ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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ゴジラは良かった
ゴジラの映画なのに見終わると、なぜかモヤモヤする。その感覚はわかる山崎貴の映画を見終わると大抵こういう気持ちになる。しかし、今までゴジラ映画観てモヤモヤする事は無かった。たぶん、山崎貴作品の根底にある人間ドラマがやっぱり受け入れられないのだ。ゴジラと人間の戦うドラマは絶望から這い上がる人間讃歌である方が盛り上がるし、戦後落ちるとこまで落ちた後をさらに落とすことで、必死に生きている人たちという実感を与えようとしている。だが、この生きるのが難しい時代に生きている人間がみんないい人に見える。泥棒はいないし、人を騙してでも生きるとか、当たり前に存在するものがない、パンパンやって生きている人を蔑ろにしている、今の人の感性で作ったらマイナスから始めた意味が無い。戦後生きていく事が辛い描写はちゃんとあるべきだし、戦後の女が強く、強かだった事を扱ってない(昭和の肝っ玉母さんに近いものはあるが…やはり嘘くさい)現代の理屈とか、昭和は良かったみたいな思い出でキャラを作っている。困難な人間設定をしないで時代に向き合わず、適当なところで人間ドラマを作るから、内容が薄い、台詞も弱いし曖昧で、説明台詞が多い。わかりやすい映画は良い映画では無いという、悪いお手本だ。何より没入できない、あからさまに泣かせるような描写は良く無い。
しかし、ゴジラだけを見ると良いのだ日本でゴジラを作る時、特撮だけなのかと思ってたが、そんな事は無かった、このゴジラにはそれだけの力があった。日本のゴジラはこれからだって道を作ったことは素晴らしいと思う。でも次は他の人に作って欲しいな。
役者に関しては、上手い演技の人が多いので安定してたけど、いかんせん台詞が弱いので刺さらず何とも勿体無いと思う。
やはり、人の生き死にをちゃんと描けない人の映画はどうにも面白く無いですね。ラストは難しいもんですね、見る側も作り手も悩ませるか…
モヤモヤしながら次のゴジラへの期待感を膨らませつつ、楽しみにしたいと思う。
初ゴジラよかった!!
ゴジラ映画は初。序盤はジュラシックパークのような暴れぶりでしたが、東京に上陸したゴジラの迫力が圧巻で見入ってしまいました。
ゴジラ並みに生命力のある典子さん、応援の船といつの間にロープ繋いだんやろ?…いやいや!そんな細かいことは気にしない。それくらい面白かった。もう1回観に行きたい。
めちゃくちゃ余談ですが、前の人のニット帽が画面にチラチラ被って正座で鑑賞せざるを得なくなり。ゴジラに敬意を示してる人みたいになってた。映画館では帽子を脱いでほしいものです。
日本の底力を見せつけろ!恐怖(ゴジラ)に打ち勝て!希望を持て!
ゴジラ映画をはじめて見ました
なので入り込めたのかなぁと思いますが…
私は戦争を知らない世代で、教科書などでしか見た事の無い戦争の理不尽さや恐怖、絶望を、この映画は未知の生物が襲来する世界で表しており。私の中では怪獣映画は怪獣目線ぐらいから街を破壊しているのを見るというイメージだったので、あまりゴジラ映画に興味が無かったのですが今作を見てみて、人間側(日本人)が如何にして知恵を振り絞って手探り状態で巨大な敵に立ち向かって行くのか。
現実では核爆弾が落とされた日本がどの様にして限りある資源の中で懸命に生き延びてきたのかを想像してしまいまるで自分が戦後を体験する様でした。(実際はもっと悲惨だったと思いますが…)
話的にはハッピーエンド?で終わって良かったです
戦後の日本人は凄かったんだと感動しました🥹
何度でも観たくなる映画です
人間ドラマ
物語の先が読めて終う!結局、CGだけ・・・!毎日の『まんぷく』観た後だったので、時代設定も同じで「安藤サクラ」が「福子」に!そう、ゴジラの居る世界のアナザー・福子に!
