ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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ゴジラ−1.0とこれからのゴジラ映画
とても素晴らしい作品になっていると思います。迫りくるゴジラに対する恐怖感、濃密な人間ドラマ、精密なストーリーなど、どれも、モンスター・ヴァースの作品を凌ぐ程の凄い作品だと思います。東宝の大田圭二さんが発言した(最低でも2年に1本、できれば年1本のペースで途切れないようにゴジラ映画を公開していこうと、今、戦略を考えているところ)この言葉通り、再来年の2025年には、新たな日本のゴジラ映画を、それも怪獣バトルものの作品を製作して公開してほしいとそう思います。
おもんない!!
ゴジラを見にきたのに日常パートが長すぎる!!
のりこが死んだかも、という時に感情移入させるため?
だとしても長すぎた。すごく眠たかった。
ゴジラの暴れるシーン少なすぎる。
最後にのりこが生きていた、っていうのも最悪。
死んでたかも?みたいな描写の後にやっぱり生きていました、って出てくるのはご都合主義者の悪いところです。
安藤サクラ、いじわるばあさんかと思いきや、普通にいい人だった。
初ゴジラでした
ゴジラファン必見の作品
私はゴジラ映画というものを知ったのは小学校1年生の時でした。現在67歳ですからほぼゴジラ映画については鑑賞しております。
内容についてはすでにたくさんのレビューで掲載されておりますので省略いたしますが、私自身のゴジラ映画を見ての体験で恥ずかしいのですが、今から60年前は映画館は、入れ替え制度はなくて何回でも映画が見れる。家から5分の場所に映画館があったなど、小学生で一人で映画館に通った記憶がありました。ゴジラ映画で題名は忘れましたが、その日は3回も観てしまい、映画館に親から電話がかかってきてたいへん叱られた思い出があります。
そのくらい楽しい時間だったのでしょう。
それから60有余年が過ぎて、多くのゴジラ映画を観て、ある時は感動し、ある時はがっかりし、それでも何度も新しい作品のゴジラ映画を観ていました。
今回の映画を観ての感想ですが、なぜか涙が止まりませんでした。
自身の体験(結婚、子供の成長、孫の誕生、大きな病気で生死をさまよい復活)が映画の中の言葉だったり、映像だったり、とにかく響いたのでした。
今回は映画の感動をもう一度体験したくて
初めて入替制度で同じ日にもう一度映画を観ました。
それでもまだこの映画を観たいという気持ちがあふれています。
私にとってのゴジラ映画はモーツァルトやベートーヴェンやブラームスを演奏する時の畏敬の念と同じくらいの作品であり比較対象にならない世界で唯一の映画といえます。
この映画をつくっていただいたすべての関係者に感謝いたします。
「日本の勇者のやり直し」。ゴジラにかこつけた「なろう」的な敗残兵の復活再戦物語
1カ月ぶりくらいの映画鑑賞。
なんか言いづらいんだけど、
ぶっちゃけ『シン・ゴジラ』より全然面白かったわ(笑)。
ゴジラ自体は、ここぞというところ以外は言うほど出てこないのだが、
ドラマ・パートがそこそこ充実しているので、観ていて飽きがこない。
僕は『ALWAYS 三丁目の夕日』や、ドラ泣き必至といわれた『STAND BY ME ドラえもん』で、まるで泣けなかった人間なので、どうせ『ゴジラー1.0』も肌に合わないんだろうな、などと勝手に思いつつ観に行ったのだが、終盤はそれなりにうるっときたし、相応に最終決戦前の一連の展開にも感情移入することができた。
これなら、ふつうに人気が出るのもよくわかるや、と素直に思った次第。
まあ、山崎貴監督としては、本作は一応ゴジラ映画といいつつ、
思い切り『永遠の0』の「続編」的な位置づけなんだろうね。
死に損なった特攻兵。国を守れなかった海軍兵。
彼らのやり残した「戦争」の〈代替物〉を背負って、
ゴジラは海からやって来る。
ここでのゴジラは、単なる怪獣でもなければ、単なる災害や公害のメタファーでもない。
自分たちが結局は敗れたせいで(主人公にとっては敵前逃亡したせいで)本土進攻を許し、結果何百万という一般人を死なせることになった、「勝てなかった米軍」の亡霊なのだ。
ここで倒せれば、やり直せる。
ここで勝てれば、誇りを取り戻せる。
自分たちに全く咎のない形で、いきなり降りかかってきたゴジラという新たなる巨大な脅威。それは厄災でありながらも、敗残兵たちにとっては、実のところ「心の救世主」のような機能をも有している。
先の大戦は、ある意味、自業自得の敗戦でもあった。
しかし、ゴジラは違う。
アメリカさんの水爆実験で巨大化し怪物化した恐竜が、いきなり日本の首都を攻めてきて、罪なき民を鏖殺しようとしてくるのだ。
とてもわかりやすい敵。
