山女のレビュー・感想・評価
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Good Music and Cinematography Really Make a Difference
A real world Princess Mononoke melodrama set in a mountain village back before electricity that comes off somewhat as an accute portrayal of yesteryear Japan life. Shows some origins of gender roles and social structures, what's even more enjoyable about the film is that its lushly colored cinematography is pleasing to the eye. Obviously you have to watch for the original Dirty Beaches soundtrack.
ぼくらはみんな生きている 生きているからかなしいんだ
イエス様はおっしゃいました
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」
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監督と脚本は『リベリアの白い血』『アイヌモシリ』の福永壮志
原案は柳田國男の『遠野物語』
舞台は18世紀後半の東北
18世紀後半というと今ひとつわかりにくいかもしれないが要するに江戸時代である
当時の東北は冷夏によって飢饉に苦しんでいた
所謂『天明の大飢饉』
伊能忠敬でも有名な天明の大飢饉である
ロケ地は山形県各地
鶴岡市と高畠町と戸沢村
粗筋
村で火事を起こした罪で高祖父の代から凛の家では田畑を取り上げられ代々汚れ仕事を任せられていた
汚れ仕事とは主に死体処理である
伊兵衛がまた酷い父親で村の米蔵から米を盗みそれがあっさりとバレてしまい凛が庇うわけだがそれを良いことに本気で何度も何度も娘を殴るわけだ
米盗みの罪は重罪で後日処分が下されるが父は神隠しにあったということにして草履を脱ぎ裸足で山に行く凛
化け物が棲むと言い伝えがある祠の前までやって来た凛は山男に会う
山男は狼を仕留め生食していた
山男に貰った狼の肉を焚き火で焼いて食べる凛
山男は老人だった
山男を好きになる凛
山男と山で暮らすことによって生まれて初めて「人」になった凛
しかしそんな暮らしは長続きはしなかった
マタギの噂で山に山女がいるらしいと聞いた村の行商の泰蔵はそれは凛に違いないと思いマタギたちを連れて山に入り捜索活動
マタギは山男を殺してしまう
凛を捕えられ山に帰される
飢饉をなんとかしたい村人は神頼みで生贄を出すことに
生贄の御役目は凛に抜擢
大好きな山男の元に行きたい凛は気持ち良く受け入れる
生贄は火炙り
しかし突然の雷雨で生贄作戦失敗
凛を恐れる村人たち
山に帰る凛
話が暗い
それ以上に照明が暗い
自然主義だからだろうか
飢饉だがそれでも生きてるからには娯楽がほしいのが人間の性(さが)というもの
しかし貧しい村には娯楽なんてあるわけがない
やることといえば「まぐわい」しかない
もちろん避妊具なんてあるわけがない
どの家も妊娠し出産し淘汰する
その繰り返し
だから凛の家ではわりと仕事がある
東日本には被差別部落はないと言われるがそれでも村八分になった者は珍しくはないだろう
この作品を通じて差別はまるで昔話のように語る者は多い
ストレス解消に弱い者虐めをする
それは現代にも通じる
何も変わらない
