ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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まあゴジラは悪くない。それ以外は最悪。
冒頭の神木隆之介の演技から違和感があったが、浜辺美波や佐々木蔵之介など登場人物が増えていくにつれて、邦画特有の演技臭さやセリフの可笑しさが目立っていった。邦画界はいつになったらここら辺の演出のレベルが上がるのだろうか。
一方、ゴジラが銀座を蹂躙するシーンは爽快感があって楽しかった。電車が降ってくるシーンなんて最高だ、車掌の「うわー!」という叫びさえなければ。
首の。。。
ゴジラ生誕70周年、日本で製作された実写版ゴジラの30作目にあたる本作。
VFXの第一人者、山崎貴氏が監督・脚本を務める。
「ALWAYS 続 三丁目の夕日」の
冒頭でもゴジラ出て来ましたよね??
遂に、山崎ゴジラ降臨です!!
とは、書いていますが、実は、ゴジラ映画は庵野監督の「シン・ゴジラ」しか観た事がなく。。(たぶん)
そして、ゴジラよりも庵野作品が観たい!という動機だった。。
ゴジラより早くエヴァ撮っておくれよ!って気持ちの方が強かったあの頃w
でも楽しめましたけどね♪
なので、脱線しましたが、東宝が世界に誇るゴジラ先輩を、そもそもわかっていない素人で、申し訳ない( ; ; )
今回、予告もフライヤーもカッコ良かったので、ちゃんとゴジラを体験してみたくて行ってきました♪
終戦直後の東京にゴジラ出現!!
なんて、どんだけ悲惨なのよ泣 と思いましたが、敷島(神木君)の戦争はまだ終わっていなかった。
戦争で死ねず、トラウマに苦しみながら自分を恥じている敷島。
今度こそ逃げずに懺悔の気持ちで?
守るべき者のために?
死を選んでしまうのか?!
生きて、抗うのか?!
人間ドラマとしても骨太であり、ドラマチックでもありました。
敷島と、
水島(山田君)橘(青木さん)
野田(吉岡さん)秋津(蔵之介さん)の関係性も丁寧に描かれており、このチームでなければゴジラに立ち向かえなかったと思います。
ただ、
戦後から立ち直っていく人間を描き、ここに軸を置いている?からか、
ゴジラの出番がやや少なく感じてしまいました。
ゴジラは神々しく、迫力も充分だったので、もっと「破壊神」ぷりを観たかったです。
そして、ラスト前の、典子
(美波ちゃん)の首元のあざは被曝?!
でもあの凄まじい爆風に吹っ飛ばされても生きていた。。
片眼が隠されていたのも意味がある?!
もしかしたら、、、再生能力のある
ゴジラの影響で?!?!
などと、1人妄想が止まりません(°▽°)
ゴジラ初心者なので、、、
すません。
ゴジラはそ〜ゆうんじゃないから!
とか怒らないでください_:(´ཀ`)
あと、伊福部昭さんのテーマ曲がいいタイミングで流れるのがアガりました! ٩( ᐛ )و
ややつめが甘い箇所もありましたが、
初見でも理解できる作りだったし、
感情移入できるキャラがいるので、ゴジラ初心者でも楽しめると思います。
ラストは。。。
ゾクゾク♪私は良かったです♪
恐怖とやさしさ
感情を大きく揺さぶられ、非常に満足度の高い映画だった。
初めは、恐怖感が強かった。ゴジラに対する恐ろしさ、人が簡単に死んでいく恐ろしさ、人が他人のことを思いやれない戦争の恐ろしさ。
戦争が終了してからは、敷島が典子・あきこと暮らすようになり、心が温まるシーンが挟まれた。また、戦後処理の仕事に付き、秋津・野田・水島と出会い、そこでも人間の温かさを感じられた。
やさしい雰囲気を感じられたと思った直後、ゴジラが銀座に現れ、恐怖に突き落とされる。
恐怖とやさしさの間で心が何度も揺さぶられた。
学者:野田健治役の吉岡秀隆さんがとても好きになった。
吉岡さんの醸し出す優しい雰囲気が、新生丸隊の雰囲気を明るくし、場面を明るくしていたように思う。全体的な印象は優しいのだが、ゴジラ討伐の作戦会議の時などには、芯に持った熱い心が見えて、野田健治という人物に非常に惹かれた。
<なぜゴジラは沈むのか>
海神作戦において、ゴジラの周りに気泡を発生させることで海底深くまで沈めるが、その原理が分からなかったので調べてみた。
物体を海水に浮かせるためには、浮力という上向きの力を発生させる必要がある。浮力は、物体が押しのけた海水の量に応じて発生する。
物体の周りに気泡を発生させると、押しのけた海水の量が減ることになり、物体はより深く沈まなければ浮くことができなくなる。
一度完全に沈んでしまえば、物体が押しのける海水の量は一定になるため、物体は沈み続けることになる。
従って、気泡を発生させ続ければ、物体は沈み続ける。
(参照:名古屋市科学館 ぶくぶくタンク)
また、空気の泡に覆われた鉄球が水に沈むと、水の抵抗が激減するという研究もある。
(参照:Gigazin 空気の泡に覆われた鉄球が...)