ゴジラに立ち向かう過酷な試練。それは「チャンス」でもある。
次こそはやってやる。次こそは勝ってみせる。
作戦に成功すれば、負け犬として抱えていたわだかまりを、なんとなくすっきり解消することができそうな、あつらえたかのような「戯画化された復讐戦」。
それが今回の「ゴジラ」の正体だ。
要するに、この物語の本質は、「ゴジラ」に偽装された「なろう」に近いものだ。
『Reゼロ』や『悪役令嬢…』や『無職転生』と同様、「一度は弱さゆえに上手く果たせなかった使命」を「新たな意志と守るべき仲間の存在」によってパワーアップした結果、試行錯誤のすえ「もう一度やり直してみせる」までの過程を、カタルシスをもって描いた物語。
だからこそ、この物語は、観る者の心をたやすく感動させるわけだ。
僕は、この物語のそういう「都合の良さ」を決して否定しないし、バカにしない。
われわれ日本人は、先の大戦に負けて、プライドをズタズタにされた。
単に負けて、殺されて、占領軍に教唆される立場に貶められたからではない。
本土を守れなかったから。家族を守れなかったから。
頼りにしてくれた銃後の民の期待にこたえられなかったから。
その思いは、別に醜くもなければ、おかしくもない、いたってふつうの悔しさであり、一生心を責めさいなむ重荷に違いないし、その苦しみを軽減し「すっきり」させてくれるフィクションの枠組を特撮に求めるのもまた、別に間違っていない。
正直言うとこの映画、左派的なスタンスの人から見たらかなり「いらつく」内容なのではないかとも思う。こんなのが大ヒットしていることに、内心忸怩たるものがある「良識人」も結構隠れていそうな(実際、山崎貴は左派の毛嫌いする百田尚樹の善き解釈者でもある)。
ただ、思想云々はさておくとしても、そもそも戦後の特撮というのは、巨大な敵が日本を侵略しようと迫り来ては、善意の国家防衛隊と善意のヒーローがそれに立ち向かって、最終的には撃退するというお話を繰り返し繰り返しやってきたに過ぎないわけで、結局は、子供だましの着ぐるみの世界で、何度も何度も「アメリカに負けた悔しさを擬似的にはらしてきた」というのが「特撮の本質」でもあるのだ。
『レインボーマン』などは、まさにそういった思想性が極端な形であふれかえっていたぶん、地上波放送できなくなったりといった軋轢がいろいろ生じたのだと思うが、ウルトラマンにせよゴジラにせよ戦隊ものにせよ、多かれ少なかれ、特撮にはそういう側面がつきまとう。
「負けた戦争のやり直し」。
「敗戦国の憂さ晴らし」。
こういった特撮の持つとある側面を、敢えて真正面から「直視」して、誰にでもわかる形で表すために、山崎監督は、戦後すぐの時代背景を舞台立てに「ゴジラ」を作って見せたのかもしれない(監督本人は、一番日本の国防力が脆弱だった時代を舞台にとることで、民間人が自らの力で立ち向かうしかない状況を作ろうとしたと述べているが、本作で一番真摯に描かれているのは「生き残ってしまった兵隊」の抱える苦悩に他ならない)。
そう考えると、本作が「戦争映画」の延長として製作され、なおかつ「なろう」的、「仮想戦記」的、敗者復活的なご都合主義を兼ね備えているのは、むしろ特撮の本質と真正面から向き合った結果だとも言えるのではないか。
― ― ―
山崎監督と庵野監督の共通点を一つ挙げるとすると、
それは、浜辺美波ちゃんが好きで好きでしょうがないところだろう(笑)。
『シン・仮面ライダー』も、前半はほとんど浜辺ちゃんのコスプレイメージビデオみたいなつくりになっていたが、本作での山崎監督も、浜辺ちゃんへののめり込みようはなかなかにすさまじい。
NHK朝ドラの『らんまん』で、浜辺ちゃんが、異様に和装や古い洋装の似合う「昭和に映える」女優であることは改めて確認されたが、今回の浜辺ちゃんは野生児のようなボロから、割烹着姿、さらには原節子のような事務員姿まで、「昭和初期女優」のコスプレをいろいろさせられたうえ、乱暴な言葉づかいから上品な口調まで披露、その様々な魅力を全開で引き出してもらっている。
浜辺美波は東宝シンデレラの出身だから、東映の仮面ライダーのヒロインをやるよりは、東宝のゴジラのヒロインをやるほうがよほど筋が通っているし、なんならこの役は「宿命」とか「使命」のようなものだ。とはいえ、浜辺ちゃんが受けてくれて山崎監督は大喜びだったろう。
もう、浜辺ちゃんがとにかく可愛くて可愛くて、やれることは全部やらせたい感じ。
ズタボロの汚い浜辺ちゃんも、お母さん姿の浜辺ちゃんも、おぼこい新妻然とした浜辺ちゃんも、凛としたビジネスウーマン姿の浜辺ちゃんも、爆風で吹っ飛んでく『フォーガットン』のジュリアン・ムーアみたいな浜辺ちゃんも。
しかも途中、強烈な設定がぶっこまれて、こちらもぶっ飛んだ。
え? なに? 神木くんとは同棲してるのに
赤の他人のまま、身体は清い関係のままなんですって??