それでもなお生きろ、生きて未来を切り拓け
怪獣映画の域を遥かに超えた極上の人間ドラマだった。歴代の邦画ゴジラ映画は、時代設定を公開時にしてきたが、本作は時代設定を現代とは真逆の、日本が焦土と化した太平洋戦争直後にし、歴代作品とは異なる切り口で現代に生きる我々に強い問題提起をしている。
本作の主人公は、元特攻隊員・敷島浩一(神木隆之介)。彼は、機体不良を理由に任務の遂行を逃れ、終戦を迎える。そして、東京で大石典子(浜辺美波)と出会い、一緒に暮らし始める。敷島は機雷除去という危険な仕事に就き、秋津(佐々木蔵之介)、野田(吉岡秀隆)、水島(山田裕貴)と知り合う。やがて、東京に巨大怪獣ゴジラが出現し銀座を破壊する。銀座で働き始めた典子も行方不明となる。ゴジラを倒すため、旧海軍主体の組織が結成される。野田が考案した作戦は失敗するが、単身、戦闘機に乗り込んだ敷島は、大胆な作戦を敢行する・・・。
敷島が戦闘機に乗り込んだ時、整備士の橘(青木崇高)が叫ぶ『生きろ』という台詞が心に刺さる。敷島だけでなく、平和を享受している我々を鼓舞している。どんな困難なことがあっても生きて乗り越えろ。そして未来を切り拓け。という檄である。
戦争に敗れ、身も心もボロボロの人々は、それでもなお、ゴジラに挑んでいく。何故か。ゴジラを倒すことが、今を生き、子孫を残し、やがて日本が再生する未来に繋がると信じているからである。玉砕では未来はない。故に、人々は知力を振り絞ってゴジラに挑んでいく。
神木隆之介が敷島の苦悩を目の表情で巧演している。永遠の0を彷彿とさせる。そんな敷島の苦悩を受け止める気丈で懸命な典子を浜辺美波が熱演している。二人の演技の相性が抜群で、本当の恋人、夫婦のようだ。
出番は少なくなったが、ゴジラは最強になった。正しく破壊神のごとき迫力。特に、背びれが次々に青白くなり放射線光を放つシーンは恐怖感すら覚える。
生きることを強く意識したラストシーンが清々しかった。本作に相応しい幕切れだった。
ゴジラを継ぐものとして非常に意欲的な作品
シンゴジラ、ハリウッド版ゴジラでハードル上がったなかで良作。
だいたいゴジラ見てるが、戦後すぐってどうなん?
現代でバリバリやってほしいなぁと予告編では思ってたけど、これもありっちゃありだな。
ないない尽くしの戦後日本でどうやって戦うのかみたいなところがあって面白かった。
■良かった点
初代オマージュや毎度の次回にも続けられる不穏なエンドとかゴジラを踏襲してる。
ゴジラの怖さがしっかり描けてた。(ただ、いつもより殺意マシマシなのはもうちょっと理由が欲しかった)
時代の雰囲気や兵器をうまく使えていた。
俳優陣の配役や演技が場面に合っていて良かった(近所のおばさんが一番名演だったなー)
■微妙だった点
主人公がシンジ君みたいなのはちょっとなー。特に一番最初の機銃を打たない理由がよくわからんかった。
ストーリーラインがちょっとわかりやすすぎたかなー。
ゴジラが不死身すぎて、いつもの不穏な終わり方するとすぐ出てきそうで後味が悪かった。
この映画は初代のゴジラに山崎監督の以前の作品の要素を加えたような作品でした。
『シン・ゴジラ』ではゴジラの動きが制限されていましたが、『ゴジラ-1.0』ではゴジラがかなりアクティブで、それが良かったです。
物語は『ゴジラ』の初代や『シン・ゴジラ』に近い雰囲気で、ゴジラが悪役の怪獣と対決する正義の味方ではなく、人間に敵対する怪物として描かれています。
時代設定は初代よりもやや古いですが、大まかには同じ感じでした。
自衛隊との対決は、着ぐるみ時代や『シン・ゴジラ』などでも見られるものであり、他の怪獣との対決もやり尽くされた印象がありました。
最近のハリウッド版では米軍との戦闘も描かれているため、被らないためには自衛隊が登場する前の終戦直後くらいしかないかもしれません。
もちろん、それ以前にもゴジラはいたかもしれませんが、ゴジラが水爆実験の放射能で爆発的に強くなったという設定があるため、その時代には難しいでしょう。
この時代は山崎監督が得意とする時代であり、『ALWAYS三丁目の夕日』や『永遠の0』、『アルキメデスの大戦』などを手がけているため、十分なノウハウがあり、映像の使いまわしも考えられます。
実際、この映画は初代のゴジラにそれらの要素を加えたような作品でした。
山崎監督の映像は他の監督のものとは異なります。
『シン・ゴジラ』と比較すると、その違いがよく分かります。
『シン・ゴジラ』でゴジラが動かないのは、動かすのが難しく手間がかかるからでしょうが、『ゴジラ-1.0』ではハリウッド映画並みに滑らかな動きで、比べても劣っているとは感じませんでした。
背景も現代ではなく、終戦直後のものであるため、制作は相当難しかったでしょう。
そして、この時期にゴジラ映画に取り組む勇気と自信も素晴らしいと思います。
ハリウッド版ゴジラや『シン・ゴジラ』などが存在するなか、ゴジラ映画に挑戦したい人はあまりいないと考えられます。
山崎監督の作品で一番好きなのは『寄生獣』ですが、あの時も同様の感覚がありました。
ジェームズ・キャメロンが権利を持っていたにもかかわらず取り組まなかったし、その後も他の監督はためらって手がけなかったのに、山崎監督が手を挙げて映像化し、あまりヒットはしなかったものの素晴らしい映画に仕上げました。
ただ、『ゴジラ-1.0』で少し残念だったのはキャストでしょうか?