ゴジラを深海へ一気に沈められたのは、浮力が小さくなるとともに、抵抗が激減したからであると考えられる。
泣けるとは
以前、痛い思いをしたので山崎監督の脚本ならびにVFX作品は観なくてもいいかと最初は思っていたが、ネタバレも含めて皆さんのレビューを見て一気に観たくなり劇場に足を運んだ。ストーリーや結末は既に知っていたが人間模様を含め感動出来たし楽しめた。今作でほぼ(たぶん全作)ゴジラ映画は観た事になるが人間関係に重点を置いた点を含め秀逸だったと思う。
是非ともこの続きは山崎監督に撮って貰いたい。
そうでないと監督も心残りではないだろうか。(このエンディングにした以上は監督に決着はつけて欲しい)
メッセージ性については一旦置いておくが、いづれにしても娯楽作品としては大変満足がいく作品だった。
シンゴジラが強すぎる
結局こうなることは分かっていたはず、
いくらいい出来でも、シンゴジラを越えることは絶対にない。ましてや同じシリーズ、顕著に作品の差が出てしまい、嫌でも比べてしまう。
その中でも今回のゴジラ−1.0はそれなりに頑張ったと思います。やっぱりゴジラというフォーマットがある限りある程度は面白くなるということがわかりました。伊福部昭のあの曲を流してゴジラに街を襲わせたらそりゃ面白くなります。
問題はその他!ゴジラの初登場シーンや逃げ惑う人々主要キャストたちの葛藤。
全てがシンゴジラの足元にも及んでいませんでした。なんなんでしょうね。−1.0の方が役者一人一人の演技の熱量が伝わってくるし、主人公の敷島の葛藤なんかどの世代が見ても共感しやすいものだと思う。
けれど、全然ダメ。これは監督の差だと思います。まずシナリオが今回の−1.0は台詞一つ一つが「臭い」。
船の乗組員の自己紹介シーンなんか鼻で笑ってしまいました。チョウさん、小僧、学者とかってガンバの冒険か!って笑笑 あとあれ、序盤の大戸島でのゴジラ初登場シーン。「多分、ゴジラってやつだと思います!」
は?なにそれ。さらっと登場させてゴジラだと思います?いやー山崎貴シナリオ下手くそすぎでしょ。
ここまで言うと山崎監督に失礼になるのは重々承知してるのですが、どうしてもあの天才庵野秀明と比較が生まれてしまうんです。
「ゴジラですか」
「こんな時に名前なんか、どうだっていいでしょ」
「まあ、米国にゆかりがあるならそれもいいじゃないか。名前はついていることが肝心だ」
「政府は非公式に、巨大不明生物をゴジラ、ゴジラと呼称すると言う談話を発表しました」
はい勝てません。むりです。完璧すぎますもん。
あと、ところどころスピルバーグ作品のオマージュが、見受けられました。ゴジラの初登場シーンなんかあれまんまT-REXですもんね。動きといい人の食い方と言い。あの機雷回収船もジョーズを意識してるんだと思います。そこら辺は割と観てて楽しかったんですけど。そういったところに助けを求めてもあの化け物庵野秀明の前では無力。
と言うわけで、僕は山崎貴含めこれからの日本の監督はゴジラ作らない方がいいと思います。絶対に比べられてどんなにいい作品作っても100パー勝てない。もうシンゴジラという名の最強の巨大不明生物が映画界に誕生してしまいした。
追伸 浜辺美波はあのまんま死んでた方が良かった
ゴジラのアニバーサリーを無駄にしないでほしい
ゴジラシリーズのファンです。
見ようかどうか迷っている人は、サブスクに来るのを待つことをオススメします。同じお金を払うのであればもっといい作品を見るべきです。
僕が一番感じたのは、「とにかくセリフと演出がダメ」ということでした。終始セリフや演出が陳腐で安っぽく素人レベルです。僕は冒頭5分で、「あ、駄作だな」と思うレベルでした。
