山女のレビュー・感想・評価
全45件中、21~40件目を表示
お前ぇと俺はちがうんだよ!
プロレタリアよ団結せよ、みたいな話だったらちょっとなぁ…と危惧しつつの鑑賞だったが心配無用でした。
おさむれぇ様が出てこないので,貧農vs大自然という絶望的コントラストが際立つ。そしてその山を、単に木が生えて傾斜しているところではなく,神懸かったモノが宿った敬して遠ざけるべき場所として映し出すカメラワークと照明も見事。
そして,他評者多数ご指摘の通り山田杏奈が素晴らしい。大袈裟な表情を排し眼だけで語る彼女無しだと,かなりつまらない作品になっていたことだろう。個人的には清原果耶@「1秒先の彼」や円井わん@「MONDAYS」と並ぶ最近の嬉しい発見。
江戸時代後期の頃の話か
生け贄信仰って、形は変われど今も行われているんだろうな。
「生け贄を捧げたら神様が喜び、災いを消してくれる」という発想は、心の底から馬鹿馬鹿しいと思う。
映画のラスト、どうしてあんな事が起こったのだろうか???
越えてはいけない祠の先。
めっちゃ面白かった。いや、正確には面白い要素なんて全くないんですけど、なんだかずっとドキドキしてた。物語の舞台は18世紀末の東北。2年もの間大飢饉に苦しむ小さな村。終始どんよりした空気がスクリーンを支配している。
先代の罪を背負い差別されて生きる父子。稲は枯れ食べるものもない。今日生きるのに必死の村人たち。そんな環境にあっても人を見下すことを止めない人間の性。その醜さ、その狂気が嫌ってほど感じられて叫びだしたい気分でした。
山田杏奈がまさに凛とした新たな表情を見せてくれます。周りの俳優陣もとても豪華です。
ラストはなるほどね、って終わり方でゾクッとした。きっとこのまま滅び行く村を背にして、歩いて行く道のその先に何があるのか、あるいは誰かが待っているのか。答えはない。
タイムスリップ・ミスミソウ
・・・。
辛くて、苦しくて、胸が張り裂け、泣いてしまった。何がいけないんだ。どうしてダメなんだ。ただ、必死に生きているだけなのに。その場に立たされて、ようやく現実を受け止め、躊躇うのは何でだ。今を生きる全ての人に大切な、この時代に必要な映画でした。
山田杏奈の表現力には、毎度驚かされる。
もはや、怖いくらいに上手い。リアリティがあるどころの騒ぎじゃないから、胸の奥底までエグられる。なんでこんなに綺麗な子がそんな目に合わないといけないのか。そんな思いで心苦しくなる。時には若きギターリスト、時には嫉妬心に溢れた女子高生、時には村で差別される孤独な女性。どんな役者遍歴だよ。スゴすぎるぜ。
英語表記があるように、本作は日本よりも外国受けしそう。と思ったら、米国と共同制作なのね。日本にしか描けないテーマを世界に。昨年の「破戒」と同じ差別を扱っているが、本作はもっと暗い。あの作品には劣るとも、ものすごいものを見たという感覚は似ている。人間ってのは、本当に愚かである。
ドキュメンタリーのように、リアルな接写が多いため、かなり暗くて見ずらい。故に眠たくなってしまい、映画館で見るには地味すぎた。だけど、森山未來の山男とのコントラストは素晴らしい。ようやく人間としての喜びを感じた山田杏奈の姿も、さらに美しい。撮影は日本人では無いらしく、少しばかり相性が悪いように思えた。これだと暗くて辛い映画で片付けられちゃうな。
まるでミスミソウ。ここからがミスミソウ。
あの作品が大好きな私にとっては、結構ハマりました。ここからが見たい!って感じはするけど、山田杏奈の恐怖を覚えそうになるほどの演技力に圧倒されました。
生贄 今は昔
話では聞いたこと有るが、生贄がリアルに表現されていた
生贄だけでなく、村独特のシキタリというか、盗人の子は死んでも盗人みたいな、閉鎖的な世界を描いていた
