ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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隣の女子高校生は泣いていたからそれでいいのだ、と思う
いや~~~よくやったな~~~
「特攻隊」というワードだけで嫌な作家を思い出してー山崎監督が自身で映像化しているわけでー、同じくナショナリズムに回収する物語になると思ったから観る気をなくしていた。けれどゴジラはかっこよくて恐かったし、VFXは凄かったし、物語もよかった。隣の人は感動で泣いていたし。皆がみて楽しめて感動できて、色んな人の「ご意向」を上手く調整して、面白くしているのだから素晴らしい。
例えば主人公・敷島浩一の名字について。これがどこから出典または創作されたか定かではないが、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠んでいる。この発見はDHC元社長の新会社がホームページで誹謗中傷と差別発言をしているニュースから私も閲覧してできた。元社長には中指を立てて感謝を示しつつ、本居宣長という国学者との関連ーというか「敷島」が日本の別称と後に知るー、また物語でも「戦後復興」という「日本/人」という想像的共同体を構築する物語を準備した点で本作にナショナリズムの側面があることは免れ得ない。簡単に言えば、「俺たち」は焼け野原から必死に働いて復興して高度経済成長を果たしたのだ!俺たち日本人は素晴らしい!そんな美しい国ニッポンに現在の俺たちは生かされているのだ!である。
そういう言説を支持したくなる気持ちも分からなくはないし、ある程度の事実は含んでいると思いつつ、その言説から捨象された事実についても本作は主眼を置いている。
例えば敷島は特攻逃れの内向的な人物として描かれており、それはとても現代的な人物像のように思える。さらに彼はPTSDを患っているようにみえ、戦後になっても戦争の傷が癒えていない。彼と同居する典子は、彼に貧困を指摘され「パンパンになれと言うの」と発言する。「パンパン」とは米兵を主な相手として売春を行う街娼であり、この言葉を物語に登場させたことも大きな意味があるだろう。このように二人の人物像をみれば、「モーレツ社員」の「俺たち」から二人は捨象された人物であると言える。
しかも二人は共同で生活を営みつつ、規範的な意味での家族でもなければ性愛的な関係でもないことは驚きである。そして二人の間に子どももいるが、孤児であり血縁関係は一切ない。つまりここでも結婚して血縁関係になることで家族になるといった保守的な家族観とは違い、生き延びるために共同で生活を営むことで、結果的に家族となり、それを家族と呼ぶ転換が起こっている。このような家族のあり方は戦後に事実としてあっただろう。そういった点でこのような家族像を描こうとしたことも大きな意味がある。
このようにこれら二人の人物像や家族のあり方は、ナショナリズム的な側面を批判的に捉える逸脱があるし、性愛ー結婚ー家族を強固な三角関係に捉えるロマンティック・ラブ・イデオロギーについても同様な眼差しがある。
さらに敷島とゴジラの対峙は、内向的な彼が勇気をもってゴジラを退治する私的な物語≒個人的な語りにもなり得るが、批判的な視座をもたらすことも可能にみえる。つまり自己責任としての語りの不可能性である。
敷島は特攻逃れで大戸島ー硫黄島の連想をしたのは私だけ?ーに「不時着」する。この逃げで彼の臆病が描かれるのだが、さらに島にゴジラが到来してしまう。この時、彼が銃撃をしなかったことで整備兵を死なせることになり、彼らの死を自己の責任として、その傷に戦後も苦しめられることになる。さらに時を飛んで、ゴジラが銀座を急襲する時も、銀座に働きに出た典子を救おうとする。しかしその気持ちとは裏腹に敷島はゴジラの放射火炎による爆風から典子に庇われて、彼女が死んでしまう悲劇に転じてしまう。このことからも典子の死を自己の責任として責めを負うのである。
これは理路整然とした語りのように思える。確かに敷島はその場にいて、彼だけが生きて、他の者は死んだ。彼が他の者が死ぬことを防がなかったことには責任がある。だから彼は役に立たないものであり、トラウマを抱えても仕方がないし、死ななければならない。この語りが逆説的にーつまりそう思われたくなかったらモーレツに働けー「戦後復興」を可能にした側面はあるだろう。けれど現代に生きる私としてはそんなわけないじゃんとも思ってしまう。
ゴジラは圧倒的な暴力だ。ゴジラが原水爆から生まれたことから人為的な側面もあるがーちゃんと本作はそこも描いている。素晴らしいー、災害なのだ。だから敷島個人がどうこうしても防ぎようがない。大戸島の描写もそうだが、彼が銃撃できたとてゴジラが死ぬわけがない。だって後の描写で戦艦を簡単に沈めているのだから。典子の死も偶然そうなっただけだ。なぜなら典子が列車の時点で死んでいたことだって十分あり得るからーむしろあの状況から生き延びたのが奇跡だろうー。つまり私たちは災害による生き死にを物語として理解はしたい。けれど自己責任として語るには、災害も死も人為による操作可能な対象ではない。だから本作は一見、現代に即した敷島の自己責任についての物語と思えつつも、その語りの逆説的な不可能性を示してもいる。