なんだよそれ??
僕たちの美波ちゃんは、お母さんだけど経産婦じゃない、
人妻っぽいけど、実は処女なんだよ、みたいな???
マジ、クッソキモいこと考えるな!!山崎貴。
マジ、クッソキモい!!
マジ、クッソキモいけど……、おれ、よーくわかるよ(笑)。
おれにはわかる、監督、あんたのその気持ちが! 祈りが!
女性から見たらきっとドン引きだろうが、個人的にはまさに神設定。
しっかし、よくこんな童貞の夢みたいなアホ設定押し通したなあ、……さすがだぜ、山崎貴。
歪んだ浜辺美波愛の所産(浜辺美波を穢したくない)を、神木君サイドに責任をなすりつけて(生きることに忌避感があってお嫁にもらってあげられない)正当化してみせるその手腕は、ほんとうに只者ではないとひたすら感服した次第。
ちなみに、一回目の「拒絶」シーンと対を成す、あの「頭挟みこみ」シーンのあと、たぶん事を成したんだよね、あの二人は? 違うのかな?
― ― ―
特撮映画、アクション映画としては、
まずは「本体をなかなか見せない」「出しても短時間しか出さない」という、「ゴジラ」の本道にひたすら則った作りを貫いていて、感心した。
と同時に、まずは「海」で見せて、「陸」で見せて、最後は「海」&「空」で見せるという形で、戦争映画の「三軍」を満遍なく配しているのも巧い。
最初は「島」で『ジュラシック・パーク』のパロディ、
お次は「海」で『ジョーズ』のパロディ、
メインは「銀座」で『旧ゴジラ』のリメイク、
終盤は「海&空」で『永遠の0』のやり直し、
と、既存の作品の王道的要素を巧みに盛り込んで、だれが見ても楽しめるパニック&バトル・ムーヴィーに仕上げているのも、山崎貴らしい職人芸だと思う。
とくに海でのシーンは、「熟練の船長に助手の若者、行動派の学者に銃の巧い主人公」という取り合わせといい、背びれを見せて迫って来るゴジラといい、鳥瞰ショットで船の下を横切るゴジラといい、口に機雷を噛ませる展開といい(元ネタではガスボンベ)、ほぼ『ジョーズ』そのまんまで、楽しく観させてもらった。
ゴジラのバトル要素では、「尻尾を使ったバック・スピン・アタック」が多用されていたのが印象的。その破壊力がまた抜群で、たしかにゴジラがあの体型で攻撃してくるなら、これしかないよなと思わせるリアリティがあった。
あと、ゴジラが熱線を吐くまでに、シャキーン、シャキーンと、放射能で輝きを増した背びれが飛び出してくる巨大合体ロボ的なギミックも、期待を高める手順としてはよくできていた。吐かれる熱線が、まさに原爆&水爆のアナロジーであることは明白で、ここでも「戦勝国アメリカの影」としてのゴジラ像という所期の設定が強調されていたように思う。
終盤の対ゴジラ作戦は、鳥瞰で船団の位置を示し、作戦の概要や各船の役割がヴィジブルで伝わってくるよう考えられていて、その手際のよい情報整理は、さすが『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』を撮った人だけのことはあると感心。
相模湾という「間近な深海」の使い方もなるほどと思わされるし、一見してオキシジェン・デストロイヤーへのオマージュだとわかる最終兵器の構造も、ジャンルファンに対するくすぐりがしっかりきいている。
特撮も、アメリカのビッグ・バジェットのSFXからすればお粗末かもしれないが、日本の予算規模で考えれば、とてもよく頑張っているのでは。少なくとも、観ていて「ちゃちい」気分にはならなかったし、長年VFX職人としてあらゆるジャンルの映画を引き受けてきた山崎貴の本領は、十分発揮されていたような。
― ― ―
とにかく、神木くんの演技は抜群だった。
