ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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銀座にザ・ピーナッツとモスラ出現それ以外は満点!
映画館で3回鑑賞、昨日Amazonprimeで鑑賞。
ここまで人間ドラマ部分とゴジラが違和感なく繋がって描けたのが凄い!
シン・ゴジラでさえ最後は人間側は高みから指示を出すだけになっていたが、本作は人間とゴジラがちゃんと絡んでる!
ひとつの映画として成立しているのが凄い。
ただ、ゴジラのシーンはスピルバーグのパクリが多い。
大戸島はジュラシックパーク、海のシーンはほぼジョーズ!
でも、それがゴジラとしてちゃんとハマってるから凄い!
しかもゴジラがちゃんと怖い。
個人的に非常に残念なのは山崎映画全般に言える事だけど、キャラクターデザインが好みじゃない。
ゴジラの顔が正面から見ると人間臭い。特に海のシーンで顕著。
横から見ると口元が犬!
表皮も凝りすぎて複雑になりすぎ。
ゴジラのデザイン以上に問題なのはBGMの選択、これはかなりマイナスポイントです。
銀座のシーンで満を辞してゴジラのテーマが流れて鳥肌がたったと思ったら、突然モスラのテーマが流れて「えっ!なんで?」となり、脳裏にインファント島でモスラに向かってお祈りするザ・ピーナッツが浮かんで来て違和感ありまくり!
もう本当にそれが気になってしばらく映画に集中出来なくなった。
海神作戦のシーンも然りで、なんでここでコングのテーマ????
田中美央さんがコングに見えて困ったw
知らない人にとっては気にならないかも知れないが、この映画の観客の多くは昔からのマニアが多いと思うので、相当な違和感だったはず。
モスラもコングも居ないのにこの選曲はダメでしょ。
どうせなら、銀座のシーンは「三大怪獣 地球最大の決戦」の曲にしてほしかった。
これならバッチリハマってゴジラの恐怖感も増したと思う。
BGMは本当に大事ですよ。特に曲だけで映像やキャラクターがイメージできるものは慎重に選曲しないとこうなります。と言う良い例だと思います。できれば差し替えてほしい!
この2点がかなりのマイナス点でかなり残念だった。
それ以外は本当に良かった。
まとまりのよい優等生的ゴジラ
日本初のアカデミー賞視覚効果賞受賞作。
【ストーリー】
特攻隊パイロットの敷島は、機体に不調ありと着陸した大戸島の整備基地で、島民たちの口づてに伝承される怪物・呉爾羅(ゴジラ)に出くわして守備隊基地全滅を目のあたりにする。
戦後になってもその時の心理的外傷を引きずり、家族は空襲で死に絶え、敷島は生きる意味を見失っていた。
途方に暮れていたある日、焼け野原となった東京で出会った典子と、押しつけられた赤子の明子に転がりこまれ、自宅で擬似家族のような同居生活をすることに。
木造船での掃海作業の職にどうにかありついて、3人の生活はそこそこに豊かになるが、敷島にはどうしても2人が家族とは思えない。
だが2年後、ビキニ環礁の核実験に被曝して異常に巨大化したゴジラが、日本本土に上陸して破壊のかぎりを尽くす。
掃海艇でともに働いていた旧海軍技術士官の野田発案のゴジラ討伐作戦が立案され、説得のすえに敷島もパイロットとしての参加を承諾する。
その準備にあけくれるさなか、二度目のゴジラ上陸にまきこまれ、典子は行方不明となる。
まだ幼児の明子は、母親の典子がいなくなった事で精神的に不安定になり、敷島はゴジラ打倒への覚悟を決める。
制作費15億円以下の作品としては、破格のCGの出来としてアカデミー賞視覚効果賞を獲った当作。
艦艇や航空機、そしてゴジラの迫力だけはガチ。
ストーリーはラストへと一直線に進んで盛りあがる王道で、カット割りもそつのないエンタメ作品です。
一応フォローを入れておきますが、旧日本軍機にも脱出機構はありました。
宮崎駿監督の『風立ちぬ』でも、テストパイロットがくり返し脱出しているのを憶えてる方も多いはず。
ただ「生きて虜囚の辱めを受けず」という当時の思想を受け、尻の下に収められたパラシュートは、オムツがわりにされてたそうです。
『紅の豚』ポルコ・ロッソと同じ「ひねりこみ」の妙技で有名だった、旧海軍の零戦エース・坂井三郎さんの世界的ベストセラーとなった自著『大空のサムライ』で語られてました。
戦闘機の飛行中のおトイレ事情はくわしく説明しませんが、とにかく設計上パラシュートもあったけど現場の事情で使い物にならなかったということだけは、知っておいてほしいなあと。
ツッコミ
時代に合わない再生可能ゴジラ
ここまで来たか〜
結論から言うと、ほぼ満点の出来ですね。ファイナルウォーズから早20年、ゴジラの咆哮と共に特撮ゴジラがまた日本に帰ってきたね〜。キングギドラ登場で鳥肌立ってた自分が、ゴジラ砲の威力と迫力にまた鳥肌立ってました。ストーリーや昭和初期の設定、絵コンテ全てが大変素晴らしかった。ゴジラ誕生の流れが謎のままだったが、今更説明不要って事なのかな。キャストの演技もほぼ隙が無く、特に舐めてた浜辺美波さん、演技上手いんだね。ドラマとか観ない自分の中では、可愛いだけでしょ?と高を括っていたが、ほんと良かった。子役の咲笑ちゃんも頑張ったね。個人的には、ビルの上で中継してたアナウンサーの、昭和放送訛りの喋り方やイントネーションが凄く好きだった。昭和感出てたね〜笑
ほぼ満点の出来だが、やはり主役の神木隆之介君の素人演技とギミック感満載なゴジラの動きがちょっと残念だった。神木君は声優に集中しててね。ゴジラの動きは多分初期感を出す為のものだろうが、小さいゴジラの時のようなもう少し現代風な感じで良かったんじゃないかな。まぁ兎に角、浜辺美波さんのファンが一人増えた事だけは確かですわ笑
びっくりするほど薄っぺらい
オスカー獲得も納得!
