フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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すべての出来事には意味がある
サミーにとっての初めての映画見物のシーンで、この映画は始まる。暗い映画館に入ることを怖がる幼少期のサミーに「映画とは…」といかにもエンジニアらしい(滑稽な)説明をする父バートに対し、芸術家肌の母親ミッツィは映画の素晴らしさを説き、サミーの恐怖心を解きほぐそうとする。何とも対称的な説明に笑ってしまったが、これがフェイブルマン家の悲劇の伏線になる。
竜巻が起こるや、三人の子供を車に乗せ、その見物に向かう母ミッツィ。その好奇心と行動力には驚かされる。そして「すべての出来事には意味がある」とミッツィは呟く。これから起こるすべてのことが映画監督スピルバーグの未来、作品に繋がるということを示唆しているのだろう。
自分の映した映像を編集する過程で母の浮気に気づいてしまう中学生(?)のサミー。家族を愛しながらも夫の親友との浮気に溺れてしまう母。そしていつしかその事に気づき苦しみながら、結局それを許す父バート。引っ越しの車のなかでのエピソード、飼い始めた猿に夫の親友であり、恋人でもあるベニーの名を付ける母親、離婚してベニーと暮らし始めた母親からの手紙と同封された写真を見てショックを受けながらもサミーの大学退学を許すバート。こうしたすべてのことが映画監督スピルバーグに繋がっている。
サミーの手腕によってヒーローのように編集されたドキュメンタリー映像に「こんな安っぽい人間じゃない」ということなのか「自分の内面と映像とのギャップに衝撃」なのかよくわからないが、ショックを受けて、怒るハイスクールの同級生で、サミーを苛めていたイケメンのローガン。人の心理(サミーもローガンも)の複雑さも興味深いが、面白い映像を作るためなら何でもできると言わんばかりのエピソードでもある。
スピルバーグの映画監督としての才能を垣間見せるエピソードと、彼の映画監督としてのバックボーンとなる幼少期から青年期までの出来事。特に母親ミッツィの存在、父親バートの存在、特に両親の離婚を巡る家族の葛藤、苦しみ、ミッツィとバートの振る舞いはとても興味深い。
それでも人生は続く
衝突に魅せられて映像撮影をはじめた幼少期
キラキラとしたアルバムのような撮影から
映画という芸術作品を作る青年になっていく成長
役者にも徐々に熱く指示を出し始めた青年は
単なる趣味というには片付けられない
そこに情熱が生まれている明確なシーンだった
映画への愛、監督になる覚悟、その始まり
母親の気持ちに気づくまでは幸せな家族だと思っていた
母親も人間であり女であるということが
それが現実として突きつけられるのがリアルだった
夫婦、愛、幸せ、寂しさ、出会い、別れ、死
家族、友達、猿、いじめ、差別、アイデア
病気、裏切り、優しさ、プレゼント、夢
ヒエラルキー、虚像、孤独、フィルム、映画
地平線が真ん中だとクソほどつまらん
芸術がそうであるように
人生も同じかもしれない
現実は楽しいだけじゃない、辛いこともあるし
心が引き裂かれるようなこともあるし
つまらない人生に思えるかもしれない、だから
色んなアングルから撮った方が面白いに決まっている
面白く思えないと辛い出来事もただ辛いだけ
全ての出来事に意味がある と思いたい
ラストカットは遊び心があって
スピルバーグ監督らしい〜と心地いい脱力でした
監督自身がこの作品を通して
ズタズタになった心を昇華したように思える作品
成長物語と夫婦のお話
あと!ポール・ダノの父親役が最高
優しくて賢くて愛妻家で家族想いで
笑顔が素敵で穏やかな理想の男性
そこに退屈さを感じてしまい
自由奔放な芸術家肌な妻は物足りなくなり、、
全て分かって暮らしていたようで切なかった
妻と親友、幸せな家族を失ってしまう
やっぱりポール・ダノ好きだ
貫禄があって、また新しい顔が見れて嬉しい!
