沈黙の自叙伝のレビュー・感想・評価
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ダム開発も大切だが…
ダム開発を推進する将軍と、反対派の家族の息子(19)がおこした将軍のポスター破りが発端ではじまる事件
殺人にまで発展してしまい、精神的に追いやられる将軍の世話役の男
確かに近代化は大切だが、殺人はいけん…その辺をノンベンダラリと描写した映画でした
僕には合いませんでした
インドネシア近年の作品では、半ドキュメンタリーとでも言えばいいか「...
インドネシア近年の作品では、半ドキュメンタリーとでも言えばいいか「アクト・オブ・キリング」と姉妹的作品「ルック・オブ・サイレンス」が強烈な印象を残したが、このシリアス映画「沈黙の自叙伝」もそれに通底する実に見応えのある心理サスペンスだ。軍と政治と一般社会のしがらみが密接に絡み合う国柄ならではのドラマにハラハラしながら引き込まれてしまった。ダークな素性漂わせる退役軍人とそこで下働きに就いている青年のぶつかり合う正義感の話。ずるずると関係は続いていくがいずれは答えを出さなければいけない関係を、主人公2人は迫真の演技で臨場感たっぷりに表現する。“何かのフリをする”程度の演技感では到底成し得ない世界を作り上げた監督の演出力と俳優の演技に脱帽した。それにしても中国、韓国はもちろん、フィリピンや台湾、そしてこのインドネシア。作品のクオリティは随分先を行っている。
電気がなかったら暮らせませんよ!
逮捕され投獄中の父親に代わり、首長選挙に出馬した退役将軍に仕える青年が「将軍」の本当の顔をみる話。
インドネシアの農村で暮らす青年ラキブのもとに、地域の指揮者であり権力者の「将軍」がやって来て、ラキブが使用人として仕えることになり巻き起こっていく。
スケジュール管理はしていないし、代理で何かするわけでもないし、運転手というか付き人という感じですかね。
ラキブには優しく親身に接する将軍だけど、母親の手紙を読む青年にプライドの高さをみせたり、輩のような行動をする村民に厳しい顔をみせたり。
グレーを超えた腹のうちがみえてきて、そして結果としてそこに加担して、出した結論は…どこの国にもいつの時代にもある話しだし、派手な展開はないけれど、カタルシスがしっかりあってなかなか面白かった。
これが今の話である恐さ
インドネシアに縁があって鑑賞。途上国の軍や警察による暴力の権威に守られた地方の権力社会を、ひそやかだが切り口の鋭い映像遣いで描いている。フィクションだと思うが極めてありうる物語という印象を受けた。
ある軍人一族と、彼らに代々仕える使用人一族。後者の末子の青年が今は一人で住み込み管理している屋敷に、退役した家主の将軍が一人帰郷する。
はじめは戸惑いながら将軍の世話をしていた青年だが、将軍は彼に父親のように接し、彼も将軍の若い頃の制服を着せられてそっくりと言われ、軍曹と呼ばれるようになってまんざらでもない。
そして、青年は将軍の小さな問題を解決しようと進んで動く。前段で将軍が発した「謝罪は魔法の言葉」との忠告を素直に受け取り、彼はトラブルの相手に、将軍に直接謝れば許してくれると気軽に勧める。
だが人々が謝罪を受け入れるのは、後ろに暴力的権力が控えているからで、「軍曹」が無邪気な高揚を感じながら会話すること自体がその権力の行使だということに、暴力が発動されるまで青年は気づかなかった。そして世界は暗転する。
二人がともに自身が手にかけた人物の弔辞を述べるはめになるのは寓話として意図された皮肉だろう。本当に怖いのは、殺しても何の咎めも受けない権力者の立場である。
どちらのケースも、対象に接触する予定を知る人もいるし、(将軍の車で現場に乗り付けているので)前後の目撃者もいるはずだ。だが仮に証言があっても警察や有力者が揉み消すだろうし、実際、すぐに別の証言や容疑者がお膳立てられている。
こんな体制では自分の安全を守るため誰もが口をつぐみ、事件が立件されることはない。もっとひどいのは、一方で噂レベルで話が広まることで、かえって不可侵性が高まり、権力者の神話が強化されることである。
