零落のレビュー・感想・評価
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彼はホントに○○なの?
長期連載が終わり、理想とする作家像が強すぎて新作が手つかずスランプに陥る漫画家の話で斎藤工が不器用な人間像を表現していた。
漫画だけでなく、流行り廃りの入れ替わりが早いエンタメの世界の厳しさを痛感させられる内容だった。
なんだかちょっと共感できる。
彼は、理想を持ちながらも形に出来ない自分に対して酷く苦しんでいたようだ。
わかってもらえる人に届けば良い
というのは作家のエゴだろうか。
確かに、出版社も冒険作品にリスクを抱える余裕はない。
漫画を手にするのは結局バカしかいない、とどこかで嘆いているのか。
結局バカでもわかるもので量産されていくのがエンタメの基盤の支えなのか。
命を削って書こうが、購入層に響かなければ意味がない。
知名度がなければ刺さるかも知れない購入層に届かない。
大衆の迎合に流されることも
いっそ漫画家をやめる勇気もない。
ジレンマの中で彼は苦悩する。
吉沢悠演じる同級生が、子供がいる家庭の父親という主人公とは対比の役で出ていた。
せっかく褒めても不貞腐れるし、
近くにはいて欲しくないタイプかな。
でも、最後まで彼は終わっていないと思う。
救いは以下の3点。
・人を惹きつける画力はある
斜陽とはいえ、それなりに前列に置かれているので、やはり書店からも認められてるということ
新作が出たらそれなりに注目はされる。
・どんな風俗嬢でもきちんと受容れるところから、職業や立場から下に見たりしようとしない。
責任のない愛には興じることができる人間らしさ
・ブタクサ言いながらも、他人の漫画には目を通して、大衆ウケが何なのかをきちんと把握しようとする姿勢。
彼は、果たして化け物なのかしら?
私にはそうは思えなかった。
ちょっと深煎りすると面倒な作家気質ぐらい。
女アシスタントや、売れる売れないで手のひら返すような編集者のが余程化け物に思えた。
地方の、百円で並ぶ古本漫画事情などにも触れていて、都会だけのエンタメ消費では終わっていないところが良かった。
漫画に取り憑かれた漫画家
業(ごう)と言うか?
煩悩か?
売れたい欲か?
つまりは強欲だな!
まず陰々滅々たる前半と、
晴れ上がった空のような後半。
ガラリと変わる。
冒頭からの暗さ、
(でも題字が凄く良い字で、
(続くのピアノ曲がとてもセンス良い、
(などで、心掴まれる)
漫画家・深澤薫(斎藤工)は8年連載した漫画が完結した。
燃えカス状態なのに、早く次作に心を切り替えようと
焦るほど、心も身体も言うことをきかない。
書けないと悩む私小説作家みたいな漫画をはじめて知った。
《零落=れいらく=落ち目、か?》
書けない悩みに七転八倒する漫画家・深澤薫は、
心底やな奴、ムカつく男。
本音で接するのは飼い猫のミーと、風俗嬢だけ。
しかしこの男、根っからの屑ではない。
風俗嬢を低く見ない、むしろ自分の欠落を埋める天使として敬意を払う。
風俗嬢のちふゆ(趣里)とのシーンはロマンティックだ。
で、後半、
お気に入りの風俗嬢“ちふゆ“の郷里に付いて行くことになる。
ここからは自然が生き生きと描写され、
風景が明るくなる。
「旅先」「毛虫色の電車」「私服のちふゆは子供みたい」
「ちふゆの昔話・・・100円の漫画本を毎日買いに行く幼なじみ」
深澤も心を開放して“ちふゆ“との旅を楽しむ。
ちふゆを演じるのは趣里。
OTOCOTOを読んでいたら、浅野いにお描く
「歓楽街に佇む、ちふゆ」の絵が載っていた。
自販機の前に立つ“ちふゆ“
中学生みたいな猫顔の幼ない娘。ネオンの灯。店の看板。
インパクトのある絵。惹かれる。メッチャ絵上手い。
プロだ、上手いのは当たり前だな。
趣里そのまんま、
(なんでこんなに女は足が細くなきゃダメなの?)
