零落のレビュー・感想・評価
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映画の中で主人公の漫画(作品)が明確に示されないのがこの映画の致命的欠点なのでは?
(完全ネタバレですので、必ず鑑賞後にお読み下さい)
※原作は未読です
期待して見たのですが、個人的にはダメな作品になってしまいました。
その要因は以下3点だったと思われます。
ダメな要因の1点目は、主人公の深澤薫(斎藤工さん)がどのような表現の漫画を理想として描いていたのかがほとんど示されない点だと思われました。
主人公の深澤薫は、かつては人気があり売れていましたが、最近はその人気に限りが出てきた漫画家とこの映画で描かれています。
そして深澤薫は、流行を追ったり売れることを求める(売れている)漫画を毛嫌いしています。
しかし、では深澤薫が表現したい作品(漫画)はどのようなものだったのか?
それが示されないまま映画は進行するので、深澤薫の主張(≒映画)の中身が空洞のままこの映画はラストまで進んでしまったと思われました。
ダメな要因の2点目は、では主人公の深澤薫が否定していた、流行や売れている(だけ?)の作品は具体的にどのようなものなのか、それもほぼ示されていないところです。
流行や売れている(だけ?)の作品は、深澤薫の長年のアシスタントだった冨田奈央(山下リオさん)が描いた漫画によって、深澤薫がその作品を読む場面で少しだけ示されます。
しかし、その編集者が求めるプロットに従った(流行や売れることを求めた)冨田奈央の漫画も、深澤薫は読んだ時に褒めていますし、その漫画を通して流行や売れることを求めた作品とは何なのかまでは、明確には観客には伝わりません。
つまり、流行や売れることを求めた作品とは何なのかが明確にされないので、逆にここから対比的に主人公の深澤薫が求める理想の作品がどのような表現なのかも分からないのです。
ダメな要因の3点目は、主人公の深澤薫の周りの仕事関係での人物を、深澤薫のおかしさを際立させる為に、逆に極端に描いていたところです。
例えば、深澤薫の8年の連載終了後の打ち上げで携帯電話をいじり続ける編集者たち。
深澤薫の作品をまともに読まないままで取材しに来ているライター。
深澤薫がきちんとアシスタントの休職中のことも配慮しているのに、エキセントリックに「仕事を舐めないで下さい!」と深澤薫に激高するアシスタントの冨田奈央。
一般常識的にはあり得ない人物のオンパレードです。
もちろんどれもが実際に存在した人物だったのかもしれませんが、それぞれの人物はその極端な一面だけが描かれ、なぜそのような(異様な)行動を彼らがしているのかの裏側を描こうとしていないので、意味不明の人物たちのままで表現されていると私には思われました。
このような、主人公を際立たせるために、周りのわき役を道具的に扱う他の映画や作品もなくはありません。
しかしこのような道具的な人物描写は、薄っぺらい人間理解から出てしまっていて、”駄作”といわれる作品にしか許されない人物描写だと私には思われています。
(演者の役者の皆さんは脚本演出に従ってそれぞれ演じていると思われるので、全く罪はないとは他作品含めて思われていますが‥)
一方で、この映画の原作である漫画「零落」は、おそらくはその天才的な作品を数多く描いてきた漫画家・浅野いにおさんの他作品(あるいは「零落」で描かれている漫画自体)が前提になっている作品だと思われます。
つまり、原作漫画「零落」の読者は、浅野いにおさんの画力やコマ割りの秀逸さを甘受しながら、おそらくは、主人公の深澤薫の流行や売れている漫画に対する否定の主張に説得力を感じて、原作の方は読んでいたのではと推察します。
しかしこの映画『零落』は、肝心の深澤薫の作品中身がほぼ示されていないので、深澤薫の主張は全て上滑りし、仕事での周りの登場人物も全て誇張された道具にしか映らないのだと思われました。