あの村人たちと違い金銭的にさほど貧乏でもなく身なりはそれなりに小綺麗でも
学校の虐めや職場のパワハラ等
ヤフコメやXや著名人のSNSに攻撃的態度で正義を振り翳す全く罪の意識がない病的な偽善者にしてもそう
山に住む怪しげな老人を演じたのは森山未來
台詞は全くない
それがかえって良い
村人たちにはさほど怒りを覚えなかった
その時代その時代で常識があり現代人が今の常識で断罪しても当然の事ながら全く意味がない
現代においても不倫とか裏金とか統一教会とか自分の生活には全く持ってどうでもいいニュースばかりだ
野球ハラスメントという言葉があるらしいが東北人の明るい話題といえば大谷翔平くらい
極端な話だが戦争がない平和な国でのんびりと生きていければその他に特に望みはない
現代人の多くは「考えさせる」という割には特に考えることもなく欲深くそれでいて広い意味で超保守的だ
この村人たちは現代人よりバカだけどコメさえ喰えれば幸せというとてもシンプルでその点では昔の人の方が幸せかもしれない
配役
高祖父が火事を起こした罪を背負う凛に山田杏奈
謎の山男に森山未來
凛を慕う村人で馬を連れて行商をしている泰蔵に二ノ宮隆太郎
治次郎の孫で泰蔵と結婚させられる春に三浦透子
飢饉で育てていかないとシゲミの生まれたばかりの赤ん坊を殺す村人の寅吉に山中崇
赤ん坊を寅吉に殺される村人のシゲミに周本絵梨香
村人の角松に川瀬陽太
マタギの親方に赤堀雅秋
巫女に白川和子
村長に品川徹
村長の補佐の治五郎にでんでん
凛の父の伊兵衛に永瀬正敏
凛の弟の庄吉に込江大牙
村人に小野ゆたか
村人の吾作に須森隆文
村人に中崎敏
村人に山村崇子
急な展開。。
もうちょっと出会いから心惹かれていく様を描いて欲しかった。二人が親密になっていくところも、あっさり仲良くなってあっさりいなくなっちゃって。森山未來が大好きな自分としては、もう少し森山未來を噛み締めたかった!という感じ。昔からいるんですね。死体処理の仕事。しかも公になってる。汚れ仕事には違いないけど、もう少し待遇を良くしてくれ。
日本百名山にも数えられている早池峰(はやちね)
なぜか「早う死ね」と言われてる気がしてならなかった。神秘的で幻想的な映像とともに不気味な山男(森山)の姿。獣の肉をもらったはいいけど、凜(山田)は生で食べたのだろうか?火をおこしてるシーンがあっただけに気になってしょうがない。遠野物語は読んだこともないけど、雰囲気はそれなりに伝わってくる気がした。
冷害による食糧難。村長の米の配給の様子が痛々しくてしょうがないし、冒頭の赤ん坊を川に流す汚れ仕事を文句も言わず行う凜。あぁ山田杏奈。『ミスミソウ』での彼女の演技がそのまま伝わってくる。そんな凜ちゃん。米を盗んだとして父親が責められるが凜は自分が盗んだとして父親を庇う。そして山奥へ・・・
こうした自然と人間の憎悪が澱んで調和して・・・といった雰囲気の作品は映画館で観たかった。悲しみの雨と怒りの雷。音だけでも胸にグサリと突き刺さりそう。クライマックスのシーンでは、いつキングコングが現われるのかと全く違う方向で想像していたけど、似たようなものだったかもしれない・・・
「人に生まれてきてはだめだよ」
飢饉にあえぐ東北の山村。凛の家は、咎人の家系として村の汚れ仕事を引き受けていた。そんな時、父が盗みを働き、凜は父をかばって村を離れる。山神の祠を超え奥にはいった彼女は、山男と出会うが。
山で彼女がたくましく生まれ変わるのか、それとも異形のものとなるのか、と思いました。が、そんな見方をすると拍子抜けになります。山男は、存在感が薄いし。ある程度、もとになった遠野物語を知ってみたほうがよさそう。
山田杏奈は「ミスミソウ」ですごいと思いました。そのあとに観賞したのが「ゴールデンカムイ」と本作。山に生きる女路線に行くのか。
はじめから嫌な方向へ進むだろうと想像してたが、その上を行く展開。ス...