(と、キレかかる。
(少女しか愛せないおっさんかよ‼️
(ちょっとムカつく。
(そういや、脚フェチ映像・・多かったな・・
やっぱ斎藤工がスゲー良かった。
自意識過剰!!自己顕示欲の塊‼️
ナルシスト‼️自分勝手!!
漫画家のヒエラルキーは売れる順番。
読者人気アンケート31位。
そりゃ担当からも馬鹿にされるわ!!
売れたもん勝ち!!
1年半書けなくて、流浪して、ちふゆの郷里でちふゆの秘密を知って、
とうとうか?やっとか?
活力が湧いて来る。
踏ん切りがつく。
《俺は俺だー》
多分そう思って開き直ったんだよ!
「感動しました、泣けました」
と、サイン会でファンが言う。
「はい、馬鹿でも泣けるように書きました」
この台詞、言ってみたいだろね!!
多くの漫画家や作家、脚本家・・・の皆さん!!
「馬鹿を舐めんじゃねーよ!!」
監督の竹中直人はこの「零落」に惚れ込んで、
「映画にするぞー」と突っ走ったそうだ。
その熱が伝わって来る。
原作者の浅野いにお。
どんな絵を描くかも、作品も殆ど知らなかった。
映画化された「うみべの女の子」は良かった。
けっこうアダルト。
作風はひねくれてる。
いいじゃん、
ラストのイメチェンした藤澤薫。
斎藤工はメガネとど派手な服に変えたら、
成り上がりの成金にしか見えない。
《零=ゼロ=から這い上がった男になっていた》
その分、さらに、ますます、嫌味な男。
そこんところは観客にも全然媚びてなくて、
潔い。
好感持てない徹底的に、やな奴!!
(しかし、猫顔の女=玉城ティナの言う【化け物】は、
(ちと大袈裟‼️
監督(竹中直人)
脚本(倉持裕)
音楽(志摩遼平)
撮影(柳田裕男)
文学的なこの作品の良さを語る文章力は
私には無い。
全部がとても良かった。
としか書けない。
主題歌がよかった
特に何も起こらないけど、主人公が少しだけ前進できるような日常を描いた話が好きなのですが、主人公が最後まで一貫して拗らせ続けてるのが、なんだかなぁ…って感じでした。
売れ線を作るのか、作りたい作品を作るのかっていう葛藤はきっと、作品の作り手側の人たちには結構刺さる内容なんだろうな。
でも、結局本当の自分なんて一言で言い表わせるものでもないし、いろんな側面を持ち合わせていて、アカリさんが思うような「漫画家深澤」も正しければ、元カノの言う「●●●●」な部分もあるし、深澤が思う「本当の自分」だって自分が当てはめた自分自身のラベルに過ぎないわけで。
それを察してくれって言われても、まー難しいよね。
まーそうは言っても求めてしまうのが人間のエゴなんだろうけど。
だからこそ、お互いよく知らない同士で、自分の都合よく解釈できるちふゆとの関係が魅力的に思えてしまったのかもしれない。
まーでも、ちふゆにはちふゆの生活があるし、その時深澤に惹かれていた部分はあったとしても、いつか新しい生活を始めた時に、いつまでも自分の過去を知ってる人と繋がっていたくはないよね。
うーん、ちふゆとのひとときや奥さんやネコとの別れを超えて、何かもう少し救いのある方向に向かってくれたら良かったなぁ…
ただ、主題歌はこの作品の世界観や主人公の雰囲気とめちゃくちゃマッチしててすごくよかったと思いました!
