ソウルに帰るのレビュー・感想・評価
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クロニクル的に変わりゆく主人公の姿に釘付けになる
不思議な手触りを持つ映画だ。見た目は韓国人のようだが国籍はフランスという主人公のアイデンティティと同じく、本作もまた韓国の地にありながら国境というものを軽やかに超えていく。我々は、外見からその人の出身地や過去を窺い知ることなどできないことを思い知り、と同時に、大切な何かを伝え合う中で言語がいかに憂鬱な壁になりうるのか、その皮肉めいた断絶もまた痛烈にのしかかってくるかのようだ。かつて養子縁組されてフランス人夫婦の娘となったフレディはいまソウルへ降り立ち、限られた時間の中で実の両親を探そうとする。そこにありきたりな感動的再会はなく、彼女の顔に浮かぶ戸惑いと混乱と焦燥が実にリアル。そこから数年単位でクロニクル的に織りなされていく展開、変わりゆくフレディの外面、その内部に渦巻く生々しい感情が我々を惹きつけて離さない。パク・ジミンの颯爽としていて艶かしくミステリアスな存在感に釘付けになる一作である。
Plenty of Drama for Western and Eastern Diasporas
A charming little ditty of a production, lightly LGBT with some late night club culture thrown in there. A fish out of water story of an adopted child from liberal France searching for her parents in conservative Korea. First time actress Ji-Min Park leads the film with natural, real-world finesse (career for her, please). Captures the Westerner-in-Asia experience rather accurately, I must say.
故郷とは遠くにありて想うもの
韓国人のソウル・フードがキムチならば、日本人は味噌汁といったところだろうか。韓国系アメリカ人のスティーブン・ユアン曰く、イ・チャンドン監督『バーニング』に出演したことで、自分が“恨(ハン)の民族”であることを再認識したらしい。何を言いたいのかというと、この映画韓国の首都“ソウル”と魂の“ソウル”をかけた映画タイトルになっている気がするのだ。
本作を監督したダヴィ・シューはカンボジア系フランス人の40歳、悪名高いクメール・ルージュの虐殺を逃れてフランスに連れて来られたという。本作が映画初出演となる主役のフレディを演じたパク・ジミンは、子供の頃家族でフランスに移住したという。お二人とも、朝鮮戦争から疎開するためフランス人夫婦に養子縁組された主人公フレディとは、若干異なったプロフィールの持ち主で、監督のお友達がフレディのモデルロールになっているらしいのだ。
やたらたと“○年後”のクレジット表示が出るせいで映画のリズムが非常に悪くなっているのだが、フレディの成長に合わせて一応の3部構成になっている。第一部では、日本行きの飛行機が台風でキャンセルになったせいで急遽ソウル行きに変更したフレディが、新しい家族をもった父親宅に招かれる。それから数年後、第二部では武器メーカーに就職したフレディが出張でソウルを再び訪れる。頑なに面会を拒否していた母親が態度を急変し涙の面会を果たすのが第三部である。
な~んだ『国際市場で会いましょう』と同じお涙頂戴映画じゃない、と早とちりしてはいけない。このフレディ、血の繋がった肉親特にやたらと涙脆い父親を目茶苦茶毛嫌いし、「韓国に戻って一緒にすまないか」と父から提案を受けても、「私はフランス人よ💢」と怒声を発してこれを拒否するのである。涙の再会を果たしたはずの母親とも予想に反する別離を経験し、なんのための韓国訪問だったのかがちと観客にはわかりづらいのだ。
韓国に一度も住んだことのないスティーブン・ユアンが、ハリウッドにいると韓国人であることを痛切に感じさせられたように、現地を訪れたフレディは(血縁とはまた別の)韓国人としての“ソウル”を、何かしら肌で感じ取ったからではないだろうか。具体的には、韓国の懐メロであったり、韓国男の肌であったり、隣家のばあちゃんが作ってくれた大根キムチだったりするのだが、劇中ハッキリとした説明は特にない。