今日たまたま芸術作品に対して批判している人が
目の前にいて、その場面に出くわして、、
作品を観る前の出来事で効いた気がする
この出来事に意味があったかもしれない、、
人生と地平線
スピルバーグの自伝的作品ということですが、基本的には、サミーのパパとママの話とサミーの高校生の頃の話を軸に物語は進んでいきます。
最後の絵の地平線の話が面白いですね。最後の映画関係者の上司は、絵の地平線が上か下にあるのは面白いが、真ん中にあるのは面白くないと言っています。個人的な解釈ですが、これは今までのサミーの山あり谷ありの人生とリンクします。
つまり、中庸な人生は面白くなく、人生は上下するから生き甲斐のある人生を送れるんだよという意味と感じました。
もう少し感動があれば満点にしましたが、上品で心地良い作品でした。
”The 映画“ って感じ
久しぶりの映画館での映画。アカデミー賞作品賞にもノミネートされてるので見てみた。
まず、最初に翻訳が”戸田奈津子”って書いててビックリした。前にテレビで戸田さんが、トップガンマーベリックで翻訳はしない的なことを言ってたから、マーベリックで終わりやと思ってたけど、トムクルーズの作品はもう翻訳しないってことやったのかなぁ??
スピルバーグがアリゾナに住んでる時に映画サークルみたいな感じでたくさんの友達と映画を撮影してるのが、とても本格的ですごいなぁと思った。現代はどの映像もとても高画質で美しいが、昔のような荒めのフィルムも味があってそれはそれで趣があって良いなぁと感じた。
作中にスピルバーグの母が父の友人ベニーのことを好きになって、不倫まではいかないがそのおかげで母がおかしくなっていったりするシーンが多かったから、映画を見ている間ずーっとなんだか心が締めつけられるというか、気まずいというか、モアモアするというか、少なくとも見ていて気持ちは良くなかった。
アメリカってユダヤ人系の人が結構多いイメージやったけど、作品の中ではユダヤ人であるスピルバーグが差別されたりいじめられたるとかされるんだなぁ。現代もそうゆうのが残ってるのだとしたら日本人もアメリカに行きづらいなぁと少し思った。
この作品はいかにもアカデミー賞とか取りそうな感じで、王道の”The 映画”という感じがして、久しぶりの映画館での映画がこの作品で良かったと思う。
「映画うま男」を創り出したもの
スティーブン・スピルバーグ
言わずと知れた「映画監督」の
代名詞と言えるほどの世界最高の
ヒットメーカー
幼少期に観た映画に魅入られ
17歳の時にハリウッドスタジオに
出入りするようになり作った短編
「アンブリン」が
アトランタ映画賞を受賞
ユニバーサルとの契約を得て
1971年「激突!」
1975年「ジョーズ」など
低予算をアイデアと特殊効果で
ひっくり返す作品で
世界的にブレイク
その後は自身のルーツである
ユダヤ人にまつわる本質的な
テーマの「シンドラーのリスト」
など社会は作品も展開
多種多様なジャンルをこなし
映画マニアからは
「映画うま男」と呼ばれ(?)
映画界の頂点に君臨しっぱなし
である
というスピルバーグ氏のその
ハリウッドに出入りするように
なるまでを描いた今作
どうだったか
主人公を氏をモデルとした
サミー少年に留まらず
「フェイブルマン家」として
扱うことで誰の視点に偏る
こともなくそれぞれの心情を
主張させる展開はあたかも
NHK朝ドラのようで逆に新鮮
内容を通じて映画が自分にとって
人々にとって何であるかという
思いが伝わってきました
先日も似たようなテーマの
「バビロン」という作品が
ありましたがそれより
なじみやすかったです
だって朝ドラだから
アリゾナに住む
ユダヤ系の「フェイブルマン家」
新しもの好きで優しいが
いったんスイッチが入ると
相手かまわず早口で喋り始める
ナード系の機械技師のバートと
芸術家肌でファンキーで奔放
なピアニストのミッツィ
そんな間に生まれたサミー少年は
映画に連れられ見た作品は
「史上最大のショウ」
機関車と車が激突し
大事故が起こるシーンを強烈に
脳裏に焼き付けたサミーは
せっかくバートにプレゼントされた
模型機関車も憑りつかれた様に
ミニカーと激突させるので
バートは頭を抱えますが
ミッツィはその行動に意味を感じ
バートのカメラをこっそり
サミーに渡しその「シーン」を
撮って見せるよう言います
サミーはクローゼットの奥の
即席映画館で最高のそれを
ミッツィに見せます
それがサミーの「キャリア」の
始まりだったのです
そんなミッツィの口癖は
「出来事には意味がある」
その頃バートはRCA社で
同じエンジニアとして
親交を深めていたベニーと
共に開発していた
真空管コンピュータ「BIZMAC」が
認められIBMがバートを引き抜き
アリゾナを出る話が出てきましたが
ミッツィはそれを強く拒絶します
何故なのでしょう
やがてボーイスカウトでも
短編映画で評判の作品を
作るようになったサミーは
拳銃が弾を発射する後入れの
フィルム効果等を編み出し
