述べてください」というコメントが、実はかなり胸に刺さりまして・・・そんな訳で改めて本作に向き合った感想を述べさせてもらいます。
先ず、VFXについて。はっきり、これは歴代ゴジラの中で最高、巨大生物としてのゴジラの禍々しさもさることながら、強烈な既視感を覚える破壊された都市の描写にはシン・ゴジラさえ超えているリアリティがあり、その点は最大限に評価したいです。
一方、敷島を中心に様々な人々の、ゴジラという災禍を通してそれぞれの戦後を乗り越えようとするドラマについても、私は十分な説得力があったと思います。特に敷島の、「特攻からの逃避」と「ゴジラからの逃避」という2つの十字架を背負った心の痛み、そしてそれ故に、典子たちと一つ屋根の下で寄り添うように暮らしながら本当の家族として受け入れられない切なさ、哀しみは十二分に伝わってきましたし、だからこそ、今度こそは逃げないという敷島の覚悟と、それ故に姑息な手を使ってまで橘とバディを組むことにこだわったことも十分理解できました。敷島は既に、自分の命を賭すことを決意している、その死にざまを見届けてもらうのは橘しかいない。そんな彼の覚悟が橘にもしっかり伝わり、彼にはそれで十分だった。だから万感の思いで「生きろ」と敷島に言ったんだと、ここまでの神木・青木両俳優の演技を見ながら確かに熱くこみ上げてくるものがありました。
そう、ここまでは。
震電による攻撃でゴジラが崩れ落ちるシーンで、今まで描かれてきた敷島の物語へのカタルシスは感じながら、同時に胸に去来したのは「手ぬるい・・・まだまだだよ」という思い。何故、そんな思いを抱くんだろう・・・なんで、素直に感動の涙が流せない・・・我ながらそうも思います。
けれど仕方がない・・・70年近く生きてきて、米ソ冷戦やベトナム戦争、核競争、水爆実験・・・それらを「ここにある危機」、身近なものとして育ち、そして今という時代を生きている自分はそのように感じてしまうのだから。
先にこの映画のVFXについて「強烈な既視感を覚える」リアリティと述べました。そう、確かにあのゴジラに破壊された都市の光景を自分は既に見ている。ウクライナの都市、ガザ地区の街並み・・・(それまでにも、バクダッド、サラエボ、ベトナムのソンミ村・・・)
都市を破壊するゴジラに戦慄するのではない、同じ人間の暮らす都市を破壊する人間に戦慄を覚えるのです。ゴジラの炎に立ち上るキノコ雲より、プーチン大統領の背後に、黒いアタッシュケースを抱えて控える2人の高官の姿に戦慄するのです。
そのような思いを想起させる力強さを持ったリアリティを生み出した山崎監督だからこそ、この映画のクライマックスには、エンターテインメントの枠を超えてでも見る者の心に訴えかける「今」にコミットしたものを突き付けてほしかったのです。
やや不穏な余韻を残す病室での敷島と典子の再会シーンを見ながら、私はふと原民喜という作家の短編小説を思い出していました。戦時中の地方都市に暮らす人々の日々、ささやかな葛藤、軋轢などを淡々と描写し、終盤、それらが一区切りしてほっと息をつげるようなシーンのあと、「壊滅の序曲」というこの小説は次の一文で締めくくられます。
「……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。」
人類が核兵器を知ってしまって以降、この一文は全ての人間ドラマの最後に繋がるように思います。人々のドラマチックな、あるいはごくささやかな営み、様々なストーリーを根こそぎ消し去る無慈悲で非条理な核の恐ろしさを表すこの一行は、敷島の胸を打つドラマの後にも繋がるものでしょう。
そんな私が本作のエンドロールを見ながら尚も幻視したのは、最後により禍々しく巨大な姿で海上に起き上がるゴジラの姿、それは旧海軍の戦闘機に爆弾を積んで体当たりしたぐらいでは打ち崩せない、「世界終末時計90秒前」の現在にまで私たちの前に立ちふさがる「核という原罪」としてのゴジラの姿です。
オッペンハイマーが、原子爆弾を生み出した罪ではなく、より壊滅的な力を持つ水爆開発への障壁となったことで国家から裁かれるという、巨大な歴史の皮肉を目撃することになる1954年、その同じ年に公開されたゴジラ1作目。芹沢という人物の苦しみと死を通して「パンドラの箱」を開けた科学者の悲劇を描く先駆的な、おそらく最初の作品となった1作目こそ、私にとっては、全てのゴジラ映画の頂点であることに変わりがないでしょう。
それでも、あれだけの映像クオリティを見せてくれた山崎監督には、マイナス・ワンを1作目の正統な前日譚として、「核という原罪」を私たちに突きつける覚悟、矜持を持ってほしかった、というのが、今の正直な思いです。例えハッピーエンドでなくても、私達に突きつけられたそれから目をそらさない限り、エルピスはあると思うから・・・