はじめから嫌な方向へ進むだろうと想像してたが、その上を行く展開。ストーリーは語らないが個人的に『ウィッチ』(2015 ロバート・エガース)や『福田村事件』、『ジャンヌ・ダルク』(1999 ベッソン)等いろんな映画を思い出した。悪い意味で。
差別の下のそのまた下
極貧の村,その中でもやはり差別は存在する。
そんな中、差別の最下層とも言える父親を庇って山に入っていく娘は,そこで山男に会う。
男は差別の世界のさらに下にいるかのように、言葉も話せず、ただ生きていた。
そこで暮らし始めた娘は、差別のない自由な生活,山男の優しさを,感じるようになっていった。
村の生贄となって神様に捧げられるというが,それが火炙りなのが意外だった。突然の雷と雨により助かり,彼女は山へ帰っていく。差別のさらに下に見つけた,自由な世界で生きていくのだろう。
山男役の森山未來のら無言の演技はさすがでした。
山にしか
江戸から明治の頃、東北、山の麓の村、
産まれたての自身の子の首を捻り殺す父親。
三代前に火事を出した家の田畑を没収して
差別しまくる村人と村長。
村に差別される父親と凛は屍体の片付けなど
いわゆる汚れ仕事でしか生計を立てられない。
またこの父親、米を盗んで咎められた時、
庇ってくれた凛をこっぴどく殴り続ける。
目が見えない弟の世話を気にしつつも、
かねてから憧れ続けて来た早池峰山に
身を引こうと入った凛は、
山男と出会えて楽しく暮らしていた。
が、鈍い泰造が連れ戻しに来て山男が殺され、
凛は村に戻され、
日の照らない村の犠牲として人柱にされる。
その見返りに田畑を返してもらえると
喜ぶ父親。
助けに来た泰造の誘いを断り運命を受け入れる凛。
火炙りになるので雨が降ればいいなぁ、と
思っていたら、雷鳴が轟き‥‥☔️
助かった凛を見て、許して許してと喚く村人。
悪いとわかりつつ、凛の命を奪おうとしてた。
いくら生活に困窮した村であるとはいえ、
父親もろともあまりじゃないか、と思った
凛の立場。
負けずに運命を受け入れて生きて来たが、
これからどうするのだろう。
凛には、山男が来ていたのが見えていたようで
話しかけていたようだ。なので‥‥。
村社会
祖先の犯した罪のために田畑を減らされ、村の汚れ仕事をする凛の家族。死体の埋葬や、口減しのために生まれたばかりの赤子を川に流したり。そんな嫌な仕事をする家族を村人が感謝するわけでもなく、軽蔑し、ろくに口も聞いてくれない。冒頭から、赤ちゃんを川に流すシーン、衝撃的。生まれたばかりの赤ちゃんを殺すのはそこの家族だが、死んでいるとはいえ、生まれたばかりの小さな赤ちゃんを受け取り、川に流しに行く凛。こんなこと、昔は少なからずあったのかも。辛い。
お米を盗んだのは凛?父親を庇ったと観たが。罪を被って殴られて、、、山に逃げ込む凛。山には不思議な山男が居たが、村での生活よりも楽しい様子。なのに探し出されて連れ戻され、生贄に。もう気の毒としか言いようがない。火炙りなんて、魔女狩りじゃあるまいし。村の人たちもこんな習慣やめようとは誰も言い出さない。自分の娘じゃなかったらそれでいいのか?でも人柱とかは実際にあったようだし、怖い時代だ。
それにしても山田杏奈、こういう役が似合うね。嫌な父親役がピッタリな永瀬正敏になんといっても森山未來の山男、独特な雰囲気がなんともピッタリ。
カンヌ国際映画祭にも受け入れて貰える
遠野物語と言うよりも今村昌平の『楢山節考』と言った所。
しかしながら柳田國男との関わりを考えれば『山窩(サンカ)』である。
遠野物語にどの様なインスパイヤーを受けたのか分からぬが、間違いなく旧国営放送的なアメリカ人から見た外国人向けの日本人像である。
こう言った映画を作っているうちに良い作品が出てくるかも知れない。伝統的な日本映画のDNAは途絶えることなく永遠と続いている。もはや、ループしているとしか思えない。これなら、フランスの『ジャンヌダルク』を彷彿させて、カンヌ国際映画祭にも受け入れて貰える。かもしれない。