父も感心しますがそろそろ
そういう趣味よりも実質的な
車の運転なども覚えてと
言われるのを嫌がるように
そんな折ミッツィの母が亡くなり
悲しみに暮れるミッツィを
案じたバートはサミーに
欲しがっていた編集機を与え
一家とバートの仕事上から
家族ぐるみの付き合いの
ベニーおじさんと行った
キャンプの短編ビデオの
編集してミッツィに
見せてやってくれと
頼まれます
サミーは正直乗り気には
なれなかったのですが
そのキャンプ映像の
編集中に不意に映った
ミッツィとベニーの
「密接さ」を知り
困惑しミッツィ(とベニー)
を拒絶するように
なっていきます
ミッツィはそれに対し
怒りを見せるのですが
サミーにその理由を
打ち明けられ
どうしていいかわからない
サミーは秘密を洩らさない
ようにします
アイデアと工夫で
思うまま寓話を撮ってきた
サミーが
単なるキャンプを
映像に残したことで
思わぬ真実を残す
その「真実性」の怖さを
知ったので
カメラで撮ることに
恐怖をも覚えてしまった
ようです
そんな折ミッツィの
母の兄であるボリスおじさん
が弔問に来ますが
映画関係の仕事をしていると
サミーに伝えると
母方の家に伝わる
芸術家肌の妥協できない
我慢できない性分が
お前にもある
どうしても我慢
できないから覚悟せえよ
と言われてしまいます
結局家族は
カリフォルニアへの
引っ越しが決まり
ミッツィがアリゾナを離れる
事を拒否し続けた「理由」
ベニーから餞別として
最新型8mmカメラを
贈られますがサミーは
前述の恐怖からもう映像は
撮らないと拒否(結局受け取る)
バートはもう成長して
やめたものだと思って
いたのですが
バートはベニーとミッツィ
の関係にもまるで気がついて
おらず仕事の成功しか
頭にないようで
そこへも少なからず
不満があるのでしょう
結局カリフォルニアに越した
フェイブルマン一家
サミーはユダヤ系である事で
転校先のハイスクールで
スクールカースト頂点の
ローガンやチャドらから
とことん虐められますが
サミーも結構やり返すので
トラブル続き
引っ越すんじゃなかったと
父を恨みますが
ふと知り合った
ガールフレンドのモニカの
勧めで最新カメラを貸して
あげるからと卒業イベントの
撮影を頼まれます
そんな折引っ越し後から
家事も何も手に付かず
ベッドで寝てばかりになった
ミッツィにバートもついに限界
「離婚」と相成ってしまいます
理由を受けとめられない妹らは
混乱しますがサミーは既に
知っていますし
(妥協できない性分も
ボリスから聞いてますし)
淡々と卒業イベントの編集を
進め工夫も凝らした見事な
作品を作り上げます
さて卒業パーティー当日
サミーはモニカに
両親が離婚するので一緒に
ハリウッドに来ないか的な
重たいプロポーズをして
しまい大爆死
しかしその傷心冷めやらぬまま
上映したサミーの映画は大ウケ
チャドは徹底してマヌケに
描写されローガンは
「無欠の英雄」のように描かれ
ローガンに女子勢は夢中に
なりますがローガンはだんだん
複雑な表情になります
そしてサミーに詰め寄ります
「なぜあんな撮り方をした」
するとサミーは
「お前は最低な野郎だ」
「だが"あの中"なら仲良く
なれるかもしれないと思った」
とハッキリ言いきります
するとサミーを見つけた
チャドが仕返しに
殴りかかってきますが
なんとローガンが
チャドをぶん殴って
追い払ってしまいます
そしてローガンは
あろうことか慟哭し始めます
周囲に対し強い男と
虚勢を張ってきた
自分を映像で見透かされて
しまったという事でしょうか
思わぬリアクションに
サミーは困惑しますが
「このことは秘密だ」と
告げられローガンは去ります
かつて
現実を映像に残すことで
不都合な真実を切り取ってしまう
怖さを目の当たりにしたサミー
ですが今度は演出をもって
人をフィルムに映し出す事で
作り出される理想がその人を
押しつぶしてしまう
事もあるということを
スティー…じゃなかった
サミーは知ったのでしょうか
まぁローガンは単純に
感動したんだと思いますが
そして1年後
サミーは離婚後父についていって
カリフォルニアの大学に行った
ようですが相変わらず差別は
なくならず映画の仕事がしたい
と方々に手紙を出しまくっては
お祈りされる日々にうんざり
バートは気を落とすなと
たしなめますが
ミッツィからの手紙が
届いておりそれでベニーと
幸せそうにしている姿を見て
バートも一気に態度が変わり
したいようにしなさいと
サミーに言います
バートも自分の夢にばかり邁進
していたわけではなく
バートなりに家族のために働き
ミッツィの幸せも願っていた
所はあったと思いますが
届かない部分があった
ベニーとの関係は結局
知っていたのか不明ですが
(映画の中でもどちらとも
とれる描写でした)
アーティストの妥協なき感性
はバートなりに感じ取って
いたのだと思います
バートにそう言われた
サミー宛の封書には
ハリウッドのスタジオから
話を聞きたいというものが!