どよんとした気持ちで迎えたエンドロールでのドレミは結構沁みた。
やっぱりあの娘は・・・
玉城ティナでした。MEGUMIや趣里、山下リオたち女優が最高。斎藤工くんも滝とか家康とかチョイ役でなく、クズや悪役にきちんと取り組んでほしい。全編自虐的な所が凄くイイ、竹中直人監督の画造りにもイイね! オープニングの単行本パラパラは出来ません。ラストの浜辺の二人のシーンは要らないかな。
人間のきたない部分
あくまで個人的感想、考察です。
少しでも同じ感想を抱いた方がいると嬉しいです。
映画をそんなに見るほうではありませんが、非常におもしろく拝見しました。
人間のエゴや怠慢、傲慢、身勝手さ、そういったきたない部分が存分に描かれ、ハッピーエンドも特段ないのにも関わらず、満足感はある映画でした。
漫画家として没頭していた20代。
俗世との関わりがないがゆえに、主人公は他人との会話が下手である(空気が読めない、声が聞こえないときがある)ところや、流行がわからずそれを世間のせいにする(最新の漫画はおもしろくない)ところがあるようにみえた。
8年の連載が終わり、新作もすぐ着手できると踏んでいたが、中々できなかった。
その理由としては、アイデアは出るが、それは流行にマッチしていない(売れない)漫画になるとなんとなくわかっていたからだと思う。これまで周り見ず8年かけ抜けてきたが、ふと連載が終わり世間に触れたとき、彼自身は流行というものを分からないとしていたが、潜在的には理解していたように思う。今作は、この「潜在的」「つかめない不透明さ」がひとつキーワードであったと思う。
次第に主人公は焦りを感じ、遊びの延長だと言っていたSNSのコメントに焦燥感を覚えるシーンもあった。そんなとき”ちふゆ”との出会いがあった。ちふゆも主人公も、互いにどこかつかめないとこを感じるが、それがどこか心地よさもあり、次第に仲を深めていく。主人公にとってちふゆは「海」であったと感じた。今作、キーワードとして「水」もあったと思う。ちふゆに出会う前、何度か女子高生の映像もあったが、ひとつ印象的だったのは、ゲームセンターで女子高生を見たのち、傘の先端と床の接地面にできた(非常に小さいが)水たまりである。焦燥しきった彼はどこかやすらぎを求めていたが、女子高生は非常に小さな水たまりで支えるには値しなかった。しかし、ちふゆとのシーンでは度々「海」が出てきた。彼にとってちふゆは、海のように、世間を知らないばけものの自分をも包み込んでくれる存在だったのだろう。ちふゆ実家近くのラブホテルで事後、海に歩いていく主人公のシーンも印象的だった。
ただこの関係も長くは続かなかった。ちふゆが主人公の職を知ってしまったからである。漫画家=主人公の全てだった彼にとって、職を知られることは心地よかった不透明さが、全てさらけ出されてしまうのと同じである。
この後も特に明るいシーンはなかったが、ちふゆ(世間)との出会いは間違えなく彼を変えた。それは冨田が漫画をもってくるシーンで、素直にその内容をほめ、普通に会話ができているシーンで感じた。彼自身が中々掴めなかった世間を少しずつ理解しているように感じた(この後も冨田は相変わらずだったが笑)。またこれに加え、主人公は嫌いといいながらも売れてる漫画を度々読んでいたシーンがあった。つまり、流行を知ろうとする努力をしていたわけである。この結果最終的には、自分が書きたいものではないが、売れる漫画を書くことに成功する。
だから何かと言われればこれ以上のことは考察できなかったが、全体として主人公の世間を知っていく姿を人間みを含め描いていたこの作品はおもしろかったと思った。
とまあこんなことを書いてはいるが、作者に最後は「違うんだよ」と言われるかもしれない。
落
落ちぶれた漫画家の斎藤工が
めっちゃ良い
声が小さく、孤独、風俗に救いを求めて、妻に八つ当たり、モラハラ
最悪です
そんな役柄を上手く演じてます
漫画の8年連載の打ち上げの居酒屋で、話しているのに、スマホいじりながら聞く周りの対応が酷すぎる
友達にも、一線おかれて、漫画読んでもらえてない。
アシスタントの冨田さん山下リオさんとのバトルも凄い🔥
妻役のMEGUMIさん
ちふゆ役の趣里さん
とても役に入り込んでいて良かった。
編集者役のハナレグミの永積崇さんが映画に出ていて、めっちゃ驚いた。話してる声も素敵。
ゆんぼ役の方、好きだなぁキャラ。
ドレスコーズ志磨くん
ダメなインタビューさん
レコード盤買い
映画見る前に聴いてから鑑賞
零落
意味は、落ちぶれるとのこと。
劇中、主人公がどんどん落ちぶれていくというより、最初からわかりやすく落ちぶれた状態から話が進み、周囲の人との相対的な関係(位置関係?)が変わっていくのに抗っているのか、受け入れているのか分からない状態が描かれる。
理解(共感)出来るような、出来ないような…。
そして、最後に再び脚光を浴びることになるのだが、精神的には零落していて、どっちが良いのだろうこと?