そもそも、深澤薫が理想とするような作品にも現在性や表現の最先端(つまり流行や売れる要素)が含まれていると思われますし、一見は流行や売れることだけを狙っている作品でも普遍的な深澤薫が理想とするような内容も含まれているはずです。
つまり、理想の作品と、流行・売れる作品とを、明確に分けて捉えている認識自体がそもそも間違っていると私には思われるのです。
そんなに何事も単純に分けられると考えられるのは、浅はかな人間理解の人にしか許されない態度だと私には思われています。
この映画は、ラストに映画の冒頭でも出て来た猫顔の少女(玉城ティナさん)が、主人公の深澤薫は「○○だ」と明かして終わります。
しかし私には、深澤薫の主張に説得力を感じさせる場面のないこの映画を見て、(猫顔の少女が言っていた、深澤薫は「○○だ」は、単なる作者・監督の自惚れであり)主人公の深澤薫は、中身が空洞の【未成熟の人物だ】と思わされました。
全ての登場人物に多面性を持たせて愛があった傑作『無能の人』を撮った竹中直人 監督にしては、個人的には大変残念な中身の映画になってしまったと、僭越思われました。
シン斎藤工がはじまろうとしている‼️❓
映画ならではのものと、口調
鈍感さに戦慄する
堕ちていく自分を認めたくない「中年の危機」か
ミドルエイジ・クライシスとか中年症候群とか、ある程度の年齢になって感じる様々な不安葛藤をそう呼ぶらしい 普通のサラリーマンであっても競争の中で、若いときに勝ち抜いた成功体験を持つ者にとって中年になってから感じる挫折感、後輩に抜かれていく気持ちは不安を生み、そこに何らかの合理的な理由づけをして自分を納得させる 多くの中高年の方が感じる思いであるだろうが、成功と衰退が端的なのが、この業界であるのだろう 編集者という取り巻きの存在によって、自分の存在が乱暴に扱われていることがわかっていても、それを自分ではなく他人に責任転嫁をする主人公の姿は、自分を見ているようでつらいところもあった
転職サイトのCMで見ない日のない好感度抜群の斎藤さんがこの役を演じると、クズさがより鮮明でもあった これまで優しい役の多かった山下リオさんも「醜い本性」を持つアシスタントを演じていたし、編集者の取り巻き達も「醜い本性」 救われない人たちの中で、趣里さん演じるちふゆには安らぎを感じました 「生きてるだけで、愛」以降すごく活躍されていますね エンドロールのあとの2人で歩く風景は、どういう意味なのか不思議に思いました 水橋研二さん、こういった作品にちょこっと存在感があります
(3月20日 なんばパークスシネマにて鑑賞)
身勝手な男
8年間連載してた漫画が完結した漫画家の深澤は、次回作のアイデアが浮かばなかった。すれ違いが生じていた妻で編集者・のぞみとの関係も冷え、鬱屈した日々を過ごしていた。そんなある日、風俗店を訪れた彼は、猫のような眼をしたミステリアスな女性・ちふゆに出会った。自分のことを詮索しないちふゆにひかれた深澤は、何度もちふゆを指名し、彼女の故郷へついて行くことになった。そして・・・てな話。
深澤役の斎藤工が趣里やMEGUMIを抱くシーンが有り、役得だなぁって観てた。身勝手な深澤になりきっててさすがだった。
玉城ティナや趣里の美脚を映すシーンが有るが、脚フェチ?という設定なのかも。
ちふゆ役の趣里が故郷へ帰るシーンで上野駅に走ってくる時の脚が細いのに驚いた。
ネコの様な目、も含め趣里がこんなに可愛いとは、新たな発見だった。
仕事が順調な時は忙しくてパートナーを思う時間が取れず、自分が暇になり時間が取れる時はパートナーの方が忙しかったりして、夫婦の関係ってなかなか難しいなぁ、って思った。
零落、っていう言葉の意味を知らなかったが、おちぶれること、と知れて勉強になった。
ハンパ無い燃え付き症候群系の邦画。 本年度ベスト!