これとは反対に山の中で、一人たくましく生きる男性に惹かれるのだが…😞自由→孤独 規律→集団どちらを好む?と問い掛けられたようだけど…
自らを棄てる
先代の罪で村八分の扱いを受ける一家。
現代でも、子の罪はある程度の年齢まで親にも責任はあるが、親の罪を子に求めるのは胸糞が悪い。
献身からか諦観からか、父を庇った凛は遺児を捨てていた山へ自らを棄てる。
ここに説得力を持たせるのが山田杏奈の目の力で、『ミスミソウ』で初めて見た時は本当に上手く笑えないのかと思ったほど。
明るい役もよいが、抑圧された中で意志を光らせる役が彼女の真骨頂かと思う。
家父長制の強過ぎる時代ゆえか、「すまん」すら言わないが、罪悪感や葛藤が滲む様を永瀬正敏が好演。
だからこそ、“お役目”を果たす前にかける「よくやった」に意味が灯る。
短い出演ながら、絶妙なツンデレで泰蔵への愛情を表現した三浦透子他、脇にも隙がない。
照明をあてない暗い画面や、昔言葉と方言が混じった台詞は、理解を妨げないギリギリのライン。
度々映される山も、大袈裟に綺麗とか雄大に撮らず、でも畏敬を抱かせるロケーションとアングル。
キャスティングや音楽など、全体としてとても真摯さを感じた。
惜しむらくは、題に冠する割に山で生きる凛の描写が薄いこと。
山男との交流ももっとじっくり見せてくれれば、余韻が格段に深まったと思う。
こんなに全く笑顔の無い作品も珍しい。
永瀬正敏・でんでん とくりゃ観ますよー
朝イチで観たホラーより飢饉・飢餓・迷信の方がよっぽど怖いやね。 映画製作ではゴージャスな衣装より粗末で着古し汚れた木綿を再現する方がよほど高い予算になるはず。
色々な工夫をして頑張っている衣装部も見事だ。
山を降りても、人ではなかった
ふと思ったんです。「鬼滅の刃」の柱って、彼女のこと?。異形の者として、ヒトの生存を脅かすモノと抗い続ける宿命。ヒトであり、柱である存在。彼女が抗い続ける鬼の正体って…。
そうすると、彼女の呼吸は火?、水?、それとも…。みんながこぞって鬼滅を応援するのは、あの時代のDNAの為せる業かも知れないですね。
私の内に、あの時代のDNAが、どのくらいあるのかしら。少なくとも、あの時代を生き延びたDNAがなければ、私達は、今、ここにいない。その一方で、私達は、何人の凛を、必要としたのかしら。
エンドロールを見る限り、海外マーケット狙いかな。上映館も少ないし。それにね、なんとなくですが、私のDNAが、この映画を拒否するんですよ。生き延びちゃって、ごめんねって…。
とにかくね、可哀想で片付けるのは、止めてね。我々は何処から来たのか、我々は何者なのか、我々は何処へ行くのか、強制的に考えさせられる作品です。
咎人は、咎人が作るのか、あるいは、自らの悪意に気づかない善人が作るのか、皆様も御考慮下さい。
ただね、あのラストはちょっと…。お前は◯◯◯◯◯◯○◯◯◯(注1)かって、みんなで突っ込みたくなる展開ですが、まぁ、それも、映画ならではのエピソードということで。
注1) ◯には全てカタカナの語句が入ります。気になる方は、是非、劇場まで!。
追記
この映画は、おとぎ話?、昔話?。なら、どうして今、創られたの?。他者を排撃、死に至らしめる、悪意なき善人のすることは、止みました?。教育の現場で自らの命を絶つ事例は、どんな鬼が、やらかしたの?。遊び感覚で、他者を死に追い込む鬼は何処に棲む?。鬼をおとなしくさせるには、異形の柱に任せたら、それで済むの?。私達は、自らの悪意に目をつむり、念仏唱えていればいいの?。
皆様の全集中の呼吸に、期待します。
遠野のジャンヌ・ダルク
冷害による飢饉に苦しむ東北の寒村が舞台の時代劇。祖先の罪で村八分となり、村の穢れ仕事で糊口をしのぐ一家の娘リンを山田杏奈が演じる。