そういうことを考えさせられる内容だった…。
難しい?
猫好きなのはわかったよ。
趣里さん目当てで観に行きました。
とにかく可愛かった。こんなに可愛かったっけこの人。
主人公も劇中のセリフで言ってたけど、まじ「その髪型似合ってるね♡」
こんな風俗嬢が来たらそりゃ惚れてまうやろ!
風俗嬢の源氏名が「ちふゆ」。
「ちはる」でもなく「ちなつ」でもなく「ちあき」でもない。
こういう感じの風俗嬢、実際いる。いや、いたなぁ…。
待ち合わせの場所に全速力でバタバタ走ってくるその走り方がいかにも運動音痴の子の走り方でこれまた可愛い。演技なのか自なのか…
地元で日産レパードTR-Xに乗って現れるちふゆが最高に渋かった。
お気に入りの嬢が辞めた後もひょっとしたらまた同じような子がいるんじゃないかとつい店に足を運んでしまう気持ちもわかるなぁ…
心が弱っているとただ生欲を満たすためではなく、自分の内面をさらけ出せる開放感と安堵感を求めてまた行ってしまう。
主人公がやっと動き出して二作目が売れてもまだ風俗に通ってしまうのは、あの空間が心地よくてだからタイプでない子が来ても快く受け入れ楽しむことができるほど心が寛容になった証拠だ。もう落ちぶれてはいない。
2時間がとても長く感じられ一体どんな結末で終わるのか想像しながらのなかなか見応えのある内容ではあったが、猫顔少女の「あなたは化け物」…ってなんやねんそのオチ!
最初は音声消してこちらに期待させた割りにはちょっと肩透かしな決めセリフ。
「あなたはビョーキ」ぐらい言って欲しい。
結局正式に離婚した妻は猫顔ではないのことは確かだ。
声が低すぎて「聞こえないのよ」ってボソって言う妻のセリフが笑えた。
サイン会での斎藤工の泣く演技、男前だけにもっと嗚咽して鼻水出して泣いて欲しかった…
エンドロール最後のシーン、やっぱり今もちふゆのことが忘れられないのかな。
業
才能ある者の栄光と挫折。
その浮き沈みの周りにある人間模様。
上り坂には褒め、おだて、巻きつき、下り坂には、遠巻きに眺め、貶し、外したままになる視線。
スケールは違えど範疇にうようよ存在する世界。
やりすごしていけるか、いけないか。
やりすごせなかった主人公深澤は、自分を甘やかす空気求めて彷徨い、元カノと同じ猫目のちふゆに出会う。
やさぐれていた深澤に、ピンク色に滲む非現実的な世界での出会いと故郷への逃避的な時間がもたらす一時の安らぎ。
かつて同志のようだった妻は旬の同業者との仕事で多忙を極め、もはや深澤にとっては拠り所でもない。それどころか、深澤をますます追い詰める存在。妻にそんな気はなくてもだ。
自家中毒みたいな破綻に耐えられなくなる深澤が妻に吐いた言葉が耳の奥にのこる。
それは浅くもどこかで経験したことのある感覚だと感じたから。
そしてそんなふうに思いを口にできる深澤に対して、ある種の羨ましさに似た感情も湧く。
スクリーンに映し出される人間の業がじんわりと晒す作者の内面にふれながら煙たさに苦さを混ぜ、いつかの誰かの記憶を呼び覚まし自分にもどってくるような作品。
ひたすら、落ちて
通常スクリーンで鑑賞。
原作マンガは未読。
自宅の近所のシネコンでも上映されていましたが、仕事終わりにちょっとだけ遠出して敢えてミニシアターへ…
