零落のレビュー・感想・評価
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美しさと抜け出せない孤独と、表現者としての苦しみと
監督としての竹中直人というと、かつて『東京日和』で魅せた柔和さに微かな哀しみを織り交ぜた感触が忘れられないが、今回の作品は変わらぬ映像美を持ちつつも、全編を通じて張り詰めるような心象風景が胸を侵食していく。主演の斎藤工はこの精神状態をずっとキープするのにさぞ苦労したことだろう。というのも、本作の主題には「表現者の生き様」と直結する部分があるからだ。ひとつの作品を終えた虚脱感をいかに克服するか。大衆が望むものと自分が追究したい芸術性との落差をどう埋めるか。葛藤というより無限地獄に等しい産みの苦しみが横たわり、いちばん近しい人に最も辛く当たるなど、表現者としてと言うより人間として堕ちていく姿が生々しい。斎藤も竹中も、娯楽系とアート系を自在に行き来する表現者であるからこそ、彼らがこんな作品を作り上げることにフィクションとはいえ興味深さを禁じ得ない。それにしてもどよーんとしてしまう作品ではあるが。
バケモノ?
中々ディープな作品だった。
抑揚のない展開と主人公深沢の人間性
そもそもこの物語の「問題」が何かわかりにくい。
しかし斎藤工さんと趣里ちゃん、MEGUMIさんらの演技で物語に引き込まれたのは確かだ。
さて、
8年もの連載が終了したあと描けなくなった深沢
それまで描き続けてこられたのは、大学時代に出会った後輩との付き合いと、突然消えた彼女のことが尾を引き、それをモチーフにしていたからだと思った。
しかし彼が描けなくなったのは全く別の理由だった。
それをこの物語によって描いている。
人から認めてもらえないこと。
自分がこの世界で一番だと考えていること。
この両者の乖離によって、深沢の手が止まったのだろうか。
意欲を失ったのだ。
まだ売れる前、夢中で書いていた学生時代
のめり込んでいた時 おそらく人生でこれほど意欲的に何かに取り組んだことなどなかった。
自分でも自分が神がかっていると思っていたのだろう。
それはもう無敵状態で、その作品を見せられた彼女は、深沢の内部を見てしまった。
彼女への対応の仕方と作品を鑑みれば、深沢がどんな人物なのかよく理解した。
バケモノ
そのバケモノである自分自身が最強で、それ以外の腑抜けた自分は人間以下だと思っているのだろう。
腑抜けた人間以下でいることは、彼にとっては当然面白くないことだ。
しかし、バケモノになれば無敵になれる。
深沢のことを最初に見抜いた彼女は猫顔だった。
だから彼は「今でも猫顔の人に会うと緊張してしまう」
妻のぞみも猫顔だが、猫にも種類があるように、のぞみは深沢のことを何もわかってない。
これが彼を苛立たせるのだろう。
しかしわかれば去るしかない。
居れば人間以下として扱われる。
ちふゆは深沢の心を見抜いたのだろう。
それはきっとラインで彼の正体を掴み、漫画を読んで、これ以上会うべきではないと、大学時代の彼女と同じ選択をした。
それは深沢にとって2度目の経験だった。
彼の傍にいてはいけない。
深沢が漫画にのめり込めばそれだけバケモノと化してゆく。
スタッフも周囲もボロボロにされてしまう。
しかし、
物語は深沢が何故か描けなくなってしまったことと、それが理由で妻に当たり散らした挙句別居し、ゲームセンターに通い、デリヘルに通う姿を通して、彼が「零落」していく様を描いている。
深沢の闇
バケモノ性
自分に夢中で他人をないがしろにする。
世界中で漫画家が一番偉いと思っている。
それをわかっていながら前に進んでいく。
このあたりは漫画家あるあるなのかもしれない。
でも私の頭の中には「?」が残ってしまった。
この深沢のバケモノ的人間性にインパクトがなく、共感はできないものの、深沢という人物を受け入れることができそうで、結果的には感情に抑揚が生まれなかったというのが正直な感想だ。
スタッフは誰も彼の異常性を感じていないように見えた。
むしろ無視しているかのようだった。
唯一それを言葉にしたのがトミタだったが、深沢が本当にバケモノであるならば、彼女は自分が描いた作品を彼に見せるだろうか?