いやいや、旧国営放送はプロデュースから外れていだきた、もっと露骨にもっと好色に作れば、間違いなくカンヌ国際映画祭とベルリンとベネチアの3冠は取れる。
まぁ、今村昌平先生の後継者なのかなぁ。
但し、演出家にはもう少し日本の民俗学と日本歴史を学んでもらいたいけどね。
追記
早急に改善されたく思う事。
若い健康で美しい女性が身を焦がして、その弟が生き残るのは物理的に理解出来ない。
これから死に行く者に白装束見たいな高価な物を着せるのは経済学的におかしい。
どう考えても雨季の季節を避けてすべき行為だと思う。
以上
18世紀後半、大飢饉に見舞われた東北の山村で一人の少女が必死に運命に抗います。「遠野物語」の世界感を知った上で鑑賞すると、より深く理解できる気がします。
上映時間が合わなくて、観たいと思ったのに結局
観られなかった作品が毎年かなりあります。(…残念)
3年前公開の「アイヌモシリ」もその一つ。この作品は
同じ監督の作品と知り、今度こそはと鑑賞しました。
江戸時代、18世紀後半。
浅間山の大噴火による天明の大飢饉発生。
冷害に見舞われる東北の山村のお話。
口減らしのため、生まれて直ぐの赤子の首を締める
そんな農家の姿から始まる。 …うわ @_@ ;;
冒頭からハードです… うへ
その赤子を処理する(=捨てる)のが主人公一家。
ひい爺さんの出した火事。村も焼けた。
そのため田畑を取り上げられてしまった。
そのため生活は超のつく貧乏暮らし。
村の汚れ仕事を引き受けて暮らしている。
飢饉のため、食べるものが無い。
お上からの配給米も、本来の分を分けて貰えない。
そんな中、村の中で盗難事件が起きる。
真っ先に父親が疑われる。 そして何と
盗んだモノも家の中から出てきてしまう。
庄屋たちに問い詰められる父。 と、そのとき
” 自分が盗った ”
娘が名乗り出る。
” そういえばお前、昨日の夜どこかに出かけたな ” と
娘に罪を着せる父。
(※娘の発言は嘘で、父がそれに乗ったのか…?)
父に散々殴られた上で、娘は牢屋に。 うー
気の毒に思った村人の手助けで、娘は牢を脱出。
” もうこの村にはいられない”
女人禁制の山へと足を踏み入れる娘の姿。
とまあ、この辺りまでのお話でも
充分に可哀相な娘なのですが…
お日様が顔をみせない日が続いている。
村の占いババア が ” 若い娘を山の神に捧よ ”と告げ
その白羽の矢が、逃げ出した娘に刺さる。 ぷすっ
山狩りの結果、娘は連れ戻されしまう。
娘の父は、娘が生贄になる代わりに
過去の罪は帳消しにしろ と村長に迫る。
しぶしぶ頷く村長。ほくそ笑む父。 ぬぬぬ。
そして生贄となる日。
山の神への捧げ方は「火あぶり」。 えっ …熱そう
白装束で柱に縛りつけられた娘。
足元に積み上げられた薪に火が放たれる。…あぁぁ。
と、そのとき
早池峰山の山頂付近からにわかに黒雲が沸く。
ものすごい豪雨。そして落雷。
柱に縛りつけられていた娘の戒めが解けとぶ。
怪異の仕業か と恐れを抱く村人を尻目に
何処へともなく歩き去って行く娘。
うーん。
この後、娘はどうするのか。再び山に戻るのか。
それを色々と想い巡らさせる、余韻のあるエンディングでした。
どっとはれ。
観て良かった。
満足です。
◇あれこれ
■山女(やまおんな)
あまり耳にしないコトバと思っていましたが
この作品を観た後に「遠野物語」のページをめくると
題名に「山女」と付く話がいくつかありました。
(…不勉強)
・山中の笹原の上を滑るように歩く女 とか
・中空を飛ぶように進む女 とか
・夜な夜な工場に現れて笑う女 とか
精神状態に異常をきたしているかのような
表現で描かれている感じがして切ないです。
異人にさらわれて山で暮らすようになる事も、