柔らかな印象の映像の中で剥き出しになっていく感情が圧巻でした。一途な愛やエゴ、束の間の安らぎとそれでも満たされぬ心。演技巧者ばかりのキャスト陣の熱演が目を引きました。
斎藤工の気怠さを感じさせる演技から色気がだだ洩れ。深澤は斎藤工そのものなのではないかとさえ思えるくらい、役をモノにしている感じがとにかく素晴らしかったです。
趣里の存在感も抜群で、深澤との会話はまるで一編の詩の様な奥深さ。設定年齢からしたら大人びた言葉遣いと、普段の年齢相応な振る舞いとのスイッチングが見事でした。
とにかく主人公・深澤薫が落ちていく。ひたすら落ち続けていく。最後に人間が変わるわけでもなく、むしろ悪くなっていく一方で、終始深澤に嫌悪感を抱きっぱなしでした。
しかし、深澤に共感出来るところも確かにあって。マンガ家の性と業が剥き出しになり、虚無の荒野を彷徨う姿は、誰しもが一度や二度は抱く絶望やもどかしさそのものかもな、と…
ミドルエイジの苦悩と彷徨は、まだその年齢に達していない私には完全に理解出来るものではないかもしれないけれど、何かをやり遂げた後の喪失感は身に覚えがあります。
猫の目の元カノが深澤に突き付けた言葉は彼の核心を捉え、彼にトラウマを植え付けると共にマンガを創作する際の行動原理にもなっていると云うのが複雑で興味深かったです。
描けば描くほど他人も自分も傷つける。誰も自分のことを理解してくれない。自分を励ましてくれていたSNSのフォロワーの少女も、「バカでも分かる」ように描いたマンガに感動していたことに落胆し、流れ落ちる涙。袋小路にいる深澤が救われて欲しいと思わずにいられませんでした。
[余談]
趣里の出演している作品を観るのは初めてでしたが、ふとした表情や声音が伊藤蘭そっくりで驚きました。もしかしたら本人はあまり言われたくない事柄かもしれないけれど…
※修正(2024/03/13)
体温が高すぎる
予告を見た時点で察してはいたのですが、台詞の熱が強く、やたらと喚く。
原作では怒りすら失う手前の虚無感を感じ、それ故に感情が爆発するシーンが映えていたのに。
斎藤工は好きな役者だが、配役の段階でミスキャストだと思う。
顔も、声も、身体も、強すぎるんですよね。
(ヒゲすら剃らず、そのまま大学生やらせたのも謎)
MEGUMIに関しては、見た目はまだしもあのピンク髪はどういう意図だったのか。
趣里のビジュアルは完璧。
でも、ちふゆのミステリアスさは今一歩出し切れておらず、それはメイクや演出の部分でもある。
もし意図的であれば、玉城ティナをもっと印象的に撮ってほしかった。
冨田のウザさとアカリの妄信が一番よく描けていたと思う。
もちろんすべて原作通りである必要はないけど、全部が原作の“手前”で止まっている。
本作でじっくり描くべきは、官能シーンではなく心情の部分ではないだろうか。
結婚式を飲み屋に、パーティを編集部に変えたあたりも、本筋への影響はないが予算を抑える意図を感じてしまった。
主題歌も湿度が高すぎて、個人的には合ってないように感じる。
インタビューのくだりと、サイン会に元アシが並んでいたところは良かった。
映画の中で主人公の漫画(作品)が明確に示されないのがこの映画の致命的欠点なのでは?