このように自己責任の物語を排しつつ、ゴジラにされるがままに破壊されることを受け入れているわけでもない。そのために政府による介入や撃退というナショナリズムを導入するわけでもないーというか銀座襲撃で国会議事堂は暗に爆破されている。政府批判ー。ここで本作は、民営の防衛組織をつくって、科学技術で退治しようとするのだ。まさに人為を超えたゴジラの襲撃という災害をセカイ系のような個人による解決ではなく、市民が集団して民主主義的に解決する。このような問題解決に結実したのは純粋に立派だと思う。今、私たちに必要な物語はまさにこれなのだ。
だから典子が実は生きていたというご都合主義的な結末も問題ない。だって典子にも浜辺美波にも生きていてほしいじゃん。やっぱり大切な人には生きていてほしい。その思いは大事にして、災害のような事象を無理矢理に自己責任の物語に回収させない。そもそも「自己責任」という言葉自体、「責任」が「自己」に内包されている以上、この言葉を使う時には自己に責任をなすりつけたい集団心理、イデオロギーが働いていると考えるべきでしょう。「私に特攻をさせてください」「では、死んでも自己責任だからな」みたいな。ここでは特攻をしなくてはいけない構造/権力関係に対する言及は一切なく自己責任に結実する。
それでも「責任」を負おうとすること。そのために皆で協力して集団的に解決しようとすること。災害それ自体が起こることは防げないが、防災に努めること、起こったことに懸命に対処すること、それは私たちにもできるはずだ。そんな「責任」の原理が今、私たちが生き延びるために必要とされている。
そうは言っても純粋に結末を称賛できるわけでもないと思っている。二点指摘するが、それは「民営の防衛組織の表象」と「敷島がパラシュートで脱出する描写」についてである。
民営の防衛組織については、ナショナリズムを排する点でいいとは思いつつ、現況においてどのように捉えられるかは注意が必要だろう。現在においては、敷島のような市民が集団で民営する形態は、いつの間にか私企業のような私営に取って代わり、災害といった問題を民主主義的に解決することが、利潤の追求に変わってしまってはいないだろうか。それはオリンピックや万博の状況をみれば一目瞭然であるが、このようなイベントの理念は形骸化して、企業の利潤獲得という暴利に変わっているじゃないですか。しかも企業は政府と結託して共犯関係を成していることも明らかだ。本作の民営の防衛組織もそうだ。戦艦は自前では製造されておらず、政府による譲渡だ。このような点で、結末が政府を排しているように思いつつも実は、暗に結託、関係せざるを得ないことは批判的な注意が必要である。しかもゴジラの退治を企業による科学技術で行うことは、戦後復興のナショナリズム言説を再び浮上させることになりかねない。
敷島がパラシュートで脱出する描写も納得はいかない。彼は最後の「海神作戦」で、戦闘機による誘導を買って出て、「特攻」をする。しかしかつて怨恨のあった整備兵による技術改良のおかげで、敷島はゴジラに突っ込む直前にパラシュートで脱出できるのである。もちろん敷島が死ぬべきだと言いたいわけではない。そうではなく、観客は敷島が特攻して死ぬしかないと思いつつも、実は事前に脱出方法が説明されていたというカラクリがある点だ。このように描写されることは、敷島のみが生死を操作可能な主体として描かれてはいないだろうか。それは災害や生死、自然も人工的に操作可能な主体を立ち現させて、再び自己責任の主体/語りを導入することになりかねない。
そのような点で、結末を無批判に擁護したいわけではないし、東宝といった企業と関わらざるを得ない以上、限界はあると思いつつ留保は必要だとは思っている。
犠牲者:ゴジラ
何故、ゴジラは吠えるのだろう。何かの弾みで鳴き声を上げている訳じゃ無いんです。見ていて思いました。両腕を引いて脇を締め、よし今から吠えるぞ、吠えるぞ、吠えるぞ! ガオーって吠えてます。その吠える理由は何か。そんなことは私には考察できないのですが、ヒロインの典子さんを失った(と思われた)時に主人公がゴジラに負けじと泣き叫んだ、理由はそれと同じなのかと感じました。つまり、迷惑だと言って退治された(と思われた)ゴジラが最大の犠牲者とも考えられます。
映画として、映像的にも凄かった。戦後日本の当時の姿は知らないけれど、凄まじい瓦礫の町並みが再現されていて、必死に生きる人々の姿が身につまされる思いがした。情報機器も兵器も何もかもアナログに再現されていて、それでゴジラに立ち向かうシミュレーションとしても面白い。あの終戦時まで生き残った奇跡の駆逐艦・雪風の登場も成る程と思った。当時の歴史に詳しい人が見れば、色々と面白い考察が出てくるのでは無いでしょうか。素人の私には知るよしもありませんが。そして、登場人物の心理描写も見ていて切ないですね。怪獣に立ち向かうのは完璧無比のヒーローじゃない、戦争で心を病んだ主人公の姿が、これまた切ない。その主人公が帰ってくると「なんで死んでこなかった」と罵るのも、戦後の悲惨な日本ならば無理からぬ事。