【上のレビューを投稿したら最初に投稿したレビューが消えてしまったので、以下に再記します。くどくなりますが、合わせて読んでいただけたら、私のこの映画への思いが一通りお伝えできるかと思いますので・・・】
ゴジラ・マイナスワン 見てきました。その感想を、と言ってもほとんど1stゴジラ論的な内容になりそうだし、最後には来年日本での公開がついに決まった「オッペンハイマー」に寄っていくという感想になりそうです。何か鬱陶しそうでしょ。べた褒めの感想を期待されてる方はここでサヨナラしていただいてよいかと。
さて、ここで私個人のキャラ形成のバックボーンに触れると、私は昭和30年代前半生れ、10代の多感な時期を米ソ冷戦、ベトナム戦争、大国の核保有、水爆実験・・・といったニュースに触れ、常に頭のどこかに「核による世界の終焉」へのモヤモヤした不安を抱えながら育った世代です。(確か中国の水爆実験の直後に小学校の先生ができるだけ雨には濡れないように、と注意したのを覚えています。冗談なのか本気だったのか「髪の毛が抜けるから」
という理由で・・・)夜中に、明日にでも核ミサイルが降ってくるかもしれないという恐怖に捕われ夜泣きするという子供でした。
そんな私ですが、中学生まではゴジラ映画と言えば、ゴジラがキングギドラやコング、ヘドラなんかと派手なバトルを展開する怪獣スペクタクルという認識しかなかったのです。
私が1stゴジラを始めて見たのは高校2年生の時、京都の場末の2番館で「博士の異常な愛情」との2本立上映でした。(←この組み合わせも、完全に狙ってますね)
あの時、私の子供の頃から抱えていた「核」への暗鬱な感情とゴジラという稀代のキャラを描いた物語が完全にリンクしたのです。夜の大東京を、逃げ惑う人々を前景にして、遠くにゆっくり不明瞭な暗い影のように動いていくゴジラの映像は、あの時代の核に怯える暗鬱な空気感をそのまま伝えてくるのでした。
そして、核の恐怖を思う時、常に頭に浮かんだもう一つの思い・・・
「どうして人類は、そんな自らを滅ぼす力を手に入れたのか?或いは、その力を生み出した科学者は、そのことにどの様な責任を負うのか」
1stゴジラは、その問いにも一つの答えを描いています。
芹沢博士という人物の苦しみとその死を通して。
オキシジェンデストロイヤーもまた、水爆と同じ、人類にとっての絶対悪として描かれています。水爆の落し子であるゴジラ、それを抹殺するためのの最終兵器もまた人類を滅ぼすだけの恐怖の力を持っている。それはまさに大国間の際限ない核競争の図式そのもの、「瓶の中の2匹のさそり」を表しています。
そのような力を、人は持ってはいけない・・・だから、芹沢博士はそのすべてを封印するために自ら死ななければならなかった。ゴジラを抹殺するためのあの海中のシーンには、他のゴジラ映画(マイナスワンも含めて)に描かれたような、搭乗した兵器によってゴジラに体当たりする的な派手さ、勇壮さは全くなく、ただただ静かに、沈鬱で・・・
マイナスワンでも一筋の涙も流せなかった私が、多くのゴジラ映画の中で唯一、涙したのは、1stゴジラの最後、愛弟子が水爆に匹敵する力をその命とともに封印した海底を見下ろしながら、山根博士が万感の思いで一言「せりざわ・・・」とつぶやくあのシーンだけです。
今日、世界終末時計は、冷戦時代も含めて最も人類絶滅に近い1分30秒前まで進んでいます。そのような時代に、先の大戦のトラウマを乗り越えるリベンジマッチとしてのカタルシスはある程度感じたとしても、核という原罪に人類がどう向かい合うのか、を描き切った1stゴジラを超えるような評価は出せない、というのがマイナスワンへの正直な感想です。
そんな私ですので、はい、ようやく日本での公開が決まった「オッペンハイマー」への
思いがバク上がりです。
そう、私にとって芹沢博士はオッペンハイマーそのものなんですよ。
迷わず観ろよ、観ればわかるさ❗😆
2度観ました。永遠のゼロをめっちゃリピートで観たので、オープニングからウルっと来ました。大迫力のゴジラを映画館で観たくて行きましたが、ドラマパートも結構感動しました。安藤サクラさん演じる隣のオバチャン主人公を罵倒しますが、実は親切な人だったり。クライマックスはお馴染みのテーマが流れ、気分はアゲアゲ😆永遠のゼロは死んでいく悲しいストーリーでしたが、生き残るため、未来のための戦いはハッピーエンドで、また観たい。でもゴジラのテーマがずっと耳に残っています😁
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