道草のレビュー・感想・評価
全3件を表示
満点
道草――価値をめぐる回帰の物語
日常の中に仕掛けられた静かなうねり。
それは物語というよりも、流れのようなものだった。
映画『道草』は、等身大の人間を描きながら、私たちが見失いがちな「自分らしさ」へと回帰する軌跡を示している。
作品には「間」がある。
長い沈黙や空白が、登場人物の心情を語る。
言葉より雄弁なその間は、現代社会の喧騒に埋もれた私たちに、忘れかけた感覚を呼び覚ます。
主人公ミチオは、絵を描くことを愛していた。
しかし、評価という名の他者の視線が、彼の世界を侵食していく。
賞も、肩書も、金銭も、すべては他人の価値観の産物だ。
好きでしていることに、他人の注文が介入する
――その瞬間、「私」という存在は揺らぎ始める。
ゴミ収集の仕事を選んだミチオ。
その背景には、価値の相対性を映し出す意図がある。
ゴミと呼ばれるものにも、誰かにとっては意味がある。
拾われた絵と、描かれた絵。
その比較が、彼の心を蝕む。
比較こそ、左脳が最も得意とする営みだ。
そして、比較がある限り、価値は生まれ続ける。
恋人サチは、ミチオの手に宿る「楽しさ」を見て、彼を愛した。
しかし、恋は純粋であるほど、価値とお金という魔物に脆い。
結婚を思い描いた瞬間、ミチオは「今のままでは無理だ」と悟る。
お金のために描く絵は、彼の本質を奪い、サチの眼差しを遠ざける。
やがてサチは、カフェに飾られた「道草」の絵を買い取り、去る。
それは別れの印であり、ミチオへの祈りだった。
――自分自身を取り戻してほしい、と。
すべてを失ったミチオは、怒りと虚無の中で筆を取る。
壁に描かれたのは、二人で訪れた海。
お金がなくても幸せだった記憶が、絵となって甦る。
その瞬間、彼は自分を取り戻した。
想い出は絵の中に消え、再出発の兆しが見える。
電話の向こうにある実家。
それは原点であり、未来への扉だ。
誰にも見えない壁に描かれた絵は、誰にも買えない。
そこにあるのは、比較できない価値。
対価のない価値。
永遠に失われない想い出という価値。
――本当の価値とは、きっとそういうものだ。
『道草』は、私たちに問いかける。
「あなたは、他人の評価に振り回されず、等身大の自分を生きられますか?」
自分の価値が変わる事で人は変わってしまう。
全3件を表示


