「無垢に生まれし者は悲しい」M3GAN ミーガン アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)
無垢に生まれし者は悲しい
ホラータッチの近未来的な、現在話題(問題にも)なっている生成AIとも無縁ではないストーリー。
しかし、観ていて(観終わって)なんだかミーガンが可哀想に感じるのは、自身は「悪い事をしている」という認識のもとでの行動では無く、その動機には悪意が不在であることだろう。
身勝手な考えによる人間たちの都合によって創造され(生を受け?)て、それが“脅威”となれば勝手に処理されて廃棄される運命は悲しい存在である。
むしろ、本当の犠牲者はどっちなんだか、と思えてくる。
人間は動物に対してもそうですもんね、自身の勝手な理由で手に入れてたと思ったら、今度はまた自分勝手な都合で捨てたり、虐待したり、処分したり平気でやるのがいる。
ストーリー全体から考えると、結果、ミーガンの存在が(事件が)あってこそ、ケイティは成長を遂げ、本当の家族としての絆を得るに至った事は間違いなく、ある意味ミーガンの目的は(存在意義は)達成されたのかも知れない。
それにしては犠牲は大きすぎた、が、よく考えると犠牲になったの(実際に命を落とす結果になったの)は、自分本位な身勝手な人物だけじゃなかった?
ある意味「身辺整理」してくれたみたいな(笑)
因果応報というか、無垢な存在に負けたというか…..(!?)
ジェマおばさんにとってはキツーいお仕置き(戒め)となってしまいましたけどね。
まあ教訓としては、このような大ごとを引き起こす前に、自分たちの努力で何とかしましょうね、って事につきます。
日本の昔話の「兄妹」だったかの兄さんのように、憎まれ役の損な役回りなミーガンが不憫に思える結末でした。
ある意味「ブレード・ランナー」とも重なるような、レプリカント問題のもっとずっと近未来的な初期のケースとも。
なんか、古い楳図かずお氏の『ともだち』という漫画も思い出しちゃいましたね、ネタの元祖的に。顔がひん剥けたロボットとかの描写は『漂流教室』とかにもあり楳図ワールド感じます。
他にはウエス・クレイブンの『デッドリー・フレンド』なんかも。
映画的には、引きちぎられて上半身だけ部分の描写は『ターミネーター』的、声をコピーして欺くのは『ターミネーター2』的、機動マシーンみたいので対抗するのは『エイリアン2』的みたいな部分は単純に面白かったです。
続編のM3GAN 2.0 が2025年7月公開予定で進行中との事で、主演の二人と、同じ脚本家の続投が既に発表されています。
次作にはミーガンの次期型が『ターミネーター2』或いは『サラ・コナーズ・クロニクル』みたいに守護者に転じるとか、『スタートレック・TNG』のデータみたいになったりしないかなぁ、とか思い描たりしつつ待つとしましょうかね…..
(ただ、ラストで部屋のAIのランプが点灯したので、既にミーガンの意識はそちらに移行済みという展開かなと)。