フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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晩年の黒澤みたい
続きも観てみたい。
さすがスピルバーグ
スピルバーグの自伝的作品。少年の頃からちょっとしたヒントで何倍にも面白く仕上げるのには恐れ入ったです。ポールダノやセスローゲンの演技はすごいよかった。決して人気スターではないけど上手くはまっていました。
どこまでが事実なのかしりませんが、ラストシーンがもしホントならものすごいことですよね。あれは興奮しますよ。
ジョンウイリアムズの音楽も効果的で近頃引退を撤回して嬉しい限り。
もうすぐアカデミー賞が発表されます。ここに来て超ダークホース作品があっという間に社会の風に乗り大本命になってしまった。
ゴールデングローブ賞で監督と作品の2冠に輝いているのだからどっちか取って欲しいけど無理かもしれませんね。
とても良い作品でした。
ありがとうスティーブン・スピルバーグ。
もう少し映画作りに特化して欲しかったかな
スピルバーグ少年の「夢と闇」
TOHOシネマズ上野にて鑑賞。
スティーヴン・スピルバーグ監督が自ら取り上げた自伝的映画。
監督の少年時代における「夢と闇」を描いた作品であるが、なかなか面白かった。
怖がりのスピルバーグ少年が両親と映画館に……と「おっ、映画ワールドの始まりか?」などと思ったら、家族関係も多く描かれていて、映画ワールドどっぷりの作品でないあたりは監督が「どうしても描きたかったこと」なのだろう。
個人的には、TV映画「刑事コロンボ~構想の死角」や元々テレビ映画で後から劇場公開された「激突」ぐらいまで描いて欲しかった。
『ガンスモッグ』や『地獄への脱出』などの自主映画は劇中映画として描かれるものの、本作に登場している出演者が映っているので「この映画用に撮影した自主映画風の映像」なのか…?
しかし、家族ドラマにおいて、「えっ、こんなことまで映像化しちゃうの?」という驚きは、あちらこちらで……(^^;
自分が学生時代に観た『地上最大のショウ』は、当時、黒澤明・キューブリック・ヒッチコックにハマりまくっていたこともあり、「なんだか退屈で長い映画…」だと思えたが、本作鑑賞後、改めて観直してみたいと思った。
<映倫No.49526>
今回はハズレ
戸田奈津子先生
スピルバーグ自体は凡人!?
スピルバーグの映画を劇場へ足を運ぶのは小学生の時に観た『フック』以来、今までの作品も『激突!』と『続・激突!カージャック』に『ジョーズ』をここ何年かで、近々にも20年以上前の『プライベート・ライアン』を観たくらいで映画監督として偉大だと理解しながら撮る作品に興味が持てずに。
長尺の上映時間が苦になり始める鑑賞中、ジョン・フォードが登場する終盤戦、これからの展開が気になりながら唐突に終わってしまう感じ、率直な感想はデヴィッド・リンチ版フェイブルマンズが観たい、スコセッシのフェイブルマンズはギャングが登場したり想像するだけでワクワクする、個人的に興味が持てないスピルバーグの幼少期や少年時代は当然ながら興味の対象外だった。
特筆すべきはミシェル・ウィリアムズ演じる母親、彼女の役柄が『ブルーバレンタイン』や『テイク・ディス・ワルツ』で演じた女性像に近いものを感じながら、家族を中心に描く物語は妹たちがお飾りにも自分大好き人間と誤解してしまうスピルバーグの自己満足映画として、裕福で何ら不自由のない子供時代は青春映画として物足りない、家族の歪みや人種差別、そして"映画愛"と何を一番に描きたかったのか、簡単に新作を撮ってしまう印象のスピルバーグとそうはいかないデヴィッド・リンチ、そんな二人が監督と出演者として奇妙に思える関係性と違和感だけが残る!?
《本作は"映画愛"などという一般的な話ではなく"芸事"を職業とする者の"業"を描いた物語でありジョン・フォードの"地平線"はそのことを言っている》
by.某 映画評論家。。。
家族との思い出を映画の物語にした!