斎藤工&趣里&玉城ティナさん目当て。
斎藤工さん演じる漫画家の薫の腐った感じ。
趣里さん演じる風俗嬢。
ちふゆの仕事服と私服のギャップが良かった(笑)
8年間連載した漫画が終わり、作家の薫がやる気を失い周囲の人達と衝突する中、風俗嬢ちふゆにだけは心を許して行く展開。
出だして学生時代の恋人を演じる玉城ティナさんが登場。
その後、出番が無くなり「これは何かあるぞ!」と推測。
案の定、彼女の後半での発言が本作の肝になっていた感じ。
猫顔の女性は恐ろしい(笑)
本作は美しい映像が印象に残る。
海の青さ、ラブホのピンク色、ラブホで、ちふゆに当たる照明、水面に映るネオン。
美しい映像美に引き込まれる。
これはスクリーンで観るべき作品。
途中途中で意味不明の波の映像が映されるんだけど、後半にこの波は薫の心の動きと解釈。
趣里さんの服。
仕事の時と私服の時のギャップに萌える(笑)
個人的には私服の姿が好み。
薫と手を繋ぎながらちふゆがレールの上を歩くシーンが印象的。
身長差が凄いけど素敵なシーン。
終盤は救われた感じもしたけど、薫の意固地なプライドみたいな感じが消化不良だった感じ。
趣里さんのヘアースタイルは素敵だったと思います( ´∀`)
原作通りで「気持ち悪い」
原作も読んでいたが、改めて映像化されると主人公は本当に清々しいまでのクズだと思わされる。私を含めて多くの人間には感情移入は不可能だろう。主人公が大学時代付き合っていた女性の評である「化け物」という言葉が正鵠を射ている。漫画の才能があって、漫画がすべてに優先される価値だと思っている「化け物」は、ひたすらに他者を蔑ろにし続けてなお、その自覚は無い。
私小説の露悪主義の伝統に沿った作品だが、西村賢太のようなユーモアやペーソスはない。旧劇場版エヴァでシンジくんにアスカは「気持ち悪い」と呟くが、主人公の葛藤は「気持ち悪い」ものだと私は思う。たぶん原作も映画もその「気持ち悪さ」を伝えるべく作られているので、その意味では「成功」しているが、そういう作品を鑑賞したいかどうかはまた別の話である。
折り合い
8年連載が続いたマンガが完結し、次回作が期待されているがアイデアが浮かばずにやさぐれる天才マンガ家の話。
ネコの様な目をした10年以上前の彼女のことを時々回想しつつ、次の作品が書けない自分に苛立ち、他人の作品を扱き下ろし、そして自分とはことなり多忙な女性編集者の嫁とはすれ違い始め…。
自己評価が高いのは間違いないけれど、自信満々という訳でもなくて、自分に求められていること期待されるものに応えなければと言う葛藤や、そういうものと自分が書きたいものとのギャップがプレッシャーということなんでしょうかね…マンガに限った話しではないから気持ちは理解出来るよね。
そして出した自分なりの結論と、それに対して喜んだファンとの出会いって、このまま続くのか、葛藤のループに入るのか、作品は終わるけれどストーリーは暫く続きそうな感じがしたかな。
「自由でいるのは才能がいる」
正に自分の今の現状に即したストーリーであった
勿論、こんな才能など微塵もないので、もし自分が"化物"であったならばという世界を鑑賞出来る内容である
原作未読なのだが、観賞後にネットで調べたら丁寧に原作漫画を描いている様である
なので物語に対する感想は、映画レビューに記載する事は筋違いかもしれない 漫画のレビューサイトが最善だと思う
では何故、この漫画を映画作品として企画し、こうして上映しているのか?原作が小説ならば映像化したいという欲求は充分理解出来る 漫画は・・・コマとコマの間は読者のイマジネーションが補い、脳内で上映される・・・のか? 否、あくまで画像付きの小説なのだろうか・・・?
明確な違いがあるのにそれを言語化できない、これも才能の無さ故の、体たらくなのである
解りやすい印象カットのインサートや感情表現のカット等々、クセのない親切設計な構成は、制作陣の真摯な態度をスクリーンいっぱいに表わしていて大変素晴らしい映画だと思う
創作物に携わる人は、、、
マンガに興味がある方ならぜひ。今週(16日からの週)の対抗以上。
今年87本目(合計739本目/今月(2023年3月度)22本目)。
主人公がマンガ作者で、「マンガとは何か」「マンガ愛とは何か」ということに葛藤しながら、そのイライラが抑えきれず、いろいろな人に「迷惑」をかけつつも、最後にはおちついて「次の段階」に進む、という「主人公成長型」の映画です。
確かにストーリー全体からすると「それでいいの?」という部分もありますが、それとて1つか2つかであり、この映画の論点は結局「表現の自由と他人への思いやり」といった憲法論的なところになるというのが私の見方で(マンガだからといって、表現の自由は保障されない、ということにはなりません)、その「マンガ」というわかりやすい媒体で「表現の自由とは何か」「表現の自由は保障はされるが、他人に迷惑をかけてはいけない」といった、憲法を少しかじっていれば習うことについて丁寧な誘導があった点に関しては好印象です。
