同じ下着を着るふたりの女のレビュー・感想・評価
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ハンガリー舞曲第5番
小さい頃にコントでこの曲を利用して、ビンタか何かで叩いて・・・なんていうのをテレビで観たことを記憶しているのだが、ネットで調べても要領得ない情報ばかりで。。。
ドリフ辺りがやっていたのかなぁ・・・ BPMの変化が富んでいて、激しさと寂寥感が押しては返す波のように響き、そしてエンドはスパッと終わる切れ味鋭い残響感残さない潔さ 耳に残るクラシック曲の一つである
そして、今作に於いてはそれを縦笛でへたくそな音色で奏でるシーンに、或る意味コントにも似たブラックユーモアさを印象つけさせる作品に仕上がっている
高崎"女"祭の二人目の登場である(^_^;)
この曲をBGMにレビューを打っているが、聴けば聴く程、今作の内容に音符を当て嵌めていけばこの曲に化けるのではないかと思う程、親和性の高い内容であると想像するのは間違いだろうか・・・
いわゆる、毒親と親離れが出来ない共依存の娘の親子が啀み合いを繰返しながら、その人生にケリをつけるストーリーテリングとなっている
韓国らしい建前もない本音のぶつかり合い、逝くところまで逝くその潔い覚悟と、傷つき方が半端無い程の同士討ちを繰広げるその不屈の闘志、一体何が目的でこの二人は一緒の屋根の下で暮らしているのか見当も付かない争いが全く遠慮無く延々と続くのである 観賞していて本当に疲労感が半端無く蓄積され、出口を模索する思考のみが頭を支配してしまうのは、嘘偽りない本音だ
そこには親と子、それぞれ愛情を欲しがるのみの醜い表現のみで、しかしそこからでしか逸脱できない心の傷の落とし前をそれぞれの相手に引き出させたい"意地"のみで生活の糧になっているのかもしれない "恨む"ことで人生を駆動しているメカニズムは、それ自体不健康ではあるがその燃料は尽きる事がない永久機関かもしれない
ラスト迄、決して曲げない意志を貫き通す母親 その姿勢はいっそ清々しく、友達も又呆れつつしかしその信念の強さに一定の理解さえ抱く 逆に娘はその依存性の強さ故、同僚から距離を置かれ、自分の不甲斐なさに気付き、ようやく独立を固める 母と娘はこれ程の同族嫌悪を関係性に混ぜるのだろうか 勿論、個々人の性格もあるだろうし、劇中では彼氏の連れ子の娘に粗相(性具をみつけて嘲ったことを陳謝しない剛胆さ)をも突っぱねる性格故だろうと思うが、一人でヨモギ蒸し店を経営する程のプライドの高さ、孤高さは第三者として観れば、偉人のそれと酷似しているとさえ思う
娘がそんな母親を評価出来る日は、母親が存命中には訪れないであろう 亡くなって初めて関係は美化できる そういう関係であり、これも又一つの愛情表現なのかもしれない・・・
相互依存、共依存の関係
冒頭から、イライラと怒りまくる母親。もうかなり大人なのに子どものように怒られる娘。母子家庭で苦労して子育てをしてきたと子どもに言うが母親は自由奔放に恋人がいて今その恋人と結婚しようとしている。恋人は妻はなく中学生の娘を一人で育てている中年の男。この二人はたがいに理解し合い愛情もあり、母親が利用しているという感じでもない、お互いに必死な恋愛関係とも思われる。心からの友ではないとしても集まりバカ話をして旅行したりする友達グループもある。母親は利己的だがそれなりの人間関係で社会生活を営んでおり、イライラの吐口は娘に向いている。こんなはずではなかった、と悔しく思うときは娘がいなければと思うだろうし、娘から母親失格のようなことを示されるとこんなに育てて面倒みてるのにと堂々めぐり。娘が事故で入院したときに病室に置かれた二人の変な顔の写真も伏線。何度となく洗濯シーンがある下着のパンツやその引き出しも伏線。
若い世代、主人公の娘、その同僚、中学生の(男の方の)娘には恋愛などは一切なく、社会生活の一員とはなれておらず、これは世代の相違もあると思うが、ドライな社会を自分なりに漕ぎ出そうとしてはいるけど結局この母にしてこの子あり、的な、独特の利己があり、自分のことで必死な感じしかない。
母子が無意識に相互依存する以外は、みんなひとりぼっちだ。
主人公の娘は、母親と相互依存しているから、同僚や中学生のような孤独ではない。本人は母親に依存共存寄生していることに無自覚だろう。母親も子どもに人生台無しにされた、露悪的に子どもを大事にしてないそぶりを繰り返しながら子どもに常に感謝という見返りを求める。母親は絶対に謝らない。徹底して謝らない、娘にも謝らないし、恋人の子にも謝ってほしい、謝らないとダメだと恋人から言われても、なんで私が謝るのか?と反応し謝らない。この人の特質、この人の面白いところだ。この人の処世術なのか。
娘の会社の様子はおそらく上流以外の韓国社会で一般的なものだろう、