幼少期に父親に連れられて見せられた
サーカスの映画がスピルバーグ監督自身が
映画に魅せられるきっかけとなりました。
彼は本を出版していつか家族を物語
「フェイブル亅にした映画を製作したいと書かれたそうですが今回の作品で自伝的映画が
実現されて良かったと思いました。
家族でキャンプに行った先でカメラで撮影したり、列車の模型を激突させた情景を自主映画にした少年時代でした。
父親はエンジニア、母親はピアノを弾く芸術家気質、妹たちがいました。
学校のいじめ、部活、差別的なことを経験しながら転機を迎えた16歳、スピルバーグ監督の映画はすべて家族の思い出が着想に含まれているそうです。
ラストの地平線が上か下かにより、映画の面白さが変わってくることは初めて知りました。
家族愛がつまったストーリーでした。
すべての出来事には意味がある
サミーにとっての初めての映画見物のシーンで、この映画は始まる。暗い映画館に入ることを怖がる幼少期のサミーに「映画とは…」といかにもエンジニアらしい(滑稽な)説明をする父バートに対し、芸術家肌の母親ミッツィは映画の素晴らしさを説き、サミーの恐怖心を解きほぐそうとする。何とも対称的な説明に笑ってしまったが、これがフェイブルマン家の悲劇の伏線になる。
竜巻が起こるや、三人の子供を車に乗せ、その見物に向かう母ミッツィ。その好奇心と行動力には驚かされる。そして「すべての出来事には意味がある」とミッツィは呟く。これから起こるすべてのことが映画監督スピルバーグの未来、作品に繋がるということを示唆しているのだろう。
自分の映した映像を編集する過程で母の浮気に気づいてしまう中学生(?)のサミー。家族を愛しながらも夫の親友との浮気に溺れてしまう母。そしていつしかその事に気づき苦しみながら、結局それを許す父バート。引っ越しの車のなかでのエピソード、飼い始めた猿に夫の親友であり、恋人でもあるベニーの名を付ける母親、離婚してベニーと暮らし始めた母親からの手紙と同封された写真を見てショックを受けながらもサミーの大学退学を許すバート。こうしたすべてのことが映画監督スピルバーグに繋がっている。
サミーの手腕によってヒーローのように編集されたドキュメンタリー映像に「こんな安っぽい人間じゃない」ということなのか「自分の内面と映像とのギャップに衝撃」なのかよくわからないが、ショックを受けて、怒るハイスクールの同級生で、サミーを苛めていたイケメンのローガン。人の心理(サミーもローガンも)の複雑さも興味深いが、面白い映像を作るためなら何でもできると言わんばかりのエピソードでもある。
スピルバーグの映画監督としての才能を垣間見せるエピソードと、彼の映画監督としてのバックボーンとなる幼少期から青年期までの出来事。特に母親ミッツィの存在、父親バートの存在、特に両親の離婚を巡る家族の葛藤、苦しみ、ミッツィとバートの振る舞いはとても興味深い。
ベーグルって食べたことないけど、なんだか食べたくなってきたなぁ。
両親に連れられて初めて観た映画『地上最大のショウ』によって幼い頃から8ミリカメラで映画を撮る楽しさを覚えたサミー少年。機関車模型をプレゼントされるやいなや、早速観た映画のような撮影をする天才。ボーイスカウト時代に仲間たちと自主映画を作るなどして、10代のうちに監督の才能が開花してたんだなぁ~と、スピルバーグファンならば垂涎モノの劇中劇。むしろフィルム編集の方に力を入れていたような気もする。
ユダヤ人にはクリスマスは関係ない!ハヌカ祭りを祝おう♪などとユダヤ人に関する豆知識もいっぱいで、高校時代のユダヤ人差別も描かれています。そんな中でも初恋は「ジーザス命!」といった雰囲気のキリスト教徒の同級生モニカ(クロエ・イースト)が相手。恋愛には宗教も人種も関係ないといったエピソードも。
なんと言ってもこの映画最大の魅力は母親役のミシェル・ウィリアムズ。ピアニストとしての魅力とともに妖艶な踊りも披露してしまう(透け透け度は『バビロン』のマーゴット・ロビーの方が上)。『ジャズ・シンガー』絡みでバビロンとも共通点があるところが面白い。
母親の言葉とか色々と納得する台詞もあったけど、最も印象に残っているのは「Art is a drug」かな。登場人物で言えば、ボリス伯父さん(ジャド・ハーシュ)やジョン・フォード(デビッド・リンチ)のインパクトが凄い。