ワダツミ作戦の会議のシーンで、元軍人達が団結するシーンなどは、セリフやノリがあまりに軽々しく、戦争経験者への配慮やリスペクトが全く感じられなかったのも非常にマイナスポイントです。舞台が戦後直後という点についても、服装や身の回りのものをそれっぽくしたセットで明らかに現代のノリや口調でドラマが繰り広げられており、時代背景の取材や作り込みが浅すぎると感じました。
ドラマパートが多いのは全く悪いことではないのですが、平成モスラ3部作や平成ガメラ3部作、仮面ライダークウガ、シンゴジラなど、いい特撮作品はドラマパートもとてもセンスがあり、出来がいいです。特撮作品のノウハウがない製作陣だったとしても、それ以外のドラマパートすらいいものが作れないのはいかがなものかと思います。
ゴジラ以外の怪獣も登場するなら怪獣バトルさえ面白ければ文句は無いのですが、そういう映画でも無いのだからドラマパートはきちんと作って欲しかったです。
一方、展開や基本的な起承転結は悪くないので、内容にガバガバなところはありますが、話自体はつまらなくはないです。
ゴジラのシーンはアメリカ版には劣りますが、迫力があり、ラストでゴジラを討伐するワダツミ作戦のシーンはよかったと思います。ただ、ガスでゴジラを沈めるならもう少し初代のオキシジェンデストロイヤーのシーンに寄せるなど、リスペクトは欲しかったなと思います。
主演の神木隆之介さんの演技はとても好印象で、ラストシーンで感動できたのは8割が神木さんの演技の力だと思います。
役者さん達はそれぞれの役に合っていたと思いますし、演出を別の方に担当してもらえていればもう少し良作に仕上がったと思います。
次回作を匂わせるラストでしたが、制作するのであれば製作陣の見直しをしていただきたいところです。
映像の迫力に痺れる
「シン・ゴジラ」とはまた違った意味で、ゴジラシリーズを新しいレベルに引き上げた作品ではないだろうか。
いわゆる着ぐるみゴジラからの脱却を狙った「シン・ゴジラ」は、それだけで新機軸だったわけだが、それでも庵野秀明と樋口真嗣の”特撮愛”は画面の端々に感じられる作品だった。それに比べると本作は温もりのある昔ながらの特撮という印象はほとんど感じさせない。完全にCG全盛のハリウッド版ゴジラを意識したかのような作りになっている。
VFXを手掛けるのは、本作で監督、脚本を務めた山崎貴が率いる白組。現在の邦画界ではトップレベルのVFXプロダクションであり、ゴジラの凶暴な造形、銀座の急襲シーンやクライマックスの討伐作戦の迫力は素晴らしい出来栄えである。また、冒頭の大戸島に現れたゴジラはまだ核実験の影響を受ける前の姿であり「ジュラシック・パーク」のような恐竜のような外見で新鮮だった。
時代設定を戦後直後にしたのも中々に上手いやり方だと思った。
「シン・ゴジラ」は東日本大震災を意識しながら国防という観点から”対ゴジラ”を描いた所が画期的な作品だった。もし現代にゴジラが現れたら?という空想科学的な面白さを詰め込み、これを超えられる現代を舞台にしたゴジラ映画は中々作りづらい状況になってしまった。であるならば、初代ゴジラよりも前の時代設定にすることでシリーズの新機軸を打ち出すというのは面白いアイディアである。
その結果、家族を失い、戦場のトラウマを引きづる市井の人々を主役にした大変暗く重苦しいドラマとなった。戦争の傷が癒えない日本に核実験の犠牲となった、ある意味で戦争の”影”を象徴したゴジラが襲い掛かる…というドラマは反戦メッセージを強く打ち出しており、ゴジラ第1作へのリスペクトも感じられる。