(完全ネタバレですので、必ず鑑賞後にお読み下さい)
※原作は未読です
期待して見たのですが、個人的にはダメな作品になってしまいました。
その要因は以下3点だったと思われます。
ダメな要因の1点目は、主人公の深澤薫(斎藤工さん)がどのような表現の漫画を理想として描いていたのかがほとんど示されない点だと思われました。
主人公の深澤薫は、かつては人気があり売れていましたが、最近はその人気に限りが出てきた漫画家とこの映画で描かれています。
そして深澤薫は、流行を追ったり売れることを求める(売れている)漫画を毛嫌いしています。
しかし、では深澤薫が表現したい作品(漫画)はどのようなものだったのか?
それが示されないまま映画は進行するので、深澤薫の主張(≒映画)の中身が空洞のままこの映画はラストまで進んでしまったと思われました。
ダメな要因の2点目は、では主人公の深澤薫が否定していた、流行や売れている(だけ?)の作品は具体的にどのようなものなのか、それもほぼ示されていないところです。
流行や売れている(だけ?)の作品は、深澤薫の長年のアシスタントだった冨田奈央(山下リオさん)が描いた漫画によって、深澤薫がその作品を読む場面で少しだけ示されます。
しかし、その編集者が求めるプロットに従った(流行や売れることを求めた)冨田奈央の漫画も、深澤薫は読んだ時に褒めていますし、その漫画を通して流行や売れることを求めた作品とは何なのかまでは、明確には観客には伝わりません。
つまり、流行や売れることを求めた作品とは何なのかが明確にされないので、逆にここから対比的に主人公の深澤薫が求める理想の作品がどのような表現なのかも分からないのです。
ダメな要因の3点目は、主人公の深澤薫の周りの仕事関係での人物を、深澤薫のおかしさを際立させる為に、逆に極端に描いていたところです。
例えば、深澤薫の8年の連載終了後の打ち上げで携帯電話をいじり続ける編集者たち。
深澤薫の作品をまともに読まないままで取材しに来ているライター。
深澤薫がきちんとアシスタントの休職中のことも配慮しているのに、エキセントリックに「仕事を舐めないで下さい!」と深澤薫に激高するアシスタントの冨田奈央。
一般常識的にはあり得ない人物のオンパレードです。
もちろんどれもが実際に存在した人物だったのかもしれませんが、それぞれの人物はその極端な一面だけが描かれ、なぜそのような(異様な)行動を彼らがしているのかの裏側を描こうとしていないので、意味不明の人物たちのままで表現されていると私には思われました。
このような、主人公を際立たせるために、周りのわき役を道具的に扱う他の映画や作品もなくはありません。
しかしこのような道具的な人物描写は、薄っぺらい人間理解から出てしまっていて、”駄作”といわれる作品にしか許されない人物描写だと私には思われています。
(演者の役者の皆さんは脚本演出に従ってそれぞれ演じていると思われるので、全く罪はないとは他作品含めて思われていますが‥)
一方で、この映画の原作である漫画「零落」は、おそらくはその天才的な作品を数多く描いてきた漫画家・浅野いにおさんの他作品(あるいは「零落」で描かれている漫画自体)が前提になっている作品だと思われます。
つまり、原作漫画「零落」の読者は、浅野いにおさんの画力やコマ割りの秀逸さを甘受しながら、おそらくは、主人公の深澤薫の流行や売れている漫画に対する否定の主張に説得力を感じて、原作の方は読んでいたのではと推察します。
しかしこの映画『零落』は、肝心の深澤薫の作品中身がほぼ示されていないので、深澤薫の主張は全て上滑りし、仕事での周りの登場人物も全て誇張された道具にしか映らないのだと思われました。
そもそも、深澤薫が理想とするような作品にも現在性や表現の最先端(つまり流行や売れる要素)が含まれていると思われますし、一見は流行や売れることだけを狙っている作品でも普遍的な深澤薫が理想とするような内容も含まれているはずです。