なんかハリウッドスタジオの
ツアーを抜け出してスタッフと
仲良くなって3日間のフリーパス
貰ってその間に人脈を作った
なんて逸話もありますが
それはあくまでスティーブ(笑)
そして面接に臨むサミー
テレビシリーズの仕事を依頼され
すると伝説的な監督を紹介されます
その監督は葉巻をくゆらせながら
「地平線を上か下に取るだけで
その映画は面白い!
真ん中にある映画は退屈だ!
それだけ覚えておけ!」
という金言を授かります
本当に言われたんでしょうねw
ここのシーンだけですが
圧倒的なキャラを見せつけた
デビッド・リンチさすが
そして足取り軽くハリウッドの
スタジオの間の通りを向こうへ
去っていくサミー
彼に待っているものは?
というところで映画は閉じます
別に自分は映画マニアではないので
歴史的な作品に詳しいわけでは
ありませんがそれでも作品から
伝わってくるメッセージは
色々ありました
スピルバーグ監督の言葉で
一番好きなのは何かの番組で
「映画監督に憧れる若者に
アドバイスお願いします」と
司会に言われたときに
「その質問には答えられない」
「なぜなら私も
映画監督に憧れているのだから」
人は生きている限り
道のまだまだ途中…
ほ~。← (納得のほ~)
スティーブン・スピルバーグ監督の原体験を元にした自伝作品。
初めて行った劇場で映画の虜になるサミー。
母親に8ミリカメラをプレゼントされ、そこから子供ながらに仲間を集め映画を製作していく話。
映像を撮影してはダメな箇所を模索しながら修正し、納得出来た作品を観せる。
作品を観て喜ぶ人の姿を見て映画製作の楽しさを知る。
この作品には監督になるまでの話だけでなく家族内でのドラマ、学校でのドラマも描写されてる。
ラストのフォード監督に言われた地平線の話、「上と下にある地平線は面白い、地平線が真ん中にくるのはつまらない」、は何か深いな!
監督だけでなく何か私にも刺さりました!
意味はわからないけど(笑)
愛ゆえに
スピルバーグ監督の自叙伝的な作品ということで、全ての監督作は観れてはいませんが、代表作は一通り通っているのでその知識の勢いで鑑賞。
んー…。長さはそこまで感じませんでしたが、物語がそこまで面白くなくてのめり込めなかったです。ウトウトは全くしませんでしたが、最後まで何だかなーって感じが抜けなかったです。
まず良かったところを列挙していくと、学生時代のエピソードで創意工夫を重ねながら映画を作っていく様子はとても楽しかったです。戦争映画を作る際に大手映画を作るには予算が足りないので、地面に仕掛けを作って銃弾に当たった風に仕上げたり、わりかしグロテスクな血まみれな様子を映像に映し出したり、やられ役達が移動を繰り返すなど、しっかりした作品になっている、スピルバーグの原点を観ているかのようで嬉しくなりました。これがサメ映画の金字塔である「ジョーズ」へと繋がっていくのかと思うとワクワクするばかりでした。
街並みのロケーションや音楽も素晴らしく、アカデミー賞にノミネートされるのも納得なくらい心地の良い映像とサウンドに包まれてとても良かったです。
ただ、全体的に母親のしょうもない不倫劇がずっと垂れ流しにされているので、その点はずっとノイズになっていました。スピルバーグの実母をモチーフにしていると思うので、悪く描けないのは分かりますが、自分勝手な母親が父親の親友とイチャつく、引っ越しする際も親友を連れて行かない(正しくは連れて行けない)事を責め立てる、キャンプ場でガッツリ手を繋いで、挙げ句の果てには離婚して親友の元へ戻るという酷さ。これが現実に近いものと考えるとスピルバーグは少年時代相当苦労したんだなと思いましたが、観客としてはそんなものは別にどうでもいいので、映画作りに勤しんだ描写をもっと描いて欲しかったなというのがあります。父親も苦しんでるんだかよく分かりませんでしたし、母親は中々にクレイジーで好きにはなれませんでした。姉妹は良い子達でしたけどね。