ただ、そうは言っても、戦後間もない頃の日本は武装解除をさせられているので武器をほとんど持っていない。どうやってゴジラの脅威に対抗するのかという所が問題になってくるのだが、そこを本作は武器ではなく人間の知恵と勇気で乗り切るという所で勝負している。ゴジラ第1作では”オキシジェンデストロイヤー”という兵器が登場してゴジラを葬り去ったが、本作ではそのような超兵器は出てこない。第1作をリスペクトしつつも、それとはまったく異なる方法で”対ゴジラ”を描いており、クライマックスを上手く盛り上げていると思った。
その一方で、本作は敷島と典子のささやかなロマンス、戦災孤児・明子を含めた疑似家族愛といった人間ドラマも描いている。戦後の貧しい日本に生きる人々の悲しみと苦しみ、助け合う姿がウェット感タップリに表現されている。
ただ、正直な所、こちらは人物描写にもう少し深みが欲しいと思った。余りにもご都合主義で小奇麗にまとめ過ぎという気がしてしまう。
これは演じるキャストにも問題があると思う。
敷島を演じる神木隆之介は戦場のPTSDに苦しんでいる割に全くやつれてないし、貧しさに喘ぐ戦後間もない頃に無精ひげすら生えてないという不自然さで、これではキャラクターとしてのリアリティがまったく感じられない。
それと、これは脚本の問題なのだが、ここでそのセリフは無い方が良いのに…と思う個所が幾つもあった。苦しい、悲しいと口に出して吐露するのは、観客にとっては確かに分かりやすいのかもしれないが、すべからく説明されてしまうと、かえって興を削がれてしまうものである。
クライマックスの展開も意外性が全く感じられない。これも前段で説明しすぎた結果であろう。
ラストのサプライズは賛否分かれそうな気がする。個人的には否定派なのだが、しかしこれに関しては別の見方をすれば大変不気味な終わり方という捉え方もできる。「シン・ゴジラ」のラストのように考察しがいがあるオチで、一概に全否定とは言い切れない面白さも感じた。
尚、出演者の中にはカメオ出演を含め意外な人が出ていて驚かされた。画面では確認できなかったが、「鉄コン筋クリート」を監督したマイケル・アリアスも出ていたそうである。彼はモンタージュ監修としてもクレジットされていた。
三丁目の夕陽の監督がゴジラ作るとこうなるのね
【ネタバレ有り】ゴジラ-1.0
三丁目の夕陽の監督がゴジラ作るとこうなるのか⁉️
NHKの朝ドラ(昭和初期の設定ね)が延々と続く(感じ)。
ゴジラが登場する雰囲気なんて微塵も無し。ところが急にNHK朝ドラが終了し場面転換‼️ゴジラが(なんとゴジラ誕生の大戸島で...)大暴れ。そして主人公ゴジラさんは足早に幕外に去る。NHK朝ドラが再開。三丁目の夕陽の舞台セットで恋愛ドラマが続く...。映画って、a:ほのぼのファミリー向け恋愛映画、b:手に汗握るSFとかアクションとかスペクタクルとかジャンル分けされてるやん。それが消化されずに時間を区切って混在して出入りする、なんともカオスな創作世界を過ごす観客の僕は。東宝はゴジラと云う巨大な知的財産を未来永劫に活用すべく①シンゴジラの、日本🇯🇵政府の圧倒的支援を受けた、中国🇨🇳や北朝鮮🇰🇵からの侵略に防衛の重要性を国民に啓蒙する...其れには大人も納得するリアリティ実現すべく圧倒的な機材物量投下路線以外をも選んだ。そう!第二の収益確保すべく②三丁目の夕陽の監督に、ほのぼのファミリー向け恋愛映画ゴジラの制作を依頼したんやろな。本家の①と若干リアリティと科学&物理学の考察には無理はあるが②の別のNHK朝ドラ好きそうな甘口カレー好き観客層向けと、二つの路線で延々とゴジラ資産が生き続ける感じ。①と②が並行して「続編」を出し続ける予感。
しかし、今回の②のエンディングは予想外に圧巻で、延々と続いた伏線を回収してはる。想像した普通の予定調和とちゃうかった。僕の目に👀うっすらと涙が浮かんだもん。
#ゴジラ-1.0 #ゴジラ #映画 #東宝
一番のゴジラ映画では無い!