すばらしいの一言。
彼の真に迫った演技のおかげで、ある意味「都合のよい」物語が、観客にそう思われることなく、すっと受け入れられていたとも言える。
似たような時代設定で、似たような貧乏暮らしを描いているのに、『らんまん』とはまるで異なる空気を作って来てて、さすがだなあ、と。
浜辺美波も、『シン・仮面ライダー』と較べればずいぶんと自然な演技をしていたと思う。
吉岡秀隆は、普段通りのキャラだが、だからこそ安心感があった。
佐々木蔵之介は、一番芝居がかった台詞をあてがわれていて(「恐れ入り谷の鬼子母神」とかw)若干「痛い」演技をやらされていたが、ともするとダークサイドに落ちがちな話を、うまく明るさのなかに引き上げる役割はきっちり果たしていた。
青木崇高に関しては、めちゃくちゃいい役をもらってて、ホント愛されてるなあと。
ちなみに、青木崇高がらみのネタも、浜辺美波がらみのネタも、100人観てて気づかない客は5人くらいのものだと思うが、「オチが予測できる」のもまた「安心感」の一種であって、決して悪いことではないだろう。
おそらくは大半の客が「こうなるだろう」と予測している辺りで、きちんと話をまとめて終われる能力もまた、一流のエンタメ作家の必須要件である。
あと、銀座のシーンで一瞬、橋爪功が映ったのはびっくりした。
他にも探せば隠しキャラが点在しているかも。
これもまた、今の時代のSNS対策の「撒き餌」ってやつですね、わかります。
つまらない
マイナスと言うダウングレード
シリーズが最骨頂やMAX 値を極めると
隣接してスケールダウンで濃厚な演出を温故他心するミクロ現象がある。
例えばガンダム等の18mサイズも肥大を競うスパロパの流れからミクロ化を狙ったものであり道具としての搭乗ロボは武器の名称を叫ばない、異次元な破壊力は持たない、弾切れ、燃料切れ、不良品、プロト型等およそスーパーでない魅力が満載の擬似ミリタリー展開で、かってのスーバーロボットを凌駕する温故知新である。
ウルトラマンで言えば
初期の飛行速度がマッハ5~7で有ったのに対しタロウ世代ではマッハ20と新進気鋭ぶりのMAX 値を弾き出すが、その後のレオはマッハ7の初期値を守備して温故知新を図るマクロ振り。
東宝怪獣ならバラゴンやゴロザウルスは身長がミニ尺で巨大感に意表を尽かしてある。
もっとも怪獣総進撃で
ゴジラと同じ場所に並んでしまってるが。。
つまりはマイナス1.0の作劇法は
シリーズのセオリーではある。
ところか、それゆえに不備が見つかる。
マイナス1.0はダウングレードゆえに
ゴジラのスーパー表現は抑えられていたか?
いや身長50mにミニ化した割に大した破壊力を発揮してた。
怪獣映画はスペクタクルではあるが
ダウングレードが抱えるジレンマであろう。
メーサー戦車やスーパーXも登場しない
VS シリーズ以前の世界観なら
背ビレの青い発光もニョッキニョキ出てくる描写も魅力的だがマイナス1.0なら安易に採用すべきでは無かったのでは?疑問だ。
あまりゴジラを強く描くと、
あの当時の非力な人間たちが勝て無いよ。分かるよね?
マイナス1.0なのだから
そんなに強いゴジラは矛盾とジレンマで破綻してしまう。
加えて腕がハッキリ人間の体型に近く生物感に乏しかったり
更に非力な作戦を気力で補うリスクは殉死であり、芹沢も小林も犠牲になった過去が有るのに
主人公夫婦は生存?その甘さが白ける。
いや本編に関しては陳腐な朝ドラ以下の
イマジナリラインも不明な淡々劇。
こんなのに90点ランクする人も好き好きだけど、この監督は大丈夫なのか。
最初からやり直せと言いたいが
こんなゴジラで評判が良いなんて
結構ハードル低いのかね?