弟を守るため父親の悪事の肩代わりで村を追われたリンは、隠れ棲んだ山奥で不思議な男と出会う。抑圧された村での暮らしから解き放たれ、リンは初めて心の自由を得るのだが……
家族を想い苛酷な運命を甘んじて受け入れていく、リンの意志の強さには神々しさすらある。白装束の彼女の姿にはジャンヌ・ダルクを想起した。
遠野物語の世界観をベースに、差別や貧困といった現代を照らし出すテーマ性を落とし込んだ意欲作。山田杏奈は本格女優への一歩を踏み出した。
邦画の可能性
映画の山田杏奈が好き
この若さとルックスで演技力も高評価を受けてるから、いつも難しい役のオファーが来る
こんかいも紛うことなく難役だ
共演者に関しても永瀬正敏、三浦透子、品川徹、でんでんだったり一縷の隙もない
そして何より演出がすごい
時代背景は18世紀後半、その時代を感じさせるかのような照明・・むしろ照明を当ててないんですよね
役者の顔が映らなくても電気の無い時代の屋内なんて暗くて当たり前で
隙間からさす太陽光だったり、夜なら囲炉裏の火を照明代わりにするという・・・
自分が映画を見ている数が圧倒的に少ないから他にもこういう映画があるのかもしれませんが、個人的にこういう映画が増えていったらいいなぁと思う次第
物語の方は時代だったり天気だったり家族(先祖)だったり
自分ではどうしようもない環境に翻弄される少女を山田杏奈が熱演
中盤ぐらいから出てくる山男が森山未來っていうのが途中までわからなかった
山男がマタギ相手に立ち回るシーンが完全にシン仮面ライダーだった
みなさん、あのラストどう思いましたか?
評価 4.5
日本古来の差別の形成過程をみせてもらったような
タイトルからサンカの話しかと思って鑑賞しました。遠野物語(柳田國男)からインスパイアされた作品とのこと。文化庁も応援していますし、訴えたいポイントも明確なので、まずまずの作品で、キャストもほぼベストと言える布陣でした。
主演の山田杏奈。とてもよかったです。山田杏奈は芋生悠とのダブル主演の「ひらいて」でいいなぁと思った若手女優さん。山女や山男については柳田國男は里に暮らす人間とは民族的に異なる人種の存在を想定していたようですが、ご自身が集めたエビデンスはまったくないので、サンカはなおさらミステリアスな魅力に包まれた存在として今に続いています。意志が強くて生命力に溢れる山田杏奈の魅力が味わえる一品でした。そして、全盲の弟の存在がなおさら愛情深いキャラクターを引き立てます。人柱の描き方(火炙り)は、ちとやり過ぎだと思いましたが、突然の豪雨と落雷の描写は遠野物語拾遺28(人柱)のエピソードをアレンジしつつ、日蓮上人のエピソードを彷彿とする印象深いシーンでした。個人的にはサンカの成り立ちにひとつのヒントを提示しながら、昔の農村社会の不条理性を描いた作品として評価します。でんでんは漁労長とか村長とか古い体質のオサ役をやらせると真っ向からは憎めない独特の味を出すのでうってつけです。セリフひとつない森山未来の不気味な役どころも切なさと相まってとてもよかったです。ちょっとくさすぎる傾向のある永瀬正敏さんもこの役なら合格点ですね。山中崇と川瀬陽太のキャスティングも秀逸としかいいようがありません。
ただし、正確な史実に則った作品と思わないほうがいいですね。あくまでエンタメ作品として味わい、評価するニュートラルな立場を保つほうが賢明だと思います。
ハル役の三浦透子は抜群の存在感で怖いほどでした。さすが。
早池峰山は盗賊の神様
舞台は江戸時代中期、冷害による不作であえぐ東北の寒村が舞台。食い扶持を減らすために赤ん坊の間引きが日常的に行われている。主人公は先祖が失火で村を焼いてしまった咎のために、田畑を取られ村はずれに追放され、死体処理などの汚れた仕事しかさせてもらえない穢多の娘。娘は食い扶持を減らすために自ら早池峰山の結界を超えた山の中に身を隠す。そこで出会った男(おそらく彼も別の集落を追放された穢多、言葉を話せず仕留めた動物の生肉を貪り食う)と暮らしていくが、有る時マタギと出会うことで村の窮状を救うため火炙りの生贄にされてしまう。丸太に縛られ、火をつけられた瞬間、早池峰の峰々から…