気になるのがスピルバーグの作品群に影響を与えた体験は何だったのか。祖母の死に立ち会った際に見た頸部の律動なんかは『E.T.』や『ジュラシックパーク』に影響してるし、ペットの猿なんかは『レイダース』に?ほんのワンカットだったけど、サミー少年が手で影絵を作ってるところは『E.T.』その他に見られる手のこだわり。さすがに「おサボり日(ditch day)」のビーチは『ジョーズ』に繋がるかはわかりません・・・
情緒不安定な人が多い気が
天才・スピルバーグが出来るまで
〈全てのことには意味がある
It shows what the artist is made of.〉
アーティストであることは、家族や人間関係を壊す、とても辛い仕事だと登場人物は繰り返し示唆する。なのに何故、少年はアーティストを目指すのか、映画を撮り続けるのか。
この映画は、自伝でもあり、アーティスト・スピルバーグのマニフェステーションでもある。
天才の作品が、隠れていた人間の本質に光を当てる。その瞬間、平穏な人々の心や日常が、音を立てて崩れていく。優れたアートはそんな諸刃の剣を持つ。
父と母の葛藤は、サイエンティストとアーティストのそれであり、決して交わることなく、相対したまま、頂きを憧憬する山の両裾だった。
天才の子供は、その葛藤を昇華し、山の高みを押し上げる力に変えていく。
「カメラはいつも真実を映す」
何気なく撮った家族の旅の記録映像、そこには母の父への裏切りの証拠が映し出されていた。それが家族を新天地、カリフォルニアへ移住させ、サム(スピルバーグ)に人種差別と虐めの学園生活を強いることになる。
コンピュータ黎明期の発明を担う天才科学者の父の成功、広く美しい新居、誰もが羨む生活。だがサムの映像に映る母の眼は空虚だった、恋人と離れてしまった哀しみで。両親の離婚。華やかな成功と裏腹に家族は不幸だった。
高校最後のプロムスは、常に理想と現実のギャップの想い出として描かれる。恋人とロマンチックなダンスをしながら、サムが愛と真心を言葉にすれば、彼女は嫌悪し、これまでの関係が虚構だったことを浮かび上らせる。
サムが撮った学生生活の一日、カメラがとらえたライバルの美しい勇姿に賞賛が集まる。だが、そのヒーローの映像は、皮肉にも、虚勢を張った弱い自分とのギャップを当人に突きつけ、心を破壊する。
「友達になりたくて撮った」というサムの気持ちと裏腹に、偽物のヒーローは去っていく。
アーティストは、そんな十字架を背負わなければいけない、それでもアーティストになるのか?
サムは、奇しくも引き合わされたハリウッドの巨匠に、そう質問された。
イエス!
はっきり答えるサムに巨匠は、突然、地平と画角の話をする。画角のアドバイスなのか、深淵な哲学なのか??
色々な?が、投げかけられたまま、最後、サムはハリウッドの撮影村のコンテナの間を満面の笑みでスキップする。
よかった、彼は喜びに満ちていた。だから作るのだ。
なんか普通‥
映画の教育のままにならない関係について。
2022年。スティーブン・スピルバーグ監督。少年期の衝撃的な映画との出会いから映画にハマっていく男の少年期、青年期を描く監督の自伝要素満載といわれる作品。最後はジョン・フォード監督が現れ(しかもデヴィッド・リンチ監督が扮している)、映画スタジオらしき敷地の地面は濡れていて(もちろんフィルム・ノワールに代表される映画手法)、そして「地平線は下に」張り付いている。映画史三昧。
もちろん監督の自伝的な物語なのだろうが、幾重にも描かれるのは映画と教育の関係。主人公は転向した高校でいじめを含む多感な時期を映画をつくることで生き延びるし(教育課程と映画)、映画を見ることや撮ることを通じて人間の無意識を含む心の複雑さを学んでいくし(映画による教育)、この映画自体が映画手法や映画史を教えている(映画の教育)。そしてそのすべてについて、「思い通りにはならないこと」が強調されている。意図せずに写ってしまうもの、思わぬ効果を発揮するもの、つい発見してしまうものこそが映画の精髄なのだ。スピルバーグ監督という偉大な先生が、身をもって教育と映画の「ままにならない」関係を教えているのだ。それが人生賛歌でなくてなんなのか。
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