ユダヤ人差別とか歴史の授業で習ったくらいの知識なので、住んでいる場所がガッツリ変わるとこうも差別されるんだなと勉強になりました。ただ、この差別が映画作りに活きていたとは思えず、いじめられてた少年を少しだけ見返したくらいなだけなのはどうにもいただけなかったです。こればかりは好みの問題です。
というか後半に差し掛かってから学園ドラマに何故か舵を切ったので、その辺でも面白さが無くなってきたなと思いました。キャリアを語る部分で根幹を作った学生時代を必要とするのは分かりますが、どこかで観たというか観たことのあるアメリカの普通な学園ドラマを今更観せられても…という気持ちに襲われました。
終盤の卒業ムービーお披露目会で、なぜか好かれた彼女に両親の離婚とプロポーズの言葉を同時に渡したらフラれるという急展開には、ん?と首を傾げざるを得ませんでした。宗教には疎いのでそこら辺が引っかかった上での実話だとしても、これまた映画作りには直結しない描写で必要性を感じませんでした。
終盤、大学に行ったら行ったで病んで、映画の道へ進み、ジョン・フォード監督に喝を入れられ名監督スピルバーグへと歩み出すシーンはなんだか煌びやかでした。ここからジョーズを作る手前までを描いて欲しかったなとしみじみと。
2023年に入って多くなった"映画"の映画。どこか捻ったところや尖ったところが無いと退屈に思えてしまう場面が多くなってしまい、今作も例に漏れず。「エンドロールのつづき」と一緒で映画好きな少年の平凡な物語、作っている側の自己満足で終わってしまう作品はどうにもテンションが上がらず…。オスカーがこういう作品を好むのは分かっていますが、そういえば例年のアカデミー賞と相性が悪いのをすっかり忘れていました。このあと出てくる作品にも畏怖しながら過ごしていきます。
鑑賞日 3/5
鑑賞時間 17:00〜19:45
座席 J-23
スピルバーグも人の子
正直
青春時代が長すぎて
Netflixのドラマを観てるようでした
そして
ジョーズやE・Tの誕生の裏話などが
観られるのかなと思ってたので
なんかなあ
でした
続編あれば観ます!
ストーリーはこんなにも人を喜怒哀楽させるのかと感動
宗教、差別、スクールカーストといった、誰かが作り上げた空想の中でもがき、家族の中では、最も自分を精神的に支援してくれたお母さんの恋模様が、お父さんは資本主義に翻弄された猛烈サラリーマンで家族を翻弄する。これらの格差、差別、イデオロギー、経済システムは全てフィクションによって構築されたものだ(サピエンス全史的な世界観)。そのフィクションを映画という形でパッケージングしてるという構成が面白い。
子供の頃から映画に夢中になったサム少年は、レンズ越しにこれを捉える。ポールダノに「趣味だ」と揶揄されるが、それに怒りを覚える。卒業式で流した映像で、同級生が悲しみ•怒りを爆発させる。「こんなにも映像は人の喜怒哀楽を揺さぶるのか!」と思ったに違いない。サム少年は、その様子をどこかレンズから覗いているように客観的に見ているように感じた。
今はスマホで簡単に撮影してSNSでシェアされるが、当時は映像コンテンツなど少なかったに違いない。しかも、自分たちの仲間が写っているとなればみんな喜ぶだろう。承認欲求という点では今も昔も変わらないなと実感した。
「クラッシュ」で始まり終始「クラッシュ」が根底に流れて続けているような映画だった。だが、最後にくすぶっていた情熱がジョンフォード氏の言葉によって爆発したように見えた。映画界の巨匠同士が良い意味でクラッシュした瞬間を見たようだった
お父さんが偉大です!