ちょっとガッカリしました。
最高のゴジラ映画!とか言っている
方は関係者の方か、宣伝かな?と思って
しまいます。
ストーリーがつぎはぎでカット、カット
が軽く連続性が無い感じ。良い俳優の方々
の良さが活かされず不自然で浮いる感じ。
特撮内容も子供さん向き。
ゴジラが社会に関わる事を描こうとした
シンGのが自分はいいです。又観たくなるし。
北野たけしにゴジラ撮ってもらったら
面白いかも!
アトラクション化したエンタメゴジラ
突っ込みどころ多数ながら、『ゴジラ』映画、「怪獣映画」としてはよかった。
VFXで作り上げた迫力ある巨大生物の怖さを全面に打ち出しつつ、エンタメに全振りした作りは、一般へ浸透しやすいわかりやすさを有していて面白かった。
”感情や設定を全てセリフ説明”
”「ドラ泣き」的なお涙頂戴のご都合主義な展開”
”ファンタジーレベルのかっこつけ、美化”
”新旧様々な作品からのオマージュが随所にある”
”怪獣や船の大きさがわかりにくい”
”現代人の価値観であり、戦時下の教育や同調圧力の影響にある連中の発言に見えない”
などなど、山崎テイストは健在ではあるのですが。
それらを引いてもよかったですよ。
特に銀座の蹂躙具合がいい。
映画の生まれた原始状態が、馬が走ったり機関車が走って迫ってきたりの、「映像的万国吃驚ショー」だとしたら、アトラクション化した本作は「これはこれでありなんじゃないか」と思わせてくれるものでした。
『2』以降の『ジュラシックパーク』シリーズと同じような傾向だと思いました。
4DXなどに向いていると思います。
おそらく本作品については、受け取る側にとってこの「泣ける方程式」「脚本や設定の穴」「ご都合主義」が素直に楽しめるか(もしくは許容できるか)、それとも身の毛がよだつくらい嫌いかが、賛否の分水嶺のような気もしました。
私は、観終わって「あそこがおかしい」と突っ込みながらの友人との感想戦が楽しかったので、OKです。
ゴジラテーマ曲のタイミングが最高
VFXに限っては世界に誇れる映像の高品質さと今回は音響、音楽、が特に素晴らしかった。特にゴジラのテーマ曲をあのシーンに入れるなんて興奮がMAX!テンションが上がり抜群にカッコ良かったです。
ゴジラが登場し恐怖と絶望に落とし込む破壊シーンの迫力に圧巻し、それでも自国を守るために立ち上がるヒューマンドラマとしても目頭が熱くなった。
なんとなく違和感があったのは基本的に皆さん好きな俳優さんでしたが、敷島と水島のキャストは逆かなと。陽キャラの多い神木隆之介くんと生きることに悩む元特攻隊を山田裕貴くんの配役なら説得力があったのかもと。
ゴジラは逃がしてはくれない
子供の頃に初めてゴジラの第一作目を観た時は、トラウマになるほど怖かったことを覚えている。
あの一作目を超えるゴジラ映画にはまだお目にかかったことがないが、今回の作品は原点回帰というべきか、戦後の日本が舞台になっているということでかなり期待感があった。
終戦間際のある島に、特攻から逃れた敷島の操縦する零戦が不時着する。
そこで敷島は島の伝説となっているゴジラに襲撃される。
島には整備兵しかおらず、ゴジラに零戦から砲撃出来るのは敷島だけだった。
しかし恐怖のあまり敷島はゴジラを撃つことが出来ず、島の整備兵は橘ただ一人を残して全滅する。
敷島は戦場から逃げ出したという負い目を感じたまま帰国する。
空襲によって焼け野原になった東京で、敷島は成り行きから赤ん坊をつれた典子と共に生活することになる。
明子と名付けられた赤ん坊は戦災孤児であり、典子とは何の繋がりもないらしい。
やがて敷島は米軍が残した機雷の撤去作業の仕事に就き、典子と明子を養っていく。