でも、喫煙者が一応いるけど、控えめなのは配慮されたのかな。本当ならあの時代、会議室なんて煙草の紫煙でモウモウとしてたんじゃ無いかと思うけど。
あの歴史的なBGMも有効活用、音響も素晴らしかった。映画館で鑑賞できて本当に良かったと思います。
(ネタバレにしているので、これも書いてしまいますが)みんな生き残ってて良かった良かった。典子さんも遺体が発見されていないので予測済みだけど、脱出コックピットも目視で確認。みんな生きていて、良かった良かった。そう、皆です。主演のゴジラ様も当然です。ラストシーンには深海で補修中の逞しいお姿が。そして、エンドロールを最後まで確認されたでしょうか。最後に響いていた足音や咆吼は、復活後の新しいものですよね? 今度はどんな姿で登場するのやら――。
半神ゴジラの新たな足跡
「シン・ゴジラ」の刻んだ巨大な足跡の後を行くという途轍もないハードルを課された本作。蓋を開けると、前作とは単純比較出来ないほど違うアプローチの作品だった。
本作では、終戦間もない時期に、戦争の記憶を抱えた市井の人々が国家機関の助けなしにゴジラと直接闘う。ある意味「シン・ゴジラ」とは対照的だ。
主人公の敷島は、特攻の任務から逃避し、大戸島に現れたゴジラを狙撃することも出来なかった罪悪感にさいなまれながら生きていた。そんな敷島が、典子と出会って暮らし、そして彼女を失う。彼の中で、自分の弱さや無力さへの怒りが、死への恐怖を凌駕した。
戦時のトラウマとサバイバーズギルトを乗り越え、生きる決意をする。丁寧に描かれる敷島のドラマが、ゴジラの存在感と両輪になって作品を支えていた。敷島の内面描写がしっかりしているので、彼と繋がる整備士の橘や新生丸の同僚たちとの物語も血が通ったものになった。また、戦争でぼろぼろになった彼の心や生活が少しずつ落ち着いてゆく経過が描かれたことで、それを一撃で破壊するゴジラ出現の絶望感が増した。
そして、何といっても我らがゴジラの迫力。
「日本のゴジラは、半分神様」(山﨑貴監督)とは言い得て妙だ。ハリウッドでのキングコングの系譜を汲むようなゴジラと、八百万の神の国に息づくゴジラとは、根本的な部分での人間との関係性が違う。
ゴジラという名前の由来など、もともとの設定にそういうフシがある、というだけではない。特に近年、日本のゴジラ映画のゴジラは、その姿を見るだけで人間に畏怖を感じさせ、いましめを与える存在、人間に己の非力さや小ささを思い知らせるような存在であり、またそのように表現されることを期待されてもいる。
本作のゴジラは、その期待に十分応える威容を誇っていた。ゴジラのデザインは、検討段階ではちょっとイレギュラーな(ケロイドを付けるとか)案もあったようだが、比較的ベーシックな容姿で大正解。
かつ「シン・ゴジラ」よりは若干アクティブで、潜水姿を見せてくれたりと動きが面白い。熱線を吐く前、背びれを順々にジャキーンと出して光らせるギミックがかっこいいと同時に絶望感があってよい。海の波などの表現といい、本作のVFXは洋画の本格的なVFX作品にも劣らないのではないか。
このゴジラに決め打ちされる伊福部昭の劇伴は画竜点睛。佐藤直紀も大好きなのだが、今回オリジナルの劇伴は伊福部メロディの額縁としての調和を考えて作られているように聴こえた。また、エンドロール終盤に響く観客の全身を震わせる重低音の足音と咆哮は、映画館でないと体感できない臨場感。この締めで満足度がワンランクアップした。
以上の要所が押さえられていたので、いつゴジラが来てもおかしくない危急の時に橘を探すことに時間をかけるとか、海神作戦の細部とかの細かい突っ込みどころはまあいいかと思えた。ある意味そのざっくり感が往年の特撮映画の名残を残している感じで味がある(ゴジラの描写が気に入ったので、かなり好意的になっています)。
神木隆之介と浜辺美波は、戦後の娯楽のない時期に何年も一つ屋根の下に暮らしても何事もございません、と言われても白々しくならない、今時珍しい清純さを漂わせるペアリング(品のない視点ですみません)。朝ドラ「らんまん」も見ていたが、共演が多いのも何だかわかる、好感度の高いお似合いコンビ。
怪獣映画の俳優はオーバーアクト気味くらいがちょうどいいが、それにしても佐々木蔵之介の演技はちょっと癖つよだった。
銀座のシーンで橋爪功が映って、これは後で重要キャラとして登場するのかな、と最後まで待っていたが、単なるカメオ出演だった。なんの設定も示されないので、時空を超えて素の橋爪功がそこに立っていたようなメタな想像をしてしまってひとりでシュールな気分になった(そんな設定のわけはない)。
最後の典子は、ゴジラの細胞が取り込まれてしまったのかな? その再生能力により、死を免れたのではないだろうか。敷島と再会するまでに時間がかかったのも、そのあたりに理由があるのではと解釈した。あのあざに漂う不穏さは、ゴジラの生命力の恐怖という意味のほかに、被爆の悲劇や、戦争や災害を生き延びた人に刻まれるトラウマをも思わせた。