新作のサイン会でクビにしたスタッフは何故列に並んでいたのだろう?
これらのことは彼のバケモノ性を感じさせない。
自己中心的だったり利己的だったりするのは異常ではない。
深沢のバケモノ性は、この作品から感じ取ることはできなかった。
産み出す人の孤独
「落ちっ放し」という訳でもないけれど…
作品が売れている間は、アシスタントとの関係も良く、あまつさえ、自分の担当編集者とも結婚してしまうほどの「人生バラ色」だったようですけれども。
しかし、人気の連載が完結し、次が続かなければ、たちまちそれらの関係性が崩壊し、風俗漬けの自堕落な生活に陥っていく…。
その「脆(もろ)さ」を描いたということなのだとは思いますが、そこには「表現者(=クリエイター)」としての苦悩もあったことと思います。
ある意味では、常に「無」から「有」を生み出し続けなければならないのが、表現者(=クリエイター)の宿命と、評論子は思います。
風俗嬢と客とが、こんな関係性を築くかは別論として、それなりの関係性を築いていたちふゆには「宇宙飛行士ではない何か」としか明かさなかった自分の職業を、そこまでの関係性を築いていない後の風俗嬢には「漫画家」と明かしたということは、妻やアシスタントとの破局を乗り越えて、自分が漫画家(表現者=)という職業を人生の生業として選び取ったという現実をを、ちゃんと自分の中に受け入れたということなのでしょうか。
それなりの良作ではあったと思います。評論子は。
(追記1)
「犬は人(飼主)に懐(なつ)くが、猫は家に懐く」とも言われますけれども。
ちふゆの「猫目」は、一見すると人(相手)に懐いているように見えて、その実は、客には懐くものの、客である人そのものには懐かない(素性=陰の部分を他人には見せない)ことの象徴だったように思えてなりません。評論子には。
(そういうところには行ったことがないことに、一応なっているのて、評論子には、しかとは分かりかねますけれども。)
(追記2)
光の使い方が独特だなぁと思いました。本作は。
昼間のシーンでも、あえてカーテンを閉めて、光量を制限する。
人物を、あえて逆光気味で撮る。
それでいて、夜(風俗嬢と過ごすラブホテル)のシーンの明るさ・鮮やかさ。
深澤の鬱屈した心理の描写としては、活きていると思いました。
秀でた才能の在り方
2023年劇場鑑賞21本目 傑作 75点
鑑賞した時よりも評価を上げている印象深い作品
才能に長けた人は他人に理解や共感が得られづらいとはまさしくこの事で、仕事仲間やファン、古い知人からはある種煙たがられる対象で、仕事仲間は斎藤工の才能にリスペクトしている様で、本当の意味でついてきている人はいない様な感じで、どいつも自分の位置や金中心で、面構えよくして利用しているだけの様な感じで、ファンもいかにも日本の現代ファンという感じで、所謂にわかファンと言うか、トップチャートのエンタメばかり搾取している傾向にある日本人の体質が本質や本音の部分まで覗こうとしない、この感じを世間から見て良い時と割るときの斎藤工とそのファンの関係でよく描かれていた。
古い知人は、いったら一番斎藤工と親しいだけあって、本質をついている残る言葉を放っていて、漫画を描き続ける限り、ずっと一人、誰にも理解されないみたいな言葉と、その時の印象的な猫目の眼差しが混合して、脳裏に刻み込まれ、事あるごとに思い起こすされるのが、斎藤工にとっても、鑑賞している我々にとっても印象的でした
こと日本映画にしても、昨今配信時代になりセリフがなく絵変わりしないと10秒スキップするような風潮があるらしかったり、現代人はセリフでしか情報を得れない弱者が増えてしまったらしく、それ対策じゃないけど演技や撮り方、間などで観客に伝えるような手法が減り、何でもかんでもセリフ偏り型が年々増えています
監督も脚本家も仕事もらえないと食っていけないし、名前も廃れていってしまうので、どうしても消費者に媚びないとやっていけないので、そうせざれおえない現状があります
この現状も今作の斎藤工に通ずるところがあるので、何かを生み出す人をリスペクトし、探求し追いかける人々は、ちゃんと本質を見抜木、消費者も本物にならないといけないと、今作を通して改めて思いました