あとは…。この映画の主人公がしょっちゅう訪れる(そして、キーパーソンとなる)「とある場所」で働いている方も演技が良かったです(この方にも賞賛は送りたいですね)。この方が「主演で」出る映画にも出てみたいものです(ありましたっけ?)。
以下について気になったものの、大きな傷ではないと判断してフルスコアにしています。
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(減点0.2/婚姻離婚についての民法上のルール)
・ 婚姻については、「それを確認した2人の立会人」を必要とします(実際は届け出のときに自分の名前を書くに過ぎない)。離婚についてもこのことは準用(読み替え規定)で同じことが求められます。
ただ、映画を見ていると「1人しかサインしていない」ように思えるのですが…。それでよいのでしょうか…(ただ、この問題はそれを論じる映画ではないので、一応指摘はしますが、それ「自体」がメイン筋でない以上、それ「のみ」では4.5にならない0.2未満の扱いです)。
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【”漫画の化け物の煩悶。”漫画に憑りつかれた中年漫画家が人気に陰りが出来、中年クライシスの中で懊悩しながらも、総てを清算し大衆に迎合した新作を産む姿をシニカル且つアーティスティックに描いた作品。】
ー 零落の漫画家と言えば,私のイメージはつげ義春である。実際に冒頭のシーンで、氏の「ねじ式」が若き深澤(斎藤工)の部屋に転がっている。-
■元人気漫画家の深澤は、8年に及んだ連載が終了するも、編集者からは落ち目の漫画家扱いをされ、プライドを傷つけられる。
編集者である妻(MEGUMI)との結婚生活も、すれ違いの生活で溝が広がって行く・・。
◆感想
・零落・剥落・漂泊と言った言葉が当てはまるシーンが今作には多い。
ー 深澤の年齢は語られないが、漫画家としては中堅クラスであり、中年クライシスに陥って行く様を斎藤工が猫背で歩く姿などを通じ、見事に演じている。ー
・深澤は、学生時代に”ある猫の眼の様な瞳を持つ少女”(玉城ティナ)に自らの漫画を初めて褒めて貰うが、或る言葉を囁かれてから、猫のような眼を持つ女性に惹かれる様になる。
■深澤に対する編集者たちの、売れている時にはおだて上げ、売れなくなった途端に掌返しの様な態度を取る様は、原作の浅野いにお氏が経験したことであろうか。
それにしても、今作の深澤の中年クライシスは相当に重い。
彼が「漫画家」という言葉に敏感に反応し、若手人気作家の漫画を貶すシーンの数々。彼が一時期は有名漫画家であった事にプライドを持ちつつ、自身の新作のネタも思いつかない日々に煩悶、懊悩する姿。
・そんな彼は、猫の眼をした風俗嬢ちふゆ(趣里)に惹かれ、彼女の前でのみ心が解放されるのである。
・深澤は妻と離縁し、愛猫の死を見届けつつ、漸く新作を発表し、好評を得る。
ー 彼が編集者達が掌返しで絶賛する中、言い放った言葉。”馬鹿でも感動するように描いたんだよ!”-
・そして、サイン会の時に彼に定期的に励ましのメッセージを贈ってくれていた女性と初めて出会い、彼女から”深澤さんの漫画のお陰で生きて来ました。”と言われた時の彼の”違うんだよ・・”と言いながら机に突っ伏す姿。
ー シニカルシーンである。自らは大衆に迎合した漫画を描いた積りが、一人の熱狂的且つ彼がどん底に居た時にSNSで励ましてくれた女性は”馬鹿でも感動するように描いた漫画に涙しているのである。”ー
<これは、私の推測であるが、深澤は漫画を愛し過ぎたことで、逆に大衆(SNS)に迎合する漫画に対し否定的な思考を持ってしまったのであろう。
そしてラスト、猫の眼の様な瞳を持つ少女に学生時代に言われた言葉。”漫画の化け物”。強烈なインパクトを見る側に与えたシーンであったと私は思う。>
創造者の苦悩と狂気
原作は読んでいませが、浅野いにおさんの作品は読んだことがあります。
この作品は漫画家の物語を漫画家が描いている作品です。テレビでも言っていましたが、少し実体験も混ざっているようです。
前半はちょっと退屈でした。主人公が、悶々と理解されない。上辺だけの物語です。
ちふゆが出てきてから、少しずつ話に色が着き始めます。趣里は可愛いですね、、、ショートカットがよく似合います。
少しホンワカして来ますが、ある一言からまた物語は黒い方向へ進みます。
最後はどうなるのかな、と思って見ていましたが、ある意味予想外。
消費者が求める売れるものを作ればいいでしょ?