そして、ゴジラもまた再生する。時代に応じてさまざまな形で暴れる姿を見せながら、半神ゴジラは70年という節目を超えてこれからも憧れと畏怖を集めつつ、人間の小ささや弱さを啓示し続けるのだ。
余談
航空技術の発展をテーマにした展示をしている福岡県朝倉郡筑前町の太刀洗平和記念館に、昨年7月から「震電」の実物大模型が登場した。東京の映像制作会社が製作したものを2200万円で購入したという。来館者からどういった経緯で作られたものか尋ねられても、館長はじめ関係者は詳細に関しては口をつぐんでいたそうだ。映画公開までネタバレがなかったようで、記念館の関係者の方たちも天晴れ。
VFXスペクタクルは上出来、人物描写が…。IMAX上映は非推奨
日本でVFXを駆使した映画を作るトップランナーの山崎貴監督が、特撮映画の金字塔であり世界的ブランドにもなった“ゴジラ”を遂に手がけるのだから、期待しないわけにはいかない。庵野秀明脚本・総監督+樋口真嗣監督・特技監督の「シン・ゴジラ」(2016)がデジタル全盛の時代に敢えて特撮っぽさを残したのに対し、VFX畑の山崎監督はどんなゴジラを描いてくれるのか、というのが最大の関心事。果たして、巨大怪獣ゴジラという自然の驚異と核兵器の恐怖を象徴するクリーチャーの造形のみならず、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズで培った昭和の街並みの再現、「永遠の0」「アルキメデスの大戦」で手がけた戦闘機や軍艦のバトルアクションなど、多様なシチュエーションでのリアルかつ迫力あるVFX演出は、山崎監督の集大成とも言うべき充実ぶりだった。もう一点、航空機マニアに喜ばれそうなのが、終戦後のごたごたで接収されずに残っていた試作段階の先尾翼機「震電」が整備されて飛行可能になり、終盤でゴジラと一騎打ちになる展開。VFXで命を吹き込まれた幻の名機が空を駆けるハイライトにも、山崎監督の好みとキャリアの蓄積が反映されたようで感慨深い。
「シン・ゴジラ」を含む過去のゴジラ映画の多くが“巨大怪獣vs.組織で戦う人間たち”という対立軸でストーリーを語ってきたのと差別化を図り、「ゴジラ-1.0」は元特攻隊員・敷島を主人公に配し、空襲で廃墟と化した東京で出会った女性と彼女が保護していた幼子の3人で疑似家族として暮らすサイドストーリーを描き、人間ドラマの要素にも重点を置いている。が、主演の神木隆之介をはじめ、吉岡秀隆、佐々木蔵之介らの演技に深みや重みが足りず、説明台詞も多いし、戦争で仲間を死なせた自責の念や戦後期の生活の苦しさ、超強力な怪獣に対峙する恐怖や不安などがごく表層的な描写に留まっている。役者の演技だけのせいではなく、脚本と演出の問題もあるだろう。スペクタクルが上出来なだけに、人間ドラマの軽さと安っぽさがなんとも惜しい。
最後に、内容とは直接関係ないが、IMAX上映について苦言を。自宅から比較的近いイオンシネマ系列のシアタス調布に今年できたIMAXスクリーンで鑑賞したのだが、スクリーンに投射されない部分の縁が、上下だけでなくどういうわけか左右にまでずっと残り続ける、いわゆる“額縁上映”になっていた(“ゴジラ 額縁上映”で検索するとすでに不満の声がたくさんヒットする)。「ゴジラ-1.0」の前はIMAXで洋画ばかり観ていたので知らなかったが、邦画のIMAX上映で去年あたりから指摘されていたようだ。おそらく東宝と開発元のIMAXコーポレーションの技術的な取り決めでそうなっているのだろうが、ブランドにあぐらをかいてぼったくり商売みたいなことをやっていると、IMAXそのものが映画ファンから見放されてしまうのではないか。これから「ゴジラ-1.0」を観に行く方にIMAX上映はおすすめできない。
人の素晴らしさ
"もう少し戦争が続けばよかったのに"と、山田…がいうと、おとなしい神木が…、
戦争の凄惨さを改めて感じました。ゴジラのエネルギーの源?は"核"?のようで、
ゴジラの恐怖は、核兵器?と?私たちの現実世界と切り離せませんでした。
怪獣映画と思って、早送りで観ては戻し、結局、全部観て良かったと思いました。
PS.リアリティや臨場感,戦艦の様子など、どうやって作っているのか?凄すぎ。
ゴジラの破壊力がリアルで、DVDでなく映画館で観ればと後悔したくらい。
過酷な状況でも)人間の心の素晴らしさを描いてもらえた素晴らしい作品。
能登地震や豪雨を思いながら、涙しました。ありがとう~。
久々、さっと書いたけれど文章が変ですみません。感想を残したいと思いました。
時代設定が意外だった
初期のゴジラの映画を知っている年代からするとこの映画の時代設定に興味が湧いた。
そんな中、浜辺美波さんが神木隆之介を路地裏に押しやるシーンが疑問満載だった。一緒に路地裏へ逃げ込めば良いものを無理やりな演出だった気がする。
案の定物語の終盤生きていた美波さんが登場した陳腐なストーリーになった。
ゴジラがねぇ、、
期待高かったんだけど、、
ウーンなんとも言えない。
役者さんとか、脚本とか色々軽く感じて、、
いや全てが、何か。
でも、これ役者さんのせいじゃないよね
うーん、脚本?配役?監督。
もう言えばキリがない程、突っ込み所満載で
何?ゴジラって立ち泳ぎしてたの?