私自身は怪獣ものの作品は普段殆ど観ないのですが、レビューがとても良く、オスカーも獲得したので、これは劇場でやってる間に行かねば!と思い遅ればせながら足を運んで来ました。
映像についてはもちろん、文句のつけようが無く、ハリウッドに比べると低予算ということだが全く気にならないというか、しっかり没入して恐怖を感じていた。
それだけでなく、人間模様を描いた脚本とそれを映す映像の組み合わせの絶妙な感じが、良かったのだと思う。とても良い作品を劇場で観れたという満足感に浸った。
正直なところ、映画予告CMを劇場で観た時には、気が進まなかった。戦後の銀座をゴジラが襲う!、、って。そこじゃなかったかも、この作品の魅力って。(CMは何を訴求するかがほんと大事)
初ゴジラ鑑賞者の感想
ゴジラは人災天災のメタファーだというのなら組織で立ち向かい(立ち向かってはいたが)倒して欲しかった。主人公の「僕の戦争が終わっていない」という解決したかしていないかの評価のしようがない個人的理由。自分じゃなく周囲の人の為の動機で動いてくれよ。結局1人でゴジラにとどめを刺すシナリオが腑に落ちない。全て主人公の為の茶番って感じ。浜辺美波は?子どもは?仲間は置いてけぼりか。1人で災害に立ち向かってどうすんねん。上手く行ったから良いものの‥もう相手ゴジラじゃなくてええやんってなった。
戦後のゴジラ
戦後でなにも無くなってしまった日本にゴジラが追い討ちをかける。それがゴジラ マイナス ワン
展開的には和製アルマゲドン
特攻隊だった主人公は逃げたきた自分と決別しゴジラに特攻する。死んだと思われた典子はG細胞で生きており再開を果たす。
ゴジラのテーマが絶望であり希望であり印象に残る。ゴジラの熱線の絶望感はすごい
芝居がかった演技がくどい
これはもう好みだと思うけど喜怒哀楽のリアクションがいちいち不自然にデカくて内容よりそっちが気になった。
驚いた時は目をひん剥いたり、悲しみに打ちひしがれているときは肩を落として目は虚ろだったりただただ神木隆之介が泣き叫び喚き散らすように思えて何というか半沢直樹みたいで歌舞伎チック、演劇チックで見るのが辛かった。
クライマックスとか伏線とか全然なくて「そうなるんだろうな」の展開がトップガンマーヴェリックの香ばしい感じを思わせる流れでした。
悪いのではなく自分がこのテイストを楽しめなくなっているんだと思いました。
ドライなシン・ゴジラの方が好きです。
但し特撮は評判通りというか全然安っぽくなくてCGゴリゴリでねっとり動くハリウッド版よりいい気さえした。
映画館で観て良かった
特撮モノは全く観ない派だけど、ストーリーも凄く良いと知人に勧められて鑑賞。知人の言う通りだった。途中で戦争と特攻隊を肯定する内容になるか不安になったが良い方に裏切られた。
そして特撮モノは観ない派の自分でも大迫力で時々美しいとさえ感じるゴジラに、これは映画館で観て大正解だったと思った。
長い人間ドラマパートなのに、セリフがメチャクチャ
ゴジラが100%「特撮映画」だと思って見ている人には関係ない話だけど、このゴジラ映画はけっこう人間ドラマのパートが長い。たぶん「シン・ゴジラ」より長い、たぶん。だからそこもしっかり表現してくれないとすごい違和感が残る。誰もが知っている現代が舞台でなく、80年近く昔の設定だ。しかもその頃にはすでに映画は存在し、その時代の人間がたとえ劇中であれ、どんな話し方をしていたかを見聞きしたことがある身としては、そこを疎かにされると、虚構が愚かな虚構にしか感じられない。
まず典子(浜辺美波)の言葉が現代風だったり昔風だったり、一体どの時代の人間なんだと思うぐらい奇妙だ。敷島との出会いも唐突なので、何だこいつと思うのが第一印象。典子と敷島はだいぶ長い間一緒に暮らしているのに夫婦関係にならないのは、いくら敷島に戦争のトラウマがあるにしても不自然だ。それほど敷島が人生に絶望しているなら、そばに住んでいるけど同居はしていない、たまに顔を見せる程度の関係にすればいいのに。まったく他人の疑似家族というテーマに監督はエクスタシーを感じているのかも。
