「「落ちっ放し」という訳でもないけれど…」零落 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
「落ちっ放し」という訳でもないけれど…
作品が売れている間は、アシスタントとの関係も良く、あまつさえ、自分の担当編集者とも結婚してしまうほどの「人生バラ色」だったようですけれども。
しかし、人気の連載が完結し、次が続かなければ、たちまちそれらの関係性が崩壊し、風俗漬けの自堕落な生活に陥っていく…。
その「脆(もろ)さ」を描いたということなのだとは思いますが、そこには「表現者(=クリエイター)」としての苦悩もあったことと思います。
ある意味では、常に「無」から「有」を生み出し続けなければならないのが、表現者(=クリエイター)の宿命と、評論子は思います。
風俗嬢と客とが、こんな関係性を築くかは別論として、それなりの関係性を築いていたちふゆには「宇宙飛行士ではない何か」としか明かさなかった自分の職業を、そこまでの関係性を築いていない後の風俗嬢には「漫画家」と明かしたということは、妻やアシスタントとの破局を乗り越えて、自分が漫画家(表現者=)という職業を人生の生業として選び取ったという現実をを、ちゃんと自分の中に受け入れたということなのでしょうか。
それなりの良作ではあったと思います。評論子は。
(追記1)
「犬は人(飼主)に懐(なつ)くが、猫は家に懐く」とも言われますけれども。
ちふゆの「猫目」は、一見すると人(相手)に懐いているように見えて、その実は、客には懐くものの、客である人そのものには懐かない(素性=陰の部分を他人には見せない)ことの象徴だったように思えてなりません。評論子には。
(そういうところには行ったことがないことに、一応なっているのて、評論子には、しかとは分かりかねますけれども。)
(追記2)
光の使い方が独特だなぁと思いました。本作は。
昼間のシーンでも、あえてカーテンを閉めて、光量を制限する。
人物を、あえて逆光気味で撮る。
それでいて、夜(風俗嬢と過ごすラブホテル)のシーンの明るさ・鮮やかさ。
深澤の鬱屈した心理の描写としては、活きていると思いました。