学者の作戦要らなくない?
飛行機に釣られて、そこまで行くなら
最初から、やれば被害ないし、
脱出装置付きの飛行機あれば
作戦それで良くない?
子供残して、お金渡してお願いします。
自分の子供じゃないから?
あの爆風で生きてるって、それは無いでしょ。
しかも放射能の雨まで降って。
なんも無いんかい。
等など、言えばキリがない程
面白かったら気にならないのかもしれないですが
私はダメだった。
ゴジラが居て。後から全部話つけて、
都合よく進めて、、
私には色々雑にみえた。
CGシーンは素晴らしいと思うだけに残念。
慰霊であり、鎮魂であり、生き残ってしまった者たちの物語としてのゴジラの復活
原爆によって生み出された化け物が、なぜアメリカではなく、東京に敵意を抱くのか? 復興を遂げた日本を破壊しようとするのか?
日本人にとってゴジラはただの怪獣ではない。
台風、天変地異、疫病、戦争。
ゴジラは、様々なモチーフが埋め込まれた、複雑で奥深い存在なのだが、中でも初代ゴジラに色濃く投影されているのは、戦没者のメタファーである。
御霊信仰。天災や疫病を、怨みを持って死んだ者たちの怨霊のしわざと見なし、彼らを御霊とすることによって、鎮魂をはかろうとする日本古来からの信仰だ。平将門や菅原道真のような。
ゴジラは戦争で生き残った者たちの罪の意識(サバイバーズ・ギルド)が生み出した化け物でもある。
初代ゴジラがそういう話になっていて、そういう映画がヒットしたのは、作り手の側に、見ている側に、戦没者たちに詫びたい思いがあったからだ。
自分たちだけ生き残ってしまって申し訳ない。
幸せを手に入れて申し訳ない。
助けられなくて申し訳ない。
自分たちが幸せになればなるほど、罪の意識が募る。
故にゴジラは復興した東京を破壊する。
生き延びた人々を焼き尽くす。
これは映画の形を借りた慰霊だ。
ゴジラは贖罪なのだ。
「シン・ゴジラ」が初代ゴジラの現代版リメイクであるなら、
「G-1.0」は初代ゴジラに込められた思い、すなわちゴジラの根源に向かい合うことで生まれた、初代ゴジラそのものの再生とも言える作品になっている。
(「シン・ゴジラ」が東日本大震災のモチーフを大量に埋め込んだのは、大震災で亡くなった人たちへの慰霊に他ならない。ゴジラの根源には慰霊があり、無念の死を遂げた者たちの怒りを受け止める鎮魂の物語があるからだ。シリーズものとなった「ゴジラ」からはその要素は薄れていったが「シン・ゴジラ」はそれをすくい上げ、「G-1.0」も受け継いでいる)
主人公・敷島浩一(神木隆之介)は帰還兵だ。
自分が生き残ってしまったことへの罪の意識を拭い去ることが出来ず、幸せになることを拒絶し続ける。
自分みたいな人間は、特攻で死ぬべきだったんじゃないのか。
大戸島で死ぬべきは仲間達ではなく、自分だったんじゃないのか。
そんな悪夢に延々とうなされ続ける。
そこへゴジラが現れる。
ともに暮らしていた典子(浜辺美波)が自分をかばって死ぬ。
こんなことになるなら、夫婦になっておけばよかったんじゃないか。
そんな後悔がよぎる。
卑怯者の自分なんかが幸せになってはいけないというこだわりのせいで、結婚を避けたせいで、彼女は外に出ることを選び、それで死ぬハメになったのではないか。
そもそも自分が生きていなければ、典子は別の男と出会って、幸せになれたんじゃないか。
自分が特攻で死んでおけば。
大戸島で死んでおけば。
ぐんぐんと死に引きつけられていく浩一を、ギリギリのところで生に繋ぎ止めるのは、明子だ。
典子の残した子供だ。
血のつながりはない。
放っておけなくて助けた戦災孤児だ。
母を喪った明子を守るために、今の自分ができること。
それはゴジラを倒すことだ。
差し違えてでもゴジラを倒す。
それを止めるのは、大戸島で浩一に死においやろうとした橘宗作(青木崇高)だ。
かつて橘は浩一に、死ぬような任務を与えた。
そうしなければ全員が死ぬと考えたからだ。
恐怖に屈した浩一をかつての橘は責めた。お前のせいでみんなが死んだんだぞ、と。
その橘が、浩一が乗る戦闘機に「あるもの」を装備させる。
野田健治(吉岡秀隆)が言う。
この国は命を粗末にしすぎたと。
だから、みんなを守るための戦いにおいても、全員の生還を期さなくてはならない。
戦争で無念の死を遂げた者たちへの誓いは、自分も死ぬことではない。
二度とそういうことはしない、させないという決意であり、覚悟なのだ。
もちろん、人は死ぬ。
ゴジラは容赦なく人命を奪っていく。
だが、諦めない。
最後の最後まで生きることを諦めない。
浩一は最後にレバーを引く。
ゴジラを仕留めることを最後まで諦めず、その上で死なない道を選ぶ。