向かいに住んでる澄子(安藤サクラ)の登場もあまりに配慮がない。いくら特攻隊とはいえ、帰還兵に対してあの言葉はひどすぎる。はい、「そのあといい人になります」フラグなのはわかっているが、東京(だけではないが)が焼け野が原になったのは特攻が死ななかったからという、おそらく当時の誰も考えなかったロジックをひねり出したのには恐れ入谷の鬼子母神だ。それだけでなく、この人、岡山か広島の出身であることが語尾で判明する!(笑
日本軍は解体されGHQの支配下にあり、民間で対処するしかない……っていってるけど、結局動いてるのは元軍人ていうのはありなんでしょうかね。強制じゃないからOKなのかな。ヤシオリ作戦にワダツミ作戦か。
謎の巨大生物の出現に対して外国の科学者は何の関心も持たなかったのでしょうかね。突然ここに外人が登場すると、60年代の東宝特撮映画みたいになっちゃうんで、困りますけどね。
ついでにゴジラについて思うことは、大胸筋が異様に発達した造形は不自然ではないか。大胸筋は大きいのに腕は細いというね、ところがね。ま、怪物なんで何でもありか。
最後に、この映画の中では余計なことをやってぶち壊しになっているところが何箇所かある。特に最後の方。それ、いらなかったんじゃないか?
きけ、わだつみの雄叫びを
本作におけるVFXが評価されアカデミー視覚効果賞を受賞した山崎貴と、『オッペンハイマー』ではじめてCGを使ってアカデミー主要7部門を独占したクリストファー・ノーランが対談していたが、なかなかエスプリの効いた組み合わせである。『Always三丁目の夕日』でも高度成長期の昭和をお得意のCGで見事に再現させて見せた山崎監督だけに、米軍の空襲により焦土と化した戦後まもない東京の姿は実にリアルなのである。
特攻の生き残りとして東京に戻った敷島(神木隆之介)は、そこで血のつながってない赤子を抱いた典子(浜辺美波)という女性と出会う。銀座の街もようやく活況を取り戻し、敷島ら3人の疑似親子生活も安定し始めたちょうどその頃、特攻機を不時着させた島で遭遇した怪物がさらに巨大化した姿となって東京に上陸。ゴジラの放った強烈な熱線により典子と生き別れた敷島は、不死身の巨大生物ゴジラへの復讐を誓うのだったが....
庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は、“ゴジラ”をまさに福島原発のメタファーとして描いていたが、山崎貴監督の“ゴジラ”はもっとエモーショナルな存在として登場する。嘘をついて特攻を回避した敷島は不時着した島でゴジラに襲われるが、運命の悪戯かまたもや生き残ってしまうのだ。その疚しさをして敷島に「俺の戦争がまだ終わっていない」と言わしめたのではないか。日露海戦で沈没を免れた軍艦と同じ名字(敷島)である点に我々は留意しなければならない。
戦後、海底から突如として日本に現れ上陸するゴジラとは一体何だったのだろう。GHQのメタファーかって?いやいやそうではないだろう。むしろその逆で、祖国日本のために勝てないと分かってながら太平洋戦争で命を落とした英霊たちの化身ではなかったのだろうか。死んでも死にきれなかった英霊たちの魂がゴジラを三度祖国に招き寄せたのではないだろうか。“生”の尊さを今一度日本人に思い出させるために。ゴジラ撃退作戦が“わだつみ”と名付けられ、海底に沈んでいくゴジラに元海軍の生き残りたちが最敬礼をした理由も、おそらくそこにあるのである。
これで、原発事故と敗戦という日本が経験した2大リアルを、ゴジラというSF世界のモンスターに結びつけた映画がともに成功したわけで、ノーラン監督の『オッペンハイマー』のように、今後しばらくは史実に基づいた映画作りが増えていくのではないだろうか。ミハイル・ハネケは、現実世界がより茶番化、劇場化していくことに危機感を募らせていたが、YouTubeがフィクション化して👍️を稼ごうとするならば、映画は逆によりリアルにリンクしていけばいいのである。
怪獣映画にエモーショナルなヒューマンドラマを入れたのは新しかった。
これはとてもよかった。
山崎貴監督作品はわかりやすさが最優先されており、誰がどこでなにをしているのか、というのが非常に明確だし、ストーリーがどのように進んでいくのかも明確だ。そして、観客が観たいものをそのまま出してくる。
このセンスはどこから来るのだろうか。
本作は、1945年から物語がはじまる。
特攻兵の敷島が零戦が故障したといつわって、小笠原諸島にある大戸島という守備隊基地に不時着する。