ユーロスペースのスクリーンのせいなのか、実際は「もののけ姫」や「楢山節考」のような美しい森の風景のはずが、どうもコントラストに欠ける映像だった。ストーリーはセリフが少なめの楢山節考にもののけ姫のエッセンスを振りかけたような感じか。
森山未來は馬。
遠野物語ベースの映画としては完成度かなり高いと思う。
どうしても日本人なら少しは知ってる話の再構築になるから先が見えてしまうんだが、それでも自然光にこだわった絵は美しく目を離せなかった。
この監督の作品を見た事ないんだけど、いつも外国のスタッフとやってる人なのかな?撮影、音楽、Mix、編集と海外スタッフが参加していてたぶん凄く良い結果出てるような気がする。
2年に及ぶ冷害でひどい状態の割には皆んな血色良すぎて説得力ないが、役者の布陣もまあまあ良い感じ。山田杏奈は22才、当時だととっくに子供産んでる年齢であるが頑張っていた。
最後個人的には馬に乗って行って欲しかった、うーむ、オシラ様の話に小さくまとめたくなかったのかもしれない、、、、。
さて、映画見てて改めて日本の縮図というか、国民性というか、、、事を荒立てない、表面上上手くやる、出る釘は打たれる、我慢する、皆んなの犠牲になる事が尊い、、、これを日本の美徳と考えるか、30年に及ぶ成長不良の原因と考えるか、、現状のどん詰まり感、、原因は根深い。
どっとはらい。
罪を知る神
18世紀後半、冷害が2年続く東北の山間の村で、咎人で田畑を取り上げられた曾祖父を持つ男とその子供達の話。
村外れ死人の処理という忌み嫌われる仕事をして何とか食い物にありつく中甲斐性無しの父親が…話しているのを聞く限りこの父親は村人の中ではかなり色々理解できている様に感じたけれど、なんでそんな行動をという感じ。
そして同じく理解している凛が祠を越えて…。
やり切れない話しだし、何が神だ何が祈祷師だと、もののけ姫にでもなるのかと思ったら、何とそう来ましたか。
ある意味哀しくある意味痛快、しかしながら虚しさも残るなかなか面白い作品だった。
それにしても山田杏奈が最初誰だか判らなかった。
冷害、飢餓の惨状が身に染みる痛みを呼び起こす。
科学進歩と民主的政治等が食糧難と貧困を回避してくれたが、
今日では、より多くより深い社会問題を日常に溢れさせている。
少なくとも18世紀の飢餓よりはましになったことに安堵するが、
そしてたら、次は何をしたらいいのか!
山歩きでもして考えます。
原始の森はまだまだ深くて素足素手では歩けない。
白川和子さんの元気な御姿を観れて良かった。
^^
人間の脆さと自然への畏敬の念、
そして現代にも通じる貧困や差別など社会問題を映し出したドラマ。
18世紀後半の東北。
冷害による食糧難に苦しむ村で、凛は人びとから蔑まれながらもたくましく生きていた。
そんな彼女の心の救いは、盗人の女神様が宿ると言われる早池峰山だった。
ある日、村中を揺るがす事件を起こし、村人から責められる父親・伊兵衛をかばう凛は、家を守るため自ら村を去る。
けっして越えてはいけないと言い伝えられる山神様の祠を越えた凛は、さらに山の奥深くへと進んでいく。
そんな凛の前に現れたのは、人間なのかもわからない不思議な存在だった。
凛役を「樹海村」「ひらいて」の山田杏奈、
村人たちから恐れられる山男役を森山未來、
凛の父親・伊兵衛役を永瀬正敏がそれぞれ演じ、
二ノ宮隆太郎、三浦透子、山中崇、川瀬陽太、赤堀雅秋、白川和子、品川徹、でんでんらが顔をそろえる。
芸術性9割、娯楽性1割?