それは橘が浩一に生きろと言ったからだ。
突き詰めて言えば、浩一は橘に命を委ねたのだ。
橘が整備した戦闘機で飛ぶ。どこで死んでも償いだ。
だが橘はある装置を付けた。
死のうとするな、生きて戻れと。
最後の最後まで、戦争の清算だ。
大戸島で生き残ってしまった二人の心で、今もなお続いている戦争を終わらせるための戦いだ。
橘は浩一の生還を願い、浩一はそれに応える。
「G-1.0」はこれまでのどのゴジラよりも、日本人のための物語になっているのだが、アメリカにおいても大ヒットを飛ばした。
なぜならこれは「生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルド)」を描いた物語で、今もなお、ちょくちょくと戦争をするアメリカ人にとっては、80年前の物語などではなく、現代の物語になりうるからだ。
脳筋化が進み、文字通りのゴリラ路線となったハリウッドゴジラに対し、戦争帰還兵のドラマでアメリカ人を魅了した日本のゴジラ。
邦画ファンであれば「G-1.0」はそれまでの山崎監督作品の集大成であることがわかるはずだ。
戦艦描写に「アルキメデスの大戦」を。
情感描写に「三丁目の夕日」を。
他の作品を思い浮かべた人もいるだろう。アカデミー視覚効果賞の受賞理由は低予算高品質のVFXだったが、それもこれまでの白組諸作品の積み重ねがあったからだ(「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」みたいなのも全部含めてね!)。
丁寧な伏線、感情移入できるドラマ、必要最小限の構成、無駄がなく明確なストーリー。
「G-1.0」は、山崎映画の最高傑作であり、まごうことなきゴジラ映画の最高傑作である。
よく出来た人間ドラマだと思う
神木隆之介のキャスティングが成功したと思う。浜辺美波の出しゃばらない存在感も絶妙で、敗戦後のすべてを失った空気感を上手に表現できていたと思う。あくまでも空気感の話で、実際にどうだったかということではない。
空襲に焼け出され、明日の生活も想像できないような絶望の中、前を向いて生きて行かなければならない。そんな状況に、どこかよそ行きの神木隆之介。
特攻隊の生き残りは、逃げ出したということだ。
ゴジラに立ち向かうヒーローをこんな人物に託そうと思うだろうか?その発想力が凄い。
もちろんストーリー上の詰めも良く、すべてが寄せ集め。接収された巡洋艦を改修し、特攻に使われるはずだった試作機を修理し、しかも、因縁の整備士をわざわざ連れてくるあたり、最後の瞬間を想像させる。きっと脱出できるようにしてあるんだろうな。
時間の流れもギリギリ、ダレないで夜なべをすれば間に合うスケールで作戦が進行していく。
何回も涙をぬぐった。
よく出来た人間ドラマだったと思う。
CGとかSEが高く評価されたようだが、それ以前のプリプロが良かったから結果そうなっただけで、累々たる失敗作が出来ていなくて、この映画が出来ていることだと思う。
男達
ドラマパートが長くて、ゴジラ様の脅威があまり感じられなかったかな。
ゴジラが歩いてる横で実況とかしてるとか命を大事に!とかテーマってるのに頑張ってるな〜って。ピンポイント銀座。
もっとゴジラを見せてくれ!
ただ浮き輪に乗るゴジラはなんか可愛かった。
昔観たゴジラは怪獣作品の災害レベルMAXでもっと恐ろしかった気がするし「シン・ゴジラ」は別次元で特撮っぽく、指揮を取り合う女達がいるのも良かった。ゴジラの形態レベルもエンタメ性がありよくできてた。オタク心を擽りにくるスタイル。
まぁ、評価かなり分かれた作品だったけど。
戦時下という中での人間ドラマが安っぽく見えて、うーん…な個人の感想。台詞で説明されるストーリィ展開、理不尽感やご都合主義が多いのも逆にイラっと。主要人物だれも死なない、小僧も死亡フラグをぶち折ってくるし。
脇を固める俳優陣によってやっと成り立つ感じ。
まったく泣かなかった子供が、母の死を知った時と主人公が覚悟を決めた時だけ泣いたところとか良かったかな。
ゴジラの形状はなかなか良き。
あの綺麗な青い放射線攻撃をもっと観たかった、の星の数。
個人的に合わなかったというだけで、ごめんなさい。
パンパンなんて言葉はイマドキっ子は知らないよ。そこだけリアル。
あのゴジラのテーマソングは日本人のDNAに組み込まれていると思うよ
今も尚、海中にゴジラが眠っていると信じてる。
ハッピーエンドかと思いきや?
ゴジラ倒して浜辺美波も生きててハッピーエンド!かと思いきや、ゴジラは復活するし、浜辺美波の最後のシーンで首筋に何か黒いアザ?みたいなのがズズッと出てましたね。放射能のせいなのかな?
