愛国の告白 沈黙を破るPart2のレビュー・感想・評価
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NGO「沈黙を破る」自国の加害と向き合う元イスラエル兵士たちの独白
愛国の告白 -沈黙を破る Part2- 大阪十三にある映画館「第七芸術劇場」にて鑑賞 2023年12月3日 パンフレットから引用、編集したものをコメントします。 パレスチナ取材暦34年土井敏邦監督による集大成 自国の加害と向き合う元イスラエル兵士たちの独白 ”占領軍”兵士が抱える心の闇とは “占領軍”となった若いイスラエル兵たちが、パレスチナ人住民に絶大な権力を行使する兵役の中で道徳心・倫理観を麻痺させ、それがやがてイスラエル社会のモラルも崩壊するという危機感を抱く。その元将兵たちは、“占領”を告発するNGO「沈黙を破る」を立ち上げる。 ユダ・シャウール(NGO「沈黙を破る」創設者) 1982年 エルサレム生まれ。右派の家庭で育つ。父親はカナダ出身でコンピューター技師、母親は米国出身。2001年から7ヵ月間は兵士として、さらに7ヵ月間を指揮官としてヘブロンで任務についた。NGO「沈黙を破る」の創設者。 他の創設メンバーたちは、その後、活動を離れ、それぞれの道を進んで行ったが、ユダだけが、他に就職することなく、15年間、「沈黙を破る」の活動を続けてきた。 「沈黙を破る」への攻撃 「沈黙を破る」は、パレスチナ人住民とユダヤ人入植者が隣接して暮らすヘブロン市で兵役に就いた元イスラエル軍兵士、ユダ・シャウールらによって2004年に創設された。“占領”が兵士個人とイスラエル社会のモラル(倫理・道徳)を崩壊させてしまうという危機感からだった。 私は2005年から3年間にわたって彼らを取材し、映画「沈黙を破る」を制作した。その後の彼らを取材しようと創設者ユダ・シャウールに再び接触を試みたのは2016年秋だった。しかし当時、「沈黙を破る」はネタニヤフ首相率いる政府と、ユダヤ人入植地団体など右派、極右勢力から激しい非難・攻撃にさらされていた。 きっかけは2014年夏、2000人を超える死者、数十万人が家屋を失うイスラエル軍の激しい空爆と地上侵攻による「ガザ攻撃」だった。「沈黙を破る」は、その「攻撃」の実態を、従軍した元将兵たちの証言を元にインターネットや証言集でイスラエル内外に公開した。 その反動は凄まじかった。政府、メディア、そして右派勢力から「裏切り者」「敵のスパイ」と糾弾され、言論による非難・攻撃だけでなく、暴行など物理的な攻撃にもさらされた。そんな緊急事態下にあった彼らには、外国人ジャーナリストの取材を受ける余裕もなかったにちがいない。私がやっと「沈黙を破る」のスタッフたちにインタビューができたのは、ユダとの接触から3年を経た2019年夏だった。この映画は、「沈黙を破る」のスタッフ6人へのインタビューを土台に、前作「沈黙を破る」を公開した2009年以後、私が撮影・記録を続けてきたヨルダン川西岸、ガザ地区の映像を織り交ぜながら編集した作品で、前作の続編である。 “愛国”とは何か 前作になかった新しいテーマがある。 それは、「沈黙を破る」の活動を続ける元将兵たちが、「裏切り者」「敵のスパイ」という非難・攻撃のなかで、どのように自分自身を支え、信念を貫いていくかというテーマである。 「日本」や「ロシア」を映し出す それは翻って、私たち日本社会への問いかけでもある。 自国の“負の歴史”を覆い隠し、「輝かしい歴史」を拾い集めて列記し、「この『美しい日本』を誇れ!愛せ!」と声高に叫ぶ日本の為政者たちは、「沈黙を破る」の若者たちを「裏切り者」「敵のスパイ」呼ばわりするイスラエルの為政者たちと重なって見えないだろうか。さらにこの映画の元将兵たちの声は、かつて中国をはじめアジア諸国に侵略し、“占領軍”となった旧日本軍の兵士たちが、なぜあれほどの残虐行為を犯してしまったのか、そして現在、ウクライナに侵略したロシア兵たちがブチャ虐殺に象徴されるような犯罪をなぜ起こしてしまうのか、占領軍兵士の深層心理を探る一つの手掛かりを暗示しているようにも思える。 この映画は「遠いパレスチナ・イスラエル」の物語に終わらない。私たちの国の社会の在り方、また私たち自身の生き方をも映し出す映画である。
地に足が着いた強靱で冷静な運動と日本での運動
『クレッシェンド』はフィクションながら、イスラエル人とパレスチナ人とが心を許し合えることの絶望を描いていたけれども、本作はドキュメンタリーで、裏切り者や反逆者と呼ばれることや、家族からの反対にも怯まず、学園紛争の時代の学生たちよりも遥かに地に足が着いた強靱で冷静な運動を進めようとしていて、日本における駐留米軍への反対運動を進める人々とも共通する姿勢だと痛感した。
「愛国」とは?
自国の不正義や加害行為について、誰にも頼まれないのに証言している。それを「愛国者」と言えるだろうか? イスラエルの元兵士のグループ「沈黙を破る」は、それをしている。そして本作は、そんな彼(女)らの数十年に亘る活動と証言を映した、上映時間3時間弱の長編映画であった。土井監督は、「沈黙を破る」ことは「愛国の告白」でもあるという思いから、この題をつけたのだろう。映画に登場する「沈黙を破る」人々の佇まいには、確かにそう思わせる説得力があった。 上から目線も下から目線もない、彼(女)らのフラットで真摯な眼差しを見ていると、イスラエルの未来は彼(女)らに懸かっているのではないかと思えてくる。正確に言うと、彼(女)らの活動を、イスラエル社会が受け入れらるか否かに懸かっているように思えた。これは日本にも言える。日本の戦前・戦中の加害行為を否定する事が、愛国的行為のように思われているが、そうした状況は日本(の未来)にとってマイナスでしかない。大袈裟でなく、戦前の日本の国あり方を真摯に反省し、国内の人も国外の人も大切にする国にならなければ、日本の良き未来はないように思う。いつまでも、人間を粗末にした特攻を賛美したり、近隣を踏みにじった態度を自分たちで検証できなければ良き未来などない。 印象的な言葉はいくつもあったが、その中の一つに「富豪のお城があって、その周りに餓死しそうな人々がいたら、富豪は平和でしょうか?」というものがあった。つまり、自分が豊かでも、城壁を築いても、周囲が苦しければ平和は訪れないという意味である。隣人と共存する道を探らなければ未来はない。これはイスラエルも日本も同じであろう。
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