現状の生活に耐えかねて山に逃げ込む事も、
その昔は「良くある話」だったのでしょうか。
また、猟師が山の中で「大女」を見つけ「つい」
鉄砲で撃ってしまった話なんかもあります。
そんな「トンデモ話」が淡々と語られるのもまた
遠野物語の世界のお話。
決して「子ども向けの良い話」ではない話もまた
遠野物語の時代の悲しい現状を物語っています。
■山田杏奈(やまだあんな)
私の観た(もしくは気になった)作品の中で、
この方の演じる役は「悲惨な運命」のイメージなのです…。
それほど多くは観ていないのですが
・ミスミソウ
・屍人荘の殺人
そして今回の「山女」。
たまたまなのかもしれませんが、この女優さん
私が鑑賞した作品中では不幸な役が多いです… +_+ ;
他の出演作品を観るのがコワイ… @_@ ;;
■不協和音(?)のBGM
特に気になったのが作品の前半。
気持ちを不安にさせるような、聞いていて気持ちが
落ち着かなくなる音楽が流れていて、じわじわと
効いてきた気がします。+_+;
恐らくそれを狙っていたのかと思うのですが、効果抜群。
まんまとやられた感じです。 なんか悔しい…。 むぅ
◇最後に
「山は女人禁制」
山岳信仰の山は恐らくそうだと思うのですが
この作品に描かれる「早池峰山」もその一つ。
なのですが…
早池峰山の女神さまは、不幸から逃れようとして山に
入ってくる女性に対しては寛容な面がありそう。
そんな気がしました。
「駆け込み寺」ならぬ「駆け込み山(?)」。
そんな面もあったのかもしれないなぁ と
思ったりもしています。
一人で山で生きていけるかどうかはさておき、
「山の方が、それまでの暮らしより遥かにマシ」
そんな時代・土地だったのでしょうか。・_・
◇最後の最後
そもそも、山の神は女神サマなのです。
山の女神サマに「若い女」を捧げるのって、なにかこう
根底で間違っている気がるのですが… うーん。
◇山田杏奈・追記
☆「ゴールデンカムイ」の実写版で
アシリパ役に決まったようですね。これは楽しみです。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
「ありがとがんす」
8月25日は自分的に"高崎【女】祭"な観賞ラインナップであった(苦笑
3作品全部"~女"の題名であり、チケット窓口で続けて購入する際、初めて偶然性に我ながら恥ずかしかったw
柳田国男が岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である、"遠野物語"から着想を経ての作品である
監督の意図が読売新聞のサイトで表明されていたが「見ていてつらくなるようなことが起こるけれど、人を悲しませたくて作っているわけではない。そこで屈しないたくましさ、力強さを描きたくてやっている。」とのこと 寒村での不条理やいたたまれなさを描くのは今作に限ったことではなく、或る意味昔からの日本の陰の部分を物語として構築する上で、現代にも通づる日本人のルーツやDNAを探る、ふり返りの行為、もしくは"癖"かもしれない 忘れたいのにでも思い出してしまう、その癒せぬ心の依代を、こういった作品に投影する為には、同じベースの作品群は潰えてはいけないと思うのである
勿論、都度の制作された時代によりその表現は変化する、作られる経緯や立ち上がった場所も同様に変化に影響を与える 今作はNHKが絡んだ結果として主人公のヌードは演出されなかったが、確か、イ・チャンドンの『バーニング』は脱いでいたような・・・ なので、もしかしたらそれ以外の要素がもたらされたのであろう 何故そこに拘っているかというと、正に東北に伝わる伝承と、裸婦というこれ又"陰"としての印象(勿論、女性の裸そのものに否定する意図ではない)を織込む事は作品の重層さを表現出来る演出であるからだ