『私の人生は、誰にも奪わせない』
とポスターやチラシには書いてあるのですが、そういう映画ではなかったです。少なくとも私には。
夏休みも近いので、レビューをふたパターン用意しました。
【読書感想文的なレビュー】
人権などという概念があるはずもなく、生まれた村以外の社会のことも、教育などもない山に囲まれた小さな世界。
もちろん、そこに住む人間のほとんどは、そこが世界のすべてであり、他と比べて大きいのか小さいのかも分からないし、比較するという発想もない。
生き方において、何かを強いられながら生きるか、生きざるを得ないから自ら生きるか。
その違いしかない。
〝より良く生きるために〟とか〝何をすべきか〟
という命題。現代人にとっては、あらためて突きつけられなくても日頃からある程度、無意識に身についている哲学的な思考だと思います。しかしながら、この映画の世界のように、そんな命題について意識することが無い環境で生まれた人間にとっては、自然環境から受ける影響は、神々からの意思表示の顕現であり、何かに導かれるように降りてきたインスピレーションに従うのは当然のことなのでしょう。
農作業の人手としてもカウントされないほどの飢饉。
だからこその集落からの解放。
天候不順でなく、豊作が続いていたのなら、労働力として否応なく村落に取り込まれていたはずです。
人身御供の儀式か、豊穣への感謝の祭か。
【正直なレビュー】
きっと芸術性の高い作品なのだとは思います。
でも、私には無理でした。
最後まで寝ないで見ることのできた自分を褒めてやりたいです。
つまり、エブエブよりは遥かに楽しめた、ということです。
古来の日本にみる「神」という存在を感じる
サービスデイの土曜日、シネスイッチ銀座で今週公開の本作の客入りはけして多くありませんが、雨の中わざわざこの作品を観にくるのですから、やはり皆さん熱心なのだと思います。そのせいか、上映が終わってもすぐに立ち上がることなく、席で「余韻」を味わってる方が多いように感じました。
主演は22歳の山田杏奈さん。小柄で童顔のためまだまだ制服役を演じててもそれなりに見えなくもないですが、子役時代から役者としてのキャリアが長い彼女には「本作のような作品に挑む姿勢」に強い意気込みを感じるからこそ、逆に「彼女主演なら見逃せない」と思わせてくれます。セリフは全編が舞台である遠野(岩手県)の方言で苦労も多かったでしょうが、静かに燃える感情の表し方は流石のもので、後半は物語の展開も乗じて神々しさすら感じます。
そして、助演の皆さんも素晴らしく、特に今回もでんでんさんと永瀬正敏さんはヤバいですね。この手の作品に現代の価値観を重ねてしまうのはむしろ間違った観方だと思うのですが、それにしてもお二人のやることなすこと、立場こそ対照的なのにどちらにも共通する「人間の弱さ、そして狡さ」が、演じるお二人の「表情そのものに刻み込まれているよう」で説得力しかなく、本作を観た後に(本作の原案である)柳田国男の『遠野物語(未読)』を読めば恐らく、そこかしこにお二人の顔を想像してしまいそうな気がします。
さらに、最早「彼以外考えられない存在感」で、「演技を超えたアクション」なのが森山未來さん。世を捨てた凛(山田杏奈)に生きる意味とそして喜びを感じさせますが、けして「(それを)与えている」という恩着せがましさがなく、代償を求めないところは本当の意味で神のようであり、むしろ、人間が「すがるために作り出した偶像的な神」とは違います。途中、巫女のお婆(白川和子)の「貢物も無いしのう」という言葉の偽物感が対比的でおかしく、最後の展開にそれを嘲笑うようなシーンがそれまでの重たい気持ちに対し少し救われます。観る価値ありました。
全45件中、21~40件目を表示