色々言いましたが反面教師としては収穫有りました。
VFXの出来も悪くはないんだけど
前述通りの気になる点の数々。
これは課題かも知れず
諦めの見切りかも知れず。
シリーズはそうやつて追い求めて行くのでしょうね。
吉岡秀隆が倍賞千恵子に見えてしまった映画
洋画ファンの自分としては期待値ゼロで鑑賞に臨んだのだが思いのほか悪くはなく、それなりに楽しむ事ができた。自分が思い描くゴジラ映画は「シンゴジラ」よりもこっちだよなと思えるほどすんなり素直に楽しめた。
ただ確実にCGのクオリティに関しては邦画ならではの低いレベルを想定しておかないとなと覚悟していたのだが、意外にも違和感のないレベルに達しており、ビジュアル面ではなかなかいいものを観たなぁという印象。
複数の怪獣を出さずにゴジラ1匹のみで存在感を出したのもよかったが、口からのビーム発射までの背びれの変形ぶりはカッコいいし、ビームのとてつもない破壊力にも圧倒され、銀座の街並みを容赦なくぶっ壊していく様もいいパフォーマンスだなぁとゴジラの暴れっぷりには満足できるものがあった。それに加え絶妙なタイミングでお馴染みのテーマ曲が流れるあたりも盛り上げ方もうまいなぁと思った。
ドラマシーンに関してはこちらもほぼ期待していなかったが、もろもろ予想できてしまった展開はあったものの思ってたよりも退屈はしなかった。
主要キャラが誰1人として死ななかった部分に関しては若干のモヤモヤはあるものの、気になったのはラストの浜辺美波の首筋の模様は何を意味していたのか、続編への布石か、いろいろ想像させるのもいい感じだった。
全体としては久しく観ていなかった邦画がこれだけレベルアップしていたのは以外だなと思った。
これなら正々堂々とハリウッド版と肩を並べられると思うし、これはある種ハリウッド版に対してのアンサー作品というか本場の日本製ならこうやるぜ!というのを個人的にはとても感じた作品だった。
続編を作られるのかは不明だが、この感じで作ってくれるならまた劇場に観に行こうかなと思う気になった。
え??日本やるじゃん!!
ゴジラは子どもの頃にゴジラVSメカゴジラを確か観た記憶があるけど、内容ほぼ覚えてない。
そんな基礎知識なので、ほぼ初ゴジラと言っていい中
劇場で鑑賞。
え??意外と面白いやん!!
ゴジラ迫力すごいし!!
この、なにやってもゴジラには通用しない感が
この絶望感がいいやん!!!
どうやってこんなの倒すのー???!!
ワクワク!!
って感じで概ね満足でした!
邦画のCGっていうと、いつもなんかしらの違和感があったのですが、今作は全然なかった!!
海外の作品とも全然渡り合えるんじゃないかと思えるほど、よかったです!!
ゴジラの口から放射熱線がびゅーんと出て、辺り一面がどがーんとなる感じとかも、かなりアガりました!!
ただ!!!
ただですよ!!
絶賛7歳と2歳の子育てをしてる母の立場で観ちゃうとですね。
アキコの描き方が雑!!!!!
それがめっちゃ気になって、雑音になっちゃいました!
あのくらいの歳の子ならあんな様子にはならんのに!と思うシーンが多々。
多分お母さん経験ある人が観たら違和感ありまくりだと思います。
でも、今回は神木くんと浜辺美波にフォーカスしてるからしょうがないのかなー。
でもなー。って感じで少し残念でした。
でも、それを差し引いても、大健闘で
ゴジラのテーマが流れた時は
おー!!!やっぱりゴジラ面白いじゃん!!
ってなったので、概ね満足!!
続編あったら観たいです!!
というか、シンゴジラまだ観てないので、明日にでも観ようかなー!
自分の意思で生きるというメッセージを感じました
作品の中で随所に自分の意思をしっかり持ち、流されずに生きることを伝えているように感じました。
主人公は特攻命令の中でも特攻できず、時代的には非国民と言われてしまうが、自分の意思が強く持てる青年。
主人公に対して、死にたくないよなあ(みたいなこと)を言う役の人も、時代背景的には言っていい言葉ではなく、口に出せること自体、意思が強い人を表しているのかなと思いました。
ゴジラ撃墜作戦の決起集会のシーンで言うと、
今できることをやるしかないけど絶望の中にも打開策はある、ただ逃げてもいい、周りに流されなくていい、自分の意思で決めろ、
というメッセージが込められてるのかなと。
ゴジラを網羅しているわけでもなく、むしろ知識としては全然持ってないですが、楽しく見れました。
シン・ゴジラと比較しやすいかもですが、どちらも良さがあり、こっちのゴジラの方が無慈悲に感じましたが、共通してるのは科学の力は凄いなと笑
顔の左側は再生した痕のようなのもあり演出が細かい部分や、やっぱり死なないんかいという最後の裏切らない感。いやー、面白かったです。
敗戦国の意地!もう2度と負けたくない戦後の復興を懸けた日本国民とゴジラの戦い!