人を値踏みするような卑屈で哀れな低位置でのマウント取り、地雷を踏まないよう慎重な言動、同僚は少し娘に同情共感するようなところもあるが本心は自分のことでていっぱい、彼女も家からやっと逃れ大学に入り大卒に見合わないような仕事をしながらなんとか家賃など払い実家に戻りたくないこのまま生活維持向上したいともがいているようだ。事なかれ主義で会社をやり過ごしパワハラにも耐えている。この人の存在がうまくいってないけど自立している同世代の女性と、母親を憎みながらもまるで子どものように母親に依存している娘との対比においてとても重い。娘は母親のもとを逃げ出すとまたこの人に依存しようとさえする、無意識に。自覚的に家から逃れた子と無意識に母親にパラサイト続ける子。だから友達になれない。
中学生の子と父親は、母子の関係ではないのでまた問題も違うところにあり、近づきすぎないこと、金やものを介することである程度解消されたりしている。さらに若い世代なのでまたまた身の処し方も違う。
下着のパンツを娘が洗うシーン。二人のパンツがごちゃ混ぜでたんすの同じ引き出しに全てのパンツはしまわれており、
パンツは共有されている。初めての生理のとき不機嫌ながらも母親が親らしく世話して教えてくれた時の娘の嬉しさなど、ジワジワと全体に波及する小さな出来事や記憶。
最後、ついに何度かの反抗、家出もどきの末、いよいよ自立の時となるがこれまでブラジャーも全て母親と共有であったことがわかるのだ。子にブラジャーを買い与えない児童虐待の話もよく耳にするこの頃。普通に成長過程ですることを体験していないこの親もこの子も相互にあるのは憎み合いではなく、無知に無意識に、依存共存おそらく一体化して生きてきたのだなとわかる。
最初の不機嫌な母親、毒親像が、だんだん、車の件、同僚への態度会話なども交え、不機嫌な娘、毒娘像にもみえてくる。
親子の問題、母子の、ネグレクトと同化共存の相反する事象、韓国にも日本にもあるお寒い社会状況、ジワジワといろんなことが絡まり合う。
一緒に会食したりする友人夫婦、足に保湿クリームを渡してしまう夫は妻に謝り、妻はまた主人公の母親に謝り元のように一緒に買い物をする。共依存ではない<普通>の家族、親
、人との違いが際立つ。
謝ることができない、できないから教えない、おそらく母親もまた謝らない毒親に育てられたか、親がなかたか、謝ると言う地平を知らないまま生きてきたのだ。貧困、無知、不運不幸の連鎖も浮かぶ。
母子の関係は男性には分かりにくいかもしれない。女性なら、これを他人事と見なければ、子どものあるなしなど関係なくどのような立場でも、思いあたり思いはせることができる映画だと思う。そのくらい丁寧に作り込まれているのでもう一度みたらもっといろいろ気づきがありそうだ。
(原題) 같은 속옷을 입는 두 여자
全国で一ヶ所のみの上映!主人公母娘の生活感とは演技は鬼気迫るものがあり、私には娘がいないから理解できない部分もあったけど、孤独や不器用さの演出がストレートで若い新人監督素晴らしいと思いました。
ドラレコ映像あったんかい!
娘に暴言暴力を繰り返し好き勝手に遊び回るDQNな母親と、そなシンマに育てられた実家暮らしの20代後半の娘の話。
娘はいつも通りなのに、ふてくされていると突然スーパーの駐車場の車中で激昂しはじめた母親から逃れる為、車を降りたら死ねと言いながら車を発進!と巻き起こっていくストーリーだけど、タイトルは一緒に住んでて共依存な関係を表したいのか?ほんの少しだけそれっぽいシーンもあるけれど、わざわざ強調するところでも無いような…共依存っていう概念ないのかな?
母親の人格は彼氏との関係性と娘との関係性の中でみせて行くけれど、この人はただの短絡思考のアッフォですか?
そして最初は良く解らなかった娘も、会社の人とのやり取りの中で闇がみえてきて、哀しくやり切れない感じが重くてとても良かったんだけど…ラスト20分から人間性をフォローし始めちゃって、中途半端にそんなことをしてもクソ人間であることは変わらないし、ダメなままの方が良いとおもうのだけれどねぇ、と自分の好みな方向から外れしまい、蛇足どころか台無しにされた感じがした。
母と娘の、暴力暴言を孕む支配関係にして共依存関係を描いた今作。叩く...
母と娘の、暴力暴言を孕む支配関係にして共依存関係を描いた今作。叩く殴るは当たり前、車で轢くシーンが冒頭でガツンとかまされる、おまえのせいで私は上手くいかないなど暴言の嵐。
心意気はいいのだが、単調に切り取るだけで、とにかく何がいいたいのか、意味や言葉が不在な(に見える)シーンも多く。母性神話ファックな映画であることは間違いないのだが、娘に暴言暴力を振るう親を、否定も肯定もしない。和解に向かわない結末にはかなり好感が持てる。だが、、、
解説ないと気づかないレベルで暗喩が過ぎるというか、とにかく回りくどくて分かりにくい。解釈に委ねるシーンの連続。
が、心意気は確かで、まだ30歳、これがデビュー作というから、これから益々精度は上がっていくはず。
監督のteach-inによれば、斎藤環や田房永子あたりの文献を読んでスタッフと共有したとか。(名前が出たかうろ覚えだが、信田さよ子あたりも読んでそうな雰囲気だった)文芸誌でもこのあたりの先生と監督との対談をやって欲しい。
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