つまり、理想の作品と、流行・売れる作品とを、明確に分けて捉えている認識自体がそもそも間違っていると私には思われるのです。
そんなに何事も単純に分けられると考えられるのは、浅はかな人間理解の人にしか許されない態度だと私には思われています。
この映画は、ラストに映画の冒頭でも出て来た猫顔の少女(玉城ティナさん)が、主人公の深澤薫は「○○だ」と明かして終わります。
しかし私には、深澤薫の主張に説得力を感じさせる場面のないこの映画を見て、(猫顔の少女が言っていた、深澤薫は「○○だ」は、単なる作者・監督の自惚れであり)主人公の深澤薫は、中身が空洞の【未成熟の人物だ】と思わされました。
全ての登場人物に多面性を持たせて愛があった傑作『無能の人』を撮った竹中直人 監督にしては、個人的には大変残念な中身の映画になってしまったと、僭越思われました。
原作通りで「気持ち悪い」
原作も読んでいたが、改めて映像化されると主人公は本当に清々しいまでのクズだと思わされる。私を含めて多くの人間には感情移入は不可能だろう。主人公が大学時代付き合っていた女性の評である「化け物」という言葉が正鵠を射ている。漫画の才能があって、漫画がすべてに優先される価値だと思っている「化け物」は、ひたすらに他者を蔑ろにし続けてなお、その自覚は無い。
私小説の露悪主義の伝統に沿った作品だが、西村賢太のようなユーモアやペーソスはない。旧劇場版エヴァでシンジくんにアスカは「気持ち悪い」と呟くが、主人公の葛藤は「気持ち悪い」ものだと私は思う。たぶん原作も映画もその「気持ち悪さ」を伝えるべく作られているので、その意味では「成功」しているが、そういう作品を鑑賞したいかどうかはまた別の話である。
「自由でいるのは才能がいる」
正に自分の今の現状に即したストーリーであった
勿論、こんな才能など微塵もないので、もし自分が"化物"であったならばという世界を鑑賞出来る内容である
原作未読なのだが、観賞後にネットで調べたら丁寧に原作漫画を描いている様である
なので物語に対する感想は、映画レビューに記載する事は筋違いかもしれない 漫画のレビューサイトが最善だと思う
では何故、この漫画を映画作品として企画し、こうして上映しているのか?原作が小説ならば映像化したいという欲求は充分理解出来る 漫画は・・・コマとコマの間は読者のイマジネーションが補い、脳内で上映される・・・のか? 否、あくまで画像付きの小説なのだろうか・・・?
明確な違いがあるのにそれを言語化できない、これも才能の無さ故の、体たらくなのである
解りやすい印象カットのインサートや感情表現のカット等々、クセのない親切設計な構成は、制作陣の真摯な態度をスクリーンいっぱいに表わしていて大変素晴らしい映画だと思う
【”漫画の化け物の煩悶。”漫画に憑りつかれた中年漫画家が人気に陰りが出来、中年クライシスの中で懊悩しながらも、総てを清算し大衆に迎合した新作を産む姿をシニカル且つアーティスティックに描いた作品。】
ー 零落の漫画家と言えば,私のイメージはつげ義春である。実際に冒頭のシーンで、氏の「ねじ式」が若き深澤(斎藤工)の部屋に転がっている。-
■元人気漫画家の深澤は、8年に及んだ連載が終了するも、編集者からは落ち目の漫画家扱いをされ、プライドを傷つけられる。
編集者である妻(MEGUMI)との結婚生活も、すれ違いの生活で溝が広がって行く・・。
◆感想
・零落・剥落・漂泊と言った言葉が当てはまるシーンが今作には多い。
ー 深澤の年齢は語られないが、漫画家としては中堅クラスであり、中年クライシスに陥って行く様を斎藤工が猫背で歩く姿などを通じ、見事に演じている。ー
・深澤は、学生時代に”ある猫の眼の様な瞳を持つ少女”(玉城ティナ)に自らの漫画を初めて褒めて貰うが、或る言葉を囁かれてから、猫のような眼を持つ女性に惹かれる様になる。