おそらく山崎監督の他の作品も同様のタイプの俳優を使用していると思いますが、全体的に軽い雰囲気で、この映画には合わないような印象を受けました。
そのため、内容的には重厚なのに感情移入が難しいと感じました。
ハリウッド版ゴジラの渡辺謙さんのような、もう少ししっかりした印象の俳優を起用すれば、物語全体も引き締まり、人間ドラマも盛り上がったのではないかと思います。
ゴジラは怪獣映画じゃなかったのか?
完ぺきに近い特撮
円谷英二が見たら手をたたいて喜ぶだろう。特撮を特撮と解っていて楽しむ時代が終わった。ゴジラにバンバン大砲や機関銃を撃つシーンは迫力がありかってないほど素晴らしいし、震電が出てくるところはもう楽しくて。ゴジラを実況する記者が迫りくるゴジラにビルごと崩れ落ちるところや電車をゴジラが咥えるところは最初のゴジラへのオマージュだ。ドラマのシーンは終戦直後の混乱と不安な世情をかなり重要視して描いている。これまでこれほど人間側の状況が描かれたゴジラ映画はなかったのではないか。ゴジラに機雷を食わせて爆発させるのはジョーズだし、ゴジラの破壊光線の描写は巨神兵だし、過去の映画の面白いところが取り込まれている。ゴジラの吐く火は核爆発をイメージさせる。このような不景気な状況でもし大地震が起きたらどうなるのだという現在の日本の根底にある不安が共通に見て取れる。アルキメデスの大戦の海戦シーンのすばらしさはこの映画に生かされた。シンゴジラもそうだけど過去のゴジラと断絶したゴジラが登場した。
戦後、日本、ゼロから負へ
泥臭く王道を貫く大作。
戦後の日本を舞台に、零戦部隊として特攻隊から逃げ帰った主人公がゴジラとの戦争に臨む。
所謂クサい台詞回しや、超王道の展開を最後まで貫く事ができるゴジラというコンテンツの力は流石。
現実性などは見ないとしても、作戦の仕組みは面白みがあり、熱線の演出も気合が入っている。
ゴジラという唯一無二な存在へのリスペクトを感じるラストも良い。
ここまで力の入った邦画新作を観れる事に嬉く思う。
幸せを拒み続ける元特攻隊員を描く
ゴジラは怖いし、VFXも素晴らしかった。でも今回はそれらに劣らず人間ドラマが良かった。戦争による心の傷と後悔で、幸せを拒み続ける元特攻隊員のお話でした。彼が再生しようと立ち上がるたびにゴジラが立ちはだかり、さらに絶望へと追い込む。特攻で死に損ねた彼の選択とは…。
ゴジラを見るのは1984年版以来でした。84年版は当時でも約10年ぶりのゴジラ作品で原点回帰作。人類に破滅をもたらす脅威の存在でした。子ども心にものすごく怖かったのを覚えています。ただ、その後は怪獣映画全般に興味を持てず、ゴジラもモスラもガメラも素通りでした。今作は予告編に興味を惹かれましたが、山崎貴監督なので見なくていいや…という気持ちに…。だってゴジラは主人公の見た悪い夢でした~♪VRでした~♪なんてことになったら嫌じゃないですか(笑)。ところが映画.comの星は悪くないし、知人が口をそろえて「面白かった」「映画館で見たほうが良い」というのです。それで一転見ることに。
CG?VFX?すごい。ハリウッドに引けをとらない。キムタクヤマトでも「すごいな、日本も頑張ってるんだな」と思いましたが、今は輪をかけて進化してますね。ゴジラの波打つうろこ、機雷攻撃の後に再生する皮膚、熱線を放ったあとまだ口の周囲が燃えている表現。ゴジラはまさに生きている。動く災害なんだと。84年に見たあの恐ろしいゴジラの再来なんだと。すっかり夢中になりました。人類のために異星人だか怪獣と戦うぬるいゴジラなんかいらない。ずっと人類の脅威でいてほしい。恐ろしく、絶望的に強く手ごわくしぶとい。そんなゴジラ好きがです。
それから人間ドラマ部分。主人公は特攻隊員ですから、元から優秀なひとであったのでしょう。しかし作中では復員兵の一人にすぎません。戦争にゴジラに翻弄され、市井の一人。それでも生きていく。生きていかねばない難しさ、尊さ。死を賛美することはない。だけど死んでいった兵士たちをあざ笑うこともない。絶妙なバランスで命の大切さを説いた作品です。正直、震電の操縦をレクチャーするシーンで、その後の展開は読めてしまいましたが、予想が当たってこんなに嬉しかったことはありませんでした。