素晴らしい作品です
是非
続く底辺
共感できない
自由というのは不自由
たかが漫画家されど漫画家
2023年映画館鑑賞17作品目
4月9日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
原作未読
原作は『ソラニン』『うみべの女の子』の浅野いにお
監督は『無能の人』『119』『東京日和』『山形スクリーム』『ゾッキ』の竹中直人
脚本は『十二人の死にたい子どもたち』『ゾッキ』『アイ・アム まきもと』の倉持裕
長い連載が終了し次回作に苦しむ漫画家の話
編集者として忙しい妻に八つ当たりするわ元アシスタントと度々口論するわ贔屓のデリヘル嬢と一緒に彼女の地元に行くわ
でもなんやかんや時間はかかったが初心に帰り新作連載がスタートしそれはまた好評でパワハラ漫画家深澤薫は復活する
竹中直人監督作品とは知らずに観た
事前情報ほとんど無し
本人は出ていない
平凡な男性諸君には残念なお知らせ
この日は三本観たがいずれも性風俗絡みでしかも背中程度で乳首お尻ヘア無し
日活ロマンポルノとかじゃないわけだしスマホでいくらでもエグいのが観れる時代だから逆にいいかもしれない
女性俳優の腕の見せ所といえる
主人公が典型的な孤高のクリエイターで性格はかなり悪い
風俗嬢には宇宙飛行士と自称する
漫画原理主義だが漫画や漫画家という職業をディスり自分のサインには価値がないと宣う
妻よりも猫の心配をするクズである
まっ僕は猫好きだしわからなくはないが
猫目の女性には緊張するらしいがピンとはこなかった
クズだけど風俗嬢をチェンジしない点は好感が持てたがそういうシステムなのかもしれない
なんとなくだが深澤薫を見てたら久米田康治をイメージしたが久米田のサイン会であれだけの人が並ぶほどカリスマ性はないし女の子に生きる希望を与えるようなタイプではないのでいろいろと違った
趣里は風俗嬢の役だが髪型のせいかだいぶ雰囲気が変わったような気がする
ちなみに背中程度で本格的なヌードはない
ヌードになった作品に必然性はあまり感じられなかったが
それでもエロティシズムは表現できてるから良いだろう
新連載がスタートした深澤薫と通りすがりで再会し振り向く顔つきにもエロを感じた
上野駅から2人で田舎に行く件も好き
この作品のロケ地は主に横浜だがちふゆの地元も撮影場所は横浜だろうか
横浜にも田舎は存在するのかな
横浜も黒船が来る前は田舎だったらしいし
車のナンバーが透野になっていた気がするが実際は存在しない
髪の毛をピンクとか青とか奇抜な色に染めるとブサイクはブサイクが際立つがすぐにそれに慣れてきてトリビアの頃からそうだったかもしれないとさえ思えてしまう
MEGUMIはプロデューサーの一人としても名を連ねている
小池栄子の妹分としてグラビアデビューし生頭にタライが落ち「いでーよー」と本気で痛がりつつもバラエティーで活躍していた彼女も映画人として随分出世したものだ
山下リオが演じた冨田奈央はキャラが立っていた
彼女の当たり役といっても過言ではない
玉城ティナは最初の方と最後の方に登場
キャミソール姿で寝そべっているとき乳首が透けているように見えたがフェイクかもしれないしとても些細なことだ
この作品には全く関係ないが『キン肉マン』で千葉真一の息子にタメ口でハーフならではのノリかなと少々タジタジだったが玉城の方が年上だった
風俗嬢のゆんぼ役の信江勇の凄まじい腹が求肥大福のようで美味しそう
彼女はモビルスーツに例えるとゴッグだが腹の特徴からゾック的要素も感じた
デブ専にはたまらない逸材かもしれない
売れない漫画家が編集者に怒鳴られているシーンは可哀想だった
エンドロールのあとにちょこっとおまけあり
深澤薫が具体的にどんな漫画を描いているのか詳しい内容はわからずじまい
その点では主人公は漫画家でなく芥川賞直木賞をダブル受賞した新人作家が主人公だが『響 -HIBIKI-』に共通している
それは別に重要なことだとは感じなかった
観る側がそれぞれ勝手に作者像から想像すればいいだけであっていちいち事細かに説明するのは野暮である