少しずつ復興していく東京と、人並みの生活が出来るようになった敷島。
しかし敷島は夢の中でゴジラの陰に脅かされ続ける。
彼の中ではまだ戦争は終わらない。
やがてアメリカの核実験によって異常な変化を遂げたゴジラが再び彼の前に姿を現すことになる。
やはり初代ゴジラが恐ろしかったのは、ゴジラの出現と人間の死がしっかりと結び付いていたからだろう。
東京を焼き尽くすゴジラと犠牲者の姿が今でも鮮明に脳に焼き付いている。
今回のゴジラもやはり原点回帰というべきだろう、かなり恐ろしかった。
カメラのアングルも秀逸で、機雷を乗せた木製の船を追いかけるゴジラの姿はトラウマレベルだ。
そしてゴジラが暴れれば暴れるほど、確実に多くの人の命が奪われるのだということを痛感させられる。
復興した銀座の町をゴジラがあっという間に破壊する姿はショッキングだ。
典子は敷島を庇ってゴジラの熱線による爆風で吹き飛ばされる。
またしてもゴジラを前に何も出来ずに敷島は打ちのめされる。
彼は復讐のためではなく、明子の未来のためにゴジラと戦うために再び空を飛ぶ決心をする。
この映画のテーマは、とにかく生き延びることだ。
冒頭の敷島は生きるために特攻から逃げ出したのだが、いたるところで命を粗末にしたあの戦争に対する強い反発のメッセージを読み取ることが出来る。
ただあまりにも戦争色が強くなり過ぎて、かなりデリケートな作品になってしまったようにも感じた。
米軍がソ連との緊張状態もあり手助け出来ないという設定はリアリティがあるのかもしれないが、一国の滅亡の危機に政府ではなく民間の団体が立ち上がるというのはさすがに無理があるだろうと思った。
そしてゴジラとの決戦が、他国から侵略された時に国を守るために戦う日本人の姿と重なって見えてしまった。
もっとシンプルに町を蹂躙して焼き尽くすゴジラの恐怖を描いても良かったのではないか。
作品としてはとても面白かったが、ゴジラシリーズに思い入れがあるだけに色々と気になる場面があった。
ビルの屋上でレポーターがゴジラによって破壊される町の様子を実況し、やがてゴジラの餌食となる構図は初代ゴジラにも観られたが、あまりにもゴジラの動きに躍動感があり過ぎてコメディと紙一重だったように思う。
それはゴジラが咥える電車の車両に取り残された典子が手すりにぶら下がる場面もだ。
ひょっとしたらそれも狙いなのかもしれないが、ゴジラの動きはあまりダイナミック過ぎない方が恐怖感が滲み出ると思った。
そしてお馴染みの伊福部昭のテーマ曲も、今回の作品のテイストなら使わなくても良かったのではないかと感じた。
もちろんあのテーマ曲が流れればテンションは上がるのだが。
面白いものを作ろうという制作者の気迫が伝わってくるだけに、色々と惜しい作品だと思った。
登場人物を絶望に叩き落とすような展開が続く作品だが、最後は思わぬハッピーエンドが待っている。
と思わせておいて、やはりバッドエンドを予感させるカメラアングル。
そして続編を期待させるゴジラの復活。
やはりそう簡単にゴジラは逃がしてはくれない。
なるほど
SF超兵器無しで、
化物を駆除するお話
時代背景とゴジラを、
上手くミックスさせ、
なかなかの出来映え。
絶望・救い・悲しみありで、
かなり面白かった。
過去作のオマージュかな?って
シーンも所々にあった。
納得はするが、満足ではない。
備忘録的に、書く。
特攻を、自分の意思で回避するのはいいのだが、
目の前の整備兵を守らないのは、あり得ないと思ってしまう。なんかの破片で腕がやられて、引き金が引けない
くらいにしてほしかった。
銀座に、上陸するのはいいけど、どこ通って銀座なのか?