グロいシーンやエッチなシーンはなかった(人間がゴジラに食べられたり踏み潰されたりするくらい)ので、子供と見ても大丈夫です。
名作ではあるが……完成度の高い映像美の向こう側に置き去りにされたもの
白組による映像表現の数々は目を見張る。ハリウッドで評価されたのも頷ける。
この作品は間違いなく名作なのだろう。
ただし、怪獣映画としての部分だけを見れば。
本作の脚本は、言ってみれば人々の罪悪感や善意、義務感を人質にとったものだと思う。
第二次大戦という人類共通の徒花。
特攻兵という不条理と、それを臆病な嘘で回避した主人公。
義務感や使命感という、「誰かの尻ぬぐい」を言い換えたに過ぎないことで命を落とす人々。
心を動かすなと言われても不可能に近い、そういったノスタルジックで感傷的な、日本人のみならず多くの人間が抱くであろう、戦争や災害に対する根源的な恐怖を利用したのが、本作の脚本の特徴だ。
つまりは理不尽。
ゴジラという理不尽以外にも人間社会の抱える理不尽を利用し、人間の中にある感情を揺さぶる脚本だ。
それを体現したのが主人公であり、彼は正義や情けを貴びながらも、自分の抱える罪悪感……ほとんどは自業自得のそれに苦しみ、しかし、頼りになる仲間や力強く叱咤してくれる女性に奮起させられる。
これほど、ちっぽけな人間に都合の良い脚本があるだろうか?
彼は一時の勇気で活躍したと思った直後に、他人のより大きな勇気や思いやりによって救われることを繰り返す。
そればかりか、彼のせいで地獄を見たかつての戦友を徹底的に貶める手段でおびき出し協力させる姿は、唾棄すべき邪悪だ。それでも彼の行動は、何故か正当化されるし、周囲は彼を生かそうと手を差し伸べる。
まるで成長期の子供が親の庇護のもとでやんちゃを繰り返すかのようなこの主人公の姿は、世間の厳しさに疲れた人間にとっては、反感を抱きつつもどこか羨ましく感じさせるのではないだろうか。
平成ゴジラは別として、初代ゴジラやシン・ゴジラは、ゴジラという理不尽な超自然的存在に人類が成すすべなく蹂躙されつつも、個人の矜持や人間の社会性で乗り越え、あるいは教訓を残しつつもゴジラに去ってもらう、ある種の人間賛歌だ。
だが本作では、初代やシン・ゴジラが描いてきた「結果として人間が沢山死んだ」という婉曲表現を使わず、ゴジラによって直接的に人間がかみ殺されたり踏みつぶされたり投げ飛ばされたりと、徹底的に人間的尊厳を無視した死が描かれる。
ゴジラという社会的な災害=マクロの視点を、一人一人の無残な死というミクロな視点でもって徹底的に描いている。
これは、言ってみれば「社会的・世界的な悲劇」を「可哀そうな私」という個人の感傷に寄り添わせる為の演出であり、個人的には眉を顰めてしまう。
それはある種、悲劇や災害の矮小化であり、観た者に自分が主人公、あるいは犠牲者であるかのように錯覚させる毒だ。
等身大と言えば聞こえは良いが、私は本作の脚本の中に、「失敗続きの自分でも主人公になれる」という多くの人が抱える暗い欲望を刺激する要素を感じてやまない。
個人としてのヒーロー性を強調することは、ゴジラ=理不尽な災害や戦争のメタファーに立ち向かうシリーズとして相応しくない。どころか害悪だろう。
優れた誰かに仮託することでは、ゴジラに本当の意味で勝つことはできない。そういったメッセージを無価値にしたのが本作の物語だったと、私的には感じてしまった。
ゴジラ討伐作戦の説明会で、最後に残った人々が悲壮感ではなく勇猛感で決起するくだりに、そういった危うさが顕著に表れている。
ノスタルジーで理不尽に勝てるのなら、人間には知恵などいらないはずだ。
本作は全編にわたってそういった、最も大事なものに後ろ足で砂をかけるような気持ち悪さが横たわっており、私的にはゴジラ以上の理不尽に感じてしまった。
最後のシーン及び某人物の体に現れた異変についても、蛇足というか、冷笑的な気持ち悪さを感じてやまない。
期待はずれ
日本が世界に誇るゴジラという
ネームバリューも人気もあるコンテンツで
ありながら海外の映画祭で視覚効果賞しか
取れなかったのは何故かと思いながら鑑賞。
視覚効果に力を入れているのは映画を
観れば分かるが、演者の演技・細かい設定は
平均以下の印象を受けた。
所感を述べさせていただくと、
時代背景に合わない不自然なほどに白い歯、
服の生地、顔のメイクなど
戦後の日本というには無理があるかと。
また、無反動連射機関銃や0G飛行戦闘機など
ボケてるか本気なのか分からないシーンもあり、
この辺りは特に残念だった。
日本に俳優は数多くいるが、
役者がいない今の日本ではこれが限界かと
改めて邦画にガッカリする作品となりました。
なんとも抑揚がないというか、人間ドラマになっていない印象。 全体的...
