「BRICK WALL」SHE SAID シー・セッド その名を暴け いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
BRICK WALL
劇伴のおどろおどろしさが随所に演出を増幅させる構造になっている作品である
紛れもない"#MeToo運動"のきっかけとなった映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる性的虐待の告発を促したニューヨーク・タイムズの記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイー、それぞれが母親でもある2人の軌跡を描いた作品である
ルッキズムを彷彿とさせてしまい甚だ遺憾なのだが、確かにかのプロデューサーの容姿は問題を匂わせる ああいう"お山の大将"的容貌と振る舞いは、一定の数存在する ドラえもんでいうところのジャイアニズム的位置づけだろう 自分の人生に於いてもああいう輩は存在していたし、誰にでもそれは身に覚えがあると容易に想像出来る そんな極端に利己主義、独占主義的な思想が許される背景は、決して与えてはいけない、但し容易に奪取できる先見の明、そしてタイミングの妙という"運命"だったのかも知れない そもそもが親分気質で成長したであろう、体格的にも恵まれた人生に於いてその人格がかなり曲がった形で形成されてしまったことは手に取るように解る 残念なことに勉強も出来たであろう 容姿の怖さのインパクトもあって、上下関係を構築しやすい構図が容易く手に入れてしまったことに、この世の不条理を禁じ得ない モラハラ、セクハラ、パワハラ等の"ハラスメント"の根源は、強烈な個性の持主にリーダーシップを奪われるという負の側面が大きくなった状態からの原因なのである
今作品のキモは、その"必要悪"を如何にして対峙すべきかの術を懇々と説く内容である 兎に角証拠!証拠!証拠!・・・ 被害者は1人ではない、そして今でも拡大生産中である最悪な状況を、周りの誰も"自己防衛"という消極的力の加担の中、世知辛い毎日を諦観に馴らされた殆どの人間達にぶつけてきたストーリーである 人間はこの"ジャイアズム"を利用し続けるのか、それとも排除するのか、それが問われるプロットなのではないだろうか?