最後のカット、参列する軍人たちを前に弔辞を促され、青年はついにその権力を自覚した、と私は解釈した。
本作は2017年に時代設定されている。スハルト大統領の時代ならともかく、民主化が進んだとされる現代を舞台にこの物語をぶちこんできた制作者の危機感と勇気に敬意を表したい。(「アクト・オブ・キリング」連作を観たときに感じた途方もなさを思い出す)
ちなみに、弔辞で将軍が述べた話に東ティモールでの逸話が出てくることで、観客は将軍の暴力性の背景を想起することになる。スハルト時代、同地での独立運動弾圧のために投入された陸軍特殊作戦軍(コパスス)は拷問や虐殺など多くの人権侵害で糾弾された。最後の葬列での赤いベレーがトレードマークである。
インドネシア政治への痛烈な皮肉
2022年の東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞した本作は、軍を退役して地元に戻った一人の元将軍と、その召使いの青年の物語でしたが、よくよく見ると現代インドネシアの政治状況を赤裸々に描いていると思われるような部分が随所にあり、非常に興味深い作品でした。
まず元将軍のプルナですが、劇中東ティモールでの作戦に参加したことを披露していることや、軍を退役した後に政治家に転身しようとしていること、そして地方の名家出身であるらしいことなどから、現国防大臣のプラボウォ・スビアントがモデルになっているものと思われました。プラボウォは元々軍人で、強権・独裁で知られるスハルト大統領時代に頭角を現し、スハルトの娘婿になったことで出世コースに乗った人物ですが、インドネシアが一時併合していた東ティモールの弾圧で戦果を上げたことでも知られているほか、軍内外のスハルトの対抗勢力に弾圧を加えるなど、文字通り暴力装置としての軍隊を悪い意味で活用してのし上がった人物です。
スハルト政権が倒れた後、軍籍をはく奪されるなど一時失速したものの、その後財界を経て政治の世界に身を投じ、2009年の大統領選挙では当時現職だったメガワティの副大統領候補として立候補し、続く2014年及び2019年の大統領選挙では大統領候補として立候補しました。いずれの大統領選挙でも敗北を喫したものの、2019年には対立候補だったジョコ・ウィドド現大統領(通称 ジョコウィ)から国防大臣として招聘されて閣僚になるなど、いまだ軍への強い影響力や資金力を持っているからこその抜擢だったと思われます。
プラボウォの人生を振り返ると、権謀術数と強権、裏切りの繰り返しで、それこそ彼の一代記は映画とか小説になりそうな訳ですが、本作のプルナのやっていることは、まさにプラボウォそのもの。よくまあこんな怖い映画を創ったものだと感心するばかりでした。また、「私たちは何をしても許される」というプルナの発言は、金持ちや権力者なら何でも許されるというインドネシア社会の現実を直截的に表しており、ある意味清々しさすら感じたところです。
ただこんな暴力の塊みたいなプルナが、自分の召使いであるラキブ青年に対してジャニー喜多川ばりのセクハラ行為を加える展開は、この作品を一層重層的、かつ不気味なものにしていました。日本以上に同性愛に抑圧的なイスラム社会のインドネシアにおいて、男性政治家が青年に性加害をするなんてご法度中のご法度。でも、「私たちは何をしても許される」という傲岸不遜なプルナは、欲望の赴くままに行動する。これは流石にプラボウォをモデルにしたことではないでしょうが、かつての苛烈な人権弾圧すら不問に付され、来年の大統領選挙にも出馬しようというプラボウォを皮肉っているのではないかと深読み(曲解?)したのですが、監督の真意は何処にあったのでしょう?少なくとも、インドネシアの政治や社会に対する痛烈な皮肉であったことは間違いないと思います。
途中話が大きく脱線してしまいましたが、インドネシアの政治史を少しでも知っている者にとっては、たまらない作品でした。そんな訳で評価は★4とします。
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