なんとも抑揚がないというか、人間ドラマになっていない印象。
全体的にゴジラへの人々の恐怖感がリアルでなく、観ていて緊迫感が高まらない。
あの戦争の想いを背負ったことと、その帰結点としてさいごの脱出はいい話ではあるのだが。
あまり期待せずに視聴したが、それでも下回ってきた
ヒューマンストーリーを中心に作られたのはわかりましたが、そっちでもあまり楽しめなかった
設定や行動の裏付けがあまりにも稚拙で視聴中何度「何やってんだ、何いってんだこいつ」と何度も思った。
俺はパイロットじゃないから撃てない→なんで?整備士なのにわかってないの?
お前のせいでみんな死んだんだ→明らかにゴジラのせいだし最初に刺激したやつが悪い
このままでは東京にゴジラが→わかってんならお前らだけでも逃げろ
逃げ惑う群衆の中で一瞬見つけその後硬直→すごいけどなにしてん
銀座が崩壊→道中は?どうやって帰った?そもそもなんで東京?
軍は出せない→崩壊してるのに?米軍は艦破壊されてますよ?
駆逐艦は借りれた→は?????
民間のより集め撃退隊→資金は?
「この人じゃなきゃだめなんです!」→なんでだよ そしてなんで聞き入れてんだよ いつ来るかわかんねぇんだぞ
戦闘機で陽動→2万トンが浮くのか・・・
書けばキリないでが、演出の都合でのご都合展開が多すぎてため息でた
勢いもなければスピード感もないため演出やセリフ一つとっても違和感が多すぎる
しかもゴジラの出番短い 短いので恐怖を描写しきれてない
最近のゴジラでは一番酷いと感じた
役者の演技は上手く、ゴジラのフォルムもまぁまぁ良かったのでそこだけは良かった
見所は高速リジェネと溺れるかわいいゴジラだった
この上ないくらいの王道なゴジラ
先ず1つ言いますが私はゴジラが大好きで初代の1954年版が非常に好きです。ただ!それはそれとしてそれ以降の怪獣対決路線も無茶苦茶大好きです。
今作の良い所は山崎監督の怪獣愛・・・というか異形、もしくは超常的な物への愛情と監督作の定番の家族愛が見事にミックスされて超面白かった。
特に放射熱線を吐くシーンはどれも圧巻の映像で震電とゴジラの場面は日本映画界が今できる最高の戦闘機のシーンだと思います!
是非とも山崎監督には次のゴジラも撮ってほしい!!
なんならゴジラの逆襲の完全リメイクをしてほしい!
あの怪獣対決路線と1作目の路線が合わさってて以降の日本の怪獣映画では見なくなった中盤にアンギラスと戦ってゴジラが倒して、最後はゴジラと人間との戦いという黎明期ならではの構成を今一度吟味してやってほしい!!
シンゴジラの方が上
リアルな生活の中にゴジラが登場するのが怖さを引き立てるハズなのだが、ヒロインが電車の中で腕力で宙吊りになって貯水池に飛び込むシーン等はミッションインポッシブルのようで完全に蛇足。光線発射の際の背びれが出る演出もロボットのようで生物感に欠ける。シンゴジラの方が面白かったかな。
ゴジラをベースに人間ドラマを描いた作品
シン・ゴジラが災害のような恐怖を描いた作品としたら、
こちらはゴジラをベースに人間ドラマを描いた作品。
役者の演技はすばらしく、胸に秘めた悲痛さや人間臭さが綿密に且つ強く伝わってきた。
ただ残念なのは、背景やセットの安物感。そして展開のご都合主義感少し気になったかな。
また、駆逐作戦に参加する彼らのモチベーション理由が少し弱いと感じる。
終戦後の生活が困窮する中、ある種ボランティアで命をかける理由としてはやや説得力が乏しい。
まだ金のために作戦に参加するとかのほうが未来に繋ぐという部分でリアリティが感じられたかなな次第。
絶望からの絶望。更に絶望。それでも立ち向かう人々と仮初の勝利。
結論:面白かった。とんでもなく面白かった。山崎監督は良い場合は歴史に残るレベルの名作。ハズレ作だと歴史に残るレベルの駄作と当たりハズレが大きい監督であるが今作は大当たりの作品。
◯良かった点
・imax轟音上映で鑑賞したが選択が間違いではなかったと充実できるほどの迫力のサウンド。また、歴代のゴジラのテーマ曲が流れるなど選曲も素晴らしい。鑑賞後に即座にサウンドトラックを購入するほど楽曲の質も高かった。
・ゴジラVS何とかみたいな怪獣同士の非現実的な話ではなく、現実にゴジラが襲ってきたらどうする?しかも戦後の物資が少なく、国力が低下している時代に。と言う人間達が自力で(しかも自衛隊など無しで)どうにか立ち向かうと言うストーリー尚且つその人間模様に着目し、その心理描写が素晴らしかった。更に倒したと思ったらエンドロール後に実は⋯と生存を示唆するような描写により、絶望で終わると言うのもコンセプト通りの良い演出だった。
◯不満点
・これといって無し。世界に胸を張って進められる名作だと思う。
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