それは簡単なこと
って、どっかのロックバンドみたいなこと言ってますが。
全体的に、人間の嫌な部分を見せつけられた。
気持ち悪い人が何人か出てきます。
きらいだなー、こんな人いたら。
後味はちょっと、、、
でも、映画としては良かったです。
竹中直人監督って名前に釣られて観てみたが、
8年間の漫画連載後、売れなくなった漫画家が、立ち直っていく様子を描く。とにかく、斎藤工演じる主人公の漫画家・深澤薫が女と縁があり過ぎるくらいある。まず結婚していて妻がおり、妻は出版編集者でいわば同じエリアの仕事で、作家との付き合いが仕事。
次に、過去のフラッシュバックされる元彼女、次に、アシスタントで漫画家を目指す若い女性。さらには、売れなくなって元気をなくして風俗の女性に癒しを求めて知り合った若い女性。
ざっと4人の女性がぐるぐる回っている感じ。妻とアシスタントとはうまくいっていない。妻とは結局、離婚し、アシスタントは漫画家になってライバルみたくケンカ別れ。風俗で知った女性は、仲良くなって主人公の客と、地元の田舎に一緒に行くまでになるが、しょせんは、客と商売女から始まっているからか、短く終わる。後輩の女性は別れ際に、あなたは化け物という言葉で、何か、深澤薫をひと言でもったいぶったように表現した。
竹中直人監督、斎藤工主演なので何かこう斬新な感じの映画を勝手に想像していたが、切って貼ったような編集のなんだかまとまりのない映画だった。落ちぶれ感を出すため、これでもかっていう演出が過剰。というより最初から落ちぶれた感じだったので、落差があまり感じられないし、最初から元気のない主人公だなという印象。
後半から、深沢薫が怒ったり、仕事のやる気を取り戻したりと元気になっていくが、仕事の浮き沈みは、一般的にもよくあること。しいていえばクリエーターの仕事は消沈が目にみえて激しいので、その厳しさを感じるにはいい映画かもしれないが、ひたすら自分のことしか考えていない主人公の浮沈に、カタルシス感がないまま。
落ちぶれてます、希望をというよりは、漫画家という芸術家礼賛なのかな、クリエーターは成果物のために自分のことしか考えない業から抜け出せないといいたいのか。なんだか変化もなく、冗長感あり、時間が長く感じて、やっとエンドロール。竹中直人監督らしさって何だろう、最後までわからないままだった。
自由業の普通。漫画家の普通。だが女性の好みの範囲が尋常レベル超えた広範囲❗️
竹中直人 監督は 学生時代に 【無能の人 つげ義春】見て以来
だから 10作目らしいけど 30年以上ぶりの 第一作 からの久々 鑑賞
原作を竹中直人が選んでるね。ブレてなかった。最初の風俗嬢、ゆんぼさんに泣き崩れる人間的な弱さに共鳴❗️
なんというか 不条理なんだけども 普通に人間心理の細かいところ 真っ当に描いている。
まあ普通に面白い作品。
まあ人間は機械ではないから 実際はみんな心の闇があって変な頑固で困ることがある
そう竹中直人は 真っ当な人間描写、が卓越している
きをてらう事なく・・普通描写
昔から思ってたけど、漫画家は一発当てると瞬間値で金持ちになるけど
サラリーマンみたいに65歳まで連綿と連載続けられる人、一瞬の瞬間値で生涯年収稼げる人は
氷山の一角で
ほとんどの人が、アシスタント等で食い繋ぐか、夢破れて、非正規でもなんでも普通の勤め人に転じる
のだと・・想像している・・
自由業は「通勤、毎日早朝起床、上司に合わせるため(我を)封印する」ことからは自由になるが
「全て自分の責任」だから大変なのだろう
この作品の主人公のような 自滅感と裏腹の 全能感 自分勝手 は 現実に即してるように思うよ
不思議な女性との ある意味 逃避行 わかるわかる。
つまらない評価雑音、世知辛さ から逃れたい わかるわかる。
だが、最初の太めのふくよかな風俗嬢「ユンボ=ドラグ・ショベル❓」
猫の目のような「ちふゆ」かなりの痩せ型 上野駅のシーン小学生かと思った
ナイスバディナイスボディ のMEGUMI まだまだイケる 妻の役
ちょっと【女性の好みが広範囲 ダイヤモンドグローブ賞レベル】が感覚的によくわからなかった。
こだわりないの?なんか変だよ。
でも題名のように堕ちていく苦行、でもだからこそ味わう感覚は 共感なのだ❗️
チョツト田舎の鉄道の🚃CGだかVFXだかはもう一息❗️
でも普通の、日本人の抒情的な作品だと思いました。
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