■深澤に対する編集者たちの、売れている時にはおだて上げ、売れなくなった途端に掌返しの様な態度を取る様は、原作の浅野いにお氏が経験したことであろうか。
それにしても、今作の深澤の中年クライシスは相当に重い。
彼が「漫画家」という言葉に敏感に反応し、若手人気作家の漫画を貶すシーンの数々。彼が一時期は有名漫画家であった事にプライドを持ちつつ、自身の新作のネタも思いつかない日々に煩悶、懊悩する姿。
・そんな彼は、猫の眼をした風俗嬢ちふゆ(趣里)に惹かれ、彼女の前でのみ心が解放されるのである。
・深澤は妻と離縁し、愛猫の死を見届けつつ、漸く新作を発表し、好評を得る。
ー 彼が編集者達が掌返しで絶賛する中、言い放った言葉。”馬鹿でも感動するように描いたんだよ!”-
・そして、サイン会の時に彼に定期的に励ましのメッセージを贈ってくれていた女性と初めて出会い、彼女から”深澤さんの漫画のお陰で生きて来ました。”と言われた時の彼の”違うんだよ・・”と言いながら机に突っ伏す姿。
ー シニカルシーンである。自らは大衆に迎合した漫画を描いた積りが、一人の熱狂的且つ彼がどん底に居た時にSNSで励ましてくれた女性は”馬鹿でも感動するように描いた漫画に涙しているのである。”ー
<これは、私の推測であるが、深澤は漫画を愛し過ぎたことで、逆に大衆(SNS)に迎合する漫画に対し否定的な思考を持ってしまったのであろう。
そしてラスト、猫の眼の様な瞳を持つ少女に学生時代に言われた言葉。”漫画の化け物”。強烈なインパクトを見る側に与えたシーンであったと私は思う。>
竹中直人監督って名前に釣られて観てみたが、
8年間の漫画連載後、売れなくなった漫画家が、立ち直っていく様子を描く。とにかく、斎藤工演じる主人公の漫画家・深澤薫が女と縁があり過ぎるくらいある。まず結婚していて妻がおり、妻は出版編集者でいわば同じエリアの仕事で、作家との付き合いが仕事。
次に、過去のフラッシュバックされる元彼女、次に、アシスタントで漫画家を目指す若い女性。さらには、売れなくなって元気をなくして風俗の女性に癒しを求めて知り合った若い女性。
ざっと4人の女性がぐるぐる回っている感じ。妻とアシスタントとはうまくいっていない。妻とは結局、離婚し、アシスタントは漫画家になってライバルみたくケンカ別れ。風俗で知った女性は、仲良くなって主人公の客と、地元の田舎に一緒に行くまでになるが、しょせんは、客と商売女から始まっているからか、短く終わる。後輩の女性は別れ際に、あなたは化け物という言葉で、何か、深澤薫をひと言でもったいぶったように表現した。
竹中直人監督、斎藤工主演なので何かこう斬新な感じの映画を勝手に想像していたが、切って貼ったような編集のなんだかまとまりのない映画だった。落ちぶれ感を出すため、これでもかっていう演出が過剰。というより最初から落ちぶれた感じだったので、落差があまり感じられないし、最初から元気のない主人公だなという印象。
後半から、深沢薫が怒ったり、仕事のやる気を取り戻したりと元気になっていくが、仕事の浮き沈みは、一般的にもよくあること。しいていえばクリエーターの仕事は消沈が目にみえて激しいので、その厳しさを感じるにはいい映画かもしれないが、ひたすら自分のことしか考えていない主人公の浮沈に、カタルシス感がないまま。
落ちぶれてます、希望をというよりは、漫画家という芸術家礼賛なのかな、クリエーターは成果物のために自分のことしか考えない業から抜け出せないといいたいのか。なんだか変化もなく、冗長感あり、時間が長く感じて、やっとエンドロール。竹中直人監督らしさって何だろう、最後までわからないままだった。
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