ストーリー冒頭で、天井からぶらさがったひもにしがみついての出産シーンが描かれる そして早々に口減らしのため産まれた子供を〆る 陰惨なシーンから始ることで今作は当然ながら愉しんで鑑賞する類ではない覚悟をしっかり観客に教え込む
そしてこの醜い人間同士の理不尽さを諦める手立てに伝承話を人は利用する "神隠し" "人柱" "山男" "山女" 作り上げた物語に吸い込まれるように再生産する女の『ナラティヴ』が今作の作りなのである
印象的な家の暗さを映し出される、まるで馬小屋のようなその内装に"貧すれば鈍する"父親の身勝手さ、弟の盲目、そして曾祖父からの村八分の罪など、とこしえに絶望する主人公がいにしえである神々が住む山に、死して迎えられる天国を想像する以外に生きる希望が見いだせない追い詰められ様は、現在でも充分想像に難くない
勝手に連れ戻され人柱にされる理不尽さ、しかし超自然現象がまたもや彼女を救う件は、勿論偶然ではあるが、昔話では定型的プロットであるところの、何処へと去っていく悲しくも、しかしハッピーエンド的落とし込みに、一抹のカタルシスを感じるのは小さい頃からの慣れ親しんだ話に安心感を得ることと同様であろう
虚無感ややりきれなさ、そんな社会が今でも当然とばかりに横たわるこの現状に、この作品の訴えたいことは、"自由"を勝ち取る姿勢ということか・・・
姉を助けようと弟がウロウロしていても目もくれないその態度の潔さにハッとさせられる強い意志を提示させられる作品である
【”「遠野物語」早池峰山バージョン。”抑圧された暮らしの中、決して奪う事の出来ない人間の尊厳を保つ若き女を早池峰の神は見ていた。山田杏奈の屹立した存在感に瞠目した作品でもある。】
ー 今作は柳田国男「遠野物語」に着想を得たという。
そして遠野物語に早池峰山が欠かせないのはご存じの通りである。
初夏にはハヤチネウスユキソウが山の斜面のあちこちに咲く、遠野の民の信仰厚き山である。ー
■<Caution! 内容を民話風に記載しています。>
昔々、早池峰の麓に貧しき村あり。冷夏が続き、穀物は取れず村長(品川徹)が巫女(白川和子)に占って貰うも良き兆しなし。
村の中に曽祖父が起こした火事のために村八分になっている家在り。
田畑を取り上げられ、村の中でも疎外され、間引きした子を川に流すなど汚れ仕事で糊口を凌ぐ。
ある日、父(永瀬正敏)が米を盗むも、その罪を娘リン(山田杏奈)に被せる。
リンは、父を責めず、山の結界の前で草鞋を脱ぎ、山の奥に歩み入る。
そして、白いざんバラ髪の山男(森山未來)に遭う。
最初は動物の生肉を喰らう姿に恐れつつも、リンは物言わぬ山男と生活を共にするようになり、山男に蔓で編んだ服を着せてやったりし、彼女は初めて生きる喜びを体感する。
そんなある日、リンと山男の所に、村の中で唯一リンを気遣う男タイゾー(二ノ宮隆太郎)と、迷っていたマタギたちが現れリンを庇う山男を鉄砲で撃ち、嫌がるリンを村へ連れ帰る。
村長は村人たちと話し合いリンを早池峰の神に捧げる事で、夏の陽光を取り戻そうとし父もそれに同意する。
夜、竹の檻に入れられたリンの元に父が来、リンの好物を差し入れるも口にせず。
そこに山男が一瞬現れ消える。
翌日、リンは抗う事無く、村の広場で火刑に処されることになるが、村人2人(山中崇、川瀬陽太)が火を付けた途端、黒雲沸き起こりリンの周囲にのみ驟雨が激しく振り火は瞬く間に消え、雷鳴轟きリンが磔にされていた木を薙ぎ倒す。
恐れ戦き、手を合わせる村人の中をリンはフラフラと歩み去って行く・・。
不可思議極まりない「山女」の話。
どんとはれ。
<今作は、遠野物語を基調にしつつ、村の中で抑圧された暮らしをしているリンや弟が人間としての尊厳を失わず生きる姿を、早池峰山の姿を背景に描き出した寓話的作品。
リンを演じた山田杏奈さんは、そのお姿は幾つかの映画で観ていたが「ひらいて」の演技で刮目した若き女優さんである。