あれだけの化け物、怪獣ゴジラと戦おうと思うとどこか精神的に飛んでいないとできないと思う。
その戦える国、国民として戦後の日本、日本人に光を当てたのはまさにピッタリだと思う。
戦争の悲惨さをゴジラに重ねながらも、同じことはもう繰り返したくないと心から願い特攻する姿は感動した。
日本VSゴジラだが、シンゴジラと一番違うのは『国民の闘う心』が出来上がっていること。
命をかけて戦っていた人たちは強い。
ただ、最後の再生シーンに関しては、『この映画は確実にヒットする』という確信を持った制作サイドの思惑か。
いずれにしても、ゴジラ-2.0があっても私は映画館に足を運ぶだろう。
日本映画と怪獣映画の素晴らしい組み合わせ
今回の山崎貴監督は素晴らしい👍
今までのゴジラシリーズではなかった人間ストーリーを組み合わせ、VFXでゴジラの声、姿迫力満点だった!
冒頭のジュラシックパーク感も好きだし!
海でジョーズのようなシーン、ボロ船を大きいゴジラが迫ってくるシーンは本当に手に汗握る展開💦
半ばの銀座に光線を吐いてキノコ曇からの浜辺さん吹っ飛んでからの黒い雨…絶望の叫び🥲
その後の絶望から立ち向かっていく人々の姿もかっこいいし、神木隆之介さんと浜辺美波さんの演技が凄まじくいい👍
昭和にこんなのないよとかGHQはどうしたとかおっさんの大げさな演技が嫌だとかゴジラの表現など色々あるけど🙄
近年の日本最高傑作だと思う‼️
映画館でみないともったいない‼️
天災級
凄かった…。
神木氏が終始神がかってた。
もう災害としか呼びようのないゴジラ。目的も意図も明かされはしない。地球の覇権は人が掌握してるなんて事は全くなく…生物の頂点として君臨してた。
1作目へのオマージュも多かったと思う。
CGもえげつないのだけど、脚本が俺は好きだ。
キャラが背負う十字架が、終盤ゴジラに収束されていく様に胸が熱くなる。
冒頭、特攻隊でありながら命を捨てる覚悟が出来なかった敷島が、戦後の復興の中、ノリコやアキコと関わるようになり、命を賭ける動機が明確に出来上がる。彼にとってゴジラは「戦争の脅威」だったのだろう。
この筋が全くブレる事も揺らぐ事もなかった。
世界的スターのゴジラは脇役だ。
安藤さんの役所も味わい深い。
母であった彼女には、隣人を罵っても隣人の赤子を見捨てる理由がないのだ。もう無条件で抱き上げる。一回抱き上げたらずっと…手離す理由もない。
女性ってのは強いなぁと彼女を見て思う。彼女の手の届く範囲では、彼女に頭が上がらないように思う。
戦争帰りの人々の気概にも震えてしまう。
あの巨体を前に何が出来るというのだろうか?