そして、その島にゴジラが現れる。敷島は零戦の機銃でゴジラを撃つように頼まれるが、怯えて撃てない。彼の目の前で整備兵たちが次々と殺されていく。
生き残った敷島は本土に戻る。彼は特攻から逃げ、ゴジラとの戦いからも仲間を見殺しにして逃げた。闇市で出会った女性と、彼女が連れていた赤ん坊を成り行きで養うことになり、ようやく生活が落ち着いてきたが、戦争のトラウマは抱えたままだ。そして、再びゴジラが現れる。
本作は敷島という兵士が自らのトラウマと対峙する物語だ。
怪獣映画であるゴジラに、ヒューマンドラマをからめたところが新しい。ゴジラが暴れるところを描きたくて撮るんだけど、観客を呼ぶためにヒューマンドラマをからめた、という感じだ。このやりかたはクリストファー・ノーランの「インターステラー」と同じだと思う。あの作品は、ハードSFをやりたいんだけど、それだと売れないからヒューマンドラマをからめたのだと思う。
なお、本作は主演の神木隆之介をはじめ、みんな大げさな演技をしていて嫌だったのだが、よくよく考えてみると、今は観客がyoutubeを観ているから、注目を集めるための演出に慣れているし、早送りで視聴したりするから、演技を過剰にしておかないと演出が伝わらないのだと気がついた。個人的には繊細な演技を観たいのだが、それでは売れないのだろう。
なお、ゴジラは原爆のメタファーだということになっているが、本作では冒頭で、島の言い伝えでゴジラという怪獣がいる、という話が出る。原爆は第二次世界戦の際にアメリカが作ったもので、本作は1945年からはじまる。なぜ、それ以前からゴジラの存在が知られているのだろう。ゴジラを見たものはいない、という設定であれば問題ないので、その旨を説明したほうがいい。
不思議なのは、日本人は原爆の恐怖について語り、映画「オッペンハイマー」に原爆投下のシーンがないと言って怒った。
では、なぜ原爆のメタファーであるゴジラが東京破壊すると喜ぶのだろうか。本作ではゴジラが熱線を吐くシーンは二回ある。一回目はキノコ雲と黒い雨が降ったので、山崎監督もそのつもりで演出しているのだろう。二回、という数字は広島と長崎を意識しているのだろう。
ゴジラを明確に原爆として描いているのは、本作が反戦映画だからだ。
世界で戦争が起こっており、核を意識した映画がやたらと世に出ていることからも、悪い意味で核がトレンドになっている。
この点では、本作も現代という時代を反映したものであり、制作の意味づけはここにあるのだと思う。つけくわえるなら、「国は守ってくれない」と市民が団結してゴジラに立ち向かうシーンがある(ノーランの「ダンケルク」っぽい展開になっていて、なぜこんなにリンクするのだろうとは思うが)。これも現在の政府に対する国民感情を反映しているのだろう。
話を戻すと、日本人がゴジラを観て喜ぶのは、これが反戦映画である以前に怪獣映画だからだ。それは言うまでもないのだが、だったら「オッペンハイマー」も、ひとりの物理学者の伝記として楽しめばいいではないかと思う。
製作費は15億~22億円。興行収入177億円とのこと。山崎監督の他のヒット作だと「STAND BY ME ドラえもん」(280億円)、「永遠の0」(120億円)と、過去作の中でもかなりのヒットと言える。
参考までに近い時期の話題作の世界での興行収入をピックアップしておくと、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」(2,000億円)、「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」(1,000億円)、「君たちはどう生きるか」(260億円)、「THE FIRST SLAM DUNK」(230億円)、「すずめの戸締まり」(200億円)といったところ。こうしてみるとわかりやすいだけではまだ足りないのかもしれない。
それにしても、個人的には本作のゴジラは動作はややぎこちない(コロッケの「ロボット五木ひろし」に似ている時がある)が、破壊のアクションや熱線放射のスタンバイに入る際のビジュアルなど、今までのゴジラで一番納得のいくものだった。そういう点でも山崎貴という監督のすごさを感じつつ、つくづく作家性が見えない人だなとも思う。
全2023件中、221~240件目を表示