ラスト、バックパッカーとして一人東欧のどこかを旅するフレディが、宿泊先のホテルでふとピアノを奏でる。韓国にいた頃の小さい時の思い出なんか何一つ憶えちゃいないし、滞在中はウザイことばっかりで全てをぶっ壊してやりたかったけれど、いざこうして離れてみると強烈な郷愁にかられるのはなぜなのかしら。故郷とは遠くにありて想うもの、なのである。
養子縁組
揺らぐアイデンティティーとゴールのない浮遊感
朝鮮戦争中に養子縁組でフランスに渡った女性を主人公にした若いカンボジア系フランス人監督の作品でとても新鮮だった。ただし、朝鮮戦争中に幼児だった主人公がスマホの時代に20代から30代なのは合わないんだけど、韓国の歌謡曲やまるでグループサウンズ時代のような曲や老舗ジャズ喫茶のようなアナログレコードを並べるレトロでヴィンテージな店の雰囲気は一昔前のもので、つい受け入れてしまった。主人公のよるべのない不安定な内面をコミカルかつ暴力的に描いており、主演のパク・ジミンがそれをじつにリアルに生き生きと体現している。一味違う映画で期待を大いに裏切ってくれた。
主演のフレディ(ヨニ)役のパクジミンは俳優ではなく、ビジュアルアーティストとのこと。驚きだ。さらにゲストハウスの管理人でフランス語に堪能でフレディに親切なテナ役のグカ・ハンは実は小説家で俳優ではない。こっちも驚き。
パクジミンの無言の時の何かを企んでいるような不愉快そうな表情がすごくよい。そして、変化にとんだ髪型や衣装でガラッと雰囲気が変わるのもプロの俳優顔負け。
最初はふっくらとした江口のりこあるいは安藤さくらみたいだったのが、2年後にはゆりやんレトリバーのような厚かましさ全開に、そして最後は元NHKアナの有働由美子似に変化。四角い顔なのに魅せてくれる。オークワフィナより断然いい。しかし、彼女はこの映画でおしまいで、俳優にはならないだろうと思う。
バックボーンやアイデンティティーに揺らぐ主人公が天真爛漫で、性的にもハイパー(バイだったり、マッチングアプリで武器商のフランスおやじをひっかける)なのは過剰適応ともとれる。監督の人間観察力の高さもなかなか。
とても印象的だったのは、実の父親の家の台所で再婚相手の女性の背中に会ったこともない実母の姿を見て、自分でも戸惑っているフレディ(ヨニ)のシーン。同性の親に自分のアイデンティティーを求める気持ちが痛々しく、ドキリとさせられた。最後まで母親に執着するフレディが父親の作ったつたない曲にそっくりのピアノの譜面を弾いてみるラストは新たなはじまり。彼女は放浪を続ける他にはないように思う。
アイデンティティのゆらぎ
典型的な…
韓国で産まれて養子縁組でフランス人夫婦に育てられた日本好きの25歳の女性が、実の両親を搜す話。
2週間の休暇で日本に行こうとしたけれど、天候不良で飛行機が欠航となり休みは変えられないからと韓国を訪れて巻き起こっていくストーリー。
韓国のゲストハウスの受付から始まって行くけれど、ゲストハウスで働く女性とその友人がいきなりフランス語ペラペラだし、英語も話せるしで韓国語が喋れなくても問題無しw
養子縁組センターを訪れて、あれよあれよと父親と連絡がとれてと展開し…確かにこの考え方はついていけないわなとは思うけれど、主人公もなかなかですね。
そして急に5年後?さらに…まあ、主人公の機微を見る作品でいやー良く解るはーとはなる部分も結構あったけれど、主人公の人間性がイマイチでしっくり来ないところが多過ぎたかな。
どうでも良いけれど、主人公がゆりやんレトリィバァに見えてしかたなかった。
韓国映画じゃない。
育った環境と母語による刻印
フレディ役のパク・ジミンが魅力的で多面的な人間を、年齢を重ねながら変わる雰囲気と内面をよく演じていた。彼女はヴィジュアル・アーティストで、俳優ではなく演技は初めて、とは全く思えなかった。顔の感じや演技は「名優」とよく称される安藤サクラ(私は苦手)系。パク・ジミンは私にとって抜群に良かった。清らかさと濁り、怒りと人なつこさが同居している。やさぐれてなくて真摯で知的で眼が美しい。言葉も明確。音楽と接するとき、ダンスするときの彼女は特に素敵だった。
寡黙、激しい感情、特定の人に固執しない、言いたいことをはっきり言う、ベタベタしない、と思ったらふっと優しい表情をする。ルーツ探しはこの映画の一つのテーマにしか過ぎない。いろんな人との出会い、自分や他人とぶつかりながら少しずつ変化する、母語や話す言語から影響を受ける表情とボディ・ランゲージ、嘘や表面的なことを言わないから人を怒らせる、選ばれることはしないで自分が選ぶ、など気に入った箇所やセリフが沢山あった。
見てよかった。
ソウルではない
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