でも立ち向かう。
一点の目的に突き進む。覚悟さえ決まれば迷う事などないのだ。日本のDNAを見てるかのようだ。
…最近、そのDNAは薄れがちだけど。
などなど、実に濃厚なヒューマンドラマが展開される。そして、今回のゴジラは見上げるアングルが多かったようにも思う。同時に足下のカットも印象的だった。
そんな事も含めて、人の視点ってのがドラマを織りなす上でも重要だったのだろうと思う。
当のゴジラは海面のカットがえげつなかったなぁ…。白組はホントにいい仕事をしたと感謝したい。
今作の造詣も素晴らしくて…なんだろ、見上げるばかりの存在で、意思も意図も不明で、言葉も通じず、無慈悲な破壊力を持ちつ神の如き存在で…崇めるのではなく、恐れ慄く方の。
人智の及ばぬ存在感であった。
いやあ…凄かった。
昨今、ハリウッドでもリメイクされるゴジラ。何故そうなったかの要素が全部詰まったゴジラだった。
ゴジラの体はしてなくても、ゴジラ程理不尽な事は多々起こる。それらを駆逐し乗り越える為に覚悟と信念は不可欠だ。相当しんどい。
けれども、生きていく限りその先にしか幸せも充足もない。今は負けても次は負けるな。
敷島に覚悟と信念が芽生えたように、自分達にも命を賭してまでやり遂げなきゃいけない理由が産まれるかもしないし、そうでなくても人は成長する。
「生きろ」その言葉は時に残酷ではあるけれど、前に進む限り逆転のチャンスは生まれ続ける。
そんな事を思った今回のゴジラだった。
残念感動怪獣ドラマ。スケールは小さくゴジラである必要はない映画
監督で不安に感じていた通りの、ゴジラである必要がない感動ドラマ
怪獣映画というわりにスケールはかなり小さく、
人間ドラマが中心に描かれていますが、
そこも後半が無理やりなので総じて残念な映画でした。
これまでのゴジラ映画では
ゴジラの生態など含めて、ゴジラが主役でしたが
今回はそういった部分への注目はほとんどなく、
放射能要素でさえろくに検討されません。
センサーを反応させるためだけに使われたようにしか感じず、
ゴジラという生き物へのリスペクトが全くなかったのかなと思います。
その結果、人間が主役で、ゴジラは舞台セットでしかなく、
別にゴジラ出なくてもこの映画は成立します。
海から現れた怪獣という要素しか使っていませんし、
行動理由についての推理もほぼなく、生きている感じがまったくしませんでした。
前半の人間ドラマ部分に時間を使いすぎて、
後半の銀座以降のゴジラ問題解決シーンも雑でつっこみどころしかなく、
最後のほうの展開はご都合主義かつ説明不足で全く盛り上がりません。
肝心の戦闘シーンもおもちゃ感が強く
予算が少なかったかもしれませんが、もう少し頑張ってほしかったです。
あえておもちゃみたいな演出にしたといわれればその通りかもしれませんが。
この監督の人間ドラマが見たい人は満足かもしれませんが、
ゴジラ映画としてはがっかりでした。
日本人VSゴジラ
本日、通常劇場で見てきました♪
意外と若い学生さんがグループ6人くらいで
見に来ていてビックリした。ゴジラ映画を
見に来てくれるんだって嬉しさがありました。
戦後、間も無いじゃなくて戦時中の
大戸島にゴジラが現れるシーンには
総スカンを食らわされました。
しかも、整備員を食べちゃうのって思ったら
口に加えてぶん投げれるって見せ方に人間なんか
不味くて食わねーよって感じが出てて面白かった✨
攻撃してきた輩には容赦無く襲い掛かるのは
動物的な本能なんだなって思いましたね。
まだサイズ感もそんなにデカく無くて
人間VSゴジラのファーストバトルに
相応しかった。
次にビキニ環礁の核実験があって、これで更に
デカくなって現れんだなと直ぐに勘付く。
やっぱりかーって納得した。
見せ方としてはこれで良い!
ゴジラが目撃されているのに米軍が
一才介入してこないでてめぇーでなんとかしろは
今のアメリカを見ていて同じだなと思いましたね。
イスラエルやウクライナも含めて
無責任な介入が世界を混沌に陥れて行く様は
正にゴジラと同じだ。
ビキニ環礁で勝手にゴジラをデカくした張本人が
被害無しに腹が立った。
次回作はアメリカを徹底的に破壊し尽くす
ゴジラを見たいね。
生前、宝田明が北朝鮮が核開発をしているから
ゴジラがあそこに行って踏み潰してくれないかって
米国のコミコンで言っていて、本当だよなって
思いました。
映画の話に戻るが海のシーンが見事だった!