今作でも、永瀬正敏、三浦透子、森山未來と言った名だたる俳優の中で、屹立した存在感を放っている。
又、山男を演じた森山未來さんの、神秘的とも言える演技にも驚いた作品でもある。>
<2023年8月14日 刈谷日劇にて鑑賞。>
共同体とその外側
2022年。福永壮志監督。18世紀後半の東北地方は冷害に苦しんでいた。先祖が火事を起こしたことで田畑を取り上げられた一家は埋葬を生業とすることでかろうじて生計を立てているが、村人からは差別されている。ある日、盗みを働いた父を庇った娘はやりきれない思いを抱えたまま、神聖な山に入っていくと、そこには山男がいて、、、という話。
「遠野物語」から着想を得たという山女のはじまりの物語。共同体の中で差別され、蔑まれた娘がそこから抜け出そうとしたとき、神聖な山の中という選択肢しかなかった。そこには人語を解さぬ、しかし(だからこそ)不思議な魅力と力を持った山男がすでにいる。言葉が通じない山男との共同生活は共同体の掟や人間感情とは無縁の原初的なつながりになっていくが、人間は人間の世界に連れ戻そうとする。ところがそこにはいかにも人間らしき手前勝手な理屈があって、冷害を収めてもらう神頼みのため、人身御供を必要としていたのだ。このあたりは「もののけ姫」みたいだ。父と弟のために役目を引き受けて死を覚悟する娘だが、土壇場で「天の配剤」のように救われ、周囲が恐れおののくなか、一人山へと歩み去っていく。
近代の物語によくあったように、「個人」の「意思」として共同体を抜け出すのではなく、山男との出会いや最後の雷雨のように、意図を超えた神的な自然の力によって抜け出すところが肝心。山男を引き継いだ山女となった彼女に手出しする村の者は二度と表れないだろう。
しかし、だからこそ、ラストシーンで人間の世界の軛を離れていく彼女はもっと美しくあらねばならない。後ろ姿の髪の毛が艶やかに光っているとか、真っ白くなるとか。
遠野物語読みます。
えーっと、暗い映像を淡々と観ていた…という感じです。
18世紀後半の東北の山深い村の生き辛さをひしひしと感じつつも、
このような辛いお話は、いろいろと作品になっているので、
これといって何か真新しい感じがしませんでした。
村という居心地の悪いコミュニティから飛び出した凛にって、
山男が愛と尊敬の入り混じった存在になり、
ラストは山女になって、
俗世の柵みから解放された場所で、
自由に慣れた…ということで、
凛に取っては未来が続いた、
という解釈にしといていいですか???
遠野物語を読みたいと思います。
今の時代につながっている
「アイヌモシリ」の福永壮志監督が、「遠野物語」を題材に映像作品化。前作と比べると、名のある役者陣が出演しているせいか、劇映画としてしっかり成立しているが、その反面、アニミズム的な不可思議さ、得体の知れなさは薄れた感じ。
「遠野物語」を初めて読んだとき、遥か遠い昔の話ではなく、せいぜい曽祖父ぐらいの頃の見聞録であることに驚き、今の時代につながっているのだな、と深く感じ入った覚えがある。この作品では、18世紀後半が舞台ということで、それより少し遡った感じだが、貧困、差別、不寛容、犠牲、自己実現といった現在につながるテーマを描こうとしていることはわかる。
山田杏奈の目つきがいい。可愛さもあり、もう少し汚れていてもいいくらい。森山未來は出番は少ないながら、強烈な存在感。二人の交流をもっと見ていたかった。永瀬正敏もうまい。脇役もそれぞれはまっていたが、中でも白川和子!
暗闇を基調とした撮影、不協和音の音楽もユニークでいい。多国籍チームの賜物か。
もっと長尺にしても描ける題材で、食い足りなさも感じたが、こうした作品を世に出す志を大いに評価したい。
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