ごく普通の家庭を描いているので、特に感動とかはありませんでした。常識人の父親と父親似の長女と破天荒な母親と母親似の長男。私は、やはり父親の目線で見てしまうので、芸術家ってわががまがで身勝手だと思ってしまいました。子供時代よりも、どうやって監督になったのかの方が興味があったので、少し期待はずれでした。あんなに家族を思って、尽くして頑張っている父親が可哀そうでした。それでも家族を愛していられるなんて、偉大な人だなと感心した。
ラストでジョン・フォード監督に扮した役者がとても気になりました。
スピルバーグ監督の原点を通して訴えるメッセージとは
スピルバーグ監督ができるまでの少年期から青年期にかけての物語。
衝撃的だった映画体験
初めてカメラを持った時
家族との時間
アリゾナ、フロリダへの引越し
ユダヤ人として生まれた彼の葛藤や差別
いじめ
恋や失恋などなど、
スピルバーグが大人になるまでの出来事が綴られているけど、彼にとって最も衝撃的だった出来事は、家族でのキャンプの時のフィルムに映っていた母親の女の顔、父の親友で慕っていたオジサンとの関係性を知ってしまったことじゃないだろうか。
カメラを回さなかったら、編集していなかったら真実は知らずにすんだのに…
そして皮肉なことに、彼は歴史に名を刻む映画界の巨匠となった。
とはいえ、結局数年後には両親は離婚し、母は父の親友のペニーと一緒になったのだけど。
そんな母から得たことは
“心のままに生きること”
彼も大学を中退し、心のままに愛する映画の道へ進んだ。
そして本作は、映画と芸術へのオマージュでもある。
配信によって映画館や映画が転換期を迎えている今、『モリコーネ』や『バビロン』そして本作などが映画の尊さを訴えているようにも思える。
画もピアノの音楽も美しかった。
「地平線は下でも上でも美しい」
「真ん中に描いたらダメだ」
監督の最後の言葉、印象的だったな。
私もスピルバーグの母から学んだことがある。
我が家も食卓はテーブルクロスと紙皿にしよう!!面倒な後片付けの手間が省ける(笑)。
ビターミルクチョコレートのような映画だった
自分の気持ちを信じて家族から出ていく母親と、映画に向かっていく自分を重ねたような映画でした。
苦くて甘い、はずなんだけど、
物凄く甘々に見えた。
子供の話だから仕方ないのかな。
ただ、主人公がカメラに狂っていく様は
ほんと狂気的でしたな。。
何観ててもカメラ回したくなっちゃうっていう
あの目。
スピルバーグ、人好きじゃ無いでしょ?
本当に映画狂いでしょ??と思った。
あの痺れるラストシーン。
あんなサプライズは嬉し過ぎるし、
ラスト主人公が飛び跳ねて、
カメラも一瞬手ブレしてたのが良かった!!
(スピルバーグ自身も跳ねてたのよね)
私的な話だが、
スピルバーグは母親に観せられる映画を
作れてる分まだいいじゃん、とか思っちゃったよ
巨匠による美化された自伝映画なのか。
巨匠の作品、それも巨匠の自伝的作品にこの評価をつけるのはなかなか勇気がいることでございます。しかし、このサイトは単なる映画好きの人間が自分の無知を棚上げして好き勝手述べるサイト。所詮はど素人なので自分が感じたことを自由に述べればいいのだと自分を納得させる。
いくら巨匠の作品でも凡人の自分が楽しめなかったことを素直に書くことがこちらのサイトの存在意義なので遠慮なく書かせてもらおう。
さて、本作は幼い息子を初めて映画に連れてゆく場面から始まる。映画を怖がる息子に大人でも理解しづらい説明をする父親。幼い頃ヘタレだったスピルバーグらしいエピソード、でもなんか不自然。この始まりから感じた違和感は鑑賞中結局消えなかった。
その後、映画が始まってからいつまでたっても面白くならない。私の長年の映画鑑賞経験から開始十分前後で駄作か否かが大抵わかる。これは朝から体調が悪いせいかなとも思ったが、どうやらそうではないようだ。
まさかスピルバーグ作品で時計を気にするとは思いもしなかった。
ストーリーは前半は母の浮気、後半はいじめと両親の離婚と、そもそも本作の主役が若き日のスピルバーグでなければならない必要性があるのだろうか。
勿論、幼い頃から映画作りに没頭してきた、しかし大抵の映画監督はみなそうであろう。本作の主役がスピルバーグでなければ成立しえない作品とは到底思えない。
彼だけの物語、それはやはり幼き頃の学習障害であった点ではないだろうか。