機銃でバリバリ撃って機雷を爆発させて
倒そうとしたり
今の日本人が出来る限界みたいのもリアルだった。
ゴジラが泳ぎながら船を追ってくるのも素晴らしかった✨
ああいう演出はハリウッド版より良かったんじゃないかな♪
スゲェーなって興奮しました。
スピルバーグの「ジョーズ」のゴジラ版みたいな見せ方。
銀座に現れた進化ゴジラが容赦無く人間を
踏み潰して行く様は私がゴジラ映画で
1番見たかったシーンでした。
今までのは直ぐに避難させてしまって、
つまらなかった。
突然上陸してくるんだからこんなもんじゃ
無いだろと。
今回、それが網羅されていて素晴らしかった。
壊した建物の瓦礫毎、人類が吹っ飛ばされたり
建物から落ちたり怪獣の被害ってこれだろと。
物凄い恐怖と絶望感、嫌悪感が伝わってきた。
ドラマの部分の俳優陣の芝居も見事だった。
何としても生きようとする抵抗感と
使命感が良かった。
神木隆之介も良い芝居をする様になったなと。
小さい頃に妖怪と戦って次はゴジラかよって
本人も思ったんじゃないかな。
彼はff14のヒカセンで世界を救ってるから
白羽の矢が立ったんじゃ無いかなと
勝手に思ってます。私もヒカセンなんで😅
1作目のオマージュも見れて昔のを
思い出させてくれたし列車にぶら下がった
ヒロインは「キングコング」を思い出した♪
「美女と野獣」ならぬ「美女とゴジラ」だ。
ああいう演出は絶妙だった♪
無駄にヒロインが「キャー」なんて絶叫する
カットが無くてホッとした。
それを見せていたら嘘になっていただろう。
ゴジラの倒し方も人類が考え付く最低ラインで
リアリティーが有り素晴らしかった。
どうやったらあんなデカい化け物を倒せるのかは
科学的より物理学の方が現実的だよなって。
だが、自己再生能力がって所がゾッとする。
私的にはもっとゴジラを見たかった!
あと10分くらい入れても良かったかな。
次回作が楽しみになりましたね♪
怪獣は絶対に人類には倒せない!
だから怪獣王ゴジラなのだ。
という事で永遠の我らがゴジラに乾杯🍻
山崎監督を見直したという人多そう
「正直あんまりこの監督好きじゃない」って言うのは私1人じゃないだろう。それは分かる。
しかし今作は脱帽。いきなり暫定今年1位。
以下感想。
私が最もこの映画の重要性を認識したのは後半の、
「自由な意思によって命をかけて自国を守る人々」現れるシーンである。
これまでこのようなシーンを邦画で観た記憶がすぐに思い浮かばなかった。
アメリカ映画では「命をかけて家族や国を守るヒーローの物語」が散々描かれている。
理念で結束できるアメリカに対し、これまでどんなに羨ましいと思ったか。
しかし邦画にはそれほど多くない。
「命を犠牲にして何かを守るシーン」を観ると、まるで精神が分裂するように、釈然としないのである。しかしこれは精神的にも社会的にも分断が起こるように日本社会が作られてきたことに由来する。
戦後、我々の精神はねじれてしまった。
戦時中は軍部の命令よって、兵士の6割が餓死し、特攻によって多くの若者が死んだ。その作戦の無謀さについて軍部中枢の責任は重いと言わざるを得ない。
敗戦後はアメリカによって、ヒロシマ•ナガサキ、空襲による民間人犠牲者は「悪いのは日本なので仕方がない」と内に向けるように仕向けられた。対アジアでの加害者としての行為も常に重みを伴い、ときにその重圧に耐えきれず、それに対する反動が繰り返し起こっている。
主体の不在によって、我々は自分たちで自国の歴史を創ることができなかった。そのことが我々を困らせる。未だアメリカの属国であることの不自由さは無力感を生むのに十分である。
この映画では主人公以外の特攻隊員の心情は描かれていない。命令が降ったとき、死ぬ間際、どんな心情だったか、何を言葉に発したのかは分からない。(そこに触れていないのがこの映画の成功の要因の一つかもしれない)
しかし生き残った主人公は、死への強迫観念と生への執着の間で苦しむ。これは戦前と戦後の日本社会が持っている病でもある。
そこに山崎監督は救いを与える。
「死ぬべきではない。生きるべきだ」と。
軍部主導にせず、民間主導にしたのも、「自由意思」こそが新しい歴史の原点になり得ることを監督が理解しているからであろう。
そのような意味で、本作は日本が辿ることの出来なかった「もう一つの日本」を描く。
そしておそらく、これこそが私の観たかったものなのだ。
最後に、この映画のもう一つの成功要因は、ゴジラや街並みのリアリティもさることながら、ドラマが素晴らしいことだろう。俳優陣が見事。ノリコが銀座で働き始めることを告げるシーン、切なく涙が止まらなかった。彼女の生還は、「もう誰1人犠牲はいらない」というテーマに則していて、良い終幕である。
「昭和の群像」を描かせるなら山崎監督が上手いというのも納得。
まさか「ゴジラ」を観てここまで感動するとは。
以上、あまりの興奮にレビューすることにした。その後興奮が冷めてきたのでちょい編集。
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