レビュアーでお怒りの方はわからなくもないが映画監督は映画監督であり売れっ子漫画家ではないのでそこのところはご容赦願いたい
配役
根暗で毒舌な漫画家の深澤薫に斎藤工
深澤薫が熱を上げた風俗嬢のちふゆ(LINE名はユイ)に趣里
深澤薫の妻でのちに離婚する編集者の町田のぞみにMEGUMI
深澤薫が学生時代に付き合っていた猫顔の少女に玉城ティナ
編集者の町田のぞみが担当する売れっ子漫画家の牧浦かりんに安達祐実
深澤薫の元アシスタントで自身の漫画の連載が始まる冨田奈央に山下リオ
深澤の元アシスタントの近藤に土佐和成
深澤薫の編集担当者の徳丸に永積崇
肥満で小柄な風俗嬢のゆんぼに信江勇
なんかちょっと残念な風俗嬢のまりめっこに佐々木史帆
離婚の相談を受けた深澤薫の友人で妻子持ちの山石に吉沢悠
深澤山石平野とともに結婚式の二次会に同席していた加賀に菅原永二
深澤山石加賀と共に結婚式の二次会に同席していた平野に黒田大輔
深澤薫にインタビューしていたフリーライターの志磨遼平
フリーライターのインタビューに同席していた編集者の塚田に安井順平
深澤薫の大ファンでLINEで度々応援しているサイン会にも並んでいたアカリに宮崎香蓮
登場人物の誰に共感するかで感じ方が変わるかな。
開き直った人間が強いってのは嘘。
原作未読。猫目の女性に小さなトラウマを抱える漫画家の深澤。長期連載を終えるも、既にオワコン扱いされ上手くいかないことの全てを周りのせいにしてその空虚を風俗で埋める日々。そこで出会った猫目のちふゆ。
複雑な要素を詰め込んだ小難しい深澤に斎藤工。いやぁ、すごい合ってたんですけど、やっぱ隠しきれない色気が垣間見えちゃってましたね。なかなか計算高いちふゆに趣里。大学生の役なので大人っぽいかなと思いましたけど私服のシーンはかわいかったです。
開き直った深澤の逆襲。でも結局最後まで誰かのせいの中にいる自分から抜け出せない。ラストは意味深で色々想像できて良かったです。ただ私は全体的に長く感じてしまいました。山下リオ演じるアシスタントがだいぶ凶悪で面白かったです。
ネット、SNS的な会話、だと波風たたない。世界が近づく
いまの社会
ネット内のSNS、LINE会話は、
感情むき出し無しの、逆撫でしない会話が続く
これが、コミニケーションの轍?
映画「零落」を見入っているうちに
現実社会の、会社、仕事場、学校、家庭・・・
怖いほど、こうなっていることに、気づかせてくれる。怖い!
自分を支えてくれるのは
誰だ?
だれの言葉を信じれば、受け止めれば、いいのか?
発せられた言葉を信じるの?
荒げる言葉を発する、ひとの行動を信じるの?
では、どうやっれば、人は、ひとを信じることができるのだろうか?
こんな状況下で
私たちは、次世代まで、生きていけるのだろうか?と、
不安を助長させた作品でした。
それにしても、斉藤工さんは
なんで、いつもいつも狂っているの?
素晴らしい当たり役だよね。
あ!それから、
猫目のデジヘルちふゆの趣里さん、凄い!
手塚治虫さんの作品に出てきそうな、不思議な子!だよね。
竹中直人版「悪人」
物を作る闇
竹中監督らしさ。
有能な人
自分の作品で批判的にいっていることをそのまま自分がやってしまったり、自分に対してもプライドのための言い訳に終始したり、自分より下に見ている風俗嬢には「漫画家」と自慢気に名乗るのに好みのタイプには漫画家であることを隠したり、奥さんが自分を理解しているのが許せなかったり、とにかく主人公が嫌な奴ですがだいたいベクトルは自分に向いている。
恐らくわざとやっているんだろうが、作中で主人公が言っているように、ちょっと説明しすぎな感じはしました。
そういうのも含めて韻を踏んだような構造や、一貫して主人公のいけ好かない感じがとてもよい。
そもそも、作中ファミレスで編集者に「好きなもん書きたいならガロでやれ」みたいな感じで怒られてた漫画家のような奴がいわゆる「ホンモノ」であって、主人公みたいなシャレオツな恋愛ものを上から目線で描いてるような奴は「ニセモノ」であると・・・
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