「あしたへの光」あしたの少女 sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
あしたへの光
コールセンターで働く人たちは本当に心身にかかるストレスが大きいと思う。
大体において電話をかける顧客側が既にストレスを抱えた状態であることが多い。
電話が繋がらない、そもそもどこにかけたら良いのかが分からない、繋がってもたらい回しにされ、同じ内容を何度も説明しなければならない。
このシステムがもっと分かりやすい形であれば良いのにといつも思うのだが、企業側からすればそう簡単に契約に取り付けた顧客を手離したくないだろうし、なるべくならトラブルに関わりたくたいだろう。
だから敢えて窓口を分かりにくくしているようにも感じる。
そしてその被害を被るのはいつも末端で働く人たちだ。
どこの国でもシステムは違えど、不当に安い労働力で搾取しようとする企業の問題は常にあるのだと感じた。
正直、観ていて心が苦しくなる映画だった。
職業学校に通うソヒはダンスが大好きで、責任感が強く自分の意見をはっきり言える強い女性だ。
彼女は担任教師から大手通信会社の下請けのコールセンター運営会社の紹介を受け、実習生として働き始める。
顧客のサポートが主な仕事だと聞いていたソヒだが、ほとんどがクレームの電話で、さらに会社側は解約を申し出る顧客を何としてでも阻止するように指示を出す。
まだ実習生のソヒにも重いノルマが課せられ、従業員同士の熾烈な競争を煽られる。
芯が強く誰にでも意見を言えると思っていたソヒだが、次第に会社の圧に押され萎縮していく。
会社側は成績の悪い社員を見せしめのように吊し上げる。
過度なストレスをかけられ、人格を否定され続けると人は逆らう気力がなくなり、従順にならざるを得なくなる。
このあたりの人を洗脳する術をブラック企業はよく心得ている。
ソヒは次第に心を病んでいくが、学校の友達は事情も知らずに連絡のつかない彼女を責める。
そして両親も何らかの問題を抱えているようで、虚ろな目をしながら娘に気を配る余裕がなさそうだ。
心身的に疲れたソヒはついに悪質な要求をする顧客を電話口で怒鳴り付けてしまう。
しかしそんな彼女のことを指導役の若いチーム長は責めなかった。
酷いことを言われたのだろうと彼女の心に寄り添う彼もまた、この仕事に疑問を抱き続けているようだ。
そして雪の積もった車の中で、チーム長は練炭自殺をしてしまう。
彼は不当な労働環境を遺書の中で告発しようとしたのだが、会社側は揉み消してしまう。
彼の死にショックを受けたソヒだが、人が変わったように仕事に励み、成果を出すようになる。
この会社で成果を上げることは人としての心を麻痺させることでもある。
息子が死んでしまったことで契約を解除したいと涙ながらに電話をしてきた父親にも、彼女は新しいプランの提案をしてしまう。
しかしどれだけ頑張っても会社側は実習生という理由で彼女に成果給を払おうとしない。
これは完全な契約違反であり、会社は実習生という名で不当に安い労働力で彼女をこき使おうとしているのだ。
ついに彼女は我慢の限界を迎え、新しいチーム長を殴り付けてしまい、謹慎処分を食らう。
彼女の心の苦しみを知る者は誰もいない。
責任感が強いからこそ、彼女は人に相談することが出来ない。
思わず酔った勢いで手首を切ってしまう彼女だが、会社を辞めたいという言葉は母親には届かない。
さらに追い討ちをかけるように、担任が今回の謹慎によって学校に損害を与えたとソヒを責める。
友達と昼から飲み歩くソヒだが、彼女の心はどこにあるのか分からない。
一人になった彼女は真冬の貯水池に向かって歩き出す。
場面が切り替わり、ソヒの遺体が発見されたことが分かる。
ここから視点はこの事件を捜査するユジンに切り替わる。
実は憔悴したソヒがダンススタジオに見学に訪れた時に、黙々とダンスを踊っていたのがユジンだった。
この映画の場合、冒頭にソヒの遺体が発見され、捜査を進めるうちに事実が浮かび上がってくる構成にすることも出来ただろうが、なぜ時系列通りのシナリオにしたのだろうかと思った。
観客は既にこれまでの過程を知っているから、ユジンが調書を取る場面は二度手間になるように感じてしまった。
しかし物語が進むにつれて、この映画はこの構成が正解だったのだと気づかされた。
客観的に描かれることで、ソヒがどういう人物であったのかがより深みを持って感じられるようだった。
そしてユジンが動くことで韓国が抱える社会の闇が浮き彫りになっていく。
学校側は就業率が悪くなると補助金を貰えないために、どんなに過酷な労働条件だろうと生徒を送り出さない訳には行かない。
ユジンは仲介手数料を貰っているのではないかと教頭を責めるが、彼らは不正を働いているのではなく、やむ無くこのシステムを受け入れてしまっているのだろう。
では問題はどこにあるのかとユジンが教育庁に乗り込めば、地方の教育庁には何の権限もないのだと居直られてしまう。
問題の根元がどこにあるのか分からないのがこの社会の恐ろしさであると思った。
教育庁にしても、学校側にしても、そして悪質な会社にしても、それぞれに自分の立場を守るためにもっともな理由をつけて正当性を主張する。
そして被害を受けるのはやはり末端で働く労働者であり、未来を担う若者なのだ。
彼らの姿を見て自己責任だと突き放す者もいるかもしれないが、これは韓国に限らず日本でも現実に起きている一面であることに目を向けなければいけないと思った。
ソヒが死ぬ間際に足元を照らす一筋の光を見て何を思ったのだろうかと考えさせられた。
そしてその同じ光をユジンも目にする。
それが仄かではあっても明日へと続く希望の光であって欲しい。
結局ほとんどの人間は使われるためにある道具でしかないのかもしれない。
しかし道具なら乱暴に扱えば壊れるに決まっている。
そのことを上に立つ人間は改めて考えるべきだ。