突然出会って、ビックリだぜ!
出会ってから、2人で逃げてもいいのに。
続く
なんで、⭐️4つ、かというと、ところどころ
えっ?と思う展開があり、そこで冷めてしまったのだ。
例えば、
安藤サクラの、敷島と対面場面に、なんか違和感がある。
自分は、家族失い、敷島家もみんな死に、
近所の知り合いの子供が戦争に行った。が、死んだと思っていた近所のガキが無事に帰って来たら、あんな言い方で責めるのか?
逆に喜ぶと思うんだけど。
お米をあげる優しさとのギャップに使ったとしか思えない。そこで、えっ?と思って少し冷めた。
あと、お金と通帳を置いて出て行った時の
手紙にも、えっ?となった。
「自分にもしなんかあったら、アキコをよろしくお願いします。コレは、少しでも生活に役立ててください。」
かなー?安藤とアキコ、両方に感謝の意味も込めて
置いていくものでは無いのか?
あと、敷島の家でみんなで集まった場面に、なんで
安藤一緒にいないんだよー!いないなら、
一言、いつもお世話になってるひとは、来れませんでしたって、言わせるぐらい、いないと不自然だ!と思う。
浜辺が、もしG細胞で、爆風から回復したのなら、
他にも助かって人たくさんいるはず。
だって肉片散らばってんだから。
そうすると、ゴジラゾンビだらけ。
日本人とゴジラのハーフがいっぱいで、
展開的に、純粋日本人と、ゴジラ日本人の共生
が、社会的問題になる。
なんか仮面ライダーブラック的展開もできそう。
ゴジラブラックだな。
ゴジラ日本人は、死なないから、火の鳥的展開も出来る。
是非、楽しい続編作ってほしい。
うまくまとまっているとは思うが・・・
なんというか、すべての項目において及第点を取りにいった優等生のような映画。
ケチをつけるところはないし、なんなら映像的には新鮮な迫力を感じるところもあったのだけど、どれだけ没入できたか、感動できたかという観点でいうと、商業映画としては非常に平凡なものだったと言わざるを得ない。
とかく比較の対象になるであろうシンゴジラは観客も当事者のひとりであるかのような錯覚を与える作りであったのに対し、本作では主人公の個人的な事情を中心に描いていて、しかもそこに共感できるような原体験を持つ人は現代日本には殆ど存在しないので、観客としての我々にとってはしょせん他人事であり絵空事と感じてしまうという、決定的な距離感の違いがあるように感じた。
ゴジラというコンテンツの本質をメタファーとしての災害であるとするならば、それを現代の視点で再構築しそのブランド力を高めることに寄与したのがシンゴジラであるのに対し、本作は秀作とはいえ、これまで培われてきたゴジラブランドの力にすがってこそ成立していると思う。
ウェーブを作る作品とそれに乗る作品、どちらがより優れた作品と評価されるべきであるかは明白である。
興行収入がどう転ぶかはともかくとして。
銀座のシーンだけ最高
もし自分が乗ってる電車がゴジラに咥えられたら、、みたいなおもしろさが映画のおもしろさだと私は思うんです。
もちろん人間のドラマのおもしろさも映画の醍醐味のひとつではありますが、台詞、演出、キャラクター、すべてに嫌悪感を抱きました。それは山崎貴作品全てに通じるところなので、私には徹底的に合わないのだと思います。
ゴジラの映画を観ると、私はいつも寂しくなります。ゴジラが負けるからです。
ゴジラが破壊の限りをつくす黙示録的な作品が死ぬ前に観れたらいいなと思います。