キムタクヤマトやヤマト復活編では、あたりまえのように特別攻撃が出てきて、「独身者の命ってそんなに軽いの?」「簡単に死を選べというの?」と幻滅したものですが、この作品は違います。山崎貴監督と言えば、元になった作品のファンをないがしろにする映画ばかり撮る…という印象があったのですが、これは素晴らしいの一言です。お勧めします。
個人メモ
X(旧Twitter)で、GIの姿が描かれない、歴史の捏造だ、何らかの政治的意図だ、陰謀だ…という意見が散見されましたが、主題はそこにないので詳しく描写しなかっただけだと思います。
バランス良い傑作
令和版は「死なない」
話題となっているため、つい見てしまった。
海上が多く描写される今回にふと「船弁慶」を思い浮かべる。
ゴジラは知盛の「怨霊」であり、相対する人々は頼朝であり弁慶では、と。
果たしてゴジラとは何だったのか。
先述したとおり源氏に敗れた平家の「怨霊」が閃いた時、主人公もその一部と体現していたように、敗戦後の日本に渦巻く負の情念を具現化したもの、心象風景ではないかと思っている。
それら鬱々としたものが街を、人の心覆い破壊、蹂躙しているのだとすれば「負けるな」と言わずにおれず、国が動くのではなく、民間の一人一人が立ち上がる(生活を取り戻す)のも的を射ていて、手に汗握って観ることができた。
さらにかつてのパターンであればカタルシスはブラックさながら犠牲が華。演歌よろしく「死」にあったわけだが、今回そうはなっていない。みごと時代に合わせた人権重視のホワイト仕様。しかしながら感動を呼ぶ締めくくりだ。
負けの美学に自分酔い。お涙頂戴で終わるのだろうと思っていたせいもあって、酔う事なく現実と正面から向き合い(ゴジラとの対決)なおかつ決着をつけて受け入れ次へ進む展開は日本の戦後エンタメではほぼ記憶になく、非常に驚かされた。
このマイナーチェンジは作り手が「戦争を知らない」せいもあるように思え、
しかしながらそれが引け目となることもなく、知らないがゆえ前向きに作られているようで、むしろ不思議な希望を感じている。
時代は変わってゆくのだなぁ、と。
もちろんVFXは見ごたえあり。
「男子のロマン」がふんだんに詰め込まれている気もするし、「シンゴジ」山崎版を思わせるようでニヤリも止まらない。
ただ最近、VFXの質がかなり上がってきているので、実写パートとのちぐはぐが気になった。なにしろゴジの破壊力、凄まじ過ぎなので実写シーンにもそれなりの風圧、砂塵、音圧等々、余波の生々しさが欲しかった。どうにもアッチとコッチで空間が断絶しているようで、臨場感に物足りなさを感じた。
ゴジラテーマソングの高揚感
主観性が強調されたゴジラ作品
〝類は友を呼ぶ〟とも言う。
「亡霊に取り憑かれること」は即ち「その者の体内時計が止まっている」ことに近しいと、ホラー研究者の文で読んだ記憶がある。
その意味において、「ゴジラ-1.0」の神木隆之介演じる主人公敷島の体内時計は、戦中のまま止まっている。
特攻作戦から生き残った敷島は、まるで亡霊のように幾度も、姿形を肥大させてゆく〝ゴジラ〟を目撃することとなる。
今作においての特徴は、怪獣映画としてゴジラを描いたことよりも、争いにおける科学競争の影で生まれてしまった怪獣(ゴジラ)というものを、とりわけ主人公個人における戦争の象徴として表現した点である。
よって従来の怪獣映画とは変わり、主人公の個人視点から描かれた、主観性の強調された映画であった。
その意味では解説台詞は多かったかもしれないが、作品意図として、主人公にとってのゴジラを描く分には必要だったことを思う。
特に画作りにおいても〝従来よりもゴジラが近く感じた〟との評を聞くと、そうした主観的視点の表現上においても成功していることを感じる。
脚本上の、モノローグのような、あえての〝分かりやすさ〟も、決して、登場人物たちの演出を損ねる方向には働いていないと感じた。
ラストのオチは好みを分けるかもしれないものの、映画で行いたいことの狙いが観た側としてとてもまとまっていた印象をもった。
怪獣と自分、といったレベルで、その人の象徴性として描くことのひとつの成功例なのではないかと思う。
〝類は友を呼ぶ〟ように続編もまた見てみたい。
その時「-2.0」になるのか、それとも他の「-1.0」になるのか、楽しみだ。
…と、思いつつ、体内時計を進めて生きるべきではあるのだ。
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