彼がそう診断されたのはごく最近のこと。つまり当時は精神医療が進んでおらず障害であることさえ認識されてなかった。彼が人並みに勉強できなかったことが障害によるものだと理解されてないだけに彼や家族の当時の苦しみはひとしおだったはず。そのせいで酷いいじめにもあった。
しかし、そんなつらい時期を家族や周りの支え、そして映画への愛が支えとなり今のスピルバーグがいる。
本作は素直にそれを映画として描けばよかったのではないだろうか。そうすれば家族の絆、そして障害があっても支えがあれば克服できるというメッセージ性ある作品になりえたのではないか。
本作では学習障害の点はまったく描かれなかった。スピルバーグ自身がすでに公表している事実にもかかわらずである。この点の意図はわからない。
しかしたとえ障害があっても偉大な映画監督になれるんだという一番描いてほしかったテーマが描かれなかったのは非常に残念。
過保護すぎる幼年期から少年期のサムを見ていてまったく感情移入出来なかった。というか登場人物の誰に対しても。
実話ベースだから無理にドラマチックにできないとしても、もう少し見せ方を工夫できなかったものか。
たとえば前半の一番の見せ場、母の浮気をサムがフイルム編集中に知ってしまうくだり。ここはサムの表情だけを見せて観客には何が映っていたかは見せずに、母に見せるところで観客にも見せるようにすれば事実が発覚するまで観客は小さなサスペンスを楽しめたはず。実際スピルバーグはいままでこの様に観客を楽しませてきたのでは。
また、スピルバーグといえばユダヤ人差別。流石にこれはスルー出来ず、一応描かれていたがそれもとってつけたような感じであまり深刻には描かれない。そして卒業制作の映画で誰もが予想したいじめっ子との和解がそのまま描かれる。
ここでいじめっ子の葛藤だけは本作で唯一共感できたところではあった。映画と現実は違うという彼の言葉。彼が思う理想の自分と実際の自分との乖離に悩んでいるところが描かれていて本作で唯一感情移入出来た場面だった。
スピルバーグの自伝的作品でなければそもそも企画さえ通らなかったのではないかと思える凡庸な作品だった。
ローガンの涙
彼はなぜ泣いたのだろうか、
いわゆるスクールカースト上位で筋肉モリモリ、女には困らない男。
サムをぶん殴ったり、チャドと人種差別を騒ぎ立てる。
彼はプロムでの映像でイメージと違った自分を見る。
映画が切り取る事実は、当事者からすると真実ではないらしい。
ローガンも本当の自分、周りからのイメージの自分との間で何か不安を抱えていたのかもしれない、葛藤があったのかもしれない、
そのピークがチャドをぶん殴ることにつながったんだと思った。
この展開がとてもいい。これぞ青春映画。
複雑な悩みを抱えて廊下でうずくまるサムに一番共感できた。
【映画ジャンキー誕生の軌跡】
スピルバーグ監督の映画讃歌、もっと言えば人間讃歌。時に愉快で、時に理不尽な人生の一頁を、意図した表現で撮ることの出来る醍醐味と、翻って図らずも真実を撮影し対峙せざるを得ない憂いも引っ括めて、映画の虜になった熱烈な想いが伝わってくる。
保守的で現実主義の優秀なエンジニアの父親と自由奔放で情熱家の音楽家の母親を、対立構造で描くのではなく理屈や理想だけで割り切れない人間の滑稽さと愛おしさで表現していて、ジョン・フォード監督と対面するラストシーンのカット割りテクニックに留まらない含蓄のある台詞にグッとくる。
★★★★☆
#映画
#映画鑑賞
映画小僧やな。
僕も、ミクロの決死圏を子供の時に観て、映画小僧に
父の8mmフジカシングル8で撮りまくったね。
彼ほどの才能はなかったね。編集したね。カットして
テープで貼って。サウンド8がでてからは、トーキーになったけどね。ミシェルウィリアムスがいいね。
ポールダノも太って感じでてるよね。
みんな、活動が好きやね。デビットリンチのフォード監督僕は、ハワードフォックスかって思った。
音楽は、ジョンウィリアムスなんや。
主人公と父親の話。
フェイブルマンズは出自を顕わす家名だけど、主人公と父親の話だと思った。
導入からキャンプまでのテンポがいったんカメラを置くタイミングからスローになる。
ストーリーが母親のエピソードに引っ張られるけど、彼女は西海岸には戻らない話の方が良かったじゃないかな?父親は凄い人なんだけど、エピソードが少なすぎて消化不良だった。