初見ゴジラに最適。主人公1人とゴジラに集中した焦点が素晴しい
シン・ゴジラとは対ではないものの全く違う場所にあるのがマイナスワン。
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてる」とするなら、シン・ゴジラは平成初期の会議室の話、マイナスワンは戦後の現場の話と言える。
また、怪獣バトルを突き詰めたゴジラとも違う。
よって、◯◯ゴジラが好きならこれも絶対に好きだ、とは互いに言い合えない点は留意すべきかもしれない。
内容の前に一つ特筆すべきは、数々の軍備が登場するのであるが、これらを賞賛することが難しいのはジブリ映画「風立ちぬ」でも然りである。これをどうやって魅力的に見せるかの苦心が「大戦直後の負けた日本」なのだ。ここで登場する軍備はゴジラを攻撃はするが「人を守る存在」であるが故に、ゴジラには申し訳ないが心から応援できパイロットをクールだと思える、その下地の有無は非常に重要な点だった。
さて、内容である。
ゴジラマイナスワンは、主人公の敷島浩一(神木隆之介)が特攻隊を生き残り戦後にフラッシュバックする戦中の苦しみと己を取り巻く好悪の人々、復興しようとする世の中と向き合う中で、ゴジラという脅威とも同時に強制的に向き合わされる物語である。
このゴジラが、人間ドラマの中では浮くのではないか? ゴジラはゴジラ、人間は人間と隔てた構成になるのではないか? がこの作品構造のポイントと言える。
では、いかにゴジラと人間ドラマの調和を保ち、ゴジラの出番も濃厚かつ充分にするか。
その問題を「戦争体験のある主人公がゴジラに向き合う」という構成で解決したのが最大に秀逸かつ魅力的だと個人的に思う。
ゴジラと戦う主人公には、葛藤や弱さ強さという物語に則した心情と違和感のない戦闘能力があり、主人公の精神面としてもゴジラの戦闘シーンとしても映えるパッションと迫力が画面にあるのである。
そして、その主人公とゴジラというストーリー軸を支えるのが、安定した実力と経験値を積みに積んだ貫禄ある俳優陣である。浜辺美波は話の要となるし、佐々木蔵之介や吉岡秀隆が主人公を固めるグループを形成しており物語の枠組みを作り上げているのである。
つまり、
ゴジラと人間ドラマ、それが違和感なく主人公もゴジラもどちらを鑑賞しに行っても満足ができる、そしてCGのクオリティが「浮いてしまって悪い意味の非日常」にならない、
そんなゴジラがあれば、ゴジラ初見にピッタリなのだ。
それを実現させたのが、ゴジラマイナスワンである。
そして、
ストーリー自体は戦後ということで反戦のメッセージでもあるが、
主人公の乗り越えるべき1つがゴジラなのであり、
彼とゴジラの決着にいたるまでの成長と一口に表すのもまた違う「あらゆる結実」に惹き込まれるーーそこには不滅にも思えるゴジラが不可欠である、この物語が素晴らしいのである。
最後に、
劇伴の秀逸さも述べたい。
ゴジラといえば、という複数の劇伴は必須であるものの昭和に作られた上に有名になりすぎていて、どこかシュールになりやすい。そこをシン・ゴジラも逆手に取っていた。
しかし、今回は恐怖感や静と動の絶妙な展開に落とし込んだ演出により、曲自体のアレンジは少ないのに興を削がない場面に適した劇伴に昇華していたのも見事であった。
勿論、知っている旋律である興奮もしっかり残して。
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