映画の夢に与えられ、奪われる
上映時間2時間31分、さしたる事件もアクションもないストーリーなのに、まったく飽きることがない。
本作がスピルバーグの自伝的作品であることは予告編などで語られていたが、そのことを知らなくても十分面白い。
この映画の主人公はサミー・フェイブルマン。タイトルの「フェイブルマンズ」とは、“フェイブルマン家”という意味だ。
つまり、本作はサミーと家族を巡る物語を縦糸にしながら、同時に「映画を創るとはどういうことか」というテーマが縦糸として貫いている。この後者のテーマについて劇中、繰り返し語られていて、それが映画好きにはたまらない面白さ。
観終わって、珍しく脚本を読み返したいと思ったくらい。
映画とは嘘である。
サミーが西部劇を撮るエピソードがある。
フィルムを編集をしているサミーは銃撃戦のシーンが「嘘っぽい」と悩む。
そこで彼は工夫を凝らし、フィルムに穴を開けることで迫力あるシーンを創り出すのだが、これは嘘に嘘を重ねて現実感を創っている、と言える。
家族旅行を撮影したフィルムに写っているものは現実だが、編集することで、それは「現実」から遠ざかる。
サミーは偶然、母の浮気を撮ってしまう。だが、そのシーンは編集でカットして、無難な作品に仕上げた。
出来上がった映像は楽しい家族旅行が表現されているが、それはサミーが編集で創った「嘘」だ。そして彼は偶然フィルムに収めた「現実」に苦しむことになる。
ハイスクールのプロムナイトで、お楽しみ遠足の様子を収めた映像をサミーが上映するシーンも同様。
その直前にサミーは彼女にフラれてしまう。傷心のサミーだが、みんなを楽しませる映像を上映しなければならない。ショウ・マスト・ゴー・オン。
映像を撮った時点では、サミーは彼女とラブラブだった。その映像を撮ったカメラは、彼女の父親から借りたものだったし、カメラを貸すからとサミーは映像制作を彼女から勧められて引き受けたのだった。
つまりサミーにとって、その映像は彼女との思い出に満ちたものだ。同級生たちは映像を観て楽しんでいる。それなのに彼だけが傷ついている。
ここでも、サミーが創った映像の中の「嘘」(彼女とラブラブ)は、「現実」(フラれた)によって打ちのめされるのだ。
こうして、サミーは映画を創りたいという夢に導かれ、家族や周りの友人たちと8ミリカメラで映像を撮るのだが、ときにそれは残酷なまでにサミーを傷つける。
本作は幼いサミーが両親と初めて映画を観るシーンから始まる。
サミーは映画館の暗さやスクリーンの大きさなどに怖がっている。
だが、サミーはたちまち映画の魅力に取り憑かれ、その後、8ミリカメラを手に自分で映画を撮り始める。
この冒頭のシーンが本作のすべてを象徴している。
サミーは映画に夢中になるのだが、初めは怖がっているのだ。
そう、映画は怖い。映画人を苦しめるものだ。
ラストに登場するジョン・フォード監督(なんとデヴィッド・リンチが演じている)は映画の仕事を始めようとするサミーにこう言う。
「心がズタズタになる仕事だぞ」と。
両親が離婚しそうなときも、サミーは離れた高い場所に座り、そのやりとりを撮影することを想像してしまっていた。
祖母の臨終に際しても、彼はカメラを覗くかのように死にゆく祖母を観察している。
映画を創る者ゆえの習性であり、業(ごう)だ。
サミーは映画監督になるという夢に近付きながら、映画の夢に与えられ、そして奪われていく。
だがラストは、それでも、夢に向かって歩くのを止めないサミーの姿をカメラは捉える。
思いがけず出会ったジョン・フォードとの会話の余韻に高揚しながら、サミーはスタジオが立ち並ぶ撮影所の通路を歩いていくのだ。
本作の冒頭で「地上最大のショウ」に触発されてカメラを手に取り列車の衝突シーンを皮切りに映画を撮り始めた少年はやがて「激突!」を撮り、「未知との遭遇」や「E. T.」などで「破綻した家庭」をたびたび描いてきたことを僕たちは知っている。
スピルバーグが「スピルバーグになる」以前を描きながら、映画とはなにか、映画を創るとはどういうことか、そしてさらに、何かを創作するとはどういう意味を持つかを語った。
傑作である。
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